日曜日, 3月 24, 2013

今月中に財務省の担当部局に売買の合意書を提出しても、4月はあらたに今年度の地価改定があり、この値段で売買許可をしますという通知は5月の連休明け以降という見通しから、三月中に合意文書と契約書を用意しなければならず、契約書の案ができたというので、それでOKかどうか検討する為、不動産売買の資格も持つ某銀行の元役員氏に、専門用語の解説を交えて教示を願うために、氏の自宅の茂原市へ土曜日に伺った。作成した会社は月曜日にも提出を済ませたいらしく、私の家にもコピーが郵送されるというが金曜日になっても届かず、すでに入手されている先方のお宅へ伺った。電車でも行けるが、すでに大原からの帰りに下見がてら通っていたので、逆算で11時過ぎには到着するように朝7時にはいつものルートで出発。県境の橋を越える際の温度表示は12度Cだった。
 先週RBに行った際には来週には来ますよなどと行っていたが、音沙汰なく、今日こちらから問い合わせたら、来週中に陸送でと抱き、手渡しは4月の第二週以降だそうで、半月先らしくこれが最後のツーリングと思っていたが、まだ当分乗り続けることになりそうだ。

土曜日とはいえ16号はそれほど混んでおらず、予定通りにバイクは進んだ。昨日はレンタカーで実家の荷物運びをしたばかり。会社を辞めたら暇を持て余すようになりますよ、などと盛んに聞いていたが、今のところそんな事は無い。

着くと直ぐに二階の和室にあらたに設置された、伯母夫婦の位牌を納めた仏壇を拝見し、焼香後難しい話の前に食事をしましょうと、氏行きつけの地元の料理店で事前に注文してあったハンバーグをいただいた。評判のみせらしく、若いカップルや女性同士で常連客らしい人たちが次々に入ってきた。
http://tabelog.com/chiba/A1205/A120504/12022519/

サラダが出て、すぐにハンバーグが出て来たが、アルミホイルに包まれており包んであるのはソースを散らさないためでもあった。このソースが絶品で、ハンバーグ(男用としてダブルで入っていた。ライスは殆ど残してしまったが、ソースがたっぷりまだあったので、皿半分のライスを移しソースの味を楽しんだ。周りはスパゲッティが比較的ポピュラーのようにも感じた。蔵の木というお店だった。また行きたくなった。 包み焼きの俵型デミソースなハンバーグというらしい。

午後は不動産契約書の慣用句や具体的事例などの解説など。正直言ってお昼のダブルのハンバーグが効いて金額についても隣の隣の不動産屋さんで取引銀行も今回の氏が支店長をしていた銀行であるし、社長さんとも顔なじみという安心感もあり、眠気が強かったくらいであるが、翌日改めて読み消返して納得した。
さらに、保険会社と郵便局へ纏めて提出する、謄本類や各自の印鑑証明なども一枚一枚二人で再度チェック。これの以来手続きなども今回親族となる氏の尽力のおかげで、氏自身も何度も漏らされた事があったが、停年退職で経済的に恵まれておるからこそ、毎日のように茂原千葉や佐倉、果ては八千代市にまで動いてくれたおかげであり、筆舌に尽くせない程感謝している。

その後、エメラルドマウンテンのコーヒーとシュークリームのおやつを頂いただき、若い頃からの趣味というジャズ音楽やピアノがあるので誰が弾くのかときいたら娘さんだという。もっとも、氏も一時期三月程ピアノ教室にかよわれたとか。教程が進むにつれ上達が送れだしてしまい、単身赴任やら仕事のせいであきらめたとか。私も大学卒業目前で、厚紙に鍵盤を描きバイエル教本を買って来て指の練習をしていた事が有るし、卒業して家へ戻ったら母がピアノを音楽の先生に押し付けられて買っていたので、自宅で練習をしていた時期があったが、これも夏が来る前には都内の大学での実習や勉強が忙しくなるにつれ着いていけなくなっていた。
前の日、氏からいただいた液晶テレビを家まで運びブラウン管のテレビからアンテナケーブルだけ差し替えただけで映ったという報告を兼ねて出かける直前に撮った映像。氏の書斎のアメリカ直輸入の大型スピーカーの間にはSONY製だったが50インチという大きな液晶テレビがあり、地震の際前に倒れて液晶画面を気傷つけない保護の方法なども初めて教えてもらった。
4時前後に氏の自宅を出たが、大原往復の際にも通ったし、大分楽に帰れた。都市ガスは大滝ガスであった。電柱標識は町保だったが、蔵の木を調べていて茂原駅の北が高師ではなく町保となっているのを発見、納得がいった。佐倉を経由して柏で給油したら、リッター38キロ強となった。

水曜日, 3月 20, 2013


先週土曜日、9時半の予約で千葉へ出向き、財務省との話しが着いたというので売買の申請所にサインし、実印を押して来た。あとは、5月の中旬頃、現金で財務省に支払うために業者と共同で顔を出す、というのがお役所の流儀らしい。

出発が早かったので帰りにRBに寄りこちらの希望を確認に。丁度トライアンフが展示中で、店長は値段をいくらにするか考慮中らしかったが、100万前後にどうしても達してしまうという。

アップハンドルとショートハンドルの確認、ETC装置のタイプなどを再確認し、昭栄ヘルの再注文の話しなどをしたら、話す事が無くなり店内を巡回して高速で帰って来た。これまで見かけなかったW800が展示されていたが、現行はシートが短くなった感じでキックが取り払われ、ウィンカーが大型となり何となくボテッとした感じ。先ほど出典されたトラのスマートさは現行にはないようだ。

あのトラのシートは以前バイクの森おがのへ来ていたトラのものに非常に良く似ていた、と思う。燃料噴射の装置を覆うカヴァーはCBと同じような処理である。いつか復たこれに乗ることがあるのだろうか!?、とふと思ったりした。

先日、五霞へ行った際、昼となったので昼でも対応してくれる古河法務局へ先に行っておこうと進路を取ったところ、古河市の鴻巣という交差点を右折するのは旧知であったが、ナビは鴨巣を右折と表示したので、ビックリ。相当自分の視力が落ちたと思ったがやはり鴻巣であり、ローマ字表記でもそうであった。これはバグであろう。
iPhoneの残量が少なくなって驚いたが、Naviデータを再インストールしたら改善した。


先日、ブラウザであるページを見ていたらバイクを使ったCMがきれいだったので紹介しよう。
http://www.mcsapparel.com/

Hi, my name is Josh. I’m from Sacramento, and I’m a biker.
Every time I come out here it’s just me and my bike—it’s freedom. I find a new trail, I go off of it, I get lost, I sleep in a cave, I see snakes. There’s no traffic, open air, I’m free.

http://www.youtube.com/watch?v=1mVcXqQ8Q4g

http://www.youtube.com/watch?v=vwzhHAdYEgs

http://www.youtube.com/watch?v=OtDNA8M9apI

http://www.youtube.com/watch?v=o2hTqNmlcoU

http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=fvwp&v=6RG9g_GMcz0

月曜日, 3月 11, 2013


会社を早退して病院へ行くと、前回なかったW650がまた止まっていた。

秋の鼻血がなかなか止まらず、病院で診てもらったら高血圧が原因とされ、以来定期的の通院となったが、11月のFTRで行って以来大抵いつも止まっていたが、前回はなかったので気にしていたら、またあえた。

最初は、ふ〜ん、これかあ〜と思っていたが、定期的にほとんどいつも目にしていると、段々気になってくる。いぜん、ここで見かけたshoさんのバイクと同型のバイクもやはりここだった。
長年のバイクライフで培ったエンジンの我流チューンでは、スズロイ(モータロイ)と
マイクロフロンIIが顕著に効果があったのは、今のところシングルのFTRだけだったので、必然的に次期候補はマルチではない600クラスのシングルと思っていたが、値段やタイプが多く、決まらない。

そしてRBに何度も足を運ぶうちに、展示車の650を見たのだが、印象に残らずその後病院で何度か見てから、店長に評判を聞いた。

昔のW1やW3時の時とは大きく様変わりして、ベベルギアの縦に回転する駆動音が気になる人には受け入れられず(正、店長の耳には全く気にならない、という)、後はカワサキ特有の薄く滲むオイル漏れが苦情といえば言える程度で、ライディングポジションなどの苦情はない、という。

そこで、価格帯を調べてもらい納得したので、次期候補に急変した。今年から会社勤めはバイト程度、後は大学でやり残しの論文書きとツーリングしか思い浮かばない状態で、この先どうなるのか全くわからない。

走行150キロで、親戚からもらって何とか自宅に到着した娘のハーレー1200の慣らしを始めたのも13年前の丁度今頃。その頃、国産の新型W650も出回り始め、現場で遭遇すると、最近のハーレー同様、音が静かで独特の雰囲気が印象的だった。慣らしが進むと股間で感じた熱塊がだんだん穏やかに変わって行くのが感じられた。股を広げたポジションは空冷効果を兼ねていたのかもしれない、とその頃思った。

今のW800は、FIだというが、CB1300からFTRに乗り換えた時の新鮮さは、たぶんにキャブレター方式によるものかもしれない。アナログ操作の彩が感じられるのが、いいのかもしれない、

つい前回の千葉ツーでは、朝の気温が1~2度Cだったが、昨日は朝夕ともに11度Cとなり、裸地の緑もたいへん鮮やかだった。着実に春は迫って来た。そんな感じの日々。
県警の白バイと基本的に同型のFI仕様の1300。今日は2回目の遭遇。確実にリヤタイヤが摩耗している。重量250キログラム程度で警察仕様では、280キロ程度だとこの前理髪店で聞くともなく聞いた。


木曜日, 3月 07, 2013

昨日はスカイツリーの真下のビル内の道路と建物敷地を分筆するための測量を行ったが、今日は一転して秩父市荒川地区へ。街区基準点が道路復旧工事で消失したため、復元のための資料集めで、旧荒川支所へ。秩父市道路管理課が、どういうわけかここに置かれている。影森地区の基準点の視通を確認し、3級基準点が問題なく使用できることがわかり、あとは点の記をもらうだけとなり、現場のそばに前回から気になっていた蕎麦屋があったので、ここで資料確認のために店内へ。盛りそば大盛りにまいたけ天ぷらを注文。資料を見たりしているとどんどん客が入って来る。

荒川地区の農協系のそばがうまいとこの地の出身者から聞いていたので前回はわざわざ140号沿いの店舗を探して行ったりして以来およそ一年近くが経過したが、その時は、庭のガラス越しに野猿が現れたり記憶がある。前回もそうだったが、ここのそばも細く機械から押し出された感じだが、はじめてうまいと思った。1090円だった。

資料のチェックも終わり、そばゆを飲みながら店内の客を眺めていると、トイレから出て来た一人の服装を見たら革ズボンだったので、ライダーとわかった。勘定を済ましてでると、予想通りバイクが止めてあった。
RBでも時々見かけるが、今はあまり興味がないものの、履歴や使用状況には関心があるので眺めていたら出て来たオーナーとしばし会話。BMWR100の千ccで、走行は11500キロ。聞かないのに、乗りたいバイクがないのでこれを選択したとか、もうとっくに走行10万キロは超えているとか。そのとき、手を入れたのは、バルブのすり合わせと、ピストンリングの交換だけで、ピストンは交換していないという。さらに年数が経過しているので、最近中古で出回っているBMWはみな軽く10万キロは超えていて、それで価格が安いんだ、と教えてくれた。

最近RBに物色に寄った時もそういえば50万いかだったな〜などと思いを巡らす。ドカもいいが、車検代が専門店を通すと高いらしいから、モトグッチの時の経験を思い出して外車は敬遠している。そのときカワサキW650の値段を聞いた関係で、興味を持っており価格帯を伝えたら、車が買えるね、などと少し関心があるふりの答えが帰ってきた。
もうじき70にさしかかっており、足着きに気を使うようになってきたので、などといいながら別れた。大宮ナンバーだった。重そうに見えないが、乾燥で210キロあまりという。後ろから見ていたら、きれいなブルーの排気炎をたなびかせながら静かに去っていった。さらに大滝方面へ足を伸ばすらしい。
これまでの経験から200キロ以上の速度も車重も自分の関心の範囲外なので、頭の中は170〜180キロの車体と140〜160キロの最高速度あたりが先ほどのBMWオーナーではないが、取り回しを考えて行くとそういう結果になって来る。
この間の風が強い日、アクセルを開けて対抗しようとしたらさらに強い風に押し戻され、側溝の中に落ちそうになった、やはり130キロ程度の車重とあのではパワーでは短距離はいいが、中長距離では役不足である。

さらにその後、急にブスブス言い出してエンジンストップ。ガソリンが一滴もなく、最寄りのスタンドまで300メートルくらい押していったが、これがけっこう重い。

土曜日で休日営業しているか心配だったが、やっていた。初めて満タンで1000円を超えた。なんと6.97Lで7.2Lのカタログ数値には達していなかった。この時の燃費は34.5だったので、そう悪くはない。しかし、ガソリン一滴の有り難さを痛感した。

今の国産バイクも平気で10万キロ以上走り、外車と比較しても趣向意外では遜色はなく、4輪と違ってバイクは国産優位ですらあるだろう。また、スズロイとかフッ素系の添加剤などもあり、耐久性や燃費向上も期待でき、どこにも行ける魅力は捨てがたい。

秩父往復のあとの給油でもかれこれ投下一年になるスズロイ(私的モータロイ!?)のせいで、リッター12.5を記録した。じんわり効果が出ている。高速走行も120キロあたりの方が100キロ走行時よりもアクセルの踏み込みが少ないことを確認している。

火曜日, 2月 26, 2013

今週も土日が休みとなった。仕事の出が少ない為である。土曜日は2900キロを過ぎていたのでRBでオイル交換。帰りは、ノーマルのオイルのままで帰って来たが、オイル交換のありがたみを実感した。荒れていた感のあったエンジンが一変してスムーズとなり、これなら粉剤など要らないと思ったりしたが、エンジンを切る際にクランクケースに触れたら、これまでになく加熱されていたので、その晩再び粉剤を調整。翌朝、出発前に追加した。
翌日は49日の目前で形見分けで親戚二軒4名が来たし、不動産屋さんとの初交渉の日でもあるので千葉へ朝から行った。この前と同じ2度C幼表示だったが、気分は暖かい。春が近い感じであった。日曜の16号は早朝はいつもガラガラ。走行はきわめて快適。あっと言う間に予定の場所まできた。ここでナビの目的地を佐倉から目的地に変更。いままで知ってはいたが一度も通ったことのない道を通過して、まもなく無くなるかっての実家へ到着。

肩見分けをしている間に、駐車場を臨時にお借りしている業者と面談。あちらは売ってくれれば転売せず、自社の駐車場として利用したいとの考えだと説明され、社長とも了解済みとなっているといい、 場合に寄っては、地上権だけを最初に譲渡し、あちらで国税から土地も購入することが可能ならばそうしたい意向と判明。二週間後にまた合うことになった。

その後皆で昼食をとり散開した。しかし、結局佐倉に寄りしばらく追加の話しをして又帰りの道を。出かけ際に従兄弟が250クラスが一番扱い易いでしょうなどというので、昨日RBで650の見積もりをとった事を喋った。

翌日会社に行き、調査に出ようとして到着予定時刻を見る為にiPhoneでセットしたら画面が変わっていて驚いた。土曜の夜おそくNavicoのアップデートを無線で行い、2GB近い容量なので何時おわるか分からないのでそのままにしておいたら終わっていたらしい。

有線でないので、先日も数式処理ソフトMathematicaの8.xから9.0へのアップグレードも最初あと二日と2.3時間などと出て驚いたが、途中で勝手に中断。もう一度つなぎ直したら、今度は高速で繋がり、2時間以内に終わってしまった。5.3GBほどで、起動したらちゃんと動いている。

以前のNavicoでは予定ルートが分かりにくく、色のセンスが良くないと思っていたが今度は見易い。
しかも以前から指摘されていた渋滞情報なども表示されるようになったと途中から気がついた。
これならバイク用のiPhone4Sもアップデートするぞと思って昨晩実行した。
で、予定通りに目的裏に到着した。高崎線の各踏切マークが新鮮だった。

日曜日, 2月 17, 2013

大原へ調査に行った前後の記述から。
FTRを買ったのは緊急情勢でRBに任せたので、深い理由は会社に聞いておくれ、なのだが代車ならともかく、毎日ある程度の期間は乗り続けなければならず、やはりバイクメンテの基本は守る必要があるが、なにせ在庫中最安製品であったせいもあり(提示条件下で)、おそらく最低でも8年くらい寝かせてあったと思われ、サスは固く、工具類は一切なくプラグの点検もままならない状態であった。サスのほうは私の体重と毎日使用するせいで1週間ほどで、めきめきと回復し、柔らかくなり2週間ほどでほぼ全面回復し、今ではさらに微妙に乗り易くなっている。バイク用品店で以前使っていたクロームメッキの微小なサビ落とし製品を物色中、偶然1個180円でプラグソケットを見つけ購入した。以前のビッグワンとは違い、良好な焼け具合のようである。それをしまう工具箱も簡単な鍵付きのボックスが付いていて今ではETCのカード読み込み部品の格納庫も兼ねている。

大原往復でリッター40キロを記録したあたりから(購入走行4500キロ程)で当初の印象からまた変化が出て来た。えんじんの印象が少しづつ変化して来て、トップホールドのままアクセル操作で40〜110キロほどの範囲でオートマ気分で走れる感じがしてきた。これは、さらに潤滑剤の本来の機能が発揮されだしたように感じられる。
今日は相続の現金輸送のため、呼び出され約束の時間に間に合わせる為旧自宅へと向かっていると、途中で、このバイクを追い抜いた。こちらは四輪と同速度で右側車線を走っていた。噂に寄るとカブ(110cc)に続いて第3位の売れ筋バイクなのだという。私が通う病院の駐車場にもいつも一台止まっていて脇が空いている時は細部を観察したりしている。前方に右折帯が現れ渋滞が始まると、後ろからこのバイクが近づいてきたことが音で分かった。しばらく平行して走っていたが、やがてまた後ろへ下がって行った。こちらはスピードを落としたこともある、ほぼ無音。隣は私から見れば、いい音の一種のなのであろうが通常のオイル仕様らしく煩く感じられる。

しばらく併走したあと、隣は後ずさりするように後方に消えた。あるいは将来候補の一つと考えていたが音や雰囲気は自分に合わないと感じた。この日増しに快調になっていく感じからは、ヤマハのSR400あたりが目下手頃な候補なのではという気がしており、あるいは単気筒600あたりが狙い目かもなどと淡く夢想中である。

あと、この華奢なフレームは私の体重もあるだろうが、どうも、ちょうどいい具合にフレームがしなる感じを受けていたが、この記事を見るまではまさか、しなっているとは思わなかった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1394592203

『対してFTR223は、リバイバルで人気が出たFTR250を復刻させたものです。
実際、タンクとサイドカバーなどは、元の250の金型をベースに、
新たに起こされています。

しかし、単なる廉価版コピーではなくて、
ダート・トラック性能でも、引けを取らないフレームとハンドリングに仕上げる為、
開発中は、テスト・ライダーによるダート走行が繰り返し行われ、
ベストなタイムが出せるまで、徹底的にセットアップされたそうです。
ファッション性(スタイリング)から、前後を同じサイズの太いタイヤを履かせながら、
ダートで、ドリフトさせても平気な性能になっているそうです。

このバイクの開発者と一緒に走ったことがあります。
彼はFTR223に乗り、私はCB1100で、田舎の峠道を走りましたが、
センターラインも無いような、細い道幅の峠では、FTRの圧勝。
パワーで何倍も勝る私も、ムキになって追いましたが、
ついに追いつけませんでした。』

もう一台次のマシンを考えているとRBで口走ったら、マジっすか!?などと目を輝かせていたのが印象的。
ピストンサイズもビッグワンのとさほど変らない。こちらはフレームならぬクランクロッドがしなるような想像をたくましくしている。

さて、大原での調査は、はかばかしくなかった。相手の100近い父親が存命かどうかだが、店を知っていても、みな妙な目つきになり、お互いの顔色を伺いながら、その辺のことはわかりませんとの事だった。

仕方なく、すぐ隣で同じく職種の店をやっておられるある商店を訪ねた。すぐに伯母さんが店頭に出て来たが話をすると、お亡くなりになられたんですってね、などとお悔やみを言われた。えっ、どうしてそこまで知ってるの!?と思っているうちにコーヒーなどが運ばれ、ご主人が呼ばれ出てこられた。やはりお悔やみをいわれたので、どうしてそう早くご存知なんですか?と思わず聞いてしまった。すると、隣の家の親族が直ぐ近くにおり、そのひとの話が、この店の隣ぐらいにいるらしいスピーカー伯母さんに伝わるやたちまちに顔見知りの人たちに伝わるのだそうだ。

試しに故人の写真をiPhoneで見せたら、間違いないですがずいぶんお若いですね、と言われたのでもう一枚和服の写真を見せたら、あ、これは故人の結婚式のときのですね、などといわれた。何でも隣の家の主人(すでに故人)とは小学校以来の同級だったとか。それで、結婚式の司会などもされたという。それで、隣の家のご主人の父親が生きていると聞いたのですが、ご存知ですか?と尋ねると、やはり驚いた顔をして、いくら隣でもそういう家庭の事情はわかりかねますが、確かN県の出身の方で、たとえ生きていたとしても100歳前後でしょうなどと答えてくれた。

さらに明日相続の相談も隣の家の方とする予定なんですが、と話すと、こちらではなんでも一族に銀行経験者さんがおられて、その方にみなお任せしている、という情報もスピーカー伯母さん経由でご存知だった。

とにかく、私と同等くらいの情報量を周辺の方たちがもっているようだとわかり、大変驚いた。

で、翌日その代表者とお会いした。やはり父親は大正二年生まれで、息子さんのうちの一名の家族と暮らしているのだという。

私はてっきり、その父親への遺産分割で、伯母の遺産から1/3の請求が来ると思い込んでいたが、
そうではなかった。なんと、相続放棄の手続きを保険会社を通じてしてくれているのだそうだ。

しかもその代表者の奥さんがその父親の末娘だという。伯母の亡くなった旦那さんはその妹さんとは血縁関係がなく、斎場にこられた亡き旦那の妹さんがその旦那の妹の一人で、そちらに相続権があるのだそうだ。(これは叔母から聞いた話しでそう思い込んでいたが、後日戸籍謄本を各自用意した中で、皆血のつながった実の兄弟だと判明し、当初の誤解が氷解、それにしても歳が離れ男女でこうも容貌がはなれていては、誤解も無理ないかもと思ったりした。)

その元銀行マンの奥さんは、大原で有名なK家の末娘だが、今回の伯母の亡夫もそのK家に後妻にして入った方の息子さんでK家の店を最後にたたんだ方で子供がいない。で、その銀行マン氏がご自分の奥さんのK家の供養を今後20年ほど代表しておこなう手順に一族の同意でなっており、伯母の一族との遺産分割交渉に当たっているという。

これで、当初不審を募らせたこともあった私だったが事情がわかり、かの銀行マン氏も同じ99里地方の出身、私の母方も大網の網元の家系ということで、その出身地細草という地名もご存知だという。さらにバブルの頃には、私の町のKY銀行の支店長などもしていたという。

なんだかんだで垣根が取り払われてみると、あちらから提示された残高は伯母のほうが多いが、伯母への保険金はみな亡くなった旦那の口座から引き落とされており、今は残金は少ない、などということも分った。

それで、K家の墓の守りに200万くらい、妹さんたちにいくらかやりたいという(多分同額くらい)。

あと葬式代などや雑費も旦那の口座から出ていて、伯母の預金の残りを我々が受領ということで、基本合意した。

それで約朝、さっそくおととい、隣家の情報を流してくれた方に電話し、非礼をわび、昨日の交渉も円満に終り、あちら側にこちらとしてもお願いすることになったと、報告しておいた。電話を取り次いだ奥さんも私の事をいつの間にか、お父さん、kさんよ~と隣の家族の一員みたいな呼び方をしておられた。

そして水曜日に現金の一部を分けるから土曜日に来て欲しい、と電話連絡があり、また会って話をして、通帳のコピーや実際の通帳の残金などを確認した。郵便貯金分と、保険金(旦那のガン保険)は一族の印鑑証明と戸籍謄本などが必要らしく、それ以外の大半が現金化してあった。
本日受け取った額の約二倍がさらに此方側に来るという。なんでもアフラックらしいが、ガンで亡くなった場合の保険として通常のものより高額な保険だったらしく、それで旦那の口座の減りが早い一因だとも言っていた。

帰りに伯母の実家の近所の私の従兄弟の家により、もう一人の従兄弟も呼んで経過を公開し、五人で平等分配することにした。彼らの感想は、こうして結果をみると、まるで非常にうまい配分をされたような気がする、という印象のようだった。それで、一人160万の保険(生きていた父親への保険)の受け取り人の上姉の分も相手が要らないというので、こちらも5等分ということになった。
これは保険会社が血の繋がった方でないと契約変更は難しいということで、相手の妹さんは実の子であっても亡くなった旦那がかけた保険は、相手を変更せよということで途中から変り、此方にきたが本来なら100歳近いその方というわけだが、その人を探したのもN県の保険会社であった。

火曜日, 2月 12, 2013

2 月10日、11日とうまく休みが取れた。 今日は予定通り大原町町内を散策予定で、ナビで見ると自宅から126Kmほどとなる。しかしルートを見ると122号側道を南下し安行を通り千葉経由のルートとなり、知らない所ばかり。

そこで最近開拓した佐倉を通るルートを考えた。そうすると遠回りとなるが、帰りはまた佐倉の親戚に寄るわけだし最初から見知らぬルートより取っ付き易そうに思えた。日曜日7時台から出発し、16号を埼玉から千葉方面へ。

日曜日の国道は交通量がグンと下がり大変走り易い。しかし今日はこのバイクで初の長距離だし、スピードは控えめを心がけた。春日部•野田境の温度計は1度C丁度でえっ、こんなに寒いのか!?と思った。暫く行くと真正面に太陽があたり大変まぶしいので、国道脇の吉野家で早めのトイレ休憩。ここで体が(特に指先が)暖まり元気が出た。 
16号を南下し白井付近で、鉄道に沿って左折。後20キロ前後で佐倉である。鉄道側道はほとんどが2車線で走り易く対向車もなく、ハーレーが二台前方を走っていた。4輪はだいたい70〜80キロ走行で、それに合わせて着いて行った。

県道464号から佐倉方面右折のサインでいままでの快適ルートからお別れ。暫く行くとクネクネした県道へで佐倉市内へ。JRの鉄道を超えると正面が歴史博物館。そこを右折してしばらくいく寺崎北の交差点。その角のコンビニでトイレ休憩。
ここで、目的地をいすみ市大原町へ変更。しょうが茶で体を温めスタート。ここからは、60キロ程度であり、気温も上がって来ている。さしたる緊張もなく、のんびりムード。ここから先は一度も走った事のないルート。暫くは佐倉市内の地名が出て来るがそのうち八街方向へ誘導される。どんどん東にむかっているな、と思っているとようやく南へ向いた。どの辺からか知らないが、県道128号線を南下。勝浦方向などと出ているので、この道を南下していけば途中で大原を通過するのだろうと思った。東金、茂原、大網などと行き途中から突然海の雰囲気を感じた。右手が山でふと見ると鳶がゆっくりと山際をそうように滞空していた。しかし左側を見回しても、家ばかりで海はまだ見えない。
暫く行くとサイクリング用の休憩スポットが道路脇に現れた。
そしてここから本日初の太平洋を見た。案内板をご覧頂ければわかるように、この先1キロも行かぬうちに道路脇まで波打際がせまり観光スポットが出来ていた。

もうすぐだと思いつつもけっこう走ってようやく大原へ。グーグルマップで見ていたので千葉銀の建物と道路の間に駐輪スポットがあって、休日のためだれもいないのでそこへ駐車してようやく町内を散策し、まず営業中の店をみつけ腹ごしらえ。ニュースではネコの首にデータの入ったメモリをとりつけたらしい容疑者拘束の速報を流していた。

ここのジャンボカツカレーは1080円とちょっと高い感じがしたが、出来立て熱々でたいへん身にしみた。ここのボーイさんに地元の方ですか?と聞くとそうですというので、紙をみせて店名を教えると帳場にいたご主人が今は店を閉めていて、などと聞かされ奥から3〜4年前に亡くなったそうです、などと教えてくれた。さらに店は更地にしてすでに他の方が土地を買って、家をたてているとまで教えてくれた。

その先の話しは割愛して帰路について佐倉の親戚宅へよる。とちゅう、茂原市内で明日あう先方の代理人宅を上空からは確認していたが、実際に見てみようと1.4キロ手前でルート変更した。今日も出かけているかとおもったら、今日はちゃんと居る。袖ヶ浦ナンバーのマイカーを確認。バイクの音できづかれてもまずいかもと思い、即座に退散する。


寺崎宅へ着く前に220キロほど走行していたので給油を済ませておこうとGSを探したが、駅周辺は見つからず。この前通った斎場付近まで行きようやく給油。5.73リットル給油。15時47分。走行はトータル230キロ。

ネットでは、定地燃費43キロを上回る燃費を何度も経験しているという書込みがあったが、私のはキャブ変更前の10年落ちの旧型なので、リッター42キロの筈。

親戚宅の話しの後、燃費を話したら、それじゃ、まんまカブの燃費そのままじゃん!などと驚かれた。かみさんのプリウスでも24.0はどうしても行かない、などと以前話してくれた従兄弟の反応である。この後、もう一軒の親戚へより、明日の話し合いは悪いけど私一人で行く事への了解を得たので、遠慮してもらうよう要請。それからまた16号経由で80キロあまり帰って来たが、21時到着予定が20:30前に到着。前の車を追っていただけだったが翌日の燃費は35.8キロあたりまで低下していた。

水曜日, 2月 06, 2013

このところ、休みとなれば親戚の家を訪ねることが多い。相続した家を貸していた伯母が亡くなり
否応無しに相続問題が発生してしまった。相続は争続問題がいつの間にか浮上し、伯母の兄弟の息子という立場上、一年以上前に亡くなった伯母の夫の親族たちとの相続問題がどうなるのか予断を許さないため、できる範囲内で動く必要が出て来た。

この日は佐倉市内の一番年上の伯母の家を訪ねた。千葉を経由して佐倉へ行くとなると、遠回りとなるので、16号の小室付近(白井町)から鉄道に沿って平行に464号線を行き、途中から印旛沼付近で県道65号線へ出て佐倉市内へというコースを取った。この道は佐倉斎場で伯母のお別れの会に行くとき、今年二度目の雪の予報で車で向かった際に覚えた道だ。一番古いカーナビが指示したルートで、Navicoではこの近道は出てこなかった。八千代辺りから佐倉方面へというルートのようだった。

まだ、今度のバイクには、ETCもカーナビもついていないため、記憶を頼りに地図を広げておおよその道筋を把握して出かけた。日曜日のため、16号もかなり空いていて、平均速度もこの前の会社を休んで行ったときよりかなりハイペースで2時間ほどで80キロを走ってしまった。

ところで、3000キロのオイル交換のとき、向かい風がつよくて高速での伸びが悪いことから、その直後から、あのミラクルパワーを外してしまった。たしかに常用スピード域ではトルクアップが期待でき、燃費もいいのだが、本来持っていた高速での回転の伸びが、頭打ちになるような感じがしたからである。

それで、外したらあまりの貧弱なトルクにどきっとしたが、回転のつながりは悪くないので、どうなるかとおもっていたが、燃費は安定したようだ。ここのところ16号を何往復かして、かなり回転をあげてもつねに36.xとばらつきがなくなっていた。今日は渋滞がなく、フルスロットルでを多用してどのくらいになるかテストだと最初から思っていた。
今日は親戚の家の写真を撮ったが、佐倉藩の名残があるかのような納屋のたたずまいを強く意識した。道も迷わず来たら偶然佐倉城址にできた国立歴史博物館前に到着した。そこから5~6分で到着である。

、この日は別府国際マラソンの日で、中継を横目で見ながら、あれこれ情報交換した。グーグルで表示したあちらの親戚の実家を一番年上の伯母しか行ったことがないので、どの家か特定してもらい、住所なども判明した。そうすると、近いうちに私がまた単独で現地へ飛んで必要な情報を得てこなければならない。こうなると、ETCとバイクナビは必携となるが、ETCの書き換えは今日当たり終わっているはずだから そろそろ装着しなければという思いがいっそう強くなった。

10時半には着いていたが、すぐに昼となり従兄弟の奥さんが手製のカツ丼とトン汁を出してくれた。
うまかった。この日も暖かく気持ちが良かったが、用件がすむとまた埼玉のレッドバロンへ帰ることとなった。帰りは少し大胆になり、ビッグバイクと競争したが、追い抜くことはできなくとも思いのほか健闘できることがわかった。やはりあと1.5クラスほど排気量アップしたバイクがやはり欲しいが
しかしなかなか候補が見つからない。
レッドバロンでETC装置をセットアップしてもらう間に店内を見回ったが、いちばん手頃かな、と思ったのがSR400。
空き家となった家を売ったらこのDUCATTIあたりも手が出るかな!?とおもったり、いや軽いオフローダーのほうが一番かなと思ったり、バイクの理想的な一台は、shoさんもきっとそうだろうがなかなか簡単には決まらないものである。
この日、店長から前の1300が広島のほうで買い手が現れたので関西方面へと挨拶された。この前、良く似たバイクだなと思ったかっての愛車が買い手が着いて良かったと思った。もっとも買取価格より20万ほどアップした値段だったが。

二時間ほどかかるといわれたセットアップは1時間ちょっとで終り、ちょっと疲れたので、高速でテストランしながら帰ることに。その前に230キロも走っていたので、満タンにしたらリッター35.98と今回初めて37.xだった燃費を少し割り込んだことがわかったが、あれだけビッグバイクと競争してもこの程度の落ちでしかないことがわかり、この通勤最適車種にも隠れた美点があるわな~と改めて思った。

高速に乗り入れて初めて時速110キロほどで走ったが、今まで、高速を走りなれていないエンジン特性を痛感した。90キロぐらいで一番左を走っていると快適だが、日曜の夕方の半渋滞ではそれ以上出す気もなくて、込んできたので嵐山小川で降りてしまい、一般道を好きなように回って帰ってきた。

以前のバイクにつけていたナビホルダーも一緒に帰ってきたので、こちらは自分で装着して、無事完全動作を確認した。



月曜日, 1月 28, 2013


差出人: 有)宮崎正弘事務所 [メルマ!:00045206]
件名: 宮崎正弘の国際ニュース・早読み(日本のアジア外交が劇的転換)
日時: 2013年1月28日 6:03:44 JST



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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成25(2013)年1月28日(月曜日)
      通巻第3868号  
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 米国の左翼メディアはまだ「従軍慰安婦」で日本を貶めているが
  アジアの知的メディアは日本のアジア重視劇的転換外交を注目し評価
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 「日本は数十年にわたって自ら課してきた平和主義から脱しようと動き始めた」(アジアタイムズ、2013年1月26日)。この場合、英語のニュアンスの「平和主義」は「敗北主義」と訳した方が良いかも知れないが、その議論はここでは措く。
 アジア太平洋、それこそ豪州からインドネシア、インドを含む広範なアジア地域において、日本は中国の台頭に、アジア諸国との連帯を模索し始めているとアジアタイムズが好意的に観た。

 ニューヨークタイムズなど米国の左翼メディアはまだ「従軍慰安婦」で日本を貶めているが、中国、韓国の方をもつ反日家ジャーナリストの巣窟として、いまや同紙を評価する知識人はいなくなった。
 アジアの知的メディアは日本のアジア重視劇的転換外交を注目し評価している。
 
 「しかも安倍は長き平和主義の象徴だった憲法の改正を謳い、米国の同盟再構築を唱え、アジア諸国に共通の認識となった中国海軍力の脅威に構える」とアジアタイムズが続けている。

たとえば日本はカンボジアと東チモールにも軍事関連物資の援助を開始し、豪州にはハイテク防衛システムの技術を、ベトナムには潜水艦の供与も試みる可能性がある、と同紙は続けた。
 伝統的に日本は首相が替わる度に米国へ挨拶に出向いたが、安倍晋三は米国より先にベトナム、タイ、インドネシアを歴訪したという積極的外交姿勢への転換は重要なターニング・ポイントだと指摘した。
 
 
 ▼アジア援助の中味が戦略的にシフトしている

タイには日本企業およそ8000社がすでに進出しているが、むしろ中国に出遅れていた中小企業のタイ進出をこれからも奨励する。
 事実、安倍はバンコックでインラック首相と会見し、同国のインフラ整備に貢献したいとしてバンコクと地方都市を結ぶ新幹線の売り込みにも積極姿勢を示したほか、原発、チャオプラヤ河流域の治水対策への協力を申し出た。
日本とタイは、これからも貿易、投資の拡大を目指し、洪水対策、鉄道建設、人工衛星、情報通信分野でも協力を約束した。

とくに新幹線はタイにとっての大事業である。総額1兆円のプロジェクトは国際入札を行う。
最大の競合相手は廉価新幹線で押す中国である。

 アジア太平洋の国々と「戦略的関係を深めることが地域の安全保障と安定に寄与し、それは日本の国益に繋がる」と安倍首相は行く先々で演説した。

 ベトナムへ赴いた安倍首相は中国の海軍の横暴に対応するには、ステルス型潜水艦を所望しており、もし日本がこれをベトナムに供与するとなると、「劇的な変化」である。ベトナム訪問に際して、安倍は潜水艦供与を明言した形跡がないが、原発の供与は公約している。
 
 ほかにインドと日本は海上保安庁同志の合同訓練を実施したおり、豪州とは09年以来、日米豪参加国による安保対話が進んでいる。
 まさに日本は「敗北主義から脱皮、劇的な変化」に移行したというアジアタイムズのリチャード・ヘイダリアンの指摘は正鵠を射ているだろう(ヘイダリアンは中東専門家)
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 854回】        
 ――事実は小説より奇なり・・・「偉大な中華民族」の現実(6)
   『毛沢東が神棚から下りる日 中国民主化のゆくえ』(堀江義人、平凡社。2013年)


 ▽
1944年に台北で生まれた著者は、朝日新聞の北京・ウランバートル支局長、上海市局長を務めている。同紙中国報道を最前線で支えてきたわけだ。

著者は「現代中国の原点は毛沢東時代にある――本書はこの視点から毛沢東と?小平の時代を検証し、民主化のゆくえを展望したものだ。江沢民、胡錦濤の時代も?路線の延長にあった」と自らの視点を明らかにし、金権腐敗独裁一途の共産党による有形無形の嫌がらせや弾圧に抗す一方で、「人権も尊厳もなく、ただ虫けらのように生きてき」たゆえに「統治されることに慣れきっている」中国人の無関心と非協力といった劣悪な環境にもめげず、共産党に敢然と異議を唱え社会変革を訴え続ける有名無名の老若男女に取材し、その言動を追い、彼らの著作などを引用し、「中国民主化のゆくえ」を探っている。

著者は数多くの“民主派闘士”に接触し、現在の中国、共産党、中国人に対する彼らの考えを引き出している。そのうちの一部を引いてみると、

■「中国は世界で最も拝金主義にまみれた国」
 ■「人を資産階級と無産階級に分けたマルクス・レーニン主義は間違いだ」
■「一九三九年以降、共産党は日本軍との大きな戦闘に加わらず、解放区と武力の拡大のみに力を入れた。民族存亡の危機に日本人を打たず、そろばんを弾いて勝利の果実を摘み取ったのだ」

■「毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳は、政治面での反封建は徹底していたが、思想面では孔孟思想の影響が残っていた。彼らには封建思想の残余を一掃できなかった」

■「(天安門事件の活動家で)海外に出た連中は口論ばかりで収拾がつかない。彼らは実権を奪ったとしても、共産党より民主的な政権には到底なりえなかった」

■「(最近の)青年の民族主義情緒が気がかりだ。批判されたら敵という心理なら、世界は敵だらけになる。心理的に緊張していすぎる。アヘン戦争以後の後遺症であり、『敵が反対するなら賛成』という毛沢東の影響でもある。一方で少し豊かになると、金持ち心理が芽生え威張り散らす。発展途上国にとって民族主義はマイナスになる」

■「中国、とくに都市では、路上で人が急病で倒れ、車がひっくり返ってけがをしても、通行人は取り囲んで眺めるか、時には楽しむものはいても、手を差し伸べて、助けようとする人は極めて少ない」
 
どれもこもれも“正論”だろう。だが空恐ろしいのは最後の一文だ。
じつは「八十年前の魯迅の雑文『経験』」の一節なのだ。ならば中国は80年前に戻ってしまった。あるいは中国人の意識構造は根底で進歩も変化もなかった。いや、悪癖が復活したとでもいうのか。
 
そろばん勘定で「摘み取った」「勝利の果実」を手放すことなく、ついには中国を「世界で最も拝金主義にまみれた国」にした共産党に対する著者の批判は、極めて“アサヒらしからず”と評価したいが、「少し豊かになると、金持ち心理が芽生え威張り散らす」中国人を民主で救えるとする思い込みの強さは、やはり“アサヒそのもの”といっておこう。
 
ところで毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳、?小平らがにこやかに握手を交わす写真を挙げ、著者は62年当時の共産党首脳の関係を語ろうとするが、写真解読の専門家の一部には団結を装うために後日に作り上げられた偽造写真との見方が強い。
自らの主張の論拠に疑惑のある写真を説明もなく使うとは・・・流石に「珊瑚事件」のアサヒだ・・・感服。
《QED》
   ◎○◎○
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(休刊のお知らせ)小誌は明日29日から2月3日まで休刊です。
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)アルジェリアで起きたイスラム武装勢力による人質事件はアルジェリア軍の強行突破により終息したが犠牲者は日本人10名、フィリピン人8名、英国人3名、米国人3名と報道(15日現在)と報道されているが、なぜか武装勢力側の犠牲者数は公表されていない。
今回の事件で日本人犠牲者数が最多だった理由は何か。
人質を取った武装勢力側に立って考えてみれば明瞭である。何しろ日本という国は「人命は地球より重い」と言っているではないか。であれば身代金を最大化できる人質は日本人以外にあり得ないではないか。今回の武装勢力側の誤算は人質解放交渉に移る前にアルジェリア軍に攻撃され自滅してしまったことだろう。
さて、そもそもアラブの春と持て囃し、独裁国家が民主国家へ変身したかの如きマスコミの錯覚が間違いだろう。アラブの春のドミノはチュニジア、エジプト、リビアと伝播したが今やシリアで頓挫しているだけでなく、ドミノが通過した3国は相変わらず混乱が収まらずイスラム武装勢力の温床と化しているのではないか。
とくにリビアのカダフィ大佐を殺害しリビアを解放したという主張は間違いである。偉大な指導者カダフィ大佐は「緑の書」で自身の国家観を明確化し、多数の部族からなる自国の統治原理を欧米型の代表民主主義ではなく、部族原理を基本とした独自の社会民主主義に置いた。豊かな石油収入を活用して、カダフィ大佐は教育に力を注ぎ、自国民の識字率を格段に向上させ、また女性の地位向上にも努力した。かくて国民の支持も高かったカダフィ大佐を欧米の傀儡勢力が倒してしまった結果何が起きたか。
リビア軍の軍人は近隣諸国から集まった傭兵が主体だったが、カダフィ大佐という玉の緒が切られて、傭兵たちは玉と散った結果、彼らは与えられていた豊富な武器と共にアルジェリアをはじめ近隣諸国へと潜入しイスラム武装勢力と化したのである。
今回の人質事件も本を正せばカダフィ大佐の殺害に端を発していると言えるのではないか。
「アラブの春」は今や「アラブの砂嵐」と化し、北アフリカ諸国から中東諸国にかけて、猛威を振るうことになるだろう。
(ちゅん)


(宮崎正弘のコメント)カダフィの亡霊が砂漠を席巻している構図ですか。カダフィの近代化はイランのパーレビ、イラクのサダムフセインに似ています。エジプトはムバラク以後、ひどくなりました。チュニジアもシリアも無政府状態。アラブの春の結果です。



  ♪
(読者の声2)フランスの部隊のマリへの派遣は、当初世界各国で批判されていますが、この度のアルジェリアでの惨劇の後、称賛されるようになりました。
アルジェリアでの惨劇で得をしたのは、フランス政府と今後日米欧の企業が進出をためらう中で北アフリカでのプラント建設で漁夫の利を得るであろう中国系企業でしょう。
マリという国名を聞いて今から20年ほど前に週刊新聞紙 The Economist に掲載されたマリに関する特集記事を思い出しました。
(1)マリの経済・社会・農業をダメにしたのは、米国政府の農業援助と欧米の自国の農業保護政策である。米国政府の援助で農業地帯から都市への道路が建設され、農業地帯には米国政府の援助により商業作物が栽培され、欧米に輸出される。その結果、自国民が食べる食物は、欧米の農業保護政策により、安い価格で輸入できる小麦等にとってかわられる。
マリの農民が栽培している食物用の作物は採算が合わなくなり、作られなくなる。その結果、農村の貧困と飢餓が起きる。アフリカの飢餓をなくす一番良い方法は、欧米諸国が自国の農業保護をやめ、農産物価格を上昇させ、開発途上国の農業を採算が取れるようにすることである。
まさに、あの記事の内容が悪い方向で的中しています。ただ一つの救いは、遅まきながら世界中で農産物価格が上昇していることです。ところで、推理小説の世界では、利益を得た者が犯人とされることが多いのですが、今回のアルジェリアでの惨劇でそうなら、第二の通州事件ともいえます。

(2)貴誌通巻第3867号(読者の声1)でSJ氏がロシアにとって「広大なシベリア」の重大さを指摘されましたが、これは慧眼です。1990年代に米国の投資家の間で沿海州の土地を買うことが流行しましたが、あれは大儲けとなっていることでしょう。
二束三文の価格で買った土地が、中国人の進出で都市化が進む中、値上がりしているのではないのでしょうか。私は、土地価格がどうなっているのか確認していませんが、そのように推測いたします。
(ST生、千葉)


(宮?正弘のコメント)ナホトカのチャイナタウンは幽霊屋敷、中国人経営のホテルががらんどう、これらはロシアが突如、中国資本を排斥した結果でした。ウラジオの現状は、いま分かりません。どなたか直近でウラジオへ行った人のレポートを待ちたい所です。



  ♪
(読者の声3)左翼かぶれは子供の時に一度は罹るハシカのようなもの、という人間は多いでしょう。私自身も中学・高校時代など当時の社会的風潮からも左翼的考えに毒されていたように思います。
それでも学校教育では任那に日本府があり、慰安婦問題も南京大虐殺もなく、第二次大戦では日本の版図が東南アジアから南洋諸島まで赤色で記され、それ以前はタイを除いてすべて欧米の植民地であり、日本の侵略などといった言葉はありませんでした。
ですから日本は戦争には負けたが悪い国だったという考えはなかった。
1960年代、祝日にはどこの家も日の丸を掲揚していたのに1970年代には激減したように思います。
2010年に尖閣諸島で中国漁船が衝突した事件のビデオを公開した元海上保安官の一色正春氏、一世代も年下ですが、彼も若い頃は共産主義的な考えだったという。

『私自身はもともと共産主義的な考えだったため、人類が皆平等で、国境もなくなって世界が平和になればいいと思っていました。しかし、色々な国を訪れるうちに現実はそんなものではないと知ったのです。学校教育では日本が悪い国だと教えられましたが、例えばインドネシアへ行くと「第2次世界大戦後のインドネシア独立戦争の時、何百人もの日本兵がここに残ってオランダと戦ってくれた」という話をされる。
そんなことは教科書で教わらなかったわけです。色々とそうした話を聞くうちに、日本が極悪非道な国家ではないと気づくようになった体験は大きかったです。外国に出ることが全てではないですが、日本の中にいると外が見えないですよね。以前アラブ人と話した時に「なぜ日本はあんなに米国にペコペコするのか。日本は日露戦争にも勝利したじゃないか」と言われ、改めてハッとさせられました。東南アジアの国を訪れると「旧日本軍がいたころは良かった」と話す人もけっこういるんですよ。もちろん全てにおいて日本が良かったとは言いませんが、このように両方の意見が存在しますから、一方に偏らずどちらにも耳を傾けることが大事だと思います。』

若い世代はネットでさまざまな情報に接するためまともな人が増えている印象ですが、団塊の世代では死んでも治らないバカが害毒を振りまいている。中国に媚びへつらい「尖閣に領土問題が存在する」という宇宙人、韓国に魂を売ったのか「赤旗」で安倍政権を批判する加藤紘一。「隠れ左翼」だと思っていたら正真正銘の左翼でした。

朝日新聞を定年退職の元主筆、若宮啓文、わかみやではなく「バカ宮」だろう、と検索すると本当に 「アカヒ新聞主筆バカ宮は支那へ帰れ!マスゴミ殲滅デモ」という動画がヒットしました。
「朝日新聞の葬式は国民が出す」というデモ、これは「安倍の葬式はうち(朝日新聞)で出す」という若宮の思いあがりもはなはだしい発言への反発でした。
安倍政権に対する国民の期待は安倍総理の行く先々での大歓声で明らか、大相撲の表彰式でも場内からはものすごい歓声でした。
デフレ脱却への期待はさっそく始まっています。
近所の大手スーパー、競合店との不毛な安売り競争、食パン一斤57円まで下落していたのが、年明けには63円まで上昇、100円均一がメインの生鮮コンビニも惣菜を中心に100円以上の商品の品ぞろえを強化しています。日経平均株価の週足は11週連続上昇で1971年以来42年ぶりとなる上昇ぶり。昨年5月のベトナムでは米ドル預金の金利が5%台、ベトナムドンでは9%前後、中国では一年もので3%以上、タイでは2.5%前後でした。
日本でもかつては定期預金金利が5%以上が当たり前だった時代がありますが、若い人には信じられないでしょうね。
韓国では円安ウォン高を警戒しているようですが、1997年のアジア通貨危機の時には100円=1000ウォン。現在は100円=1165ウォン程度ですから、まだ円高といっていい水準です。
ただし物価を見ると日本がデフレだったのに対し韓国はインフレでおおむね5割ほど高くなっています。100円=1000ウォンまでウォン高になれば交通費以外は日本のほうが安いかも。
民主党政権が円高を放置していなければ家電業界の大赤字もなかったでしょう。
リーマン・ショック時には1ドル=110円レベルですから、1ドル=90円はまだまだ調整なかば。円安で輸入物価が上昇すると騒ぐマスコミもありますが、1979年のイラン革命に端を発する第二次オイルショックではガソリン1リットル180円でした。食料品の価格がほとんどの商品で30年前よりも下がり、衣料品など数分の一に下落しているのに新聞・雑誌は一貫して値上げしてきました。とくに新聞は文字が大きくなり情報量は激減、海外の新聞が政治・経済・スポーツといった項目ごとに10ページから20ページを割り当てていて、時には100ページにも及ぶのに日本の新聞はペラペラ・スカスカ、値段だけは高い。
数年以内に何社か潰れるでことでしょう。
テレビでは韓流ゴリ押し反対デモに対し、「嫌なら見るな」といったフジテレビの視聴率低下に歯止めがかからず、「民意」は正直なものです。安倍政権にケンカを売った朝日新聞の今後が見ものですね。
  (PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)拙著『朝日新聞のなくなる日』(ワック)も是非。
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(休刊のお知らせ)小誌は海外取材のため1月29日から2月3日まで休刊となります。
次号は2月4日号からです。
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<宮崎正弘の新刊>
『中国を動かす百人』(双葉社)
 渡部昇一「大道無門」で本書がおおきく取り上げられます!
 国際通は必携、1社に一冊。年賀にとまとめてご購入の企業もあります!
 352頁、写真200葉以上、定価1575円。分厚い人名辞典、廉価。

♪♪
『習近平が仕掛ける尖閣戦争』(並木書房、232p、並製。定価1575円)
 まもなく品切れ書店がでます!

♪♪♪
『現代中国 国盗り物語―――かくして反日は続く』(小学館101新書、定価756円)
 中村彰彦氏が絶賛!

  ♪
<宮崎正弘のロングセラーズ>
『中国権力闘争 共産党三大派閥抗争のいま』(文芸社、1680円)
『中国が世界経済を破綻させる』(清流出版、1680円)

 高山正之氏が絶賛! 
『オレ様国家 中国の常識』(新潮社、1470円)

♪♪
<宮崎正弘の対談シリーズ>
『2013年の中国を予測する』(石平との対談第三弾 ワック、980円)
 まもなく六万部のロングセラーです。第四弾は九月刊行予定です!

『猛毒国家に囲まれた日本』(佐藤優氏との対談。海竜社、1575円)再版
『増長し無限に乱れる欲望大国、中国のいま』(石平と対談第二弾 ワック、945円)
『絶望の大国 中国の真実』(石平氏との対談シリーズ第壱弾。ワック、933円)
『日米安保、五十年』(西部邁氏との対談。海竜社、1680円)
『世界が仰天する中国人の野蛮』(黄文雄氏との対談。徳間書店、1575円)
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 宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
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(C)有限会社宮崎正弘事務所 2013 ◎転送自由。転載の場合、出典を明示
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月曜日, 1月 14, 2013

今日ふとブラウザを見たらアッと思った。今年に入って二度もUFOへの体験試乗の案内に申し込んでいたのだが、二回とも失敗に終わり、???と言う思いがしていたのだが、体験者たちのコメント特集が掲載されているではないか。

開いて見て昨晩のフライト経験はなどというタイトルを見た途端に、ああ、アメリカ時間だと日本時間より一日遅いので、期待して寝る日付を間違えてた!!と瞬時に思った。12日土曜日の晩という指定は、日本だと13日日の晩ではないか。次回に試して見よう。

http://ettechnology.web.fc2.com
というサイトでgenieoというソフトを紹介された。これはグーグルで検索した画面。
私はUFO関連、光の銀河連邦(合)などに関心があるので、インストールしたらそういった関連記事がズラリとブラウザの起動ページに表示されるようになった。

新年4日には初めての招待があり、さっそくメルアド登録をして申し込んだ。フライトは5日の晩だと言う。


これがその内容。下の方の注意事項を見ると、
就寝前の注意事項などが記されている。これは毎回同じようだ。
登録前の日本からの参加人数は61となっており登録後は62となった。現在は66となっている。4名増えたが、欧米の参加者や他の世界から比べると少ないほうだ。
二度目の招待は、メルアドに直接届いた。コブシの花が添えられている。

ただ申し込みがメルアドだけでいいのかという不安が残る。あとで、体験者たちのコメントをじっくり見てみよう。
コメントはこちら。

一方、アメリカは今安倍首相訪問どころではないNESARAが開始されたばかりで、箝口令が敷かれていているようだ。南北戦争以来の負の慣行は今年から政権が本来の政権ではなくコーポレーション状態であり、FRBも元旦には期限が切れ、・・・・・外部からは伺い知れない状態のようだ。

NESARAについては
が詳しく、より直接的には
が詳しい。あちらからのものは以下。
http://spirittrainchronicles.com/2013/01/08/5510/?blogsub=confirming#blog_subscription-2