木曜日, 5月 07, 2009



驚愕の新事実!?あの作家は人妻と同居していた、などと週刊誌記者に書かれた某作家、ただ両親と同居していただけだった、などという話を聞いたことがある。どの局面でどう切るかでものの見方が変わる。

毎日使用しているバイクの燃費一つとっても、その変化をどの局面でどうみるかで、解釈が変ってしまう。芥川の小説「薮の中」ではないが、同じ局面を見ていても立場で変ってしまうこともある。

そのため、自分のことは自分が一番よく知っているつもりで、行った処置が、ある局面の解釈が違う立場で行ったりしたら、その報いを受けたりもする。結果から原因を追及するのは、逆問題の一つともいわれ、火事場から出火原因を探ったり、犯罪現場から犯行の実態を推測し、犯人特定にいたる、などというのは、日常テレビドラマなどでもおなじみのことであるが、事実は小説やドラマより奇であり、限られた時間で追求が終了するなどということは、めったにないのが、実情であろう。

さて、錯綜した燃費結果から、その原因を探り、対策を立て、試験して、さらに検討を加え、燃費仮設をいっそう洗練されたものにするのは、自分のバイク一台でもけっこう楽ではない。

しかも、状態の変数が複数、すくなくとも三つもあれば、かなり難しくなる。現象の解析は、偏微分方程式となり、ある変数の影響をみるためには、他の変数の影響を除去して検討しなければならない。スズロイの影響を見るにしても、走行条件の一つ、コースを限定したとしても、点火システムの状態が3通りもあれば、矛盾した結果の解釈にも、原因が幾通りも推定されたりする。もう一年以上にわたり、二万キロ以上を費やしたが、火花の元である電気系が不全だったためもあり、大半は無駄に終わった。

現在、点火システムを一定にして、燃費の推移を見ているが、4月末の、スズロイは多すぎた、との判断がどうも正解のような兆候が現出しているように感じている。満タンにして40キロ以内の走行という条件下でのみ、好燃費が現れるようでありそれ以上走り続けると、タンク内に溶け出したスズ溶解物の量が悪影響を及ぼしリッター13キロかそれ以下へ落ちていくようでもある。

新規にタンクを満タンにすると、内部濃度は薄くなり、そうした条件下でのみ好結果がでるようである。

これを確認するには、早めに又すべて取出、どの位で影響がとれるかチェックし、はだか状態での燃費をチェックし直す必要があるだろう。そのときでも、現在の点火システムで感じているトルクアップ感で、どのくらいの燃費になるか、まるきりわからない。スズロイの適切な濃度下でのみ、好結果が出ていたかもしれないし、やっかいなことである。

まあ、実験は、なんども繰り返す必要があるのだが、正規投入量(1000ccまでで、2個)を目指した4月最初の投入量を維持すべきだったのかもしれない、と思ったりもした。その後倍に増やし、燃費が増加したが、これも満タンにして薄めた結果であることを考えると、2個あたりが限度、足らないぐらいが適量だったのかもしれないと、思ったりもする。

前回の半分以下の投入量なので、タンク内清掃も簡単なはずだが、基本的な手間は同じはずだから、同じ手間賃でやってくれるかどうかである。クラッチ交換と同時期の依頼が望まれるが、嫌な顔をしても受諾してくれるかどうか、気掛かりでもある。

残すか、取り去って別のものに帰るか、このスズロイの実験を継続するか否か、正念場なのかもしれない。昨日も朝は満タン後20キロ代で大変好調、会社に着いても40キロ前後、夜連休後一番の納品でさいたま市を目指したところ50キロぐらいで変調し、ガクガク感が出てきて、それは収まったかにみえたが、80キロを超えたところで、満タン燃費を測定したら11キロ代。いくら渋滞が多少あったにせよ、カワサキ車のような音をたてて、走行するようになってしまった。材質がちがうので、カワサキ車そのものではないが、族っぽい音をする走りをしていた。


それで、満タンで7リットル前後をいれたら、いごその音は消え、ホンダ車らしい静かな音。また快調感が復活。乱暴な計算をすると、過剰濃度にタンク容量の1/3を濃度ゼロのガソリンをいれて、調子が戻るなら、調子のいい濃度は悪い時の濃度の2/3以下だと推察できよう。

すると、最初の2個で効果が薄く倍にしたら、効果が出始め、さらにそれでも薄いとおもって、3倍強いれてしまったことと、乱暴な計算だが、つじつまがあうような気がする。
常時溶け続けるので、2度目の投入が限界だったと思われ、限界は2度目の半分、せいぜい3個程度までだろう。

バイク屋さんに何て説明しようか、・・・。2個に戻すか3個にするか、それとも・・・・

また、この加減は点火システムでも変るようで、やっかいである。昨日も満タン後の排気は、かなり青色が薄まっていて、無色に近かったが、満タン以前はかなり青かった。匂いも気になり出していた。しかし、粗っぽい比例関係が存在するようなので、次の目安はつけやすい、と元気づけることにしよう。
なかのひと

月曜日, 5月 04, 2009


4月に、タンク清掃して多量に入っていたハンダロイを除去し、スズだけを入れて効果を試しているが、最初はなかなか効果が出ず、少しづつ増量した。

最初、いやな鉛成分の匂いがしていたが、だんだん薄くなり、ひと月もしたら、ほぼなくなった。ただ、オイルはそのとき交換したままのものをそのまま使っている。すでに3000キロほど走ったことになる。

定置燃費が、14.8ぐらいになってきたが、今一スムーズさに欠けるので、もう一息と、スズを増量したら、急に効き出したらしく、あっというまに燃費が13.1になってしまった。もう手遅れか!?。それで、ミラクルパワーをつけていたのだが、ゴツゴツとした感じが強くなったので、外した。

ノーマル+にんじん君だけだと、今度のイグナイターの特徴と言うか、そういったゴツゴツ感が減るので、オリジナルのスムーズさ、静けさを求めて様子見というわけだ。この状態で、高速を主体とした燃費を計測したら、14.8が出て、いい感じだったが、一般道では相変わらず13キロ代でたいしたことはない。しかし、以前の12キロ代やそれをわったりすることはなくなった。

そろそろスズロイの判定をしなければならない時期に来ているが、いまいちはっきりしない。そう劇的にかわるものではないものの、遅効性だけに、効果を見きわめる基準がこれといってなく、多くの試行錯誤が必要らしい。やはり、市販品の量の基準からすると、こんかい明らかに再び多すぎる予感がする。鉛とスズの摩擦抵抗はほとんど変わらないので、前回ハンダロイは失敗と総括したが、量が市販品なみだったら、案外良い結果が出ていたかもしれないと思った。ハンダロイは、今の倍くらいはいっていたのである。今の半分以下かそれ以下にしたら、悪影響はなかったかもしれない。そしてスムーズさはあまり変わらないので、好結果だって期待できたかもしれないのである。

さて、鉛ロイの時から、ミラクルパワーをつけると、振動が大きくなり、取りはずすと振動が半分ほどに収まるので、高速走行の時は外していた。外すとスムーズになるが、燃費は変わらなかった。これはスズロイになっても同様で、さしたる燃費向上はなかった。高速走行の時のみ、燃費向上はスズロイで認められた。もっとも、すくない投入量の時は、一般道でも認められたのだが、いまはまたタンク掃除をして、過剰分を取り出さないと、再現走行はできない。

秩父の帰りも燃費は13.1で、あれほど多量に入れたハンダロイと変わらなかった。それで、どうも、13.1というのは以前のノーマルと同じ値なので、スズロイでも多量に入れると悪影響があるようだとやっと判明。

しかも、定置燃費コースでも13.1キロだったので、さすがに頭に来て、以前だめだったシリンダーヘッドアースとミラクルパワーの併用と言う、過去にはまずだめだった組み合わせを実現して様子をみることに。シリンダーヘッドアースは、最近電装系のワイヤーハーネスを変えて(2008.3月製)、漏電気味だったリヤブレーキスイッチを交換してから、にんじん君の調子がもっとよくなるかと期待したのだが、全然効果が感じられなくなって戻ってきたので、いつでも取り付けられるようにしてあった。

ミラクルパワーを外すと、振動は減るが、あきらかなパワー不足を意識してしまう。それで、ミラクルパワー並のパワー感とミラクルパワーなしの振動の減少を得ようとすると、シリンダーヘッドアースがいいだろうということに落ち着く。それでも燃費は変わらないどころか、却ってよくなかった。それで、深く考えずに、リヤシートにしまってあったミラクルパワーを全部付けて、ヤケクソ気味で走り出した。すると、振動は、ミラクルパワーなしのままで、パワーはミラクルパワーをつけた以上のトルク感が出ていることに意外な驚きを感じた。なんか良くない同士をくっつけたら、良い面だけが現れてきた感じである。


季節柄、バッテリーの調子はいいのだが、ウィンカーもめっちゃ明るく、ホーンの音もビビるほど勢いがよい。つまりにんじん君の機能もようやく出た感じなのである。それで、定置燃費コースに到達するまで一般道で様子見走行。明らかに定速でトルク感が向上したので、どうしてもスピードはアップ。それでも押さえて走っていると、ベンツの旧型が後ろから無遠慮に抜いて飛ばして行くので、追跡走行。スキを見ては車線変更しては、交差点で抜かれるのを意識してか前へ、前へと行こうとする。それで、一台後から交差点スタートで追跡すると、案の定抜かれまいと飛ばすので、前方車とベンツの間隔が空いたところで、前方車をぬいて、ベンツと並走してから徐に抜き去る。けっこう回転は上がっているのだが、音は比較的静かである。スズロイの効果もあるだろう。その時は気づかなかったが、音は、全力疾走時の音ではなかったようなやたら吹かしているような音ではなかったはずだ。

そんなこんなで、あっというまにいつものセルフへ。さあ、これからの定置燃費、今日はこれで、2度目だ。満タンで燃費を計ると、12.8と出た。通常、これまでの経験からすると11.8〜12.2ぐらいだろうと思う。12.8だったら、通常の13.1と大差ない値に、やはりこのトルク感は、効果があるようだと思った。ただし、どれがどこまで効いてこうした結果がでているのか、要素が
多いので、不明。システムトータルの結果としかわからない。それで、再度定置燃費コースを走行すると、14.2と出た。夕方は13.1と変わらなかったので、一時間ちょっとで、1.1キロものびたことに。

それで、一日置いて、4日の夕方、猫の餌を買いに郊外まで出たときに、いっそうトルク感がはっきりしていることを確認した。それなら、もう一本シリンダーヘッドアースを追加したら、どうなるか、とつい考えてしまう。それで、さっそく追加して走ってみると、あきらかにトルク感は1.5倍ほどアップしたように感じたので、そのまま、定置燃費コースのセルフスタンドまで走る。ただ、アイドリングが少し落ち、(過熱!?)90キロ前後で振動が大きいと感じた。そこで、燃費をみたら、期待に反して12.5キロ程度となりあの変な振動はやはりどこかおかしいと直感、スタンド内で、熱いのを我慢して、追加したシリンダヘッドアースを外し、従来からの一本に戻した。


そして、ふつか振りに定置燃費走行をして燃費を出したら、良い感じは出ていたので、良い値を予想したが、15.2となったので、少々驚いた。これで、スズロイを半分位に減らしたら、もっと伸びるような期待が持てるし、このままでももう少しエンジンが慣れたら伸びそうな気配もする。

スズロイの適量は見きわめが難しい。このままで、もう少し伸びても、スズロイのせいなのかどうかをどこで見きわめるのか!?昼間はわからないが、夜となると後続車のヘッドライトを透かして排気をみると、青い色の煙をけっこう排出している。
ブルーの排気は、エンジンの調子は悪くないと言うが、ちょっと多すぎるような気がする。スズ微粒子が、そのまま燃焼物とくっついて排気されるのだろうか?それなら、多すぎてもそれほど問題はないはずだとも言えそうだし、このままさらに燃費が伸びるかどうかが、判断のわかれめだろう。今日は後半で、スズロイが効き出したような感じを感じ出した。エンジンが安定燃焼を続ければ、それに応じた反応を示してくるだろう。量が多すぎるとしても、あまりクランク軸の粘りは感じない。暖まると800回転あたりからでもエンジンがついてくるのが頼もしい。ただ、いまのところ、どこかに傷があるような微振動を2000〜3000ぐらいで感じるようになった。トルクが出ている分、いままで感じなかった微振動だ。これも消えていってくれれば、スズロイ効果だというのかもしれないが。



なかのひと

「バイクの森おがの」で見たクラシックバイクのうち、幾つか印象的だったものを拾ってみた。最初は一台だけひっそりと目立たなく置かれていた英国車。Vincent Black Shadowらしい。ちょっと見には、アラビアのロレンスが、事故死したとき乗っていた大型Vツインかと思ったが、そちらはBroughSuperiorだったはず。映画アラビアのロレンスの冒頭に出てくるバイクは、上空から写しているので、ちょっろシルエットがつかみづらかった。
http://tepusuke.spaces.live.com/blog/cns!9FFE1590D5B5AE87!4397.entry
http://www.broughsuperior.com/newpage75.htm
http://www.horae.dti.ne.jp/~aldgate/f10ab1b%20int/shadowprojectintro.htm
には、このバイクと社の歴史、レストア記録などが出ていて、充実している。
『かつてよりお客様よりご依頼を頂いておりましたVINCENT BLACKSHADOW を英国よりレストアベ-スより
輸入し、可能な限り純正部品を使用して再生を行なって参りました。気の遠くなるような時間を経て完成した
C-SHADOWの過程をシリ-ズでお伝え致します。
 まず初めに、VINCENTというメ-カ-はいかにしてこのようなバイクを作り上げたかを学ぶ必要があります。
レストアレポ-トの前にVINCENTの歴史をご紹介致します。』で始まる文章から察せられるように、中味は濃い。一部のマニアとはいえ、日本と世界は、こうした人々の熱意と財力によって、海外とのネットワークが昔から存在していたことに、あらためて新鮮味を感じてしまう。


モトグッチのファルコーネ。500cc水平OHV単気筒。巨大なフライホイールが露出しているタイプ。モトグッチ社のシンボルマークもファルコンのようだから、社の原点みたいなモデルなのかもしれない。23PS/4500rpm、最高時速135Km/H以上、乾燥重量
167Kgとホンダ社のコレクションサイトには出ていた。もしかしたら、カブのレイアウトは、これがモデルではと思ってしまうが、果たして・・・・。
http://www.honda.co.jp/collection-hall/2r/140.html

こちらは軍用モデルで、もはやフライホイールの露出はなく、実用的、現代的な仕上がり。500cc単気筒のため、クラッチレバー下にデコンプ用のレバーがあるのは、SR500などと同じ。うちの家内が、国道20号沿いの販売店を訪れ、衝動的に藤色のモトグッチイモラの350を注文したときも、わきにはNATO軍用のV50が数台も並んでいて、これで売れるのか!?と心配したことがあったが、国内では店頭以外ではまだ見たことがない。
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=Ap1&q=moto%E3%80%80guzzi%E3%80%80falcone&lr=&um=1&ie=UTF-8&ei=ie39SajbL8aHkQWPz_WCBQ&sa=X&oi=image_result_group&resnum=4&ct=title
にはファルコーネの軍用モデルを含めた画像がたくさんあって、壮観だ。国内での実走行もみたことがない。



駐車場で見たBMWR69Sをより新品に近づけたようなモデルの近くには、同様な水平対向エンジンのモデルがあった。ドイツの

Zündapp社のバイクだった。学生の折り、貧乏な寮生の多い学寮の駐車場に、フエアーレディとこのZündappのバイクとが止めてあって、人目を引いた。バイクはよく故障していたようだったが、塗装の質の良さなどにはビックリした。ただ、当時から、もはや時代遅れという意識はどこかに漂っていたと思う。とはいえ、新聞記事によると、このバイクが館長さんのお気に入りのバイクだと言う。それで、一番最前列の展示となっているのも得な頷ける。

http://sankei.jp.msn.com/photos/region/kanto/saitama/090430/stm0904301443002-p1.htm


それで、館長さんに敬意を表して、もう一枚追加する、



このBMWとZündapp車の間には、Vツインのドイツ車モデルがあって、これぞ子供の頃、校庭でみかけたライラックではないかと思った。Victoriaというらしい。

1968年にはこのブランドは消滅してしまった、という。
http://images.google.co.jp/imgres?imgurl=http://www.classicmotorcycles.org.uk/bikemuseum/images/victoria/1956_victoria_bergemeister_350cc.jpg&imgrefurl=http://www.classicmotorcycles.org.uk/bikemuseum/museum_victoria.htm&usg=__NRNgTxuFycYs1sGit-m_4BFQVGo=&h=442&w=650&sz=67&hl=ja&start=37&um=1&tbnid=6Q_0s9BRHQDR7M:&tbnh=93&tbnw=137&prev=/images%3Fq%3DVictoria%2Bbike%2BV-twin%26ndsp%3D21%26hl%3Dja%26lr%3D%26client%3Dfirefox-a%26channel%3Ds%26rls%3Dorg.mozilla:ja-JP-mac:official%26sa%3DN%26start%3D21%26um%3D1

校庭で遊んでいた小学校時代、ホンダのベンリーやドリームと明らかにちがう、このタイプのバイクが乗り入れて校庭を走っていた。今ではとても考えられないことだが、・・・。それで、子供たちが群がって、オーナーの話を聞いたりしたものだった。
シャフトドライブなので、癖があって、アクセルを開くとき車体がしゃくるというような特徴を繰り返し話していたことも思い出す。

その後、家の近くに電機店が開業し、ここのご主人が、もっと大排気量のVツインのバイクを愛用されていて、いつもその雄姿に見入っていた。BMWやモトグッチなどもちろん知らない時代である。荷台には、電気修理道具屋やコード類などが満載された修理セットの箱がくくり付けられていた。それがライラックというバイクだと明確に意識したものだった。

しかし、帰って調べてみると、ライラックというバイクは、BMWバイクを真似て作られた、という。そのせいで、私は知らなかったが、Vツインのほかに水平対向モデルもランナップされていた、という。丸正自動車というのが、社名だそうだ。
http://www.geocities.jp/kikansyaporuko/lilac.html
とはいえ、このサイトでライラックスポーツLS38の写真を見ると、タンクデザインこそ、丸正自動車のオリジナルに見えるが、機械部分は、このVictoriaそっくりに見える。排気量もほぼ近いし、・・・。

零戦のエンジンといい、始めは先生そっくりの真似ることから始まっている。学ぶと言うことは真似ることから始まるとも言われる。一時、日本人は物まねが上手だが、オリジナリティーがないなどと言われた時代があったが、今ではあまりそういう指摘はされないようである。免許皆伝の後で、本当のオリジナリティーが試される、という認識がごく自然になりつつあるのかもしれない。

さっそくいくつもの記事が掲載されだしたようである。

http://www.lococom.jp/tadetail/26714/457465/66600001990/

http://
arata350.exblog.jp/9670881/


http://blog.sideriver.com/nomurasblog/2009/05/bikejin-ad91.html

http://mblog.excite.co.jp/user/ikukiu/entry/detail/?id=9741347


http://kirapia.cocolog-nifty.com/fz1fazer/2009/05/index.html
なかのひと

秩父おまかせマップ
秩父の観光ガイドおまかせサイト
http://www.bsmap.jp/

日曜日, 5月 03, 2009


前回紹介した「バイクの森おがの」の開館初日。場所も知っているし、sho様のサイトの書き込みに、GTO氏が奥さんと秩父のかき氷と、わらじかつ丼をたべに、両毛地区から来るというので、ひょっとしたら、遭遇できるかもしれないと思い、出かけてみることに。

時間はあったが、高速の状況も見ておこうと東松山から花園まで通ったら、東京方面からのマイカーラッシュで、のろのろ渋滞。やはり!。案の条か。路肩走行したくなるが、禁止されているので、車列の間をバイクがちょろちょろ抜けていく。神経を使いながら、嵐山パーキングエリアの混雑状況もチェック。ほとんどの車がここへ寄らずに過ぎていく、とおもったら、中は満車状態で、あちこち道路にも止まっていた。男子トイレも行列ができていて、ぎょっとしたが、こちらは個室専用の列で、気づくまで時間を無駄にした。なお、女性用は、臨時仮設トイレの案内がでていた。小学生などは父親づれで、個室の男子トイレを共用していた。バイクも早朝からかなり混んでいる。今日は、スズキの刀が多いなと思ったが、それはおがので判明した。


皆野寄居有料道路を抜けて(普通410円、バイク300円)秩父市内から、ミューズパークへの道しるべをたよりに140号から別れて、小鹿野方面へ。まだ、市内はすいすいと通り抜けられる。
久しぶりに小賀野へ近づくと、丸太を満載したトラックがいたり、秩父市内とは雰囲気がちがうローカルな感じがする。そして、あっというまに、かっての温泉施設、クアパレス小鹿野だったところへ着く。以前は、仕事で何度も通った道だが、自分には関係ないと一度も接近しなかった。温泉施設は5月9日あたりから使えるようになるらしく、裏では、改装工事の真っ最中。時間は午前9時30分で、駐車場はまだまばら。しかし、ふだんはめったに見かけない、絶版車があちらこちらに。誘導員が刀のバイクだけは、別の一角へ誘導していた。どうやら、この場で刀バイクファンたちのミーティングも計画されているらしい。あちこちから、いい音をたてて、刀がやってくる。カワサキ車とはちがう、静かだが,高性能を感じさせる音だ。これも生産中止になってからかなりたっているのでは。娘が生まれた頃デビューした記憶が、・・・。


半世紀ちかく前と思われるトライアンフが来ていた。色といい、シートといい、程度はかなり良好とみられた。もうちょっと早くきていれば、英車独特のサウンドも聞けたのに、と思うと残念。似たようなバイクは、皆展示室にいけば見られるのだが、音までは・・・。

そのうち独特の音をたてて、DUCATI車もやってきた。ハーレーといっしょだったのだが、イタリアンのサウンドしか気づかなかった。それだけ、最近のハーレーのノーマル車は音が静かだということか。

話やすそうだったためか、バイクの音以上に、バイクにはうるさいんでしょうね!?と聞いたら、ハイ、おっしゃるとおり、バイクにはかなりうるさいんです、と言っていた。そして、ハーレーライダー氏に手伝わせて、さっそくリヤブレーキの調整を始めた。もっとも、二人とも、先に来ているバイクの品定めで、しばらくは駐車場内をうろうろ。今日の開業は、朝日新聞で知った、という。ホンダのゴールドウィングのサイドカーは、後ろに、寝泊まりできるミニキャンピングカーを牽引した状態で車用エリアに止まっていた。バックギヤはついているんですか、といったら、目ざとく、リバース用の取っ手がついていると言っていた。チェーンには理想的ともいえる給油がされており、赤いチェーンカバーには、一滴のオイルの染みもついていなかったが、リヤシートは工具入れとなっていた。そこから軍手と工具を出して、いろいろ触っていたが、軍手はあぶらまみれだった。



このライダー氏、シートに財布と免許証を置きわすれてしまって後で、取りにきたが、ゴールドウィングもキーを差したままだった。かなりおおらかな性格の人だね、といってから、ご自分の財布に気づいたらしい。用意していたテントでは、草鞋かつ丼弁当を出すらしく、それらしい段ボール箱が運ばれていた。かき氷装置も、用意されていた。

かれこれするうちの開館で〜すといわれ、みなぞろぞろと玄関口へ。展示室は2階と3階で、駐車場から入るとそこが2階。温泉施設は、工事中だったが、一階にあるという。

手にタグをまいてくださいといわれ、緑色のタグををまく。気にしていたことだが、無許可の商用撮影は禁止、とあるだけで撮影そのものは特に制限しておらず、皆思い思いに写真を撮っていく。一眼レフのバシャバシャ音もけっこう響いていた。

前回紹介したブログでは、新聞記事の車種だけだったが、入ったら、9割がみな外車で、どれも程度のよいものばかり。匂いもなく、いまでも走れそうなものばかり。とっくに、記憶の片隅におしやられてしまった、古き良き時代を彷彿とさせるようなイタリア車、英国車、ドイツ車、ハーレー、メグロ、陸王、レアな国産レーサーななどが並んでいるが、イタリアンがもっとも多かったような気がする。DUCATI車も、自転車に原付エンジンをつけたような、60ccと65ccのモデルも出ていた。


駐車場でみかけたBMWのR69Sも、かなり新車に近いと思われる状態で展示され、さらにBMWの初代モデルまであった。フロントフォークの動きを板ばねで調節するタイプで、自転車からの発展形を色濃く滲ませたタイプ。もちろん、シャフトドライブ。R69Sは、チャールズ・ブロンソン主演映画、「雨の日の訪問者」だったと思うが、このバイクが山岳路でカーチェイスして、ブロンソンが飛ばす四輪を追って迫るのだが、なにせヘヤピンカーブゆえ、車は何とか回るのだが、警官の乗ったBMWは、そのまま、崖下へ・・・マツの幹にでも引っかかっていればいいのだが、と思わせる展開だった。サイドカー用にフロントフォークが作られているので、もともとカーブには弱い、・・・。


3階は、350〜450ぐらいの中排気量モデルが。スエーデンのハスクバーナのオフロードモデル(軍用モデル)やヤマハのTZシリーズなども。ここの外車は、いまのように大排気量車が、主流の時代ではなく、250〜350が主流の時代のものだと思われ、250などでも、大型車をイメージさせるようなデザインで作られていて、けっこう様になるモデルが多いような気がした。イタリア車ゆえか、日本ではあまりしられないデザイン的に古さを感じさせないモデルもあった。

一時間弱もいると、いちおう見終わる。まわりでは、おじさんたちが、昔このバイクのエンジンはこんな感じで回っていた、などと音真似をして解説している人もいた。概して、年配者が多かった。あとは主婦層。いまの若い人たちにはなじみが少ないのかもしれない、とさえ思う。
わらじかつ丼を食べるにはまだ速いので、299号を峠の群馬県境まで行ってみることに。多くのバイクライダーたちに出会う。手を上げて合図していく人も。飛ばしやすいが、油断は禁物。景色はいいのだが、ちょっとうらさびしい気もする。以前仕事で来ていたときは営業していた末端のスタンドは、閉じてひさしい感じで残っていた。この辺の人は、小鹿野町内まで給油にいかないと暮らせないわけだ。いぜん、作業中にイノシシに膝を噛まれたおじいさんがいた畑もそのまま残っている。途中、輪切りにしたケヤキの幹下部が転がって、自然乾燥中だったが、臼にでも加工するたうもりなのかもしれない。





CBのエンジンを眺めて何となく、今日出あったイタリアンバイクのデザインを思った。ホンダのHのデザインが、DUCATIのDESMO系単気筒エンジンのシリンダーヘッドにある垂直にたった弁を動かすシャフト軸に繋がるUシェイプのオイル通路のパイプに似ているな〜とおもった。

シリンダーヘッドは今日みたDUCATIのDOUBLE KNOCKERに似ているな〜などと。山の中で少し休憩。皆デザイナーたちの頭のどこかに過去の遺産が住み着いているのだろう。もっとも、この
写真のようにDOUBLE KNOCKERを最初にデザインしたデザイナーの頭の中には、バチカンの衛兵がかぶるベレー帽のイメージがあったのでは、とそのとき思った。帰ってみてしらべると、
http://wadaphoto.jp/kikou/suis28.htm

には美男子の傭兵写真が掲載してあった。帽子・制服のデザインはミケランジェロだそうである。当時の貧乏国スイスは、傭兵を出して外貨収入をえたようである。フランス革命のとき、近衛兵たちも逃げてしまった時でさえ、彼らは国王、王妃を守るべくまさに700余名が殉職した、と言われ、その死をいたむ碑がスイス国内にあるという。かれらの殉職の背景には、『スイス傭兵の信用を失わないための決死の精神であった。そのお陰で、諸外国から高い評価を受け、今でもバチカン市国 State of the City of Vatican のローマ法王庁の前には、ミケランジェロがデザインした伝統の制服を着たスイス傭兵が誇らしげに立っている。衛兵になるには、長身の美男子が必須条件という。』と紹介されている。

傭兵といえば、適当に戦争のまね事をして、・・・本当の危機には??と思っていたヨーロッパ史の中で、かくまで契約と名誉の精神に貫かれた、スイス農民たちの仕事ぶりに敬意を表する。まさに当時の全世界が注目する中での出来事だったにちがいない。

さて,299号の志賀坂峠から小鹿野まちへもどり、このブログの最初のほうで紹介したわらじかつ丼屋の『昭和』へもどる。12時10分ごろ。写真のほかにもう一台店の前にバイクが止まっていたが、栃木ナンバーはなかった。5名の先客がいたが、みなわらじかつ丼を食べている。わたしもつづいて注文して食した。初回の時より、いっそうおいしく感じた。
小鹿野の名刹、十輪寺への入り口のすぐ脇である。どうも、さいきんカツ丼の味がたまらなく好きになっ来ている。先日もバイトに来た人が、大学芋とか、カツ丼は、昔の東大生が考えたものなんだそうですよ、と食事のとき、ふと話すのを聞いてびっくりした。初耳であった。



三年弱ほど前に来たときも壁に感謝の色紙がはってあったが、最近も続いているようだ。ちょうど1年と十日前には、北海道は富良野からホンダCBR1000RRのライダー氏が来ていた。おそらく偶然ではあるまい。情報誌などで調べて立ち寄られた、と思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/genryurikimaru/48284912.html
そうおもって、見渡すと、以前は女性週刊誌などもあったが、書架にはバイク本と表示され、バイク雑誌がたくさん置いてあった。わらじかつ丼は、注文を受けてから作り出すので、比較的時間がかかる。そのためもあろうかと思ったが、バイク本を置くこと自体、町おこしを担っているというようなささやかな意欲を感じた。後から、徒歩で来ている人もわらじかつ丼であった。
店のマダムに聞いたら、街中にあと数件のわらじかつ丼を供する店がある、と教えられビックリした。これでは、いくらここで待っても会う確率は、急激に低下する。

それで、バイク情報誌を見終わると、出てしまった。

そして、また定峰峠の茶屋に立ち寄り、ここの女主人と世間話をして、今回は東秩父村方面へ抜けて帰った。狩場坂峠の茶屋が取り壊されてしまって、・・・というと情報を教えてもらった。ここのおばーちゃんもお年で、しかるべき施設に入られたため、という。店に並べていた商品は、全部で30万円ぶんくらいになる、と彼女には話していたそうだが、時折泥棒にも狙われたそうだ。この土地は山の上でも、東武鉄道の土地だったそうだ。CB1000SFの写真を初めて見たのも、この狩場坂峠、やはり東武鉄道とはどこまでも縁があるものだ、と思った。東武鉄道が主催する七峰回峰のハードハイキングは、すでに4月中旬に終了したそうだ。いつも仕事の関係で間に合わない。もっとも、今は体力が持つかどうか自信もなくなってきている。

ここでも、バイク雑誌『培倶人(バイクジン)』が置いてあったのを見せてくれた。バイクの森おがのの話をしたら、あそこの人たちは、何かとうまくなかなかのやり手だというような意味のことをおっしゃっていた。だって、あそこは歌舞伎の町でしょう〜!?なんて少々驚いていた風に、こちらもいささか意外な感じが・・・。地域性が色濃くのこる話を伺って、少々愉快な気持ちにもなった。狩場坂峠のおばーちゃんも息子さんが警官だったか、それで、白バイグループが訓練走行していたとき、あの人たちも、立ち寄ったりします!?と聞いたら、ああいう人たちは、来ね〜べえ!と即答された10年ほど前のちょっとした会話が頭の中で蘇ったりもした。


なかのひと

水曜日, 4月 29, 2009

CB1000SFと決めて届くまで三月ほど待った間ネットでインプレッションを探したとき印象に残っている第一号がこれである。

『CB1000SF・ツーリング
CB1000SFと共に旅した記録を紹介します。 何気ない景色が、自然の世界へCBを同化させる。 その時その瞬間を大切にした1枚の写真に思いを託す。 CB1000SF Trip. 2004年 5月 7日, 江ノ島方面、一人旅. 2004年 5月14日, SBC 秩父ツーリング ...
www.k4.dion.ne.jp/~nori-99/CB1000SFtrip.html - 6k - キャッシュ - 類似ページ』

SBC秩父ツーリングという中で、今は削除されて別の定峰峠の写真に、隼などと一緒に写っている写真に置き換えられているが、たしか狩場坂峠あたりに、赤白のCB1000SFのカッコいい写真がありました。タイヤに赤のストライプが入っているもの。また、小鹿野町のクアパレスへもでかけられている。

秩父の山々はどういう仕事だったかは言えないが、集中的に都市部、山中を問わず車で走り回った経験があり、峠の道に魅かれていた関係もあり、自分もBIG1手にしてからは、真っ先にまわったりもしたし、現在も折りがあれば出かけている。バイクで来るより、徒歩やバスで来る人のほうが層が深い感じもしている。

http://www.k4.dion.ne.jp/~nori-99/CB1000SFtrip.html

その小鹿野のクアパレスであるが、今日の埼玉新聞に、ここが改造されて「バイクの森おがの」が完成し、連休の5月2日からライダーの聖地としてオープンするという記事がでていたので、これは!?と注目した。

旧温泉施設「クアパレスおがの」をリニューアルし、民間施設としては国内屈指のバイク展示台数を誇る、というもの。その数、なんと驚くなかれ、約130台というからそのうち浅間ミーティングならぬ「おがのミーティング」も開催され、恒例になる可能性も有している。温泉施設はそのまま使用可能だと言う。こちらも楽しみだ。

http://www.town.ogano.lg.jp/kakuka/matidukuri/bike/biketop1.html
バイクは1950年代以降の日本製のほか、とうぜん外車も含まれ、世界に一台と言うラベルダの1000cc、1925年のBSA。アメリカスズキのゼロヨンマシン(1428cc)、昭和天皇のパレードで使われた陸王のサイドカーなどなど、・・・行ってみてのお楽しみだと言う。

展示場の入館料は大人1000円、小人500円、三歳以下は無料。開館時間は午前10時〜午後6時。木曜定休だという。問い合わせは5月2日から、バイクの森おがわとなっているが、バイクの森おがのの誤植と思われる。☎番号:0494・72・0819(オーバイク)。
http://www.bikenomori.jp/
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/ogano/ogano.htm
http://spa.s5.xrea.com/day/kyori1/oganod.htm

運営する指定管理者は、「バイクの森」(大河原敏男館長、大河原康社長)、大河原康社長は、都内で「トマトモータース」(二輪車輸入販売会社)を経営中、という。館長である社長の父親の敏男氏が、若いときから集めたバイクが中核になっている模様。2階と3階にわかれ、模型なども展示され、5月中旬からイタリアンレストランと温泉浴場も開業する予定となっている。小鹿野町は、旧両神町と合併しておがの町となったようだ。町は、バイクによる町おこしの核施設となってくれるよう、期待しているという。

また、ひとつ秩父へ行く楽しみが増えた。ちょっとまえ、秩父の山岳を中心に起こった『秩父事件』をあつかった映画、『草の乱』もクランクアップし、県内各地で上映会が開かれていたが、見る機会を失してしまったままだった。最近ビデオを借りてみることができた。その直後のことだけに、いっそう、遺跡の町、歴史の町、バイクマニアの集まる町としての思いが深まることに、歴史好き、バイク好きとしてはうれしい限りである。


なかのひと

日曜日, 4月 26, 2009


新年度から、タンクのハンダロイは除去し、スズロイのみを入れて様子を見ている。かれこれ投入後2000キロ近くなってきたが、最初入れすぎを警戒し、少なめに入れていたせいなのか、いっこうに効き目が薄く、これといった手ごたえがない。鉛臭さは薄れてきたが、まだ時折きつく感じることも。それで、二度にわたって、追加増量した。なんだか、追加量に比例して、滑らかになり、加速がよくなる感じもする。

それで多いと思って残したものも、手許にあったものは結局、ガツンとタンク内落とし込んでしまった。多すぎかな~?と思いつつも、以前入れていたハンダロイよりはだいぶ少ない。それで、まだ一回しか満タンにしていないが、高速で走ると、重い車体が浮き上がり気味に加速して音は静かで、なかなか良い。通勤燃費は、購入直後の値にほぼ戻っているようだ。また、飛ばしても12キロ以上はほぼ行くようだ。それで、すぐ定置燃費コースを走ったら、14.8より落ちて13.1となった。アレレ、やはり入れすぎたか!?と反省したが、後の祭りである。

雨の土曜日中、取り出すことをあれこれ考えてある程度道具立てとか決まった。明日は道具を買って来て、取り出すとするかと考えていたが、朝起きたら、また気が変わった。


sho様の例に倣って、国際特許をとっているというミラクルパワーを四個とも全部つけたままだった。
http://www.geocities.jp/shonaka2001/
昨年と今年とでは、イグナイターが純正とはいえ違い、ミラクルパワーをつけると、パワーは出るが、あまり燃費がよくないのだ。昨年は、古いイグナイターとにんじん君と不調の左一番シリンダーにのみミラクルパワーをつけると感じがよかったが、今年はそうでもない。しかも、漏電修理終了後、にんじん君の調子が良かった感じがまるでなくなっている。期待外れだった。これでは、製造元のブリッジカンパニーさんにレポートも書けない。

昨年も、ハンダロイを入れ過ぎた後、まずミラクルパワーを外したのだった。あまりにも定速でギスギスするようなので。それで少しは滑らかになったようだった。今度のイグナイターは、たぶん最終型なのかもしれない。ノーマルでずいぶんCBのエンジンの癖を知った火花特性のように、最初感じた。さらに、にんじん君が壊れたとおもって装着していなかったが、まず壊れない、半永久的ですとのメーカーさんのアドヴァイスで再度新規イグナイターに付けると、その時はまだ漏電修理は終わっていないにもかかわらず、え、本来こんなにいいものなのか、という感じだった。それが、修理後、さらなる期待をしたが、期待外れだった。今から思えば、修理時にはミラクルパワーをつけたままだった。


それで、ミラクルパワーなしでのスズロイの調子をチェックしてみてからでも、結論は遅くないと判断、雨が止んですぐ東北道での燃費スタートとなった。いきなりミラクルパワーを外したので、コールドスタートでは、なんか力不足の感じがする。しかし、回転とともに加速がますその上がり方は、私だけにわかるのだが、ミラクルパワーが一本調子なのに対して、回転比例型といった感じで、同一アクセルでも少し時間を置いてパワーが累加する感じである。

午前6時過ぎの東北道は、少しトラックが混じるが、ほとんど東京方面からの乗用車で三車線のうち右と中央は満車状態、左側は、ちらほらといった状態で、110キロ位で流れている。やはり、ETCを優遇する新制度のせいなのであろう。佐野インターあたりで、霧雨となり一応様子をみるために寄ってみる。あまり混んではいないが、バイクもけっこう集まっている。服装をどうするか悩むライダーも少なくない。雨の調子は変化しないので、そのまま北上したが、雨がだんだん強くなり、躊躇する。しかし、栃木辺りは大平山などの山が連なり雨雲が多いが、北のほうは幾分明るい。それで、宇都宮あたりへ行けば、きっと雲は切れるだろうと考え北上する。その考えは的中したとおもって喜んだのもつかの間、また降り出す。それで、日光道路の分岐点で引き返すことにした。割引料金で、950円だった。

佐野インターあたりまで来ると、晴れ間ものぞき路面は乾いてくる。何も知らないライダーたちが、相変わらず北を目指して対向車線を走り抜けていく。二人乗りも見かけた。国産バイクのシートは高く、リヤシートはさらに高いので、二人乗りスタイルは、車高が高く見るからに危なっかしく見えてしかたがない。特に高速ではしがみつく感じで、絵にならない。

山、北方面が雨雲で、南方面も雨雲、唯一晴れているのは西方面だったので、結局140号へ出てしまった。こうなったら、濡れた体を乾かす意味でも、陽光の輝く秩父方面へ回らざるをえない。高速道路150キロほど走った燃費は、14.8となり過去最高の部類に入った。これで、購入直後の値と同じかちょといいくらい。マイクロロン仕様時では、14.5だと、定置燃費コースで15キロから16キロ代は出ていた値。ハンダロイでは、高速で13キロ代前半しか出なかった。股、最近の、ミラクルパワーを付けての高速を含む燃費も13キロ代。この結果で、気をよくし、スズロイを取り去るプランはなくなってしまった。さらに色気を出して、不調の左一番プラグにまたまたミラクルパワーをつけてしまい、ホットスタートでの燃費測定。まだ時間はあるので、定置燃費コースへはいかず、陽光あふれる140号をさらに。途中牛丼店へよったら、新型ハーレーが一台止まっていた。中ではハーレースタイルのスーツを着た若いライダーが一人。
先に出ていったが、いつスタートしたのか、音が静かで気づかなかった。

途中、だんだん道が混み始めた。このところ、晴天日は連日秩父市内は渋滞との情報を得ていたので、定峰峠から狩場坂峠を抜けるプランに変更。大型観光バスもマナーがよく、ガードレールがあるところでは、私を視認すると5センチほどセンターライン側へ除けてくれる。観光慣れしているな、とお礼をいいつつ先へ。

定峰は眺望もよく、ライダーも少なくないが、サイクリングコースとしての利用者も多く、注意が必要。路面は大半乾き、空気は甘い。酸素がたっぷり供給されている感じ。あっというまに峠の茶屋で。ここから林道となり、比較的平坦になる。マラソンで走っている人もけっこう見かけた。ローリング族対策で、路面に凹凸仕様をしてあって、走りづらいといつも感じるコースである。車高の低い対向車がそれを除けて走ると、こちらが徐行しないと危ないときも。秩父事件では、この山道が伝令の迂回ルートだったようだ。今は、ハイキングで訪れる人たちの憩いの場だ。私は、仕事でよく訪れたのだが。わき水もあり、ポリタンク持参で持ち帰る人も多い。枯れ枝の間を縫って集まる水は、あまりきれいでないように見えるが、飲んでみても違和感はない。


正丸トンネルのほこり臭さもなく、あっというまに正丸出口の299号へ出る。こちらは、さらに暖かい。4輪の後に従って大人しく降りる。しかし、新緑が眩しく退屈しない。相変わらず対向バイクは、ハーレーが多い。1/3はハーレーかと思う。高速では、佐野で出会ったBMWの単気筒バイクとまた次のパーキングで出会い、話しかけようかと思っていたら、そこに1200の水平対向バイクが止まり、のんびりしていた筈の単気筒氏、急にそわそわして発車して行ってしまった。こちらのバイクを一瞥したライダー氏はいがぐり頭のおっちゃん風だったので、私も釣られて雨の中を出てしまった。

ミラクルパワーを付けると、振動が大きくなることも新発見。取り去ると振動自体は出ているものの、丸くなり振動感は半分ほどに減少する。(アイドリング時)ミラクルパワー一個でもこの現象は同じだった。それで、一般道で、山道を含んだ燃費は飛ばしたせいもあるが、13.1と振るわなかった。それで、ミラクルパワーとは、決別。それを取ると、エンジンはパワー感はなくなるが、素直で、一瞬のタイムラグはあるものの加速が悪い感じはない。振動も穏やかだ。また、スズロイの量も一昨日のミラクルパワー装着時と違い、多すぎる感じは皆無。むしろもう少しあってもいいかと思うほど。
それで、今後はこのまま経過を見ることに。まだ投入後2000キロを超えた程度。3000キロ以上は走らないと、効果の程はなんとも言えないが、ハンダロイよりはマシで、購入時の値に近いというのは、うれしい現象だ。クラッチ感が変わって来ているので、交換後はどうなるか楽しみだ。なお、交換代は、オイル交換込みで、2.5万円程度という。前輪、後輪のタイヤ交換費用の平均値なみということだというので、安心はした。

なかのひと

土曜日, 4月 25, 2009

マリア信仰の付帯的事実!?
暗示的なことは、90年代突入を目前にした1989年12月に、地中海に浮かぶマルタ島でブッシュとゴルバチョフの米ソ両首脳会談が行われたことである。

以下の記録は、昔メモしたもので、引用書や引用サイトなどのメモが記録されていないので、出所を明示できないし、何処までが引用かさえもはっきりしない。

分かっていて手元にある本は、コンノケンイチ氏による、「NASAアポロ計画の巨大真相」だけとなっていて、UFOと聖母マリア関連記事は、はるか以前の著作だと思うが、詳しい題名は失念してしまっている。15年ぐらい前のものだと思う。

あと一冊は、『エドガー・ケイシーのすべて』サンマーク出版、高橋明宏・鈴木七沖編集。1999年。

コンノケイイチ氏は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/コンノケンイチ
では、日本を代表する疑似科学者の一人で、高卒だという。一瞬、悪意に満ちた記述と錯覚してしまったが、どうもそうでもないようだ。似非科学者だというなら、悪意に満ちたといえるかもしれないが、疑似科学は蔑称ではない。以下には、フォトンベルトもそうした範疇にはいる、とされている。UFOもしかりであるが、賛否両論がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:疑似科学
キリストや聖母マリア円盤型雲に乗っているらしい絵は中世の宗教絵画にもある、という。
http://blog.livedoor.jp/fushigi7/archives/cat_977916.html

マリア信仰の付帯的事実!?

「マリア信仰」というとピンと来ないかもしれないが日本ぐらい聖母マリアに庇護されている国も珍しい、という。

日本が真珠湾を攻撃した12月8日は、聖母マリアの「無原罪のやどり」の日だった。

終戦記念日8月15日は、聖母マリアの亡くなった「被昇天」の祝日だった。

原爆の2発目は、小倉に落とされるはずだったが、天候の都合で、長崎に変更され、浦上天主堂の真上で炸裂した。

サンフランシスコ講話条約は、聖母マリアの誕生日である9月8日であった。

(松本に本土決戦に備えた大本営を作る工事の起工式の発破は、11月11日11時11分11秒にセットされたという。いい月、いい日・・・日本独特の言霊信仰。イワシの頭も信心からともいいますが)
もっとも、真珠湾攻撃がアメリカの遠隔操作だというのなら、何となくわかるような気がしている。9.11だって、911は、アメリカの電話番号で、日本に当てはめると119。それで、11月9日とか1月19日を警戒してしまった。

暗示的なことは、90年代突入を目前にした1989年12月に、地中海に浮かぶマルタ島でブッシュとゴルバチョフの米ソ両首脳会談が行われたことである。

山内雅夫氏によればマルタ島とは世界三大宗教の原点となる場所で、先史時代には大地母神信仰の中心地であり、ローマ時代にはキリスト教設立の父、パウロの漂着した場所でもあり、中世ではアラブのモスリム教の霊場でもあった。
これがマルタ島が世界のオカルトの霊場とされる由縁でもあるという。
 それだけでなく、悪名高きフリーメーソン発祥の地こそ、このマルタ島なのである。

マルタ島が90年代の幕開け直前に米ソ首脳会談の場所に選ばれたのは、おそらく聖書に約束されているハルマゲドン(人類最終戦争)に入ったという時代の象徴という理由があってのことなのであろう。それを米ソ首脳が十分に知っているからこそ、このマルタ島が選ばれたと思う。

しかもマルタ島での首脳会談の直前にゴルバチョフがバチカンを訪問し、教皇と会談を行ったので、世界中が騒然となった。無神論の牙城である、共産主義国、ソ連の最高権力者がバチカンを訪れることなど従来であれば考えられないことだったからだ。いったい、何を話しあったのだろう。

マリア像の血の涙は何を伝えているか

聖母奇跡というと、多くの方は信用しないだろう。しかし、ケーシーも少年時代、マリアらしき女性を見た、と言われている。(林の中で)しかも、20世紀に入ってからだけでも、世界各地で300回以上も起きているという現実をどう思われますか。
 その最大スケールは何と言ってもファチマだが、聖母の出現場所は都会から離れた寒村や僻地に多く、全員が目撃できるケースと、特定の人にしか見えない場合に分けられる。後者の場合、幼い子供や、先天的に体の弱い女性に多いのが共通で、いずれの場合にもマリアは光とともに出現し、近く起こる人類大災厄への悲痛なメッセージを託している。(ケーシーの場合も、まばゆい光とともに女性が出現したという、その翌日から読んでもいない書物のページが居眠りの後、写真のように見えたという(この場合、成績の悪い科目の教科書だったが)超能力があることを自覚したという。
ここでまた、まじめな余談。
 ケーシーは、18歳のとき知り合った3歳年下のガートルード・エバンスと20歳のとき、婚約した。結婚は誰の人生にとっても重大な意味をもつが、ケイシーにとってはなおさらそうであった。彼の晩年のリーディングによれば、彼らは前世から深い縁で結ばれており、ひとりでいるよりも二人そろうことで人生の目的を達成する運命にあった。もし二人が結婚しなければ、彼女は26歳のときには結核で死ぬ運命にあり、またケーシーは37歳で胃腸の病気が原因で死ぬ運命であったことが判明したそうである。

 マリア像から、血の涙や汗が流れるという現象も多発している。主な場所は、アメリカのカリフォルニア、カナダのトロント、韓国のナジュ、ベルギーのモンテナン、イタリアのポルト・サン・ステファノ、日本では秋田市の湯沢台などが有名だが、その際にバラのような芳香がただようことも共通している。
大事なことはマリア奇跡はキリスト教国のみの現象ではなく、人種や宗教を問わず地球的規模で起こっていることである。

以前からあった「マリア奇跡」

記録によると、聖母奇跡は昔から小規模ながら実に頻繁に起きている。よく知られているものにグアダルーペの聖母事件がある。
 1531年にメキシコで57歳のホアン・ディエゴの前にマリアが出現。その場所には季節がずれの花が咲き、さらに彼のマントにマリアの絵姿が浮かびあがった。このマントはサボテンの繊維を編んだもので、本当ならとうにぼろぼろになってもおかしくないのに、今も聖母の姿を浮かびあがらせている。 
 1830年7月18日にはフランスのパリでゾエ・キャサリン・ラプレという若い尼僧志望者の前に聖母が出現してメッセージを与えている。
16年後の1846年にはフランスのラ・サレットという小さな山村でマキシアン・ジロー(11歳)とメラニー・マシュー(15歳)の前に聖母マリアが出現し、それぞれ秘密のメッセージを授けている。
1858年には有名なルルドの奇跡がおきている。もちろんフランスに限られたわけではない。1879年にはアイルランドのノックという小さな村にマリアが出現し、かなりの人数がその姿を目撃している。1888年には、イタリアのカステルペテロソにも同様の出現があり、500人ほどの人々がその姿を目撃している。

ファチマの伏線——「ルルドの聖泉」
こうした試験的ともいえる小規模の出現が続いた後に、クライマックスがファチマでの一大ページェントとして展開されたわけだが、その伏線ともいえるルルドの奇跡について、簡単にふれます。

事件の主役は、南フランスのピレネー山脈の麓に住む、ベルナディットという一少女だった。1858年2月11日、ベルナディットが妹と友達の三人で洞窟のある場所へ薪ひろいに行ったときのこと、突然轟音が響きわたり、驚いたベルナディットが振り向くと、洞窟の入り口の草が何か重いものがのったように押しつぶされていた。轟音がやむとそこにはこの世の人とは思えない高貴な女性が立っていた。
 女性はベルナディットにロザリオを唱えるようねつげ、ベルナディットはそれに従った。しかし、他の二人には、貴婦人の姿は見えなかった。
その後も」ベルナディットは何度も貴婦人の姿を見ることになるが、同行した人々には見えず、声も聞こえなかった。そのため、ベルナディットの幻覚とも考えられたが、その場所に(お告げにより)湧き出でた泉水によって、単なる幻覚ではないことが証明され、依頼この水の出るようになった洞窟が「ルルドの聖泉」と呼ばれ、世界中のカトリック信者の聖地となった。

 このようにして湧き出でた水が、多数の難病患者を奇跡的に治癒した無数の例が「ルルド国際医学協会」に記録されており、この現象は今も続いている。 
 この奇跡の水の信憑性は、ノーベル賞を受賞したアレキンス・カレン博士の調査でも確認されてより世界的に高まり、「ニューズウィーク」1971年8月9日号では、イギリスの3歳の幼女の末期ガンが盛衰で奇跡的に消滅した例が写真入りで紹介されている。

 以降のベルナディットは人々の好奇の目にさらされ、また人の心を惑わすなどの批判もあって、体も弱かったので、後半生はヌーベル・ツールドラサリア修道院で過ごすことになった。1879年4月16日、35歳の若さで薄幸の一生を終えた。そして、真の奇跡はベルナディットの死後に起こった。
30年後に彼女の墓を掘り返してみると、驚くべきことにベルナディットの遺体は少しの腐敗も死後硬直もなく、皮膚もバラ色に輝いて、まるで眠っているようだった。そして、今もその遺体はサン・ジルダール修道院に安置されている。

ネットで拾ったルルドやベルナディット
 
ルルドの名は、超常現象の世界では一流のブランドになっています。

1858年、この小さな村に住むベルナデット・スビルーという貧しい少女が、村を流れるガーブ河の脇にある洞窟で、聖母マリアとおぼしき女性の姿を目撃しました。そして、このベルナデットが聖母のお告げにしたがって地面を掘ったところ泉がわきだし、その水を飲んだ人の病気が次々といやされるという奇跡が起こりました。
今ではルルドは、年間500万人の巡礼者が訪れる、カトリック最大の聖地となっています。

関係書を読んでみると、ルルドはピレネー山脈の麓にあり、フランスでも相当へんぴな場所であるように書かれています。確かに田舎ではありますが、ルルドからトゥールーズまでは電車で2時間の、トゥールーズとパリの間は、フランスの誇るTGBが3時間半で連絡しています。つまりパリからルルドまで6時間以内で到着できるわけです。日帰りは少々苦しいでしょうが、駅から聖母の洞窟までは歩いて10分少々で、洞窟の隣で聖水をくむことができます。お水をくんで帰るだけなら、早朝パリを出て夜に帰り着くという荒技も不可能ではありません。
フランスとスペインの国境のピレネー山脈にルルドという人口1万人余の小さな村がある。
この村には、現在カソリック教会の大伽藍を中心に、高層ホテルが数百も建ち並んでいます。それは年間3百万人も超える病人が、世界中からこの村を訪れているからです。

以下は本当に合ったお話です。
 
 3歳になる少女が、腎臓の悪性腫瘍にかかった。1個は摘出したが、悪性腫瘍は、頭蓋骨に移転し、身体はやせ衰え、薬害のため、毛髪は抜け落ち、皮膚はまっ黄色に変わり、全身が腫瘍におかされて医者は手のほどこす術なしと完全にさじを投げたほどだった。

途方にくれた両親は、ワラをもつかむ気持ちで、なかば意識を失っている少女を寝椅子車に乗せてルルドを訪れた。そこで聖なる水に身体をひたし、水を飲ませた。しかし、その時は少しも良くなる兆しがないので、なかばあきらめて、死ぬなら我が家でと、イギリスのグラスゴーに帰った。

ところが、帰宅して3日後の朝、少女がベッドの上に座ってオレンジを食べ始めた。そして数日で腫瘍は消え去り、あとは健康な少女と何ら変わらぬ体になったのである。

この出来事は、スコットランドの医学界でも評判になり、ルルドの奇跡の水として有名になった。
この話は遠藤周作の名著『聖書のなかの女性たち』(講談社刊)の中でも”ルルドの聖母”というタイトルで詳しく書かれている。

こうした奇跡がなぜ起こるのか、いまだ大きな謎とされていますが、実はルルドの泉の水には、ゲルマニウムが豊富に含まれていることが、近年の調査で明らかにされています。
【日本の軌跡の水】            参考書籍 福島裕子 著 ガン・難病治療に有機ゲルマニウム
 実は日本国内にも、ゲルマニウムの豊富な水が湧き出ている場所があります。青森県東津軽郡の山間に湧き出ている『山吹の水』もその1つです。

地元では昔から、ガラスの容器に入れておくといつまでも腐らない水として珍重されてきました。そしてその水を飲んだ人の中には、ルルドの泉同様の”奇跡”を体験する例が見られています。
 
私自身、一般的な治療とあわせて、患者さんにその水をすすめて、驚くような結果をまのあたりにしたことが何度かあります。

2)少女ベルナデッタの証言:
 私が見たのは、年頃16、17の貴婦人です。私は、今までにあの方のような美しい婦人を見たことがありません。白い着物を着て、空色の帯を締め、右の腕にロザリオをかけていました。
 貴婦人は罪人の改心のため祈るよう勧められました。私は貴婦人に接した時、私のみにくい心がとても気になりました。私はそれを正直に貴婦人に申し上げました。
 最後の御出現の時、私は「あなたのお名前を教えて下さい。」とお願いしました。貴婦人は神に感謝するかのように天を仰いでから、「私は無原罪の御宿りです。」と仰せになり、合掌なさいました。
 聖母は私に、「この世ではなく後の世で幸せな者にしてあげます。」とお約束下さいました。洞窟に現れた優雅さ、美しさは、生涯忘れることができません。

(注)「無原罪の御宿り」は、1854年に教皇ピオ9世によって、カトリックの信仰箇条として宣言されたばかりであった。ベルナデッタは教会の教えをよく知らなかったので、この言葉を知らないし、意味を理解できなかった。このことは、この御出現が本物である証拠となり、貴婦人が聖母マリアであることが明らかになったと言えよう。

(3)教会の承認:

1862年1月18日に、約2年間に及ぶ司教区調査委員会による調査の結果、現地司教は、ルルドのマッサビエルの洞窟の聖母御出現を公的に認める教書を発布した。

(4)ベルナデッタの生涯:

1844年1月7日:ルルドにて生まれる。同年1月9日:受洗。  
1858年:2月11日より18回にわたり聖母の御出現の恵を受ける。
1866年7月7日:ヌベ−ル愛徳修道会の本部修道院に入会した。
1866年7月29日:着衣式。同年10月25日:初誓願。  
1878年9月22日:永久誓願。
1879年4月16日:帰天。(午後3時15分)
1933年12月8日:列聖。

 現在、ベルナデッタはヌベ−ルの修道院の聖堂に安置されていて、棺の中で眠り続けている。遺体は現在も腐敗しておらず、巡礼者は目のあたりにベルナデッタを見ることができます。1994年、私はルルド、ヌベ−ル、ファチマに巡礼に行き、その時ヌベ−ルでベルナデッタを見てきました。実物を拝見してみますと、やはり言葉に言い表せない感動がありました。機会があったらぜひ行ってみたほうがいいと思います。

(何年も前、日本のテレビでも紹介されましたが、ベルナディットの姿をレポートする若い女性リポーターが泣きじゃくってしまい、まともな放映にいたらなかったことが印象に残っています。その時はタイムの記事を読んで知っていましたから驚かなかったのですが、今こうしてまとめていると、ファチマもすごいがルルドも超一流のオカルトですね。貴婦人が「この世ではなく、後の世で幸せにしてあげます」というメッセージもすごい、本当の天才というか天力でしょう、これは。)

なかのひと