古い二年前にアマゾンで購入したPhotoshopのLightが,Windows 7では64ビット用のため7では動かないので放っておいたが、今回また詐欺にあって、アマゾンカードで支払ったが、直ぐに処置したので、今回の分は全額アカウント確保ができたので、正規版のPhotoshopを購入した。Adobe Photoshop CS6である。周りを見るとPhotoshopが欲しいという人がおおいようだが、どの版がいいのかわからず躊躇しているという声を聞き、使用していないLightをあげようと再びダウンロードした。
それを会社のWindowsにどちらもインストールするのに、正規版はDVDで来たので問題はないが、ダウンロードしたものをUSBに入れて運ぼうと考え,開いているスティックを探したら端子部分が少し黒く錆びたものが見つかった。最初2回は認識しなかったが三回目には認識して中味が開いた。
すると古いファイルは2001年以降でUnixの勉強をしていたらしく、真っ黒なアイコンが1/3ほどあったが、あとは当時残しておきたいと思ったデータや画像がつまっていた。
古い順に拾うと、院になってから買ってもらい、北海道ツーリングに使用したスズキの250バイクがあった。
6速のミッションにオ−バーサイズのピストンを入れ、251ccぐらいにしてあった。フロントフェンダーは先を詰め、ちょっとモダンな感じに改造したつもり。このバイクにモータロイを入れ、音が静かになり、加速が良くなることを学んだ。北海道では、札幌から富良野へ向かう街道で向かい風に翻弄された意外は概ね快調だった。
これは、函館から札幌へ向かう途中でのスナップ。初めて走る道南の道は快適であっという間に札幌に到着。初めてミソラーメンを食べたがあまり印象がない。このとき一眼レフを運んでいたが、二重露光で、せっかくの写真が台無し。その分いろいろな記憶があるが負け惜しみに聞こえる。
これは新婚当神楽坂に居候していた関係で靖国神社や九段のまわりをうろつきペルシア語の講座があるというので、家内を誘って半年ほど参加した。目的は、家内がイスハファンあたりに旅行したいというので、将来を見据えての選択のつもりだった。講師は国士舘かどこかの先生で、授業の時はいつも充血した目をされていた。たぶん。ボランティアだったとおもう。ファルシーというのが正式なペルシア語のことらしい。
ゴルゴというのは狼らしい。サファラテヤポンコージャエ?日本大使館はどこですか?というらしい。
院にいくと、ドイツ語かフランス語が堪能でなくては(英語意外に)といわれていたが、林学の講座では物質生産を創始提唱したボイセン・イエンセンがデンマーク人であったためか、デンマーク語の原文を読まなくてはということになり、勉強を始めたが学問論争は翌年スエーデンのヨハンソンとの論争になり、スエーデン語も勉強する羽目に。
おそるおそる上にいる周囲の様子を伺うと、指導教官となった方は、ドイツ語、デンマーク語、チェコ語などの文献をよんでおられるらしく、当時の先生は林木育種だったが一高東大ドイツ留学ぐみであり、ポーランドの大学にも留学の準備をし、実際三月ほどの短期間ではあったが実行された。名古屋大の学友に聞くとロシア語はよめるらしい。
してみると、辞書をたよりにでも研究者たる者は数か国の言語に通じている必要があるらしいと嫌でも気付かされる。現に後半にいたり、ヨーロッパアカマツの文献ではロシア語の文献が数報まとめてでてきた。
これは容易ならざる事とは思っていたが、ロシア語の文献が当然辞書だよりに読めるようになるに足掛け10年以上がたっていた。娘の小学校のうんどうかいで小生の名が呼ばれたので何事か!?と思ってテントに行くと、落とし物として、ロシア語の手製の単語帳だった。
アーブは水、ヤーリは遣る、アーブヤーリは潅水のことらしい。砂漠の緑化などという夢はアラビア語とペルシア語では文字はほぼ同一でもアラビア語は厳格な男性、女性、中性の区別があるのに対し、ペルシア語ではどうなの?というあたりからいつの間にか離れてしまった。当時は三井関連企業のイラン石化関係で、いづれイランに行くという子女の受講が多かった思い出がある、
娘は最初XLの1200に乗っていたが、交差点を直進したら右折対向車が疲れていたらしく、うっかり右折を敢行。結果としてハーレーは転倒してあちこち擦りむく怪我をした。たまたまそれを停止中のパトカーが目撃しているという僥倖があって、80万以上の修理代を得て、日頃から思っていた事を実行。
ダブルスパークのXL1200を売って、程度の同じ883と交換して思い切った改造をくわだてた。
そして日曜日ごとにエンジンを掛け、音を楽しみ、禄に距離もかせがないうちに就職先変更で軽自動車が必要になり40万ほどで手放して
しまった。去年の夏東北の那須サービスエリアでミリタリー塗装の883と出会ったが、タンクの取り付け位置がこの改造車とそっくりであった。
家内が免許もないのに一目惚れで福田モータースから買ってしまったモトグッチイモラ350。全然乗らないのに直ぐ車検が来て、バッテリー上がりが起きないように不定期にエンジンをかけるのが小生の役割。また、中型免許を教習所で取れるようにアドバイズ。ほとンど減っていないディスクブレーキやフロントレバーやクラッチレバーまで航空便で取り寄せて交換するので車検代がバカ高かった。今時のドカッティの中型などとは音質が全然ちがい、当時の有塩仕様で、その販売が打ち切りとなる時期であったため、二度目の車検では国産のセローに変えてしまった。350のため幾分非力であったが、時速100kmを超えると俄然咆哮とともにイタリアンの本領を発揮。この音の変化とスピードの乗りが最大の魅力。高速をつかって日光往復をして、本領発揮は120〜140ぐらいらしいと嫌でも気づかされた。二度と手に入らない機種。当時の外車の魅力はこんなところにもあったのかと思わされる一台。モトグッチ850に乗るバイク店の店主とよく伊豆半島へ出かけたものだった。このイモラの販売店はドニエプルのサイドカーなども置いていたが、モトグッチ650や軍用の550などが売り出される時期になると店舗が消えてしまったようだ。
九大の数学科の梶原譲二教授が院入試用によく出される問題の解説を現代数学社からシリーズ本として出版されていた。私はマツの大経木の放射方向の温度変化を記述するベッセル関数の取扱を学ぶため、梶原教授の専門がそれに適していると判断。BASIC数学という雑誌時代から愛読を始めた。
その頃マッキントッシュによる工科系の院入試に特化したシリーズを発行していたのは現代数学社の理系への数学(旧BASIC…)であったためMacを買い。MathematicaやTheoristも買い、梶原先生と文通をしていたら、ある日突然毎年ブルガリアの第二の都市、プロブディフで開催されている世界微分方程式会議に周辺研究者として発表しませんか!?というお誘いを受けた。
624 :132人目の素数さん:2010/04/15(木) 03:37:31
>>620
梶原節に感心するなら、プロの数学板住人
なんて記述もある。
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/math/1130588784/l50
英国への立ち寄りも可能だったので、是非この目で、海外産の有名アカマツを見てみたいと以前から思っていたので帰りにロンドンにより郊外のキュー植物園を見学して帰った。
写真はプロブディフ市内で九大の一行と市街地を散策したときの一枚。バックはそのままローマ時代の遺跡が中心となっている。唯一の女性は熊大数学科の大貝先生で、このあと九大で数学の博士となられた方。
英語がなんと通じるロンドンに行ったがなんの目的で来ましたかと聞かれ。聞き取れなかったのはショックだった。ブルガリアでも大学事務局の方もかなり苦しそうに途切れとぎれの片言英語で喋ったりするのになれてしまっていた。(たったの二週間)
しかし植物園では楽しく過ごし、世界のマツ類も堪能した。ヨーロッパアカマツも知らずに見ると日本のアカマツと外見上はさしてかわらず幾分安心した。
茨城県産アカマツ林での大経木での樹液流、幹呼吸の連続計測。田無試験地
それを会社のWindowsにどちらもインストールするのに、正規版はDVDで来たので問題はないが、ダウンロードしたものをUSBに入れて運ぼうと考え,開いているスティックを探したら端子部分が少し黒く錆びたものが見つかった。最初2回は認識しなかったが三回目には認識して中味が開いた。
すると古いファイルは2001年以降でUnixの勉強をしていたらしく、真っ黒なアイコンが1/3ほどあったが、あとは当時残しておきたいと思ったデータや画像がつまっていた。
古い順に拾うと、院になってから買ってもらい、北海道ツーリングに使用したスズキの250バイクがあった。
6速のミッションにオ−バーサイズのピストンを入れ、251ccぐらいにしてあった。フロントフェンダーは先を詰め、ちょっとモダンな感じに改造したつもり。このバイクにモータロイを入れ、音が静かになり、加速が良くなることを学んだ。北海道では、札幌から富良野へ向かう街道で向かい風に翻弄された意外は概ね快調だった。
これは、函館から札幌へ向かう途中でのスナップ。初めて走る道南の道は快適であっという間に札幌に到着。初めてミソラーメンを食べたがあまり印象がない。このとき一眼レフを運んでいたが、二重露光で、せっかくの写真が台無し。その分いろいろな記憶があるが負け惜しみに聞こえる。
これは新婚当神楽坂に居候していた関係で靖国神社や九段のまわりをうろつきペルシア語の講座があるというので、家内を誘って半年ほど参加した。目的は、家内がイスハファンあたりに旅行したいというので、将来を見据えての選択のつもりだった。講師は国士舘かどこかの先生で、授業の時はいつも充血した目をされていた。たぶん。ボランティアだったとおもう。ファルシーというのが正式なペルシア語のことらしい。
ゴルゴというのは狼らしい。サファラテヤポンコージャエ?日本大使館はどこですか?というらしい。
院にいくと、ドイツ語かフランス語が堪能でなくては(英語意外に)といわれていたが、林学の講座では物質生産を創始提唱したボイセン・イエンセンがデンマーク人であったためか、デンマーク語の原文を読まなくてはということになり、勉強を始めたが学問論争は翌年スエーデンのヨハンソンとの論争になり、スエーデン語も勉強する羽目に。
おそるおそる上にいる周囲の様子を伺うと、指導教官となった方は、ドイツ語、デンマーク語、チェコ語などの文献をよんでおられるらしく、当時の先生は林木育種だったが一高東大ドイツ留学ぐみであり、ポーランドの大学にも留学の準備をし、実際三月ほどの短期間ではあったが実行された。名古屋大の学友に聞くとロシア語はよめるらしい。
してみると、辞書をたよりにでも研究者たる者は数か国の言語に通じている必要があるらしいと嫌でも気付かされる。現に後半にいたり、ヨーロッパアカマツの文献ではロシア語の文献が数報まとめてでてきた。
これは容易ならざる事とは思っていたが、ロシア語の文献が当然辞書だよりに読めるようになるに足掛け10年以上がたっていた。娘の小学校のうんどうかいで小生の名が呼ばれたので何事か!?と思ってテントに行くと、落とし物として、ロシア語の手製の単語帳だった。
アーブは水、ヤーリは遣る、アーブヤーリは潅水のことらしい。砂漠の緑化などという夢はアラビア語とペルシア語では文字はほぼ同一でもアラビア語は厳格な男性、女性、中性の区別があるのに対し、ペルシア語ではどうなの?というあたりからいつの間にか離れてしまった。当時は三井関連企業のイラン石化関係で、いづれイランに行くという子女の受講が多かった思い出がある、
娘は最初XLの1200に乗っていたが、交差点を直進したら右折対向車が疲れていたらしく、うっかり右折を敢行。結果としてハーレーは転倒してあちこち擦りむく怪我をした。たまたまそれを停止中のパトカーが目撃しているという僥倖があって、80万以上の修理代を得て、日頃から思っていた事を実行。
ダブルスパークのXL1200を売って、程度の同じ883と交換して思い切った改造をくわだてた。
そして日曜日ごとにエンジンを掛け、音を楽しみ、禄に距離もかせがないうちに就職先変更で軽自動車が必要になり40万ほどで手放して
しまった。去年の夏東北の那須サービスエリアでミリタリー塗装の883と出会ったが、タンクの取り付け位置がこの改造車とそっくりであった。
九大の数学科の梶原譲二教授が院入試用によく出される問題の解説を現代数学社からシリーズ本として出版されていた。私はマツの大経木の放射方向の温度変化を記述するベッセル関数の取扱を学ぶため、梶原教授の専門がそれに適していると判断。BASIC数学という雑誌時代から愛読を始めた。
その頃マッキントッシュによる工科系の院入試に特化したシリーズを発行していたのは現代数学社の理系への数学(旧BASIC…)であったためMacを買い。MathematicaやTheoristも買い、梶原先生と文通をしていたら、ある日突然毎年ブルガリアの第二の都市、プロブディフで開催されている世界微分方程式会議に周辺研究者として発表しませんか!?というお誘いを受けた。
梶原節に感心するなら、プロの数学板住人
なんて記述もある。
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/math/1130588784/l50
英国への立ち寄りも可能だったので、是非この目で、海外産の有名アカマツを見てみたいと以前から思っていたので帰りにロンドンにより郊外のキュー植物園を見学して帰った。
写真はプロブディフ市内で九大の一行と市街地を散策したときの一枚。バックはそのままローマ時代の遺跡が中心となっている。唯一の女性は熊大数学科の大貝先生で、このあと九大で数学の博士となられた方。
英語がなんと通じるロンドンに行ったがなんの目的で来ましたかと聞かれ。聞き取れなかったのはショックだった。ブルガリアでも大学事務局の方もかなり苦しそうに途切れとぎれの片言英語で喋ったりするのになれてしまっていた。(たったの二週間)
しかし植物園では楽しく過ごし、世界のマツ類も堪能した。ヨーロッパアカマツも知らずに見ると日本のアカマツと外見上はさしてかわらず幾分安心した。
茨城県産アカマツ林での大経木での樹液流、幹呼吸の連続計測。田無試験地
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