月曜日, 2月 27, 2017

発表前のドタバタ 逆問題

昨年11月に今年の学会発表の手続きを忙しい最中になんとか済ませていた。その時は間に合うかどうか不明であったが、年が開けて恒例の成人式シーズンあたりからなんとか頭がどうやら正常!?に近い状態になりつつあると感じている。講演原稿の締切は1月12日までであり、五百字の制限内でなんとか受理された。講演申し込みの期限が11月末であり、小生の問い合わせを含め、質問者多数のらめ、その締切もさらに1週間延期されて救われた。

ただ、学会の発表日程が定まらないので、会期は決まっているが、いつまで鹿児島に留まるかが未定でイライラしている。

今は発表の構成の準備中であり何かといそがしい。約20年ぶりの発表であり、何かと戸惑う。いまは、昨年暮れとはうって変わって、予定された仕事が出ないので休みが多く大変助かるのだが、それだけに、構想が日々目まぐるしくかわり、逆に時間が足らない。

昨年4月にデータをチェックしていて大変な事に気づき、慌てて指導教官に往復手紙を書いて出したのだが、それが早トチリで、実際はマスターノートにちゃんと計算した記録があって、発表に手違いはなく、次期学会で訂正発表は知なくてはよいとわかったので、ハガキと絵葉書で訂正をしていた経緯がある。指導教官からは、受け取った順番まで書いて思わぬ春の霹靂でした、などの返事が届いた。

もともと海外発表をした20年前頃から暖めていたテーマであり指導教官にそっていたわけであるが、指導教官は昨年の霹靂のあと、年齢を理由に今後は従来の指導は不可能であり、後は自力でよろしくと言うことで、その際には海外の動向への配慮が必要不可欠だとおもいます、とあった。

実は大学からいわれて時の学部長から、辞める前にまとめるようにいわれて、指導教官には告げず出した論文があって、期限までに盲腸炎の手術(全身麻酔)や仕事の忙しさなどで、期限が半年ほど遅れた。今回の発表はそれが基礎で、指導教官の方針にも沿っている。

その学部長は指導教官の先輩教授の教え子で、USAの大学でPh.Dを取得され、帰国後林試で活動後、本家の教授となり小生の所属した教室の教官に復帰した。

今回の発表は米国での学位について20年以上前から研究した結果も反映させてあり、私はこう思という部分がないとあちらでは評価されない、と思い本来の指導教官の方針とは少し違い、自分はこう思うという面を強調してある。

それが逆問題である。

最近発表の準備をしていて、最初の手順通りの指導教官が策定したプランに沿って発表することには違いがないがそのままでいいのか!?という疑問は団塊の世代として、ノンポリの学生であっても、学生時代からあった。ただし、指導教官はその先生の指導に忠実であったらしく過不足なく指導教官に沿った実験をおこない、入院を許可された大先生は、小生の指導教官は優秀な先生だから、・・・とその指導にそうようにおっしゃった。

それで話のキッカケとしてこの話題から入ろうかとなどと一案であるが思い浮かんだ。


これは20年ほど前に時間に追われて動きの遅いMacで書いていた時代(LC520?)の記述であり、今思うと検出器位置のの配置が適当でないように思うが。皆さんはどうお思いか!?。

そこで最近の著作もアマゾンに頼んで取り寄せた。

しかし、説明の仕方が親父ギャグが多くてというわけではないがイマイチ小生の理解にフィットしない。(数学的レベルが違いすごる!?)


しかし、ここでの事例ではないが評判はよいようである。
初めて私が逆問題を意識した時代から20年ちかくもたてば時流が変わるのも当然だろう。

と書いてみたが今しらべたら小生の逆問題の多分最初の記事はこれである。

するとまだ10年ということになるが、引っ越しで無くした久保司郎氏の逆問題は4900円となっていて、1992年5月発行のままである。図の引用にも1992となっている。
今LC250を検索すると1992年頃らしいが、正確な年月が不明。まだパワーPCは出ておらず、小生もインターネットなどとは無縁だった。


これはわかりやすい逆問題の事例を探したら、上のブルーバックスの賛辞が続いた最後に出てきた。これでようやく解決したような気になった。今回発表する回帰分析も広い意味では逆問題と言えるらしい。上村氏の著作で赤線を引いたところはただ一箇所。

『それゆえ、一意であることを、逆問題では同定可能という。』
とある。


小生が引用した上の書評にもあるように

 だが、一気に加速する。汚染水の濃度ぐらいなら追いかけられるが、プランクのエネルギー量子発見のアプローチ、隕石衝突による恐竜絶滅説の裏付け、シュレディンガー方程式による量子化になると、ついていくのがやっとになる。チホノフの正則化、ムーア・ペンローズ逆行列や、ハイゼンベルクのS行列のあたりになると白旗を上げるしかない。』

などとあり、あれれと思った。ムーア・ペンローズの逆行列は、測量でも使っているよ。とおもった。

これは わかりやすい測量 厳密計算法 鹿島出版会 1993年 2刷 の108ページにある記述である。この本はムーア・ペンローズなど索引にでてこないが、おなじく測量学の教科書 最小二乗法の理論とその応用 (田島稔・小牧和雄共著)には歴史的経緯が前書きにすっかり出ている。

著者「(田島)が初めて最小二乗法の講義を受けたのは、1949年、いまは亡き坪井忠二先生からであった。(寺田寅彦の弟子)先生の講義は平易明快で、その後、地理調査所(現・建設省国土地理院)に入所して複雑な測量平均計算に遭遇しても、何とかアレルギーなしに親しむことができたが、これも先生のおかげであると感謝している。しかし当時の講義内容をふり返ってみると、ガウスの[ ]を用いて回帰曲線のパラメータ決定する技術計算が主であった。

1962〜63年、米国に研究出張した折、オハイオ州立大学の測地学研究所に滞在し、U.A.
Utoila 教授の特別講義を聴く機会に恵まれた。教授は古典的な最小二乗法から始まり、後半は現代的な行列表現による理論と測地学への応用を講義された。その中で。たとえば、ガウスの消去法が正規方程式係数行列の三角化に他ならないこと、未知のパラメータの最確値の標準偏差(従来はきわめて複雑な計算で求めていた)が係数行列の逆行列対角要素
Nii^-1)の平方根を重量として、m0SqrtNii^−1と簡単に求められること、さらに観測方程式を条件方程式と統合した混合方程式(AX+BV+W=0)の解法などを講義された。
これらのことは、いまではほとんど常識となってしまったが、当時はコロンバスの学生たちを大いに啓蒙した名講義の一つであった。

1972年、E. Mittermayer の測地網に関する、いわゆる「自由網平均」の論文がBull. Geodesiqueに掲載された。わが国の多くの測量技術者がこの論文に刺激され、「一般逆行列」の応用研究を始めたと言って過言ではないだろう。翌年の1973年には、A.Bjerhammar の個性的著書「Theory of Errors and Generalized Matrix Inverses」が出版された。わが国の測地学会でも、ムーア・ペンローズ型逆行列の計算や利用がが論議されたり、一方では公共測量、特に厳密な都市基準点測量のための自由網平均プログラムが出現する時勢となった。
イカ略 ”

昨年末に休みがなくて睡眠もなくてというのは親会社の道路台帳の仕事を手伝う破目になったことによる影響が大であったが仕事なので仕方がなかった。



Mathematicaの3.0で求めた例。コマンドで一発で出力される。


これは余談であるがかなり前、世話になっている測量会社から、仕事が納品完了できないのでOKを出さない担当の工事事務所の所長がOKを出す用に説明の補助をしてもらえないかと打診を受けた。まだ測量士の資格ももらえていない時期だったので、民間の人達がどんな意識で測量に携わっているかの勉強になると思ってMacを車に積んで出かけた。

私は大学出ということで士補にはなれたが、測量学校でどんな授業をしているかはまるで不安内であったので、教科書を見せてもらい、それを元に計算をチェックしたようにおもう。といっても測量ソフトははいってなく、数式処理ソフトとエクセルだけだったが。

うちのボスは山の測量においてボスが行かず、バイトを使って(誰が行ったかは想像がついているような言い方だった。)それで全体の精度が概算で一万を割っていたようだ。

だから工事長は測量計算が間違ったんじゃないの?と測量計算の手法を技術担当者に10回ほど訪ね、また君か_?などと訪ね君の顔は見飽きて見たくないと言い出されていたらしい。

私が行ったのは説明の補助という名目で当日は正装で行き、半日ほどかけて工事事務所へ伺った。測量学校で教えている教材も一応見たがラグランジュの未定定数法が目立つ程度でH型の網を組んでいた。そこで、担当者をいびる工事長に向かって、既知点の座標が経年変化などで移動していたりすれば当然精度に変化が出て来るのでなどと、網平均の話に持っていき自由網平均などの話をほらを吹いた。すると工事長はいくつかの質問があったが、専門外の話とはんだんしたらしく、すっと席をたって退室された。要するにOKとなったらしい。まわりに貼りついた各係官たちも喜んで小生に頭を下げた。予期せぬ事件だった。








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