水曜日, 2月 28, 2007



http://en.wikipedia.org/wiki/Zen_and_the_Art_of_Motorcycle_Maintenance

1976年に出た本で、日本訳名はわすれた。そうだ、たしか、「息子と私とオートバイ」ではなかったか。

今は、その題の本はなく、邦訳「禅とオートバイ修理技術・価値の探究」となっているようだ。

英語版しかもう手にはいらないかもしれない。



息子の名前はクリス、ホンダのバイクで息子を乗せて旅に出るようなところも書いてあった。今、英語版解説をみると、バイクはhttp://en.wikipedia.org/wiki/Honda_CB77で305ccらしいが、その当事は250だと思って読んでいた。

クリスは、23歳の誕生日の二週間前に強盗にあい、刺殺されてしまうらしいが、当事の本には書いてあったか記憶にない。

「これまで、理性は理性を欠く未開人の世界を避けたりし続けた。ソクラテス以前の時代から、理性を働かせて未知の秩序を知るために、感情や情熱を抑える必要があった。今、一度退けた情念を取り戻して、大自然をさらに深く知るべきである。情念や感情も自然の秩序の一部分である。中枢部分かもしれない。」

CB77で、3万キロ以上を走っていたことは記憶している。ハーレーの3万数千キロ走行車と出会い、彼もなかなかしたたかな、本物のモーターサイクリストだと感じるような記述が会ったように思う。CBで、130キロ以上で走り回ったような記憶も。

このバイクの登場が、英国車の衰退の始まりだととれるような記述も、上のバイク紹介欄には書かれている。たった、28.5PSなのにね。当事からSuperhawkという名前で売られたわけで、日本でHawk250、400が売り出されただいぶ前のことになる。




「心を形に表すものが優れた仕事で、心を殺すものが悪い仕事である」

心の平静さは【道】を感得するための前提条件だからだ。仕事を進めている間、美しさを知り、なぜ美しいかを理解し、美しさと一体になった内面的な落ち着きを得、心が仕事に洗われ、でき上がった仕事に美しさがにじみ出る。

熟練工に平静な心があるのは、仕事に没頭するからだとか、仕事が好きだからだと考える人がいるかもしれないが、仕事に没頭できるは、本当は、意識の最先端で、主体と客体のあいだに距離がないからである。

などと書かれている。

「修理しなければならない本当のオートバイは、自我(エゴ)というオートバイである。《今そこに》ある車体と、《今ここに》いる人間は二つの独立した存在ではない。両者が渾然と一体になって道をめざすのである。」

道元禅師の言葉にも、「仏道を習ふといふは、自己を習ふなり。自己を習ふといふは、自己を忘るるなり」
というのがあり、感心したが、これはさらに、自己を忘るるとは、万法に証せらるなりとか続く。

別の坊さんも、バイクを乗馬に例え、鞍上人なく、鞍下馬なくという人馬一体のことはりを強調されていた。

私は道とは未知であり、日本語は二本語だと捉えている。ちなみに、英語などの印欧語は一本語の世界であろうと想像している。なんでも一筋縄でくくろうとするが、日本人はたいていそんな無理はできっこないと、多寡をくくたところがありはしまいか。
しかし、西欧的哲学的思考とは、距離を置くことになる。

中江兆民が最初に、日本人には哲学がない、と初めて指摘した嚆矢だという話を最近哲学教授のエッセイで読んだ。哲学がないから、世界の不思議、明治維新がやすやすとできたが、一方で日本人を軽い存在としてしまう欠点もあるとか、・・・。

昔、親しんだ万葉集とかが最近よみたくなったがまず本屋さんでは見ない。

日本語では、漢字を取り入れて「しまった!」ので、眼で字を見ないと意味がすぐにはわからないことが多く、話し言葉での情報伝達能力が、極めてよわい。あちらでは、基本的に、耳で聞いたら字がよめないような文盲でも、日本のように困らないという。
だから、話し言葉で、ラジオ講演が、よどみなく高度の伝達が可能だということだ。

1 件のコメント:

nature さんのコメント...

おはようございます。コメントありがとうございます。

こちらも残業で遅くなり、別の投稿で批判めいた返事がきているので、再コメントしたりして、今目覚めました。

sho様とことなり、こちらは零細企業で、下請けなので、転勤も昇進も事実上ありえませんので、一般企業の方のさまざまなご苦労は、割と少ないのでは、とある程度のわがままを保持できる立場を勝手に都合よく解釈させてもらって、なんとか生きてきました。・・・

そして最近になって、やっと、仕事の意味が解りかけたような気がしています、・・・^^;)。

人間とかいて、人と人との間の諸関係が、個々人のあり方を規定している「事実」に改めて感心します。

今後を楽しみにお待ちしております、どうぞお大事に!。