月曜日, 8月 31, 2015

ハーレースポーツスターで立ちごけ


先週の日曜日、今日しかないと決断して朝早くハーレーで福島へ向かう。前の日の夕方に満タンにし、今日こそ午前4時前に高速に入ろうと思っていた。

最初はサイドバッグもつけて雨具も用意してと思っていたが、いざ現地で出発となると、面倒臭くなりサイドバッグ装着もやめてしまった。天気は意外とよさそうだったからである。

出がけに必要な手順を決めた通りに行い、今日こそ間に合いそうと思ってブーツを履いて会社から出ようとすると、アレ会社の鍵が見当たらない。入るときは確かに鍵を開けて入ったので、どこかその辺に置いたに違いないとあたりをくまなく探すが出てこない。

数分しか滞在しなかったので、挙動範囲は限られているのに、見当たらない。う〜ん、こんなことをしていたらまた遅れると思うと、ますます焦る。

で焦っているうちはみつからない。もう時間的に間にあわなくなって落ち着き当日普段とちがうものは、肩掛けカバン。で、その内部に入れていないか、ひとつひとつ確かめると
ちょっと見には絶対みつからない位置にキーが押し込まれていた。

当日の行き先の住所を書き込んだ紙片を確認した際に、あ、あるあると安心してそのときまで手に持っていたキーをそこに落とし込んだらしい。

結果的に日曜日なのでどっちみち休日3割引きであるからそれほど急ぐ必要もなかった。

すったもんだの挙句、前回同様4時ごろ出発。雨は降っていないがかなり涼しい。トイレ休憩が必然的に多くなる。その分SAの観察、下見が可能。

この前、熱くてかき氷をたべた壬生のSAにもよってみたが、もちろん売店は閉まっている。皆思い思いの格好で休憩している。ここではバイクは私一人。

壬生をでるとちょうど正面に太陽が上がりだし大変まぶしい。交通量がすくないので、手をかざして前方をみる。筑波山も右前方だ。

いくつめだったか笠間のSA。BMWとハーレーの二人連れのほか、親子らしいヴィンテージハーレーもいたが、あまり興味はない。

雲の状態はずっとこんな感じ。GSもあったんだと覚えておこう。


いつもの日立ちゅおうでやっと目的地をセット。ここで軽い食事をとる。ベンチでごろ寝のおじさんもいる。のどかな場所だ。ここでゆっくりしていると、nature called me!となった。



一般道から逆走してここへ寄ってまた一般道へと出ていく川崎のZIもきていた。が大半は大型トラックちゅうしんである。


 名前はわすれたが、常磐道でも給油ポイントはすくなく、そこのSAでの案内版。高速走行中の被ばく量の概算値やバイクだとその1.2倍ほどになるなどの掲示もあった。

同じルートも三回目ともなると余裕が出てくる。放射線量もおおよそ計器がなくてもわかるし、高速道での表示は、7月より低い。(0.25~4.8マイクロシーベルト)
 福島県内に入ると前方雨の表示が。

まあたいしたことないだろうとどんどん進んでいくと、四倉(よつくら)のあたりで、糠雨が小雨になって、後ろから追い上げてくる4輪にぬかれまいと飛ばしていると、気が付いたらかなり濡れてきた。

いつをものように、広野町のインターから降りて6号へ行く、もうすっかり濡れてしまった。高速道をおりたらまず給油しないと帰れないと思い、そうだ二輪通行禁止区域の再北端にあるGSで給油しようときめて、福島第二原発を過ぎていくとそのスタンドになる。

ナビを見るとちょうどそのスタンドで左折とある。そこで左折しスタンドへ入ろうとすると人影がない。あれ、休みかとおもったが、すでに右折していて中の様子をさらに見ようとしたら、バイクが急に押し戻されて何歩か両足でバランスをとったが、結局弾き飛ばされて、本人は尻もちをついてバイクの後方の車道部に。バイクは右に倒れ、アスファルトとスタンドのコンクリートの間の砂利層部分に横出しになっていた。

それで初めてコンクリートの黄色と同じ黄と黒のまだら模様のロープに押し戻されてバランスをうしない、転倒したとわかった。
雨降りで水滴が直前にびっしりついて、スタンドが無人らしいとわかり中を見ようと視線が奥に行って直前の同系統の色の横ロープの存在に全く気付かなかった。
このGS、現在はシェル石油で、富岡はみたところすべてシェルとなっているが、入手したゼンリン地図が2010年版のため、旧い表示となっているのだろう。

あたりは6号を通過する車両はあったが、直交道路には一台も車両がなく、人ひとりいない。困った。起こそうと思ったら、ハーレーの起こし方というコラムがハーレー本に載っていたのを思い出し、さっそく試すことに。

それには女性でも必ず起こせますと出ていた。右に倒れたハーレーのシートの座席部分を背中にし、両足を延ばすようにすると、重心の低いハーレーは素直に起きるとあった。

嘘だろうーと当時は思ったが、試さない手はない。やると意外に簡単に起きることがわかり、安心した。すると急に緊張が解け、次は膝にかなり力をいれないとだめだとわかった。幸いギア側が上を向いているので、まずローにして、後輪がずるずる滑るの防ぎ左手で前輪のブレーキをかけ、息を何回も深呼吸し、全身の力で起こそうとするとちゃんと起きる。ただ、今度は反対側へころびそうなので、途中で姿勢を変え、足を組み替えたり必死の動作をしてバイクに正対するようになるまでかなり時間がかかったが、やっと起きてスタンドをかけたときの喜びは、国産車にはない感動だった。

ガソリンは一滴も漏れない。ギアをNにもどし、セルを回すと何事もなかったように起動したのにも感動。そうか、ハーレーはこうなっているのか!!。うまく設計してあるなーと思った。ミラーには何の問題もなく、右ブレーキレバーの先端がすこしまがっただけだった。
その時の証拠写真はないが、6号を北に1キロも行くと警察にとめられてしまうし、国道だから必ずスタンドはあるはずと南下ルートを選択。

楢葉町もすべてのスタンドが閉まっていたが、広野町を何キロか進むと前方にガソリンとという文字が目に入る。何度も眼をこすったが、間違いない。セルフのスタンドだった。

ここで満タンにし、松村邸へむかう。2回目に通ったみちだが、氏の自宅のちょっと前で右折する目立たないルートが正道だった。

とにかく雨に濡れて体が冷え、トイレも近い。案内通り180度左ターンして杉林の舗装路を降りていくと左側の杉林の急斜面から家へ水を通すゴムホースが3本母屋のほうへ伸びているのをみて、やはりここだ!と直感した。それで牧場も見たいと坂を降り切ったら牧場が見える位置に来た。




これが転倒後の右レバー。別の角度から。
この角度から見ると右レバーが寸足らずに見える分だけ先端が右前方にまがっていたが、実用上は全く違和感はなかった。

このアングルの前方がよく引用動画にある松村邸。
帰りがけに松村さんは横倒しになったんじゃ、どこか傷つくべ!?といって見渡したが、レバーの変形意外にないとわかると、しばし絶句されていた。

この時の腰、膝の筋肉痛はほぼ1週間で治った。1週間後には横浜のミニシアター、ジャック&ベッティで、29日からAlone in Fukushima
(直登ひとりっきり)という映画が上映されている。





初日とあって、監督と主演俳優として舞台挨拶。このときすでに都内でAP通信社とのミーティングが決まっていた。

事前に、松ちゃんはお決まりの建設作業員スタイルで現れるぞ、何しろフランスへも新調したあのスタイルで行ったんだから、と言われていたがその通りのスタイルであった。

ただ、映画の中で、震災後の内幸町の東電本社などへの抗議活動中知り合ったボランティアの女性と知り合い結婚、現在はお孫さんも都内にその女性といるということも、一種の驚きであった。支援者の女性の、度々松村邸へ出入りしているという富岡在住の女性もそんなことまでは全然知らなかったが、ただ、この一月お母さんが亡くなった際に、同居のおじいさんが、死ぬ前に孫の顔がみられたんだから、という言葉を覚えていて、それでその謎が解けたと話してくれた。


松村氏の活動は、がんばる福島の事務局の金子健司氏が富岡から神奈川に避難後、毎週2~3回富岡に通い、記録し発表されている。

http://blog.goo.ne.jp/tokigootokiboo


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