IE7をインストールしてみて最初は、ずいぶんいいと思ったが、また気がかわり削除した。
理由は、ちょっとはっきり言えないが、ある種の不都合が存在する気配を感じたためだ。
sho様にも薦めてしまったが、まだ導入していなければ幸いだ。Windows雑誌をみると、最近のフリーソフト
の氾濫ともいえる興隆ぶりにはやはり驚かされる。
Windows上で動く流出マックOSXのインストールというのも、昨年に続いて最近の号にも出ていた。裏ヤバ系のあの手この手に関する記事はあきらかにマックより上というかすごい。しかし、正式サポートでないものを一般向けにはすすめられない。あくまでこういう可能性というか選択肢もあると受け止めることしにして、ちょっと初歩を覗いただけで中断というよりあきらめた。
雑誌の読者欄には、最後のほうに面白い投稿と編集部の回答とがあった。Vistaを導入した一読者が、編集部各自のみなさんは、自分専用のVista機を持っていますか、必ず答えてください、というもの。それに対して
いえいえ、いまだに98SEですが、何か(問題がありますか)?というもの。とてもVistaにあうようなスペックのマシンなど置いてない、ということらしい。
これを読んで、思わず笑ってしまった。そういえば、世田谷の外車二輪販売店でも、従業員さんの通勤バイクが、以前私も乗っていたSuzukiの2サイクル250の20年ものぐらいのが、小奇麗にして裏にひっそり止めてあったこととダブった。
ラジオでは朝から行楽地の渋滞情報を流している。また、埼玉県知事の自衛隊に関する不適切発言を今日は
謝罪して朝霞の観閲式では、釈明していたというニュースも流れた。いろいろ仕事の下準備とパソコンの
「お勉強」で、結局今日はツーリングに行かずじまいだった。
ブログの写真を選定している最中だったので、今日はこんな画像を選んでしまった。県知事発言で考えさせられるのは、撃墜王としてしられる坂井三郎氏が、戦後すべて焼けといわれた日記や関係書類を保存しており、GHQから召喚状が届いたとき、まあ、戦犯とされてもやむを得ないとして出頭し、事情聴取を受けたあと、肩を叩かれ、君の12月9日の撃墜がわが軍の爆撃機撃墜の第一号だ、と相手は悔しいが称賛されたということだった。
ゼロ戦の性能を知らない米軍爆撃隊は戦闘機の護衛なしに日本軍の南方基地を爆撃してゆうゆうと帰るとき、坂井機などに追いかけられ、米軍基地まで帰りつくものの、被弾のため機長は戦死。他の搭乗員はパラシュートで脱出してしまっていたらしい。当時、米軍はあわてふためき、近くに日本の空母がいるはずだと3日も索敵活動を実施したらしい。
その坂井氏は、ゼロ戦の標準装備の20ミリ機関砲はほとんど使わないで、あれだけの戦果をあげたのだという。その体験をsamuraiという本で世に問うたわけだが、海外でミリオンセラーになったし、国内でも大空のサムライでベストセラーになり、いまだに売り上げを伸ばしている。開戦当初、日米のGNP比から勝つためには一人あたり敵機を16〜17機を撃墜しなければと決意したという。まさに「殺人」の決意ではある。
最近出た、栗林大将(戦死前に大将に昇進済みだった)の研究本(小室直樹著)では、硫黄島が米軍の手に落ちて、本土爆撃のB29が損傷しても硫黄島に不時着できるようになり、搭乗員8000名ほどの命が助かったという。また、小室氏はゼロ戦に20ミリ機関砲があったから、としているが、B29の戦争末期での撃墜数は驚くなかれ約1000機だというから、本当に驚いてしまった。因にある人に話したら、せいぜい数機程度では、とまったくケタ違いの数字をあげた。
一機670万ほど(当時)したB29がこんなに撃墜されては、と米国は恐慌を来したという。この1000倍の金額が、ほぼ原爆開発費用の約半分にあたる。
坂井氏の言葉を借りれば、20ミリ機関砲は弾が重いせいか初速が遅く、銃身からアイスキャンデーが飛び出して行くようにみえる、と書かれている。戦争初期にはあまり重宝がられなかった20ミリ機関砲は、末期になって「成果」をあげたともいえる。坂井氏によれば、陸軍は隼こそゼロ戦におとったらしいが、疾風とか飛燕とか次々に新モデルを出し、優れた機体が多かった、とほめる。が、海軍の紫電改などはあれはだめだ、水上機のフロートを取っただけで、二流メーカーの機体だった、などとたぶん「本当」のことを言って
しまう。
そのせいか、防衛庁戦史にも、坂井三郎の活躍も名前も出てこないらしい。東大の航空学科の教授が指摘していた。オフィサーからみた戦史であるからやむをえないことかもしれない。
だから、坂井氏の葬儀には、国内の参列はあまり多くなかったらしいが、米軍関係者たちは大挙して参列したらしい。しかも、奥さんを米国に招き、航空慰霊までしてくれたそうだ。編隊飛行の後、うち一機が煙を
吹きながら、垂直上昇して行き、視界から消えるまで飛び続けあたかも魂が天に召されるかのような演出だったという。夫人は涙が止まらなかった、という。因に、次女は米国に嫁ぎ、男のお孫さんがいる。
さらに、最初に撃墜された爆撃機の機長を、ルーズベルトは叙勲し、もし、息子が士官学校を受けることになったら、試験に関わらず入学を許可するよう、書類にサインしたらしい。しかし、息子さんは立派な成績で入学を果たした、という。
さらに、おもしろいことに、アメリカではもし水戸黄門などの番組がテレビで流れれば、親は間違いなく子供に見せない番組だと指摘。礼状もなく他人の屋敷にあばれこみ、何人も殺すなり傷つけて、頃合いをみてもういいでしょう、などということは許される事ではない、ということだ。
土曜日, 4月 07, 2007
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2 件のコメント:
こんばんは♪
今日はツーリングに行かれなかったんですね。
当方はカミサンの了解を得て、奥多摩まで足を伸ばしました。久しぶりにオリンパスのデジカメで撮ってみましたが、Natureさんから見られてどのように思われますでしょうか?
IE7は、まだ導入前でした。その気になっていたのですが、ストップすることにします。そういう情報もありがたく頂戴しています^^
こんばんわ、なんかおひさしぶりというかんじです。ありがとうございます。
アップが遅かったので、8時過ぎからときどき
覗いていたのですが、諦めかかったとき、ようやく拝見できました。緑関係というか、オリパスは順光だといい色を出すことがおおいですよね。オリンパスを携行するときは、腰につけるきびだんご入れみたいなグッズがいるかもしれませんね。
明日も楽しめるよう、期待しております。私の記憶では、奥多摩はなぜか寂しい記憶が伊豆にくらべて多い気はしていますが、栃木の山に親しんだせいかもしれません。
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