水曜日, 6月 20, 2007



「商売がら、英文法と名のつく本にはざっと目を通すように心がけている。1995年に出版された英文法の本で相当評判になったものがある。例によって、ざっと目を通したら、どきっ、どきっとするところが何箇所もある。大変面白い書きぶりで、著者の才気がなみなみではないことを示しているし、また英語の用法にもよく通じていることもわかる。しかし、この著者の学歴は存じ上げないが、英語を学問としてやったことがないことは確かである。たとえば、次のような記述がある。」

渡部教授のこういう書き出しで始まる「英文法を撫でる」という文庫本を読み出したとき、あれ、これはもしかして、「あの人」の著作のことではないか!?とすぐ思った。渡部教授のこの本は、1996年12月5日の初版本。その本は、1995年8月に出たのだが、私が買ったのはやはり1996年6月の12刷版だとわかった。




当時、ちょっと英文で発表予定の講演集に載せる仕事もあり、発表自体も英語で40分ほどしたのだが、記録には残らない。記録はやはり文章で残るので、自分なりに、どう見ても「ジャパニーズ」と思われる英文にはしたくないと思っていた。

マックを愛用しているのも、英語環境に親しむ意味も込めての選択だった、ともいえる。しかも、運良くハードカバーの本としてオランダから出る部類に入れてもらえた。通常なら、講演要旨集という、その他大勢の部類だ。手弁当でがんばるしかない。


それで、心当たりの本を半年ほど前の記憶をたぐり寄せながら、本棚を探したら難なく見つかり、内容の上からも一致した。副島隆彦氏の「英文法の謎を解く」となっている。私なら英文法の謎アラカルトぐらいで、すますつもりだが、さすがに早稲田の御出身、ちょっと大きく出たタイトルだと、思った。今は偏見はないが、当時は自分の狭い体験から、早稲田出身は、ちょっとカラーがはっきりしすぎる傾向がある、と思って見ていた。

学歴は、裏表紙に書いてあるじゃないか、と当時は考えていたが、世間一般では、〜大学〜学部卒で済まされる経歴も、卒業後、どういう仕事や勉強をしたかも学歴にはいる、と今は考えている。銀行員生活、海外勤務を経て、「現在」代々木ゼミナール講師、としか書いてないので、渡部教授は、学歴は存じ上げないが、と書かれたのであろう。今は、明治や大正時代ならともかく、学部を出ただけで、何の分野にしろ本を書いて出版できる、などという時代ではない。仕事の合間に、あるいは院で、相当本を読み、「教師」役の先輩や同僚たちとの切磋琢磨の過程で、訓練をつまないと、本は書けないだろう。

梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」1969年にもその辺の事情は当時から書かれている。ちなみに、先生もかなりのMac派だった。そんなわけで、著者の副島隆彦氏とはこのとき、初めて知ったわけだ。ざらに、「続・英文法の謎を解く」1997年4月が出たのでもちろん買った。渡部教授の指摘に対する反応にも興味があった。





副島氏は、この三巻目の後書きで、多くの読者(英語教育にかかわる方々がメインだったらしい)に感謝をのべていて、今自分は「アメリカ政治思想研究と国家戦略研究」のほうがいそがしく、日本人をここまで世界から孤立させてしまった諸元凶を探索し、病原菌を発見することに熱中している旨書かれていて、大いに期待するところだった。



それ以降、しばらく副島氏のことは忘れていたが、ネットで「植草事件」を官製捏造事件と指摘しているのをみて、また勉強や研究の結果が知りたくなって来ている。

http://www.amazon.co.jp/植草事件の真実-植草一秀事件を検証する会/dp/4931569161


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