土曜日, 6月 30, 2007



ウィンドウズ95が発売された直後、CDを媒体とするソフトが発売された。その中に、タイム誌の数年分を納めたものがあり、ウィンドウズ版、Mac版ともに発売された。それで当然、Macしか持っていなかったし、CDROMを搭載したパソコンはMacが最初だったし、Mac版を購入した。いくら薄いタイム誌といっても、何年分もとなると場所をとるし、検索も大変だがすべてパソコンに入ってしまうとかなり便利。その後1995年版も購入したが、その後はシリーズが終了してしまった。月日のたつのは速いものであれから10年以上経過してしまった。その中で、個々の記事とは別に1920年代、1930年代と10年を単位として時代の概括を書いた部分があり、いくつかの単語を記入するだけでその単語を含む記事へと、タイム誌の記事同様にアクセスできるようになっていた。



当時から、南京事件には関心をもっていたし、南京事件は、起こったとされる当時はほとんど問題にならなかったが、戦後アメリカによる東京裁判で問題となり、以後さんざん喧伝され、自虐史観の中心テーマとさえいえるほどの感があったので、どちらの言い分がより現実に近いのか、タイム誌は当時どう伝えていたか
興味があった。高校以降、現代史は教科書では教えられておらず、マスコミがあちらこちらでそれぞれの立場から伝えているだけだった。ある、あった派の教授などは、一人でも虐殺は虐殺であり、数えようによってはいくらでも数は膨らむものだ、と数十万人説をその著作で書いておられた。また渡部教授などは、なかった派に近く、もちろんどのくらいという数については述べておられないが、私の考えでは1万数千程度の戦争による中国側死者数はやむをえない数だろう、とは思っていた。当時から、渡部教授は、日本から林芙美子はじめ多くの作家が詰めかけて記事を書いており、米国や中国のいう20万〜30万という数字は全くのでたらめとは思っていた。

渡部教授のもとの中国人留学生に糾したら、相手は、あれはたくさんという意味以上のものではない、との答えだったという。白髪三千丈と同類らしいとも。



それで、戦後になって騒がれ出した南京事件、当時の記述がどうだったか、覗いてみることに。グローバルサーチから、日本、中国、南京の三項目を指定し、どれも引用している記事はたった9本しかみつからなかった。その中で、1930年代の日中関係を述べている記事をみると、南京事件の前後の記述が日付入りで記録されている。

南京事件が起こったとされる昭和12年12月の記事はなく、昭和12年9月と昭和13年2月しかない。昭和13年正月には事件は収まっていたはずなので、2月の記事をみると、書名入りで、犠牲者数は2万とはっきり推定して書いてある。基本的に渡部教授と同じオーダーの記事だと思った。それ以降、だいぶ数字の信憑性の議論は続いたが、私のイメージはぶれなかった。抵抗する捕虜を数千人処刑したことはあったとしても、無抵抗の市民を多数虐殺などあるはずはない、というごく当たり前の常識をもつにいたった。

雑誌WILLでも、スーパーの店員と名乗る民間研究家が、あった派が優勢だったが、最近はなかった派が主流になっていると書かれていた。特に学者と自他ともに認める人は、一度自説を活字にしてしまうと、なかなかあれは当時は本気でそう思った数字だが、今は本気でこれくらいとは言えない苦しい胸の内を想像したりした。もともと20万人説は、敗戦まじかに急に米国が耳楽音(ラジオ)放送で宣伝をはじめて、東京裁判でも中国のいう30万人は証拠不採用となり、米国が当初から主張した20万人で裁判は終わったらしい。

渡部教授は、原爆の犠牲者数への免罪符として米国が10倍ほど水増しして発表したのではないかと、している。だとすれば、投下前から、投下後の処理を画策していた、まあ、日露戦争後二年目から画策はしていたのだから当然なのだが、・・・。




"(February 14, 1938)

With Japanese last week still forbidding foreign correspondents to go to captured Nanking, the Chicago Daily News received last week one of the best eyewitness accounts thus far of the "Nanking atrocities" from its Far East Ace Reporter A.T. Steele.

"I have seen jackrabbit drives in the West, in which a cordon of hunters closes in on the helpless rabbits and drives them into a pen, where they are clubbed or shot. The spectacle at Nanking after the Japanese captured the city was very much the same, with human beings as the victims...

"The Japanese were bent on butchery. They were not to be content until they had slaughtered every soldier or official they could lay hands on...One Japanese soldier stood over the growing pile of corpses with a rifle pouring bullets into any of the bodies which showed movement.

"This may be war to the Japanese, but it looked like murder to me." Best estimates are that the Japanese executed 20,000 at Nanking, slew 114,000 Chinese soldiers in the Shanghai-Nanking phase of the war, lost 11,200 Japanese in this phase. "

週間新調の7月5日号の広告「朝日が黙殺するしかなかった「南京虐殺否定会見」を見て、この号はぜひ見たいと思った。いつもはコンビニで買うのだが、きょうは本屋さんで山積みになっていたので、内容を確認して買った。

最近でも、「中学生にもわかる慰安婦・南京問題」(株式会社オークラ出版、西村幸佑責任編集)で、後半の南京事件を見ると、「南京大虐殺の殺人は27件だった」とか「アメリカで刊行された『虐殺否定本』を読む」なども出ており、私の基本認識に動揺はなかった。

ラーベ、ベイツ、ティンパーリetc「南京情報戦に加担した西欧人」などというくだりも。

それで、肝心の週間新潮によれば、当時朝日の記者が取材班が80名もの数で出入りし、電信柱が1.2本たおれても気がつくレベルの取材精度を維持していた、とある。それらの記事からは、虐殺を伺わせる不穏な内容は皆無なのだが、戦後GHQに抗議して発行停止処分を受けたか受けそうになっていらい、洗脳教育にまい進したのが、当の朝日だということらしい。ここまで、大局の判断が示されても、頑として認めないのは、どこかの党と同じ。一時、作家の阿川氏は、朝日新聞が購読を薦めにきたら、うちはアカハタは取らない主義だと言って断ってみたい、と書いておられた。かなり昔の話である。

2 件のコメント:

sho さんのコメント...

こんばんは~。

今日から妻の母が遊びに来ています。福岡から空路でやって来るということで、今朝、羽田空港まで車で迎えに行ってきました。

やはり四輪は時間がかかりますね~。
バイクがすり抜けていくのを羨ましく思いながら渋滞を我慢して走りました。

息子は、定期テストも終わり、おばあちゃんが来てくれて大喜びです。夏休み前のささやかなご褒美といったところです。

・・・ということで今週末はなかなかツーリングにはありつけそうにないです(^^;
まぁ、こんなときぐらい家族サービスを頑張らないといけませんね♪

nature さんのコメント...

こんばんわ、コメントありがとうございます。しばらくぶりでしたね。

明日もなんとか雨が降りそうもなく、ひょっとしたら今日あたりからレポートがあるかと思っていましたが、・・・。福岡も渇水気味とかで少し心配ですね。

私も明日は迷っております。少しまとまって本を読もうとも思ったり、涼しい中を遠出しようかとも、しかし、どこへ!?。

先日の会社のコピー機の故障は、内蔵HDの故障でした。丸3年ほどで逝ってしまいました。

最近の話題は重いので、早く終わりたいと思いますが、今しばらくは続くかと、おもっています。

テレビで逃走犯人の行方を追っていますが、
生きているなら捕まってほしいです。超能力でもなんでもいいから、という思いです。私は死亡していると踏んでいたのですが、・・・。