土曜日, 6月 23, 2007

『アメリカの新国家戦略が日本を襲う』日高義樹、徳間書店。6月30日発行となっている。

アメリカは実質的にアメリカ軍を日本列島から撤退させているが、日本にある米軍基地の土地や
施設を返すつもりは全く無い。

アメリカの当局者たちがそういった頑固な態度をとり続けているのは、アメリカ軍が1945年8月15日の終戦以来、日本を防衛するために駐留するためという建前のもと、実質的には占領を続けてきた結果である。

日米安保条約は日本の人々の常識とは全く異なり、日本独立のあともアメリカ軍が占領を続けるための条約だった。こう決めつけると異論のある人もいるだろうが、国際的な常識から見ても、軍事力を放棄した国家は独立国家とはいえない。

アメリカは日本が独立する前に憲法を作って日本に受け入れさせた(明確な国際法違反、小室直樹)。
その憲法は安保条約を前提としたもので、日本に自らの軍事力を放棄させるものだった。



この日米安保条約を日本の多くの人々は歓迎した。

(だが、一説には、サンフランシスコ講和条約のとき、
アメリカは慾を出し吉田茂一人を引っ張り出して日米安保条約を結んでしまう。これは一方的に日本国内に何も知らされないまま、結ばれてしまった。吉田茂は後々問題になることは解っていたので、一人でサインしてきた。うわさでは、憲兵に両腕を掴まれて運ばれ、銃剣を突きつけてサインさせられた、という話しまである。実態を象徴する「うわさ」であるが、政治評論家森田実氏は、吉田茂は総辞職すべきだったが、アメリカの要求を呑んでしまったという。)



過酷な戦争を体験した日本の人々には、軍隊を持たない「平和憲法」を持てば、二度と戦争をしなくてもすむという思いが強かったのである。したがってアメリカが無理やり日本を占領し続けたというにはあたらないかもしれない。(個人的には、明治の開国のときから、無理やりアメリカの思いどおりに行動させられてきた、というしかないと思っているが、・・・)

だが当時の事情を関係者に詳しく聞くと、まったくちがった構図が浮かび上がってくる。憲法改正の規定を著しく困難にするとともに、物理的にも日本政府と国会を監視し憲法を変えさせないように努力したのである。「日本が独立した後も国会に係官を置いて、国会が憲法を改正しないかどうか監視を続けた」と元アメリカ占領軍将校が、日高義樹氏のテレビ番組で証言した、という。




(アメリカ大使館は、日本の政治家のスキャンダル探しをしていて、細川首相当時、佐川の裏献金問題をあぶりだされて退陣に追い込んだのも、金丸信氏が失脚したのも、日本をコントロールするための方策の一環だという。ちなみに、安倍首相は、訪米しても「国賓待遇」を適用しないと、かなり前からアメリカから伝えられていた、ともいう。その理由を、よく考えて欲しい)。

アメリカの占領後政策の基本は、日米安保条約を背景にアメリカ軍が日本に駐留しつづけること、平和憲法によって日本人が軍事力を拡大しないようにすることだった。(小室直樹氏は、硫黄島の戦いぶりと、原爆の惨禍は、不幸なことだったが、戦後の大幸運を生み出す原動力ともなった、と栗林大将の戦いを研究して結論づけた。フルブライト留学生の一人であることを忘れないで欲しい。)



1951年に成立した日米安保条約には二度大きな変革が加えられている。最初は1960年に岸首相(当時)が行った。これによって無期限に続くと考えられた日米安保条約は、日本側が破棄すると決めれば破棄できることになった。(安倍首相が岸元首相の孫であり、政治思想の根幹をみれば、国賓待遇された、お客さんの歴代首相とは異なるとアメリカ側は十分承知していることかもしれない。)

しかし、アメリカ側は、破棄を申し出るような政権が日本にできるのを阻止するためあらゆる影響力を行使した。その結果日本の政党、とくに自民党は、アメリカの指導と協力をうけて日米安保条約を維持するための一大勢力となったのである。つまり、日本はみずから望んで被占領状態を続け、アメリカは軍事力で日本の安全を守るという形ができ上がった。だが、これも国際社会の常識と歴史から考えれば、全く別の解釈が成り立つ。

日米安保条約は、日本の安全のためというわけではなく、アメリカが占領している地域の安定を確保するためである、と日高元特派員は指摘する。(ハドソン研究所首席研究員)

「アメリカがただで日本を守っている」というのは間違いであり、アメリカは自らの占領地を自らの力で守っているのである。」

安保条約はどのような形でアメリカ軍が日本を守るかは一切決めていない。アメリカが占領を続けるためのもので、他のことは二義的であるのは明らか、と指摘。

二つ目の変革は、クリントン政権下で行われ、有事の際にアメリカ軍が日本の国土を自由に使っていい、と決めた。それまでの基本的な取り決めは、基地提供に限られていたが、それを道路や港、空港などの利用に押し広げ、占領軍としての行動を一挙に拡大した。アメリカは、日本が外国から攻められた場合は拘束されずに軍事行動を行うためであると発表した。(軍の行動は、警察とは異なり、禁じられていなければ、何をしてもよい、ということを忘れないで欲しい、目的のためには手段を選ぶのだが、その選び方はもっとも効率的な手段を選べる!)




これまで日本に恩恵を与えていたアメリカ軍といえども。国際情勢が変わり、アメリカの世界戦略が変わればアメリカ本土へ引き上げる。そうであれば、基地を日本に返せという動きが出てくるのが当然である。ところがそうした動きが起きている気配はない。

アメリカの力が後退し、アメリカが新しい国家戦略を打ち出したために、日本を保護することも、日本を助けることもしなくなった。その結果、ブッシュ大統領は日本の存在を忘れ、新しいリーダーである安倍首相にも特に注目しようとはしていない。

日本はすでにあらゆる面で成熟している。足りないのは国民の努力と自己犠牲の精神である。第二次大戦後の日本は歴史的に見ても国際的に見ても問題はなかった。国際社会から尊敬されるべきものがあった。だが、それはアメリカのらによって保護され、アメリカの指導を得て動いてきただけという重大な欠点がある、と指摘している。

いまこそ、日本は自らの手で、これまでやってきたのと同じことを行うだけの「力」を持たなければ成らない。そして国民はそのための犠牲をいとわない環境を作ることだと、序論的に述べている。

安保条約はなくなりつつあり、アメリカが疎遠になりはじめた、という前提でアメリカ戦略の大転換を見据え、対応すべき問題点を指摘している。

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