土曜日, 6月 16, 2007

敵撃摧(げきさい)と 舞い降る 舞い降る
まなじり高く つわものの
いずくか見ゆる おさな顔
ああ純白の 花負いて
ああ青雲に 花負いて
ああ 青雲に 花負いて

これが三番目の歌詞であるが、「敵撃摧(げきさい)と 舞い降る 舞い降る」のことばに、多少、抵抗感
を抱いたのである。「敵をやっつけろ」とか「勝ちたい」といった激しい戦闘意欲をあらわすような軍歌のことばを僕は嫌っていた。・・・三行目の「いずくか見ゆる おさな顔」というのはぼくのお気に入りであったが。

とP144〜145で書かれている(高木 東六著、「愛のラプソディー」)。

ちなみに、いぜん紹介した思い出の軍歌、http://www7.ocn.ne.jp/~gunka/
でも、メイン曲はこの曲で、橘かおるさんの独唱になる三番は、好きだ。昭和の軍歌をクリックすると、
海ゆかばになる。愛国の花の歌詞のそばに添えられている、当時の日本女子大学の、鉄かぶとを脇においての授業風景写真に見られる、女学生たちの顔つきが、好きで感銘をうける。

岡潔博士は、戦後顔つきがまるきり変わってしまった、と嘆いたが、戦後生まれのわたしにはピンと来ないが、ここでの写真はそのヒントになるかもしれないと、思っている。

「空の神兵」は、2番も好きで、こういう内容だったのか、と初めて知った。

世紀の花よ落下傘落下傘 その純白に赤き血を
捧げて悔いぬ奇襲隊 この青空も敵の空
この山川も敵の陣 この山川も敵の陣

さて、作曲は15分程度で終わったそうだ。

「その夜は空襲警報がよく鳴った。ぼくはピアノの前にそわって先ほど上山君が置いてい帰った『空の神兵』の作曲を始めた。全く苦しむことなく、頭の中のイメージをまとめあげただけである。そして、音符を
書き込む15分ぐらいの間にこの曲はできあがった。

でき上がったとき、ぼく自身もうれしかった。さっそく感動した気持ちを隣の部屋でつくろいものをしていた母に伝えに行った。・・・ぼくはいましがた作った『空の神兵』を母の前で歌って聞かせた。」とある。

「どうかねえ、お前、その歌ははやらないよ」と眼鏡をずらして目をしょぼつかせながら言い、また、縫い物に戻られたそうだ。


「自分のことで恐縮だが、『空の神兵』のレコードは、飛ぶように売れ、そしてあちらこちらで称賛を受けた。今でも出版されている音楽関係の本には、例えば、
『歌詞もよいが、クラシック派の作曲者高木東六の曲が素晴らしかったので大反響をよび、・・・美しさと拡張の高さでは、日本軍歌白眉であろう』とか、

『単純に見える歌詞の行間にひらめく歌意の高さを、みごとにキャッチし、それ以上に歌の理念を盛り上げ、引きずってゆくが如き清潔な高い律調、さすがは芸術派のすぐれた作曲家の優れた手腕と敬服できる曲である。まさしく、空に咲き開く白バラの大群の美しさ、勇壮さを、音に描いた名曲といえよう」とか書いて、評価してくださっている。」(ともに、「日本の流行歌史」社会思想社)


さらに團伊玖麿氏からもほめられたとか、NHKの人から聞いた話しとして、戦争のさなかにドイツが日本の国の状況を調べた報告書には、軍歌の中にある「空の神兵」はレベルが非常に高い、こんな素晴らしい曲を作る国だから、きっと国そのもののレベルも高いだろう、としてるとか。・・・

きりがないほど、思い出はつきないようだが、以下の思い出にも私は注目する。

「この曲のヒット中に高野山にある墓地で、夜中に幽霊が出るといううわさを聞いたことも忘れられない。深夜になると墓の周囲を白装束の何かがクルクルと回っていたそうだ。そこはちょうど、落下傘部隊の戦没者の墓であった。現場を目撃した人が何人もいて、場所と時刻はそれぞれの証言と一致していたという。」

http://yauti01.at.webry.info/200706/article_1.html

このブログには、昭和17年の情勢が簡単にスケッチされている。



ところで、高野山関連であるが、数年前硫黄島へ慰霊に出かけたグループ、高野山のお坊さんを連れて行くことになっていたが、身内の危篤で来られなくなって、しかたなく僧侶なしで出かけたところ、撮影者も、被撮影者も気付かなかったが、あとで現像したら、一枚にだけ大きな火の玉様の物体に包まれる写真が写っていたという。

撮影者は、硫黄島には特に関係のない一行の一人の主治医だったひとで、カメラが趣味。場所は、地下洞窟で、野戦病院として使われた場所を訪れて、そこを後に地上へ出るべく戻ってくるところを撮ったという。

そのお医者さんは、半年ほどその存在を伏せていたらしいが、その後特に異変も起きないので、一行の先頭を歩いていた人に明かして、公開してくれたという。見れば見るほど、人の顔に見えてくるものですね、と
コメントが添えてあったという。当事者は、幼年学校時代の教官もこの地で戦没していて、別に驚くことではないという。

かなり前だが,地方新聞にも自衛隊と米軍が硫黄島で共同訓練をしている内容と写真(米軍パイロットの食事風景)が掲載されたことがあった。自衛隊関係者の弁として、いまでも旧軍兵士の幽霊がでるそうです、霊感の強い隊員はよく見かけるようです、と取材記者へのコメントを冒頭に挙げていた。


墓参は、それ以後のことらしい。


Map

2 件のコメント:

sho さんのコメント...

こんばんは~。お久しぶりです。

ここのところ平日は帰りが遅く、ご無沙汰していました。

今日のブログはなかなか怖いお話ですね。戦争で亡くなった方の霊の話ですから、怪談というと失礼かもしれませんが、夏の夜には相応しいのかもしれません。

怖いといえば、「ザ・ネット」を拝見しましたが、あちらもなかなか怖い話ですね。
ネット社会は便利だけれども、一つ間違うと大きなトラブルになりますしね。

西暦2000年問題も思い出しました。あのときには、元旦も出勤してコンピュータと端末機が正常に動くかどうかテストしました。
最近もANAでシステム障害がありましたが、コンピュータへの依存度が高すぎてもいけないのかもしれませんが、いまさら手作業には戻れませんしね・・・。

nature さんのコメント...

コメントありがとうございます。気付くのが遅れて、順序が入れ替わってしまいました。

社保庁の漢字読み取りソフトっていうのも、こわいソフトらしいですね。結末が見通せるのに
平気で対策を怠っていた出鱈目ぶりには、あらためて、公務員制度の悪い点が、もろに発揮されたとしか、言い様がないですね。

事実は映画より奇なり、も真実のようで、
9.11テロも皆騙されているようですよ。

真珠湾しかり、後始末の裁判もしかり。大統領暗殺も・・・。2035年まで封印ですって。

拉致問題も、そうでしたしね。