金曜日, 1月 12, 2007


やっと、昔北海道へツーリングに出かけたときのバイクの車種判別ができる写真が出てきた。

隣の市にスズキの部品センターがあり、ボーリングなども請け負ってくれて重宝した。2サイクルだし、シリンダヘッドを外し、シリンダだけを2個新聞紙で包み鞄にいれて運んだ。もうボーリングはしない方針だったので、最大のオーバーサイズピストンが入るように頼んだ。

計算では251~252ccぐらいになったはずだった。大学時代CB72で頼んだときは、後で判明したのだが、シリンダーは2気筒でも一体型で、どちらか忘れたが、シリンダのボアアップが少し斜めに処理されて、後で分解したとき、ピストンのスカート部が半円部分だけすり減って厚みが半減していた。どうりで、下手な慣らしのせいもあったが、調子よく走っていても軽い焼き付きでエンストしたわけだ。

そんな心配をしていたが、今度はうまくいったようだった。ついでに、吸、排気ポートのバリ取りも出来る範囲でほどほどにやり、慣らしも適当にやった。シリンダヘッドのガスケットの厚みを調節して圧縮比をいじることは、この時代にはもうしなかった。モータロイは当然入れていた。モータロイの宣伝は、当時バイク雑誌の後半にはかならずといっていいほど載せてあった。

当時としては珍しく6速のミッションで、シフトタッチが気に入っていた。上野のバイク街で、昔、変なCB72を掴まされた店へ再び行って買ってきたもので、今度はまずまずの中古だろうと思っていた。タンクは自分で勝手に塗り替えた。庭が狭かったので、確か屋根に上がり、新聞紙をたくさん敷いて数度塗りをしたので、私のバイク狂ぶりがすぐ近所に広まったらしい。

パンク修理も、自分でやっていたが、最初は、修理してもはめ込むときにまた自分でチューブを傷つけ、一個の修理のはずが、穴数個の修理になったことがあった。いろいろな都合で乗れないときに、キック始動(それも左キック)でもいちおうバッテリー点火だったので、回路を
すこしいじり、ライト点灯モードでも、別スイッチをランプハウスにもうけ、ライトだけOFFにできるようにして、充電量を増やす工夫をしておいた。それで、冬に二月ほど乗らず完全に上がってしまったような状態でも何回かのキックで始動し、ちょっと走るとウィンカーなどもまともにつくようになった。

シリンダーは多分ボーリングしたときに発熱量が大きくなるだろうからと、ブラックの放熱促進塗料を塗ったためにそこだけ色が変わっているが、ヤマハのDX,RXなどの影響を受けたこともあると思う。

この写真ではまだ変わっていないが、リヤサスをGT380用に変えたら、だいぶよくなった。
最初東京を夕方出発し、宇都宮の後輩の下宿に一泊し、早朝4号線を北上し夜になって、フェリーに乗り込み、真夜中に出発、翌朝4時頃函館に降りて、一気に札幌まで走った。この両日の走行が後にも先にも一番よく走った記録だろう。

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