金曜日, 1月 19, 2007
北海道へツーリングに行ったときは、ミノルタの一眼レフだったが、フィルムを二重撮りするという最悪の失敗をフィルム2本ほどに起こしてしまい、記念になるスナップはほとんどない。
その後もミノルタを3〜4台愛用してきた。幸い、登山派はオリンパスのOM1もあったが、先輩が同じミノルタだった、二人とも。
ただ報道写真や、プロが愛用するカメラはニコン、キャノン、ペンタックスなどで、篠山紀信氏を除けばミノルタはマイナーだった。それでも、アマチュア向けにはROKKORレンズには一定の評価があったと思う。植物図鑑などにもたまにミノルタレンズが使われていると、うれしかったが、10年程前の海外旅行を機にメイン機の座をおり、キャノンのEOSとなった。なぜ、キャノンか?それは、ライカのレンズ群が、アダプターを介して利用できる唯一の一眼レフだったし、ミノルタ時代、いつもニコンよりキャノンを意識していたから。
家内と、競馬場にある事情があって招待券をいただき、貴賓席とやらで生ガキなどいただきながら、下をみていると報道関係はキャノンの望遠レンズが 大半だった。グラビア雑誌でも発色や画面の粒子状態などで、レンズがキャノンとわかる場合が多かったりもした。
いちど、ロバートキャパ展で、ライカによる写真展を見たが、ライカのレンズがそれほどすごいものとは今となっては思わない。ただ、ニコンが解像度重視だったのに対し、ライカやツアイスレンズなどは、コントラスト重視で、暗い諧調部分も忠実に表現するかのように解説されているのを見た記憶がある。
朝鮮戦争で、ニコンレンズの優秀さがアメリカで評価されたという。
しかし、昭和16年ごろ、戦闘機は零戦、潜水艦は伊号、写真機は観音、皆世界一と宣伝したそうだが、キャノンの前身が観音だった。
ミノルタは稔田あるいは実田だが、大正時代には日独カメラ商会とかいう名前でスタートし、宇宙で活躍した第一号カメラもミノルタ製と聞いたことがある。
そのせいかどうかミノルタとライカは提携関係もあり、ライツミノルタという結構なお値段もするカメラもあったし、ライカが一眼レフを出したとき、ボディ原形はミノルタXEだといわれたものだ。私も、XEの後、大金をだして、X1を買ったが、途中から、ボディだけ良くても写真はダメだと思い、SRTスーパーと言う、古い初期型の一眼レフに交換してしまった。いくらかの差額はでたが。
また、ちょっとまえのカメラ雑誌で、ライカ一眼レフ用のレンズ群をミノルタが供給し、コーティングをライカ本社で行っているので、といって、ミノルタ一眼レフレンズとライカ一眼レフレンズを同一被写体に向けて撮り比べた写真がのったが、当然、空の色などが微妙にちがうくらいしかわからなかった。
しかし、ライカは写真を考える道具なんだというプロのご意見も考慮し、デジカメは最初松下のLumixにした。レンズがライカだというので。しかし、これもコーティングだけライカの技術らしい。それも数年たち、sho様の投稿写真がキャノンのデジタルカメラだと聞き、2台目のデジカメは昨年暮れにようやくキャノンIXYになった。ただ、手ぶれ防止がまだついていなくて、未熟な腕前が、すぐ結果にでるので、腕を磨くにはいいかもしれない。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
sho様、いつもご感想やコメントをいただき、感謝しております。励みになります。
また、ツーリングレポートありがとうございました。切手の話もなにやら、身につまされますね。
そういえば、今日、永六輔氏が東京都のタクシーがおよそ5万台で、朝乗った、まさにその同じタクシーを夕方別の場所でまた拾ってしまったので、1/100000の確率でしかおこらない、とおしゃべりしてました。
軽いおしゃべりなのでどうでもいいかもしれませんが、この確率論、正しいといえるでしょうか?
sho様、いつもご感想やコメントをいただき、感謝しております。励みになります。
また、ツーリングレポートありがとうございました。切手の話もなにやら、身につまされますね。
そういえば、今日、永六輔氏が東京都のタクシーがおよそ5万台で、朝乗った、まさにその同じタクシーを夕方別の場所でまた拾ってしまったので、1/100000の確率でしかおこらない、とおしゃべりしてました。
軽いおしゃべりなのでどうでもいいかもしれませんが、この確率論、正しいといえるでしょうか?
コメントを投稿