水曜日, 1月 10, 2007
映画「アラビアのロレンス」
この映画は、出だしからバイクを磨くところから始まる。そして、ロレンスの事故死と盛大な葬儀・・・そこから彼のアラビアでの活躍が描かれ、最後に任務を終了し、軍用のオープンカーで砂漠から港に向かう途中、後から来た伝令のオートバイに抜かれてその行く末をじっとロレンスがみつめているところで終わる。まるで、帰国したら
バイクに乗るぞ、とこのとき決めたかのように描かれていると、思った。このシーンの伝令用オートバイはよくわからなかったが、単気筒の500ccかなと思っているが、ご存知の方はご教示ください。ステレオサウンドで実に排気音が効果的に使われていた、という印象だ。テレビで放送されたそのちょっと前、
トライアンフなどの排気音を納めたレコードが発売され、トラのサウンドに痺れたことがあるので、余計に印象に残ったような気がする。
いつだったか、だいぶ後で、ロレンスのバイク事故は、単なる事故死ではなく、謀略による間接的な暗殺だという記事を見た記憶がある。故ダイアナ妃の事故死でもいろいろ取り沙汰されたが、理由はロレンスが英国政府にとって、邪魔な存在と化したからだという。アラブ側にたって、アラブ独立を支援する形でアラブに肩入れしたロレンスからすれば、英国政府が列強と取引した内容は、アラブを裏切る結果となり、その事でロレンスに秘密を暴露されるのを恐れた結果だというような印象を受けた。
第一次大戦中、科学が進歩し、砂漠がかならずしも軍事的な防衛線として安心というわけではなくなり、フランスがシリアを要求する以上、スエズ運河は、今のパレスチナに緩衝地帯を設けない限り、安心というわけには行かなくなった事実があった。バルフォア宣言といわれる、パレスチナにシオニストの民俗的郷土としての緩衝地帯を置く約束をかわしてしまっていた。
戦後まもなく、まだ英国の占領軍もいた時代、都内某所の坂道で、英国の伝令バイクと米軍の伝令バイクが、自然と競争になり、英国のバイクが負けて転倒し、半ズボン姿の英国兵は足から血を流していた、という記述も読んだことがある。英国車は単気筒のBSAかなにか、米国車は言わずとしれたハーレー。いくらテクニックを駆使しても、無理だったのかどうかまではわからないが、ヨーロッパの軍用は、500ccぐらいのものが多いのでは。
モトグッチを買った頃、500のVツインの軍用モデルが何台も渋谷の代理店には置かれていた。NATO軍ご用達というふれこみだった。また、側車としては、ソ連製のドニエプルの中古が1台置いてあった。若いご夫婦が注文したが、いざ乗ってみると、車と違い寒くてしかもシャツの襟がホコリで汚れてたまらない、と返品されたとか。ファッションだけで選んだ御両人はもともとバイクに乗る資格はないというような感想を主人はぽろりとこぼしたような記憶がある。このドニエプルは、モスクワ近郊まで攻めたドイツのBMWをコピーしたもので、そのコピーがまた、中国で長江とかいって生産されたという記事は当時バイク雑誌で知っていた。
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1 件のコメント:
ご連絡ありがとうございます。
昨晩は、私もアラビアのロレンスの記事を8割方書いたところで、接続を中断され、理由はサーバのメンテのためとかいうことで、プレビュー画面から、編集画面へ復帰できなくなりました。
時間切れで、どこかへ消えてしまい、心配になり大脱走部分は翌朝、会社で削除、また、アップロードしていなかった別のブログも削除して、一日おいて書きましたが、調子はまるっきり当初とはちがった文章になってしまいました。申し訳ありません。
私の場合、急ブレーキで止まれたのですが、ぶつかるかもしれないとハンドルを左に切ったことがあだで、止まった瞬間右へ横倒し、完全に下敷きになり、足が挟まりうごけなくなり、前の車(右折場所を探してのろのろ運転)のドライバーさんとともに起こしました。ブーツから足が抜けたので、「脱出」だけは必至でやりましたが、冷却パイプごとOリング交換の損害がでました。泣き!
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