水曜日, 1月 17, 2007
何の計画もなく、とりあえず情報交換ということで始めたブログだが、毎日更新はやはりきつい。
手持ちの写真もそう多くはないし、話題だってどうしても限られてくるし、何処辺で止まってしまうかの興味で続けているような面もある。sho様も、メモを とったりする必要があるかもしれないようなことを心配されていたが、私とて、例外ではない。そのメモに書き込むこともない、そういうタイミングもある。つ くづく、連載マンガとか、毎日書いているプロの方のご苦労が偲ばれる。
昔のバイク仲間で、新田次郎氏宅まで原稿を取りに行ったという話を聞いた。かれこれ30年前の話。いまは、数学者でお茶の水大教授のご子息が、やはり「国 家の品格」を書かれて、230万部とかいうベストセラーだという。最近、どうも議員にしても医者にしても先生と呼ばれる職業で二代目、三代目が多く目に付 くようになったが、何らかのメリットはあるだろうが、やはり親の存在、知名度などの重圧に耐えて、頭角をあらわすのは、並たいていではないだろうと、新聞 記事などを読んでも感じさせられる。
新田次郎氏は気象庁の役人で、親戚には気象庁長官も勤められた、藤原博士もすでに先行しておられた。奥さんが、旧満州あたりから、乳飲み子と幼児2名を連れて一年かけて命からがら引上げられて
きた記録を、本にまとめたところ、時代背景も幸いしたのか、ベストセラーになった、という。ご主人があのくらいでベストセラーになるならと、二足のわらじを志して、文筆もはじめられた。仲間からは藤原てい夫と名乗ったらどうか、などと冷やかされた、という。
息子さんの正彦先生も、あとで、新田次郎氏が書いても書いても突っ返される日々が続いたことを明かしている。息子さんのアメリカ留学記が、賞をうけたことをことのほか喜ばれたという。
アメリカ留学記、イギリス留学記、などは皆私は面白く、失礼ながら、新田文学にはなじみがないのだが、引上げてきた家族が身近にいるせいもあってか、戦前 の家庭教育の雰囲気を知るわたしにとっては、藤原先生の著作はみな面白い。しかし、最初ほどインパクトはなくなってきたが、自分の年齢を考えると、私の感 受性が衰えたというのが、正確な評価かもしれない。
それで、すぐ少年の心に戻れるバイク生活、今日もまた楽しんでおり、若さ(ばかさ!?あるいは苦しさ!?)を少しでも長く維持しようと心がけている。これも何時まで続くことやら。
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1 件のコメント:
さっそくのコメント、ありがとうございます。なんだか、貴兄に余計な心理的ご負担をおかけしているみたいで、恐縮しております。
昨夜は雨の中で、予定された夜勤のため、参りました。九州での法事から帰った一名は、18℃の気候からいきなり関東の、雪がふるかもしれない天気に体が追いつかないと言っていました。
そのまんま東氏、当確かも、と前言を翻しておりました。また、その方の奥さん、いちど幽体離脱を経験され、今回の法事で、亡くなられたその方の母親の霊が来てあちこち、息子も含めて近親のまわりを歩き回っていて、その奥さんの耳には、僧侶の読経が、いつのまにか、亡くなった義母の声として耳に響いた、と話しておりました。
周りは、現地でもこちらでも半信半疑でしたが、・・・。こうした話題はできれば避けたい
という思いと、あえて取り上げたいという思いが交錯しており、ブログの中身が今後どうなるのか、自分でもよくわかりませんが、sho様のコメントが、1種の羅針盤にはなってくれているような気がしております。
つまらない内容で恐縮ですが、今後ともよろしくお願いもうしあげます。
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