水曜日, 5月 18, 2011
先週の土曜日、バイト氏と一緒に仕事に出たが、数カ所の現場を回る必要から軽ワゴンで出かけた。この軽ワゴンは、遠距離通勤して来る社員用だったのだが、最近250のバイク通勤を始めたので、彼が休む土曜日でも会社にあったのだ。
ラジオのチューンは彼の好みでFMになっていたが、かまわずそのままにしていたら、走り出してしばらくすると聞き覚えのある曲が流れていた。
ドミニック、ニック、ニック サンターレ tous サンプルモン
Routier pauvre エ シャンタン〜
‥ ‥ ‥
Il ne parle que du bon Dieu (イル ヌ パルル ク ドウ ボン ヂュー)
Il ne parle que du bon Dieu
この曲は何時頃からあったのか不明だったが、初めて聞いた時から好きな曲で、特にフランス語を学習し出した頃から心の片隅にあった。ただ、どのような曲で何を歌っているのかまでは
分からずじまいであった。
それまではたいてい三番くらいまでしか聞いたことがない感じだったが、この時は延々と歌い継がれ8番までちゃんと放送してくれたし、FMゆえにステレオ放送で、フランス語の響きの彩まではっきりと堪能できた。
隣のバイト氏も、フランスを始め、海外経験は比較的豊富なので、フランス旅行の思い出やアフリカの旧フランス植民地に行った時は、日本語ーフランス語の通訳が月給80万円(もちろん、公文書の作成までタッチする)などと異文化体験を語っていた。ただ、私も含め彼もドミニックというのは女の子の名前とばかり思っていた。
最近、iPhoneで耳からの英語に慣れて来たせいか、フランス語の発音もそれなりによく聞き取れる面があるようで、もともと嫌いではないフランス語の音韻の美しさにすっかり打ちのめされてしまって、よ〜し、歌詞まで調べてやるぞ、と心に深く思った。
帰って調べたら、取りあえず歌詞が出ているブログが一つ見つかった。
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/tell_me1.htm
これでだいたいの背景を知る事ができた。
『♪どみにーくにっくにくわもぼんもんぱれ……どこかで聴いたとことのあるフレーズがアップテンポのリズムに乗って、合唱曲というより少し変わったポップスという感じ。なんだっけと思いつつ‥』などと似た体験からスタートされた方のようだ。
今日、仕事は半分で午後からは夕方の発注票を受領に行くだけとなり、庭のさくらんぼを採ったり、皆適当に時間つぶしなどしていたので、EvernoteにアップしてあったYoutubeサイトにiPhoneからアクセスし、イヤホンから曲を聴いていた。ビデオだと、目と耳とさらに、歌詞との見比べと、ラジオで聞くより数倍忙しい。上記のサイトでも、三曲紹介があるが、一つはアクセス不能で、実際は二曲のみ。だが、今はかなりの数のアップロードが出来ていてビックリした。
話しは少しややこしいが、歌っている人は女性で、元修道女。しかし、主人公ドミニックは、男性でも女性でも付けられる名前らしいが、歌われているのはドミニク会の修道士のことである。
『ペギー葉山版は、あらかはひろし氏の訳詞で、かなりオリジナルに近いようです。私が記憶している子供向けの「ドミニク」とまったく違う歌詞でちょっとこれは衝撃的でした。なんと、これ、13世紀のアルビジョワ十字軍と異端審問を時代背景に、修道士によるローマカトリックの布教活動を歌っています。』
などと、上記サイトで語っておられる。
異端尋問の果ては、たいてい火あぶりの刑だそうだ。江戸時代の隠れキリシタンなども、幕府に捉えられ、火あぶりに処せられたりした中から、ローマ教会から後に殉教者とされた例が少なくないが、ヨーロッパでは、火あぶりにされて殉教扱いなどには絶対になりっこない世界である。
『彼は神の教えだけを語る
彼は神の教えだけを語る
イギリスでは ジョン失地王のころ
我らの父ドミニクは アルビジョワ派と戦った
ある日 異端者が彼をイバラの道へと導いた
しかし 我らの父ドミニクは 喜びを通して彼を転向させた
ラクダもなく 馬車もなく みずからの足でヨーロッパを旅した
スカンジナビアもプロバンスも 清貧の中で
彼は情熱の火をともした すべての学校の女の子たちと男の子たちに
そして言葉を植え すぐれた修道士に育てた
ドミニクと彼の兄弟の家で 日々の糧が不足しはじめたとき
ふたりの天使が現れた 見事な黄金のパンをたずさえて
ドミニクは夢みた
世界中の大勢の修道士が聖母マリアの衣のもとに集うことを
ドミニク 我らのよき父よ
我らを質素で活力に満ちたまま 導きたまえ
我らの兄弟に 生命と真実を告げるために』
などと忠実な訳が付けられていてかなり理解には助かるが、意味が分かったからといって歌えるわけではない。やはり辞書を引いて、発音を確かめ何度も曲を聴いて、という過程が不可欠であろうが、歌っている方の人生を知ると、暗い気持ちにさせられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/スール・スーリール
『音楽活動を停止した後、10年来の親友アニ・ペシェル(Annie Pécher)と共にベルギーで自閉症児童のための学校を開いた。しかし1970年代後半(『American Top 40』の1978年7月22日の放送で報じられた)、ベルギー政府が彼女に対して5万米ドルの追徴課税をおこなうと発表した。これに対してジャンヌは、金は修道院に寄付したものであり課税の対象外となると主張したが、寄付だったことを示す領収書が存在しなかったため彼女の言い分は認められず、深刻な経済苦に見舞われることとなった。1982年には芸能界への復帰を図って失敗している。そして彼女はペシェルと共に睡眠薬と酒を過剰服用し、自殺し、2人は共同に埋葬された。』
となっているではないか!?。
これも一つの殉教と言えるであろう。人生には、まさかの坂がある、とは言い古された日本の諺だが、こんな結末になろうとはだれも予想しえなかっただろう。信仰への理想と旧教会制度への疑問、批判などの面からみると、彼女の現世を軽く見た挙げ句の金銭管理の隙が災いした、といえるかもしれないが、ベルギー政府の姿勢も外部からは簡単には批判しきれない。
しかし、権力装置は、暴力装置の一面を見せつけた事だけは確かなようである。
私が選んだビデオを2、3。
http://www.youtube.com/watch?v=0a0cvKMlAZw&feature=related
最初、声がだれかに似ているとおもったがこれは口パクで、歌っているのは、その人だという。
”They may be good-looking but they're a bit of a fraud since they're not actually singing. The song you hear is by the original singer。”
http://www.youtube.com/watch?v=B6uDTQX9Wuw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=9uJLAhZU95E&feature=related
The Singing Nun Dominique (disco version 1982)という副題がついている。
前のものより再生回数が多い。私もこれはいい、と思っている。
1982年というと、死のわずか3年前だ。 背景も好きだ。 おそらく完済はできなかったであろう。 自殺の事実も知らずに見た時は、晩年なのはわかるがそれにしても元気がなさそうに感じていたが、‥‥。各々とって、人生は戦いなんだと改めて思う。
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥
『最初の十字軍の攻撃は7月21日にベジェに対して行われ、翌日にベジェは陥落した。十字軍は約1万人の住民をアルビ派であるか否かにかかわらず無差別に殺戮した。殺された住民のうち、アルビ派は実際には約500人に過ぎなかったといわれる。この時、カトリックとアルビ派との区別を問われた教皇特使のアルノー・アモーリは「すべてを殺せ。神は己の者を知りたまう」と叫んだという。(Wikipedia「アルビジョア十字軍」より)』とある。
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