日曜日, 5月 08, 2011



昨日おがの町からの帰り、他人に惑星ニビルの危険性や最近の情報などを伝えた後だったが、バイクに揺られているうちに考えが一つの方向に動いて行った。話した相手は、孫の世話で忙しいからまともに相手にしていられないかも、としつつも聞いてくれた。感謝している。そして、今後もメールで情報を提供する約束をしてしまった。その後だけに、説得の論理性が必要だった。これは他人に対してだけでなく、自身にも言える。

まず、公転周期が一説に3600年、具体的には3657年とか出ている。そして接近が2012〜2013年と言われているから、逆算で紀元前1645年頃には前回の接近があった事になる。そんなに大昔ほどではなく、ちゃんと人類はつづいている。しかし全人口の10〜20%程度しか、今回の接近では生き残れない、などとも噂されたりもしている。

しかもシュメール人の記録からすると地中海地方での記録だとすると、東洋だではどうだったのだろうか、全世界的に何か痕跡が残っていないものか、と思った。

そこで、以前引用させて頂いた「地球が寒かったとき」という著作を思い出した。太陽黒点数の増減の記録から17世紀に、マウンダー極小期という太陽活動が低下した時期があったことを突き止めたNASAの研究者、エディ氏の論文だ。紀元前の黒点数の資料はたしか、中国の記録を参照していた筈だ。何か残っていないかと思った。

前回のニビルの接近は図からストーンヘンジ極大期あたりで、ピラミッド群はすでに出来ていた。もし、最近の予想ビデオにあるように、惑星に随伴するコメットの粒子のような火の玉が降り注ぐ(exposure to the elements within 6 months)などしたとしたら、ピラミッドやスフィンクスなどにも痕跡が残る筈だと思った。がそういう気配はなさそうに見える。

確かに粘土版に記録されたシュメール王は、紀元前2600年当時の治世あたりの筈で、記録に残すとしたらその前の接近の記憶だろう。
http://www.yamaguchi.net/archives/000802.html
には、ミッシングリンクについて解説しており、
『そして、その後の人類の進歩は飛躍的だという。紀元前2万7000年から1万1000年にかけて人類(ホモ・サピエンス)は減少を見せ、交代の一歩をたどった。ところが1万1000年頃になると急激に文化レベルの高い「人間」が復活し、農業を営むようになった。
 
 
 それから紀元前7500年頃には陶器、粘土を駆使した「新石器時代」がやってきた。ところが「新石器時代」の終わり頃、再び人類の後退の兆しを見せたが、紀元前3800頃、突然とメソポタミア地方に今までとは創造を絶するほど高度な文明が誕生した。人類最初の文明「シュメール文化」の登場である。
 
 
 人類は何故か3600年ごとに進化していった。そして、その「3600年」とは惑星ニビルの地球再接近を意味している。惑星ニビルが再接近する度にアヌンナキは地球に到来して、そのつどアヌンナキは会議を開き「人類」に文明を与えていたという。そして「人類(ホモ・サピエンス)」を創造した根源もアヌンナキであるとしている。』などとしている。

同様なことを書いてあるものはこれ。
http://miraihenomitisirube.blog42.fc2.com/blog-entry-15.html

実はニビルについては、Google検索で日本語でやったほうが、かなり多くヒットする気がする。
http://www.google.co.jp/#hl=ja&source=hp&biw=1540&bih=916&q=ニビル&oq=ニビル&aq=f&aqi=g6g-r4&aql=&gs_sm=e&gs_upl=2634l5769l0l7l7l0l0l0l1l235l1021l2.4.1&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&fp=45adb868b6f73950
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