水曜日, 2月 28, 2007



http://en.wikipedia.org/wiki/Zen_and_the_Art_of_Motorcycle_Maintenance

1976年に出た本で、日本訳名はわすれた。そうだ、たしか、「息子と私とオートバイ」ではなかったか。

今は、その題の本はなく、邦訳「禅とオートバイ修理技術・価値の探究」となっているようだ。

英語版しかもう手にはいらないかもしれない。



息子の名前はクリス、ホンダのバイクで息子を乗せて旅に出るようなところも書いてあった。今、英語版解説をみると、バイクはhttp://en.wikipedia.org/wiki/Honda_CB77で305ccらしいが、その当事は250だと思って読んでいた。

クリスは、23歳の誕生日の二週間前に強盗にあい、刺殺されてしまうらしいが、当事の本には書いてあったか記憶にない。

「これまで、理性は理性を欠く未開人の世界を避けたりし続けた。ソクラテス以前の時代から、理性を働かせて未知の秩序を知るために、感情や情熱を抑える必要があった。今、一度退けた情念を取り戻して、大自然をさらに深く知るべきである。情念や感情も自然の秩序の一部分である。中枢部分かもしれない。」

CB77で、3万キロ以上を走っていたことは記憶している。ハーレーの3万数千キロ走行車と出会い、彼もなかなかしたたかな、本物のモーターサイクリストだと感じるような記述が会ったように思う。CBで、130キロ以上で走り回ったような記憶も。

このバイクの登場が、英国車の衰退の始まりだととれるような記述も、上のバイク紹介欄には書かれている。たった、28.5PSなのにね。当事からSuperhawkという名前で売られたわけで、日本でHawk250、400が売り出されただいぶ前のことになる。




「心を形に表すものが優れた仕事で、心を殺すものが悪い仕事である」

心の平静さは【道】を感得するための前提条件だからだ。仕事を進めている間、美しさを知り、なぜ美しいかを理解し、美しさと一体になった内面的な落ち着きを得、心が仕事に洗われ、でき上がった仕事に美しさがにじみ出る。

熟練工に平静な心があるのは、仕事に没頭するからだとか、仕事が好きだからだと考える人がいるかもしれないが、仕事に没頭できるは、本当は、意識の最先端で、主体と客体のあいだに距離がないからである。

などと書かれている。

「修理しなければならない本当のオートバイは、自我(エゴ)というオートバイである。《今そこに》ある車体と、《今ここに》いる人間は二つの独立した存在ではない。両者が渾然と一体になって道をめざすのである。」

道元禅師の言葉にも、「仏道を習ふといふは、自己を習ふなり。自己を習ふといふは、自己を忘るるなり」
というのがあり、感心したが、これはさらに、自己を忘るるとは、万法に証せらるなりとか続く。

別の坊さんも、バイクを乗馬に例え、鞍上人なく、鞍下馬なくという人馬一体のことはりを強調されていた。

私は道とは未知であり、日本語は二本語だと捉えている。ちなみに、英語などの印欧語は一本語の世界であろうと想像している。なんでも一筋縄でくくろうとするが、日本人はたいていそんな無理はできっこないと、多寡をくくたところがありはしまいか。
しかし、西欧的哲学的思考とは、距離を置くことになる。

中江兆民が最初に、日本人には哲学がない、と初めて指摘した嚆矢だという話を最近哲学教授のエッセイで読んだ。哲学がないから、世界の不思議、明治維新がやすやすとできたが、一方で日本人を軽い存在としてしまう欠点もあるとか、・・・。

昔、親しんだ万葉集とかが最近よみたくなったがまず本屋さんでは見ない。

日本語では、漢字を取り入れて「しまった!」ので、眼で字を見ないと意味がすぐにはわからないことが多く、話し言葉での情報伝達能力が、極めてよわい。あちらでは、基本的に、耳で聞いたら字がよめないような文盲でも、日本のように困らないという。
だから、話し言葉で、ラジオ講演が、よどみなく高度の伝達が可能だということだ。

月曜日, 2月 26, 2007



本日も日曜出勤、何も給料日というわけではなく、同業他県エリア管内の仕事が、昨年から依頼されていて、何度も中止になりながら、突然復活、急ぎの納品のためである。納品物は宅急便で昼過ぎに発送したが、事前に内容をはやくチェックしたいということで、かなりの数のオフィス関連、キャド関連、PDFファイルなどを送信したが、パソコンの調子がとてもよくて、
あちらでは、ファイル名さえ不明で、DATファイルの羅列だという。


2、3日前も、別のところからDATファイル、何を送ったの!?という問い合わせが来たのでたぶんこちらに原因がりそう。しかし、後一週間もすればDELLの新品と交換予定なのだが、・・・。

ある人は、こういう時期にパソコンを交換するなんて、・・・と言ってくれたが、私は前から早く更新しないと・・・とSOSは出していたが。ためしに自宅のマックに送ってみると、目的ファイルのほかに、同名の正体不明のファイルが着いている。目的ファイルは開けたが、以前ではこういうことはかってなかった。





このブログ、そのパソコンで入力しているが、使用者には、時々エラーがらみで再起動する以外はあまり自覚はないが、もともと調子が悪くて回ってきたパソコンをだましだまし使っていたので、(もう一台予備機もあるが、ソーテック製で、使い勝手が良くない部分があるので、メイン機とするには、ちょっと。)

家で、マックとウィン、同一ルーターでインターネット接続しており、ウィンからマックへは問題なくファイルがとどく。しかし、マックからウィンへは、ファイル以外に、もうひとつサブファイルがついていく。不可視ファイルで、マック側で必要とするもので、ウィンには関係ない。今のこのパソコン、自宅へメールを送ると、マックへ送ったのに、マックから自宅のウィンに送ったような余計なファイルがつくようだ。

不思議なウィンドウズ2000SP3ではあるが、当初から問題があった。あえて製造メーカーは伏せるが、国産のAMDがCPUである。



納品準備は他の人が手伝ってくれたので、発送などはまかせ、ぶらりと秩父へ。しかし、昼間でも寒い。知り合いの事務所へ顔を出し、ひとしきり雑談。フェアレディーZに乗りませんか
といわれたが、あちらもこちらのバイクに試乗して見たい様子。それで、たちごけだけはしないでという注意を守ってもらう約束で、そこら辺を走ってもらった。

やはり、寒いらしく、思ったより早く帰ってきて、いやあ、素直なハンドリングにびっくりとしきりに言っていました。私には、重いのですが、こうあっさりいきなりいわれるとは。彼は
以前ホンダの500cc単気筒、XL500とかに長くのっていたらしいが、息子さんたちが年頃になり、処分してしまったらしく、それ以外にも若いとき、いろいろと乗り継いだらしい。今は
合気道道場に通っているとか。

知り合いに、BMWを買った人がいるらしいが、何度試乗を申し込んでも、うんとは言わない人が
いるらしい。ハーレーは試乗会に行かれたそうだ。

帰りは暗くなり、いっそう寒いので、高速に乗り途中、天ぷらうどんで体を温めたが、東京方面は渋滞で80キロ程度のながれで、けっこう時間がかかるように感じた。閉店直前のスタンドで満タンにして燃費をはじいたら、15.2キロであった。ツーリング2/3、通勤1/3ぐらいの割合だったので、ツーリングオンリーだと、15.5ぐらいは問題ないのかな~、それとも寒いせいで
おとなしく走ったからか、・・・。通勤(片道20キロ以下程度)だと、まだエンジンは温まりきれず、ツーリングに出て30~40キロ以上走行して暖めると、エンジンは生き生きしてくる。

いずれにしても、春はすぐそこ。とはいえ、今日は2.26事件がおきた日、当時東京市は雪景色
に覆われ、戒厳令がしかれた。新聞記者たちは、はじめて目立たないライカを使って、取材したという。プレス用カメラはいやでも目につきますからね。

土曜日, 2月 24, 2007



株式会社リンドバーグから、The Girl on a Motorcycle というタイトルのイギリス映画のDVDを購入した。アランドロン、マリアンヌ・フェイスフル主演、脇役はなんといってもハーレーの1967年型、FLHというバイク、私には主役にも思えるが。



そのバイク、ハンドル幅がかなり大きく、それで、ヒロインのような女性でも操縦可能なのだろうと思った。会社に泊まって、自炊にも飽きて、明け方吉野家へ行ったら、スタイルだけは似ている国産Vツインにであった。シャフトドライブだが、当時のFLHも、ハンドル幅といい、シートの低さといい、排気音を除けば、こんなシルエットだったかな、と思いをめぐらす。

スタントマンが操縦していたんだ、と噂されるが、事故りそうになり、トラックと対向車数台の間にはさまれて、後輪をロックさせ、何とか難を逃れるシーンの一部には彼女の操縦姿勢のダイナミックな動きが、リアルな正面からの、金髪を振り乱し、瞳孔を見開いてのパニックの際の表情は、実写だと思う。

その直前、メーターは80マイルから100マイルあたりを指す。しかし、後方の上空から、4輪群を抜き去っていくシーンの速度はせいぜい100キロ程度にも見えるのだが。いちど、
計算してみるのもおもしろいかもしれない。 メーター大写しのコマ送りをみると、走行トータルは755マイル、トリップ計では125マイル程度しか走行していない、文字通りの新車のようだった。慣らしが終わったばかりというあたり。


アラン・ドロンが彼女にバイク運転を教えるシーンで出てくるバイクは、ノートンだが、解説書では、アトラス750か650SSというモデルではないか、と黒川氏は推察している。ヘッドランプ上に着いているアンペアメーターは、当時英国車には皆ついていたような気がする。今では無用の小物かもしれないが、当時は高級感を醸す脇役だったように感じている。

sho様も、トライアンフの音を聞いて、・・・と書かれていたが、そばではうるさい二気筒ビッグツインの騒音、遠景での通常走行でのあの連続した排気音は、心地よいサウンドとなる。
ミッションの変速操作でのギヤのかみ合う音なども、爆音の途切れの合間に入り、踏み切り手前での減速シーンなどでも、独特の雰囲気を醸す。乗り手よりも聞き手にとって、心地よいサウンドの気がしてならない、ビッグツインは。


1200ccで60馬力と出ていたが、朝早く、近所を気にしてエンジンをかけ、最初に飛び込んだGSでは、スーパー満タンと店員に頼んでいる。ヨーロッパでは、ガソリンの質が高く、日本国内よりも最高速度が増す、などと昔読んだし、国産メーカーのヨーロッパ輸出モデルは、馬力なども10%ぐらい大き目の設計になっていることが多い。解説では当時すでに最高速度180キロ
程度と記されている。巡航速度は100~120キロ程度とまでも。とうじこれが達成できるバイクはハーレーとBMWぐらいしか、とあるがすぐ翌年あたりからCB750やマッハIIIがでてくるし、CB450なら、巡航130キロでも、おいしいゾーンであったはず。

Vツインエンジンは、考えてみると、クランク軸にコンロッドが二個同時について、異なる間隔でエンジンを爆発させるので、それを拡張すると、航空機の星型エンジンになるのでは、と思う。ゼロ戦の場合、1気筒2000ccで、7気筒が複列配置で、合計14気筒、それで1000馬力を3000回転ぐらいで出すのだから、すごい。よくこんなエンジンを昭和14年ごろ、国産で造ったものだと思う。

佐貫先生によれば、第一次大戦で航空機が登場したわけだが、およそ考えられる限りのエンジン形式が開発され、フランスでは、星型のエンジン自体が、回転するモデルも開発されたらしい。オイル消費が馬鹿にならず、主流にはならなかったらしいが、フランス式エスプリの一端を見る気がする、というようなことが書かれてあった。

フランス国境から、ドイツに入るあたりの景色は、いいなあと思う。ドイツに入ると、針葉樹の森が増えてくるようにも感じたが、今はどうなっているのだろう。右側通行は不慣れだが、かつてのドイツ語講座の小塩先生のように、4輪レンタカーでも借りて走行してみたい。

木曜日, 2月 22, 2007



少数派のマックは、昔から、いろいろとPC社会に受け入れられる努力もしてきた。Win95が出た後、それまでMSDOSコマンドを打ち込んでファイル操作などしていた
IBM系パソコンも、マックとほぼ同じウィンドウシステムとなり、一般社会にIBM系パソコンが受け入れらるようになると、マックも少しは肩身が狭くなる。自宅のマックで、会社の残業などちょっとしたい時ように、最初SoftWindowsとかいうエミュレーションソフトが登場し、2,3年したらVirtual PCというソフトにとって変わられた。これは、マックでLinuxなどもインストールでき、パワーPCマックが、そのまんまDOSマシンというか、インテルマシンであるかのように、インテル用ソフトをだます機能をもっていた。

もちろんソフト的にだますので、速度は1/4から1/5に低下してしまうが、それでも家の遅いマックでも、Win95がでた時くらいのそこそこにウィンが動き、感動した。

sho様も古いマシンに95か98をインストールする試みにチャレンジされていると聞いたが、こちらは、DOSなどしらないマックユーザーでもウィンドウズが比較的楽にインストールできるよう
工夫がこらされていた。


それで、数回の失敗の後、95をインストールし、後で、98にアップした。オフィス97ぐらいなら、問題なく実用になった。ウィンでしか読めないCDなども、マックで楽に読み込めた。このソフトは、マイクロソフト社に買収されてしまった。マックユーザは少ないので、ウィンドウズで古いウィンOSを動かせるところまで行った。私も、XP上で2000をまんま2000として動かして楽しんだ。メールなどもXPで読み、また2000でも読み込んだりできた。古いけど愛着があったり、それでしか動かないが使いたいソフトなどはこうして生き残れる。



一方、CPU能力が飛躍的に向上していき、ウィン上でマックをインストールできるソフトが登場したが、こちらはなんとフリー。最初、マックの場合のように、Fusionとかいうソフトだったが、今はBasiliskiiとかいう、また別のソフトで、完成度が高い。マックOSの8.1までなら問題なく動作し、一部にバグがあるといわれているが、有名ソフトはだいたい問題ないようだ。




ウィン用のバーチャルPCでは、ウイルスソフトがダブルで必要であり、あまりにも不合理。マックではいまだにアンチウイルスソフトは使用していないのに、ウィンではよく感染する。



東工大もマックになったが、ウィンではウイルス対策が煩雑、リナックスでは、さまざまなディストリビューションがありすぎ、ソフトの数ではウィンが勝るが、大学で必要とする
ソフトはマックでまにあうというので、選択された。東大を真似たわけではないが、同じ選択肢となった。

学生の反応は良好で、計算機室の利用頻度は格段に向上していると、ある教授は述べている。



nature誌に載る薬学系の広告もマックが多い。もっとも医薬系は昔からマックが広くうけいれられてきた分野だけれど。一冊だけ医薬系でもウィンが使える、という本を見たことがあるけど・・・。もうそんな本は不必要なほどウィンが幅をきかしている。

火曜日, 2月 20, 2007



たまに通るルートにある小さなバイク屋さんで、今日はおや?と思うバイクを見かけた。XJ900とサイドカバーに書いてあったので。そこで、取りあえず携帯で一枚。あまり画像がよくない。よくみるとシャフトドライブだ。

先日、同じ市内でXJ750を見かけた。あの系列が発展して900になり、それから現在の1200から1300に
なっていったのだなと思った。この900はナナハンの当時のままのスリムなスタイルで900なので、見るからに乗りやすそうだった。3気筒シャフトドライブに一年ほど乗った経験から、4気筒ナナハンのシャフト駆動がでたとき、これだ!と思ったものだった。

ヤマハ車は、佐貫先生がいた会社がヤマハだったりして、また始めて乗ったバイクがヤマハ125だったりして、また、中学生の時に見たヤマハの最初のバイクの印象が強烈だったりして、とまた何となくヨーロッパ
車風に感じるセンスがあったりして、基本的に好きな会社だ。最近は、ヘリ輸出問題で、物議を醸しているが。

ホンダがCB750Fボルドーを出したとき、ヨーロッパ向けは最初からCBF900だった。それとおなじことらしい。
そのCB900は1100まで行って、空冷から水冷のCB1000SFとなったが性格がちがう。先日仕事で1000で16号を移動中、CB750Fと並走したが、向こうのほうが出足がいいようにすら感じられた。いまでもよく見かける人気車種だ。バイク屋さんの店長の愛車はCB1100Fで、オイルクーラー付きで、これをセローの時代から見慣れた
せいもあって、1000ccクラスに、どこかで憧れていたのかもしれない。




写真の写りが悪いので、ネットでせめてもう一枚と思い探したら、以下にまとまってたくさん掲載してあったので、一枚お借りした。

http://www.xj900club.nl/fotos/lustrum2006/Data/page.shtml?20,0

スペックも出ていて、1983ー1985が853cc、1986ー1993までが891ccで、97〜98PS。トルクも8.3kgmもあり、乾燥重量の218kgは、ナナハンモデルと変わらない。ただ、タンク容量が22リットルもあって、装備重量は
BIG1なみになる。馬力はBIG1を上回ってさえいる。

アウトバーンや各国を結ぶ高速道路が整備されたヨーロッパでは、一日の移動量が1000キロを超えるバイク旅行もまれではないと聞いている。その際、BMWやモトグッチ同様、シャフトドライブは利点があるといえるのだろうが、若干クセがある。結局ヤマハもいつの間にか、チェーンドライブに戻った。チェーンの耐久性は、おそらく世界一になったのだろう。CB400SFのとき、チェーン引きは一年で1回だけだった。

ヤマハのデザインは、昔読んだ「幕の内弁当の美学」かなにかによると、当初から東京芸大出身グループが
担当した、という。昔の250のテアドロップ型タンクの形と曲線なんかは、魅力があった。対するホンダは神社仏閣型というか、角張ったイメージで、サスの味付けばかりでばく、剛のホンダ、柔のヤマハと世間でいわれる通りだとおもった。CB750Fになって、そういうイメージから離れたようだが。

ヨーロッパでパリ・ダカールラリーが始まって、結局バイクはオフロード車が一番と若いときは思ったりした。最近、歳もとったので、それほどでもないが、車以上にバイクは個性があるので、欲をいえば、二台以上あると理想的かもしれない。エレファントラリーなども当事魅力的だった。今は、初夏に河原でバーベキューするぐらいしかしなくなったけど、バイクを使っての本格的アウトドアライフでたき火レストランなど、日常の延長で日常性を超えた時間を楽しむ、というのも車以上に味わい深いと思う。

月曜日, 2月 12, 2007


佐野パーキングエリアで、着いたときはそれほどではなかったが、出かけるときにはほぼ満車で、車が本線に出られず、入ったことが失敗だった、とぼやく一団も。外は汗ばむほどの陽気で、sho様もきっと出かけられていることだろうと思っていた。しかし、宇都宮をすぎると気温は低下。日光につくとさらに低下。しかし、男体山のスケールの大きい稜線は、久しぶりに見ごたえが、・・・・。


ところが、わずかの合間に北の空の様相が変わり、まだ時期ではないと判断して、半分ほどの挫折感を抱きながらも、ひたすら南下。こんどは宇都宮まで下の道路をのんびり行こうと。高速は慣れるとつまらない面も出てくる。4輪には迷惑だろうけど、マス・ツーリングだったら退屈しのぎにはなるかもしれない。


写真がブログとしては多いと思い、三段表示のうちの最小にしてあるが、クリックしてもらえば原寸表示が可能。これはWinパソコンでも確認済み、しかし、どういうわけかマックで投稿しないとその機能が働かない。自分が試したときだけかもしれないが。sho様の画像は大きいので満足だが、クリックしても変化なし。



杉並木は、風が強く、枯葉の落下がすごく、音を立ててヘルメットなどにあたった。以前車で来たときは、明け方に雪が積もり、昼頃には、葉に付着した雪の塊がドカ〜ンと車にあたり、派手な音を立てたものだ。今日は天気がよく、たまった葉が発する芳香が気持ちよい。高速では味わえない気分だ。女優の高木美保さんが、那須高原で農場をされていて、新幹線で都内から帰るとき、寝ていても宇都宮あたりにくると空気がきれいなので、目覚めるなどと語っていたが、それを今市あたりで実感。


後についた新車のスクーターを従えて、何十年ぶりかで国道119号を南下。懐かしい。しかし、男体山をのぞけば、皆若いときに見た風景感とは違い、スケールダウンして見える。右側に、来るとき通った高速道が見えるが、ここも地方の有料道路といった感じだった。しかし、中禅寺湖畔まで続いているので、シーズンになったらまたチャレンジしてみよう。左側に、すぱ亭があったので、空腹ではなかったものの、またUターンして入店。しばらく待たされた後、テーブル席でピザを食した。ピザは、生地がパリパリのクラッカー味で、私は、中華饅頭の皮のようなモチモチ感のある耳たぶぐらいの厚みのあるのが好きなのだが、おいしかった。一人では、いくぶん味気なさは漂う。若い女性つれや家族連れを眺めながら、黙々と食した。ウェイトレス嬢は栃木美人の典型タイプだと思った。


宇都宮インターから高速にのり、佐野あたりで降りようとしたら、また200メートルほど路肩で渋滞中。出口付近は2列になっているので、パスして館林で降りた。日曜ドラバーが多いせいか、みな料金所で列をなしている。おりたら、かって知ったる国道番号を頼りにすすみ、
ゆっくりしたいので、いつもの喫茶店へ。ここで、BE-PAL誌などをめくりながら、休憩。



それによると、スーパーカブを白塗りにして聖地巡礼旅バージョンの紹介記事があり、興味を引いた。シートを新しく野口装美さんに頼んで白いものに張ってもらったそうだが、この会社、パリダカなどの長距離レースに出る一流ライダーの多くがシートを注文する会社だそうだ。覚えておこうと思った。国道52号線で出会ったというバックパッカーの写真いり紹介もバラエティに富んでおもしろい。長野から秩父34観音を歩いてここまで(身延山ちかく)来たという。その前に九州や北海道もという猛者だ。この前、初めて指摘されたが、国道は、土木事務所は号どまりで線はつけませんだって。国道4号、国道16号どまりらしい。他県でもそうなのかは聞き漏らした。

金曜日, 2月 09, 2007


Sho様が愛車の燃料をレギュラーガソリンに変える決心をされたようで、今は複雑な心境。燃費にあまり変化がないことを祈るばかり。

燃費はいろいろな条件で変わる、というのは常識だが、それをきちんと把握するのは案外難しそう。
今回は、いちおう使用しているマイクロロンについて、最近車にも入れて確認作業中なので、中間報告というところ。

最初、入れた当初、燃費は伸びたと思ったし、走行フィーリングも変わった。二日ほど排ガスが臭かった。
その匂いは、古い石油ストーブを消化した際に出る匂いに似ていたが、3日ほどしたら消えてきて、今は
昔のジーゼルの排ガスの匂いに戻っている。(80cc/オイル1L)

マイクロロンは、溶剤にフッ素系化合物を溶かしたもので、この溶剤がエンジンオイルの粘度を一時的に下げ、オイルがサラサラになり、この時期、フルスロットルでの運転を避けるように、注意書きがついている。ネットで調べると、この時期の粘度低下に驚いて、愛車から慌ててオイルを抜いて、元に戻してしまった、という人もいる(4輪)。

バイクに入れた報告は比較的少ないが、いくつかはある。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~corn-s/message5/4848456457994.html

カワサキ車には効いたが、ホンダ車には効かなかった、などと書き込まれている。



昨日、二回目の燃料補給で燃費を計算したら、12.1キロとかなり下がって、驚いた。期待は裏切られた、と思った。しかし、冷静に考えてみると、300キロ以上の走行は、私は関与していなかったし、多人数が乗り、
しかもチビチビ動き回るような使用法だったらしい。

私一人で長距離走るような使用法での、燃費向上効果を考えていたので、この値は、効果無しと即断すべきではないようだ。

バイクでは、買ってすぐ使用してしまったので、効果の程を示す証拠はないが、燃費は0.1とか0.2ぐらいづつ上がっていき、当初より一キロ弱ほど伸びたように思っているが、Sho様の値には及ばない。

400では、燃費は、使わない時と使用後とでは、大差がなかったように思う。しかし、音は静かで、高回転までストレスなく吹け上がるようになり、アクセルをついつい開けてしまう、という状態なので、これで燃費向上を期待するほうが無理というものだろう。

摩擦減少による燃費向上効果というのは、あくまでも大人しく走った場合、と限定的に捉えるべきだろうと思い、もう一度運転方法による燃費について再チャレンジしてみようと思う。

だいぶ前、トヨタのスターレットのCMで、山岳路のダート走行をする赤いモデル車を外人さんがド派手に運転するものがあったが、その時の最上燃費はたしか、19キロ代だったように思う。そういう数値をたたき出すコツは、アクセル一定で走ることだとコメントしていたように思う。それはたしか、CMではなく、雑誌記事かなにかに同ドライバーがコメントしたように記憶しているが。

昔、ガソリンが今より高い時代があって、リッター150円を超えた時期もあった。そのせいもあったと思うが、クルマの燃費向上のあの手、この手を紹介したような記事では、ガソリンは満タンにするな、重くなって燃費に不利とか、不要な荷物はすべて下ろせ、スペアタイアも街中走行ではまず不要とか、車体下部にたまった泥を一度すべて洗い流せ、バケツ一杯ぐらいの泥はついていたりする、などとがっかりするようなことが書いてあった。

中には、タイヤの空気圧を、危険でない程度まで上げて、転がす感じで走れ!というものもあったが、これは案外正解なのかな、と思っても実践しずまい。しかし、この前、後輪タイヤの空気圧低下に気付かず走っていたときは、静かに走っていたつもりでも、13キロ代と一キロは確実に下がった。

最初にバイク関連書籍として買った本には、バイクで燃費を気にして走ることについて、そういう走りはバイク本来の魅力をスポイルするものであるので、あまりこだわるな、とはっきり書いてあった。もっとも、この本の初版は昭和30年代、とうじ、条件がよければ、バイクだと東京から軽井沢まで一時間程度で行ける
などと、書いてあった。私が買った当時はすでに信号がふえ、試さなくても、それは無理という時代に入っていたが。

何年か前、まだクルマが一般的でなかった時代には、バイクで都内まで何十分という信じられない話しを聞いたが、その際にも、そのバイク記事の軽井沢までの所要時間の記述が蘇った。

火曜日, 2月 06, 2007


今日は予報通りの空模様となり、日中温度があがり、昼近くなるとソワソワ。こんな絶好の日和に乗らない
という手はない。仕事を途中で中断し、あちこち回らなければならない役所や会社先への用達はすべてバイクで行くことに。

年に何回もないBigチャンスとばかり、鞄を肩にかけ、スピード控えめに春の陽気の街中に。しばらく走るが
手袋内が暖かい。風は少しは冷たいが、しばらく走ると慣れてくる。

以前、数年前から、よくヤマハの1200で仕事のためにバイクを使用するらしい人を何度となく見かけた。
あんな大きいバイクをツーリングではなく、市内連絡用に使うなんてと、思っていたものだが、いざ自分がその立場になると、その人の気持ちが分かってくる。仕事で移動する時は、飛ばす気には全然なれない。

やはり、自由なツーリングとは異なる要素がある。しかし、ライディングが楽しくないかというと、やはり楽しいことには変わりはなく、休みの日のツーリングとは違う何か一石二鳥的な義務と自由とが入り交じった感じだ。皮のジャンパーが対面時に邪魔になる意外は、車で駐車場への出入りで苦労することなく、天気も味方しているので、普段と違う仕事の張りがある。



水温計はすぐに上がり、ちょっと渋滞に出会うと、さらに上がる。エンジンは、深夜、早朝とはちがい軽く素直に回る。温度やその他の
コンディションに由来するのだろうが、排気音も一定ではなく、いろいろ音色が変わる。ただ、いずれにしても調子はいいな〜、という感じには違いはない。暖かいせいか、大型バイクも多く見かけたが、一つとして同じ排気音がない。皆乗り手との共生で培ったエンジンの履歴を表しているようだ。





途中、役所でどうしても、現地を一度下見する必要が生じたが、地図を広げると、それほど遠くない。しかし、道がかなり狭そうだが、
そこはバイク、あっという間に到着し駐車場所で苦労することなく下見をして、役所での説明に役立った。車だったら、同じ道を何度も行ったり来たりするのは気苦労があったりするものだが、バイクでも気が重い感じはあっても走り出すとそんなことは忘れる。




今日は、何度だったか知らないが、皮ジャンの中は午後は汗ばんだ。4月の陽気だとも言っていたようだが、カーラジオなどないので、
とうとう確認できず。最初、問題がいくつかあったが、終わってみると皆思いの外うまく事が運んだ。たまには環境を変えてみるのも
新しい発見があったりしていいものだと、一人悦に入ったりもした。




納品で、タイムリミットに間に合いそうもないときにも、過去何度かバイクのお世話になって事無きを得た。高速道路の下を交差しているトンネルが、どちらの管轄下にあるのかで、訪れる役所がちがう場合、車で行って調べていては、その日の仕事が終わらないというときがあった。小雨の中をバイクで高速を使って行き、現地で確認した後取って返し、一番遠い管轄の役所へ午後4時過ぎに滑り込んだことがある。

今日も4時08分に想定した仕事は終了。高速に近い場所だったので、帰りは高速に入りゆっくり走って会社に帰った。高速に入ると、スピードと夕方になったことで、いくぶん頬をかすめる風は冷たく感じたが、まるで春の宵だ、というような柔らかさを心地よく感じた。
ETCをつけてから初めての幸せな通行となった。

土曜日, 2月 03, 2007



今日早速Sho様のレスポンスがあって、あらためてハイオクガソリンについて考えてみた。

まず、CBR1000RRの例でみると、圧縮比12.4でもマニュアルには必ずレギュラーガソリンをと書いてあるし、現行のCB400SFも11.6の圧縮比でもレギュラー指定だった。
http://www.honda.co.jp/manual-motor/

さらに、http://ja.wikipedia.org/wiki/高オクタン価ガソリン
でみると、以下のような記述が・・・

高オクタン価とは、石油燃料を内燃機関で燃やしたときに安定して燃える性能(ノッキングの起こしにくさ)を高めたものであり、燃えやすさや燃焼カロリーの高低とは関係がない。前回の独断掲載を修正せざるをえない。

また、「本来メーカーが想定していたオクタン価とは異なる燃料を入れれば、当然、点火のタイミングなどが大きく崩れてしまい、出力が悪化する。車種にもよるが、出力は実測で 10~20%程低下する。出力の低下は、代償的にアクセル開度の増大へと繋がり、燃費が悪化する。また、ハイオクガソリンに含まれている添加剤による清浄機能の効果があるという説があるが、実際にはその効果も疑わしい。オクタン価が上がった事によって、爆発行程の遅延が発生し、エンジン内部にカーボンやスラッジが堆積しやすい環境を招いてしまい、洗浄どころか、むしろエンジン内部は汚れる可能性すらある。仮に、長期間この状態を続ければ、汚れによりエンジン内の圧縮比が異常に上昇し、ノッキングを発生させ、故障を招く可能性も否めない。これはあくまで極論であるが、メーカーはハイオクガソリンの使用を推奨しておらず、ハイオクガソリンを避けておくべきであろう。これらのリスクや燃費とガソリンの価格差を考慮した場合、レギュラーガソリンを入れた方が賢明であり、ハイオクガソリンを積極的に入れる必要性は乏しいといえる。」とも書いてあった。

今は電子点火で回転数やアクセル開度を検知して最適の点火時期をとっているので、4輪のようにノックセンサーがついていないバイクでも、メーカー指定のガソリンで問題ないのだろう。しかし、バイクは実用性と、趣味性がかなり密接に同居した乗り物だから、個々の
履歴や趣味に口を挟むことは大きなお世話かもしれませんね。昔、小さな親切運動、というのがありましたが。


ところで、マイクロロンを入れた効果というのが、はっきりしない。ネットでは燃費改善効果に否定的な意見も多いのだが。ある人は摩擦を減少させるので、バッテリーに優しく、400の後1000にも入れているとあり、明らかに燃費改善を公言してはいない。

たとえば、新車に入れても効果はなく、中古にいれてこそ効果がある、とはメーカーの公式見解のようだ。もし、途中でいれても新車とあまり変わらないエンジンの劣化であれば、燃費改善効果はなく、気持ちよく回るというだけだろう。今の私のバイクもそんなものかどうか。

そこで、身近にある中古4輪で試すことに。会社にある20万キロ以上走行したジーゼル車、あともう1回は車検をとるという。廃車まで15ヶ月もあるが、20万を超えたあたりからはっきりさすがに非力感が否めない。燃費は、クーラーを使わない冬を中心としたシーズンはリッター12キロ前後。そこで、同じマイクロロン処理をしてみた。オイル1リッターに対し80ccの割合で添加。すると明らかに加速もよく感じるようになったし、燃料メーターが半分まで低下するまでの距離もかなり伸びた。この時点で、かってに燃料半分量と走行距離から概算すると13.2〜13.3とあきらかに良い。高速走行でもよく回るので少し飛ばしすぎたせいか、急にメーターがさがった。

440キロ走行後での燃費は12.9キロであった。今後も経過を見守ることにする。排気量は2リッターのジーゼルワゴン車である。

金曜日, 2月 02, 2007


今日、やはり気になり、走行200キロ未満であったが夕方満タン法で燃費を計測。結果は14.4ほどでレギュラーガソリン使用時と大差なし。ここ二日ほど本格的寒さとなり、始動にかなり手間取りバッテリー上がりを心配するほであり、初めて、チョークの使用法がわかったほどだ。


400のときも含めて、昨年の冬以来チョークを使うと却ってエンジンストップとか、始動性は不良となるので
意味のないチョークだと思っていたが、今日初めて目一杯きついところまで引いたら、どうしてもかからないエンジンがかかった。それで、いままでのチョーク使用法ではあまり意味のない使用法だったのかと思った。400のとき体験したまともな冬でも引かないほうが良かったし、バイクが変わっても今回までそんな始動不良はなかったので、Sho様がチョークを引いてと書いている本格的寒さの前の記事を!?と思っていた。


それでと書くといささか変だが、その始動性不良に思えたので、またレギュラーに戻した。いまのところ忙しくて通勤使用が100%で、始動はいつも深夜か早朝なので、レギュラーでもそんなに始動にてこずるほど寒いのか、昨年のことを思うと疑問だからだ。今は、深夜、早朝の通勤だけなので、大人しく乗っても14キロ代中ほどだが、一気に150キロほど走るツーリングでは15キロ代後半のときもレギュラーでも達成しているので、入れる前からそれほど期待はしていなかった。ショップのマスターのCB1100でもツーリングしか使わず、やはり15キロ代と言っていて、もう1〜2キロ伸びないものか、とは決まり文句だった。

10年ほど前、化学同人が出す化学雑誌を何気なく読んでいたら、研究の現場でセレンディピティの例を特集していた。いろいろあったが、アンチノック剤の開発でも、求める物質がみつからず、有効な探索法がわからず研究が行き詰まったとき、春先の新緑が萌芽する際、他より早く萌え出す葉の一部に緑でなく赤い葉のあることから、赤系統の物質をいろいろ試し、アンチノック剤として最適な4エチル鉛にたどり着いた、などと書いてあった。つまり、アンチノック剤を入れると、不正爆発を抑え、一気に望む圧縮比でのまとまった爆発を誘導するケミカルだと理解すれば、ハイオクは「燃え難い」のかもしれない。

余談だが、今は読んでいないが、その頃その雑誌には、最近新聞紙上を賑わした研究費不正使用の某大学の女性教授が、まだ助教授で留学生を含めて実質的にある研究室を纏めるチームリーダーとして紹介されていて、美人で切れそうな相貌の先生だと思っていた。今回の報道、といっても昨年6月頃だが、白衣を着てNHKの報道にちらりと出て居られたのをみて、あっと思った。忘れられないお顔だった。

http://spysee.jp/松本和子/49444/

余談ついでにもうひとつ。

 江崎玲於奈博士は、あるときこういうことを言われた。「日本の国民総生産の全世界に対する割合と、ノーベル賞受賞者の全世界に対する割合とのあいだには二ケタ程度の差があり、日本の研究に独創性が足りないのは、厳然たる事実である。」つまり、日本の基礎研究には、明らかに創造性が足りないということである。

 結局、ほんとうに新しいものは、自分自身の地道な努力と、小さなことの積み重ねからしか生まれてこない。誰もやっていない分野だから、データもなければ、測定器もない。測定器すら、自分でつくらなければやれないとなると、イヤでも小さな研究から始めざるをえないのである。

「日本人の業績にはセレンディピティなものが少ない」
 いずれにしても日本には、ほんとうはガラクタだと考えられて、そういうところから学問を建設していく姿勢が基礎研究をする者には必要だが、その種の学問形態が日本人研究者にはまったくない、という意見である。
 そのような、なにもないところから学問を建設したり、なにもないところから新しいモノを作り出すということに関してはヨーロッパに伝統がある。その中でもイギリスの貢献度は、ズバ抜けて大きいと思っている。

以上はセレンディピティということばがはやった10年ほど前、気になって集めた文章の例だが、外国では、自分が手を出している分野から手をぬくな、その分野でやれるところまでやれ、というフレーズがあるそうだ、流行に乗るな!ということらしいが、やはり10年ほど前、コールドフュージョン(常温核融合さわぎ)
では文部省も乗り、国際会議を日本で開き、かなりの税金を費やし、国内各大学では、教授と助手や助教授が正反対の立場で研究話題をふりまいた。

木曜日, 2月 01, 2007

ハイオクガソリンを入れてみて、スカイラインなどが暴走した後、ただようかほりが、オイルの焼けた匂いだと漠然と思っていて、しかも悪くないかほりだとは常日ごろ感じていたが、暖機運転開始直後から、同様なかほりが、漂うことから、ハイオクガソリンの未燃焼成分が原因だと、初めてわかった。

以前のセローではまったく記憶にないことから、やはり1000cc、車並の燃費だけのことはある、と妙な感心をしてしまった。

この前、雨が降った翌日以前バイクでいった志賀坂峠へ行ってみた。そこで、以前の帰りにとおった寄居〜皆野有料道路を間違えて途中でおりてしまい、山中で道に迷ったことがあったので、最初から寄居側から進入してみたら、好天のせいもあり、思いのほかの景色に出会えた。

あのsho様のレポートに出てくるつり橋に似た橋も、秩父市内で同日撮影。さらに奥のダム造成地付近には、眼の回るようなカーブを伴う高架橋があるが、今回は行けなかった。

昔は、そのあたりは、一部有料の林道があって、路線バスもトンネルを通過するために屋根の角を落とした、正面からみると5角形だったこともあるというような難所もあったそうだ。今は彩甲斐街道などといって、山梨県とつながり、大滝村なども秩父市となって、往時の話は記憶から薄れつつあるようだ。

旧大滝村などは、江戸時代にはあの平賀源内が秩父山中で石綿を発見し、明和元年(1764年)にこれを布にしたものを中国にならい火浣布と名付けて幕府に献上したといわれていたが、滞在記録があるそうだ。 この源内の火浣布は京都大学の図書館に保存されている。日本では竹取物語に登場する、火にくべても燃えない「火鼠の皮衣」も、当時そういうものが実在したとすれば、正体はこの石綿であったろうと言われている。

まだ、140号を通って甲府までは行ったことはないが、いずれ体験してみたい。秩父は峠で囲まれていて、あの秩父事件の際には、峠同士の連絡道が蜂起グループのネットワークに活用されたという。事件の遠因も、秩父の絹織物を、東北線へ運び出すルート開削のための地元への負担が増加したことも原因の一つといわれている。そうして苦労したいまの本庄児玉へのルートも、長瀞の難所に秩父鉄道が開通されたことで急速に廃れた。しかし、江戸時代に十辺舎一九が滞在した三峰神社などは、昔からかなりにぎわい、米などの生活物資は長野県側から峠を越えて運ばれていた、という。

本来の峠道は廃道になってしまって、解りづらいものが多いらしいが、車で通れる道はキャンプ場があったり、未舗装路もあって、飛ばすだけではない楽しみ方が、たくさんあるようだ。

和銅の時代から、もっとそれ以前、皆野ー寄居有料道路建設でも、遺跡が出て、工事中断など
したらしいが、ゆったりとした歴史の流れの中にある「海無し県、彩の国」の山の部を代表するエリアであり、歴史同様奥が深い山里がたくさんあるようだ。江戸から近い霊場としても、
根強い信仰の対象とされたことも、いろいろと人文的理由があると感じている。

秩父おまかせマップ
秩父の観光ガイドおまかせサイト
http:www.bsmap.jp/