木曜日, 6月 30, 2011


先日、四街道のビッグワンに出かけた時、オイル交換三度目となり、ようやく以前のオーナー氏のクセから少し自由になり、私の運転方法のクセが根付きだしつつあるような予感というか手応えを感じ取ることができた。エンジンを回し気味にして使用しても意外と燃費が予想よりも悪くないし、アクセル控えめでも回転の上昇が速いからである。

それで、今日急に仕事の谷間となり休みが取れたのをいいことに、5月に栃木、茨城へと往復したコースとほぼ同じになぞってみて、最近の快調ぶりが燃費にもどう影響しているかを見る、ことを名目に走ってみることにした。

天気予報は午前中は晴れでも、午後からの降水確率は50%と解釈の仕様でどうにでも取れそうな予報だったため、早めのスタートを切る事にした。午前4時にはすでに十分明るく、起きていたが出発は午前5時となってしまった。

燃料計の最初の目盛りが一個欠けるまでにどれだけ走れるかが、燃費のバロメーターとなる。これまでのところ、通勤過程だと、速ければ90キロ程度遅くとも100キロを越えると目盛りが欠けてくる。前回のツーリング時、その事は意識していなかったので分からないが、連続走行だから120キロ位走れれば、御の字ということになる。

16号から4号線バイパスに入り北上する。時間が早い(前回は8時スタート)ので、一般車は少なく、トラックが多い。しかも皆飛ばすので、最初勝手がちがい戸惑っった。後ろからどんどん迫って来る。いきおい、回転は上げ気味で走らないと、車線を譲ることになってしまう。

ただ、時間が速いので、空気はまだひんやりとしていて気持ちが良い。ここでも2〜3台の宇都宮ナンバーを目安に走った。前回は宇都宮市内で用足しをしたが今回は素通りで、午前7時丁度、出発から2時間して走行100キロとなり、真岡市内にいた。そろそろ休憩したいが、燃料計の最初の目盛りが何時欠けだすかが焦点だったので、欠けてから休憩ということにしたら、111キロをすぎた益子町あたりで欠けだした。意外に少ないなと思っていたら、信号で止まっているとまた回復している。それで、信号で止まっていても回復しないような距離まで走ろうとさらに行くと、ようやく予想通り120キロを過ぎたあたりで常時、一目盛りが欠ける状態になった。

昨日、今日の為に満タンにした時、80キロ台で4.x入り、燃費は18.48と意外と悪かった。これはカブで通勤を始めた同僚と一緒に食事に出る時、彼がカブで30キロ台で走るのでそれにつき合って同程度で走ったチョイ乗りが悪い燃費の原因だと理解していた。昔のヤマハGX-750
の時も、トコトコ走りより開け気味で飛ばしたほうがリッター1キロ弱燃費は良い、という経験則もあった、ことによる。すると5リッター程度の消費量で20キロ程度余計はしれれば、リッター20キロ以上は出ていることになる。それで、益子から笠間まで、後ろから大型も結構飛ばして着いて来るので、少々開け気味で気持ちよくクネクネとしたアップダウンの道をひた走った。

涼しいし、交通は少なく、水田の香りや、広葉樹の香り、時には檜の香りなどをそれぞれに味わいながらイージーゴーイングとなった。タイヤはフロントを交換したばかりで、クセがなく、もともと寝かせ易いバイクなので、コーナーでは何の不安もなく、対向車とすれ違える。既に燃料計のチェックポイントは過ぎたのだが、あいにくコンビニなどが皆無の区間となりトイレ休憩もしたいのだが、果たせずようやく見つけた7-11に滑り込んだ。時刻は7:25分。

ところがこの時間帯は、地方では出勤時間のピークらしくトイレも思った以上に混雑していた。この辺の配分の読みが甘かった、と思った。雀が駐車場で餌探しをしているのを見たり、タイヤの状態をチェックしたり。トマトジュースとシュークリームで朝食。これ以後温度はどんどん上がって行き、足許もだんだん熱風が通過するようなる。

ここから笠間稲荷まではわずかで、そこで50号線に合流するとあっというまに水戸市内へ。ここも通勤ラッシュで混んでいて、左側をすり抜けていく。高校生達も歩道を思い思いに自転車通学。女子学生たちの一団はやはり香水なのだろうか、ホンワカと甘い香りも風に運ばれて来る。

そこを過ぎると程なく大洗町へ。まだ9時前位で早いので、大洗港方面へ51号線を走る。涸沼川を越えたあたりから風が海風らしくなり、涼しさの質が違うように感じた。昔、この町で鉄道敷きに杭を埋める仕事で、二週間弱泊まりがけで仕事をしたことを思い出す。宿は魚屋隠居とかいうお店で、夕食に鯛の兜焼きを出してくれたりした。皆、この時だけは無言でつついていた。この時、一人別室に部屋を取っていた親会社の女性職員が、昔は秋田県知事の秘書室にいたこともある、などと話し私も何気なくそれでこの歳まで独身だったわけですか!?などと応じてしまったら、ちょっと間をおいて、何だって、この年増だって!?と声を荒げたので、すかさず、イエイエこのお年まで、という意味です、と言い直したら、あ、そう!で大事に至らずにすんだ。大学時代の教官の訃報を識ったのも、そこの宿で見た地方新聞の記事だった。

海岸沿いの国道51号は、この前の大地震で海側の二車線が補修工事で、片側二車線が対面交通となっていた。それで、引き返すのが難しく原子力施設前まで行き、そこでようやくUターン。
時間はまだ速いので、今はまだシーズン前、誰も〜いない海〜を見に下へ降りた。

まあ、散歩中の地元の人しか通らず、駐車中の車も二、三台で海まではけっこう距離があるしで、温い水を飲んで後にした。当然ながら、植栽されているマツはみなクロマツであった。樹皮、針葉などがアカマツよりハードに出来上がっている感じがするが、先入感がそうさせるのかもしれない。何時もの土産店で購入した冷凍パックの干物類をナップザックにつめ、早々と大洗を後にする。途中で、燃料表示がちょうど半分まで来たときは220キロちょっとで、前回を若干上回る感じ。次はどのくらいでもう一目盛りというか一ブロック欠けるかと見ていると、280を越えたので、かの時点ではっきり前回より良くなっていると実感する。

途中、道路際の雑灌木撤去工事で交互通行区間が設定されていたが、長い渋滞にも関わらず、脇を比較的楽に通れる部分が多く、比較的楽に先頭に到達できたが、暑くて参った。

50号を小山まで戻り、さらにそのまま走っていると佐野まで来てしまった。小山から佐野まで、カワサキの1200と並走した。ノジマかなにかの集合マフラーでけっこううるさい。こちらは、あまり言及していないが、三回目のオイル交換以降、音がいっそう静かになり、自分にはキュルキュルいう感じは聞こえるが、周りにはたぶん殆ど無音に近いほど静かな筈。

それとなく、競争すると音が静かすぎて、相手は調子が狂うようである。で、とうとう挑んでこなくなった。いちど、大型の脇に隠れて先頭へ出ようとしても音で直ぐ分かるし、相手にはこちらの音はまず聞こえないから、こちらも脇をすり抜けてけっこう加速するといつの間にか相手より先に居る、という繰り返しでついつい佐野まで。それで、水田ばかりのところで50号から分かれ、県道らしい道を探して走ると、群馬県表示も見えたりするので、避けて行くといつの間にか渡良瀬遊水池あたり。そこで初めて加須市方向のルートに入り北川辺の道の駅で休憩。

ここで涼しい室内で一時間程、休んだ。冷やしうどんを注文したが、麺に弾力があっておまけにツルツルでたいへん美味しかった。麺どころ加須市のすぐ脇という地理的条件の為であろうか!?。エビや茄子の天ぷらも冷たいうどんに拘らず揚げたてだったとは口にするまで知らなかったがこれはこれで出来立てのうまさ。食べ終わって、残り汁まで半分飲んでしまったが、本日の暑さのせいかも知れない。ここへ来るまでかき氷が欲しい〜、とばかり思い続けるような天気だし、足許は熱風でけっこう離さないと火傷しかねない熱さ。

125号バイパスから122号へ合流した最初のセルフのSSで300キロを越えていたので給油。それまでに途中経過から、過去最高の燃費になることは分かっていたが、いちおう状況証拠をと思い記録。数字を表示すると、烈しく反応される方がいるかも知れないので(居ないか!!、爆)
この辺でまた、次のチャレンジへ移行する。次は最高の燃費が出易いという秋かな〜。秋まで待てそうもないし。仕事が9月以降は全然見通しがたたんなどと上から漏れて来たりしているし。••



<<追加投入したスズロイ、昔のモータロイ自作品の暫定総括>>
初代ビッグワンでいろいろと試して確実に効果が出た結果は、今回のSC54にも取り入てている。

にんじん君は、そっくりそのまま使用中。最初のタイプ(セパレーツ型と、次の軽専用ミニセパレーツ型)。SC54はバッテリー配置が大分下となりシート下空間が広く空いて収納スペースが広くなったので、邪魔にならずに取り付けている、

一回目のオイル交換の際に無理を言って、ミラクルパワーを4個着けてもらったが、凄いトルクアップは実感したが、却って燃費は落ちたので敬遠。すぐ取り外した。にんじん君だけで十分と判断したが、ほとんどの方がダブルで使用されることはそう無かろうと思うから、即駄目ということではなく、あくまで私の場合だけということをお断りさせて頂く。

最初残っていた自作モータロイの破片を集めて一個にまとめたものを使用していたが、前回ツーリングで効果があるとわかり、その大きさの6割くらいのものを、インゴットから溶かしだし再鋳造。ゆっくり冷ましたものを追加。この追加により、最初の追加で効果が出るまで3000キロほど掛かったものが、ほこ即座に結果が得られる事が判明。しかし、完全な効果はやはり1000キロ程度は必要か。

昨日も連続走行の体感から、走行150〜160キロ以降はその効き目がはっきりと実感できたが、逆に満タン後は全然効果がないとはいわないが、無茶をしないように走るようにしている。効き目が感じられたら、後はその効果!?をいっそう確かめるべくけっこう手荒に見える走行にも十分反応してくれる感じである。

内部抵抗を減少させ、結果的にトルクアップをもたらす、と言えば言えるのではと思う。で、当然ながら音はかなり減少し、不快な振動などもゼロとは言わないがあまり感じなくなる。こうなる過程で、慣らし運転が大事で様子を見ながらの手探り運転と燃費のチェックがよりいっそう大事になる、と思う。

三度めのオイル交換で、ようやくまともな慣らしが出来上がりつつある感じであるが、長距離単独ツーでその辺の様子が次第に明確になる感じ。通勤だけだと効果は測りにくい。

後は、さらにモータロイの効果を発揮させる補助剤として、マイクロフロンの粉体をオイルに適量混ぜて追加している。これで、音がいっそう静かとなりなおかつ最近急激に回転上昇しやすくなって来た感じがする。粉体だけだとあまり効果は私の場合は感じられなかった。メーカーは、バイクにはクラッチが滑る等の弊害があるから、と使用を薦めていない。乾式クラッチ向けにしか薦めていないようである。モータロイ!?と併用すると弊害はなく、かつクラッチ等の滑りはほとんど感じられない。

連絡を頂けたら、若干名分くらいはお裾分け可能です。ただ、抵抗感は初めての方々にはおありだろうなと思う。皆それぞれお手許のバイクには愛着があり、そう簡単に新しいトライに踏み切れるタイプの方は少ないと、この私でさえ未だに思っているくらいだから。‥‥
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日曜日, 6月 26, 2011


本日は雨は降らない予報であったが、朝から俄雨が降って出端をくじかれた。諦めるか!?などと思って雑用などをしてたら、午前十時頃には止んでいた。では、出かけるとするか、と行き先にTELしたが、不在。どうせ買い物だろうから小一時間もすれば帰ってくるさ、と今日中に用が済めばいいだけだし、と鷹揚に構えていたが、11時過ぎても帰ってきていないようで、なんだかんだで12時半頃になってもまだ帰っていない。それで、少々不安になって、不在であっても様子を見に行くことに。本当にいなければ、内房の海でも見て帰るだけでもいいと思い、遅い出発となった。

春日部の16号線に入る直前に何度目かとなるTELをしたが、やはりいない。で、吹っ切れて16号を流れにそって快調に飛ばす。通勤で130キロほど走ってあって、今日はプチツーで帰ってくれば300キロ近くになって、また燃費が計れる、と思うと肝心の用足しは二の次となって、ひたすら安全運転に徹して、久しぶりの幹線ツーリングとなり、時間柄渋滞も殆ど無く快調に進む。
半年前の帰省いらいで、SC54で行くのは今回が初めて。半分程いくと、やはり1000と1300とではかなり違う事を痛感する。やはり快適さが一枚上の感じだし、今、エンジン音がかなり静かになっているので、飛ばし出したらあっというまに距離を稼ぐ感じ。フロントも新品タイヤだ操縦性も400クラスかと思える程軽快。

この冬より体重を8〜9キロほどしぼった効果も効いている感じがして、思った以上にイージーゴ−イングが楽しめた。降水確率は昨日の土曜日のほうが上であったが晴れて暑かった、今日は降らない筈だが空はいまにも降り出しそうで、陽光は無く気温も肌寒い感じすらした。途中からヘルメットのスクリーンに微小な水滴が付きだしてやがて、雨がふっていないのに雨の日のようにツブツブの水滴となった。これが、この前のhiroさんが秩父の顔振峠で体験した霧雨的な梅雨空の特徴かと思った。柏から八千代あたりがひどかった。

帰省してみると、出かけた様子はなく、カーポートには車があり、社内には遮光シールドなども置いてある。玄関へ行くと鍵はかかっていたが網戸であった。呼び鈴を鳴らしても反応がないので、庭先へまわり室内を覗こうとしたら、ようやく反応があって、どうやら元気でいるらしい。聞くと、昨日NTTの関係で家の周囲で電話工事があったらしいが、そのせいか電話回線が切れていたらしい。相手はもちろん自分から電話しないでいたので、指摘されるまで気づかなかった、とのこと。修理は月曜日以降らしい。

用が済めば帰るだけだが、すでに3時半近い。これから海を見に行ってもしょうはないと思い、真っすぐ帰るのも詰まらないので、四街道にあるという、ビッグワンにでも寄ってから帰ろうと、突然思いついた。

二年程前、ビッグワンの直ぐそばで(といっても高速道路の反対側)仕事があって、早朝出勤した。その際、現場から二軒ぐらいはなれた家は、私の幼なじみの○○さんが嫁いだ家なんだよ、などと教えてもらっていた。久しぶりに彼女の家でも訪ねてもいいし、などと思って口に挟んだら、彼女はだいぶ以前にもう亡くなっている、という意外な話しを聞いてしまった。

しかも、ご主人とは違う男性の運転する車に同乗していて、交通事故死していたらしい。で、不倫疑惑も出たりした、などという。彼女は私より2〜3歳上であった。

で、そこから0.5キロも離れていないビッグワンへ着いてしまった。以前は夜間反対方向から来たことがあったが、初めてなので見過ごしたままだたが、今日は順方向なので何なく見つかった。駐車場もけっこう広いが、かなりの台数のバイクが止まっていたので、満席か!?と思ったが、完全に二卓分は空いていた。マスターのお顔を初めて拝見。

何か腹に入れないとと思いメニューをみたら、アサリ入りパスタがあったのでそれを注文。ハーレー隊はふたグループに別れてそれぞれダベリング&タベリング中であった。店内はBMWの新型とカワサキ、それにクラシックタイプのハーレーが展示中であった。WIFI用のパスワードもリクエストがあればお教えしますというiPhoneの写真がついたチラシが何点かメニューと一緒に入っていたが、聞く事も無くメールしたり、ニュースを見たり。


やがて運ばれて来たパスタをいただく。カレー料理がメーンデッシュらしく、パスタもカレー風味だったが、違和感なく美味しかった。メニューにパスタ?orヤキソバ?などと書いてあって、上に削り節ならぬ花かつおが散らしてあったので、焼きそばかとおもったが、面は縮れのないパスタそのものでした。880円。

その後、来た道へは戻らず、印西町へ。そこで初めて印旛沼の岸辺を通った。そして白井方面経抜けていつの間にか柏市へ。千葉の内陸に大規模団地ができて鉄道が通り、買い物客で大渋滞が出来ていてビックリ。野田あたりから空いて来てまた快調に飛ばした。125のスクーターがしつこく追いすがり、春日部まで抜きつ抜かれつ。いくら飛ばしても、信号で追いつかれ、脇へ並ぶ。それの繰り返しを10遍程度体験した。エンジンをかなり回したりしたが、それでも4000回転の手前位。今回はもう燃費どころではなく、3000回転をめどにシフトアップ。

いつものSSで燃費をみたら、284.4キロ走行で14.6L給油となった。


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水曜日, 6月 22, 2011


土曜日に行った現場は圏央道工事中の場所。そこに、圏央道ルート計画の概要が表示されたパネルがあったので、記念にiPhoneのカメラで撮っておいた。

  今日は、土曜日に優る好天の下、東秩父村へ出かけて来た。そのとき、iPhoneで写真を撮ってEvernoteへ送ってそこの現場の位置情報を出そうとしたら、緯度•経度情報を手入力するように求めて来た。ハア!???と思った。それで土曜日に撮った写真を思い出し、試しに同様にEvernoteへ送ってみたら、一発で現地の地図を表示した。それで、疑問が解消した。

位置情報を記録するのは、iPhoneに最初から付属するカメラで撮った写真だけで、他のカメラアプリ(一眼レフ効果を出すものとか、その他いろいろ)で撮影した画像では、位置情報などが添付されないようだ、と初めて気づいた。

デフォルトのカメラで撮って、Evernoteに送信した場合のみ、(目下の私の環境では)位置情報が丸ごと表示される。普通にメールでPCに送った場合の写真では、その画像から位置情報を読み取ることができない。

現場写真を一枚でもiPhoneカメラで撮っておけば、遠隔地での位置情報が即座に分かるので、
ある規定の緯度、経度からの測地線上の距離も前回紹介したように、すぐに何キロ離れていたかが容易にわかる。地図上に明確な施設や地形がハッキリしない場合、位置の特定はしずらい場合があるが、iPhoneカメラならば、最大でもその差は10メートルほどで現場の位置情報が記録されているので、自信をもって50.5キロ以上遠隔地でしたなどと言えることになろうかと合点した。

http://yhsvtex.blogspot.com/2011/04/blog-post_23.html


今日も帰りに現地の消火栓位置などの確認をして帰った。かなり離れた場所にあるし、道も曲がっているが、消火栓が車道から歩道へと変化していることも分かった。

それから最寄りのスタンドで満タンにしたら、燃費は19.05であった。前回の19キロ後半の好燃費の影響で今回は最初飛ばして使用して、途中の燃料系目盛りの変化から今回は燃費が悪化したと分かったので、後半セーブして使用したがそれでも19キロを越えた。それで、追加したスズロイ効果はやはり有るのでは!?と改めて思った。通勤燃費で以前は18.3〜18.4だったので、前回との平均ではリッターあたり約1キロ近く伸びている。この効果はあくまで控えめに運転した場合だけであり、気持ちよく飛ばしたりしたら、無使用の場合と何ら変化はない、ということは20代の昔から、本人の経験で織り込み済みの事実である。
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土曜日, 6月 18, 2011



二回目のオイル交換時期が来てしまった。明日行こうと思ったが、明日は天気が良いらしく現場の仕事に適しているということで、明日は休めそうに無い。仕方なく、雨が降り出してもいいように午前中早めに出かけた。午前10時ちょっと過ぎに到着。すでに先行の客が数名いた。

中に入ってすぐ眼についたのが、これ!。前回別のバロンへ寄ったとき、本当はこれが欲しかった、という高校生の父親が値段が張るので、それ以降の型でないと、と言ったという型で、値段をみたら、105万程度。これで!?と思ったがこればかりはどうしようもない。

で、息子さんは後期型のCB400SFの4本マフラータイプの改造車(4in1のヨシムラ)で、タンクの色だけは同じ鮮やかなレッドだった。

買ってから5500キロ、そろそろフロントタイヤの溝が浅くなり間もなくスリップサインが出かかかったところなので、在庫があるか聞いてみたら、ちょうどピレリならあるというので、ついでに交換してもらうことに。初めて聞くDiabloとかいうネーミングで、どちらかというとレース向け的仕様の様で、溝が極端に目立たない。ここでの価格は、本体価格は21000円ちょっとぐらい。
http://www.pirelli.co.jp/web/catalog/moto/moto_catalogo_schedaDescription.page?categoria=style-1&vehicleType=MOTO&product_id=57498&uri=/pirellityre/ja_JP/browser/xml/catalog/moto/MOTO_MV_DIABLOSUPERCORSA.xml

で、時間がかかりそうなので店内を散策。ここは在庫が比較的多く、行く度に構成車種も比較的大きく変るので、行きがいがあるお店といえる。黄色のグッチはなくなり、この黄色ドカ(900cc)だけが残っていた。

値段はちょうど片手ぐらいで、今だったら黄色のグッチと並べて迷うだろうな!?というところ。するとやはりグッチの1000のほうへ転んだかも、と思ってしまう。

アメリカンタイプやX4にはあまり興味はないが、ハーレーがやはり二台置いてあり、見るだけならやはり人目を引く。脇に売約済みの赤のカウル付きBMWが展示されていた。入って間もなく、売約となったようだ。まあ、年式はBIG1初代のほうが新しいかもと思ったが、古さは感じない。

800cc仕様となったカワサキW800?。値段は、けっこう高く顧客は多くはなさそうな気がする。私はどちらかというと実用性に重点が行ってしまうタイプだが、趣味性で行けばやはり高いが
冒頭の赤のCB400Fよりは20万円ほど安い。

今見ると、ちょっと見にはタンクのエンブレムがありし日のBSAっぽいか!?と思うが、良く見ると全然違う。
http://www.johnbull.jp/general/bikes/02.html
Birminguam Small Armesという名の基は銃器メーカーだったという。
銃を三丁交差させたマークは以下のクラシックモデルに見ることが出来る。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~seiyaa/newpage297.htm



しぶすぎて目立たなかったが、10年ぶりくらいにCB450を見つけた。走行キロは8万余キロ。シートは波打ってしまい、メーター表示板は退色が著しいが、実働マシンらしい。

これで、販売価格は53万円ほど。希少価値の部類ですね。

さらにいろいろ見ていたら、ありました。ついにこれが!!!。
http://wide-open.jp/honda/cat532/_dream_cb450_1965/

こればかりは、二十年以上御無沙汰していた部類。しかも売約済みでナンバーも取ったばかりだった。したがって、値段は不明。シートは新品らしきものに変っている。走行は二万キロ未満だが、メーター基盤の色は先のものと同様の退色が目立つ事から、案外実走行を表示しているかも、と思った。大事に保管されていたクチなのかも知れない。

埼玉も地方へ行くと店じまいしたバイク屋さんの店舗内に、いつもずっと置いてあるのを見かけたが、いくら安くてもこれだけ時間が経つとねえ~と思い、とうとう声をかけそびれた。小川町にもそういう類の家にヤマハの650があって、あれを買ってモータロイを入れてなどと夢が膨らんだ時代があったが、時の流れの方が思いより速く過ぎ去ってしまった。そちらはとうとうバイクはなくなっていた。バイク王へでも行ってしまったか!?


ようやくアナウンスがあって、無事終わったらしい。それにしても目立たないタイヤである。溝がほとんど申し訳程度にしか付いておらず、まさにレース用と言った感じ。店長さんも少し減りは早いみたいですと言っていた。

走り出してクセがないタイヤという感じ。しかも、以前より柔らかいようで、段差の通過がソフトである。あとで、溝を触ってみたら大変柔らかいゴム質らしい。もっとも以前のタイヤが
寝かせられた時間が長く、硬化していたフシもある。カーブでフロントタイヤだけが変な泣き声をいつも上げていた。今回はそんな音は一切なし。ヨーロッパ製タイヤは、メッツラーしかつけたことが無い。このときは家内が奮発してCB360Tに付けてくれたが、コーナーリングがまったく違い、安定感があるのにはびっくりした。今はDIABLO Rossoとかいうもう少し溝の多いものが主流のようで、こちらは値段も1.8万円程度と安いようだ。

あと、別れ際に店長さんいわく、赤のジャケットはキャンペーン中に二台目を購入すればもらえますよ、との事。CB売って、ドカにすればあまり追い金は要らないかもとも思うがどうだろう!?。
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火曜日, 6月 14, 2011


先日、現場の帰りに最寄のレッドバロンへ寄ってきた。遠目で見て、自分のと同じカラーリングのバイクが出ていたから、参考までにと立ち寄った。

すると、もう一人の同僚氏が目下狙っているのと同型のバイクを親子連れで買いに来ている先客さんがおり、メカニック担当者が、エンジンのかけ方やら、いろいろと注意点を講習中で、彼はその顧客の父親らしき方と、バイク談義を始めてしまった。後で聞いたら、その息子さんが本当に欲しかったのは、フォーインワンマフラーのレッドタンクのCB400らしかったが、値段が値段なので、父親としては息子さんにその次以降のモデルで妥協してもらった、との事。もともと400で4本マフラー式だが、そのバイクはヨシムラのブラックな集合管が付いていた。

で、私は目指すバイクへと眼をやると、遠くからは色と型しか分からなかったが、ちゃんとボルダータイプの純正の風防つきで、ALB装備だった。

程度はまだ新規に近く(走行4500キロ)、各部もいちおう新車然としている。タイヤのパターンも初めて見るタイプで、間もなく私のも交換時期を迎えるので、このタイプにしようかな、と思ったくらい。

店員さんにどうですか!?と勧められたが、いまさら買い替える気はしなかった。ここは、川越のレッドバロンと違い、毎週水曜日が定休日らしい。今、ここもハーレーの新車が二台ほど
展示してあった。一度乗ってしまうと、よほど好きでないとまたハーレーにとは食指は動かない。私もそうだったのかもしれないが、初めてのハーレーとなると、意気込みガ伝わってくるようなライダー諸氏を多く見かけたりするが、その先どうなるのかは不明。

シートも新パターンだったし、リヤサスもレッドでアクセントが付いている。サイドのコバトンのような羽はさすがに付いていなかった。店員さんも、このカラーリングは台数が少ない特殊型です、などと教えてくれる。レッドバロンの顧客の多くは、とことん距離を稼ぐ人と、置物然として家にしまってしまうタイプに大別されるという。

この出物も、最初いいと思って買っても大きすぎて扱いずらくて5000キロを待たずに手放した事例の様だ。買って1000キロでも、いちどヒヤリとしておっかない思いをされた方は、それからはまずもう乗りませんね、と教えてくれた。最近の若い人たちの生態を垣間見たような事情を告げられた。私が買ったものより10万円プラスは行っていた。
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月曜日, 6月 13, 2011


Mathematicaの3.0が発表されたとき、既に世界の積分公式集の教科書のかなりの部分にミスプリないしは誤りが見つかった、というアナウンスを読んだ記憶がある。梶原先生が2.0で解説された時代に2.1を買ったがバグが行列公式にもあったりして、すぐ2.2にアップグレード、そのバグはさすがに直っていたが、一度そういう経験をしてしまうと、全面的に信用すると、火傷を負う事になると信じ込んだ。それで、純粋に途中経過も表示するTheoristも買ったが、その頃にはMathematicaは3.0へと進化した。

この頃、Apple社は、PowerPC戦略を展開、それまでのMC68030、68040から決別を果たしていたので、この時期のMathematicaは、同じ版にPowerPC版、旧モトローラ版、それもコプロ有り、無し対応と3種類のバージョンがあり、さらにruntime版とかわけのわからないものまであった。

当時はPowerPC機はまだ高く、モトローラ版を使用したりしていた。今回、Mathematica8.0への限定版がその当時のバージョンアップ代程度で提供されるという機会が得られたので、さっそく購入、ある程度新システムの扱いにも慣れたところで、3.0当時の分厚いマニュアルを開いて
数式処理結果などを比較しだした。


3.0と全然変わっていないと思っていたが、出力結果に微妙というかほぼ同じだが、一部に符号がちがう結果が出ていることに気がついた。アレ!?と思った。
Integrate[Log[1-x^2],x]という対数の積分結果である。

結果の二項目が-1/(1-x)となって3.0だと-1/(-1+x)となる。試しに両方の結果を微分操作すると、結果はどちらも同じとなる。どうも釈然としない。

で、LiveMath Makerで検算をしたりして、どちらも同じとなることを
確認したが、??感はそう変わらない。3.0当時とアルゴリズムが変わった結果なのかもしれない、などと思った。しかも、ここ1〜2年の間にブラウザ上で、最新のMathematicaを、当然ながら無料で試すことができるWolfram Alphaが提供されるようになって、こちらを試すとさらに別解も表示されたり、他の関連トピックスなどへの探索的移行も容易いようになっていて、8.0にバージョンアップしてから、その親切な機能にようやく気がついてきた。大半の場合、私などの環境下では、高価な本体は要らないぐらい、と感じてしまう程である。


Integrate[Sqrt[x]/(a x^2+b),x]の積分結果も3.0と8.0とでは形が違う。始めは、こっちの例が先だったので、だいぶ驚いた。しかし、検算の結果、ほぼ違わない値となった。

これは同じ精度で計算させても、xを0.2から3.0までの区間の積分でほんの少し違うので、
途中の経過が違うためではないかと考えている。

古典的な出力では543.792、新形式では543.791となっている。

この積分は、手計算ではどこかで間違ったらアウトなので、Theoristで筆算プロセスで進んでいって、ようやくMathematicaでの出力と一致した。

分子のSqrt[x]を置き換えてルートを取ってしまい、置換積分や部分分数展開などを経てようやくたどり着いた。それで、a^0.25などという文字が出てくるのだと思う。







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水曜日, 6月 08, 2011


せんだって、燃費向上を目的として、スズロイを追加投入(最初の量の半分ほど)した。追加して燃費がもし、向上したらスズロイ(ある人はモータロイそのものだとされている)の燃費向上効果はある、といちおういえるだろう。

先月の平日の休みに栃木経由で大洗海岸まで往復して、過去最高の自己燃費21.5キロ程度を達成したが、平坦路のカタログ燃費が25.0とあるので、スズロイの効果云々を言い出すにはまだ客観性が足りないとおもっている。(個人的には、十分あるとは信じているが)、まだその効果というか数量的能力については、何も具体的な値がない。

ツーリング以降、通勤が大半で二回の満タン給油で、ツーリング前の通勤燃費が18.3〜18.4だったものがツーリング以降18.7〜18.8程度までわずかに伸びた。

個人的な見解では、スズロイ投入後5000キロ近く走り、モータロイ的な効果が現れた、と感じている。ツーリングで、燃料タンク内のガソリンを大半使い、スズロイの燃料タンク内濃度が増して普段よりいっそう効果がでた。したがって、それ以降、できるだけ一目盛りか二目盛りをになるまでタンク内のガソリンを使い切り、スズロイ濃度を濃くしてから満タンにするよう配慮している。

ところが、通勤だけで300キロ近く走りきるには1日往復40キロとしてけっこう日数がかかる。

しかも、今回スズロイを自作して追加したところ、その日のうちから何やら走りに変化が現れたりしたので、なおさら結果が早くしりたい、とじれったい気持ちになった。

昨日でほぼ半分の150キロ程度走り、前二回に比べて明らかに燃料計の目盛りの減りが遅く感じられるので、なおさら早く結果が知りたくなるのが人情というもの。しかも以前のCB1000SF
は、悪燃費で4年間苦しめられ、その対策として自分なりの対策を編み出してきたので、その効果を知る上でも、自分の仮説の妥当性をはやく知りたいと願うのは当然。

それで、夕べのうちから明日朝は早く家を出て、始業時間までに100キロ以上走り込んでみて、明日の夕方には大筋の燃費が向上しかどうかのリザルトが得られるようにしたいと思い出した。
http://www.geocities.jp/shonaka2001/touring442.html
いろいろコースを考えたが、できるだけ渋滞しないコースという事で、先日shoさんによって投稿されたコースの一部を含めて走ろう、ということに。

CBの燃料系は、半分デジタル、半分アナログといった特殊なもの。具体的な残量がわかるわけではないが、経験で自分なりの残量の推定ができるようになって来た。

満タンで公称21リットルという。するとメーターがほぼ性格とすると、四角い目盛り6個のうち三個が消えた時点で、ちょうど半分10.5Lほど使ったということになる、と思うのは人情だろう。

ツーリングでの経験から、黒い4角の目盛りが一個減る毎に40〜60キロ走れることがわかった。40キロ程度というのは、スズロイ濃度が薄い、満タン直後〜100キロ走行ぐらいまで。それ以降160キロ走行あたりから効き目に弾みがつく感じで、ツーリングの後半は約60キロは走れることがわかった。

ツーリングが終わって通勤状態では、細切れに日々走るので、半分まで減るのに何キロ走れるか?とか、1/4ほど減る時に何キロ走行時か?と気をつけてみるようにした。

するとどうやっても、ツーリング時の記録より常に20キロ以上は少ないという傾向が。それで、手っ取り速く、スズロイ濃度を自発的に上げる処理を行って半分まで減る走行キロ数が伸びるかを当初の目安とした。


どううわけか、最初の一目盛りが消滅するまでのキロ数が、今回は一気に100キロまで伸びた。これまで80〜84キロ程度で一目盛り消費していたのにである。それで、これは凄い!と喜んだ。しかし、次の一目盛りが減るのは速く、なんと136キロで減ってしまった。40キロ持たなかった。しかし、次の一目盛り(要するにタンク内の燃料がほぼ半分状態)が無くなるまでに196キロほど走れた。この区間は一目盛りで60キロほど走れた、ということに。これはスズロイが十分に効いている値である。この辺で、shoさんの現場を過ぎてその先の田中で右折、小川町へ向かい、会社へ帰る道筋に入って行く。途中から定置燃費コースも走り、時間とニッラメッコして、遠回りして会社へついた。

で、半分状態からさらに次の一個が消えるまでに255キロ位まで走れた。やはり60キロほど走ったことに。それで、会社へ向かい、後は自宅近くで満タン燃費を計れば結果がでる、と思った。ツーリング後の二回とも、そのスタンド入る前に最後の1個の目盛りに成っていたが、今回はツーリング時と同じ二個のままだった。スタンドへ入ったときは282.6キロ走行。

給油量は、あ、その辺でと言ったのに、いやもう少しとガボガボともう1激給油された。それでも、これまで15L以上だったのが、今回はたった14.25L。2000円でおつりがきました。

で。結果は19.83と、これまでの通勤燃費を1キロ程上回る結果となった。

もちろん、最後は130キロほどまとめて走った結果であり、単純にこれまでの通勤燃費とは比較できないうらみがある。次回は通勤だけでどうなるか、また休みが取れたら、またツーリングではどうなるか!?と興味はつきない。純正モータロイその他を使って、通常使用でリッター20キロ走行を目指したカワサキNinjya氏の記録は以下に。私もこうなっったら、通勤でリッター20キロぐらい記録として出したいなと思っている。

あと、走行感覚の変化としては、とにかく一層静かになった。特に2000回転以下では、忍者そのもの。散歩している人の背後から近寄っても、驚かれないし、警戒もされない。

また、やはり200キロ以上走行後から、エンジンに一層迫力が出て来て良く回る感じがする。最初、以前のように濃すぎたらどうしよう、と心配だったが結果的には、適量かどうかは不明なので、当分増やさないで行きたいと思っている。

量的には、
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/t-mura/seibi1.htm#nenpi

http://momotaloy.web.fc2.com/#


大空の浪人氏の推奨する4個より少ない3個程度ではないか?と思っている。

また、四角い目盛り一個分で約3L程度と思った。取説には、最後の一個になり、しかもそれがこれまでの消失した分を含めて循環するように点滅しだした時点で、およその残量4Lとされている。
3×6=18、残り3余りはメーターでは正確に表示できない残余の部分だろう。前回残り一個になり25キロ程走ったが、まだ点滅はせず、満タンでも15L台で5L以上残っていた。

また、ツーリングの後か先か忘れたが、排気管出口をふとみたら、内側にこびり着いていたカーボンとオイルの混合物らしき物体がはがれ落ちかかっていた。厚みは0.2ミリ程、それが最近すっかりどこかに行ってしまい、内側を指でさすってもほとんど灰色に近い指の汚れで済んでいたが、昨日はさらにきれいになり、指に何も着かなくなっていた。やはり、微妙に違うのだろうが、モータロイの一種なんだかもね〜。大空の浪人さんは、モーターロイとほぼ同じものと推定されている。私も、そう思いたい。しかし、製法が秘密でよくわからない。最近は水銀のように溶けた錫が、自然で固まって行く様を見ながら、冷ましている。すると表面に皺がより、不純物が析出してきて、中央が凹み容量が減る様が見える。ステンレス製の計量スプーンからは冷めると難なくコロリとはがれ落ちる。
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月曜日, 6月 06, 2011

宮崎正弘の国際ニュース・早読み(張作霖爆殺事件の真相 補遺)
2011年6月6日 月曜日 午前9:04

が届いた。おりしも雑誌『線論』7月号では、張作霖爆殺の黒幕はコミンテルンだ、

とする対談が掲載された。239~255、近代史研究科の加藤康男氏と西尾幹二の対談で、この雑誌には前回の記事で出ていた日本側が作成し、イギリス公文書館に保管されていた見取り図が二枚掲載されている。

以下に宮崎氏のメルマガ内容をほぼ前文引用させていただいた。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

       平成23年(2011)6月6日(月曜日)弐
         通巻第3342号     
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 張作霖爆殺事件の真相(補遺)
  やはりソ連の謀略期間が暗躍していた
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 藪の中に埋もれたままの歴史的事件のなかでも最大の謎を秘めるのが張作霖爆破事件だろう。
 これまで張作霖爆殺事件の犯人は河本大作(関東軍参謀、大佐)と『断定』されてきた。あたかも確定した歴史的事実のように、この虚説がまかり通ったのは河本自身が「わたしがやった」と言い残し、かつ自著にも明言したからである。
 
河本大作は明治十六年、兵庫県生まれ。陸軍士官十五期。同期の桜には乃木希典次男の保典(日露戦争で戦死)がいる。彼自身、日露戦争で重傷を負い、ついで陸軍大学(二十六期)、大佐で関東軍参謀。昭和三年(1928)、張作霖爆殺事件を引き起こし、軍主流から外されて予備役に。その後の河本大作は「経済人」の人生を歩み、満鉄理事、満州炭坑理事長から山西省のコングロマリット=山西産業の社長となる。
 
山西産業とは軍が独占的に管理する企業三十六社をたばねた、当時のコングロマリットで、閻錫山軍閥の「西北実業公司」を接収した。資材が優先的に割り当てられる国策会社だから競争力は強い。傘下には炭坑、鉄鉱、機械、化学、紡績、食品などの工場があり、満鉄のつぎの規模を誇った。国策企業として満州へ進出した鮎川義介の「日産」と比肩されたほどだった。
 
閻錫山はアンチ蒋介石という人脈からか河本とは大連時代に面識があったらしい。
 昭和二十年、突如の敗戦。河本はしかし閻錫山の山西軍閥と共闘し、山西省で最後まで戦い1949年、国民党は負ける。翌50年、河本は中国の捕虜となって山西省太源の収容所にぶち込まれた。六年後の昭和三十年、収容所で死亡、遺骨は日本に戻った。
 張作霖爆殺事件は1928年6月4日、北京から満州にもどる張作霖の列車が奉天(瀋陽)付近で爆破されたもので、河本の部下らの「犯行」とされた。
 
爆弾は橋梁に仕掛けられた、とされた。念を入れるかのように河本伝記が作られ「私が張作霖を殺した」と記述した。1954年の『文藝春秋』(12月号)に河本が手記とされたものが掲載された。だがこの時点で河本は山西省太源の収容所にいたうえ、自筆の手記は一切残っていない。まして、河本は東京裁判でも証言台に呼ばれていない
 
「従来の定説・河本大佐犯行説の裏付けとされているものは、殆ど全部が伝聞資料」とした中西輝政が行った。
 それもかなりの歳月を経たあとに某某からから聞いた、関東軍の参謀から聞いた事があるなど資料価値がゼロのものばかり。

 当時から、この河本伝記は資料的価値がうすいとされてはいた。なぜなら河本の自伝なるものは義弟・平野雫児が聞き書きをしたものであり、平野は思想的に左翼人で戦前、治安維持法で何度か検挙されている。
 爆破現場の写真が残るが、橋梁や線路地下に仕掛けた爆弾ならばV型の穴が出来るはずだ。それが見あたらない。つまり爆弾は車内に仕掛けられていたとする説のほうが、科学的であり、説得力がある。

 となると河本大作の発言はデタラメか、自慢するための見栄か、或いは収容所内での洗脳の結果であろう。マインドコントロールで自分がやったと信じ込んでしまった。
 山西省で最後まで闘った日本人部隊は、そのごシベリア抑留されたが、毛沢東が『奪回』し、遼寧省撫順や太原の収容所に集められた。そこで徹底的な洗脳がおこなわれ、「中帰連」が結成された。

 この中国共産党の言い分をそのまま主張する「中帰連」が、日本に帰国後なにをしたか、何を言いだしたかは指摘するまでもないだろう。731部隊は衛生、防疫部隊だったが、それを細菌兵器開発所だとか、生体実験をしたとか突如言い出したのも彼らである。
 冷戦がおわってソ連の機密文書が次々と明るみに出たが、耳目を集めた第一弾はノモンハン事変で日本が事実上勝っていたことだった。

 2005年、ドミトリー・プロホロフという作家がGRUに従事した経験から、独特のカンで張作霖事件の機密文書をさがしあて、真犯人をロシア特殊工作による謀略と断定した著作を発表した。
 ドミトリー・プロホロフ説はこうである。
「1924年、張作霖とソ連政府は中国東北鉄道条約を締結し友好関係を結んだ。これにより(中略)東清鉄道は双方による共同経営となった。しかし張作霖側の鉄道使用代金が未払いだったためソ連が抗議、26年に鉄道の使用禁止を通達したことから両者の関係は険悪化、張作霖はソ連の鉄道管理局長を逮捕して鉄道を事実上占拠した。背景にはソ連が支援した蒋介石軍の中国国民党と張作霖との対立」があった。そこでソ連は張作霖の排除を決め、ソ連軍特務機関のサルヌインに命じた。「1926年九月、奉天にある張作霖宮殿に爆発物をしかけて爆殺する計画だったが、張作霖側もかねてから警戒を強めて満州在住のサルヌインの工作員をマーク、別の工作員がソ連から爆発物を持ち込んだところで、計三人を逮捕、未遂に終わった」 

 この知られざる未遂事件は、白系ロシア移民のバーラキシンが著書で明らかにしているという。
 ソ連が自分を殺そうとした未遂事件に激怒した張作霖は、翌年に「ソ連領事館を強制捜査したり、ソ連汽船を拿捕したり、中国共産党員の大量逮捕」、「さらに満州に亡命していた白系ロシア人の武装組織や略奪を働いていた集団などを扇動、支援してソ連領内への襲撃を仕向け」た。このためスターリンは再度、張作霖暗殺を命じた

「暗殺計画の立案と実行をエイチンゴンと前回の暗殺計画で失敗したサルヌインに命じた。(中略)日本軍が警備にあたっていた区間」が現場となった。意図的である。「張作霖が当時、米国と接近していたので日本が満州の支配を失うおそれがあるという危機感をもっていたことが動機とされ、ソ連の謀略はまんまと成功した」(以上はプロホロフの『KGB――ソビエト諜報部の特殊作戦』より)。

 そして事件から77年も経って、ユン・チアンは『マオ』を著して世界的センセーションを呼び起こした。 
 彼女も張作霖爆殺事件の犯人は日本ではなく、ソ連工作員の仕業と断定し、それをソ連崩壊後の機密文書から探し当てた。ユン・チアンの夫ハリディはロシア語に堪能。
 元谷外志雄はプロホロフの住むサンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)へ飛んだ。元谷はインタビューに成功し。プロホロフから次の証言を引き出す。

プロホロフ (出版した本は)ロシア以外で行われた、KGBが関与した事件について書いています。張作霖の事件はその一つです。張作霖のプロフィールに加え、なぜソ連が彼を暗殺しようと考えたか、1928年6月の爆殺とその二年前にあった暗殺未遂事件について記述しています。

元谷 未遂事件があったのは知りませんでした。二回にわたってソ連が張作霖を殺そうと思った理由は、何なのでしょうか?

プロホロフ 当時の中国の権力者は、共産党を支持するものと、張作霖のように反対するものに分かれていました。張はロシアの反革命軍である白軍の支援をしていました。さらに東清鉄道を巡って、張とソ連は決定的に対立していたのです。

元谷 そういう背景があったのですね。当時の特務機関の活動を、プロホロフさんはどうやって知ることができたのですか?

プロホロフ 歴史の本や当時の新聞などの記事、その他資料を読み込んだり、他のジャーナリストと情報を交換したりして、調べていきました。 歴史家のヴォルコゴノフ氏の本の中で、ナウム・エイチンゴンという諜報員が張作霖事件に関係があったという記述を見つけたのが、私の研究の出発点です。

元谷 先にソ連の関与を指摘した人がいたのですね。

プロホロフ  そうです。1926年9月の張作霖暗殺未遂事件は、クリストフォル・サルヌインというラトビア人のソ連の工作員が、ブラコロフという実行者を使って、奉天の張作霖の宮殿で彼を爆殺する計画でした。これは中国当局に発見されて失敗します。1928年の爆殺も実行の指揮をしたのは、サルヌインだと考えられます。 どうも彼と繋がっている人間が、日本軍の中にいたようです。

元谷 関東軍の中にソ連の特務機関の手先がいたということですか?

プロホロフ サルヌインだけではなく、他のソ連の工作員のエージェントも関東軍に入り込んでいました。これは事実です

元谷 サルヌインは最初から日本軍の仕業にみせかけるために、日本人の実行者を使ったということでしょうか?

プロホロフ そうです。日本軍に属していたエージェントが、サルヌインの指令を受けて、爆弾を仕掛けたと考えられます。
 
田母神前空幕長とプロホロフを引き合わせつぎの対談もおこなっている。なぜロシアが、このタイミングを撰んで、80年前の機密を明かしたかの政治的な意図を田母神は探ろうとしているのである。


田母神 今中国が、経済的にも軍事的にも台頭してきています。中国が力を持ちすぎることは、ロシアにとっても好ましくないことです。中国は日本に過去の清算を求め続け、外交交渉を有利にして、日本を自国の利益に貢献させようと画策し続けています。日本が真実の歴史を取り戻して中国に対抗するために、ロシアからの歴史情報は非常に貴重なものです。これで日本が中国を牽制することは、ロシアの国益への貢献にもなると思うのです。

プロホロフ 中国のこの10年間の動きには、目に余るものがあります。(2009年)数カ月前にも、中国はロシアの国境近くで大きな軍事演習を行いました。その目的は明確ではなく、非常に不透明です。中露間には数多くの問題があります。アムール河沿いにある中国の黒河市からは、汚水がロシアに流れ込み、天然記念物のシベリアンタイガーなど付近の生態系に悪影響を与えています。何度抗議しても、止めようとしないのです。歴史に関しても中国は傲慢な国です。彼らは自分たちに都合のよい歴史的事実を探してきて、それを他国に攻撃的にぶつけてくるのです。これに対しては断固戦わないと駄目です。戦わないと止まらないのです。共通の利益がある日本とロシアが手を組んで、中国に対抗していくべきでしょう」(以上の引用は雑誌『アパタウン』(08年12月号、09年1月号)。

 なるほど機密公開の意図の一部はこれで了解できる。ロシア側は中国を牽制する目的もあるのだ。そして中国はつねに真実には蓋をする癖がある。
 
さらに驚くべき事実がある。
 第一に河本を犯人に仕立て上げるという謀略に成功したエイチンゴンは「張作霖事件当時は北京、ハルビンに駐在、その後はトルコやスペインで暗躍したが、1940年のトロツキー暗殺を指揮した」。そうか、トロツキーも彼の部下がやったのか。
 
第二に彼は「第二次大戦後も『核スパイ』として、偽情報でアメリカ国防省を攪乱するなど、諜報員として様々な暗躍をしている」ことが近代史研究家らの手で明らかにされた。
 
第三に、ソ連の張作霖事件の謀略は「当時のイギリス陸軍情報部極東課が、事件直後にソ連特務機関の犯行であるという報告書を二度にわたって報告し、この報告書は2007年に公開されている」のだ。
 
中国の「南京大虐殺」なるでっち上げも最初は国民党のやとった外国人記者の伝聞情報であり、それを政治プロパガンダとしてアメリカも利用したプロセスを私たちは思い出す。虚報がたちまちにして世界に流れて、嘘が固まってしまう。英米も日本を悪者にしたてる必要があり、いまもフィリピンの「死の行進」などと逆宣伝に懸命である。
 ようやく過去十数年の研究成果によって南京大虐殺なるものが「存在しなかった」ことが満天下に明らかになったが中国は一切の訂正をしない
 廬溝橋事件にしても、こんにちでは中国共産党が日本と蒋介石軍双方に発砲したことが明らかになっている。

▼伊藤博文暗殺、ホントは誰が犯人か?

 類似のパターンは伊藤博文暗殺事件である。安重根の放った弾丸は伊藤博文にあたらず隣にいた日本人にあたった。伊藤の致命傷は背後から(ハルビン駅の二階食堂)飛来した弾丸だった。
 
おそらく張作霖と同じパターンである。犯人は最初から仕組まれていて、しかも犯人はそれを信じ込む。安重根が暗殺犯人でないと韓国もまた困る。すでに安重根は英雄として教科書にも登場し、ソウルには記念館までおったててしまったから。
もし、これがロシア諜報機関がしくんだもの、日本に協力者がいたとすれば伊藤に反対した日本の政治かグループが背後にいたことになる。機密文書がでてこないので、推定しか出来ないが、評者の推理はたぶんあたっているのではないか。
   ◎◎ ○◎

宮崎正弘の国際ニュース・早読み(張作霖爆殺事件の真相 補遺)
2011年6月6日 月曜日 午前9:04

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日曜日, 6月 05, 2011



昨日Windows版のSheepShaverを出したので、今日はMac版のそれ。これ以上はアップできない9.04止まり。
http://ameblo.jp/advernya/entry-10245362520.html
でおすすめの 『起動・終了は大変高速なので、問題ないのかも。頻繁にOSXとOS9を切り替えたい人は、Window表示モードで解像度を“1024×768”で起動するのがいいようです。』と言うようにその解像度表示に設定してある。

インターネット環境をあれこれ試す。

試しにあたらしいブラウザーをダウンロードしたが、今回は自動的に解凍ソフトが共同で動作するようになっていて、ダウンロード後、すべて展開を選ぶとそのまま使えるフォルダがデスクトップに現れる。それで、昨日~.sitのままだった過去にダウンロードしたファイルをマウスでいじってたら、解凍が終了したのかと思った。


久しぶりにコントロールパネルを開いて見た。当時はやたら多くの機能があると思ったが、今では意外にスッキリしているあ、という感じ。たった31項目しかない。

それで、もっと多かったイメージを思い出した。そうだ、機能拡張フォルダだ。どちらも、システムフォルダ内の構成要素で、他にアップルメニューとか初期設定とか、Finderとかけっこうごちゃごちゃと詰まっているのである。

コントロールパネルに比べて139項目と4倍以上のファイル群が詰まっていて、Macらしく動かす縁の下の実行部隊だ。



そして、失くしたと思っていた各種の積分表などを見つけた。こういう形式はこのように変換せと、という定義ファイル群である。私の行った積分はうまい具合にぴったりのものはなく、簡単な規則をいくつか組み合わせて、幾段階かを経ないとTheorist教授といえども、出てこない。それでもMathemaricaの最近の解は、伝統的な表現では、これもアリ程度の扱いだ。


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