日曜日, 7月 31, 2011


MacOSX LionといってもOSのバージョンでいえば、10.6から10.7へとコンマ1だけアップへと変わっただけだがネットでも少し話題になったように、一部でかなり変わった。パワーPC用アプリは、ロゼッタ環境が無いので、全面的に動かなくなった。インテルMacでも引き続いて動いてくれたエクセルやワード、パワーポイントなどは全て動かない。アイコンに不可マークがついている。旧クラシック環境でのアプリ類はOSXになったとき、軒並み今回と同じマークがついて今ではエミュレータ上でしか動かない。

それで、いまさら10.6には戻せないので、外付けHDにインストールしてあったSnow Leopardから起動させ、エクセルなどを覗いていた。ADSL回線が契約終了で切れる直前のことである。

しかし、たまにしか使っていないので、動作は正常に見えてもHD自体の状態はどうかと、付属のディスク診断ユーティリティでチェックしてみると、問題はないようです、という結果でもいままで試したことのないディスクへのアクセス権もチェックさせたら、問題が沢山出てきたので、修復をさせておいた。


今回の光回線によるネット接続は、MacではOSX10.0〜10.6までしか対応していないと説明書には書いてあったので、10.6環境を整備しておかねば、と思い外付け2台を交互に起動させあれこれ診断ソフトでチェックさせた。しかし、一台は再度アクセス権をチェックしたらまたもや修復され邸内部分が半分程出て来たので、消去して新規再インストールして、10.6.0になった。

予定より9日間遅れでやっと光回線が開通した。NTTのセールストークでは、何時でも回線は引けるということだったので、家の前まで来ているものと思っていたら、前回とは違う子会社の人で、まず、何処まで来ているか少し緊張してあちこち駆け回って、かなり遠くから接続するようであった。積んでいた光ケーブルのドラムが、引きおわったら、半分程の直径にまで減っていた。私が歩幅で距離を測定したら約90メートルはあった。後で、車輪のついた距離計で距離を測っていたので、確認の為聞いたら、80メートルほどだというが、その距離は家から最寄りの電柱を基点に測定
したというから、誤差10メートルはちょうどそのくらいか!?と思った。工事費は6090円。

ケーブルはNTT回線からほぼ横に伸びている各家庭への引き込み線の上を通して(乗りかかるように)途中電柱三本とだけ固定して上空機器と接続した。工事は二時間ほどで終了。





半日休みだったので、会社へ行く前の30分程で、インターネットへ接続できるか試したが、まるで勝手が違うようで断念した。

Mac用インストールプログラム(Win版と共用CD)は、何と旧クラシック環境での設定専門で、OSX版は10.6までで、readmeファイルだけ、という簡素さ。で自分ですべて設定しないとどうにも繋がらない。しかし、ほぼ自動で立ち上がっているイーサネットには対応しておらず、旧クラシック環境と同じPPPoEというネットワークを別に設定し、それを使って接続するという設定で、この時点でWin環境がうらやましくなった。

この状態で、NTTが設置していったモデム?とは繋がらず、ランプ類も付かない。しかも初期設定という工場出荷時を示す赤ランプが付きっぱなし。

会社で自作PCで光通信を経験しているiPhone同僚に概要を聞いても、いまいち合点がいかない。で開通した金曜の晩は、接続よりも外付けのHDの中味の診断で大半をすごし、合間に思いつきでこうではないか!?と思った設定を試す程度。

幸い、土曜日もその友人が珍しく出社したので、要点の概要は分かってきたので設定のコツを聞いたが、頭の中は曇りだらけで晴れ間は見えなかった。

土曜日は例によって三週間ぶりにバイト氏を迎えて大量の現場仕事。友人は一日では無理では!?と言っていたが、昨夜の雨が現地ではウソのように晴れて17時まで現場で仕事。で、なんとかすべて終えることが出来た。やれば出来る!と変な自信が湧いてきた。

友人から聞いたコツを思い出して、繋がっていないパソコンでインターネットエクスプローラーを立上げ、http://ntt.setup/と入力して、NTTのモデム兼ルーター!?に接続する、という取り組みを行った。

友人がWinで接続したほうがあっさり行くかも!?などと言っていたので、MacBookのXP環境をたちあげそこからアクセスしようとしたが、アクセスできず、診断を行わせたら、全然ちがうIPアドレス、192.168.207.128などという見たこともないアドレスを表示し、かなり難点があるようなレポートが2~3ページ分くらい出たので、仰天し諦めた。工場出荷時は、192.168.1.1だという。

しかも、昼間万一のときを思って聞いていたお任せ設定サポートのフリーダイヤルのメモを会社に置き忘れて帰宅していたので、それまママならない。

仕方なく、外付けHDにインストールしたシステムのテストなどをしていたが、そこで初めてロゼッタ環境がオプションインストールでしか入っていないことに気づいたりして、外付けシステムは10.6のままで置いておきたいのでインストールしてオフィス類が動くことを確認した。

Win版の説明もかなりあって面倒なので、またLion環境から、FireFoxで試したらどういうわけかあっさりNTTの機器に接続できた。それで、10.7でも10.6と同様に設定できるのでは!?と思った。本人の作成したパスワードを登録したら、機器が再スタートするらしい。
ここでも、Yahooから来た接続先ユーザ名と接続パスワードを入力する欄があり、それらを満たす。再起動した後、聞いてきた本人の名前とパスワードを聞いてくる欄が説明書とまったく違っていて、NTTのどこを見るには、以下の蘭の入力が必要です、などと出てくるので戸惑ってしまい、あちこち書類を捜したが、体裁は異なるものの説明書にあるとおり、本人蘭はuserとだけ入力、パスワードは探してもなく、さきほど自分で設定したパスワードをいれればOK。PPPランプが緑点灯していることを確認してください、などとあるが階下のためそこを通る時しかみなかったが、通常は消えているのか点灯はしていなかった。


しかも、この設定後、30秒ほど接続が途切れるらしく(書いてはある)、これでもダメカと思っていたら、だいぶしてからメールの着信音が響いた。それでメーラーを開くとぎっしり着信メールが表示されて、あっと驚いた。だめだと思っていたLionだが、試行錯誤で最初に開通していたのだった。その後、FireFoxでYahooを開いて確認。速そ~!!。

で、速度を測定したりして、今までの習慣から、これで、器械が同じだから外付けHDから起動したら自動的に繋がると楽観したが、そうは行かなかった。今回は有線だけでつないでいて、1対1で以前は無線LAN件有線LANだったので、一度繋がれば他の線でも同様だったが、今回は
同じ線でもシステムが違えばまた設定しなくてはあらず、その辺はどういうわけか全然うまく行かなかった。それで、各種の疑問点を含め、10.6環境で使える設定を電話で聞こうと、今は思っている。

で、Lionに戻して再起動した場合、通常ならば自動接続だろうと思っていたが、Ethernet環境で立ち上がるようで、もう一度PPPoEというローカルな設定に戻してやらねば繋がらない。この段階でもだいぶ焦った。できれば無線LANの設定もしたいが、とても時間がない。




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日曜日, 7月 24, 2011


MacOSX Lion をさっそくインストールした。

光回線へ移行した筈の晩である。しかし、本人が不在だと工事はできないという頭の固い工事屋さんで、他人の二階へあがり、パソコン環境をみただけで帰って行ったという。

契約前に電話でNTTと話したおり、受信器以降は従来のADSL回線をそのまま使うからということであって、本人が居なければ工事はできない、などという話では全くなかった。

翌日NTTの工事担当の女性から携帯に電話で、工事の人が本人がいないのでそのまま帰りましたが、今度は何時居ますかときかれたので、従来無線LANシステムをそのまま使います、といったらじゃあ、居なくてもいいですといわれて、次回の期日が決まった。29日となった。

するとアップルストアーは大変混雑しているようで、3.75GBほどのダウンロードに数時間かかった。システムディスクレスでお値段2600円で安いのだが、いざというときこまるなあ〜と思っていたら、それはすぐにやってきた。

翌日従来のオフィスアプリとアドビの一部、スキャナーなどが使用不能マークが付いていて一切起動不能。そんな事はどこにも触れていなかったぞ。最近のアプリはみな大丈夫のようだが、すぐに魅力がなくなった。新機能を見ても見かけがちょっとかわっただけなのに、何たる
不親切。要するに新製品への買い替えを促すステップへの一環か?と思った。

丁度その直前にオープンフィスのプロモーションがあり、しかも有料ということから、暫定的にはこれでもいいかと安易に購入したら、これも使用不能マーク。

仕方なく、外付けHDからの起動で、前のSnowLeopard環境に戻した。そしてもう一台の予備HDにも起動システムが入っているのでそちらからの起動をチェックしたら、アクセスはしているのだが、起動しない。二度トライしても駄目だったので、ディスクユーティリティでディスク診断を行うと、いろいろと異常があるらしく、修正しようとしたところ、修正も途中で止まり、要するに再フォーマットせざるを得なくなった。

そして、これまでのバージョンアップでは必ず付いてきたシステムの入ったCDからシステム再インストールすることにした。ところが、本体はすでにLion版になっているので、このディスクでは駄目だ、!となったので、外付けHDから起動し(USB接続)、ファイアーワイヤー接続の
外付けHDにシステムをインストール。ところが、最後のステップでいきなりパスワードを求めてきて、何を入れても画面が震えるだけで、拒否され頓挫。さあ~困った。どうしようと、アップルへの連絡先を探したり、あれこれ手段を思い浮かべてみたが、対処方法無し。

こういう時は、まず落ち着くことだと言い聞かせ、非常時の対策を自分なりに考えた。
本体と、今起動中のシステムは正常なので、なんとかそちらで起動させたい。しかし、電源を切っても今トラブル中のシステムから起動してしまう。そこで、ファイアーファイヤーのコネクションを外し、残り二個のどちらかから起動するにはどうしたらよいか、と考えながら、まず異常システムを外して再起動。しかし、どちらからも起動しない。

それで、起動性のシステムディスクは本体内にあることをまず意識し、それから起動するにはどうしたらよいか、以前のマックではいくつか複数のキーを同時に押さえる必要があったが、最近のマックでは、起動時にCのキーを押し続けること、という指示を思い出し押し続けたら、だいぶ時間がかかったが無事起動。これでまず一段落。また、インストールディスクなのですぐにインストール過程へ入っていくが、オプションとして通常のシステム環境設定メニューがあり、そこで、起動ディスクを選び再起動もできることを確認。それで、正常な外付けHDに戻り、もう一度ファイアーワイヤー接続のHDの特性をしらべ、インデックスを調査させ、そららの異常を修復させ、それからインストール。一応無事終り、第二の外付けから再起動させると、!!!???起動させているHDがデスクトップに現れない。

それで、本来CDから起動させそのCDシステムからインストールさせるのが正常らしいが、別のシステムからCDのファイルを読み込ませて別のHDにインストールしたのでは駄目らしいとわかり、三度目のインストールをしたが、状態は変らず。しかし、いちおう問題なく動いているようだし、諦めた。この間にいつの間にかADSL回線が契約どおり接続が切られインターネットが使えなくなってしまった。

その前にEvernoteを外付けHDシステムでも使用しようとしたら、どうも初期設定が適切でなく
これまでのデータの大半がダウンロードできず、ごく最近の10本ほどのデータしか復元できず、削除してしまった。これが、再度インストールしても同様なら、エクセルを使うなら外付けで、そうでないなら本体のLionでというように使い分けねばならない。最新のオフィスなら、Lionにも対応していると思うが。

まあ、LionだけでもWin環境は起動するので、そちらのオフィスを使う、という手もあるしと改めて思った。しかし、スキャンアプリなどは動かない。いずれ動くようなものが出るとは思うが、それまではWin環境で利用するか、再起動して旧システムでというけっこうわずらわしい環境にもどるか、どちらかである。サブシステムが複数あると、いろいろなことがわかり、面白くもあるのだが、これがマックの悩みでもある。

http://news.livedoor.com/article/detail/5733889/

http://news.livedoor.com/article/detail/5736562/

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み(はやくも中国新幹線の頓挫)

と題して、今朝6:02分着信。パソコントラブルで起動作業に追われていて、ようやく復旧。急遽、皆さんにアップさせていただきます。宮崎先生の中国での同一路線の実車体験コメントも
予測と現実との乖離が少ない先生の視点に驚かされます!!!。

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成23年(2011)7月24日(日曜日)
          通巻第3375号
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 ついに起きた中国新幹線、大事故。浙江省温州付近の鉄橋から落下
  死傷者多数。「世界一安全」って豪語した直後、この事故が持つ意味は?
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 2011年7月23日午後八時半ごろ、浙江省温州から福建省福州へ向かっていた「和諧号」(いわゆる中国新幹線)が豪雨と落雷の中、先行する列車に追突。高架橋から列車が30メートルほど下へ落下して多数の死傷者がでた。

 報道に依れば、落下した列車はD3155.杭州発福州行き。
 手元の中国鉄道時刻表で調べたら、D3115は杭州を1640に発車、福建省の福州南着が2145となっている。
 筆者はこの列車に乗った記憶があるので(それも今年の3月ごろ)、保管してある切符を調べた。
 
 筆者の乗ったのは3月9日、杭州を午前7時2分にでたD5587で、一度、温州で降りた。温州で取材後、つぎに温州南発14時57分のD3107に乗っていたことが分かった。
時刻こそは違うとはいえ、同じルート。身震いがする。

 中国新幹線はチケットの種類で時速が異なり、北京―上海間の超特急新幹線は{G}で示される。また城際新幹線というのは短距離を疾駆する新幹線で(C)で表示される(たとえば北京―天津)。
 事故を起こした新幹線は{D}で示されているように「動車」を意味する。一般的には従来線のレールに時速250キロ前後の車両を奔らせる区間も多い。こんかいの事故の列車は新しく敷設したルートと推測される。

 しかし予測されたとはいえ、はやくも中国新幹線の頓挫を示唆している。安全を無視したスピード第一主義と手抜き工事。地盤改良工事をそこそこにしての繰り上げ開業、インフラの未整備。まるで中国経済のいびつな構造そのものを新幹線事故は象徴してはいまいか。
 
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 頼昌星、カナダから送還。裁判にはカナダから外交官の傍聴を認めるが
  この裁判は国家機密に属するとして非公開の可能性、判決は死刑が有力視
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 ヘラルドトリビューン(7月23日付け)によれば、カナダから北京へ強制送還される頼昌星は、拷問も死刑もないという中国側の約束はすぐに反故にされるだろうとする弁護士の見通しを伝えた。

 頼の弁護士であるマタス氏によれば「彼の弟と経理担当者は、中国の監獄で謎の死を遂げ、今日に至るまで説明がなされていない」。
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  読者の声 どくしゃのこえ DOKUSHANOKOE 読者の声
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(読者の声1)中国版新幹線の事故、情報が錯綜しているようです。2両が脱線転落と書かれた記事がほとんどですが、写真を見る限り横倒しが数両、高架橋と地面に垂直の1両、さらに先頭車両は完全にひっくり返っています。
新しい情報では、追突したのは、D301列車で、D301列車先頭の1-4号車、追突されたD3115列車の後尾の15、16号車が脱線したようです。
http://ww2.sinaimg.cn/large/6397c24cgw1djfz1z4kwij.jpg
http://ww1.sinaimg.cn/large/51db861egw1djfz6t78ohj.jpg
http://ww4.sinaimg.cn/large/6397c24cgw1djfyzyjs55j.jpg
左に停車していたのはボンバルディアのCRH1、追突したのは日本のはやて型CRH2を独自改良で寝台型にしたCRH2Eですね。
日本は車両の製造技術は供与しましたが、中国の信号・保安方式は欧州型ですから日本に責任はまったくない。雷で信号故障というのは先日の北京~上海線でもあったばかりですから、手抜きで雷防護の保安器を設置していなかったのでしょうか。
さらにATSなどもまともに作動しなかったようですね。通常であれば停電などがあれば停止信号で追突など考えられません。
一月ほど前の香港紙に中国の技術者が怖くて乗れない、と語ったのは本当だったのですね。
  (PB生)


(宮崎正弘のコメント)実は昨日の講演会で、「そのうち大事故が起きるでしょうから、小生は開業したと聞くとすぐに乗りに行っているのです」と話したばかりでした。ちょっとふるえがきましたね。この事故のニュースを聞いて。
 ご指摘のD301は北京南駅発、上海行きの夜行寝台車のようです。



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(読者の声2)菅総理の在日朝鮮人からの違法献金問題と北朝鮮との繋がりが指摘されている政治団体への政治献金問題、国会中継では放送されていますが、メディアは産経新聞と関西テレビを除いてまったく報道しない異常さです。
以前、戦前の日本は韓国で良いこともした、と発言しただけで辞任に追い込まれた大臣がいました。日本の朝鮮統治の実態はどうだったのか。
「日本帝国の申し子」 カーター・J・エッカート 草思社 2004(原著 1991) は、日本が戦前の朝鮮半島でいかに「収奪的植民地支配をしなかったか」、それどころか産業発展のために朝鮮総督府が果たした役割の大きさを、朝鮮史上初の「朝鮮資本かつ朝鮮人経営の京城紡織」という企業の発展を通して、現代韓国の発展の基礎が日本統治時代にあったことを「帝国主義」「植民地支配」といった価値判断を避けて実証的に論じた好著です。
序文ではネットでは有名な「朝鮮紀行」を引用し、『イザベラ・バードはソウルのあまりの「みすぼらしさ」にたじろぎ、それを「描写するのは、はばかられる」と述べた』と朝鮮がいかに立ち遅れていたかを説明。朝鮮の王権についても有力門閥の筆頭程度の権力しかなかったとしています。
清の使者を迎えるのに「三跪九叩頭の礼」を行ったのが、琉球の守礼門であり、李氏朝鮮の迎恩門です。
同書によると、日本統治時代初期は朝鮮を農業国にとどめる方針で、工業といっても精米機など農業関連のものしか認められなかった。当時の工業では繊維産業が花形、1905年には日本の棉花栽培協会が優良な陸地棉の種子を無料で朝鮮の小作農に配布し、収穫を増やす高度な栽培技術を伝えた、というあたり現代日本がタイで自動車部品産業に無償で技術支援しているのに重なります。
日本の朝鮮政策が変わった要因は第一次大戦(1914-1918)と三・一独立運動(1919)。まず第一次大戦による海上輸送の不安、船舶の逼迫で欧州が独占していたスエズ以東の綿市場への商品供給が滞り、日本が中国・インド・中東・アフリカまで進出する契機となった。
戦争にともない日本は未曾有の好景気で債務国から債権国へ、米価高により朝鮮の地主階層に余剰資金が生まれる。日本の工業製品の需要が一気に高まり、日本の設備増だけでは追いつかず朝鮮の製造業を発展させる必要に迫られた。また独立運動を機に武断政治からの転換がなされ、日本留学で近代知識を身につけ企業家精神を持った地主階層を資本家として育成することで、資本家の利益=日本の利益、となるようにした。すでに1917年には朝鮮銀行券が関東州での唯一の法定貨幣とされるなど、朝鮮と中国北東部の結びつきが深まっていた。
日本の綿工業はすべてイギリスが手本であり、1909年になっても日本の全紡錘数のほぼ90%がイギリスのオールダムにあるプラット兄弟会社から輸入されていた。
しかし戦争で部品供給がとだえ国産化が進む。1926年、「豊田式自動織機」の発明が国際繊維業界に一種のセンセーションを巻き起こす。一人の労働者が操作できる織機の数が6台から60台へ、という画期的な大発明で日本の繊維業の水準は欧米を追い抜いた。
1929年、プラット兄弟会社にイギリス(アジア・アフリカ領含む)と欧州大陸での独占製造・販売権を付与、イギリス人の指導を受けた繊維産業で今度は日本人がイギリス人を指導することになった。欧米からの視察団は豊田の工場がかなりの規模で自動化されており、しかも独自技術の機械が多いことに驚いています。
このとき得られた莫大な資金がトヨタ自動車の元になり、戦後トヨタの躍進に繋がるのですが「カイゼン」のDNAは豊田佐吉から受け継がれているのですね。
さて、朝鮮資本の京城紡織とはいっても、機械のネジ一本から原料の綿糸まですべてが日本製、しかも布地の品質では日本製にかなわない。そのため朝鮮南部での競争はあきらめ朝鮮北部から満州市場へ活路を見出す。
とくに満州では日本では低級品とされる布地が大いに受け入れられる。朝鮮総督府は朝鮮企業に補助金を与え保護育成を図り、日本の繊維業界も紡績会社から問屋・商社にいたるまで京城紡織への支援を惜しまず、どちらにも利益のある持ちつ持たれつの関係。本国と植民地で産業が競合した場合、通常であれば大きな問題となるが、繊維産業の場合は日本は高級品、朝鮮は中・低級品の棲み分けができていた。
このあたり現在でも部品産業が育たず日本頼りの韓国と同じです。労働者の待遇では、日本では女子と14歳未満の深夜労働が禁止されていたのに対し、朝鮮では規制なしの12時間勤務で休憩45分という過酷さ。それでも当時はアメリカでも年少労働があたりまえ、現代中国の闇工場での奴隷労働などよりはよほどマシかもしれません。

1936年には日本は綿糸・布の生産で英国を抜き米国に次ぐ地位にたつという、戦後の日米繊維摩擦は1930年代からの継続だったのですね。1930年代以降は中国・満州各地に日本・朝鮮資本の工場が数多く建てられ、後にはストや日貨排斥などの舞台となりますが、これも現代とよく似ています。
京城紡織の経営者は「東亜日報」の社主でもあり、日系の工場のストライキは報道しても朝鮮系の工場のストライキは報じない。それどころかスト排除のため警察に頼るのも厭わない。傘下に数多くの企業を持ち、借入れ資金は企業から企業へと複雑な流れでよくわからない。このあたりもある日突然財閥がつぶれる韓国と同じです。
著者の指摘で興味深かったのが、日本は朝鮮の工業化を推進したが、京城帝国大学に工学部ができたのが1938年だった(台湾ではさらに遅い)ことなど、人材育成の点では高度技術を扱うのはあくまで日本人主体であったとしています。
原料の生産・加工の例として、朝鮮産のタングステンは日本に送られフィラメントに加工、それを朝鮮で電球にするとあります。
中国のレアアースが日本で高度な部品に加工され、中国では製品を組み立てるだけ、といった事例につながりますね。
  (PB生、千葉)

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 樋泉克夫のコラム  樋泉克夫のコラム  樋泉克夫のコラム
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以下略。
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土曜日, 7月 16, 2011


最近、度々以下のサイトを訪れいろいろと考えている。新たな体験談(現在へ至る布石となるような昔の諸経験)なども新規追加され、似た経験を持つ者としてはある種の仲間意識も芽生えたりもしている。
http://momotaloy.web.fc2.com/

今まで、過去の経験からスズ片を投入するのはこの位にしておこうと自制的だったが、このサイトを読んで考えていると、初代CB1000SFで得た経験が必ずしも一般的ではない、とすら思えるようになった。投入量が多すぎてはダメと思っていたが、それは、前の型特有の問題だったのかもしれない、と思うようになった。

多すぎると、排ガスにカーボンが含まれてマフラー内に大量に蓄積する、というのも先代のあのモデルに限っているようだ。
今のCBでは、排気管は却って投入後のほうがきれいになって、内壁を素手でこすってもほとんど黒くならない。燃え方が全然以前とはちがい、きれいに燃えて余計なカーボンなど出ない。

大空の浪人さんによると、投入量が多くても特に問題だった経験は無い、と仰る。やはりカーボンが出たり、排気管が石炭ストーブの煙突のようになるというのは、多すぎたせいもあったろうが、それ以外の要因が大きかったのでは!?と思えて来た。

それで、もう少し増やしてみようと思っていた。たまたま金曜日に250の音無しのスクーターがやけに速く、こちらも音無しで吹かして追いついたら、少々焦ったようで、つぎの信号発進ではフライングして逃げていった。それにしてもやけに速い。それで、もう少し安心して吹かせるように増量を決意。

たまたま土曜日というのに、仕事がなくて3日休めることに。それで、急遽追加のスズ片を作る算段を前の晩から考えた。最初購入したインゴットがほぼ半分の量となり、長さも半分に。すると溶かす作業中に熱くて持っていられない長さとなったので、溶かさずキャラメル状に削りだすことを発案。最初、鉄ノコで削る事を考えたが、円形グラインダーで削ることに変更。やってみたら柔らかいので難なく削りだせた。しかし、やはり小出しに小粒のものとなった。

これで三個目だが、momotaloyの3〜4個分かそれ以下と思う。バリが結構出来るので、それを取り除いて投入。カラカラとタンク底へ沈んだ。

するとすぐ試運転に。今回は山の上りでテストすることに。場所は顔振り峠と決めて出発。途中で満タンに。燃費を見ると18.78とあまりよくない。昨日バトルで吹かしたりしたからだろう。その前は19.5だった。そして何時ものローソンへ。ここで、満タンから15.9キロ。

そして299号へ。顔振り峠分岐点へ。32.5キロ。

ナビがなくとも案内を見ながら迷わず侵入できる。さすがに涼しい。しかし、時刻は9時半になろうとしている。うぐいすの鳴き声をはっきり聞いた。今日は土曜日なので、徒歩で林道を歩いたり走ったりしている人たちが、サイクリストと同数くらいいた。音が静かというのはこういう時に精神的負担にならず、後から近づき、静かに前に出る。途中道の分かれ道で写真をとったりしていたら、先ほど追い抜いた女性から挨拶されて先へ行かれた。結局その方のルートを追ったのだが、そのときはもう徒歩だった。

ここまでで、丁度40キロ。9時40分。うぐいすが盛んに鳴いている。そろそろ対抗のバイク達と行き違う。コーナーでは1300回転あたりが最低線で問題なく静かに走行できた。やはり1000よりは走り易い。

檥はブナと読ませるらしい。実物の標識を見て想像した字と違うことにビックリ。そういえばshoさんも疑問におもわれたようだったな〜。登りきってしまえば、あとは緩やかな周遊コースの感じであっさりと距離を稼いで、ほどなく刈場坂峠。標高818米とか表示されている。10時14分についた。距離は47.5キロ。しばし下界をながめるが、風がなく暑いのでまた走り出す。スタンドでコーラを飲んだだけなので、喉も乾いてきた。腹も減ってきた。で、けっきょく定峰の茶屋へ。

白石峠へと抜ける途中、マラソンしてくる二人ほどの人影があったが、それとすれ違うとき前方の路上に何かある、と思い回避行動をとって通りすがりに下をみたらリスかなにかの遺体だった。その先がT字路で丸山峠と白石峠の分かれ道で案内標識がある。それを見てからもういちどUターンしてさっきの遺体を観察に戻った。死顔が穏やかで、これといった外傷はないが、片方の鼻孔は固まった血でふさがれていて、アスファルトの路面にも微量ながら血痕もあった。おそらく車の車輪に触れるかして、はね上げられ身体をフェンダーかあるいは車体下部にぶつけほぼ即死状態なのではなかったか!?などと勝手に思った。しっぽの毛がふわっと逆立っていて、それを見たときずいぶん粗毛だと思ったけれど、あの状態が普通なのかそれとも衝突のショックで逆立ったのかなどと思いは尽きない。いずれまた今度は轢かれることになると思いそっと安眠できそうな場所へ移動させたが、死後硬直はとっくに起きていた。おそらく金曜日か木曜日にははねられたようだ。手足の造作といい、毛色の変化といい、まるで標本のような貴重な美しさまで感じたが、どういう生活を送っていたのか、家族はどうしているかなどと思いがさまよう。

定峰茶屋では先客が食事中であった。アイスコーヒーでもと思って注文したが先客に出された氷いちごをみて気が変わり同じものを
注文。管直人の個人見解を発表するなんて、と愚痴っていたが何とかなりませんかね〜などと話しかけられたが、そうは言ってみても何も始まらない。確信犯的工作員だから、早くやめてもらうしかといっておいた。韓流の人だということは先方も承知だった。

氷を食べ終わると、これからてるてる房S改まで行かなきゃとバイクにまたがる。バックしてある程度向きを変えていざまたがろうとしたら、けっこう斜面で前へバイクが移動し、こけるかと思ったが、そこは経験でカバー。エンジンをかけ、発進したら、音が静かなので、そこら辺の何人かが車の陰から一斉に顔を出して覗かれていた。

定峰を秩父側に降りて途中から長瀞方向へ。初めての道で札所一番というのがあった。もう下は暑くてたまらない感じである。
昔秩父全域の調査で川上村の堺付近から車が入れないところは徒歩で山の上まで回ったことがあったから、大抵の道は少なからず一回は通っていることになる。今日の顔振峠だって、二三回は通っている。平九郎茶屋なども見覚えがあった。こんな山奥に三重だか4重の塔なども立っていたり。ほかに、電波塔建設関連で林道を回ったことも。電源のある場所は自販機がセットされていた。長瀞へ抜ける荒川右岸沿いの県道のトンネルだけが唯一の涼しい場所だった。そこから寄居を抜けて本庄・児玉方向へ。

目指す場所はすぐに見つかった。長浜北の交差点で99.4キロ。そこからジャスト0.8キロで到着。GPS表示の100.2とメーター表示の100.2がぴったりと一致。ちょうど100キロ走行あたりで、燃料計の目盛りが一個分かけてしまった。あんまり燃費は、のろのろと登りを走っていたのでよくないな、と思う。ちなみに水温は到着時109℃だった。通勤だと会社へついて83℃だとか、その辺が多い。

店へ入る直前になじみらしい客が一名入った。客はほかに私一人。なんかさみしい気もする。例の500円定食メニューもあったが、しかたなく、のども渇いているので、アイスコーヒーとサラダがついたカレーセットを注文。居酒屋の突出し然としたナスの煮付けもサービスで出してもらえた。先客は、どこかでやる予定のパーティーかなにかの催しの食事メニューを注文に来たようで、途中その仲間の客がもう一名加わったが、暑いせいか他の客は全然来なかった。カレーはどちらかというと甘口で、赤ピーマンも入っていたようだが、肉の種類ははっきりしなかった。素朴な味でアクセントの効いたうまさはないが及第点。店長から、メールアドレスの入った名刺をいただいた。

さて、どうやって帰るか!?。暑いので高速を使って早く帰りたいと思ったが、高速は一般道よりもさらに暑かった。本荘児玉から東松山まで、途中嵐山パーキングで水分調整。一台バイクが出ていき、空いたスペースへ駐車。残り一台はカワサキの650。エンジンを切ったのにライトがオンのままバイクを離れているので、教えてあげたら、慌ててスイッチを切っていた。

今回は上り車線のパーキングであったが、猫が住み着いている。以前、下りの同パーキングでも猫は見なかったが、複数の皿と餌を、今回同様の屋外休憩場の周りに置いてあるのを発見していたから、どちらでも猫は餌をもらえるようだ。観光客の子供に混じって、じっとしている猫もいた。

今日は一回の走行で167.4キロで終わった。で一応満タンにして燃費をみたら、20.565。初めての20キロ台中間の値となった。
実は途中の燃料計の減り方から、通勤燃費と同じ19.5ぐらいと想像していたが、意外と良い結果となった。これがスズ片追加の効果と言えるかどうかはまだ不明。ただ、今日の登りの過程でかなり音が静かになり、かつスムーズに回るような感じは強まった。

高速で、カワサキの新型リッターバイクが抜いて行ったが、やはり音は静かだった。110キロ程度しか出さなかったが、振動は以前よりは少なくエンジンフィールは柔らかく丸くなった感じ。

iPhoneアプリである、高度やルートを記録させるアプリは、電池の消耗が激しく3時間ほどしか持たないので、今日は電池による充電器
(単3×4)を持参して備えた。定峰あたりで充電しなくなり本来の電池で行っていたが、念のため高速を降りてからコンビニで新電池に買えたところ、79%まで落ちていたバッテリーが100%まで回復した。最初に入れてあった電池はかなり劣化していたようだ。920円の安物だったが、電池さえ新鮮なら十分使えることがわかった。電池が消耗していると、この充電機器はフォローされていないものである、という意味の警告がそのつど出ていたが、新電池に換えたらすぐさま充電をして、余計なアラートは出ず終いだった。


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金曜日, 7月 08, 2011


現在、二代目のCBにスズ片を入れてかってのモータロイの代用としている。ネットで見る同様の記事にはどうしてもモータロイの広告の影響が色濃く出ていることは当然としても、なぜ、どうしてそのような効能が可能なのかというあたりが渾然と暈されたままの部分が多いように感じられる。入れた結果、燃費が多少向上することは経験として結果も出て来たし、なんとなく分かったような気もするのであるが、毎日使っているとおや!?と思う事も少なくなく、もう少し具体的な展望が持てないものか、と思う。

これは、再投入を決めて2000キロほど走行した後の先代のピストンであり、走行実感としてまだ本来の付着量に戻っていない、という感じがしていた頃の分解写真であり、ピストン側壁中央あたりにうすく曇りのような部分があるが、その辺にどうやらスズの微粒子成分が付着しているようであった。

こすっても取れないし、指先で上下に摩ってみるとそこだけ幾分盛り上がっているように感じられた。もっとも、スズ成分など投入していなくても、ピストンの首振りにより中央部あたりが一番摩耗しにくい部分ではあろうけれど。一枚目の写真が吸気側、二枚目の写真が排気側である。


現在、二代目で投入試験を続けているが、投入後6000キロ程走り、うち1000キロ近くは途中で増量さえ行っている。使用感としては、燃費はさらに上がったようだが、まだまだ慣らしが必要なのか、それとも入れすぎてしまったのかは定かではないが、エンジンの回転に抵抗感がつきまとうことが多くなって来た。それはアクセル開度最弱で走行中、ゆっくりアクセルを開けて行く時回転上昇にわずかの抵抗感が伴うことである。それがいつもあるというのではなく時々感じられるという程度である。長距離ツーリングなどではそういう気配は一切感じられないが、片道20キロぜんごの通勤ではタンク内ガソリン容量が半分程度へって来たりしているときなどに起きたりする。

長距離ツーではタンク内に溶け出すスズ微粒子は時間とともにほぼ一定と考えていいだろうが、タンク内のガソリン量が漸減してくので、スズ濃度は微増していく。しかし、食事やその他の休憩などを除き連続運転なので、エンジンが冷えきる間もなく発熱していて、濃度増加の影響はきわめてゆっくりしたものとなっているだろう。

いっぽう、通勤やチョイ乗りなどの細切れ運転では冷機状態からの起動で、そのときの気温もまちまちであり、ガソリン内のスズ微粒子濃度の変化は長距離ツーリングなどとおなじガソリン残量に反比例したものであっても、いろいろな気温状態からのスタートであり、機関温度が
100℃といっても、ピストンとシリンダーの相性は長距離ツーリング時などとはかなり違ったものとなっている可能性が高い。

その相性の違いがエンジンのレスポンスに影響を与え、連続走行時よりも余計に燃料を消費するのであろう。現在投与量を1.5〜6倍に増やしたが、燃料が減って来てスズ成分濃度が高くなると、ピストンとシリンダーの隙間が狭くなった、というような感じとなることが多い。

十分に暖まっても、アイドリングが1000回転まで行くか行かないか程度である。ツーリング時ではこういうことは起こらなかった。1200あたりで、エンジン温度が高いと1200+といった感じであった。

ただ、この少々渋い回転の時、少し回転を上げだすとそれまでのダルな感じとは打って変わって急にパワーが出だし、回転上昇がかなりスムーズとなりあまりアクセルを開けなくても急加速可能となる。それで若干燃費は落ちる。前回、かなり加速したりしてCBの俊敏な動きを味わったのでおそるおそる燃費を計測したら、18.5+であった、思った程悪くなかった。

二回目の今回は前回と同じような若干回転を上げながら3000回転以上まで回しながら走行するようにしたら、前回よりさらに消費燃料は高まったようである。しかし、満タンにしてみての燃費は19.53で、これは嬉しい誤算となった。

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昨日7月7日、午前6時15分宮崎正弘の国際ニュース•早読み(以下)に江沢民氏が死亡したらしいとするニュースが流れていたが、翌8日の産経新聞一面にも同様の速報が出た。

産経ではすでに後継の勢力争いが始まっている可能性に言及、二面では「指導者死亡情報は国家機密」などと銘打った解説記事を載せている。

私は、今回の宮崎氏のメルマガの中では、民主党の西村議員の講演記事のほうがインパクトが強かった。民主党は綱領がないうえにこれほど幅ひろい議員を擁しているので、内閣もまとまらないし、今後も迷走が続くだろうと思う。

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成23年(2011) 7月7日(木曜日)
         通巻第3362号  
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江沢民前出席、死亡か? 香港テレビ「確認は取れていないが」と速報
  ウォールストリートジャーナル(中国版)、「ネットから『江』の文字が消えている」
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 中国のネット上から「江」の文字が消えている。
 江は河川を著し、揚子江も、怒江、びん江、ともかく◎◎江とくれば大きい川である。
豪雨、土砂崩れ、洪水が各地を襲っているため、毎日のメディアには「江」があふれているが、突如、6日あたりから消えた。

 香港のテレビは江沢民死去を速報している。「確認は取れていないが」としながらも、7月1日の中国共産党創立90周年記念行事を欠席したことに重ねている。

 この時期に江沢民が死亡したとなれば、彼の率いる上海派は分裂が必至であり、次期主席確実といわれる習近平の立場は一段と弱いものとなり、政治局面は微妙である。
  ◎
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西村真悟のコラム
西村真悟 会津の歴史とこの度の震災
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 六月の末日から七月の四日まで、東京、福島の猪苗代、兵庫の三田そして四国高松と巡ってきた。そして、国を憂う多くの人々に語ってきた。その中で、福島県会津の猪苗代のことを書いておきたい。
猪苗代は昔の会津藩である。会津藩猪苗代湖をたたえる盆地の東の山麓に磐梯山を見上げてホテルインステル猪苗代が建っている。そこに福島第一原発二十キロ圏内にある双葉町から九百名の方々が避難されて住んでいる。そのホテルで、七月一日、私の講演会が開かれた。
私にとって、会津と言えば思い出すのが、京都の黒谷だ。
幕末、京都守護職に任命された会津藩主松平容保は、藩士を率いて上洛し、黒谷に会津本陣を構えた。それ故、維新の動乱の中で郷里を遠く離れた京都で命を落とした多くの会津藩士の墓が黒谷にある。
私は、二十歳の頃、毎日この黒谷の会津藩士の墓の前を歩いていた。この黒谷の墓の前を北に抜けて真如堂に出て、左に行けば大学、右に行けば住んでいる学生寮だった。この会津藩士達は、京都の治安と皇居を守るために死んだ。禁門の変で会津の守る皇居を攻めた長州藩士の墓は、黒谷から南東二キロほどの東山霊山にある。
猪苗代湖を左に見て山麓に登るとホテルの左手の森に八幡神社がある。ふと、京都黒谷に眠る会津藩士の何人かがこの八幡さんに参ったのではないかと思われたので、私も参拝した。
そして、ホテル玄関に着くと、講演の主催者である医師の野崎豊氏が待っていてくれた。その姿勢は、会津藩士を思わせる風情であった。午後六時からの講演会には、「双葉町避難所自治会」の会長をはじめ双葉町の方々も参加された。講演時間は一時間半の予定であった。
私は、次の通り、頭の中にわき上がった連想を語ることから始めた。

まず、学生時代京都黒谷の会津藩士の墓の前を何時も通っていたこと。京都と御所を誰よりもよく守った会津が、京都の治安を乱し御所を攻めた長州によって賊軍にされた。そしてここ会津は、戊辰戦争最大の激戦地となった。
攻めてきたのは長州を中心とした官軍。その長州の主力は奇兵隊である。そして、奇兵隊の実態は、無頼の集団である。士道を解さない下卑の徒が最新の西洋式武器を持たされ、敵に対して乱暴狼藉を行うことで出世できると思いこんで会津に攻めてきたのだ。従って、そこには、武士の情けはなく、ただ勝者の傲慢と暴力があるだけだった。
その結果、飯森山で自刃した白虎隊の少年藩士を含む多くの戦没会津藩士、また婦女子の死体は、埋葬することを禁じられ放置することを強制された。戦が終われば、敵味方の区別なく戦死者の霊を弔うのが我が国の士道である。しかし、戊辰戦役の会津に於いては、奇兵隊の成り上がり者にその士道はなかった。

そこで現在の権力を眺めよう。菅直人が総理大臣であり、長州出身を自慢して、民主党内閣を奇兵隊のような内閣にしたいとぬかしている。
その菅内閣の時、巨大地震が会津を襲った。そして、菅内閣は身の毛がよだつ冷酷な措置をしたのだ。双葉町の皆さんの前で、その状況をお伝えすることをお許し頂きたい。菅内閣は、福島原発周辺では、犬や猫は保護することを認めても、人間を救助し遺体を埋葬することを禁じたのだ。
犬と猫の救助に入ったNPO組織は次のように報告している。「原発近くの浜辺には、津波で流された遺体がたくさん放置されていました。・・・海辺を走ると至るところに遺体がそのままの形で残されています。」
まことに、菅直人が言うように、菅内閣は奇兵隊だ。かつて奇兵隊が会津藩士の遺体の埋葬を禁じたのと同じことを、この度、菅直人がしている。

講演を終え、質問に答えた後、双葉町避難所自治会の会長が挨拶された。その時、会場に掲げられた「国旗・日の丸」を指さされ、「被災後、日の丸を見たのは初めてです」と涙された。そして、私に言われた。「原子炉事故により、その周辺から退避させられた我々の前で、原子力発電が必要だと言い切ってくれたことに敬意を表します。私も、日本には原子力発電が必要だと確信しています。」
その後、会食の際、私が自治会長に、双葉町の皆さんの中で、原子炉周辺にいたため、放射能汚染により体に不調を訴える方はおられませんか、と尋ねた。すると会長は答えた。
「放射能が原因で不調を訴える者はおりません。私は、むしろ元気になったんです。それで、女房が驚いています。」
私は、この自治会長の答えを聞いて、四月十日に、福島原発正門前で、「ここは安全です」とテレビの前で言い切っていた放射能防御学専門の高田純札幌医科大学教授の診断の正しさをが裏打ちされたように思った。
つまり菅直人がした、遺体放置という冷酷な措置に科学的根拠はないのである。しかしながら、菅内閣は、自らの過ちを隠蔽するために、高田純教授の明らかにした事実を封印し、風評被害を世界的に拡散した。つまり、自己保身のために国益を犠牲にした。
翌朝、私は、野崎医師の薦めで会津藩祖、保科正之を祀る土津神社に参った。それから、飯森山の白虎隊士の墓に手を合わせて空港に向かった。
今、NHKでは、江という徳川家光の母の物語を史実などはそっちのけで放映している。その江は、家光の異母弟である保科正之を殺そうとした。思えば会津は、藩祖からして、何時も権力の横暴に直面しながら士道を育み育ててきた歴史をもっている。

(にしむらしんご氏は前衆議院議員)
    △△◆◇◇  △△◆◇◇
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◇ 読者の声 ◎どくしゃのこえ ◎DOKUSHA NO KOE ◎読者の声 ◇
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(読者の声1)松本龍復興担当相の辞任を巡るマスゴミの論調は松本氏の発言に対して概ね否定的であり、暴言とさえ言う。確かにご本人も認めるように言葉遣いの問題はあったかも知れないが発言の内容は正論と言える。
「知恵を出したところは助け、知恵を出さない奴 は助けない」について曽野綾子も指摘しているように何でも国に頼るのではなく自助努力が優先することを言ったまでのことであり当然の発言であろう。
また辞任の記者会見で被災者に寄り添う気持ちの表現として、カズオ・イシグロの小説の題名を英語で「ネバーレッツミーー」と言っていたのには感心した。
イギリス最高の文学賞ブッカー賞を受賞した日系イギリス人の小説は映画化されたが、この作品も観ていない記者には何のことか分らなかったのではないか。
思うに今回の松本氏の言動は自らグレてみせて辞任を演じ、同時にカンの早期辞任を引き出そうという自己犠牲の精神に発しているのではなかろうか。
しかし任命責任者のずるカンには松本氏の真意はきっと伝わらないであろう。
(ちゅん)。


(宮崎正弘のコメント)意外な見方があるんですね。一般的には同和関係の論評が多いようですが。



  ♪
(読者の声2)貴誌前号にでた(HK生、大阪)様の「「脱原発=左翼」は誤りとの御指摘は、ある意味正しく、ある意味誤りです。」とのご意見有難く頂きます。
小生、左翼嫌いである一方で脱原発派でもありますので、左翼とは一緒にされたくないという気持ちが先に立ち、あのような表現となった次第です。
ご意見確かにごもっともと思います。なお、小生のH.Nは「予備役」空軍大尉です(「退役」ではありません)。
さて(道楽Q)様のコメントに対して補足いたします。
「(引用)脱原発ですが、これは軍事的な安全保障の観点からは当然。私が仮にシナの軍事指導者だったら福井県にある原発銀座を攻撃しろと命令します。(一部修正。引用終わり)」
という追加の関連文ですがこれは「北朝鮮とは関係が無い。」とのコメントですが、確かに少々文章が粗雑でした。
ここでシナと表現したのは我が国に軍事攻撃を加えてくる可能性を有する勢力の代表としてシナと表現したもので、シナを北鮮と読み替えていただいても結構です。それでも意味は通ると思います。
「原発危機管理の問題ですが? 北朝鮮の特殊部隊? 支那人民解放軍? イスラムテロやその他、と少し整理した方が良い。」
とのご意見ですので、多少くどくなりますが私見を述べさせていただきます。
まず、北鮮の特殊部隊の脅威はさほど多くないと思われます。偵察衛星(米国のものも含め)をはじめとする各種情報収集体制により北朝鮮の動向は相当厳しく監視されており、韓国、米国、我が国という3か国の連携がうまくとられていれば彼らが跳梁する余地はないでしょう。所詮、特殊部隊というのは補助的兵力に過ぎず、彼らのみでやれることは知れています。さらに仰る通り、イスラムテロについても情報収集がきちんとなされていれば十分な手を打てると思います。
だとすれば問題は北鮮及びシナによるミサイル攻撃ということになりましょうか。
ご指摘の通り失うものがない北朝鮮が弾道ミサイル攻撃をしてきたら相当厄介です。戦闘機の特攻攻撃ならまだまし、ですが、弾道ミサイルを防ぐミサイル防衛の技術はそれこそ「高速増殖炉」並みに未完成なものです。たまにニュース報道で日米共同で迎撃実験に成功したとの報道がありますが、あれは迎え撃つ側があらかじめ情報を与えられたうえで迎撃するから、命中するのであり、所詮は実戦状況とは程遠い舞台稽古、文字通り「実験」でしかありません。
そもそも火網の薄い防空ミサイル(自衛隊の保有するミサイルの弾数は信じがたいくらい少量です。当然火網は相当スカスカになります)というのは戦闘機にとってもあまり怖い存在ではなく、ましてやミサイルで攻撃する側は相手の防空ミサイル等は鼻にもひっかけていないというのが現状です。
もちろん将来的な技術の向上には期待が持てるでしょうが、たとえ技術が向上しても予算の制約から、大して弾数のないペトリオット(自衛隊ではマスコミとは異なり米語式で発音します)ミサイルで北は北海道から南は鹿児島に至るまで全国に散在する原発を「守れます」と自信を持って断言できる自衛隊関係者は皆無でしょう。
なお、原発推進路線を走り弱点を抱えることになるシナに対しては積極防衛の策を講じることが有効とのご指摘ですが、これについては楽観できないと思います。私はシナの政治・軍事指導者ではないので、彼らの本当の胸の内はわかりませんが、人権感覚皆無、人命軽視のシナ的伝統から推察して、彼らがそれを弱点ととらえているかは保証の限りではないと考えます。
仮に自衛隊の反撃で一部の原発が破壊され事実上の核攻撃を受け多くの人民が死傷することになったとしても、指導者は大して意に介さず躊躇なく行動する可能性は否定できない。「中国は人口が多いから多少の人間が死んでもかまわない」「中国は核攻撃を受けても手を挙げない、広い大陸がある」これは、いずれもあの国の指導者の発言です。彼らが目下増強中の原潜部隊からミサイルが発射される光景はあまり想像したくありません。また昨年の尖閣列島の事件のように両国間に激しい対立が長じた場合、実際に武力行使に至らないまでも原発攻撃を暗示して恫喝された場合、わが外交当局がこれを跳ね返すことができるのか?
昨年の事件ではフジタの社員を人質に取られた政府は結局船長を釈放してしまいました。まあ、これは外交の世界の話で一介の武弁にすぎない小生が心配することではないかもしれません。いずれにせよ自衛隊というのは片手を縛られている粗悪品の軍隊組織であって、それが現実である以上、インパール作戦を指揮した牟田口中将のように「何とかなるさ」的な楽天的思考には、小生は到底なれません。
次に「津波の恐れの有る海岸から20キロの平野など居住不適格地区にした方が良い。いや、そもそも世界の20パーセントの地震が集中する日本列島に住む事自体が危険極まりない無謀な行為だし、シベリアに民族移動でもしませんか?
おまけに日本には台風も来るし(笑)。あるいは幽霊が出るから夜中に神社の前を通るのはやめましょうか?」とのご提案について。民族移動、幽霊話は高等ユーモアとしても、確かに地震、津波、台風といった天災は今後とも日本列島を襲い多くの人的物的被害をもたらすでしょう。しかし原発事故はたとえ天災が契機となるにせよ人災の要素が相当部分占めるものです。言い換えれば原発の運用をしていなければ原発事故は起きません。そこがどうあがいても不可避である地震、台風のような天災とは異なるところです。
原発事故については、我々自身の決断でリスクをゼロにできるのですから、是非その方向に動くべきではないのかというのが小生の考えです。
「道楽Q」様の文明論ですが、深い洞察力と分析に感銘しました。
小生、軍人上がりということもあり文明論のような哲学的命題を十分理解する見識はないのですが、これからも勉強させていただきたいと思います。
以上、乱文失礼しました。 
(予備役空軍大尉)



  ♪
(読者の声3)中国の高速鉄道開通で思い出すのが昭和40年代初期の上野駅と東京駅の格差です。
上野駅にはまだ蒸気機関車が残り、常磐線の列車を牽引していました。東京駅はすべて電車、もちろん新幹線はピカピカ。新幹線の速度はビュフェの速度計で210km、架線柱が倒れて見えるほどのスピード感に圧倒されたものです。
トウ小平も新幹線で中国と日本の格差を思い知らされたと思います。途中駅の名古屋ではまたまた蒸気機関車、関西本線のものでした。
震災の影響で影が薄くなってしまった九州新幹線全線開通ですが、CMが素晴らしい出来栄えです。カンヌ国際広告祭で金賞受賞というのも頷けます。日本に生まれてよかったと思えるもので、泣けてしまいました。
http://www.youtube.com/watch?v=Rgpi4409GhI&feature=player_embedded
   (PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)ご指摘の画面、良いですねぇ。小生は熊本―鹿児島中央を乗りましたが、博多―熊本間が未乗車。八戸―新青森が未乗車。後者は来週試乗予定ですが。
 ところで、中国の新幹線初日の歓迎行事は上からの強制イベントのみ、なにしろ切符がないとプラットフォームにも近づけず沿線での撮影は、警備が飛んできます。
沿線のガード、踏切、立体交差、駅には武装警官がいます。歓迎の幟など、一切なかったようです。
 ○○○ ○○○ ○○
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◇◆◇◆宮◆◇◆崎◇◆◇◆◇ みやざき ◇◆◇正◆◇◆弘◇◆◇◆◇
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『猛毒国家に囲まれた日本』(佐藤優氏との対談。海竜社、1575円)
『増長し無限に乱れる「欲望大国」中国のいま』(石平氏との対談。ワック、945円)
『絶望の大国 中国の真実』(石平氏との対談。ワック、933円)
『日米安保、五十年』(西部邁氏との対談。海竜社、1680円)
『世界が仰天する中国人の野蛮』(黄文雄氏との対談。徳間書店、1575円)
  ◎ ◎ ◎
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◎宮崎正弘のホームページ  http://miyazaki.xii.jp/
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(C)(有限会社)宮崎正弘事務所 2001-11 ◎転送自由。転載は出典明示。
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