日曜日, 3月 29, 2009


寒い日曜の朝、しかたなく修理のため家を出ることにする。着いて見ると、ちょうど開店直後で打ち水中であった。プラグ交換を含め、修理手順を打ち合わせて、店を後にする。実際の作業は2時間程度と思ったが、出来たら電話します、ということで、夕方くらいまでにという段取りの様子だった。今日は長期戦かと、覚悟を決めJRの電車を拾って北へ向かった。

とある駅で降り、勝手知ったる地元の映画館でまず一段回目の時間潰し。客は半分弱であった。ワーリイとかいうゴミ掃除ロボットが主役の未来映画で、ディズニーの作品で、最初は時間潰しのつもりであったが、だんだん引き込まれ、最後はロボット同士の交歓に涙が出そうになった。

映画間を出ても、行くあては喫茶店ぐらいしかないのであるが、駅周辺にも見つからない。自分たちが若い時分は、・・・・と改めて小子高齢化の現実を突きつけられ、行くあてもなくやはり他市の駅周辺では落ち着かないので、もと来た駅へもどる。その駅もスターバックスコーヒー店しかなく、とある本屋へぶらりと入り、一冊文庫本を買って出る。女性店員に、喫茶店を聞いたが、さっき素通りしたスターバックスしかしらないらしい。

しかたなく、隣の市の境にある珈琲館まで、歩いてみることに。けっこうの距離であるが、バイクブーツで歩くと汗が出てきた。

しかし、やっと落ち着いた気分で席につき、しばらく読書や書き物をする。一瞬、携帯が鳴ったと思ったら、隣の女性客の携帯であった。

先ほどの本屋で買った本は、渡部昇一氏と渡部玄一氏共著の「知的生活の方法・音楽編」であり、最初は親子の共著とは気づかず購入。そこには、渡部教授は、東北の田舎で幼少を過ごしたので、西洋音楽には無縁で来てしまい、家では縄文時代のままであったようなことを書かれていた。ドイツ留学で、西洋音楽に触れ少し素養がついたようで、帰国後ドイツ留学生向けに開いてくれた演奏会で、最後の出し物で聞いたメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトで初めて脳細胞が普段とは違う興奮をし、西洋音楽に開眼したそうだ。1960年というから、だいぶ晩生ということであった。(しかし奥さんは桐朋学園一期生で、3人の子供たちは、皆演奏家になられたと言う。)

そこには、私が先ほど駅周辺で感じたと同じような事が書かれていて、興味深い。渡部氏は、
『名曲喫茶は今やほとんど姿を消したが昭和30年代には、歌声喫茶とともに東京の名所であった。新宿やお茶の水など(懐かしいなあ)学生が集まるところは、「田園」や「スカラ座」という名前の名曲喫茶があり、ほのかな証明の室内には名曲が流れていた。・・・デートや勉強にうってつけの場所だった。・・・それにしても名曲喫茶の衰退は惜しまれてならない。』などとあった。まったく同感であり、私の思い出でも、本屋の帰りには必ずといっていいほど立ち寄り、静かな一時を過ごしたものである。デートで利用したことは数えるほどしかない。

『直接照明と大音量のBGMと大声での会話によって喧騒の坩堝と化した現代のファーストフード店内と比べて、名曲喫茶が盛んだった時代はそれだけ世の中が教養や思索を求めていたということではないか。』とある。印象に深く刻まれた一文である。

3時を回っても、終了の電話は来ない。しかたなく喫茶店を出て、今度はゆっくりiPhoneの曲に合わせてバイク屋の方向へ歩き出す。散歩や通勤にはいいな、これ!と改めて思った。できるだけゆっくり歩いているつもりでも、心は早く結果がしりたいので、気がつくと店がすぐそこというところまで来てしまった。もう一つ何か時間潰しはないかと考えると、いつも11時頃から行列のできるラーメン屋があることを思い出した。もしやっていれば、20〜30分の時間潰しにちょうどいいと思って、夕日を透かしてみると、暖簾が風に揺れていた。

空き席が2席あったので、入ると、もう一つの空き席はセルフでお冷を取りに行ったひとの席であった。それでも、待たずに座れたことにまず感謝。ラーメンは売り切れで、つけ麺しかなかったが、皆それを食べているので私も注文。

私の分からは、あらたに麺をゆでなくてはないので、時間がかかりますと言われたが、待つにはちょうどいい。味はもちもちの木や、セブンイレブンでも限定販売された川越ラーメン店「頑者」風の味で、行列ができるだけあっておいしい、!と思った。

かれこれ4時半ごろバイク屋さんに行くと、ちょうど終わったばかりという時間帯であった。古い部品を新品に変えたほか、タンク内から取り出せずにいたハンダ片やスズ片が取り出してあった。バイク屋さんも、タンクをフリーにしてもとり出すのは大変だったらしく、一個か2個はまだ残っているようだが、リザーブのチューブとタンクのすみかどこかに引っかかったままらしく、振っても出てこないということであったが、それについては諦めるしかない。なお、バイク屋さんは、中味を取り出すのに、下のリザーブ装置取りつけ穴からグリースを注ぐノズルをいれて平べったいスズ片などに押し付けてグリスの粘りで先端にくっつけてタンクのキャップ部分から外へ取り出したようである。タンクを振ってとりだせないようなものについては、・・・。ご苦労さまでした。

プラグ交換の結果を聞いたところ、左側1番プラグが真っ黒で、残り三つはまずまずのやけ具合だった、ということだった。

去年の秋、自分で交換したときは、どれも真っ黒であった。これはどうやら、電装系をおニューにし、にんじん君ツインGTを着けた結果ではないかと思った。昨年秋はにんじん君を着けていてもどれも真っ黒ということは、にんじん君本来のパワーが出ていなかったためではないか?。

昨年8月、一番プラグにだけミラクルパワーを付けたとき、いきなり燃費が向上したりしたこともあった。やはり一番めのシリンダーは、圧縮漏れかなにか、影響しているようである。この部分が完全ならばさらに燃費も向上するのかもしれない。それで、0.3位向上するのなら、リッター17は行っていたことにもなるのである。

まだ、ハンダロイの影響を取るため、何も入れないで走ってみたが、100キロほど走ると、きもち鉛系の粘りが薄れてきた感じもするし、飛ばした割には、以前より1キロ近く燃費もよいようである。しかし、朝のスムーズさは失われていて、振動も出やすい状態で戻ってきた。

こうなると、一番プラグにだけミラクルパワーも付けてみたりといろいろしてみなくてはならなくなるし、メインとする潤滑系チューンの検討も必要だろうが、どれにするかは未定状態である。


なかのひと
きょうやっと、時間が取れて電装系に残っている時折漏電するリヤブレーキスイッチの交換や、その他リザーブ装置の交換などを行ってもらう予定でいる。

部品を作成して到着するまでの半月余り、実に長い時間に思われたが、仕事の多忙さが時としてそれを忘れさせてくれていた。
明日からは、残業もなくようやく嘘のような毎日が続くことになろう、・・・と思う。親会社の契約を切られた人が、会社の門を叩く事態も予想され、そうなれば今まで来てもらっていた人も契約なんてなくて口約束だけだが、即刻解除と言う予定となる。貸してある私物も戻ってくる可能性もあるが、あまり期待できないかも知れない。

早く、再就職活動が実ることを祈るばかりだ。

いちおう駄目元のつもりで再度取り付けたにんじん君ツインGTであるが、いままでに感じなかった底力を感じたので、数日来ずっと使用中である。バイク屋さんにも断って、外さないよう依頼済みである。

最初は、先日高速走行したとき、いまいちパワー不足を感じたので、またミラクルパワーをつけた後で、それとの相乗効果もあって調子がよいのだろうと思ったりもした。しかし、何事も実験だし、ミラクルパワーの脱着は素手でもできるので、翌日すぐに外してみたが、意外にも何のダウン感もなく、逆により少ないアクセル開度でも、定速走行が可能なような気がした。再度装着、また脱着と繰り返してみて、再装着のあとはちょっと走った後で、すぐに外してしまった。私のCBには、どうも過去もそうだったが、単独では殆ど燃費効果はあまり感じられない。

しかし、音がちがい、やや大きくなる感じだったが、日ごとに慣らしが進んだのか、特に問題はなく今ではたいへん静かで走行中ビックリするぐらい無音に近い。例えば。ミラクルパワーをつけたときのパワーアップ感を1とするなら、ツインGTでは2.5以上ぐらいに感じられるのである。だれかの体験記にもあったが、何、コレッ!?といったような私と類似の表現を使っておられたが、なんで、こんなアクセル開度でも吹けていくのか不思議な位であった。

より少ない要因で、同じかそれ以上の効果がでるのであれば、そちらが良いに決まっている。ミラクルパワーは、四輪車ならいいどうろうが、バイクでは素手で外せるので、駐車中に亡くなってしまう可能性がいつも不安に感じていたので、これkらはその不安からも自由になれる、というわけだ。

それで、もう一度にんじん君ツインGTの原理を良く知ろうとするのだが、なかなか納得の行く説明が見つからない。
『燃費節約のにんじん君と音楽』
というサイトにたどり着き、すこし満足した。オーディアなどついていないので、その音質効果を実感することはできないが、いろいろな項目について説明が述べられていて、良かった。
http://seesaa-blog-3.seesaa.net/article/30133066.html

また、2年間で一億を稼ぎ出したということで、ブリッジカンパニーの企業の開始前後の状況説明も面白かった。
http://koukainissi.seesaa.net/article/20573552.html


なかのひと

木曜日, 3月 26, 2009

にんじん君と言うグッズ、劣化したか、ノーマルのシステムに悪影響を及ぼしかねないかと危惧して、点火系トラブルの後使用を控えていたが、メーカー側からのサジェストによりそうした心配はまず無いんだと、安心した。

それで、再セットアップして走行してみて、ますます信頼感がアップした。まず最初は、ミラクルパワーをつけたままの使用であった。それで、走行してみて、ミラクルパワーによるトルク感アップの効果を1としたら、正常な電気系になったと考えられる状態でセットしたにんじん君によるトルク感アップは、その2倍以上はありそうな感じだった。

次に、ミラクルパワーを外して走ってみて、どのくらいそのトルクアップ感が薄まるのか、試してみたが、アレレ!?と意外な感じ。薄まるどころか、気持ちアップしたかのような感じがするではないか。低速走行中、アクセルを急に戻してエンジンブレーキの効き具合を試すと、ミラクルパワーを外したほうが、アクセル開度がすこし少ないようだ。

音も、ミラクルパワーをつけるとエンジンがクールな感じになるが、外すと快感をともなうよい響きに変わり、ノーマルの点火システムがそっくりパワーアップした感じとなる。加速時の音は、ミラクルパワーなしの方が大きく、その分アクセルを余計開いているかのように感じたが、かならずしもそうではないようで、アクセル開度が若干大きいとしても、定速にもどると、開度が小さい感じである。戻しても効果が持続している感じがはっきりする。

それで、あらためてにんじん君の素性について気になってきた。国内特許は既得で、もっか国際特許申請中で、欧米や中国でも輸出され使われていると言うからだ。

http://www.nenpikoujyou.com/bbbs/hilight.cgi?dir=log&thp=1141778955

では、にんじん君が効くかきかないかという素朴な意見がいろいろ出ている。

なかにはこんな意見も。

名前 : 残念太郎 投稿日 : 2006年10月10日(火)10時27分

ロケットパワーにんじん君で検索するといっぱい出てくる。みんな、すご~ぃ、走りが、燃費がかわる~って言ってる。否定的なコメントなし。思わず買ってしまったが、走り、燃費ともに変化なし。これで2万もするというのはいかがなものかと真剣に思います。効果が出ない場合、返品もできませんし。あれだけの金額をとるのであれば、はっきり○○年式の○○○という車には効果が確認されてませんという情報も加えるべきだと思います。とにかく、売ったが特みたいな商法に疑問を感じますね。

今では、効果の出ない車種名も公表されているし、2ヶ月間の返品期間も設定されている。日産セレナ系には、効果がないようだ。

バイクでは、CB400SFなどは、高回転で使用する場合がおおいせいか、効果が顕著なようだ。

なお、このサイトにでていた以下のサイトは、逆電流グッズを自分で作ってしまった、というレポートで、トルク感5%アップなどと使用感を報告している。中味は、おどろくほど簡単なようだが、・・・。

http://emuya.com/swmech/step3dps3/step3dps3.htm

さらに、広告にあるように、某ホンダ系ディーラーでも採用を勧めている、ということに対しては、その効果のうたい文句に、こんなケチをつけている人もいる。

『燃焼力=燃料から得られる熱量?
マッチで火を点けようが、ライターで火を点けようが、燃料から得られる熱量は変わりません。
このディーラー、相当レベル低いよ。』

こういう議論が、日本語には多い気がする使用例だと思うが、単位時間あたりの燃焼力を含めないと、成り立たない文章を、構文解析無しに、語呂のうえだけで、理屈を言っている感じである。

駄洒落と同じ種類に近いので、言葉の上での遊びで、自己満足の典型かなとも思ったりした。

なお、いままでにんじん君としか表記してこなかったが、にんじん君ツインGTが正式名だという。私のは、そのモニター用として1.5万円で購入した製品である。外観は無印で、某メーカーが発売しているエコボックスという商品の大きさよりも一回り大きいサイズで、2個構成
である。エコボックスのように、水平に設置せよとか、端子で出ている面を、進行方向とどういう角度で設置するとかの制限がないので、空きスペースに縦にしたり、横にしたり、適当に置いている。バイクの揺れと同期して音がしたりと、固定しないで使ってきた。



http://www.hondacars-tokai.com/partsgoods/rocketpower/index.html


なかのひと

火曜日, 3月 24, 2009


久しぶりにお彼岸だからと休みが取れた。他の人たちは、それでも休めない。私はPC中心の仕事で、やり貯めが効くので、なんとか休めたわけであるが、現場の仕事を多く抱えていると、天候次第ということになってしまう。

午前中降っていた雨が比較的早くやんだので、都内へ墓参り。久しぶりに都心の書店にも足を運ぶことが出来た。ここ一年ほど、まともに本屋にもいけないほどであったので、入っても何から見たらよいのか見当がつかず、しばらく放心してしまった。

以前足繁く通った頃は、論文執筆後の審査段階で、三月以内に回答を寄せないと、審査からはずれてしまうので、かなり目標が明確であった。だから、探す場所も、苦心しなかったが、今回は急にあてもなく来たので、どういうものが本当に必要かわからず、とりあえず理科系の関連書籍へ移行。

今は、論文は英文で書くのが常識となっているので、英語論文の書き方に関係する参考書が花盛りである。すでに手許に置いているものも何冊か散見できたが、やたらにハウツーものと思われるものが多いと感じられた。


まったくの初心者ならそういう類からこれと思うものを選んで勉強されもよいかもしれないが、私は初心者には違いないのだが、いちおう自分の世界が出来上がってきているので、やはり自分が尊敬している先生の書かれたものに注意が行ってしまう。

そういう中から一冊選んで、大半は昔に書かれたことと同じだが、少し新しいことも入っていると思われる一冊を、どうしようかと悩んだ末、買ってしまった。もういちど、自分がこうだ、と思った手順の点検をしてみるつもりだった。

ちらりと垣間見た文章には、Nature誌に掲載されたという、「Japan seeks a record haul」というコラムで、ノーベル化学賞を受賞された故福井健一先生の書かれた英文は「insufficiently elegant "English formulation"だと指摘されていることをうけて、我が国の英語教育の改善(いわゆるカイゼンである)が要請されることを感じさせられた一文であった、と書かれているところが購入を決定づけた。

私の学会でも、最初は、外人さんかプロの翻訳者などに検閲してもらってから、投稿するよう勧めていたが、それでも問題があったようで、英文誌になってから数年後には、採用論文は、皆ネイティブの方に、最終チェックを依頼しているのである。

私の英文も、動詞一個を置き換えられ、aとtheの訂正を、印刷9ページの量で、30数ヶ所変更された。印刷1ページ当たり、平均4箇所見当である。aとtheの使い分けは、日本人には至難のことで、ネイティブからみれば、意味が不明瞭になりやすい筆頭箇所だと改めて感じている。

先日も、あるひとに、論文の内容は、自信があるが、あとは、これをエレガントな英語で発表するばかり、と書いてしまった立場として、こだわらない訳にはいかないのである。

それで、ようやく少し落ち着き、ダーウィンの生涯や、Hardyの小説なども購入してぶらりと銀座にでかけた。八重洲から銀座へ・・・。iPodをよく見かける。先日地方へ出かけたら、ホームでかなりiPodの行列を見てしまって、おどろいたが、都会のほうが少ない、当然ですね。

銀座のギャラリータクトでは、恒例に近い生田宏司展が開催されていたので、寄ってみた。
海外でも、著名な日本人版画家であられる由。
http://ikuta.monsite.wanadoo.fr/index.jhtml
この展示会にも、お弟子さんも立ち寄ったりもしている、という。38歳まで美術教師をされていたそうであるが、いまは本業三昧であるという。うらやましい。画壇の裏話めいたことも小耳にはさんだ。学会との共通した部分も、あるようだ。どの先生につくかで影響がでたり、独力で認められれば1番いいのだろうが、・・・。

何度目かの展示会でも、祭日と言うこともあってか入れ替わり立ち替わり客がくるので、夕方には、スタッフも先生もくたくたらしい。今回も、最初は、銀座についたあたりから東京特有と思われる花粉症が少し出て、観賞どころではなかったが、1時間以上もいると落ち着き、ゆとりをもって吟味できるようになった。先生の書かれた、日本画も何点か展示されていた。

一点一点見ていくと、最初は似たり寄ったりとと思えた絵も、いろいろな異なる連想をよぶ世界を醸し出してくる。技術的なことはあまり知らないが、技法は同じでも創作の原点の秘密に迫る苦労も偲ばれるような気もする。今は、仕事で疲れているが、創作で疲れたりしていたら、新しい意欲がいっそう沸くような気のする1群を観賞してきた。

幸いなことに、終わりに向かって客足は向上し続けているらしい。日本人もエレガントな人たちが増えていると喜ばしい気もする・・・。



なかのひと

月曜日, 3月 23, 2009

今日で、取りあえず年度内の激務が終わる見込み。それで、久々にバイクの整備を行い、来るべきETCライフに備えを固めなくては、とあれこれプランをたて出した。

余裕の早めの納品帰りに、ホームセンターへより、アースコードより細く、ワイヤーハーネスより太い被覆ケーブルを探しに寄ってみた。そこで、この前、モリミルクとしか印象が残っていないオイル添加剤の素性を知っておこうと、売り場を探し歩く。なかなか見つからないが、カラーリングからして、この缶しかないかな、と思って手に取ってみると、まさしくそれだった。

製品名は、モリドライブパワーミルク。
それで、液化モリブデンを使用して、・・・なんて書いてある。それで、てっきり、従来のモリブデン系の会社からでたと早合点して、求めるコード売り場に移った。
http://plaza.rakuten.co.jp/led777/5007

しかし、上記のサイトの資料によると、発売元はルート産業だという。レガシーのツーリングワゴンでの燃費テストでは、13.0から13.4に伸びたという。それはベストカー2008.7.26日号に出ているというが、まだ、あまり反響は出ておらず、このサイトの管理人氏は、あまりお勧めできないという主観的判断と断って結論づけておられる。

私も当初のフィーリングの良さに騙されて、最初はかなり良さそうだと思った。しかし、日が経つにつれて大したことないな、という印象であった。しかし、しかしである。これを入れても滑らか感はあるものの、燃費は若干いいかな、という程度であるが、滑らか感は、持続している感じである。

そこで、使用を控えていたミラクルパワーをまた着けてみた。すると、滑らか感が幸いして、いままで、ミラクルパワーをつけると、爆発力は増すが、鉛抵抗が大きいせいか、却って低速でゴツゴツした感じが顕著で、パワーダウン気味だったのが、ゴツゴツ感が消えて、その分パワーアップに繋がる感じがはっきり出ることがわかった。

そこで、さらに思うには、単品では効果が小さくても、それらを旨く組み合わせると、意外に好結果をもたらす組み合わせがあるのでは、と考え出した。組み合わせの妙を求める考え方である。いままで、いろいろ問題はあったが、一番好燃費が持続したのも、にんじん君+ミラクルパワー+オイル添加剤(テフロン系など)であった。

単一の商品だけで、劇的な効果を求めようと考える事自体、何か勘違いをしてきたのでは、と思い出した。それで、添加剤を変えることも必要だろうが、電気系がよくなった現在、もういちど、にんじん君を見直してみる必要がありそうだ、という結論に至った。

マイクロロン自体は、特に燃費向上は感じられなかったが、にんじん君とミラクルパワーと併用すると、燃費が良かったことは、相乗効果だったのでは、という推測である。

それで、私のものは、モニター価格の試作品で、電気系のトラブルにも何度か見舞われ、壊れないまでも、正常な機能をもはや有していないような気がして、発売元にアドバイスを求めがてら、現行の正規品の特徴なども確認したいと思い、昼休みに「ブリッジカンパニー」さんにメールを入れてみた。

すると、30分ほどで、以前と同じ方から、的確な返事が届き、その内容を見て驚いた。現行にんじん君は、購入後2ヶ月はいつでも返品可能だということだが、ボックスが壊れない限り、半永久的に作動し、よほどのことが無い限り壊れない商品だから、まず、その古いにんじん君をまた、取り付けてみてテストして、しかる後に問題があったら、相談ください、ということだった。

耐久性については、まだ一年だが、異常燃焼を起こすほどの電気系トラブルに2、3度巻き込まれているので、性能劣化の可能性について、不安があったが、その一言で、不安が払拭された。それで、ほこりをかぶって放置されたままのにんじん君をもういちどテストしてみる気になってしまった。効果がない、と思っていたミラクルパワーによる爆発力アップが感じられたので、以前と同じに、にんじん君も組み合わせたら、もっと効果が期待できないか!?ということだった。

それには、本来のコードは少し、私のCBには短く、バッテリー周りのワイヤーの取り回しがきついので、少し足すことにした。今までは、テストで、バッテリーから外したり付けたりと忙しかったので、今度は、擬宝珠ユニットで、装置とコードを、バッテリーにつけたままで、オン、オフできるように配慮した。断面積がほぼ同じコードを探して10センチほど延長した。

長すぎても、シートの下で本体が踊ってしまうし、短いと、今度はシートと干渉するし、という具合で、今回は少し短めかと思ったが、ピッタリとはまった。

それで、シートを開いたまま、取りあえず始動テスト。おそるおそるオンにしてみてエンジンをかけてみたら、あっという間に始動した。新品のバッテリーに交換すると、かなり始動性がよくなることが多いがそんな感じで、それまでの半分強の時間の感じである。これは、いままでなかったことで、それだけ、電気系本来のパワーがでやすくなっているのであろう。


周りを整頓し、乗り出すとすぐに調子の良さが感じられる。え〜、いままでこんなに良かったんだ〜、と錯覚して思った。いままでも良いとは感じていたが、これほどではなかった。それは、電気系がテンポラリーにランダムで漏電がおきたり、本調子ではなかったからであろう。

音は静かで、光は明るく、暖まってくると、回転の上がりが青天井的に伸びる特性で、鉛の悪影響がど〜の、こ〜のといった言っていた印象はまるでないではないか。

まるで違うエンジンに換装したような、とてもいままでと同じエンジンとは思えないフィーリングに頬が緩みっぱなしで帰ってきた。

回答をくれた担当者に、当初燃費の向上率を伝えたとき、え〜、そんなもんですか〜!?と意外なリアクションをなされたことを思い出す。そ〜か、これが本来のにんじん君に近いフィーリングか〜、なるほどこれはいいね〜という感じである。天井知らずの回転上昇感からは、小排気量でこそ、にんじん君パワーの効果がありそうだとは思うものの、低速での滑らかさも筆舌につくしがたいほど、好感がもてる、と言っておこう。まるで、別物のエンジンとなってしまった〜。

昨夜も、ネイキッドだから、隼のようなパワーは求めるべくも無いが、もとはといえば高回転130馬力をデチューンしたエンジンだから、ちょっとした相乗効果をもたらす組み合わせを行えば、100馬力以上相当の調子がでても不思議はないはず、と想像した揚げ句の、今夜の結果であった。今後、どうしていいかわからないぐらいで、コーフンで眠れそうにない。
なお、やっと走行7万キロを超えたところである。

なお、改めてにんじん君についてみると、電気ノイズフィルターだと明言している。しかも国際特許出願中だそうである。中国では、純正部品扱いだという。じつは、自分のこれまでの経験から、あまり大きな期待はしていなかったが、一定の効果はあることは事実であるが、どの程度他車で効果があるか、気にはなったが、今日凄いということがわかった。もちろんまだ、燃費への影響など未知であるが、同じように走って時速10キロ以上は上で、後ろを見たら、いつも抜いていく4輪は、はるか後ろだったことも事実。なんなんだよ、こいつは!!!???というのが正直なところ。
http://www.carlifesupport.net/ninjinkun1.html


なかのひと
『歴史通』創刊号は、坂井三郎特集でもある。その一環として、零戦特集にもなっている。零戦特集は、坂井三郎氏が他界しておられるので、他の方が書いていて、坂井氏の言葉は比較的すくない。

『大空のサムライ、最後のロングインタビュー』が組まれて、太平洋戦争は無駄ではなかった、として84歳時の坂井氏の言葉を紹介しているが、いくら太平洋戦争が、通称として通用しているからといって、いきなり大東亜戦争ということばを奪い取ってしまっては、坂井氏の本意ではなかろうと思うのであるが、如何なものか。

零戦は、堀越次郎技師の開発した、剛性低下方式と言う方式を採用した機体で、この方式を使うと、零戦を思ったように操縦できるのだと、坂井氏は言う。低速でも、高速でも思ったように操縦桿を引くと、思ったように飛べるのだという。Aクラスのパイロット、B、Cクラスのパイロットがいるとして本来なら、Aクラスのパイロットでもむずかしい速度に合わせて舵を取らねばならない方式を保持していれば、B、Cクラスのパイロットには、とても自由自在には操縦できないが、剛性低下方式だと可能になるのだ、という。

機首を上げ下げする昇降舵の効き具合と操縦桿の効き具合が、低速でも高速でもパイロットの思う通りに動いてくれるように設計されているんですね、と発言されている。だから宙返りが楽に出来る。敵機の真後ろ、35メートルから40メートルの位置についたら、相手はもう絶対に逃げられません。ガチッとキーロックがかかったようなものです、と体験を語られる。・・・零戦以降は、ジェット戦闘機でも、この剛性低下方式は取り入れられている。堀越先生の功績は大変なものです。しかし、いまはそのことを誰も知りませんね、と答えておられる。

堀越氏は、戦後になってこの方式を考案したことで、工学博士になった、と坂井氏はいう。
”A Research on the Improvement of Flying Quarities of Piloted Airplanes"
先生は肩書きのようなものはまったくかまわない方で、どうでもいいからといって、博士論文もなかなか書かなかったですから、・・・という意外な事実を教わった。

戦後、この方式について先生はいろいろなところで講演をされ、足らないところは、経験者として坂井氏がついていって、補足説明をよくした、という。しかし、その先生でさえも、アルツハイマーで、同じことを何度でも坂井氏に聞き返すことが多くなった、という。しかし、零戦のことは、もう何でも覚えておられましたね、すごいものですね、若いときの執念というものは、と語っておおられる。

零戦は三菱が開発したのだから三菱製ですが、実際は60何パーセントかは中島製だった、と坂井は振り返る。そして、やはり三菱製のほうがいいんですね、とご自分の体験を語られる。
機体とか、翼の張り具合とか三菱製のほうが全体として丸みがあって、まろやかだと述べている。

しかし、先にも述べたように、戦争末期には中島製零戦も、枕頭鋲がきれいに打ってあって、坂井氏の回顧をうらづけるような事実は、必ずしもないようである。坂井氏が活躍された昭和16〜17年当時とは、戦争後半時とは、ずっと同じ零戦であったのだが、細部はずいぶんと違った状態であったのかもしれない。機銃の配置なども、翼だけになっていたり、・・・。

頭の1が戦闘機、2が爆撃機、3が雷撃機を識別する数字だと言う。また、ビデオでは飛行可能機体は3機といっていたが、この歴史通では4機あると書いていある。もっとこれは機体の整備状況で変わりうる数字であるが、・・・。零戦52型は、尾翼に61ー120と書いてあり、零戦22型は、X−133と書いてあったりしている。洗練されたフォルムの中でも、もっとも端正な機体は、零戦22型だと、写真解説にはある。おそらく、三菱製なのではあるまいか。・・・。
また、1994年にガダルカナル島で発見された機体破片の番号がVー103であって、坂井氏のもとの届けられたというが、それは零戦21型で、かって坂井氏が台南海軍航空隊で使用した機体だった、という。

零戦前の96式戦闘機で、150時間、零戦で200時間乗ったら、全部ばらしてしまうという。その後どうしたのかは、坂井氏は廃棄処分にしたのでは、と推察しているだけで、定かではない。

また、零戦とは関係ないが、慰安婦や南京事件は、日本から金をとれるような時代になってから、中韓が言い出したことだと、指摘している。もっと早く言ってくれたら良さそうなものだが、日本人はそういうとき、何もいわないのが、正常であり、普通であるから、宣伝戦では、いつも大敗である。

学校で本当のことを教えればいいんです、とおっしゃるが、学校こそは左翼の温床であるから、そう簡単ではない。作る会の教科書採択率の、無に近い値を見ればそれも明らかであろう。仰げば尊し、を卒業式で斉唱しなくなってから、久しい。先日銀座に行ったら、ある通りだけ日の丸国旗がたくさん掲げてあったが、それは例外的な光景であり、通りを一本ずれると、探しても見つからなかった。60年安保の頃までは、各家庭が、折り目のくっきりした大小さまざまの国旗を玄関先に掲げていたものだ。

坂井氏も、従軍慰安婦なんてことばは当時はなかった、という。それも当然だ。従軍と言う以上は、看護婦の場合、軍隊の階級が厳然として存在する、というのだから。

第一、戦地に女なんていませんよ、ともいう。また、一日行軍しただけで、もう女どころではなくなる、という。38式歩兵銃を担いで、背嚢を背負って前に40発、後ろに80発の弾丸を下げて、手りゅう弾をもって、行軍を終えて荷物を下ろすと、腰はこすれて、もう血だらけだという。私も数年前、草津のダム湖周辺の仕事で出かけた際、疲れてくると、腰の山鉈さえも、置いていきたくなったことがあった。

たしかに戦闘の行われていない後方基地には慰安婦はいた、という。ただ、これはどこでもそうでしたけど、司令官の給料の何倍ももらっていた。という。バラバラにならないように、軍票を束ねて、ちょうどレンガ一個分ぐらになるとひとまとめにしたものを何個も下げていた、という。自由もあって、(従軍だとありませんね)、きょうは接客したくないと思ったら、ぶらぶらしていれば良かったそうである。

南京大虐殺でもそうです。南京が陥落したら、陸軍の大部分はすぐ出ていった。残ったのは1500人くらいです。1500人で、どうやって、20万、30万を殺せるんですか!?と言っている。穴を掘るだけでも大変で、河へ流せば上海までプカリ、プカリと流れていって、世界中の報道班がきているんですよ。大虐殺があったら、気づかない筈がない。東京裁判までそんな話は全く出てきませんでした、というのが坂井氏の見解である。

週間新潮でも、当時朝日の記者だけで80名近くいた、とも読んだ記憶がある。電柱一本折れただけでも、気づくほどの密度であって、だれも書くどころか、記憶にもない様である。だいたい、張作霖暗殺の実行犯とされてきた河本大佐も、裁判に呼ばれなかったり、南京大虐殺を英文で報道した記者も、呼ばれなかった裁判で、アメリカが主導する20万人説を強制されたようである。呼んだら、おそらく裁判自体がなりたたなかったろう。


東京裁判で、日本兵が、呼び止めても、無視して逃げた市民を日本兵が後ろから撃ち殺したのを一件だけ目撃した、という検察側証人の南京在住のマギー神父という人は、日記に、その証言は創作だった、と記録を残していたそうである。

アメリカは昭和19年になってから、海外放送で、南京事件を報道し始めた、という。そして20万と言う数字を出してきた。しかし、いつも言うように、当時のタイム誌の書名入り記事でも、戦争で死んだ人たちは2〜3万にんという数字しかでていない。何処から20万というアメリカの数字が出てくるのかは、ひとえに裁判のためだけだった、という疑いが浮上せざるをえない。

また、坂井氏も、ドキュメンタリーフィルムで日本軍の大虐殺とされているものを見ると、あれは日本軍ではない、共産軍(毛沢東軍?)です、と言い切っている。当時の人がみれば、脚半の巻き方で、蒋介石軍、共産軍などの区別はすぐにわかった、という。たしかに、軍帽、軍服は日本軍の物でしたが、脚半の巻き方が、坂井氏が見たものはすべて共産軍のものだという。どんなに欺いたとしても、ちょっとしたところで、すぐに馬脚を現していた、という。

謝罪、謝罪と言って払ってはならないところに金を払うくせに、ラバウルだけでも、韓国人3000名、高砂族でも2000名の私設部隊がいたという。彼らには、退職金がわりに恩給を払うべきなのに、負けて国籍が変わったからと言って払わないのは、日本人としての道義に反するではないか、と久々の坂井節が顔を出していた。

そして、誰に責任があるんかという話に、行き着くのである。

なかのひと

金曜日, 3月 20, 2009



ようやく、仕事が過激から、超多忙ぐらいになり、行けなかった本屋へ行って『歴史通』を購入。のこり3冊で、親雑誌のWILLよりも売れ行きはよさそうだった。表紙をみたとたん、あ、あの零戦52型だとわかった。特集が『零戦と坂井三郎の時代』なのだから当然といえば当然なのだが、この写真の零戦は、昭和20年に基地が接収されたとき、米軍に無傷で捕獲された昭和19年の中島製52型だそうだ。アメリカのあまたのパイロットたちがテスト飛行を行い、中にはあのリンドバーグも含まれていた、という歴史的一機と解説にはある。

というのも、先週以前から気になっていた零戦の実写ビデオがあるというので、インターネットで購入し、その優美な飛行シーンを堪能していたから。

今回の創刊号にも、実写カラーが数ページ出ているが、機体の尾翼に書かれた番号も同じであることから、確認できた。34機が現存し、飛行可能機体はわずか3機のみだという。

セルモーターでプロペラがゆっくり数回転すると、いきなり排気管から灰色の煙を吐き出すとあっさりエンジンがかかった。オリジナルの中島エンジンだというから、ファンのみならず、必見だ。音も静かで、(実際にはどのくらいのデシベルレベルなのだろうか)数分の暖機のあと、滑走路へ向かい、あっというまに離陸していく。

海軍機は、荒れた海上では、航空母艦が毎秒数メートルの上下運動をしていても、安全に着艦できるように、その脚は特別頑丈に作られているというが、バイクのフロントフォークと同じ、テレスコピックタイプでオイル漏れもなく、美しい。脚の翼への格納は、軽量化のためサーボ用電動モーターを小型化したため、左右別々に格納していった。格納順序は進行左脚から行う。右が後となる。

また、中島製は沈頭鋲ではなく、三菱製と微妙な差があった、などという解説が流布されてきたが、この機体は、沈頭鋲で、空気抵抗の軽減が計られている。昭和19年製造と言うから、その頃には、メーカー間での統一が図られていたのかもしれない。あるいは、この頃最高速度への要求が、敵方の新鋭機の高速化と対抗すべく、焦眉の課題となっていたのかもしれない。一説では、ネジ類一つでも各機体で微妙に差があって、などといわれてきたが、事実の集約はまだ今後の課題かもしれない。



排気量は、複列星形空冷の14気筒で、27900cc。中島栄21型エンジンである。第261
航空隊所属の61-120号機で、機体製造番号は5357号となっていた。サイパン島に配備されていた76機のうちの一機だと言う。馬力は解説では1010馬力と言っていたが、いろいろとあるらしい。生産機数さえも10000万機は確実なようであるが、300〜800機といろいろな数字を目にする。

坂井三郎氏の回顧談では、戦闘機は200〜300時間で機体疲労からの空中分解を避けるため、スクラップにしていた、という。一万機以上が撃墜されてしまったと信じていたが、そうではないわけで、ほっとしたが、いま飛行可能な機体は、おそらく各部の補強などもされているのかもしれない。

映画トラトラトラなどで使われた機体は、零戦のエンジンより10%ほど径の大きいロシア製エンジンを積んだ特別機体らしく、エンジンの耐久性は抜群と言うことで、ガンガン飛ばすことができたともいう。

日本に輸入されたプレリオ機の機体が空中で分解し、操縦していた2名は墜死したと記憶があり、これも金属疲労と思っていたが、突風にあおられて、翼が破損した、とある。するとやはり金属疲労も関係していたのだろうか?木村中尉・徳田中尉の乗った飛行機は東京青山練兵場での陸軍の観覧飛行へ所沢飛行場から参加し、その帰路に事故に遭ったものと、所沢市役所で一時展示された写真展で見た記憶があり、墜落時は夜間であったようで、所沢飛行場手前の中富あたりであった由。

http://www.raidway.ne.jp/~k-nakamu/kokupark/history/histry.htm

計器類は、米政府の滞空証明を得るために、殆どがあちら製に交換されているらしいが、計器の全面パネルに殘る速度計、高度計などの文字はいまだに漢字のまま。

歴史通の中で、日下公人氏も書いていたが、アメリカでも零戦人気が高いのは、好敵手を褒めるのは戦いの法則だからである、と言っている。

また、アトランタには、零戦クラブというのがあって、練習機を零戦に見立てて改造し、日の丸をつけて鉢巻きをしめたマニアが日曜日に集まって、飛行を楽しんでいる、という。

なぜそんなに零戦が好きなのかというと、『零戦はヤンキーをやっつけてくれたから』だそうである。

アトランタは南部の首都だったから、自分たちのかわりにリンカーンの北部アメリカをやっつけてくれた零戦が大人気だというから、南北戦争の恨みがまだ残っているのである、とされていた。

飛び方をみると横90度回転など一秒ぐらいでできるようだ。操縦席前部カメラの映像では、後部にみえる水平線がクルクルと右に左にと回転している。逃げ方をマスターすれば、なかなか当たらなかっただろう、と思った。

なお、坂井氏は、零戦にライカカメラを持参していて、かなりの機上からの写真を撮ったらしいが、硫黄島から帰還の折り、失われてしまったようで、坂井氏の活躍場面を文字からイラストへ変換した空中戦の模様も解説つきで、10枚付属している。

なお、ネットでしらべたら零戦52型の一つ前の製造番号5356号機は、琵琶湖に沈んでいるとの話が出ていた。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~cocoro/sub68.htm
台湾で大半がなくなったが、何機かは本土防衛のために内地に帰還していたらしい。操縦席に7.7ミリ機銃はなく、翼に20ミリと13.5ミリ機銃が並列しているタイプだと言う。

国内にも、多くの零戦ファンがおられることを改めて感じたしだいである。

なかのひと

水曜日, 3月 18, 2009

自作モータロイの調子が悪く、これ単独では毒にも薬にもならないので、これをいったん取り外し、スズ中心のスズモータロイに切り替えようと計画中である。

一度タンクを外し、口を逆さまにして中味を取り出そうとしたとき、燃料コック連動のワイヤを捩じったのが原因かどうか知らないが、ワイヤーが大変固くなり、リザーブにしていないので、給油したら22.8Lも燃料が入る、という事態まで起こったので、燃料コックを交換予定だ。ただ、ワイヤーは欠品で、作ってくれるまで2週間ほどかかるというので、交換は月末になる予定だ。そのとき、バイク屋さんに中の自作ロイを除去する依頼もしておいた。バイク屋さんも時間はかかるはずだがやってみます、と了承してもらった。

そうなると、今の鉛含量が多いものから、純スズ系の自作ロイを入れるか、やめてマイクロロンに戻るか、判断がむずかしい。最初マイクロロンは燃費改選に、ホンダバイクには聞かない、などという説もあり、自分でもそう思った。しかし、火花向上装置を付けていたら、リッター17キロ近くまで行くことは、けっこうあったから、やはり効果はある、と言っていいだろう。

その後、念願の17キロオーバーは自作モータロイで達成したが、まもなく低下。そして、何の効果もなくなった。どうも、鉛成分が後からじわじわ効いてきて、回転が重くなるようだ。それで、スズだけを追加したところ、改良の兆しがでるものの、最終的は、鉛成分が時間の経過とともに、スズ効果を消去してしまうようだ。それで、完全に旧自作ロイ(要するに、市販ハンダ)を一度ゼロにして、再挑戦しようというわけだ。ただ、鉛分は定着効果が大きいようで、ゼロにしてしまうと果たしてどうか?という疑問も残る。鉛分5%程度のハンダならOKかも知れないが。鉛フリーハンダもいいかと思ったが、1%前後の他の金属成分も2,3種類入っているようで、所詮ハンダなので、純スズが入手できないなら、5%鉛ハンダがお勧めかも知れない。

しかし、まだ部品が来ないので、またちょっとオイル添加剤について、検索した。
http://www.nandemo-best10.com/f_car-oil-add/
すると、買ってよかった自動車用エンジンオイル添加剤は?
というサイトが真っ先に目に入った。

そこでの一位の商品は、セラミックパワー・リキッドというもので、これはモータロイ効果でリッター20キロ以上を目指す、というカワサキ900氏のサイトでも、絶賛されていたものだ。(実は勘違いだったが、後述)

少々高いが、メーカーの宣伝では、10万キロは持続するという。バイク用と言うのもあり、6000回転で最高の性能を発揮するよう作られたものもあるようだ。通常は1500cc用の3000回転で効果が最高となるよう設計されたものが一般用となっている。

それにしても、添加剤はかくもたくさんあるのか!?と改めて驚いた。しかも、マイクロロンは、末位に近いどころか最下位の26位というのにも驚いた。満足度は30%にも満たない。一位の83%というのとはダンチの差だ。

これで、思わず私も引いてしまった。要するに、オイル添加系のグッズは、これというものが
特になく、使い方(乗り方、バイク、履歴)次第ということとしか思えない。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/macchann/hiroshi/f4c2.html

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/macchann/

テフロンの摩擦係数は低く、0.04などという数字が並んでいる。スズの場合、神戸製鋼技法のVol.50 No.2 27には、0.26〜0.35という数字が出ていて、スズの層が厚いほうが数字が大きい。これを見て、少なめの投入のほうが良いのでは!?と思わず思ってしまった。この値はスピンドル油の値とはぼ同じである。

後は、単に摩擦係数だけでなく、昔スズメッキしたピストンやシリンダーの例を聞いたことがあるが、擦動部の親和性向上と言う面が考えられ、単独の数字だけで判断ができない。

http://www.fan.hi-ho.ne.jp/t-mura/seibi1.htm#nenpi


では、セラミックパワーではなく、メタザイラーという製品でした。記憶では勘違いしておりました。これはそれでも15位に入っている。店頭でよく見かけるスミコーのモリスピードは上位7位に食い込んでいた。しかし、これらの中から、どれか一つを選ぶとなると、頭が痛い。

今の状態では、日増しに鉛分による悪影響が出てきている気配なので、店頭で一缶1000円ちょっとのモリミルクという添加剤を衝動的に選んでしまった。修理までのつなぎのつもりで深く考えず、原状回復になるならなんでもということで使用してみたら、意外に良かった。

アイドリングを以前より高めにセッティングしてあるので、ローギヤへシフトするときのショックが大きかったのが、ショックが少なく、大変軽くスットンといった感じではいるし、
アクセルを開けなくとも吹け上がりが軽く、鉛の抵抗と思われたエンジン回転の粘りがほとんど感じられない。そうすると、燃費がよかった当時の走行感覚に極めて近いフィーリングが蘇って来た。それで、もう決めてしまって予約した後だが、これなら、単にオイル交換時に一本足すだけで、苦労して鉛の多い自作ロイを取り出さなくても良かったかもとさえ思った。

それで、ロクにメーカーや成分のディテールを見ないで入れてしまったので、捨てたカンに記載してある事項を確認する気になって、空き缶専用のゴミ入れをあさってみたが、すでに分別回収で出してしまった後で、コーヒー缶ぐらいしか見つけられなかった。

http://ameblo.jp/gogoganchi/archive1-200506.html
とか
http://same.ula.cc/test/r.so/yy46.60.kg/kakikomi/1176393167/l10s?kenken=emtuzI%2BG
ぐらいしか情報がなく、判然としないが、前者は2005年のレポートだから、新製品でもないらしい。マーチに使っている、という。

しかし、一位のセラミックパワーについても、否定的な意見は少ないが、燃費がどれだけ悪くなった、という具体的な事例はあるが、燃費がどれだけアップしたか、という数値は一例もなかったのには、いささか案の定か!?と思った次第。ドイツで使っていたとき、◎だったので・・・輸入できるんですね・・・なんてコメントを見ても、よくわからない。

やはり、個々に試すしか手がなさそう。しかし、燃費をチェックするのってけっこうしんどいですね。それでみなさん数値にまでいたらないのかもしれない。

会社にバイトで来てくれているカーマニアのバイト新人は、今度再就職が決まったら、やはりリッターバイクがまた欲しくなり購入したいなどと口走っているので、添加剤について聞いてみたら、頭から否定していたが、理由を聞いても、使用経験はないそうだ。フィルターが詰まるの、異常摩耗するなどと言っていたが、どこかの記事を鵜呑みにしているだけのようだった。ただし、STPだけは使用歴があるとのことだった。しかし、モータロイやマイクロロンは知っていた。

最初はすっぱり金属系をやめて、マイクロロンに戻ろうとも考えたが、今の時点では、エンジンの回転による異音などなく、粘りがとれれば好感度なフィーリングなので、スズ系だけ残して、モリミルクの併用を考えている。

こんど、よく内容を見てみよう。モリミルクというだけあって、白い(コンデンスミルクそっくり)粘性のオイルで、STPよりは柔らかい感じである。森のアワビといえば、肉厚のシイタケのことをさすらしいが、モリミルクでは、まだ判然としないが、モリスピードのモリと考えて購入したのだったが、・・・・。

これを書いた翌朝、宮崎正弘氏のメールニュースで、以下の文に出会った。
『(宮崎正弘のコメント)ご指摘の「技術は、夢の段階がもっとも美しいものです。原子力は、『鉄腕アトム』が活躍していた時代がもっとも美しく、その後、多くの問題が続々と現れてきました。太陽光発電も、ビルの屋上や壁面にささやかなパネルを設置している段階では夢の技術ですが、巨大なパネルが広大な地面や海面を覆うようになると(太陽光が地表に届かないと)、どのような事態は生じるか予想がつきません」。
 まったくその通りですね。
 長文の御力作を有り難う御座いました。』

まさに、その通りかも知れませんね。

なかのひと

火曜日, 3月 10, 2009

http://www.melma.com/backnumber_45206

で、 ”『諸君!』が休刊となる事態とは対照的に、絶好調の『WILL』は恒常的な別冊の発刊に踏み切った。
その名も『歴史通』。初回は「零戦と坂井三郎」特集。ほかに塩野七生vs堤堯の対談、田母神俊雄 vs 坂本未明の対談など。
 中西輝政「歴史とは何か」という論考もある。
 むかし、中央公論別冊のかたちででた『中央公論 歴史と人物』は中世、近世、近代、現代史のオンパレードで、じっくりと読む考察が多かった。WILL別冊『歴史通』は、いきなり現代史が基軸のようで、はたして読者がつくか、試行錯誤が続くだろうと思われる。”という紹介があった。さっそく買いにいったが、日曜の時点では地方の書店では見かけなかった。

坂井三郎氏の著作は、広く翻訳され、フィンランドなどでもかなり売れたように記憶している。(111刷を超えている、という。)日本軍が、ノモンハンでソ連機を大量撃墜しても、ソ連はドイツの尻を叩いて弱腰の平沼内閣とノモンハンで和平を実現させると、取って返す刀で、フィンランドなど西側に侵攻した経緯がある。(航空機2500機以上!?)ソ連側は、ノモンハン戦後、関東軍がソ連の把握で10個師団、実際には14個師団を擁して反撃の準備を進めていることに、震え上がった、ともいう。なにしろ、ジューコフ元帥が一番苦しかった闘いは!?と米国ミシガン大を含むインタビューに、ハルハ(ノモンハン)と応えていた、というからさもありなん。

アメリカは、ユーラシアがドイツに占領されたりしたら悪夢ということで、戦前からソ連には、違法な援助を続けていた、という。連合艦隊が北方の島に集結してハワイへ向かうときなど、ソ連船には必ずといっていいほど米側乗組員がいて、米ソの海底ケーブルなどを使って、動向が逐一米側へ筒抜けになっていた、という指摘も、正論には兵頭氏が寄稿していた。

さて、そのノモンハンの空戦で、わずか三ヶ月という短い期間で日本側に撃墜王が頻出した、という。トップの撃墜王(篠原准尉)が戦死したのは、撃墜説と事故説があって、判然としない。墜落後の軍医所見はあるそうだ。一説に、ソ連機の損害は約1500機ともいうから、戦後に流布された歴史教育からは信じられない戦果だと思う。親戚にも、第二次大戦を生き延びた隼のパイロットだった人がいるが、当時は、航空機から地上の敵兵を撃つなどという発想はなかったようだ。米軍は、女子供まで狙って撃ったり、というのが通常だったようだが。

そのせいもあるだろうが、シベリア鉄道の空爆による破壊は起こさなかった。ソ連側は、どこかそこをやられれば、多大な損害を受けたはず、と語っているにも拘わらず。

第二次世界大戦で、坂井三郎氏は、撃墜機数58機とかいって、トップの数字だそうである。しかも目を損傷する昭和17年あたりまでが、彼の活躍時期だから、本来ならもっと多かったはずである。しかし、長く、基本性能のあまり変わらないゼロ戦で20年まで戦っていれば、数字を稼ぐ前に、本人自身の命が保たれたかどうかは、神のみぞ知ることであろう。

しかし、東大航空宇宙学科の加藤寛一郎教授は、『零戦の秘術』(講談社+α文庫)で、撃墜王、坂井三郎氏が絶対の自信を持っていた、敵弾回避の技術のつぼについて、インタビューして記録を残されている。なお、この本の引用文献で、ゼロ戦の設計をされた堀越技師は、東大学位論文を、英語で出されたことを知った。やはり、そうか!?”A Research on the Improvement of Flying Quarities of Piloted Airplanes"

坂井氏は、堀越技師が正月に、ゼロ戦の操縦桿についてのパイロットの感想を、電話で聞いてきたとき、坂井氏の感想を聞いて、やはりそうですか、計算と合うというようなことを聞いて、がちゃんと電話を切った、という話を披露して、学者と言うものは、・・・と言っておられたというが、加藤教授に言わせれば、操縦について、誰でもが正確に話せるわけではない、という実例を挙げて、その反例として坂井氏の話は正確かつ詳細である、と称賛している。戦争のさなかから、詳細な記録を取っていて、そうした蓄積がないと、あのような本は書けない、と断じておられる。

『例えばA氏、この人はかって坂井の上官であった。海軍兵学校の出身である。いま山奥のある村で、現役の村長をしている。この人に零戦の操縦法を尋ねたことがある。すると身振り、手振りよろしく「ガァーと引っ張る」、「グーッと行く」。こういう話ばかり、飛行力学の役ににたつ情報はほとんど得られなかった』などとある。

私は、勝手にこの村長さんを、群馬県上野村の村長さんと推測していて、海兵出のゼロ戦パイロットで、敵爆撃機攻略の戦法を編み出された方と認識しているが、操縦法は、とくに究極的な敵弾回避技能ともなると、各人各様であるらしく、秘中の秘であって、語りたがらないものかもしれない、と思った。しかし、かっての落合選手が原監督と会談をしたあと、ニコニコ顔で出てきて言ったという、これで原氏のバッティングには理論がないことがはっきりした、と言ったという話をどうしても想起してしまう。

スポーツ紙などでも、原監督のバッティング指導は、ここで、ガーン打つ、というような表現が多くて若手には、ほとんどためにならない、などという陰口を聞いていたことと思い合わせて、多くのノートを取っていた野村監督などとは、異質の原監督というイメージが強い。話が脱線したが、とても分からないと思った敵弾回避技術を、坂井氏にインタビューした加藤教授の報告を読んで、わかったような気が少ししてきた。・・・

敵弾回避といっても、敵戦闘機に後ろから機銃をあびせられたとき、空中戦に持ち込んで、逆にゼロ戦の小回り性能を生かして、相手の後ろにつけて、・・・というような話ではなく、
来た!と気づいた瞬間、もう弾が当たらない態勢に機を導くほんの1,2秒の動作のことである。

また、戦闘機のりにとって、もっとも大切なことは先を読むことである、という。飛ばす技術が重要なことは論を待たないが、周囲の状況を判断して、次の行動を決める、これがもっとも重要である、という。

バイク乗りにとっても、先を読んで的確な操縦操作が重要であり、前が4輪車ならば、最近は自然にどちらに曲がるか合図をずる前から分かるようになってきた。まだ8割ほどの的中率であるが、当てようと思わなくとも、どこからかそういう雰囲気が沸いてくるものである。あれは、何が知らせてくるのか、・・・不思議といえば不思議。

さて、加藤教授が坂井氏へしつこくインタビューして推測した回避技術は、劣等生の飛行技術とでもいうような、激しい訓練と坂井氏の探求心とゼロ戦の操縦特性とがあいまって編み出さたもののようである。

坂井氏は、戦後米軍提供による、ゼロ戦が撃墜されるフィルムを見せられたようである。そこでは、ゼロ戦に向かって機銃弾を打ち出しても、ゼロ戦はじっとしてそのまま飛んでいた、という。

最初は、照準器を見ながら撃ちだすのだという。それには大変な集中が必要で、相手の機の未来位置も予測して撃つのだという。だから最初から当たるということはそう多くないようだ。曳光弾や焼夷弾の軌跡をみて2秒から3秒の間に照準補正を、照準器はもう見ないで行って当てるのだという。坂井機などは、弾が来たな!?と思った瞬間に回避飛行を行って、敵弾が翼の下を抜けるのを見ながら、左へ旋回しつつ急降下するようだ。

敵がうしろについたとき、坂井機は、右滑りで飛ぶのだと言う。相手は坂井機がまっすぐ飛んでいるように思い込むらしい。進行方向に対して機首は左、尾翼は右へずれて平行移動のような形で横滑りに飛んでいるらしい。こうすると、右斜め前方から通常よりも多くの風圧がかかる。それで、弾が至近距離を通過する直前か同時に、ほぼ瞬間に左を下にした垂直飛行態勢に移行するらしい。すると斜め前方からの風圧で、相手からみれば、思わぬ左側への平行移動に見えるかも知れない。未来位置を予測して撃ったはずの弾は、垂直にした機体の右側を通過してしまう。しかも、さらに機種を下げて急降下操作もしているようだ。

弾はまっすぐ機体を飛ばしていないと、直線的な弾道が得られないので、相手は正常な飛行をしているから、円運動の一部のような飛び方をされては、対処のしようがないらしい。

___『横滑りをしていると当たらんと言うのは本当ですか?』
坂井『当たりません』
___『それはどうしてですか先生も(坂井氏を先生と東大教授が呼んでいる)横滑りが得意なんでしょう』
坂井『そうです』
___『でも撃つときは駄目ですか』
坂井『撃つ瞬間、バランスのとれた正しい直線飛行をやる。』
___『その時だけ』
坂井『そのときだけ。あとはビューンと(機体を横に)吹っ飛ばす。空戦場に入ったら、劣等生の操縦をする。正しい水平飛行、ただしい上昇直線飛行をやったら、相手にすぐ未来位置を見られてしまうから、命がいくつあっても足らない。・・・』


『物事はすべて苦労は先にしろ。みんななんとかの知恵は後からでる、といってそのときになって行き当たりばったりでは駄目で、結局真剣勝負と言うのは、先手必勝なんです。先手を取るにはどうしたら良いか。敵に先んじて敵を発見する。理想的に言うならば、相手の視力圏外で相手の存在を見つけ、そしていつどこに、何機、何群の敵機がどういう上空で空戦場に入ってきたか。それを敵の視力圏外で見つけたら、相手は全く見えないのですから、絶対真後ろの有利な位置に入れる。

それには普段から目を大事にし、常に目を愛護し、目を鍛え、最後には昼間の星を見ましたから。そのくらい視力を鍛えていましたから。

私が撃墜した最大の理由は、目と頭です。』

また、視界の利かない下をどうして見張るのかといえば、遠くからその位置を見るようにし、そのうち、敵がどの辺に現れるか、動物的カンで予想がつくようになる、と答えている。

坂井氏の視力は、25キロ先を見ることができた、という。通常は15キロ程度と教わったとき、だれが決めたかしらないけれど、そんなバカなことが、そんなことを信じてたまるかと思った、というから反骨精神も、超エース級。

性格もふくめて、すべて最後の一瞬に、先手、先手と手段を最高の状態に持っていくようもの凄い努力をされている。

英語の論文は、最初の一語が決まると、後は論理的展開でほとんど決まり、結びの言葉まで行きつくと言う。それで、最初の一語を書きだすまでに相当な準備が要る、と聞かされたことを思い出しながら、坂井氏の生き方を考えている、・・・・・。


なかのひと

火曜日, 3月 03, 2009

年度末である。仕事が途切れることなく発注され、息つく暇も無い。伝道に見える方たちもまだ、暇にならないんですか!?とさすがに呆れているらしい。この人たちも、男性の一人は、普段はミキサー車の運転をされているらしい。半年以上も前から、だいぶ暇になり、こうした活動も十分できるのです、ということだった。

こちらは月に一日か二日程度休めるかどうか、であり、土日はまずアルバイトの諸君たちと別れて班別の仕事となり、その纏めは翌週のバイト諸氏が来る頃まで終わっていないこともある。ありがたい、といえばありがたいのかも知れないが、人手を増やさなければもうどうしようもない。その人手も親会社から、若手をひとり受け入れるよう打診されはじめた。それをしなければ、さらなるピンハネ率アップ要求が来るのは例年の必定。しかも、その上の大手発注先からは、今年からさらに大きな新仕事がでる予定らしく、親会社もその時は自社も積極的に加担する体制でいるらしい。まだ、国交省の整備局よりも上のレベルで、どこまでの範囲を、どの程度までするか協議中らしい。しかし、自分の仕事の範囲は、あくまでCADによる設計図面づくりなので、代理に仕事ができる人がおらず、後継候補の育成も急務なのである。

しかし、そのアルバイト氏たちも年度末となると、皆それぞれの事情で忙しく、いつでもお願い出来る状態ではなく、派遣事業に申し込んだり独自ルートで、猫の手でもいいから、ということで見つけて来たりする。行きつけのスタンドで学生時代から来ていたバイト氏が、さいきんまた現れ出した。理由を聞けば、コンピューター会社をやめて、目下、別会社への転職準備中なのだという。しかし、土日は、スタンドの店長が確保してしまっているので、平日で就職活動が空いていれば、バイトに来れるというので、週1日でもいいから来てもらうことになった。顔見知りだし、会社へ10分という近さで、本人も正式に就職しても、できれば土日のバイトで来れれば、近いしいうことなし、と思っている気配もある。

このブログでもいちど紹介した、カワサキの600をスタンドで整備していた人である。カーマニアでもあり、今は燃費の悪いバイクは売り、ピンクナンバーのスクーターを保有。黒の400から始まり、リッターバイク、600のカワサキも皆ブラックだった。600で、燃費が14、400で18ぐらい、リッターバイクは!?というと8キロちょっと、だったという。おいおい、何に乗っていたのときくとRなんとかとサラリと答えたが、聞きなれないので、もう忘れた。

モータロイをいれたカワサキ900は、ネットでは通常20キロ以上だと言うが、最悪リッター6キロで、最上で24キロぐらいだというようなことが書かれていた。最悪は、車並みということか。最良は、運転次第バイク次第ということで、千差万別ということだろう。

さて、電気系を一新したわがCB1000SF、ノーマルでも調子がよいが、この前のツーリングでいまいち燃費が思わしくなく、自作モータロイ効果もまるっきり皆無に近い状態で、今後の慣らしが必要だな、と思っていたところである。ところが、ブレーキランプの不調から、いままでの電装系は、漏電!?の問題もあったらしく、今一燃費をよくする機能を持つ製品にもさしたる効果は感じられなかったが、今度はまだ、ブレーキスイッチに問題があるとはいえ、基本は正常に戻ったようなので、まずてっとり早く、会社の机の引き出しに放り込んであった、ミラクルパワーを試用してみようと、その日の夕方の帰宅から取り付けてみた。

すると、着けたとたん、ランプが明るくなった、と書いた以上にもう一段明るくなり、始動もより短いセルモーター駆動で、何か今までとはちがうレスポンスを感じた。乗りだしてみると、はっきり調子の良さが伝わってくる。そうか、やはり今まで電気系の異常で、正常な火花状態ではなかったから、効果もいまいちはっきりしないどころか、却って調子も悪く感じる最近の試用結果だったことからすると、雲泥の差。これでは、sho様も、手放す気はおきないだろうな〜、と思った。それだけでも、うれしい。音質もはっきりこれまでの装着時とちがい、走行感覚は、あのにんじん君そっくりだ。

そして、翌朝会社へ近づき、エンジンがかなり暖まっている状態で、一時停止だった交差点がさいきん信号機がついてしまって、赤信号で停止。青で左折してスタートしたとき、いままでとちがって、車の進行の隙をついて急いで発進していたときとちがい、後続車もなく、ゆっくりと曲がったが、あと200メートルほどで、会社なので、てげてげのアクセル状態だったが、曲がったとたん、急に加速しだしたことにビックリ。アクセルを開けないでも相応の加速をするではないか。それで、何となくピンと来るものがあった。マイクロロンとは違い、モータロイ系は、アクセル全開でももちろん効果はあるのだろうが、アクセルを絞った状態でも、抵抗が低下しているので、その分パワーアップした感じがすることを。

ミラクルパワーでトルクアップし、エンジンも20キロ近く走ってきたので、通常なら加速しないアクセル開度でも、加速するのだろう。ただ、加速を始めるまで、回転が1800回転あたりをこえるまでアクセルを一定にして待っていると(1〜2秒)そこを越えるとぐーんと加速がつく。まるでアクセルを開けているように。これなら、燃費はよくなる理屈だなあ、と思った。

その日の帰りも、公道にでると、すぐアクセルを開けて、後ろから接近する4輪をかわしたりしていたのだが、少し脇により自由に抜かせて、アクセルを押さえて走ってみることに。すると暖機時よりさらに時間がかかったが、やはりアクセルを押さえていても、加速する。やはり、そうか。冷機状態でも回転が上がれば、冷機を感じさせない走りである。しかも、この日あたりが、新自作モータロイ投入後、なんとか2000キロ走行を達成していた。

投入1000キロあたりまで、効果がはっきりしていて、効果が順調に燃費にあらわれた。しかし、1000キロを超えたら、どういうわけか効果が感じれれなくなり燃費も落ちた。やはり、2000キロあたりまでは却って燃費がおちますと、製品のマニュアルでも断り書きがしてあったが、ちょうど2000キロもクリアーしたし、電装系も一新。しかもアイドリング回転数を、冷機時こそ1000回転前後だが、暖機時は1200回転。アクセルを放しても、以前よりはガソリン供給は増している。そして、ミラクルパワーによってさらにわずかでもトルクアップが計られた状態、とすべて+要件が揃った状態であったことになる。

翌日の出勤は、ルートを変えて片側2車線が完成したバイパスを走ってテスト。絶対こちらが速いと言う人と、いや距離があるので、けっして速くないという人がいるコースで、普段は使わないルートである。いやでも飛ばしてしまう、ほぼ直線のバイパスで、早朝はさほど混まない。今までは、つい飛ばしてしまい、燃費もけっしてよろしくないコースと自分の中では感じている。しかし、今日はテストなので、気楽に入り込み、左側車線を最初静かに走ってみる。
みな平均70キロ前後で走っているようだが、左側車線は、平均して右側車線よりは遅い。右にでてみて、アクセルを押さえて走ってみても、充分4輪について走っていける。通常より気持ち時間がかかるが、アクセルを一定に保っているつもりでも、予想に反してスピードがじわじわ伸びていき、いつの間にか先頭に位置してしまう。

それを繰り返しているうちにエンジンはどんどん暖まっていくのだろう。だんだん弾みがついていき、音も静かで車速があがる快感に酔いそうになっている自分に気づくが、油断しないで行くことに。一緒にいた4輪群は、信号一区間半以上ほどはるか後方である。

その日の帰りは、納品もありさいたま市を回ってのルートである。そこで、これはど快調なら、さらに整流機能を持つといわれるエコボックスもためそうと、昼間装着しておいた。その時は始動性、回転の上がりもいっそう頼もしく感じたのだが、走り出してすぐ少しエンジンが固いと感じた。この日の夕方は、風も強く低温であり、手先が寒さで凍えだす状態で、そのせいもあろうかと、7〜8キロ走ってみたが、やはりなにか加速が緩く、明るさもはっきり以前よりは暗い、と感じた。そこで、途中のコンビニの明かりで外してしまう。外してすぐ、明るいし、加速も良いことに気づく。後は走るほどに調子づき、朝よりはぐっとスムーズ。さいたま市を出る頃には、絶好調といってよく、音の変化もさほどないのに静かにスピードがアップ。ひさびさに、バイクの面白さを寒さも忘れて堪能してしまった。

完全に暖まった状態ではタイムラグもほとんど感じないで、充分加速。静かに加速しているつもりでも、交差点を走り抜けるときについてきている4輪はない。いたとしてもシフトアップをちょっと遅らせるだけで、後方に下っていただける、という感じだ。これはいろいろな条件の相乗効果の結果なので、ミラクルパワー本体だけの結果ではないものの、まさにミラクルということばが大げさでない、ミラクル体験であった。

いままでは、おそらく電装の状態がテンポラリーで変化していたのだろう、好調結果が持続しない、という悩みがあったが、はたして今後はどうどろうか!?

なかのひと

日曜日, 3月 01, 2009

さて、とつぜんエンジンが停止し、電気系がダウンしてしまう症状は、キルスイッチとワイヤーハーネスを交換することで、取りあえず再発はしないようだ。

しかし、いまいち原因不明と言うことで、すっきりしない。ランプが明るくなり、ホーン音量も大きいことから、いままでどこかで漏電していたのでは、という疑いがくすぶっている。

また、リヤブレーキランプが、リヤブレーキをwi追うしたときだけ、つきっぱなしになることも気になる。忙しく、まともに調整する暇もなく、夜帰るときに空いた道で、テストしながら様子を見ている。

車検の後、バイク屋さんがストップランプが早めに点灯するよう調整したようだったが、その後まもなくリヤブレーキによるストップランプ点灯は、ひと月もしないうちにいくら踏んでもつかなくなっていた。ふつうに考えるとこれはおかしい。つきづらいブレーキランプも走りが進むとブレーキペダルがだんだん大きく動くようになるので、点灯しやすくなる、というのが
通常考えられることだからだ。フロントも同時に使うようにして、そのままにしていた。

前回のバイク関連ブログを書いた日、ブレーキランプがフロントを使っても、点灯しないことを知りビックリした。そうしたら、ブレーキランプが点灯しないのではなく、つきっぱなしだということで、さらにビックリ。それで、リヤのブレーキランプの赤いカバーレンズを走行中落としてしまうハプニングも。幸い、すぐそばに落ちていたので、助かった。買えば、一個7500円もするらしい。ビッグワン部品は、共用部品以外は、比較的値がはる感じがする、というのが個人的見解。ただ、フロントフォークのオイルシールを保護するダストカバーは、安くてビックリした。古いタイプで、ゴムシールを細いリング上のワイヤーで周縁部を締めつけるようなタイプなのでてっきり高いと思っていた。むかし、CB72のエンジンをばらしたときも、動力軸を取り出す部分のオイルシールにもこのタイプが使われていて、常にゴムシールを
軸にピッタリと接触しやすくする工夫がしてあった。また、トップギヤの回転軸には、耐摩耗性向上のためか、真鍮色のメッキだか、コーティングがしてあったりした。


さて、ブレーキランプだが、一昨日の晩、テストしながら帰宅中、だいたいブレーキランプがつきっぱなしということはないが、時々リヤブレーキで点灯させたとき、つきっぱなしになると気がついた。この前はそういう場合、踏み込むレバーを起こすようにすると消えたのだが、今回は消えない。何度も断続的にリヤブレーキを踏むと戻るというか、消灯することがわかった。これだけでも不思議だが、その時、フロントブレーキレバーを握ると、つきっぱなしのランプがもう一段明るく点灯することに気づいた。なんだよ、これ!!???。今までは、フロントとリヤで、独立につけても明るさの変化を意識したことはなかった。

そのうち、つきっぱなし現象はおさまり、リヤ単独でも明るさに変化はないようだった。ここで、はじめて、ブレーキ調整だけでなく、リヤ用のブレーキスイッチがネックになっていたことを知る。明るさが異常ということは、正常な電圧が加わっていないか、あるいはスイッチ部で、電流低下が起きていることを意味しないか!?

もし、車検のあと、しばらくしてつかなくなったリヤブレーキによるストップランプが、ブレーキの調整不足によるものではなく、スイッチ自体が故障で、電気を他に流していたら!?と仮定すると、電気系の異常が起こるだろう。電子点火系が故障したり、電流の整流作用をするというにんじん君も、エコボックスも思ったような効果を発揮しなくなったりと、なにかおかしいという感じがしていたが、その始まりが、昨年秋以降というと、どうもブレーキランプの異常時と一致するようだ。いまは、正常に動作しているようだが、リヤブレーキスイッチ系も新品交換の手配を済ませた。

交差点でストップしたときも、会社で始動後すぐキルスイッチに触れてストップしたときも、バイク屋さんが来るときには、エンジンがかかったり、ダウンした電気系が復活したりしていた。また、シリンダヘッドアースを外すと、点火系のちょっとした瞬間的火花カットと思われるくしゃみ現象が頻発していたのが、完全にはなくならないがだいぶおさまったりした。

昔から、エンジンのトラブルは燃料系か電気系か、どちらかに決まっていた。バイク屋さんはキャブの分解や、吸排気弁なども疑ったようたが、毎日乗っていた本人は、電気系と疑っていた。ニュートラルランプが、低回転時、チカチカして、発電系が悪いのかともおもったが、たとえそうだとしても、エンジンへ供給される電流は直流で、交流ではない。しかも、発電系は、納車してしばらくしてから、新品に交換してみたが、交換前後でなにも変化はおきておらず、2年経過している。バッテリーも普通に充電されていつようで、この冬も一度も朝の始動でチョークなど使ったことは一度もないのである。今回の手術で、そのちらつきも消えている。明るさの変化のみである。

今日は、仕事が午前中で終わるはずで、午後はちょっと調子を見るために少し距離を乗ってみようと思っていた。しかし、他人に任せた現場の資料の不備で、自分で現地確認をする始末になった。しかも、2現場は、埼東と埼西で正反対。しかたなく、というか一石二鳥で、バイクで行くことにした。

12時半にスタート。薄日がさしていて、毎朝の通勤とは段違いに暖かく感じる。水温計も早めに上昇し、その幅も大きい。しばらくすすむと、アイドリングが1300まであがってしまった。しかたなく、途中でとまり1200弱まで下げる。スクリュウーネジを左に1/3回転ほど回す。まもなく、ほぼ1200で安定するようになった。

燃費はたいへん悪い。通勤で11キロ、一回目の給油で長距離走っても12キロぐらい。その次でようやく14.4程になった。ツーリングしかしない乗り方では、燃費はもっと伸びるのだろうと思う。通勤では、エンジンがあたたまり切らないうちに着いてしまう、という乗り方でそれを毎日繰り返しているので、当然悪くなる。

しかし、あまりよくないので、帰宅するまえ、会社でミラクルパワーをつけてみた。すると、点火火花が強くなっているせいか、たいへん効果的という感じがする走りだ。明るさも、いっそうあかるく感じる。いままでは、着けると音が割れると言うか、音がばらつく感じがしたものだか、今回は却って静かな感じさえする。パワー感も盛り上がりが感じられた。

通勤だけから、長距離に移行するとき、エンジンが固いというか、新電気系に馴染んでいないとう感じもけっこう感じた。いままで、いろいろトラブルがあり、エンジンの感じが日々変化する毎日で、安定感はなかった。また、新たに慣らし運転からスタートで、もう一段上の調子良さを期待する日々である。

1200回転にしたせいか、アイドリング音もまるで変わり、車体感覚は変わらないが、別のバイクと言う感じがした。ハーレーと並走してももちらん速いのだが、出だしのもたつきを感じた。バイク便の250と競争しても、出だしは弱い。ミラクルパワーで、どの程度改善するのだろうか?火花がつよく、正常になれば、ミラクルパワーも効果もよりはっきりする、と期待しているが、果たして・・・・。

なかのひと