火曜日, 2月 26, 2013

今週も土日が休みとなった。仕事の出が少ない為である。土曜日は2900キロを過ぎていたのでRBでオイル交換。帰りは、ノーマルのオイルのままで帰って来たが、オイル交換のありがたみを実感した。荒れていた感のあったエンジンが一変してスムーズとなり、これなら粉剤など要らないと思ったりしたが、エンジンを切る際にクランクケースに触れたら、これまでになく加熱されていたので、その晩再び粉剤を調整。翌朝、出発前に追加した。
翌日は49日の目前で形見分けで親戚二軒4名が来たし、不動産屋さんとの初交渉の日でもあるので千葉へ朝から行った。この前と同じ2度C幼表示だったが、気分は暖かい。春が近い感じであった。日曜の16号は早朝はいつもガラガラ。走行はきわめて快適。あっと言う間に予定の場所まできた。ここでナビの目的地を佐倉から目的地に変更。いままで知ってはいたが一度も通ったことのない道を通過して、まもなく無くなるかっての実家へ到着。

肩見分けをしている間に、駐車場を臨時にお借りしている業者と面談。あちらは売ってくれれば転売せず、自社の駐車場として利用したいとの考えだと説明され、社長とも了解済みとなっているといい、 場合に寄っては、地上権だけを最初に譲渡し、あちらで国税から土地も購入することが可能ならばそうしたい意向と判明。二週間後にまた合うことになった。

その後皆で昼食をとり散開した。しかし、結局佐倉に寄りしばらく追加の話しをして又帰りの道を。出かけ際に従兄弟が250クラスが一番扱い易いでしょうなどというので、昨日RBで650の見積もりをとった事を喋った。

翌日会社に行き、調査に出ようとして到着予定時刻を見る為にiPhoneでセットしたら画面が変わっていて驚いた。土曜の夜おそくNavicoのアップデートを無線で行い、2GB近い容量なので何時おわるか分からないのでそのままにしておいたら終わっていたらしい。

有線でないので、先日も数式処理ソフトMathematicaの8.xから9.0へのアップグレードも最初あと二日と2.3時間などと出て驚いたが、途中で勝手に中断。もう一度つなぎ直したら、今度は高速で繋がり、2時間以内に終わってしまった。5.3GBほどで、起動したらちゃんと動いている。

以前のNavicoでは予定ルートが分かりにくく、色のセンスが良くないと思っていたが今度は見易い。
しかも以前から指摘されていた渋滞情報なども表示されるようになったと途中から気がついた。
これならバイク用のiPhone4Sもアップデートするぞと思って昨晩実行した。
で、予定通りに目的裏に到着した。高崎線の各踏切マークが新鮮だった。

日曜日, 2月 17, 2013

大原へ調査に行った前後の記述から。
FTRを買ったのは緊急情勢でRBに任せたので、深い理由は会社に聞いておくれ、なのだが代車ならともかく、毎日ある程度の期間は乗り続けなければならず、やはりバイクメンテの基本は守る必要があるが、なにせ在庫中最安製品であったせいもあり(提示条件下で)、おそらく最低でも8年くらい寝かせてあったと思われ、サスは固く、工具類は一切なくプラグの点検もままならない状態であった。サスのほうは私の体重と毎日使用するせいで1週間ほどで、めきめきと回復し、柔らかくなり2週間ほどでほぼ全面回復し、今ではさらに微妙に乗り易くなっている。バイク用品店で以前使っていたクロームメッキの微小なサビ落とし製品を物色中、偶然1個180円でプラグソケットを見つけ購入した。以前のビッグワンとは違い、良好な焼け具合のようである。それをしまう工具箱も簡単な鍵付きのボックスが付いていて今ではETCのカード読み込み部品の格納庫も兼ねている。

大原往復でリッター40キロを記録したあたりから(購入走行4500キロ程)で当初の印象からまた変化が出て来た。えんじんの印象が少しづつ変化して来て、トップホールドのままアクセル操作で40〜110キロほどの範囲でオートマ気分で走れる感じがしてきた。これは、さらに潤滑剤の本来の機能が発揮されだしたように感じられる。
今日は相続の現金輸送のため、呼び出され約束の時間に間に合わせる為旧自宅へと向かっていると、途中で、このバイクを追い抜いた。こちらは四輪と同速度で右側車線を走っていた。噂に寄るとカブ(110cc)に続いて第3位の売れ筋バイクなのだという。私が通う病院の駐車場にもいつも一台止まっていて脇が空いている時は細部を観察したりしている。前方に右折帯が現れ渋滞が始まると、後ろからこのバイクが近づいてきたことが音で分かった。しばらく平行して走っていたが、やがてまた後ろへ下がって行った。こちらはスピードを落としたこともある、ほぼ無音。隣は私から見れば、いい音の一種のなのであろうが通常のオイル仕様らしく煩く感じられる。

しばらく併走したあと、隣は後ずさりするように後方に消えた。あるいは将来候補の一つと考えていたが音や雰囲気は自分に合わないと感じた。この日増しに快調になっていく感じからは、ヤマハのSR400あたりが目下手頃な候補なのではという気がしており、あるいは単気筒600あたりが狙い目かもなどと淡く夢想中である。

あと、この華奢なフレームは私の体重もあるだろうが、どうも、ちょうどいい具合にフレームがしなる感じを受けていたが、この記事を見るまではまさか、しなっているとは思わなかった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1394592203

『対してFTR223は、リバイバルで人気が出たFTR250を復刻させたものです。
実際、タンクとサイドカバーなどは、元の250の金型をベースに、
新たに起こされています。

しかし、単なる廉価版コピーではなくて、
ダート・トラック性能でも、引けを取らないフレームとハンドリングに仕上げる為、
開発中は、テスト・ライダーによるダート走行が繰り返し行われ、
ベストなタイムが出せるまで、徹底的にセットアップされたそうです。
ファッション性(スタイリング)から、前後を同じサイズの太いタイヤを履かせながら、
ダートで、ドリフトさせても平気な性能になっているそうです。

このバイクの開発者と一緒に走ったことがあります。
彼はFTR223に乗り、私はCB1100で、田舎の峠道を走りましたが、
センターラインも無いような、細い道幅の峠では、FTRの圧勝
パワーで何倍も勝る私も、ムキになって追いましたが、
ついに追いつけませんでした。』

もう一台次のマシンを考えているとRBで口走ったら、マジっすか!?などと目を輝かせていたのが印象的。
ピストンサイズもビッグワンのとさほど変らない。こちらはフレームならぬクランクロッドがしなるような想像をたくましくしている。

さて、大原での調査は、はかばかしくなかった。相手の100近い父親が存命かどうかだが、店を知っていても、みな妙な目つきになり、お互いの顔色を伺いながら、その辺のことはわかりませんとの事だった。

仕方なく、すぐ隣で同じく職種の店をやっておられるある商店を訪ねた。すぐに伯母さんが店頭に出て来たが話をすると、お亡くなりになられたんですってね、などとお悔やみを言われた。えっ、どうしてそこまで知ってるの!?と思っているうちにコーヒーなどが運ばれ、ご主人が呼ばれ出てこられた。やはりお悔やみをいわれたので、どうしてそう早くご存知なんですか?と思わず聞いてしまった。すると、隣の家の親族が直ぐ近くにおり、そのひとの話が、この店の隣ぐらいにいるらしいスピーカー伯母さんに伝わるやたちまちに顔見知りの人たちに伝わるのだそうだ。

試しに故人の写真をiPhoneで見せたら、間違いないですがずいぶんお若いですね、と言われたのでもう一枚和服の写真を見せたら、あ、これは故人の結婚式のときのですね、などといわれた。何でも隣の家の主人(すでに故人)とは小学校以来の同級だったとか。それで、結婚式の司会などもされたという。それで、隣の家のご主人の父親が生きていると聞いたのですが、ご存知ですか?と尋ねると、やはり驚いた顔をして、いくら隣でもそういう家庭の事情はわかりかねますが、確かN県の出身の方で、たとえ生きていたとしても100歳前後でしょうなどと答えてくれた。

さらに明日相続の相談も隣の家の方とする予定なんですが、と話すと、こちらではなんでも一族に銀行経験者さんがおられて、その方にみなお任せしている、という情報もスピーカー伯母さん経由でご存知だった。

とにかく、私と同等くらいの情報量を周辺の方たちがもっているようだとわかり、大変驚いた。

で、翌日その代表者とお会いした。やはり父親は大正二年生まれで、息子さんのうちの一名の家族と暮らしているのだという。

私はてっきり、その父親への遺産分割で、伯母の遺産から1/3の請求が来ると思い込んでいたが、
そうではなかった。なんと、相続放棄の手続きを保険会社を通じてしてくれているのだそうだ。

しかもその代表者の奥さんがその父親の末娘だという。伯母の亡くなった旦那さんはその妹さんとは血縁関係がなく、斎場にこられた亡き旦那の妹さんがその旦那の妹の一人で、そちらに相続権があるのだそうだ。(これは叔母から聞いた話しでそう思い込んでいたが、後日戸籍謄本を各自用意した中で、皆血のつながった実の兄弟だと判明し、当初の誤解が氷解、それにしても歳が離れ男女でこうも容貌がはなれていては、誤解も無理ないかもと思ったりした。)

その元銀行マンの奥さんは、大原で有名なK家の末娘だが、今回の伯母の亡夫もそのK家に後妻にして入った方の息子さんでK家の店を最後にたたんだ方で子供がいない。で、その銀行マン氏がご自分の奥さんのK家の供養を今後20年ほど代表しておこなう手順に一族の同意でなっており、伯母の一族との遺産分割交渉に当たっているという。

これで、当初不審を募らせたこともあった私だったが事情がわかり、かの銀行マン氏も同じ99里地方の出身、私の母方も大網の網元の家系ということで、その出身地細草という地名もご存知だという。さらにバブルの頃には、私の町のKY銀行の支店長などもしていたという。

なんだかんだで垣根が取り払われてみると、あちらから提示された残高は伯母のほうが多いが、伯母への保険金はみな亡くなった旦那の口座から引き落とされており、今は残金は少ない、などということも分った。

それで、K家の墓の守りに200万くらい、妹さんたちにいくらかやりたいという(多分同額くらい)。

あと葬式代などや雑費も旦那の口座から出ていて、伯母の預金の残りを我々が受領ということで、基本合意した。

それで約朝、さっそくおととい、隣家の情報を流してくれた方に電話し、非礼をわび、昨日の交渉も円満に終り、あちら側にこちらとしてもお願いすることになったと、報告しておいた。電話を取り次いだ奥さんも私の事をいつの間にか、お父さん、kさんよ~と隣の家族の一員みたいな呼び方をしておられた。

そして水曜日に現金の一部を分けるから土曜日に来て欲しい、と電話連絡があり、また会って話をして、通帳のコピーや実際の通帳の残金などを確認した。郵便貯金分と、保険金(旦那のガン保険)は一族の印鑑証明と戸籍謄本などが必要らしく、それ以外の大半が現金化してあった。
本日受け取った額の約二倍がさらに此方側に来るという。なんでもアフラックらしいが、ガンで亡くなった場合の保険として通常のものより高額な保険だったらしく、それで旦那の口座の減りが早い一因だとも言っていた。

帰りに伯母の実家の近所の私の従兄弟の家により、もう一人の従兄弟も呼んで経過を公開し、五人で平等分配することにした。彼らの感想は、こうして結果をみると、まるで非常にうまい配分をされたような気がする、という印象のようだった。それで、一人160万の保険(生きていた父親への保険)の受け取り人の上姉の分も相手が要らないというので、こちらも5等分ということになった。
これは保険会社が血の繋がった方でないと契約変更は難しいということで、相手の妹さんは実の子であっても亡くなった旦那がかけた保険は、相手を変更せよということで途中から変り、此方にきたが本来なら100歳近いその方というわけだが、その人を探したのもN県の保険会社であった。

火曜日, 2月 12, 2013

2 月10日、11日とうまく休みが取れた。 今日は予定通り大原町町内を散策予定で、ナビで見ると自宅から126Kmほどとなる。しかしルートを見ると122号側道を南下し安行を通り千葉経由のルートとなり、知らない所ばかり。

そこで最近開拓した佐倉を通るルートを考えた。そうすると遠回りとなるが、帰りはまた佐倉の親戚に寄るわけだし最初から見知らぬルートより取っ付き易そうに思えた。日曜日7時台から出発し、16号を埼玉から千葉方面へ。

日曜日の国道は交通量がグンと下がり大変走り易い。しかし今日はこのバイクで初の長距離だし、スピードは控えめを心がけた。春日部•野田境の温度計は1度C丁度でえっ、こんなに寒いのか!?と思った。暫く行くと真正面に太陽があたり大変まぶしいので、国道脇の吉野家で早めのトイレ休憩。ここで体が(特に指先が)暖まり元気が出た。 
16号を南下し白井付近で、鉄道に沿って左折。後20キロ前後で佐倉である。鉄道側道はほとんどが2車線で走り易く対向車もなく、ハーレーが二台前方を走っていた。4輪はだいたい70〜80キロ走行で、それに合わせて着いて行った。

県道464号から佐倉方面右折のサインでいままでの快適ルートからお別れ。暫く行くとクネクネした県道へで佐倉市内へ。JRの鉄道を超えると正面が歴史博物館。そこを右折してしばらくいく寺崎北の交差点。その角のコンビニでトイレ休憩。
ここで、目的地をいすみ市大原町へ変更。しょうが茶で体を温めスタート。ここからは、60キロ程度であり、気温も上がって来ている。さしたる緊張もなく、のんびりムード。ここから先は一度も走った事のないルート。暫くは佐倉市内の地名が出て来るがそのうち八街方向へ誘導される。どんどん東にむかっているな、と思っているとようやく南へ向いた。どの辺からか知らないが、県道128号線を南下。勝浦方向などと出ているので、この道を南下していけば途中で大原を通過するのだろうと思った。東金、茂原、大網などと行き途中から突然海の雰囲気を感じた。右手が山でふと見ると鳶がゆっくりと山際をそうように滞空していた。しかし左側を見回しても、家ばかりで海はまだ見えない。
暫く行くとサイクリング用の休憩スポットが道路脇に現れた。
そしてここから本日初の太平洋を見た。案内板をご覧頂ければわかるように、この先1キロも行かぬうちに道路脇まで波打際がせまり観光スポットが出来ていた。

もうすぐだと思いつつもけっこう走ってようやく大原へ。グーグルマップで見ていたので千葉銀の建物と道路の間に駐輪スポットがあって、休日のためだれもいないのでそこへ駐車してようやく町内を散策し、まず営業中の店をみつけ腹ごしらえ。ニュースではネコの首にデータの入ったメモリをとりつけたらしい容疑者拘束の速報を流していた。

ここのジャンボカツカレーは1080円とちょっと高い感じがしたが、出来立て熱々でたいへん身にしみた。ここのボーイさんに地元の方ですか?と聞くとそうですというので、紙をみせて店名を教えると帳場にいたご主人が今は店を閉めていて、などと聞かされ奥から3〜4年前に亡くなったそうです、などと教えてくれた。さらに店は更地にしてすでに他の方が土地を買って、家をたてているとまで教えてくれた。

その先の話しは割愛して帰路について佐倉の親戚宅へよる。とちゅう、茂原市内で明日あう先方の代理人宅を上空からは確認していたが、実際に見てみようと1.4キロ手前でルート変更した。今日も出かけているかとおもったら、今日はちゃんと居る。袖ヶ浦ナンバーのマイカーを確認。バイクの音できづかれてもまずいかもと思い、即座に退散する。


寺崎宅へ着く前に220キロほど走行していたので給油を済ませておこうとGSを探したが、駅周辺は見つからず。この前通った斎場付近まで行きようやく給油。5.73リットル給油。15時47分。走行はトータル230キロ。

ネットでは、定地燃費43キロを上回る燃費を何度も経験しているという書込みがあったが、私のはキャブ変更前の10年落ちの旧型なので、リッター42キロの筈。

親戚宅の話しの後、燃費を話したら、それじゃ、まんまカブの燃費そのままじゃん!などと驚かれた。かみさんのプリウスでも24.0はどうしても行かない、などと以前話してくれた従兄弟の反応である。この後、もう一軒の親戚へより、明日の話し合いは悪いけど私一人で行く事への了解を得たので、遠慮してもらうよう要請。それからまた16号経由で80キロあまり帰って来たが、21時到着予定が20:30前に到着。前の車を追っていただけだったが翌日の燃費は35.8キロあたりまで低下していた。

水曜日, 2月 06, 2013

このところ、休みとなれば親戚の家を訪ねることが多い。相続した家を貸していた伯母が亡くなり
否応無しに相続問題が発生してしまった。相続は争続問題がいつの間にか浮上し、伯母の兄弟の息子という立場上、一年以上前に亡くなった伯母の夫の親族たちとの相続問題がどうなるのか予断を許さないため、できる範囲内で動く必要が出て来た。

この日は佐倉市内の一番年上の伯母の家を訪ねた。千葉を経由して佐倉へ行くとなると、遠回りとなるので、16号の小室付近(白井町)から鉄道に沿って平行に464号線を行き、途中から印旛沼付近で県道65号線へ出て佐倉市内へというコースを取った。この道は佐倉斎場で伯母のお別れの会に行くとき、今年二度目の雪の予報で車で向かった際に覚えた道だ。一番古いカーナビが指示したルートで、Navicoではこの近道は出てこなかった。八千代辺りから佐倉方面へというルートのようだった。

まだ、今度のバイクには、ETCもカーナビもついていないため、記憶を頼りに地図を広げておおよその道筋を把握して出かけた。日曜日のため、16号もかなり空いていて、平均速度もこの前の会社を休んで行ったときよりかなりハイペースで2時間ほどで80キロを走ってしまった。

ところで、3000キロのオイル交換のとき、向かい風がつよくて高速での伸びが悪いことから、その直後から、あのミラクルパワーを外してしまった。たしかに常用スピード域ではトルクアップが期待でき、燃費もいいのだが、本来持っていた高速での回転の伸びが、頭打ちになるような感じがしたからである。

それで、外したらあまりの貧弱なトルクにどきっとしたが、回転のつながりは悪くないので、どうなるかとおもっていたが、燃費は安定したようだ。ここのところ16号を何往復かして、かなり回転をあげてもつねに36.xとばらつきがなくなっていた。今日は渋滞がなく、フルスロットルでを多用してどのくらいになるかテストだと最初から思っていた。
今日は親戚の家の写真を撮ったが、佐倉藩の名残があるかのような納屋のたたずまいを強く意識した。道も迷わず来たら偶然佐倉城址にできた国立歴史博物館前に到着した。そこから5~6分で到着である。

、この日は別府国際マラソンの日で、中継を横目で見ながら、あれこれ情報交換した。グーグルで表示したあちらの親戚の実家を一番年上の伯母しか行ったことがないので、どの家か特定してもらい、住所なども判明した。そうすると、近いうちに私がまた単独で現地へ飛んで必要な情報を得てこなければならない。こうなると、ETCとバイクナビは必携となるが、ETCの書き換えは今日当たり終わっているはずだから そろそろ装着しなければという思いがいっそう強くなった。

10時半には着いていたが、すぐに昼となり従兄弟の奥さんが手製のカツ丼とトン汁を出してくれた。
うまかった。この日も暖かく気持ちが良かったが、用件がすむとまた埼玉のレッドバロンへ帰ることとなった。帰りは少し大胆になり、ビッグバイクと競争したが、追い抜くことはできなくとも思いのほか健闘できることがわかった。やはりあと1.5クラスほど排気量アップしたバイクがやはり欲しいが
しかしなかなか候補が見つからない。
レッドバロンでETC装置をセットアップしてもらう間に店内を見回ったが、いちばん手頃かな、と思ったのがSR400。
空き家となった家を売ったらこのDUCATTIあたりも手が出るかな!?とおもったり、いや軽いオフローダーのほうが一番かなと思ったり、バイクの理想的な一台は、shoさんもきっとそうだろうがなかなか簡単には決まらないものである。
この日、店長から前の1300が広島のほうで買い手が現れたので関西方面へと挨拶された。この前、良く似たバイクだなと思ったかっての愛車が買い手が着いて良かったと思った。もっとも買取価格より20万ほどアップした値段だったが。

二時間ほどかかるといわれたセットアップは1時間ちょっとで終り、ちょっと疲れたので、高速でテストランしながら帰ることに。その前に230キロも走っていたので、満タンにしたらリッター35.98と今回初めて37.xだった燃費を少し割り込んだことがわかったが、あれだけビッグバイクと競争してもこの程度の落ちでしかないことがわかり、この通勤最適車種にも隠れた美点があるわな~と改めて思った。

高速に乗り入れて初めて時速110キロほどで走ったが、今まで、高速を走りなれていないエンジン特性を痛感した。90キロぐらいで一番左を走っていると快適だが、日曜の夕方の半渋滞ではそれ以上出す気もなくて、込んできたので嵐山小川で降りてしまい、一般道を好きなように回って帰ってきた。

以前のバイクにつけていたナビホルダーも一緒に帰ってきたので、こちらは自分で装着して、無事完全動作を確認した。