火曜日, 12月 30, 2008

昨夜、どこかのチャンネルで電気自動車時代を見据えた特集を放映していたが、神奈川県民は、400万円程度とされる新車価格が、国の補助、県の補助、優遇税制などのおかげで、はぼ半額の210万円で手に入る見込みらしい。

家庭の100V電源で14時間、200V電源で7時間で160Kmほど走行できて、電気スタンドは街中で30分ほどの強制充電で賄えるようなことを放映していたようだった。

今、ハーレーが町中を我が物顔に走り回っているが、電動バイクの時代になったら、ど〜すんねんと想像して、にやついたり、困った未来を想像して、浮かない気分であった。ゴーン会長も20〜30年後にはまちがいなく、ガソリン車は衰退するだろう、とこぶしを振り上げていた。

さて、急激にガソリン価格が下ったが、下りっぱなしということはあるまい、と思うのが人の世の常、というもの。

『恐慌前夜』(アメリカと心中する日本経済)、祥伝社、副島隆彦を開くと、まずなぜガソリン価格が急にさがりだしたか、を解説していた。そしてまた暴騰していく予想も・・・。

発行が9月15日だから、資料はいささか古いのだが、はっきり住宅公社の破綻を米政府が手助けすることはない、と断言している。産経新聞などは、サブプライム 米、公的資金注入も 住宅金融2社を支援 などという見出しが出ていた時期だが、公社と言ってまったくの私企業だと言う。だまされてはいけない。

7月にジュネーブで開かれた核保安会議で、イランが核兵器開発を中止する見返りとして欧米が経済支援をする、という和解案にアメリカとイランの担当者がそれなりに合意したようで、この直後から原油の値上がりが止まった、と書いている。

1バレル147ドルまではね値上がったニューヨークの原油価格が110ドル代まで下落した。理由は、中東での新たな戦争を意味するイランの核関連施設へのアメリカの空爆がなくなったことがはっきりした、ということだと解説している。

かわりにイスラエル空軍がイランを空爆するには、いちど給油などでどこかの飛行場へ着陸しないとできないのだという。(アブダビとかカタールとか)要するに米軍の支援なくしては
戦争の可能性はないようなのだ。ましてイスラエルがイラン攻撃を実行したとしたら、イスラエル存亡の危機となり、米国としては許可できない、という。

さらに、イランとアメリカは密約で、イランの核施設とされる3ヶ所までは爆撃していいとまで、合意もされていたともいう。イランは5年間ぐらい各開発が遅れてもかまわない、というかまえだそうだ。とっくに、核兵器製造技術は北やパキスタン経由でイランは入手済みであり、じっくり構えてえ核保有国へ近づこうとしている、のだという。

それでも、10年以内のうちに中東で、1、2発の核爆弾は破裂するだろう、そうすればサウジで革命が起こり、原油価格は1バレル250ドルは行くだろうと、どこからかのニュースソースだかは知らないが、予言している。

アメリカ国内で、核爆発があれば、事故かテロだろうが、中東であってみれば、米国などの関与も当然考えられる。もちろん、実行犯などは、写真入りで公表されるだろうが、9.11
ライクで真の実行犯ではありえないだろう。張作霖爆殺も、日本軍がやったと半世紀以上言われてきたが、確証はないらしい。英軍の諜報部も詳細に調べたらしいが、結論はでない不思議な事件とされた、という。KGB関与説は、最近出てきたものだが、おそらく実行は、日本軍関連、資金調達その他の援助はKGB関連組織ではなかったか、と私は勝手に推測している。河本大佐の懐には金がうなっていた、ともいうが、東京裁判でも呼ばれなかったし(よべば連合軍に不利!?)満州に英国が裏から肩入れしていれば、なおさら不明のほうが都合がよかったのかもしれない。

当時の写真では国産戦車のわきの伝令用らしいオートバイのタンクにははっきりNortonの文字が書かれていた。機甲部隊には、英車が支給されていたらしい。ソ連軍に捕獲されたノモンハンでのサイドカーは陸王風だった。

なかのひと

月曜日, 12月 29, 2008

『83 名前: くまにい 投稿日: 02/04/08 13:04 ID:8g8aDtbA
CB1000SFの燃費が13kmだ・・・。
こんなもんかな?


84 名前: 774RR 投稿日: 02/04/08 18:59 ID:MFlzVtBe
そんなものです。』とは
http://ton.2ch.net/bike/kako/1017/10170/1017027300.html
で拾ったコメント。雑誌でも、総合燃費は13kmと出ていた。

今捜しているのだが、12.1Km、というのを何行も立て続けに書いてあるサイトがあったが、
見つからず。それで、CB1000SFのエンジンサウンドを聴かせるサイトをみつけた。CBのカラーリングが目を引いた。聞いてみて、やはりこんなかんじなんだな〜、これといって特徴のないのが特徴かな〜、と思う。
http://jp.youtube.com/watch?v=U3c2ISXSHfw

まあ、12〜13キロと割り切ってしまえば、ガソリン価格も下ったことだし、特に悪いという燃費ではなさそうだが、なぜ急に下ったのか?だけは気になる。

それで、マイクロロンだけを使っていても燃費が13キロぐらいで、初めて点火系を修正する燃費改善グッズを着けたとき、いきなり15キロ以上を記録したことを思い出した。エコボックスという商品だった。その後、にんじん君も届いてしまい、忘れられた品だった。

今回、故障で取り換えた新しい点火系も12〜13キロの燃費のようなので、それにエコボックスを取り付けたら、果たしてどうなのかは気になる。にんじん君をずっと使っていて、今それが不調になったので、新規に試してみる価値はありそうだ、と思った。

エコボックスは、今は二輪専用タイプというのも出ているが、私が買ったのは、どの4輪にも使えるという汎用タイプ。どうせ2000〜3000回転の使用がメインなので、これで充分だろうと。

以前は、低速がガツンと強く発進し、まるで2気筒車のような感じだったが、今回は着けてみて、低速でまるで発進していかない。しばらくして2000に近づくとようやく吹け出す感じ。それでもしばらく走ると昔の感じが蘇ってくる。ノーマルよりもアクセル開度が少なくても、走ってくれる感じである。いきなり燃費が伸びたのはこのせいであろう。

ノーマルでは、これほどアクセルを絞ってははしれない感じだ。ついついスムーズに回るに任せてアクセルを開けていたのかな、と思う。走り出してしまうと、4輪で巡航している感じでバイクっぽくないのだが、安心して走っていられる感じ。これはこれでいいな〜と思った。

そして、過去のエコボックスではにんじん君にとって変わられたため、ミラクルパワーやアースとの相性のチェックもせずに終わってしまった。

過去のエコボックスは、軽自動車につけられて、現在快調のようで、はっきり言わないが、13.7位だった燃費がかるく14.5あたりは行ったようだが、最近はガソリン価格もさがり、今は燃費ははかっていないというが、ずっと使っているようだ。

にんじん君のほうが寿命が短かったわけだが、モニター価格だったし、最初から明るさが変化するなど今から思えば?の部分もあった。後付け部品は、ケースバイケースで相性なども関係するらしい。

今日も、エコボックスをつけてスパーク特性が低回転でも強いことは感じたので、つい色気がでて、またぞろアースを付けて燃費テストを定置コースでやってしまったが、昨日の14.2に対して13.6ぐらい。しかもまた、瞬間的エンジン停止現象が一回発生したが、スパークが強いせいか、すぐに回転が戻るので、気をつけていないとわからない。しかし、アースはやはり好くないようなので、即外した。ついで、ミラクルパワー。これは今までと違い、エコボックスとの相性もよさそうな感じで、アイドリングも100回転まではいかないが50回転ぐらい上昇して
パワフルそのもの。しかし、このパワフル感がくせ者で、つい吹かしてしまうらしくまた、12.0あたりに落ちてしまった。結局、ノーマルのままのエコボックスのほうが、パワーがなくても安心して走れる感じなので、少し続けてみたい。

このスパーク特性の異なるエコボックスの特性からわかったことは、1000〜1800回転域での力が以前と比べてかなり弱く、まだ回転抵抗が取り切れていない、ということ。それが悪燃費の原因と思った。これが、10000キロとか超えていくととれていくものなのかどうか、スパークを強くするグッズを着けるとそれがわからなくなるが、却って燃費が落ちる、ということがわかった。

そうした点を考慮にいれて、低回転域での慣らしを続けて見たい。


なかのひと

日曜日, 12月 28, 2008


本日快晴で、気温も10度~12度ということで、会社で残務整理を途中で切り上げ、今年最後の正丸峠へ。会社を昼前に出る。たしかに、最近の寒さからみれば、寒くなくむしろ暖かいくらいに感じる。

山の端の木々の梢もはっきりと見えるくらいの快晴で、気持ちがいい。あっというまに299号を走っている。奥武蔵あじさい館まで7Kmの表示板まで登ると、急にあたりが日が射していても寒くなる。この前は見落としていた標識だが、あたりの景色も、前回やはり寒くなった、と感じた場所だ。風の通り道なのかも知れない。

結局正丸トンネルへ、渋滞もなく着いてしまい、再び右折して、旧正丸へ行くか、苅場坂峠へ行くか迷った末、苅場坂峠へ向かう。ハイキングの女性ふたりと、降りてくる4輪一台とあっただけで、峠へ着く。
13:30ごろ。駐車場には軽自動車が一台、展望のきく場所にいただけで、ほぼ無人。一部は溶けた雪が凍っていて、今日もここから先の峠道は避けたほうが無難だと判断。
すると、一台のスポーツサイクルが上から降りてきた。

以前、降りてきた方向の奥へ調査で入ったこともある場所。夏場は、けっこうな人通りもある場所だ。比較的暖かいせいか、素手でカメラを持っていてもそれほど寒くはないが、ここから先や日陰は一部舗装が凍っている。ここより下は、陽だまりの場所はけっこう暖かく安心してコーナーへ突っ込めたが、ちょっと高くなると途端に危なくなる。頂上付近はやはり暖気がとどまりにくいのだろう。冬山へ入る人たちの気持ちは、この歳になっても理解できない。

止まっていた軽自動車は、サイクリストとモーターサイクリストが来たら、すぐどこかへ行ってしまった。私はなんとなく、二人っきりになったので、彼と言葉を交わしたくて、写真を撮り終わっても、カメラを片手に、展望を眺めていた。彼も私の様子を観察している感じだった。すると、茶店の脇に立掛けてあった自分のサイクルを、苅場坂峠の標識柱に立掛けた。それで、つい良かったら、写真を撮りましょうか!?と言ったら、そうしてもらいたいつもりのようだった。ところが、彼は携帯を取り出し、このボタンがシャッターですから、と言って自転車の脇に立った。それで、下の風景と空をバックに彼のサイクルと、彼を無難にまとめてシャッターを押した。一枚きりだったが、彼は携帯をサドルの後ろにあるミニバッグにしまい、チャックをかけた。

都内の中野を9時過ぎに出て来た、と言う。4時間弱で、この奥武蔵林道を登って平場の峠にたどりつくのは、相当な健脚だろう。これから夕方5時前後には、帰宅できるだろうと言う。
驚いていると、1日150キロぐらいはざらです、と自転車のメーターを確認するかのように見ながら言った。最高は、一日で300キロほど走ったこともあるというから、驚きを通り越してしまった。

都内からだと、奥多摩が近くていいのだそうだが、車が多く走りづらく、かつこの時期奥多摩は凍結が怖いのでいかないのだそうだ。それで、sho様の最近のレポートも思い出した。・・・
冬は慣れない山道へは近づかないほうが無難だ。

サイクルのお値段は、初任給ぐらいは軽くいきます、と。燃費は、アンパンとジュースぐらいですが、と笑う。・・・そして、正丸トンネル方向へ降りていった。私も、この先一部凍っていたので、結局もと来た道を降りたが、彼の姿はもうとっくになかった。最初299号を降りるつもりで、林道を降りてきたが、そうすると、結局また彼を抜くことになると思い、右折してトンネルを抜け、秩父市内へ。時計をみるとまだ14:05分。そうだこの時間なら、11月末に断られた珍逹そばへも問題なく着くだろうと、横瀬の坂から、一通を抜けて秩父市役所まで一気に降りた。まだ、時間まで20分ほどあるので、前回とちがって愛想良く向かえ入れてくれた。

店内には数名の客がいた。しかし、もうピークは過ぎたのか、座敷のテーブルに客の食べ残しが片付けずにあると思った丼は、女店員のお昼用らしく、注文がすむとそこで、静かに食べていた。ほどなく、大盛りそば(850円、並は700円)が来た。冷えた体のせいか、以前何回か食べた時よりいっそうおいしいと思った。気がつくと、調理場でも、若い男性の調理員ふたりも
ほぼ同様の食事を始めていた。これでは、10分も経過したら、断られても仕方がない。

麺は最初そうめんほどの太さと見えたが、時間がたつと、汁の水気を吸って、細打ち麺ほどの太さになって行ったが、その辺を見越しての湯で加減らしく、少し柔らかくなるものの、味はさほど変わらない。そうめんっぽい太さでも、まちがいなくそばで、具といえば、ネギと豚のばら肉のみじん切りだけというシンプルさだが、独特のうまさがある。14:20分頃にも二名の若者が来客として来たが、一人は大盛り、もう一人は普通盛りにライスをつけて、と頼んでいた。

久しぶりにラーメンっぽくないラーメンをいただき、満足。十年以上食してなかった味でした。

峠を含めた燃費は、悪く12.5。実は、もういちどミラクルパワーをつけて走って見ようと色気を出したのだが、この有様。それで、いつもの定置燃費コースをまたノーマルで走ったら、前回と同じ14.2。ただし前回はにんじん君とミラクルパワーをつけての値。結局外しても変わらないし、ミラクルパワーに至っては、峠の以前の旧点火系だけの時の燃費の13.1より落ちてもいた。以前は、何かつけないと、パワーダウン感があったが、今はノーマルでもその感じがほとんどない。やはり、少しづつ経年変化で、点火系の劣化が起きていたのだろう、と思う。

ノーマルのままで13.1という値は、今年の1月とまったく同じ。どうやっても14を超えることはなかったものである。車と違い、特にバイクは燃費のチェックは大事だと改めて思う。また、マイクロロンの燃費改善効果がなかったと以前書いたが、点火系に問題があり、それを改良したら16.xぐらいまで行ったので、やはりあった、と思いたい。

秩父おまかせマップ
秩父の観光ガイドおまかせサイト
http://www.bsmap.jp/

なかのひと


ある日、線路脇に仕事で入ったら列車が通過するたびにコンクリート製の枕木が上下し、周囲の砕石が枕木とこすれて白く粉をふいている光景に出会った。それをみて、モータロイもこんな感じでタンク内で、こすれてガソリン中に溶け、シリンダー内に運ばれているんだな~、としみじみ。最近は、ロングレールが多く、脇にいてもかなり騒音は静かになってきたので、乗り物好きの私も、今なら線路脇の家も悪くはないかもしれない、などと引越し願望にとらわれたりもした。

昔は枕木は木製が多く、日本ではクリをはじめ広葉樹材が主体であったが、最近は北米あたりからと思われる輸入針葉樹材もある。ポイントの切り替え部あたりは、コンクリート製では対応できず、長さも倍以上、縦・横もかなり幅広の材が使われたりしている。運搬も楽で加工も容易なので、使用され続けるのだろう。イギリスでも、コンクリート製だったが、針葉樹もやはり使われているそうで、railway sleeper となっていた。材は、ヨーロッパアカマツらしい。ユーラシア大陸に広く分布しているポピュラーな樹種で、地域や立地で、いろいろなタイプがあるようだが、キュー植物園で見たものは、日本に植えられたら区別が素人にはつきかねるほど、の樹皮の地肌だった。

さて、話が脱線してしまったが、自作モータロイを投入後、5000キロ走行を経て、エンジンはスムーズになってきたとはいえ、燃費改善効果は遅遅として顕著にならない。それで、業を煮やし、タンク内から除去しようと何度も考え、トライもしてみた。普通だったら、タンクを外し、ひっくり返せば取り出せるのだろうが、このタイプのビッグ1では、ボディ側から、フューエルタンク下のガソリンコックに、ワイヤーが2本ついていて、そのワイヤー操作で、リザーブと通常のガソリン切り替え弁を操作しているので、ボディー側のノブのセットも外さねばならない。そのため、タンクをフリーにしても、ボディー左側に捻ってなんとか180回転させるのがやっとで、振って落とそうとしても、タンクキャップ部が筒のようにタンク内に突き出ているので、どうやっても口付近にまで来ていても出てこない。さんざんトライしてあきらめた。

また、つり用の手網を買ってきて、細長く変形させ、すくいとろうともしたが、これもタンクが大型で、キャップの部分が狭くかつ長いため、自由度があまりなく下でじゃらつかせただけで、あっさり撤退。以前はタンクが小さく(オフロード)、アイスクリーム用のスプーンを棒の先につけて、覗きながらすくい上げたが、このタンクにはちょっと無理でないにしても、かなりの根気と熟練が要りそうで、諦めた。幸い、そうこうしているうちに徐々にではあるが、害は特に無さそうなので、そのうちいくらかでも燃費改善効果が出ることを期待している。

何しろ、つり用の錘をタンクに投げ込んでみた人もいるくらい。少し燃費改善はあった、という。鉛含量1/3では、ちょっと鉛分が多いのかもしれない。勝手な推測だが、鉛量はせめて今の半分ぐらいは落とす必要があるのかもしれない、と思っている。しかし、音はかなり静かになり、早朝の暖機もあまり気が引けなくなって来た。

先日、にんじん君についてきた燃費改善ブックというPDFファイルを眺めていたら、燃焼効率というのがあり、4輪を基本に解説しているが、もちろん2輪にも通用するはずで、低回転でアクセルを開け気味にして走るより、もう千回転ほど回転をあげて、アクセル開度を減らしてスムーズに走ったほうが、燃焼効率があがって、低燃費につながる、という意味のことがオートマ車中心の解説として出ていた。

それで、あっと思った。マイクロロンの時とちがい、自作モータロイは、あまりアクセルをあけないでも回転はあがりやすい特性がある、とは思っていた。いままでは、マイクロロンとおなじ走法で、回転をあげずアクセルを絞りトップで静かにはしる、走行を主体としていた。最初は良かったが、投入後キロ数が伸びるとそれではギクシャクして燃費が落ちた。それで、にんじん君を外したり、ミラクルパワーをはずしたり、ゴツゴツ感の解消に試行錯誤していたものだった。

そうか、そういう走りもあったんだった、と初めて気がついた。それで、2000を中心とした走りをもうわずか500回転ほどアップさせる走りを主体に切り替えてみようと。具体的には、トップ60キロで走っていたところを4速の60前後で走るだけのことなので、造作はないが、走って見て驚いた。エンジン回転にはずみがついたようによくエンジンが静かに回るようになり、静かでパワフルで、したがって快適で、ますます遠くへ行きたくなる、といううれしい困りごととなって返ってきている。

たしかに、今度の新しい点火系は、回転があがりやすいように感じていたが、自作モータロイの効果も出てきたのだろう。温まると、ローギアで交差点を一気に静かに駆け抜けてしまうダッシュにも驚いた。もともとローギアで時速100キロあたりまで行ってしまうエンジン特性なので、ショートストロークとあいまって、回してなんぼのエンジンだったことにようやく気づきました。

しかも、今はにんじん君も、ミラクルパワーもはずしています。そのほうがスムーズなことは前からわかっていましたが、今回、にんじん君も頻度はかなり低いが、アイドリング時、一瞬爆発が止まったようになる現象が、時たま出たので、迷いなく外しました。外した直後はパワーダウン感は否めなかったが、一日もたってしまうと、返って低速トルクが増したような感じで、スムーズに回転が伸びあがる特性になんの不満もない。

ライトの明かりは、にんじん君プラスミラクルパワーが一番明るいように感じたが、ミラクルパワーを取り去ると、え、こんなにと思うほど暗く感じた。それで、にんじん君を外すと、かえって明るく感じるほど。にんじん君の調子には、波があるのかも知れない。たいへん明るく感じるときと、暗く感じるときと。買った直後もそういうことはあったことを思い出した。
それで、ノーマルにまた、ミラクルパワーを試そうかなどと思っていたが、目下中止して、
ノーマルプラス自作モータロイ効果!?だけで、様子見のところである。年内に結論が出るといいのだが、・・・。あまり回さないで2000回転以下で走ってばかりいれば、カーボン堆積も
やむをえなかったのかもしれない、と反省中。

なお、自作モータロイ投入後、定置燃費コースをホットスタートで走行した燃費実績は以下の通り。
15、15.3、15.7、17.0、17.0、14.8、17.15、14.8、15.24、14.8、13.7、14.2であった。最初の方は、マイクロロンの影響もあったのでは!?とおもって、自作モータロイを止めようとなったわけだが、・・・・。


なかのひと

木曜日, 12月 25, 2008

ネットで検索したら、オイル交換時期についておどろくような記事が見つかった。

3000キロでオイル交換をしているのは、オイルを捨てているだけと言うような記事。

http://natto.2ch.net/car/kako/990/990443499.html

タイヤの寿命についても、『今の技術だと5年くらい
は性能維持して減らないタイヤが作れるんだってな。でもそんなこと
したらタイヤは売れなくなって商売上がったりだからわざと磨り減って
劣化するように作ってるそうだ。』などというのもあった。

スターレットソレイユで10万キロつぎ足しで、交換しなくても大丈夫だった、などという仰天記事などが満載。

子供の頃、日野の車を、プッツンといって動かなくなるまで乗っていたおじさんが、だいぶ昔から今のクルマで、今のオイル
なら、1万キロ交換でももったいないくらい、とはよく広言していた。

『友人で、10万kmオイル交換無し(但し、不足分は補充)で走行した人もいますが、10万km無交換はさすがにリスクが大きく、摺動部の摩耗、オイルシールなどのゴム製品への攻撃が若干心配されます。』という一般論もあったから、前出の具体例は嘘ではないのかもしれない。

ベンツやBMWの一部の車種では、オイル劣化をモニターし、時期がきたら警告灯で表示するものがあるそうだ。しかし、日本では単純に走行距離と年月だけで交換基準を作っているが、『純正オイル(最も廉価のもの)で、1,5万km程度で酸化劣化防止剤などの添加剤が劣化し、その後の1,5万kmで、オイル自体が劣化するので、最低でもオイルの寿命は3万kmはある(ばらつきの最悪値)と明確に記載してあります。』などとある。

私のおじさんも石油系メーカーに勤務していた関係で、そうしたことも承知で発言していたのかもしれない。私にも、有機化学を学ぶようすすめてくれた人だ。

日本の環境では、1.5万キロ以下で交換する必要はまったくないでしょう、などと書かれている。具体例はここにあたってもらうことにするが、具体例もけっこう豊富である。

付随してオイルフィルターの交換時期も書いてある。
『オイルフィルターは、新品時のメッシュは粗く作ってあり、小さなごみ(10〜100ミクロン程度)は通しやすく、1〜2万km程度走行後には適当に目詰まりし、適正なフィルタ機能(10ミクロン以上は通さない)を発揮するものなのです。従って、6千kmで交換すれば、適正なフィルター機能を発揮する前に、フィルタを捨ててしまっていることになります。』

火曜日, 12月 23, 2008



昨夜の雨の上がりは、当初の予報より少し遅れたようだったが、快晴に近い朝を迎えた。しかし、予報通りというか、気温は最高9度とか10度ということで、朝はけっこう冷えて、出かけるのにも覚悟が要る。車で帰ったので、それを返しに会社に向かうが、ワイパーが故障したかと思ったら、しっかりと凍りついていた。雨滴だらけのバイクを拭いて、午前9時頃スタートして秩父方面へ。体が痩せたからか(実はあまり痩せてはいないのだが、鏡に写すとそういう錯覚に捕われる)、襟首あたりから冷気というより寒気が入り込み、胸元を通り腹にあたって、そこで左右にわかれ、腰上あたりの背中に回るのが、今日ははっきりしている。そのため、あまりスピードをだせない。

17号を北上し、ヤマハオートセンター埼玉北あたりで暖をとろうと寄ってみたが、あいにくこの時間帯では開店まもない時期で客はちらほら、音を聞きつけた見慣れぬ店員とも目があってしまい、立ち寄りを断念。本庄方面へと向かうが、旧岡部あたりは、あきらかに冷気がちがい、手袋の手の甲側も氷をのせたように感じ出したので、もう帰ろうとバイパス合流点でUターン。深谷市街までくると、日が昇ってきたせいもあるが、寒さもやわらぎ、また、140号で
秩父方面へ右折してしまった。今度は背中に朝日をあびて、ゆっくり進む。途中で牛丼店により腹ごしらえ。豚丼と牛丼を食べ比べてみたが、あまり違いは感じない。牛丼のほうがちょっと味にコクがあるかな、という程度。しかい、お客はみな牛丼の大盛りを注文していた時間帯だった。さすがに久々の満腹。この寒さでは、たまにはいいだろうと走り出す。


秩父鉄道の樋口駅の手前で、140号のすぐ下に鉄道があり、その鉄道のすぐ下が荒川という場所がある。そこでは、秩父方向へ行くとき、ガードレール下が絶壁で鉄道が丸見えで、少々怖く、白線とガードレールとの間にも無駄なゆとりがない。今日は、140号の右側も落石防止の金属ネットのあるがけだが、その上に国道に平行して狭い道があるのを思い出し、そこへ立ち寄ってみた。入り口は車が止めておけるほどゆとりがあるが、中は通学路とあり、舗装はされているものの、遊歩道然としているので、バイクを降りて歩いた。そこで、寄居方面、秩父方面(樋口駅)の写真を撮ったが、日差しはやわらかいもののまだ寒い。

大野原で左折して、定峰峠へと向かう。国道を離れるとやはり頬を寒気が伝い、かなり寒い。しかし、まさか凍結はないだろうと進むが、塩化カルシウムをまいた跡が歴然としていて、橋の上などあまりいい気持ちはしない。しかし、さすがに通行量が少ないので、マイペースですすめるのはありがたかった。

道は上はほぼ乾いたところはない状態で、凍結防止剤の結晶がキラキラとあちこちで光っている。中ほどまで行って、路肩のスギの落葉に雪が残っているのがあちこちで出現した。昨夜の雨はこのあたりまでは降雪、みぞれ状態であったのだろう。それにしても改めてスギ林ばかりだと思う。昔から、尾マツ・谷スギ・中ヒノキとかいわれ、いちばん乾燥した尾根筋は、主としてアカマツなどが優占し、湿地をこのむスギが谷や沢筋に、ヒノキは両者の中間地帯にということだといわれている。そのことを久々に思い出した。いつもの休憩地点で上をみあげたら、やはりアカマツが茂っていた。いくら待っていても、今日のところバイク集団がとおりかかる気配はほとんどないようで、峠の茶屋を目指す。

対抗車両はたったの3台だった。凍っているところはなく、きょうは、このまま峠を飯能方面までいこうかなどと考えて峠の茶屋へ行く。ハーレー2台と、国産ビッグバイク一台が止まっていて、眺望のいい場所で、立ち話をしている。茶屋には、数名の先客がいたが、その方たちは車客だった。しかし、話の途中で、寄居まではどのくらいかかりますか、と聞かれた一人が
しばらく考えた後、四時間ぐらいですかね〜、と言うのを聞いてビックリ。車なら30分〜45分と思っていたので。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%B7%CA%F6%BD%C4%C1%F6

先を急ぎますので、と出ていった客の後で聞いたら、春先に東武鉄道主催で行われる七峰縦走というかなりハードな山岳路ハイキングの予行として、徒歩でペース配分を予行演習中だったのだという。私も、この春、この催しをしり、申し込む手はずだったのだが、3月下旬でも仕事がことしはかなり忙しかったので、多分無理と判断し、絞め切り直前に断念したのだった。時間内に完全走破(ふつうのハイキングペースでは失格らしい)すると、記念帽子などがもらえる、という。途中、落後者のために、バス停までの案内も豊富らしく、無理をしないようにも配慮されているというところまでは知っていたが、こうして予行演習する人がいるとは想像すらできなかった。30代中ごろの方のようだったが。しかもこの茶屋も中継点のひとつだった、とは。全行程はフルマラソンと同じ42.195キロで、この茶屋はそのほぼ中間点だという。だとすると、20キロ以上の山道を4時間で歩く計算だ。

私のお目当ては、ここではみそおでんと甘酒。腹は先ほど済ませて一杯だが、これくらいなら、問題なく入る。先客との会話で、ここのおかみさんも昭和8年生まれだという。後期高齢者ですか、と聞かれて応えていたのだった。来年からは昭和9年生まれが後期高齢者にはいるんだとか。ほかの客たちは、昼時なので、みな山菜そばなどを注文していた。

昨夜の雪で、今日は閉店かと思ったと店主。しかし登ってこられたので開いているという。ご主人が亡くなってから、通いに変更した、という。奥に母屋らしき家屋が二棟あるが、今は無人なのかと。昔の峠のにぎわいをたどると、うそのような現実だった。冬の日は短いので、午後一時には私も出発。もうちょっと、よもやま話をしたかったのだけれど。ここの娘さんかお手伝いさんも美人で、親戚の母娘に似ているなと、改めて思った。何度もあっているが、おばあさんの方は、私の素性は忘れてしまっている。それでいいのだとあえて名乗らなかった。

そこを出ると、雪道試用の車以外は通行止めとなっていた。多寡をくくっていったら、20メートルほど高さがあがっただけで、道はぜんめん雪景色。さらにすすむとロクに轍もなく、雪の下は凍っていそうにみえたので、仕方なくUターンして峠をまたもと来た道を降りた。東秩父へ降りる道もあるのだが、そちらの路面状態が不安なので、凍っていなかった今来た道が安全と
何の苦もなくゆっくりバイクを転がして降りた。オフロード車だったら、チャレンジできたかもしれない、と思った。昔は、スパイクを打った後輪用オフロードタイヤもあったっけ。
オフロード車とオンロード車との両方を所有されているカネゴンさんなら、チャレンジされただろうか!?。茶屋の入り口の寒暖計は摂氏5度だった。

ところで、新点火システムに切り替えた直後に、会社へ帰る途中、また変な症状が再発していた。走行中はもちろん気づかないのだが、信号待ちなどでアイドリング中、一瞬だけライトなどには変化はないが、爆発がとまり、タコメーターの針が1000から800あたりまで落ちたと思うと回復するという現象で、前は、ローギヤーのまま握っているクラッチを無意識につい緩めていたのかな〜などと漠然と考えていた。

しかし、点火系を一新してもまたはっきりと出た。店主に相談しても首をひねるばかり。もちろん、エンストもないし、走行には問題ないので、秩父までも行ったのだったが。ところが、思い掛けないことで、あることをしたら、今のところ再発はないようである。

深谷で行く途中に満タン時に燃費を計ったら、13.7から11.5に落ちていた。これは、何かおかしい、と思うのが普通だろう。やはりにんじん君にばらつきがあるのか?いろいろと不明点がある。この製品の保証期間は丸一年。あと2ヶ月で期限がきれる。それで、満タンのあと、少し走ったところで、適当な空き地でにんじん君を外した。はずして走ったときは13.1キロだったが、旧点火システム。

以前は外すとやはりパワーダウンの感は否めなかったのだが、今回はそういう感じはまるでない。トルクがフラットな感じが強調されて出ているようで、1500あたりでは以前より力があるかのようで、その点新点火系はやはり新品なりの効果があるようだった。しかし、例の瞬間的な点火の中断はやはり起きた。販売店から帰る途中でも初めて新点火系でも起こると自覚したときは、やはりにんじん君あつけていなかった。それで、しばらく走ってみて、時々止まるときにレギュレーターあたりからも音がすることがあり、レギュレーターかどうかは不明だが、こういう現象が起き出した時点をたどると、どうも完璧と思えたシリンダーヘッドアースを着けた時期あたりと一致するような感じに思いいたったので、即座にこれも外してまったくのノーマル仕様に戻した。点火系が不調ゆえにいろいろと小細工を施していたのだと思えば、一新したからにはそうした小細工は本来無用なはずだからだ。メーカーが多くの開発時間をかけてセットしたシステムは、あまり手を加える余地も少ないだろう、ということもいろいろ試した結果、わかってきたことだった。

まだ、調子がどんどん変わる時期でなんともいえないが、不思議な現象は、以後おきていないようである。帰り着く頃は、またすべて外してノーマルに戻したときとも感じは変わってきている。それを言い出したらきりがない。ただ、にんじん君を外しての峠の登りは、大変スムーズで気持ちがよかった。


なかのひと

日曜日, 12月 21, 2008

土日ともポカポカ陽気との天気予報で、点火系のトラブルも一段落したし、ちょっと調子を確かめたい気持ちは抑えようがない。しかし、土曜日は仕事で、日曜日も仕事。しかし、日曜日は半日程度の急ぎが入り、少し余裕ができそう。

しかし、バイト氏の調子があまりよくなく、最初の現場でかなり時間を食い、昼を回ることが確実な雲行き。そこで、第二現場の所沢へは、地図を見て、圏央道から関越に入り所沢インターでおりれば近いことに気づき、ETCカードを取りに会社へ戻り往復とも高速を使って、それでも14:30にようやく仕事から解放された。

すでに朝、出勤前に高速で調子を見たら、スピードが増すほどなめらかに走る感じで、前回見られたバックミラーの振動もない。ノーマル+にんじん君のセットは、さいきんかなりいいようだと思っていたが、新装置にしてもいっそう問題無いようでひとまず安心。

それで、会社に帰る途中、どうせ調子を見るなら、外していたミラクル・パワーも試して適否のチェックも行っておこうと、算段していた。すぐタンクをずらして、ミラクル・パワーが装着できるようにコードに巻き付いている薄皮のカバーを2センチほどはぎ取り、もう何も考えず4コ着けてスタート。3時ちょっとまえ。急いで行ったので、走り出すと背中や胸まわりにかなり発汗していることがすり抜ける風でわかったが、陽気がいいので、気にならずそのうち忘れてしまった。

それで、走ってみると以前と同じようにあまり適していないようだった。25キロ走ってみたが、スタンドで給油したとき外してしまった。どうも、いまの状態でも初めてミラクル・パワーをつけたときもあまりこのバイクには向いていないな、というのが実感。特性図でみると火花は強くなるが、若干点火時期がずれる傾向があり、そのせいかどうかまでは不明だが、あきらかに燃焼音というか爆発音は大きくなり、ダイナミックなワイルドな感じはいいとしても、燃費は最初の時も、最近も却って落ちる。唯一、テフロン処理剤を二度使用した後だけは
なんとか調子を保ったようだが、今では、モータロイもどきで、そのテフロン層ははげ落ちかかっている様子で、適しているとはいがたい。パワーもワイルド感があるが、その分アクセルをわずかでも多めに開けてるのだろう。暖まって、渋滞の車の列の脇をすり抜けるとき、4気筒のハーレーが抜けるような響きは捨てがたいとは思いつつ、朝の高速での静かな回転の伸びは
到底得られないことが、よりはっきりした。

外して走り出し、しばらく走ると今朝の調子の良さがまた戻ってきて、やはりこちらのほうがいいなと再確認。静かで、あまりアクセルを開けないでも回転がスムーズに上がる感じが出てきた。それで、今日は、この前と逆のコースで、秩父側から正丸を越え、飯能・川越と通ってみることに。

秩父に入っていくと冬至の夕方、だんだん冷気が増してくる。しかし、この時間は空いていて、スムーズに横瀬を通り、正丸へ。ところが、299号は舗装がしっとりと濡れており、上へ行くと滑りやすいのではと思い引き返そうとも迷ったが、今日の陽気を考えれば、凍結はないだろうと寒さがどんどん増す中、芦ケ久保を抜けて頂上方面へ。この登りでは、エンジンが静かに回り、排気音も聞こえないスムーズさで2000回転ぐらいでもどんどん上がる。効果がなかなか出ないモータロイもどきであり、半信半疑で使っているが本日でほぼ投入後5000キロを経過して6万5000キロあたり。この静かでスムーズな回転は、やはり効果ありか!?などと思い、濡れたトンネルを抜けて、飯能方面へ。するといままで濡れていた国道は、所々、あるいはトンネル内に大半がそうだったように、道路の真ん中あたりだけ白っぽく乾き気味で、安心して走り降りた。どの辺から、寒さから解放されるかと思っていたら、日高市を抜け、川越エリアに入ると、やっと生ぬるい風が頬を伝うようになり、かじかんでいた両手も、あまり寒さを感じなくなった。

その辺で休憩と軽い食事。手がどんどん暖まる。ついでに体も温め、25分ほどしてからエンジンをかけると、音がいままでと全違う感じ。完全に慣らしが終わったような一種のガラガラ感というか、シリンダーとピストン間に大いなる余裕が生じたような感じである。それで、モータロイもどきを入れてから、気温がどんどん下ってきて、慣らしの結果がでるのが遅くかんじられたのでは、と思い出した。春から夏にかけての時期に投入していれば、もっと短時間に済んだのではとも思った。

今日も、下で暖めて、だんだん冷たいところを上がっていくときは、ピストンクリアランスが減少して、音が静かであったのでは、と思った。それで、その寒いところからおりてきて、半時ほど暖かいところに放置しておいたので、こんどは走り出すと急にピストンクリアランスが増加したような感じで、とっくに慣らしは終わっていたような感じとなった。もっとも、初期の慣らしの一段階だとは思うが。

前回の峠越えの時は、にんじん君なしで調子を見たのだったが、点火系には異常がなく13.1だった。これは今年一月の時と同じである。それで、モータロイもどきは、可も無く不可もないと言う結果であり、害があるとはいえない、ということであった。その後にんじん君をつけて定置燃費を測定したら14.7ぐらいだったと思う。今回は時間の関係で定置燃費は測定していないが、前回よりよく13.7だった。これは、にんじん君をつけると明らかにレスポンスが向上する感じがあって、その点でも峠超えなどをすると慣らしの促進効果があるという結果である。

新しい点火ユニットの感じも三日でどんどん変わって来ており、やはりよく回すと慣らしが促進されるように感じている。それにしても16号のさいたま市では96円表示も見かけたほど、ガソリンの値下がりはすさまじい。それで、スムーズで音は静かであれば、14〜15位走ってくれれば、モータロイもどきも充分効果を発揮していると評価してもいいのかな、というあたりに気持ちが落ち着きかけてきている。なお、オイル交換は、マニュアル通り一万キロを目安としている。


なかのひと
それはある日突然やってきた。とはいえ前兆らしきものは皆無だった、とはいえない。

点火系がとつぜん不調になり、エンジンの燃焼が断続的となりどう騙しても吹けず、信号で止まってしばらくするうちに、ガス欠のように止まると、再始動しなくなった。

そういえば今朝はもう少し軽い症状であったが、何が原因かわからず、とりあえずオンにしていたにんじん君を外した。以前某社のにんじん君と同じ機能をもっているという製品も、ノイズを拾ったかなにかで似た症状で異常燃焼を繰り返した後、交差点で停止中にプッツンした経験があり、それを外して以来、二度と使っていない、という過去があった。

にんじん君を外した時点ではその症状は治っていたが、心配になり外したのだった。吹けがいくぶん悪くなるが、ノーマルで走る。これでもう大丈夫だろうとおもった。ちょうどバイクで60キロほど走る必要があり走ったが、何もトラブルはなく、にんじん君が原因だと思っていた。

ところが、その日の帰り、スタートして3キロほどで、今朝とおなじ断続的な不調が始まり、あれっ!?起こらないはずだったのではと思ったが起こってしまった。今朝同様しばらくすると直ったようなので、不安を抱えながら走っていると、とうとう家と会社の間のド真ん中あたりの交差点でエンスト。なんどやってももうかからず。

冬の晩の7時半過ぎ。しかもポカポカ陽気の日ではなく寒い晩。
いつかこんな日が来るかもしれないという予感がとうとう現実のものとなった。あまり人気のない交差点であったが、交通量は少なくない。帰宅時間らしく、通行人もけっこうある。帰宅を急ぐ勤め人の靴音が無情に響く。それにしても通勤時間帯は軽が多い。スムーズに発進していく軽がうらやましい。そばに大きめの駐車場と駐輪場があるので、そこの空き地に重い車体を押し込む。まったく重く感じる。これでは押して7キロ以上も歩く気は全くない。どう迷っても、結局バイク屋さんに頼んで取りに来てもらうしかない。なかなか繋がらなかったが、数分待ったらつながり、少し早めに店を閉めたら、迎えに行きますとのこと。ホッとしたが、結局
交差点付近で待つことに。

寒空で冷えながら待つこと50分ほど。バイク屋さんが軽4輪で来てくれた。症状をもう一度説明して、駐車場の空き地で積み込むことに。試しにセルを回すとあっさり始動してしまった。アレレ!?・・・バイク屋さんも、これだと原因の追求が難しいんですよね〜と一言。でもエンジンがかかれば、積み込みも問題ないですと、荷台後部に2メートル程の渡し板をひっかけ、ひとりであっというまにローギアで荷台に重いバイクを載せてしまった。あとは3ヶ所ほど固定ロープを荷台にひっかけ、さあ家まで送りましょうということに。家に4輪はあるのだが、症状からして、修理に時間がかかりそうで、会社にもどってもらった。そちらのほうが、バイク屋さんにも近いし。今日ほど、軽自動車の便利さをいろいろ感じた日はなかった。

点火系のトラブルとして、点火コイル系と、アクセル開度と回転数を検知して最適点火時期をセットする電子系ユニットの片方もしくは両方の不調がある、という。後者はお値段が高いので、取りあえずコイルを変えてみますか!?などという。どうせ後輪タイヤも交換リミットぎりぎりなので、それも含めて悪そうなところは新品してもらう以外に手はないのだが、あしたまた試験走行してみますというが、それで原因がわかるかどうかは不明だと言う。

翌日昼過ぎに電話をして聞いたら、今朝は問題なく始動して、何の症状もみられないという。どうしますか?というので、コイル系と電子ユニットの両方の交換を依頼。翌日はお店の定休日だから、明後日の夕方には直るだろうという読みであった。そして、読み通り夕方電話したら、今取り付けていますとの、頼もしい返事。ちょうどバイク屋さんの前を通って帰る同僚がいるので、彼に頼んで彼の仕事が終わった後、運んでもらった。期待でドキドキする。

以前から、1300〜1600回転ぐらいで、不整爆発が時々起きる点火系だと思っていたが、あのバラツキは点火ユニットの不良だといつも思っていた。しかし、常用域ではなく、時折という頻度だったので放って置いた。お値段も5万前後かかる、といわれていた。着いてみると、点火コイルのセットとして、点火コードも新品に変えてあった。これだと、ミラクルパワーを着けるにももう一度コードケーブルについている薄い保護被膜をもう一度その一部を切り取らねばならないな〜と思った。

また、マフラー内に以前からカーボン堆積がすごい、ともいわれそれも低速常用のせいだけではなく、2000以上でも気づかぬ程度の不整燃焼も疑っていたので、そういう気づかぬ不調も直っていれば、好都合と思った。修理代はまだ算出していないというので、その日はそのまま受け取って出た。タイヤはこんどはダンロップのスピードマスターで前輪と同じセットにしました、という。かなり溝が深く、頼もしい。足つき性が悪いことを乗り出してすぐ感じたが、
これは、しばらく乗らないとリヤサスの沈みがすくなく、タイヤが新品だからだ。

最初は、心もとない走りだったが、暖まってくると、回転の上がりがきもちいい。アクセル一定でも、直線的に回転が伸びる。にんじん君が原因ではなかったようなので、会社に戻りにんじん君を着けてみる。エンジンはもちろんあっさり始動。それで、にんじん君をつけたあとの吹けあがりをテストしようと乗り出そうと跨がり、発進しようとするとブスブスと止まる。あれっと思い気を取り直してまた始動して発進しようとすると、てんでパワーがなく、数回繰り返してみているうちに数日前の晩と同じく最後にエンジンがペケペケというような音を発してエンストしてしまった。やばいな〜、直っていないではないか!?慌てて、にんじん君を外す。しかしもうかからなかった。慌てて、バイク屋さんに電話したら、そうですか〜と言いながら、でもガソリン残量が少なかったですから、ガソリンのチェックはしましたか!?と聞かれて、自分でもアッと思った。それで、リザーブに切り替えて3秒待ちセルを回したら、ブスブスといいながら起動してあとはまるで問題なしのお粗末さ加減、一瞬冷や汗がでました。

それで再びにんじん君をつけて、発進したとたん、リヤがスリップするほど、調子よく回る。それで、ほっとして落ち着きを取り戻した。まず、満タンに。するともう99円という値段。助かるな〜!暖まってもアクセルポイントがどこなのかエンジンがふわふわしてまるでわからない。エンジンが洗濯板状に段差がついているかのようにも感じた。これでは、かなり常時不整燃焼もしていたのでは、と思わせた。回転はしかし2500を超えると一種独特の伸びを感じ今までとの感じの違いを体感するが、どうもこれまでの慣れが先行して本来の調子を出せない感じで、また当分慣らし運転が必要らしく感じている。まだエンジンが重い感じが付き纏っている。いつからから知らないが不調を感じてから35000キロ以上たってしまっているのであるから、すぐに本来の性能に戻るとも考えにくい、とも思うのである。


なかのひと

水曜日, 12月 17, 2008

逆問題:逆問題を扱う解析は逆問題解析あるいは逆解析と呼ばれる。

逆解析の成功例の典型としては、医療科学の分野で実用され大きな成功を納めているX線断層法あるいはX線CT(computed tomography)法をあげることができる。

これは、人体などのある断面において種々の方向からX線を照射し、そのとき得られる射影象をもとに、断面積を、再構成するものである。この方法により、直接観察することができない断面積を計算の力を借りて可視化することが可能となった。・・・さらに古代研究に関しては、現代までに受継がれた遺跡や限られた遺物をもとに古代の生活や事件を推定する問題がある。また、遺跡の中に存在する未知の空洞や部屋を、微弱な重力の変化をもとに捜しあてる問題も、逆問題の例でると解釈することができる。以上は、久保司郎著、逆問題(培風館:計算力学とCAEシリーズ10)1992年による。

最近の稲田大学のピラミッド調査などは、古代エジプト文明の新しい一面を明らかにしつつある例が示されている、という指摘もある。(逆問題の数理と解法、登坂宣好・大西和榮・山本昌宏、東大出版会、1999)

逆問題は、出火の原因探求や、犯罪捜査などでもおなじみなものとなっているが、古代史ばかりでなく、歴史一般にも当てはまる、いや当てはめるべき問題であろう。理工系の分野では逆解析においては、解の存在性・解の一意性(ユニークネス)・解の連続性の検討が前提条件となっているが、人文系ではそうした緻密な議論はあまりというかほとんど問題にされないようである。さらに、歴史解釈は多様であるべきだからといって、そうした問題がおろそかになっては、逆問題解析の意味はなく、徒労であろう。



今月になって、『桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった』なる新書が出て、一読して近ごろのいろいろな歴史問題や戦後の神話とされるような刷り込みあるいは洗脳との関連を考えてしまった。理工系では、結果の評価に客観性が損なわれることは少ないと思うが、ノモンハン戦ひとつをとってみても、語り手の個性によって著しく結果が異なる、ということすら気づかず
ワンパターン的思考に陥っている実態が、逆問題の一般性を考えるとより明確に我々が当面接している問題のありかが浮かび上がってくるのではないか、と感じた。

『現代の日本人の精神生活において、その最後の説明が例の虚栄心でないような現象を見い出すことは容易ではない。虚栄心はますます日本人を虚言者とする、そうしてまた欺かれたる自欺者ーこれはその罰であるがーとする。彼らは好んで単なる外観をば実在のように、形式をば内容のように装い、外人の目をくらまして、全然存在せざるものを存在するかのように信ぜしめる、そうして他を幻惑せしむる目的をもったところの輝ける虚無によって、自ら幻惑せしめられまた催眠状態に陥れられるーそうして遂に自ら欺かれるに至るのである。何となれば虚栄心は危険なる両刃のわざ物だからである。それは他を傷つけるー欺瞞、虚言は正に傷害であるーと同時に虚栄者その人をも破滅に陥れる。即ち虚栄心は彼を盲目にし、また軽信にし、そうして他の凶悪と私欲の無意志的道具とまで堕せしめるからである。」とケーベル先生(初代哲学科外国人教師)は日本人のみにくい特性を喝破している。』岩波文庫、戦前版。

中谷宇吉郎氏も、『科学と社会』で嘘で固めた国、日本ということを言っている。NHKの姿勢のある一面を取り上げて指摘したものだった。事実から円心的に離れることを以て良しとするような日本語の伝統もあるのかも知れないが、以下はお隣の国の話題をどちらかというと笑うような記事であるが、似たことをそれ以上に、我々日本人も日常茶飯に行ってはいないか!?

『我が国でも朝日新聞が赤字103億円に転落というニュースがあり、以前からいつ倒産してもおかしくないと囁かれ続けた毎日新聞の列に加わる。
春に朝日新聞は新聞本体と出版局を分離し、『論座』の休刊を発表し、朝日文庫や週刊朝日などは朝日新聞出版社に分社化されていた。
夏頃に一眼レフなど朝日新聞が社内倉庫に眠るカメラ、アクセサリーを中古業者を呼んでオークションにかけたと仄聞したときに「そこまで追い込まれたのか」と思った。』と昨日の宮崎正弘の国際ニュース・早読み(http://www.melma.com/backnumber_45206/)にはあるが、この社の嘘は、日本人の嘘体質と、お隣の国々の嘘能力を掛け合わせたような有り様ではなかったのか。

狼少年の話を子供の頃、イソップの童話か何かで読んだことがあるが、日本人の、あるいは東洋人の体質なのであろうか?自らも含めて、科学精神に立ち返らなくてはならないと、藤本氏の、信長公記を基に、これまでの歴史解釈姿勢でいたるところに顔をだした事実無視、思い込み先行の姿勢の遠因を考えてしまう。

中谷宇吉郎氏も北越雪譜という江戸時代の本を読んだ感想を述べている。
「金中猶虫あり、雪中虫無からんや」(鈴木牧之:北越雪譜)そして西洋の自然科学風な考え方の洗礼を受けていない頃のわれわれの祖先の頭の中をチラと覗いたような気がして大変愉快であったた。ところがその後よく注意していると、その語呂の論理は案外現代にもいろいろのところですました顔をして通用しているらしいということに気がついた。中略。 ある大学の研究室では、陰イオンが喘息や結核性微熱に対して鎮静的に作用するという結果を得て、臨床的にも応用するまでになっている。そして陽イオンはそれと反対に興奮性の影響を与えるということにされていた。ところが他の大学の研究では、イオンの生理作用は、陰陽ともに同一方向の影響があって、ただその作用の程度が、イオンの種類によって異なるという実験結果がたくさん出て来た。それで学会で、これらの二系統の論文が並んで発表された時には、もちろんさかんな討論が行われた。その中にこういうのもあった。「陰イオンが鎮静的に働くということは、既に臨床的にもたくさんの例について確証されている。これは実験的の事実である。それが事実とすれば、陽イオンがその反対に、興奮的に作用するということもまた疑う余地がない。」という議論がでてきたのである。これなどはまさしく語呂の論理の適例であろう。語呂の論理は日本人の頭の奥底にかなり強い一つの思想形式として今もなお残っているものと見るべきであろう。(1938年11月)
オランダ人の説として、金属が錆びるのは、金属中の虫が悪さをする、という解釈を援用して雪が溶けるのを、金属の腐食と同じ機構によると思い込んだ日本人の思考を、語呂の思考として取り上げたのだった。


http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/50192926.html
逆ギレする韓国キムチ業者の発想 ~歴史・外交問題にも共通する韓国人の国民性~

http://qazx.blog.eonet.jp/docdoc/2008/01/index.html
良くわかる嘘
実に良くわかる嘘をお目に掛ける。もちろん息をするように嘘をつく人々の作である。

なかのひと

日曜日, 12月 14, 2008

『田母神氏の「問題」 私はこう思う』
というタイトルで、産経新聞が正論談話室で意見を募集しているが、もとよりプロの文筆家たちが投稿する場所ではないので、(と信じているので)、意見は玉石混交で、すべて読もうとすると、かなり疲れ頭が混乱するのが常である。

しかし、中には、大いにうなずくまともと思われる意見が何編かはかならずあるので、自説との照合などが出来る。
http://ez.st37.arena.ne.jp/cgi-bin/danwa/top_display.cgi

プロの方は、一文にもならぬところで、意見など述べるはずはないので、実際述べるとしたらどういうことをいうだろうか、と前回引用した小室直樹氏の著作をさらに見渡すと、・・・・。

『彼は有能で仕事はできるが、どうも会社に対する忠誠心が欠けるようだ』・・・・これがサラリーマンの左遷の理由になるのは日常茶飯事といえるだろう、としたうえで『心の中で何を考えていても、そんなことはどうでもよい。他人の関与するところであらず。外面的行動においてだけ、やるべきことをやっていればそれで充分。

この考え方は、今の日本では完全に成立していない。だが、この考え方こそ、まさに良心の自由なのである。』と説く。

なぜならば、「この良心の自由を根本にして、近代リベラルズム、近代デモクラシーは発育していく」と書かれており、精神の波長がたいへん合う方の意見としてここに書きとめたい。

日本に、日本人として生きていて、仕事上やその他の理由で欧米と接触するとき、日本のある種の特殊性というか、すべて劣っているとはおもわないし、優れた点も多々あるにもかかわらず何か異質性を折りにふれて感ずる人は、意外と多いのではないかと思う。それは何に起因する日本人の特殊性というか思考様式なのか、といつも疑問に思うのであるが、・・・・。

「良心の自由こそ、近代デモクラシーの最終的判断条件」という小節がある。欧米においては常識以前であるが、今の日本で、これに気づいている人は鮮い(少ない)と結んでいる。
「良心の自由の正反対は”洗脳”」だと続く。
例として紅衛兵があげられているが、人間の内面の思想、感覚の責任を問うことはありえない。これほどの人権無視、人道に対する罪もない。人民中国はこのことを理解していない。と続くのだが、昨今の日中の事例をみるたびに、日本の民度の高いことを思っていたものの、この指摘を聞くと、どうも中国と変わらないような感じになりがちな気分に襲われる。

そのとおり、続く行には、現代の日本人も、ほとんどこれを理解していないとある。たまたまこの本は、江藤議員の発言で辞任した後なので、その例があげられている。

江沢民氏と金大統領のことであろうが、江・金両氏は会見して言った。「日本人は誤った歴史観を持っているから改めさせる」と。

「近代デモクラシーを全く理解していない日本のマスコミ」

ひとの歴史観が間違っているから改めろと要求する。このことは何を意味するのか、と書き出している。

歴史観は内面における良心(conscience)の問題である。内面における意識(consciousness)の問題である。他人が責任を問う筋合いのことではない、とある。

このことをマスコミを含めて日本人は、少しもあるいはほとんど理解していなかったようである、とあり、この事情は10年以上たっても不変であるようなので、このセンスは日本人に特有なものであろう。欧米の流行には敏感すぎるくらい忠実なところがあるのに、この時代錯誤な万古不変ともいえる精神性は何に由来するのか、!?!?。秀吉がキリシタンを禁制にしたとかいうが、当時から異質な精神と気づいて危険視したのだろうか?もちろん、当時の宣教師は植民政策の尖兵でもあったから、当時としては、合理的理由があった面もあるのだろうが。生きている化石的な精神性が、日本人の心の奥深くに眠っていはしなだろうか?それで、キリスト教徒が圧倒的に少ない理由なのだろうか?

かって、小室氏だったと思うが、外面の規範に忠実なのがイスラム教(ブタ肉を食さないとか)で、外面は問わず内面の規範を問題にするのがキリスト教であると説かれていたような記憶がある。

さて、この中韓首脳の発言に朝日新聞は(平成7年11月16日付)は『日本の政治家たちのゆがんだ歴史認識を示す発言が・・・』と述べ、ある人が朝日をアサヒといわずチョウニチと読むと言ったような、韓国紙さながらの意見を述べたという。産経新聞だけが、『歴史認識は多様であり、日本は全体主義国家ではない』という意味の主張(同日)を社説で出した、という。といっても近代デモクラシーに敵対するものだという認識はない、としている。

「日本人を奴隷あつかいする中国と韓国の権力者」「日本は韓国でよいこともした」は正しい、という小節が続く。そして、最後に戦後50年、日本は中国と韓国の植民地になった。それだけではない、「謝罪外交」には重大な落とし穴が隠されているのである、としている。

というのもドイツもフランスも、戦争犯罪には時効がないこと、事後法でも裁くことができることを明確にしてきたので、村山前首相(当時)が、首相をやめてせいせいしたなどとうららかに散歩していると突然拉致され、気がついてみると、戦犯法廷、判決は絞首刑。すぐさま執行されてブーランコ、てなことだってありえるのですぞ、と筆者は警告している。

『日本も自身の犯罪を認めれば同じことだ。いや、もっと悪い。日本はナチスだけでなく、国全体の犯罪を認めてしまったからである。どの日本人も戦犯として処刑されてもおかしくなない。時効がなく、事後法も正しいのだから』としている。補償となるというもさらなり。なんでも平謝りして金を出したがる国なんだから、と思われている、と。謝罪外交の重大な落とし穴、かくのごとし。と怪気炎をあげて居られる。まあ、ナチスでも裁かれたのは、80、90という老齢の元隊員ばかりだったようであり、小室氏が心配するような(実は心配はしていない、と思うが)論理的トレーニングをして見せて、日本の後進性なのか先進性なのか知らないが、
固有の精神性をあげつらってみたかっただけの最後の絞めのような気がするのだが。書名が何しろ「それでも国家と呼べるのか』ですから。しかし、村山談話に対するあてこすりでも十分あるようだとは、だれでも思うだろう。


なかのひと

火曜日, 12月 09, 2008


『それにしてもさすが大日本帝国が国威をかけて海外に発信した写真誌「FRONT」である。「TIME」、「LIFE」も真っ青なクオリテイーである。』

『またここに写っている方々のほとんどが英霊になられたはずである。これほど誌上では勇猛に見える97式戦車も英米独露の主力戦車と比べると武装も装甲も貧弱、海軍の戦艦、航空機と比べても開発もなかったのである。若い戦車兵のりりしい顔を見ると複雑である。』
http://www.fushou-miyajima.com/sakuhin/book_081016_3.html

以前から見かけて欲しかった写真書籍であるが、一冊4800円で、少々高い気はするが、中身はそれだけのことはある、と息を飲んだ。最初の出版が、『鋼鉄の最精鋭部隊』(千葉戦車学校・騎兵学校)であり、その裏表紙がブルーのほうであり、ここの敬礼をしている若い戦車兵たちのりりしい顔だちも大変好ましい。昭和16年撮影らしい。しかし、写っている戦車は、古い写真しか知らない目からすると、宮嶋氏は武装も装甲も貧弱とは、ご自身のブログで紹介されてはいるものの、大変に新鮮に映る代物で、ノモンハン事件以後たった二年でここまで成長したのか、とブルッと身震いしたくなる出来だと、素人ながら思ったものである。

最近のテレビ討論でも、おや!?と思ったのであるが、先日のサンケイ新聞「正論」欄で、拓殖大教授の森本氏が、田母神論文を批判して、満州国などは、どう考えても侵略としか言えないし、・・・などと発言されていたことが疑問として殘る。東京裁判でも、あれほど日本を断罪したにもかかわらず、満州国建国などは埒外に置かれ、石原莞爾元中将は、簡単な取り調べだけで無罪放免であった。マッカーサーも彼を法廷に立たせたら、論理的矛盾をつかれやっかいになることを恐れての処置だという憶説もあるが、海軍の将官たちに一人も刑死者がでなかったことの指摘(副島説、および筆者)と合わせて、満州国建国の裏に英国の影が見え隠れすることから、森本氏でさえ、時代的に東京裁判史観から自由でないことを新発見した。なお、ソ連は満州国を承認していた。イギリスはこれをアメリカをはじめ大部分に承認させ、ユダヤ人移住計画を画策さえしていた、というのであるが、アメリカと呼応した海軍が軍をすすめ、国際非難を増幅、ためにリットン調査団を派遣したにもかかわらず英国の裏の目論見は崩れた、というところまで、最近流布され出している。

もちろん、上智大名誉教授の渡部昇一氏は、満州国建国を侵略などという発想は微塵もない。それで、戦後岩波が意図的に誤訳していた「紫禁城のたそがれ」を正式に「翻訳」し直して、今出版されている。東京裁判で、皇帝溥儀氏は、ソ連側の捕虜で、言いたいことが自由に言えず、結果的に戦前の日本の大陸政策が、誤解されたままになっていると、渡部氏は主張されているし、田母神氏もそういう主張である。

ところで、これを書くにあたってインターネットで記憶の確認などの作業中に、また毎日新聞がウソを書き並べていることを告発している長文のサイトに遭遇した。
http://fode.hp.infoseek.co.jp/ItsuwariAoba/ItsuwariAoba.html
である。時間に余裕のある方は読んで考えてみてもらいたい。従軍看護婦の証言がうそまみれだというのである。・・・・

南京事件でも、南京戦に参加していないものが、戦後の時代に迎合して、ウソまみれの虐殺話を作り上げ本にしてしまい、現代史家の誉れ高い秦郁彦教授が、引用文献として全面的に信用して氏の著作の、南京事件での市民虐殺数を4万人前後と推定したりという笑うに笑えない裏話が暴露されたりしている現代日本である。東京裁判史観のメッキがはがれないように、GHQは大量の焚書を行い、日本人の記憶の覚醒を思いっきり妨害していることも、西尾教授の最近の著作で明らかにされつつある。だいたい、防大の校長自身がかっての猪木氏といい、五百鬼部氏といい、左翼史観の持ち主であり、週間新潮でも批判されていた。

田母神論文は、東京裁判史観批判であり、村山談話の批判などしていないが、その根底にある日本人の刷り込みを批判しているので、政府としては放っておけなくなったのであろう。

小室直樹氏の著作『これでも国家とよべるのか』クレスト社、1996
では、『第一章 謝罪外交は国際法違反』とあり、

無知・無学の日本の政治家・マスコミ人を告発するという副題がついており、その内容は

致命的禍根を残した「首相書簡」

第一次世界大戦まで侵略という概念はなかった

韓国併合条約は明白に合法である

「民族自決」の意志も能力もなかった朝鮮人

英米中露は今なお植民地主義の権化

朝鮮半島に国家は存在していなかった

とある。

さらに、真ん中辺にやはり、暗号文書通告の遅れという致命的失態について、縷々述べられている。これも、東京裁判史観とは逆の意味で、もう史観のレベルに達しているのかもしれない。当事者の息子さんが、軍が通告を遅れさせたのが原因で、父親の怠慢が原因ではない、とするような著作を書かれたことはこのブログでも紹介したが、・・・・。

軍が(瀬島参謀の謀略!?)遅れさせた、というが、それは、最後の一章だけのようである。
小室氏の指摘によると、
『日米交渉は暗礁に乗上げていた。日米開戦近し。日本側もアメリカ側もそう感じていた。そのときに、宣戦布告の箇所だけを欠いた通告文書が送られて来たのだった。そんな文書を手にした外交官が、この文書の最後に、一章だけを付け加えれば、宣戦布告の文書になると感づかなかったとすれば、これも奇跡である』と書いているではないか。

これは犯罪である。トップクラスの戦争犯罪である。外交官として、考えられない犯罪である。「四方に使いして君命を辱めず」どころではない。これ以上ないほどの恥辱を、永遠に日本に与えた、のである。・・・しかもこのとき、酌量すべき情状は少しもない。ほんの少しも。日本はすでに対米宣戦の肚であったから、通告文の大部分は、前日すでに打電済みであった。ここが肝要。かくも重要な通告文書なんだから、ちょっとみただけで、あれっ、何か普通じゃないぞときづかなかったか。・・・とある。

なお、アメリカは暗号解読(外務省の暗号が、もっとも簡単に破られ、ついで海軍、陸軍はあまり破られなかった、という。)により、先刻把握はしていたのである・・・・・。

『この通告文書は、すでにアメリカ側にも暗号解読されアメリカは日本に開戦の意図ありと察知していた。それほどの文書である。それを受け取ったワシントンの日本外交官は、ハア、そうであすか、まったくの平時センスでノホホンとしていたのであった。危機感覚ゼロ。』と小室氏は指摘している。

特権的エリート集団には、他の人々とはちがった規範が適用される。陸海軍という官僚制で確立されたこの鉄則は、外務省という官僚制においても、そのまま通用する。さらに大蔵省(当時)・日銀などの官僚制においても、そのまま通用することを、われわれは後にこれを見ることになる(第六章参照)』とある。


なかのひと

日曜日, 12月 07, 2008


峠は風の通り道でした。・・・・・
今日も、前回行きそこなった苅場坂峠を、今年最後の見納めに行くことになった。正丸トンネル入り口の直前で国道299号を離れて右折するとすぐに市道と書いた道と二股に別れる。左側の市道を上ると旧正丸峠を超えて、結局横瀬側のトンネル出口へ出てしまう。右は地味で行き止まりの林道のような気がして敬遠していたが、この道を進めば、刈場坂峠、大野峠、定峰峠へと抜けられるのだが、前回はすっかり忘れていた。

あたらしく正丸を通る自動車道の開通は昭和12年という。昭和8年に始まり、工期を11月から3月までとしぼって、地元の男衆はほぼ全員が参加したというぐらいの人力工事。それから半世紀あまり過ぎた昭和57年に長さ1980メートルの正丸トンネルが開通したのだという。(『秩父の峠』大久根 茂、さきたま文庫、1988。)トンネルができて、旧自動車道はすっかりさびれ、単車族が跳梁するような場所にもなったというが、山が好きな人だけが来るようになった、とも言う。かっては3件も店があったそうだが、今は1件のみと書かれていたが、旧正丸のバスが通っていたというトンネルを迂回する道はまだ知らない。

今日は先週の反省で早めに出発し、坂戸、毛呂山、日高から飯能へ下の道を通って299を上った。空気は良く澄んでいるように見えて、富士山もきれいに見える。晴れているが、299のあるところあたりから、急に空気が冷たくなる。それで、これはCO2濃度がこの辺の高さあたりから薄くなっておりためではと思った。帰って標高をみると250〜300メートル以上はあったようである。飯能市で100メートルちょっと、秩父市で180メートル位ではないか。

大野峠のほうへ入ると高麗川源流への通路というような表示があったような気がする。途中オフロード車が一台舗装路をはずれた空き地に止めてあって何かな!?と思ったら、下の渓流沿いで、何か野生生物の調査をしている風の人がいた。2年前通って写真を撮った場所でバイクを降りようとしたら、いきなり音もなく赤とパールホワイトのCB1300SFが現れビックリしたが、向こうも驚いたらしく、頭をぺこんと下げて下って行った。今日は、赤白のビッグ1をよく見かける。それも例外なくSC54だ。http://jp.youtube.com/watch?v=zdZaPwEjx5E
大野峠の手前の刈場坂峠の茶屋は営業していなかったが、テーブルとイスはののままなので、皆適当に腰をおろして、弁当を広げていた。ここでもSC54が停車中で、ツーリングバックを外して食事中だった。

ここで、標高818メートルと表示があった。日は暖かいが空気はかなり冷たい。下界のもやっているあたりが200から250メートルぐらいで、CO2濃度の高い層ではないのかな!?と思った。以前はこのりんどう亭もいろいろと置いてあったは今は年中閉めているのか季節だけ営業なのかは不明。定峰峠の茶屋の甘酒はおすすめだが。

この先の大野峠は、横瀬町芦ケ久保と都幾川町大野の境となる峠。小川町方面から旅人にだすうどんを仕入れていたという。都幾川の建具(戸や障子)もこの峠を担がれて通った、という。しかし、きょうは大野峠まで行かず、手前で左折して芦ケ久保へ向かって降りてしまった。

多くの山歩きの人たちがいたので、バイクは少々気が引けた。中には自転車を押して登って来る人も。降りるにつれて寒さが気にならなくなり秩父市内まではくると寒さを忘れて元気になり、秩父市内で熱いうどんでも、と思っていた気持ちも忘れてしまった。そのせいで、2キロほど体重を減らした。肌着と皮膚の間がすき間が多くなったような感じが実際したものだ。

高麗川源流まではたどり付けなかったが、かなり峠近くまで水量の豊富な谷川が続いており、上から見る限りは、そのまま飲めそうな透明度を保って流れていた。おそらく、飯ごうで米を炊いても問題なかろう。しかし、どうしてこんな山からこれだけの水量が出てくるかは不思議だ。山肌にしみ込んだ雨水だけでなく、どこかに湧水ポイントでもあるのではないだろうか?

昨日、変な心を起こして、またミラクルパワーを全部着けて軽く燃費を計ったら、何と11キロ代となって、慌てて外した。今日はそれで、全行程をノーマル走行したのだが、調子は大変によく感じても、今年1月のレベルしかでなかった。どうも、一時期のモータロイもどきの効き出し感は失せてしまって、昔となんら変わらない感じ。それで、こんどは、また気が変わり、にんじん君だけまた着けて測定したら、最近の値とかわらない15キロ弱が得られた。ミラクルパワーを着けたときと少ししか感じが違わないのに、この差は何なのか、まったく理解に苦しむ。投入後ようやく4000キロを超えた。リヤタイヤのスリップサインも、そろそろはっきり出掛かってきたところ。交換もまじかだ。25000キロは走った。

なかのひと

水曜日, 12月 03, 2008

モータロイもどきの本領発揮!?

さて、秩父帰りの最中、かなり調子がよく好燃費を、少なくとも最近よりも良いことを期待していたが、ぱっとしなかった。マイクロロン使用時は、真ん中2個のミラクルパワーを外しただけで、かなり燃費が上昇したのだが、・・・・。

再び暗中模索が始まる。これといった解決策は出尽くした感があり、やはり手製モータロイはタンクから取り出して、再びマイクロロンに戻るのが手っ取り早いか?という疑念がしきりに脳裏を去来するようになった。そのための手順や用意する道具などもあれこれ頭に浮かぶ。

しかし、夕食を済ますと、その前にだめもとでもっと試行してみて、どうしても除去しないとだめだ、ということを確認したほうがよい、という結論になった。

いままで、にんじん君、ミラクルパワー、シリンダーヘッドアースと、どのプラグも3段重ねの、燃費向上を促進すると思われるグッズを付けていて、さらなるモータロイもどき。

モータロイとテフロン系の摩擦減少の動作原理は、結局は似ているようだが、使用感はかなりちがう。そして、4000キロ近く使用しても、これだといった感じが今一であり、ミラクルパワーを2個取り外した限りでは少し促進効果が体感的にではあるがしてきた。

こうなると、試すことはいままで追加してきた電気系のグッズを取り外して見る意外に手は無い。シリンダーヘッドアースはケーブル作成を吟味して行った結果かなり信頼性を勝ち得たので、当面にんじん君を外して見ることに。そうときまると、おちおち寝てもいられない。

丑満を少し過ぎた頃起きだし、まず近所の街灯の下でにんじん君をそっと外す。いままで、何回これを付けたり外したり、アースも付けたり外したり試したことか!。そのため、すぐ付けたり外したりできるように、端子を改良してある。手をほとんど汚さず外す。それから、人家から離れたところで、にんじん君なしで始動。あっさりとかかり、にんじん君除去の影響は、まずその差を感じない。これで好結果が得られるなどという期待は、ほとんどないが、残された手段を講じないでモータロイもどきを捨て去るわけにもいかない。

ちょっと暖機を行うと、エンジン音が少し丸みを帯びているように感じる。初秋の明け方近いので、さすがに高速へ入る気は起こらず、下の道を静かに走る。10キロほど走り、エンジンが暖まっても昼間と調子が違い、回転が何といったらよいか、4サイクルから2サイクルに変わったような柔らかさというか、4サイクル特有の爆発パルス的な脈動は少なく、どこで爆発しているのか分からないような感覚である。しかし、パワー不足は感じない。ではいったいにんじん君は何だったのかとも思う。そこで、1番目のプラグについているミラクルパワーだけを残し、4番プラグについていたものも外す。明るさは、少し暗く感じるが、光の質の違いもあるような感じだ。

そして50キロ以上走って燃費を見ると昼間と変わらない。しかたなく、モータロイは取り去ることにして、帰る途中だけでも定地燃費だけはデータを取るつもりで帰ることに。かなり寒く、スタンド内のコンビニで体を暖め、近くの吉野家で体を暖める。新聞配達員が持ち帰りの牛丼を持って帰っていく。ほかにも家族ぶんらしく数食の持ち帰り客もいた。

そこで気を取り直し帰路につく。少し冷めたせいか静かにエンジンが回る。飛ばさず、いつもの要領で帰る。荒川を超える橋の長いランプも勢いよく駆け上がる。以前は、このランプもアクセルを絞って上がったりと色々努力をしたことを思い出すが、今は燃費よりも早く暖かいところに帰り着きたい気持ちでいっぱいで、ついついスピードを上げてしまう。

わたり切ると、すぐ国道17号で、数少ない車両も飛ばしているので、もう燃費テストよりも調子に任せて飛ばす。この頃から、昼間の帰路で感じた調子の良さを感じ出す。アクセルをセカンドで2500回転位に保つように絞っていても、どんどん加速して3500〜4000以上軽く回り出す。アクセルをしぼっているので、最初の加速はもたつき気味で、後ろに迫る4輪がすぐに抜き去ろうとするが、アクセル固定でも回転が吹け上がっていくので、逆に先を行けるを楽しんでいるうちにいつものテスト終了スタンドへ。

期待しつつも燃費を見たら、最高時より300ccほど余計に食っていたが、昼間や、行きの燃費よりもはるかによい。その時はあまり深く考えず、暖をとるため会社に戻りストーブで温まった。夕方、アクセルを絞っていても回転があがるのを生かすように走ると、かなり調子よく回ることに気づき、意識して試していると、どんどん調子が出てきて、マイクロロンでは感じることができなかったスムーズ過ぎる回転上昇を感じ出して、調子にのってかなり回すことを楽しんでしまった。

アクセルを開けないでもスピードがあがることは、はっきりと感じる。これがモータロイの本来の燃費改善効果だろうと、昔2サイクルバイクで感じたことを思い出した。にんじん君を取り去ることで、急に燃焼特性が変わり、それが調子を保っている原因と思った。すると、今まで、効果が出るのが遅い、と感じていたのは、テフロン系で調子がよいと思っていたグッズ類をそのまま、モータロイ系でも通用すると思い込んでいたいたせいなのか、おそらくそうであろうと。やはり試して良かった、と急にモータロイもどきを除去しようなどという考えはとっくに消えてしまった。

急激な変化で、まだ燃費も計っていないが、慣らしが必要だと思う。翌日は前の日の夕方急に回しすぎたので、エンジン音が、カワサキのマッハIIIのエンジン音のような、4サイクルとは思えないような音を出している。ピストンが踊っているような、シリンダ壁をビシバシ叩いているような音で、静かに走るように心がけていると、少しは収まったが、まだだいぶ残っている。当分回しすぎは控えて慣らし運転をしようと思うが、暖まると、回転上昇が軽やかで、250cc2サイクル2気筒のような加速感だ。

モータロイもどきを入れてから、高速で振動がでたり、燃費が一般路より落ちたりしたのは、燃焼特性とモータロイもどきとの相性が悪かったのだろう。ハーレーでも、何台かのバイクで合計数百万キロもの走行テストを繰り返している、と聞く。するとノーマルの火花特性が結局のところ、トータルな意味で最適だろうと思う。モータロイ系は、よりシリンダー壁とピストンの相性を重視した摩擦低下剤のような気がするので、ノーマルの点火系にちかい燃焼特性に戻して調子を取り戻したエンジンは、アイドリング音も以前と違い、遠くからでも響きが排気量を主張しているような音がする。

空吹かししても吹けあがりがスムーズで、今までのワンテンポ時間を置いてから吹けるのと違う感じがしている。

なかのひと

日曜日, 11月 30, 2008


今日は、今年最後の11月。日曜出勤なれど、若干の自由が、アルバイト雇用で生じてきた。
天気も朝から良い。そこで、この前仕事で秩父の黄葉を見てきたが、多摩の紅葉ほどきれいではないと、同僚と話したことから、好天の今年最後になるかもしれない秩父を回ってみることに。

正午半過ぎ会社を出たが、けっこう風が冷たい。下をずっといくつもりで出たが、紅葉の時間帯は限られている。仕方なく圏央道を使い、飯能へ。空いている。追い越し車線を130ぐらいで
抜いていくバイクが、あの速度だとこの緩いカーブでもあのくらい傾けないとまずいのか?と感心する。

あっと言う間に見えなくなったが、3キロ先のETC出口を出るとき、まだ4輪の列に並んでいた。一般路に合流して最初の交差点で、やはりもっと前、風で80キロ制限の中100キロぐらいで
飛ばしていった軽4輪が、停止線の最前列にいた。

299を一路正丸へ。かなり単独のハーレーが多い。飛ばすハーレーは一台もいなかった。この時間だと、秩父方面からかなりまとまってバイクが降りてくるのに出会う。しかし、コーナーの続く山間部へ入ると雲が太陽をさえぎり、急に足下から冷えてくる。まもなく正丸というあたりで、ようやくう太陽が顔を出してくれた。うれしい眩しさだ。

トンネル入り口の直前を右折して旧道へ分け入る。簡易舗装にちかい林道より少しマシなくらいの急カーブが続く。太陽が傾いて、まぶしいコーナーは危険だ。しかし、おりてくるクルマは数台しかなかった。道が平坦になったところで、黄葉っぽいところでバイクを止めたが、写真をみるとまだ青いぐらいだ。西日があたり、飯能吾野方面の山々がきれいだ。エンジンが暖かいのが、低速で走ると伝わってくる。もう少しで、頂上の茶屋だ。

茶屋の前の展望がきくところでの一枚が、唯一の紅葉らしいカエデがあったので一枚撮った。
茶屋は、少しは客がいたが、先を急ぐので寄らずに先へ。本当は、おでんや甘酒を売っている
バラック然とした店へ寄るつもりだったのだが、どういうわけか道は下って、正丸トンネルの出口(飯能から秩父へ向かった場合)の左側交差点へ出てしまった。年配のおじさん二人が、黒いハーレーを2台とめて、こちらの動きに合わせて、眩しさをこらえて首を回している。かなりの年齢(といっても70前後)のお二人だったようだ。

そのまま横瀬を抜けて秩父市内へ。市役所裏手は、秩父夜祭りの準備がすっかり整い、人出はほとんどなし。先週食べ損ねた珍達ラーメンで体を暖めようと店内に入ったが、客は数名いたものの、ドンブリはみな汁だけで、かたづけものをしているおばさんに、すかさず休憩中なので、と断られてしまった。14:30〜17:00までは休憩とは、ドアの脇に掲げてあるのを出てから知ることになった。10分ほど超過しただけなのに、・・・。

団子坂下は、無電柱区間で、家一件建てるのにも電力供給は地下ケーブルで行う必要があり、夏ごろその関連で調査に来たが、今はその工事もおわり、家も最後の仕上げにかかっていた。軽自動車の下あたりに、ケーブルが入っている。白線を引き直した跡が。祭りに向かっての準備は完全に整っている感じだが、果たして今年も来れるかどうか!?こうして見ると、ヨーロッパの田舎の古い都市部っぽくも見えたりもする。写真は右側通行っぽく左右反転している。あらためてみると電話線は架空のようだ。祭りの夜は日本独特の文化遺産風景が出現するわけだが。

カメラはカシオだが、レンズはSMCタクマーの古いタイプ。今のカシオにはついていない、ファインダーもついていて、液晶は少し小さく暗いが、眩しいときはファインダーを頼りに出来る点は重宝する時がある。

なかのひと

土曜日, 11月 29, 2008

CB1000SFインプレッション

というサイトを見つけた。
http://mc.gentei.org/other/cb_impress.html

最近BIG1の調子が良くなってきて、また、原点を見つめ直してみたいと思って探したら、出会った。ホンダのFACT BOOKも一時見当たらなくなっていたような気がするが、カラー写真を除いて復活したようだ。

さて、そこでは、フロントタイヤが17インチに変更されたものを購入したようで、色はブラック。マフラーは写真から判断すると、ノーマル仕様のようだ。

高速5速で60km/hから80km/hへの加速は3秒などということも印象として出ている。また、無線もやられておられるようで、
ハンドル周りにはいろいろついている。
無線の免許の取り方や、装置のバイクへのとりつけ例なども書かれている。

気になる燃費の項では、こんな記述があった。

『 * 街乗り:10〜12km/L(運輸省届が21km/Lなので実際はこんなもんか。)
* ツーリング:14km/L以上 』
などとある。もっとも通常は、3速3000回転で60キロ走行を多用されているとのこと。ほかでも同様のレポートは見かけたことがある。私も試してみたが、常用するには至っていない。

そうすると、私のもそう悪くはなく標準的か!?などと思ってしまうが、以前にも書いたように、おとなしく走るとリッター18〜20近い報告例もあり、この差は何だろうと改めて思う。

最近、モータロイもどき(要するに、スズ成分の多いハンダ合金の錠剤タイプ)を投入後3000キロを超えて、もうそろそろ燃費改善効果が出てきても良いのに、と思っていたが、エンジンの調子はいいのに、燃費のほうは、却って悪くなっていて、投入後初期の効き出したかな!?と思ったあたりが、いちばんよかったり、という結果であり、何か釈然としない日々を送っていた。

そこで、過去のいろいろな試行のうち、一時的にせよ、改善効果があったと思う事例をあれこれ思い起こし、整理してみた。
最近の大人しく走っても悪い燃費の原因を説明できる事例はないか?とあれこれ考えてみた。


いろいろ試して、結局、シリンダーヘッドアース、ミラクルパワー、ニンジン君のセットで、テフロン系潤滑だと、問題なく17キロ近くまで燃費が伸びた。

その後、モータロイもどきでは、だんだん燃費が悪くなってきている。走行2000キロぐらいまでは、正規のモータロイ(発売中止)でも、燃費は投入前より落ちる、とは注意書きにあったので、気にも止めなかったが、3000キロを超えても、却って落ちたりして、どこかのセットが正しくないと思い点検した。

そこで、考えられることは、シリンダーヘッドアースは、パワーは出るが燃費は落ちる。しかし、これを外しても燃費はかわらないことがわかり、しかもパワー感はやはりおちて、ストレスがたまる。したがって、アースを止めるわけにはいかない。
そこで、以前、ミラクルパワーを4個つけていたのを、2個外したら燃費がのびた事を思い出した。その後、もう一回テフロン処理をすると、4個に戻しても、摩擦を減少させたようで、燃費はまたもとに戻っていた。

今回は、いぜんより効きの良いシリンダーヘッドアースにして快調なのだが、燃費だけが不調。そこで、以前と同じくミラクルパワーをまた真ん中の2個を取り外してみた。もともと、2個外して快調になった理由としては、左側一番のプラグが他の3個に比べて不調で、それがいつから始まっていたか不明だが、長い間そうした状態でエンジンが慣らされていて、正常と思われる4個のミラクルパワーをつけると、加熱して却って燃費が落ちた、と思った結果があった。そこで2個外し、摩擦の熱が出にくい状態で、2ヶ月ほど乗って、慣れて来た頃、再度のテフロン処理で摩擦防止を図ったところ、今度は燃費の落ち込みがなくそのまま使っていた。

今回は、シリンダーヘッドアースを、新規のものに付け直したら、いっそうパワー感が増した。しかし、燃費はおちこんだ。そこで、どうもテフロン系の潤滑による摩擦防止あるいは低下と、モータロイ系(スズ合金)の摩擦防止ないしは低下とは働きが
違うような感じを持っていたので、取るべき新手段は、もう一度、以前調子のよかったミラクルパワー2個を取り外してみるしか、パワフル感と好燃費を両立させる方策は見当たらないことになった。

そこで、さっっそく試してみた。始動性は変化なし。気のせいかランプは明るい。夜に試したから。昼間に試すと、そこまでは
わからない。吹かしてみると、ミラクルパワー4個より若干吹けは悪いものの、パワーロスは起こしていないもよう。前回も感じたかのような気がしたが、ミラクルパワー2個ぐらいのほうが、その効き目は却って良いような気さえする。前照灯も十分明るいし、・・・・。ノーマルの新車状態の電気系とはこんなものだろうか!?ここで初めてにんじん君も健在だったことを確認したような気分となった。

走り出して、以前より少ないアクセル開度で、走ってくれる感じがする。2匹目のドジョウではないが、これは悪くないと思った。2〜3日様子をみて、エンジン特性があまり変化しないことを確認する。昨夜、十分暖まってから、それまで900回転ぐらいだったアイドリングを1000回転ぐらいにもどす。車検で1100回転ぐらいで帰ってきたので、また1000回転にセットしたのだが、いつのまにか900〜950回転まで下って来ていた。マイクロロン時にも、アイドリング回転が1000回転ぐらいだったのが、800回転ぐらいまで下ったが、今回は、もうモータロイもどきが十分に効果を出し始めていると思われる時期に、やはり少し下った、といえるのかもしれない。

今朝、土曜日で、出社のためエンジンをかけてすぐ乗り出して、角を曲がっておや、と思った。アクセルを当てているだけなのに、加速するのだ。絞っていても加速する、というのは私が、このバイクの特性として、好燃費の条件として長い間追い求めていたものだ。

その原因が昨夜わずかにアイドリングを上げておいたので、いつもの開度でも、その分余計にガソリンが供給され加速したのだろうと、気づくのに、少し時間がかかった。それで、満タン後100キロほどだったが、再度満タンにして、大人しく走って燃費を見てみた。感触から、数日前から、今度こそ絶対に良い燃費に戻っているはず、という感じはしていたが、燃費をみて、入力間違いかと!?一瞬数字の意味が飲み込めなかったが、予想もしない17.1515・・・と出た。ワーオ。前回、同様な条件で15はおろか14.7まで落ち込んでいたので、15キロ後半代くらいは出て欲しい、と思っていたのだった。それが、ミラクルパワー2個を外し、摩擦を減らす方向での処理をしたら、なんと14.7から17.15まで2.5キロ近く一気に伸びたのだ。

しかも、エンジンはまだ、この新しい処理に馴染んでいない感じが強く出始めているあたりで、モータロイもどきとの親和作用の効果を期待するのはまだこれからだ、というのに。

モータロイ系の減摩作用と、テフロン系の減摩作用は、どうも性質がちがうようだとは日頃思っていたが、今回の処理でもそのことが顕著に現れたように思う。うまく説明できていないかもしれないが、モータロイ系の方が、シリンダーとピストンのなじみがより率直に現れているように思うのだが、どうだろうか?

モータロイ系では、テフロン系でカバーできたミラクルパワーを4個に戻したときの抵抗増加を吸収しきれないどころか、増幅さえした感があるからだ。となれば、テフロン系の処理の痕跡はもう削り落とされ効果を失っているのかもしれない。走行音は、テフロン系よりもはるかに静かで、丸い音質に感ずるのだが。

もっとも、高速走行では、おとなしい走りの数倍のアクセル開度となり、少々の抵抗があっても気づかず、猛烈に吹けるので深く考えなかったが、やはりアクセルを極限まで絞って定速走行する際には、わずかな抵抗でも燃費に響くのだろう。わずかな抵抗が減っていなかったことは、本質的に慣らし云々ではなく、組み付けの問題なのかも知れない。

ミッションタッチなどはテフロン系で俄然よくなり、モータロイ系でもその感じとは少し違うが、節度あるタッチが却って増したような感じで、ローへ入れたときのタッチも幾分静かになったようなケースが多いように感じている。

今日も、現場でスズキの125ccスクーターに、若い女性がヘルメットとグローブを付けるだけの間の暖機で、さっそうと出かけて行ったのをみたが、エンジン音を聞くと、私のビッグ1も、こんな軽やかでマイルドな音がするな〜と思ったことだった。


なかのひと

木曜日, 11月 27, 2008

田母神論文については、いろいろな人がいろいろな立場や史観で、さまざまなことをそれぞれよくまあ、ここまで先回りして解説してくれるわい、とあきれるほど意見百出の感がある。

その中でも、田母神論文の審査委員長が、渡部昇一上智大名誉教授で、論文の解説やコメントを、現代史研究家の秦郁彦教授が批判的に展開していることで、またあのゾクゾクする両教授のバトルがどこかで展開されるはず、と密かに期待していた。

私は、田母神論文を精読したわけではないが、基本的に肯定する考えだし、憲法改正派に属す
るし、できれば核武装(原潜、空母、核武装の順序だという人もいるようだが)派で使わないために持つというのは、非常に武力としては、文字通り理想的だとつい思ってしまう。石破防衛長官(当時)が出てきて、自衛隊を海外に派遣する論議を聞いて、いずれこの人の下で、日本も核武装の方向へ、態勢作りがすすもものと考えていたが、とんでもない大誤解であった。

秦教授についても、誤解していた。一部のブログに、秦教授を右翼と言っているものがあるが、基本的に左翼とまでいわないまでも、東京裁判史観というか戦後の史観派で、どこかの社の半藤氏と近い立場の方であろうと、軌道修正した。中曽根元首相も、最初右傾の政治家と思わされてきたが。靖国問題での対応などをみて、心情左翼と、ここ一年ほどで180度評価が変わってきた。やはり、風見鶏では、狼少年と同じ結果ではないか?ご本人は右系だと思いたいでしょうが。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-782.html
には「つくる会」の右派学者・秦郁彦が田母神俊雄論文を徹底批判と題して、左の立場から徹底的に論文の史観を批判している。だいたい、朝日、毎日系の公式見解というものに属するようだ。
これに対して、「日本核武装講座」では
http://blogs.yahoo.co.jp/kanazawa_sanetoki2004/19536221.html
『田母神論文に対する毎度馬鹿馬鹿しい愚論の数々 秦郁彦編』
とあって、先生をいちおう持ち上げた後、自説を展開されていて、面白かった。

とくに、コメントのトップに
『秦郁彦は、空気を読んで長いものに巻かれようとしているのでしょう。
この人は、空気読んで、計算して、長いものに巻かれるのが得意です』とあって、皆さんそれぞれに多様な見方をしているなあ、と思う。今、右系は、個々にみな見解が違い、多様な意見がたくさんある。これは今、戦後の過渡期で、戦前の思想が少しづつ目覚めてきているからであろう。左翼は、だいたい公式見解でまとまっているが、行く先は見えてきている時代となってきた。
たとえば、正論談話室でも、渡辺龍二氏という、談話室の校長先生と左がかった投稿者の一部から揶揄されたものの、ぶれない方がいて、このように一人一人の個性というか自覚がはっきりしている人がいろいろ出てくるようになった。ちなみにこの方はまだ50歳、もちろんアンチ朝日の立場である。
 『悪が盛んなる時は一時的に悪が勝つように見えることがありますが、時間がたてば公平の針は戻ってきます。若い人たちは左翼教育を受けていても自分の頭で考える人が多くなっています。若い世代は毒されていない人が多いですからね。日本の未来のためにも…。』

『○この掲示板で何回も投稿されました、田母神論文ですが、

これは「日本だけが侵略国家といわれる筋合いもない」というものです。
思想は個人の自由ですが、田母神論文は、軍人の思想としてはまっとうなものです。

アメリカの軍人がアメリカは侵略国家ではない、ベトナム戦争は正しい(政策の成否ではなく正義かどうかの善悪の問題で)と言っても問題にはならないし、中国の軍人が中国は侵略国家でないと言っても問題にはなりません。 逆に、ベトナム戦争は米国の侵略だと米国の軍人のトップが言ったり、チベット侵攻は中国の侵略だと中国の軍事のトップが言えば問題になります。そういうものです。

しかし、日本の場合は日本は悪で侵略国家だと言わなければ問題になります。これがすなわち東京裁判史観です。知らず知らず、それににどっぷり浸かっている人がいます。そうでなければ説明がつきにくいですね。』

さて、新年号のWILLに、とうとう渡部教授の見解が載った。審査委員長だったということから、いろいろと面白い『事実』が出ているのでは!?と大いに期待した。

題名は、村山談話は外務省談話だ、と言うもの。

最初は気にも留めずにいたが、読み終わりこれを各段階になって読み返し愕然とした。

昭和60年に、村山談話とほぼ同内容を国会で答弁したのが、ほかでもない雅子妃の父親だと言うこと。う~ん、やはりそうか?。これでは、雅子妃も考え方と環境がマッチしませんね。ご病気の遠因は、親の思想かも知れません。外務省を、中国外交部の出先とまで呼ばれるようにさせたわけは、この人の「信念」にあったのかも。おそらく朝日新聞の、疑問を感じない優良な読者の一人だったのだろう。

やはり、ありました。問題の秦郁彦氏の見解に対するコメントです。

しかし、最初にまず、田母神論文肯定者の学者先生、小堀桂一郎元東大教授の話から入っている。小堀氏は、東京裁判却下未提出弁護側資料を見つけ出し、「東京裁判ー日本の弁明」などを出された先生で、旧かなづかいで、サンケイ新聞には投稿される。どうようの旧かなづかいで、投稿される先生に、埼玉大教授の長谷川先生がいて、思想も近いように感じている。

『ここには(田母神論文)私ども自由な民間の研究者たちが、20世紀の世界史の実相はおおむねこうだったのだと、多年の研究から結論し、信じているとおりの歴史解釈が極く冷静に、条理を尽くして語られている』と。渡部教授は、小堀先生のこの評価だけで十分だと思う、としている。

『秦郁彦氏の問題点』という部分もある。週間新潮(11月13日号)が、秦氏のコメントを中心にまとめた題材などについての反論が中心のようだ。新潮の記者氏が史実として頼ったのは、主として秦郁彦氏のようだ、と書いている。

その直後で、教授は、秦氏に近現代史についてお伺いを立てるのは、極めて危険であると思っている、と書かれている。私のような素人でも???のつく学者先生の秦氏であるから、この記述は当然か!?

『例えば、秦氏は、支那事変の研究についてのある意味での先覚者ではありますが、その後に発見されたいろいろな史料、特に21世紀になってから発見された様々な史料や研究には目をつぶっておられる様に見えます。また、私自身の体験として秦氏は「嘘だとわかっても頑として撤回しない人だ」とわかったこともあります。』・・・『特に中国大陸の事件に関しては北村稔教授や東中野修道教授のような方々が、当時の中国政府の原資料に当たっておられます。こういう研究を秦氏はなさっておりませんでした。ですから、小堀氏も言われるように田母神前空幕長のほうが、新しい研究を丁寧に当たっておれるようように思います。』とある。

この文章の途中に、渡部教授や、他の人たちが繰り返し指摘した、南京戦に参加していなかった兵士が書いた、秦教授が口を極めて褒めて引用した本は偽物ということを10年間以上にわたって変えようとしなかった、という指摘があり、その最後に、(最近はさすがに変えたと聞いています)とあった。

半藤氏も、ベストセラーの部類に入るとされる「ノモンハンの夏」を書いて、ソ連側史料が出てきても、出版前から分かっていても、規定の路線で出版してしまった。

例の副島氏も、最近の著作で、南京大虐殺はあった、私は秦教授の4万人説を信ずる、などと今年になってもまだ言っていることを考えあわせると、意外と当時者たちは、最初の思い込みから自由になっていないな~と思ってしまう。

研究者は、まず既成事実とされるものを疑うことからスタートする、といっても過言ではなく、新事実を発見するのは、自由な心の働きだ、と岡博士も力説されていた。研究は自由な立場で行うものだ。東中野教授も、この前、テレビのインタビューで話されていたが、20年近く前、南京事件の研究をスタートさせたとき、今日のような結論に至るとは考えられないことだった、と述解されていた。

研究の価値は、始めにあるのであって、終わりにあるのではない、と岡博士。一人の研究者の業績を評価するには、少なくとも半世紀以上は要するとも。数学についての経験談であるが、学問全般についていえるものと信ずる。そうすると、左翼史観の、毎日新聞に多くのコメントを寄せた山口大の纐纈厚(こうけつ あつし)教授は、田母神論文のモトは、陰謀史観で、トンデモな歴史認識だというが、東京裁判史観こそでっちあげのトンデモな戦後史認識でしょう。
多くの矛盾と、それを指摘する資料が実在しているのに、・・・。この人たちの論理は、ソ連崩壊の事実も、事実としては、脳裏に刻まれていないような思考回路に属するらしい。最初に結論ありき。以下、別の機会に。


なかのひと

日曜日, 11月 23, 2008


卒業旅行でインドを旅した家族のアルバム中にあったバイクのショット。イギリス領だっただけけあって、おそらく英国車の系譜が歴然とした一台。イタリア系らしきスクーターやホンダの二輪もあるにはあるが。インド映画に登場するバイクなどもこの英国系のタイプの出番が多い感じがする。

かって、フランス映画「カトマンズの恋人」では、ルノ・ベルレーが恋人ジェーン・バーキンズを乗せて、爆音高く街中を飛ばすシーンも印相的に思い出すが、それはホンダの125ccのベンリーでフランス映画だけに少々拍子抜けした感じが残っている。ただ、排気音は日本で聞くよりかん高く、いい音に聞こえた。公開年が1969年というから、レイモンド・ラブロックのガラスの部屋と同年だ。ガラスの部屋は、しかし後年テレビ公開かなにかで見たような記憶が。・・・

団塊の世代より数年から10年ほど早く、多くの日本の若者が海外にバイクと共に飛び出していった時代があった。指揮者の小澤征爾氏もその先駆け的存在だったかもしれない。
小澤氏は、国産の125ccスクーターでユーラシア経由でヨーロッパに渡り、たしかパリかどこかのコンテストで優勝したのではなかったか!?。

『小澤は1959年、単身で音楽修行のためヨーロッパに出発。学費捻出のため、知り合いに無心のお願いをして回ったが、ようやく話のついたのが富士重工。同社の新型スクーター、ラビットジュニア125ccを借りて現地へもってゆき宣伝して(乗って)まわることとの取引であった。「日本国籍の明示」「音楽家であることを示す」「事故をおこさない」の3条件を提示されたため、白いヘルメットにギター、日の丸といういでたちになった。右翼ではない。made in Japan をヨーロッパに売り込み、貿易立国の一翼を担ったのだ。』と紹介されている。
http://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200208/topics03/topic03_06.html

その後、バイク雑誌などでも主としてヤマハの250ccバイクを中心に海外を回るレポートも何編か掲載されて、当時熱心によみ、夢を膨らませたりした。ヤマハの250ccでは、フレームが折れたり、13万キロ程走破して、最初の部品で残ったのは、クランクケースぐらいだったとも話にあったような気がする。整流器が故障し、バッテリー液が沸騰し、ランプやウィンカー、ブレーキランプを全部付けて、修理工場まで走ったなんて、トラブルもあったらしい。最初はやはりホンダ車、中でもCB72系だったようだが。ユーラシア大陸を女一人が走っていると、いろいろなバイクがスピード競争を挑んできたが、勝ったバイクはいなかった、とも。新婚旅行に北米をMACH IIIで、タンデムツーリングした大迫氏の体験記も数回掲載され、時代が250からより大きなバイクに移行しつつあることを感じた。

私とほぼ同世代のツーリストとしては加曽利 隆氏だ。
http://archive.mag2.com/0000037317/index.html
私も昔愛用したスズキの250のオフロード仕様車で、もう一人の友人とふたりでアフリカを回ったことから、氏のバイクとのつきあいが始まる。

今、改めてみると、これはこれで大変なつきあいだったんだろうな〜と考え込んでしまう。さすがに同年代ともなると、比較的関心が薄くなっている。日本車が世界で十分に通用する、という事実が当時の私には眩しかった。

今、世界的不興で、国産車の輸出も一時的に陰りを見せているが、また、相変わらず、日本人はいまだにドイツ車信仰があるかのように見られるが、もう事実上の世界一といっても過言ではないだろう。韓国などまだまだ真似できないだろう。トヨタ一社の研究開発費だけで、たしか韓国全体の研究開発費レベル(1兆3000億円、長谷川慶太郎、「米金融危機は日本にとって千載一遇のチャンスだ」WILL 12月号)ではなかったか?。

今日、初めて、ビッグ1の1300と競争する機会を得た。突っ切れば突っ切れる位置であったが急停車した。すると右から右折で来たバイクがしきりにこちらを意識するかのような動作をして先に行った。400かなとおもって、発進していき、次の信号でならぶとフィンなしの1300だった。吹かすと、大きな音がする改造マフラーのようであった。

その気はなかったが、新アースコードをダブルでつけて、静かに走っていたが、マフラーからのノイズに誘われ、こちらもフル加速をしてしまった。以前から、マイクロロンなどで処理しておけば、高回転型の初代ビッグ1は、現行1300といい勝負をするだろうと予測はしていたが、マイクロロンがモータロイもどきに変わっただけだ。

結果は、十分についていけて楽しかった。音もしずかで、こちらはレッド近くまで回すが、緊迫感はない。もちろん相手はせいぜい6000回転ぐらいだったろうと思う。こちらは400であるかのように回せるので、回していればけっこう早い。やはりマイクロロンなどよりよさそうだと感じたが、基本的に、爆発火花特性が主で、潤滑系はその次という印象が現在の正直なところ。今のところ、アイドリングに毛の生えた程度のアクセル開度で、気持ちよくエンジンが吹けている感じで、そこからのつながりもストレス無く気持ちよい。変えたのは、アースコードだけ。それで、これだけフィーリングが変わることにビックリしている。今が、発売当時のままの素直な火花の実力だったのではないか!?という気がしている。

最後に相手が猛烈に加速したが、やがて、スピードを落として左折。だいたい、曲がる前の直前に、透かしっぺよろしくあおって走るタイプが割と多い気がする。その後、マイエンジンも音といい、加速といい、さらに調子がよくなった感じで、アースコードを念入りに作ったものに換えたことは、今回は失敗ではなかったようだ。すると、いままでの取り付けは、いったい何だったのだという思いもあるが、いろいろ試行錯誤した結果の改良結果の満足感もある。


なかのひと

木曜日, 11月 20, 2008

プラグの汚れ具合のチェックの際、シリンダーヘッドアースの取り付け部から、軽くオイルが滲んでいるのに気がついた。それで増締めをしておいたのだが、今日になって、今まであまり見かけないことに気づき、昼休み明るいところで一度外してみた。この前付けた時は夜暗い場所で、一時的テストのつもりで自販機の明かりを頼りに装着したのだった。

今日外してみたら、端子は、シリンダヘッドと直づけづけ位置にあったが、そこは黒く塗られている部分で、その上にゴムクッションのついたワッシャーがのり、ゴム部で端子を押し付けていて、そこが変形していた。ボルトの芯とよく接触しない限り、これでは大してアース効果はなく、シリンダーヘッドからの電流は、しかたなくシリンダヘッドに食い込むヘッドカバー締めつけボルトと直接接触するように締め直した。こうすると、ゴムパッキンのついたワッシャーのゴム部とも触れ合わずゴム部は、オイルシールの役割を、元のように果たすことになる。

ただし、シリンダーヘッドのアルミと直接は触れず、鉄を主成分とするボルトとワッシャーの
金属部分とだけメインに接触するので、電気の流れは、わずかな長さだが、鉄を介して行われる。それでも、シリンダーを固定する長い鉄製ボルトを通してクランクケースへ逃げるだけよりはましだろうと思う。

そのため、もう一本同様な方法で新品のアースを反対側のシリンダーヘッドから取るようにし、もう一本の端は、バッテリーアースと直結させず、そのすぐ脇のセルモーター固定ボルトに直づけした。

自作モータロイをつくったとき、ハンダは大量に残ったので、余ったアース線を新しく適当な長さに切り、新鮮なままの銅線をむき出しにして、カシメる前にアース線の両端を、新品の筆にたっぷり墨を吸わせる容量で、銅線両端にまずハンダをたっぷりしみ込ませ、その後も、端子と銅線をハンダづけし、軽くカシメるといった方法で、会心の作のアースケーブルを日本用意しておいた。未使用品である。

それまでは、ハンダ付けアース線といっても、最初はカシメただけで使用していて、後から、ハンダ付けしなおしたもので、銅線分は雨にぬれたり、オイルがしみ込んだり、とりあえず何とか端子と銅線をハンダづけした(つもり)のものであった。しかも、ハンダ鏝に付属したイトハンダは、量がすくなく、ほかの目的でも使用したりして、すぐに切らしてしまい、今から思うと気休め程度だったかもしれない。

それで、2本ともシリンダーヘッドにつけてから、念のため、始動テスト。軽く始動して問題なさそう。さらに軽くアクセルをあおってみると、拭け上がりの音がまるで違う。それで、すぐさま庭を一周してみたが、新次元の走りとでもいう感じ。力強い。

夕方、帰るのが待ち遠しい。暖機をちょっとして乗り出す前に、まずヘッドライトが以前よりずいぶん明るいことに気づいた。こ、これは!?。シリンダヘッドアースをつけたり外したり、かなり長い間試行錯誤してきたが、こんなに元気になったのは、今回が初めて。

走り出すと、いくぶん力強く感じる。今朝までとは音と走行感覚がかなりちがう。走り出して暖まり出すといっそう違いが感じられる。

一言で言ってしまえば、バイクのエンジンから車のエンジンに載せ換えたような感じ。まるで別物のようだ。これまでのアースでは、爆発波がノコギリ波のようだとしたら、今回は、それが先端が丸く幅が広がった感じで、ショートストロークピストンがロングストロークピストンに変わったかのよう。いわば、強い火花の持続時間が明らかに長くなったような感じである。

したがって、爆発がコンスタントに続いている感じで、振動も当然ながら、低レベル。エンジンが行儀良くきちんと回る感じとでもいったらよいのだろうか。

10キロ以上走った後で、飛ばして抜こうとする4輪と並走したが、慌てずに走れる。静かに差を広げて行く様は小気味よい。とにかくエンジンは別物の感じで、火花特性だけでこんなにも差があるものか!?と、また、ハンダをていねいに付けたアース線の効き目にも、予想した以上の結果がでてビックリ。

それで、ネットでシリンダーヘッドアースを調べてみたが、製品版や自作にしても、ハンダ付けについては記載がないようで、効果があったのは付けた直後だけで、慣れてしまったのかあまり効き目がないというような報告も少なくない。

以下のサイトでは、一応きちんと!?シリンダーヘッドアースをした場合の効能などが述べられている。
http://yoyoyo.s21.xrea.com/a-sinngu.htm

『具体的なアーシングの効果をここに書いておきます。

(1)低速トルクのアップ、燃費の向上、排気ガスのクリーン化
(2)エンジンの始動性の向上、アイドリングの安定化
(3)ヘッドライトの光量アップ
(4)オーディオの音質の向上』

などとなっていて、オーディオはついていないが、ホーン音も少し音色が変化したかなという感じは、あった。また、帰り際の暖機中に、臭いが感じられず、排気口まで鼻を近づけてやっと、少しはあるんだな、と感じた点でも、上の効果に指摘されている状態と一致してくる。

となれば、低速トルクもアップした感じなので、燃費の向上も期待できそうな感じである。
しかし、走り出した最初から、ある種の重さを感じてはいた。翌朝、この秋一番の冷え込みが来て、始動して走り出したら、昨日よりいっそう重い。これでは、以前ミラクルパワーを初めてつけたときのような感じで、燃費は悪そうとは計るまえから想像できた。案の上、満タンにして走ってみたら、過去最悪の13キロ。

その日はそれで、一日考えてみた。頭が混乱する。新しく、ていねいに作ったハンダづけアースコードは確かに、ランプは明るいし、始動性もよく、パワーもある。しかし、燃費は落ちている。それは走ってみてエンジンが重く感じることから、予想もできる。何故、そういう結果なのかがまるきりわからない。しかし、コード一本で調子が劇的に変わったことは確かだ。

残りもう一本のアースコードは古いものをそのまま使っている。これは新しいものを付ける前には調子がよく、最近の臨時燃費は15.7だった。古いコードをもう一本つけて、2本ともバッテリーアースと直結したときは、17.0まで行くにはいったが、途中、ゴツゴツ感が出てきて、2本とも外したが、それではパワー感があまりになさすぎ、一本だけ戻していたものだ。

夕方、運転を頼まれ、走行一万未満の新車にちかい状態の運転をしたら、新車らしいエンジンフィーリングを随所に感じて走れた。こういう、エンジンが固いなりにも、アクセルレスポンスがアクセルに応じて微妙に変わる吹け上がりを感じて、こんな感じにアースコードを組み合わせてフィーリングが変化したら、きっとそれはエンジンのためにもよいだろうと、考えざるをえなかった。

それで、さっそく乗り出す前に、新品のシリンダーアースを、旧品の、バッテリーアース線とつないであったものと換えた。接続は、あと数通りつなぎ換える目的で軽くしめておいた。もう一本の昨日付け替えた新品はそのままクランクケース直結のまま。

それで、仮走行のつもりで始動。かかりはもちろん良い。走り出して、すぐ、意外にもさっき運転した新車のエンジンのような感じで、朝のあの重さは見事に消えている。違いは、一本のアースコードが古いか新しいかだけ。これで、あの古くからのアースコードが原因だとわかる。10キロ以上走ってみて、走行感覚に変化がなく、きもちよい、すなおなアクセルレスポンスを確認する。このままでほかを変えなくともいいじゃないかとさえ思うが、念のため、昨日追加した新品アースを、今日の新品アースとダブルにして、バッテリーアースと直結してみてどう変わるか試したら、ほとんど変わらずに若干力強さがました感じで、やはりダブルにすると、以前同様力強い。しかも、ゴツゴツ感が増加することもなく、フィーリングが変化せず、良好のまま。それでも用心してまた10キロ以上走ってみたが、安定した感じなので、改めて、アース線の仮締めを、きちんとしたトルクで締めつける。

明るさは過去最高。車検場で、照度不足を指摘されたときは、古いアースコードのままだった。それなりに調子がよかったので、信頼して使い続けたのだが、ハンダづけといっても、後から用心のために、端子と銅線の周りを上塗りした程度だったし、かなり時間がたってからのしょりだったので、撚った銅線の束全体に、ハンダがしみ込んだような状態ではなかった。今回の2本は、どちらも端の4端が、ハンダが銅線の束全体が導体となるよう配慮してハンダづけした特注品だ。

これをつけたら、悪電流を整流してくれるという、にんじん君の機能をフルにサポートしだした感じだ。アクセルレスポンスが、フレキシブルで、夕方運転した新車状態のクルマで感じたフィーリング然としていて、気持ちよい。寒いけど、ずっと乗っていたい感じだ。今日のチャレンジはこれでおしまい。あとは、結果は寝て待つだけ、といった気分である。

あの重さのまま、慣らし運転を続けてみるか、という選択肢もあるにはあった。しかし、新しいアースコード一本で劇的に調子が変わったのなら、古いままのコードも、新しいものに換えてみたくなるのも人情。しかも、自作モータロイ投入後、3000キロを過ぎたあたり。本来、慣らし云々の時期でもあるまい。そのままの状態で、気持ちよく回るアースコードの接続方法のアレンジがあるはずだという、演繹的思考は、当たった感じだ。混乱したときは、原則に帰ることがやはり大事なようだ。結果がよければ、説明は適当に後からついてくるものだ。


なかのひと

水曜日, 11月 19, 2008


モータロイもどき投入後、2800キロを越えた。だいたい2500キロあたりから、不十分ながら一応エンジン全体に回り、なじみが出てきて、いわば一皮むけた、といった感じ。

しかし、また3000に近づくにつれ、エンジンはさらに変化して行き、今度は3000回転以上回そうとすると、かなりピストンが抵抗する感じで、なじみがでたらでたで、その状態でまたさらなる慣らしの必要性を感じた。一度、高速道で飛ばすと、バックミラーのブレが最初かなり大きかったが、降りる頃には少し落ち着いた。抵抗なく回る感じは(摩擦については)相変わらずよく、高回転域での十分な慣らしが済めば、いったいどんな感じになるのだろう!?と期待する。

以上述べたように、特に自作モータロイについて、気になる点はあまりない。ただ、かなり気長に乗らないと、即効性はないので、期待はずれに終わるかも知れない。一年ぶりに、弟さんの(モータロイ)車をみたら、さらに静かになっていた、などという体験談が示すように、半年とか5000キロ以上とかいったスパンで見ないと、評価しずらいような気がだんだんしてきている。

あと、エンジン内部のカーボンを落とす(特に初期の段階では)といった効能もあったように思い出し、久しぶりにプラグの汚れをチェックしてみた。左側2本が、まだシリンダーアースもなく、にんじん君だけぐらいだったと思う。右は、シリンダーアースつきで、モータロイもどきの4番プラグ。

右の電極は、狐色に焼けている部分が大きく、以前よりは火花は確実に強いことをうかがわせる。左の一本は、特に電極までほとんど真っ黒だ。今回初めて気づいたが、以前プラグ交換の時、シリンダー番号をマジックで書いておいた。ちょっと見には、皆カーボンがついて黒いので、たいした差はないものと思っていたが、外した三本はすくないながら、電極が狐色で、一本だけ電極もかなり黒い。番号を見たら、一番シリンダーだった。

いぜん、ミラクルパワーを一本づつ増設したとき、左端(1番)プラグにつけたとき、一番効いた話をしたが、そのことがこの黒さで裏付けられた格好だ。今回面倒なので、右側の4番プラグしか外さなかったが、一番もきっと、今度は適当に焼けているだろうと思った。

カーボンは、ちょっと触るとぱらぱらと剥げ落ちる感じで、無鉛ガソリンの燃え方としては、若干まだガスが濃い感じだが、以前よりはいいと思う。昔のモータロイ使用時は、2サイクルも含めて、いちおう有鉛か、有鉛っぽいガソリンだったから、電極のまわりに狐色のざらついた粒々が付いていたものだった。燃費は、まだ、同じか少し悪い状態だ。

少し寒くなったし、回しだしたら、かなり静かによく回ってくれる。



なかのひと