「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年3月23日(金曜日)
通巻第3596号
より転載。
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読者の声 どくしゃのこえ READER‘S OPINIONS
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(読者の声1)テレビ東京のワールドビジネスサテライトを見ていたら面白い話題がありました。
東京で開かれているアニメフェアで「巨人の星」をインド向けにクリケットに置き換えた作品が登場、主人公はもちろんインド人です。サッカーは世界的に人気ですが、野球はアメリカ圏と東アジアローカル、インド以西はクリケット文化圏かつ父親の権威が非常に強い地域ですから換骨奪胎でけっこういけそうです。
作品背景も高度成長時代の日本で貧困からの脱却、というのがインドの現状にマッチしているといいます。
続いて地価公示価格のニュース、新大久保の地価が韓流ブームで値上がりしているという。在日だけではなく韓国本国からの投資も増えていると言いますが、韓流ブームなど本当にあるのでしょうか。コンビニの韓流フェアはことごとく失敗、大手コンビニでは半額処分でも売れずに廃棄の山。だいたい電車の中で韓流の話題など聞いたこともない。エステの広告に「韓流スター」の気持ち悪い写真が出ていたらあっという間に消えてしまった。
よほど苦情の電話があったのではと推測します。
独島(竹島)守護天使とやらで反日活動をしていたキム・テヒ、10年前には中国でもCMでよく見ましたが、30歳にして目元はシワシワ、韓国では美人女優でも日本では普通のおばさん(というか通販カタログモデル程度)、というネット評価の通り視聴率も取れず。
昨年の韓流ゴリ押し反対デモでフジテレビは視聴率三冠王から陥落、フジテレビ最大のスポンサーだった花王も反花王デモで利益は大幅ダウン、流通在庫が大幅に増えている。貴誌、以前の記事で慰安婦像の問題で日本人がいじめにあっている、という読者投稿がありました。韓国には20回以上行っていますが、2002年のワールドカップの頃までは韓国人も今ほど尊大ではなかったように思います。
90年代からの韓国の歴史教育は中国の属国だったことはなく、半万年の歴史(中国四千年に対抗したのでしょう)の強国である、日本の文化はすべて韓国から伝えた(韓国が教えてあげたという上から目線)、というパラレルワールドの歴史ですから、そんな教育を信じて海外留学すれば現実との落差に日本人を逆恨みするかもしれません。
日本人ならみな友だちになりたがるのに韓国人だと敬遠する。実際にアメリカでは韓国人にいじめられたり難癖をつけられたりする日本人も多いといいます。そんないじめにあった留学生の経験談がネットにありました。
「初日から女子寮で韓国人とタイ人にいじめられた。日本人がここで人並みの生活することを許してやってもいいから金よこせ的なことを言われて断ったら、二時間後から五時間後までちょっとした事件が起こった。学生課に書類出しに行った帰りがけにバケツ水が上から降ってきて、個室に戻ってきたらドアの取っ手が壊され、ベッドに赤と白のペンキがぶちまけられて部屋の中の物がPCから化粧品までいろいろ盗られてて、怒りとか悲しみ以前にわけわかめだった。」
「香港さん、福建さん、黒龍江さんはジャスミン茶とパチモンのコアラのマーチでもてなしてくれた。三人とも日本の漫画アニメ、小説や音楽、あと福原愛ちゃんが好きだと言って、集めたグッズを見せてくれた。夜まで話して、福建さんの手料理をごちそうになって、「一人出てったばかりでベッドひとつ空いてるから、こっちで寝たらいいよ」と泊めてもらった。」
このあと彼女は香港さん、福建さん、黒龍江さん、の中国三人娘に助けられ、黒龍江さんは頼んでもいないのにタイと韓国にヤキを入れて土下座させている。中国は味方にすると心強いかも? 今の日本の若者は本当に素直ですが、だからこそ世界中の人と仲良くなれるのかもしれません。
http://blog.livedoor.jp/nagashiyomi/archives/4838807.html
ソフトパワーとよく言われますが、日本人であるということだけで信頼されている。日本の悪口を言うばかりの韓国人はよけいに嫌われる。そもそも慰安婦問題などアメリカ人にはどうでもいい話。とはいっても韓国の嘘八百は否定し続けないと事実として定着するかもしれません。中国のように駐韓国大使は駐北朝鮮大使よりも格下にするというようなあからさまな差別を見せつけないと韓国はとどまるところなくつけあがる。
戦前の朝鮮総督府に宛てた訓令で、朝鮮人は常に叱責せよ(褒めるとつけ上がる)、といったものがあったとか。国民性は百年やそこらでは変わりませんね。
(PB生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)「香港さん、福建さん、黒龍江さん」とは、じつに象徴的ですね。香港は国際都市ゆえにビジネスマナーがよく、福建は台湾の対岸、親日感情が強い。また黒龍江省は残留孤児のメッカ。日本の農村への花嫁もおおく、黒竜江省からだけで日本へ移住組は十万人ですし。
それもアニメが取り持つ縁とは。
それにしても世界的に日本のアニメが席巻して、日本の勝利という人が多いのですが、アニメは果たして日本文化なのでしょうか? ポケモンが日本文化である等と言われると、誇りにはしたくない。しかし有明ビッグサイトのアニメショー、すごい人出が予測されるそうです。
http://blogs.wsj.com/scene/2012/03/22/tokyos-anime-fair-kicks-off/
ウォールストリートジャーナルやNYタイムズまで、上のように大きく報道されています。漫画の主人公のコスチームを着た少年少女等が、わけのわからない唄を唱っていて、そこに数百の観衆があつまっている場面を(日本ではなく)中国のあちこちで目撃したことがあります。
それを見たとき、ゾッと悪寒が走りました。が、なるほど今回のアニメショー、海外89社の参加のうち、半分以上の48社が中国の由。猛追ぶりがわかります。
△○ □◇ ○□ △◇
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http://blog.goo.ne.jp/pandiani/
でもこの読者さんと同様な意見が載った。
『政府が中国に遠慮するのは百歩譲ってわかるにしても、なんで朝鮮なんかに強く出られないの?上下関係はっきりさせないとつけあがる程度低い集団だよ?』
金曜日, 3月 23, 2012
水曜日, 3月 21, 2012
3月18日にカーネルさんのてるてる房’sにお邪魔した。sunyouさんのブログでこの日のイベント紹介を受けての参加である。たまたま近くのレッドバロンでオイル交換時期でもあり、今年に入って月一回くらいのペースでお邪魔していたので、三月はまだ行っておらず丁度良い機会とばかり、参加することになった。前回の房総ツーリングに参加予定でも仕事が入り行けず、
shoさん達とももう二年もご無沙汰していて完全に忘れ去られた存在と化していた。
いままで、一度だけバイクナビにカーネルさんのお店の住所を入れて初訪問した以外は、土地勘のある場所だったので、仕事やレッドバロンとの関係でナビなしでお伺いしていたが、一度もshoさんたちと遭遇することもなく、単独あるいはバイト氏とふたりで昼食に寄るだけだった。今回もshoさんは帰省の計画がおありということで、無理らしいと当初は思っていたが、sunyouさんが正式に今回のツー計画の断念(もちろん、車でご参加は表明)された土曜日には、もし、天気がなんとか持てばshoさんともお会いできるかも!?という期待もどことなく芽生えていた。しかもsunyouさんから、どっちが先に着くかは不明ですが11時を目指して、などとコメントを頂いていたので、バイクナビに再登録して、早めにスタートしていたので到着は10時40分頃となり11時一寸前にダンディなスタイルでsunyouさんが車で登場、その直後から皆さん連続してご登場となった。
syuさんとは初対面。またSTiさんとも初対面なのだが、双方知らずに昨年10月23日にここのお店で遭遇していた。カーネルさんがどちらさんで!?とお聴きしたときSTiという言葉を聞き、イメージと実際が重なった。認識する前から顔つきがダエグさんもそうだが、中年バイクライダー然とされたお二人だな〜とは感じていたが、え〜、やっぱりそうなんだ〜とその時思った。
STiさんのブログも、ブックマークにかなり前から登録してあったが、忙しいのと実際にはお会いしていなかったので、あまり拝見して来なかった(大汗!)。10月23日の双方のブログには、双方のイメージ、
私のにはバイク画像が、STiさんのには店内の隅に私が写り込んでしまっている。私も撮られたことまで気づかなかった。
http://yhsvtex.blogspot.jp/2011/10/blog-post_23.html
sunyouさんからのコメントの後からshoさんからもコメントを頂いた。
『ワタシもお二方のブログを拝見して、お互い気づいてないなぁ~と思ってました(笑)
STiさんとダエグさんは、うちから割と近くですよ。
あの生姜焼き定食がワンコインはかなりの満足ですよね^^ 』などと‥。
最初にsunyouさんから紹介された時よりも店内のテーブルが大卓から小卓に変わったりしたので、何人ぐらい集まるか心配だったが、皆残った大卓に仲良く詰めて座った。私の左がsunyouさんで右がshoさんで心強かったし、かねごんさんの近況などもお聞きすることが出来た。皆全員カツカレー注文となり、最初に到着した方から三皿づつ時間差でていきょうされたので、お先に失礼と頂いた。こういう風に集まると、私も大盛りにすれば良かったなどと思った。細かな時間差は忘れてしまったが、最後にアッターさんの日記のアッターさんとマーシさんが到着。
http://blogs.yahoo.co.jp/skyawata
こちらは先に食べ終わり皆さんの話しを聞くともなく聞いていた。久しぶりお会いできたshoさんとは、昔どおりのイメージで頼もしかったが、こちらはいろいろな事情で殆ど参加できなかったので、後ろめたい気持ちが終始先行してしまったが、shoさんのキャラに救われた感じであった。hiroさんも参加したかった筈だけど、来れなかったらしくちょっと残念。syuさんからは、いろいろと情報を提供していただいて感謝。たかぼおさんの話題もちらりと出た。GTOさんの話題も高速道関連で話題となった。
やはり、ライダー達の情報は小まめにチェックしておく習慣を付けないとまずいな〜と反省しきり(大汗)でも楽しいひとときであった。午後の降水確率の関係で、早めに切り上げたのは残念、その後二輪組は予想より早い降水に会いながら帰還したのだった。sunyouさんの判断の正しさが証明された午後の天気であった。
最後に久しぶりにshoさんのマシンの気になっていたところをチェック。チェーンには少量のオイルは使用しているとの事だった。10万キロ近くともなれば、シートの性状や劣化の問題もあり、すべり難い材質のシートに換装済みであった。
その他、気になるハンドル周りの補修もきれいに丁寧に処理されており、マーシさんたちも補修のうまさはshoさんの特技といったような意味合いの言葉を発しておられた。
この日、満タンでスタートした燃費は濡れて帰宅したときでほぼ18।xで18キロちょっと。連続走行の割には意外に良くないが、299号での超渋滞や最後の圏央道で飛ばしたりと納得の数値。
で、家に帰ってお決まりのポケットWiFiを充電しようと胸に手をやるとナイッ!!。実は家の光回線を解約したので、アレがないと何も出来ない。すぐにカーネルさんとこのテーブル脇に置き忘れに気づいた。慌てて連絡をとろうとしたら、sunyouさんからカーネルさんに連絡されたしの伝言を頂いていた。で、iPhoneでカーネルさんの電話番号を探そうとしたが無理だったので、直接sunyouさんから携帯を教えて頂き、連絡を取った。両氏に感謝いたします。ぺこり。
まだ、17時30分過ぎだったので、再度取りに伺いますと連絡したらOKとの事だったので、東松山から高速を使って北上。ニコニコしていただいたカーネルさんと再会。店は夜9時近くまで営業しているとの事で、またストーブを付けていただき、小一時間ダベリング。安心すると急に腹も減っていることに気づき何かな〜い?とおねだりしたら、ライスは今日はもう品切れだとか。ふとメニューに目をやるとカレーうどん¥500とあったので、それならできますよととの事。早速注文して頂いたが、麺は腰があって、カレーは例の味だから、空きっ腹にはうまいの何のって。初めていただく新味でした。カーネルさん、ありがとうございました。
帰りも高速を使って帰った。来る時から上り方向が渋滞気味だったが、花園あたりから速度20〜40キロで時々車列は停止中となり、しかたなく嵐山で降りて下道で帰った。
二度目の往復で140キロ程。水曜日の夕方に通勤を含め300キロ近く走って満タン燃費を見たら、今回は19.06と近年久々の19キロをやっとオーバーした。
木曜日, 3月 15, 2012
以前この拙ブログでは初めて雅子妃の父君である小和田氏のことをちょこっと触れた。
『ご成婚当初は、小和田家の家風については善意に解釈していたが、どうもここ数年雅子妃のご病気をはじめ、小和田家に関する評判がどうもよろしくない気がする。
http://yhsvtex.blogspot.com/2009/09/
自民党がかくも劣化したのは、外務官僚や政治家に親中派が台頭してきたからだという指摘も
新鮮だ。(屋山太郎、WILL11月号、23頁)
小和田恆条約局長、後藤田官房長官時代以降、保守党の精神はねじ曲がり、公明党と連立を組むに至ってどどめをさされた。自民党の再興は遠い、とある。
雅子妃の父親の家風が皇室と正反対なのが、ご病気の遠因だろうとは、いろいろ取りざたされている。これ以上は、「雅子妃のご病気と小和田王朝」をご覧下さい。(前掲書)』
と引用したりしたのだが、この問題、故後藤田氏ともからんでいるようである。
http://yamaji.iza.ne.jp/blog/
によると『後藤田正晴の危機管理
もともと中国共産党の手先であった後藤田正晴は、晩年三菱東京UFJ銀行本店内に事務所を置き、日本国にある現金(円、ドル、その他)を中国共産党にやった。そのため日本国に現金が無くなっていった。
そこで後藤田は、3000兆円の特別資金を日本国に持ち込もうと企て皇太子の岳父小和田恆氏を誘い、皇太子の実印をとり更 に今上天皇の印を偽造して使用し、元日銀総裁の三重野康氏をイギリスに派遣して、特別資金を管理する本部のあるイギリスの銀行に行かせ、偽造した文書によ りこの金をとろうとした。‥‥』などとあるのには仰天した。
『しかし今上天皇の偽造印を見破られたことを察知した三重野氏は変装してドーバー海峡を汽車でフランスに逃げた。フランスに 三重野氏を迎えに来ていたのが小和田氏だった。小和田氏の前で捕まった三重野氏はヨーロッパに拘束された。その間に妻が死亡した。葬儀にも出られなかっ た。』などとも書かれている。
この記事は半年あまり前からネットに出ておりその後も消されていないので、どうも全くのガセではないようにさえ思っている。それにしても今回尖閣諸島だけは領有の命名権を留保したりと日本政府のいいかげんさに驚いているが、それも皆中曽根内閣時代以前から培われた外務官僚の反日眉中ぶりに起因するものだろうと改めて東京裁判史観に裏打ちされた東大のある一派の影響が半世紀を経ても色濃く官僚の脳髄を犯していることに愕然とする。
その後、後藤田氏がぬすんだ金がどうなったかまで書かれているので是非一読を乞うしだいである。
http://www.nishiokanji.jp/blog/
西尾幹二氏のインターネット日録を読むと、『『週刊新潮』(2月23日号)に「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します。』とあり、「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事
という記事がある。
『妃殿下は果して親孝行をしたのか、それとも親不幸だったのか。私の判定は後者だが、そう思うのは戦後史に迎合して必死に生きた小和田氏の生涯に多少とも憐れみを覚えているからである。』という。
すでに渡部昇一上智大名誉教授による指摘などから、小和田氏が典型的な戦後左翼思想の持ち主であるという国会答弁などでの事例紹介によりビックリしていたのであるが、『評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。』と西尾氏も週刊新潮で発表された由である。
そこにはそうした結論に至った経緯が述べられている。
『 私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。』
『 小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディギャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。』
と指摘しておられるが、渡部名誉教授もだいぶ前からこの小和田氏の答弁を問題視されていた。
西尾氏は100%解釈の間違いの理由を述べた後、
『要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。』と指摘されている。
『傲慢で権威主義者
1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。』などとも書かれている。
『理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。』
『自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である。』
『 皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。』などなど結局師の横田喜三郎教授の思想に無批判に権威主義的に染まりきった小和田氏の人格のなせる技ではないかとの指摘であり同感を禁じ得ない。いやはや、恐れ入った皇室とは正反対のお人なりなのであり、この点が天皇も無理して雅子妃を迎えるべく外務省高官たちに打診されたりした過去があるだけにご心痛の極みにあられるものと拝察するのである。
正田家と小和田家とはかくも別格の思想の違いがあるのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/横田喜三郎
http://ameblo.jp/hinoeuma-v/entry-10911473287.html
『ご成婚当初は、小和田家の家風については善意に解釈していたが、どうもここ数年雅子妃のご病気をはじめ、小和田家に関する評判がどうもよろしくない気がする。
http://yhsvtex.blogspot.com/2009/09/
自民党がかくも劣化したのは、外務官僚や政治家に親中派が台頭してきたからだという指摘も
新鮮だ。(屋山太郎、WILL11月号、23頁)
小和田恆条約局長、後藤田官房長官時代以降、保守党の精神はねじ曲がり、公明党と連立を組むに至ってどどめをさされた。自民党の再興は遠い、とある。
雅子妃の父親の家風が皇室と正反対なのが、ご病気の遠因だろうとは、いろいろ取りざたされている。これ以上は、「雅子妃のご病気と小和田王朝」をご覧下さい。(前掲書)』
と引用したりしたのだが、この問題、故後藤田氏ともからんでいるようである。
http://yamaji.iza.ne.jp/blog/
によると『後藤田正晴の危機管理
もともと中国共産党の手先であった後藤田正晴は、晩年三菱東京UFJ銀行本店内に事務所を置き、日本国にある現金(円、ドル、その他)を中国共産党にやった。そのため日本国に現金が無くなっていった。
そこで後藤田は、3000兆円の特別資金を日本国に持ち込もうと企て皇太子の岳父小和田恆氏を誘い、皇太子の実印をとり更 に今上天皇の印を偽造して使用し、元日銀総裁の三重野康氏をイギリスに派遣して、特別資金を管理する本部のあるイギリスの銀行に行かせ、偽造した文書によ りこの金をとろうとした。‥‥』などとあるのには仰天した。
『しかし今上天皇の偽造印を見破られたことを察知した三重野氏は変装してドーバー海峡を汽車でフランスに逃げた。フランスに 三重野氏を迎えに来ていたのが小和田氏だった。小和田氏の前で捕まった三重野氏はヨーロッパに拘束された。その間に妻が死亡した。葬儀にも出られなかっ た。』などとも書かれている。
この記事は半年あまり前からネットに出ておりその後も消されていないので、どうも全くのガセではないようにさえ思っている。それにしても今回尖閣諸島だけは領有の命名権を留保したりと日本政府のいいかげんさに驚いているが、それも皆中曽根内閣時代以前から培われた外務官僚の反日眉中ぶりに起因するものだろうと改めて東京裁判史観に裏打ちされた東大のある一派の影響が半世紀を経ても色濃く官僚の脳髄を犯していることに愕然とする。
その後、後藤田氏がぬすんだ金がどうなったかまで書かれているので是非一読を乞うしだいである。
http://www.nishiokanji.jp/blog/
西尾幹二氏のインターネット日録を読むと、『『週刊新潮』(2月23日号)に「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します。』とあり、「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事
という記事がある。
『妃殿下は果して親孝行をしたのか、それとも親不幸だったのか。私の判定は後者だが、そう思うのは戦後史に迎合して必死に生きた小和田氏の生涯に多少とも憐れみを覚えているからである。』という。
すでに渡部昇一上智大名誉教授による指摘などから、小和田氏が典型的な戦後左翼思想の持ち主であるという国会答弁などでの事例紹介によりビックリしていたのであるが、『評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。』と西尾氏も週刊新潮で発表された由である。
そこにはそうした結論に至った経緯が述べられている。
『 私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。』
『 小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディギャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。』
と指摘しておられるが、渡部名誉教授もだいぶ前からこの小和田氏の答弁を問題視されていた。
西尾氏は100%解釈の間違いの理由を述べた後、
『要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。』と指摘されている。
『傲慢で権威主義者
1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。』などとも書かれている。
『理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。』
『自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である。』
『 皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。』などなど結局師の横田喜三郎教授の思想に無批判に権威主義的に染まりきった小和田氏の人格のなせる技ではないかとの指摘であり同感を禁じ得ない。いやはや、恐れ入った皇室とは正反対のお人なりなのであり、この点が天皇も無理して雅子妃を迎えるべく外務省高官たちに打診されたりした過去があるだけにご心痛の極みにあられるものと拝察するのである。
正田家と小和田家とはかくも別格の思想の違いがあるのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/横田喜三郎
http://ameblo.jp/hinoeuma-v/entry-10911473287.html
差出人: 有)宮崎正弘事務所 [メルマ!:00045206]
件名: 宮崎正弘の国際ニュース・早読み(中国湖南省武漢の新幹線工事現場での事故続報)
日時: 2012年3月14日 5:03:03 JST
中国新幹線地盤崩落 続報
武漢近郊で7・2キロのレール軌道が豪雨で沈下、補修に一ヶ月以上
****************************************
小誌3583号の速報に続いて事故の詳細が判明した。
湖北省武漢から重慶へいたる新幹線区工事は、昨年7月の温州における脱線事故以来、全面点検のため、いったん工事は中断されていた。
再開された武漢―宜昌新幹線工事が崩落事故にあった。
第一報の鉄橋崩落事故ではなく、豪雨による軌道の沈下事故だったようだ。
現場は7・2キロに及び、建設担当の中国鉄道局湖北省鉄建局は「武漢から宜昌までの291キロの区間工事の湖南省現場で地盤の沈下があり、補修補強工事に一ヶ月がかかる」と記者会見した。
中国のメディアは「豪雨で軌道沈下なら危なくて乗れない」「砕石工事を土盛りで手抜きしているのではないか」などの批判が集中している。
○ ○○ ◎◎ ◎
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◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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やっかいな隣人たちの真実の部分は、こういう歴史だった
簡潔に中国史の闇を照射、じつに多民族の、非中国人の王朝が続いたのだ
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岡田英弘『読む年表 中国の歴史』(ワック)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
岡田歴史学の精髄がコンパクトな一冊となって、或いはこれだけ読んでも、隣国・中国のややこしくみえた王朝変遷史の本質がたちどころに把握できる。
まったくの快著である。
『中国』という国家は存在しなかった。存在したのは秦、漢、隋、唐、元、明そして清という異種族王朝の興亡であり、皇帝・眷族・傭兵・奴隷という単純な図式。
そもそも科挙とは「中国におけるエスペラント語」(官語)をあやつる人々である、というのは評者(宮?)の総括だが、科挙の制度は、この中国版エスペラント語の達人を選ぶ試験であり、古今東西の古典に通じ、暗記する能力があった。
異種同士でも共通の会話が成立したのは、人口の言葉を合成し、それでコミュニケーションを展開しかなかったからだ。したがって中国語には語彙もすくなく、前置詞は僅か、助詞は不要、形容動詞がない。形容詞にしても微細は表現力が乏しく、もっと言えば情感を表す言語体系ではない。
だから恋愛小説は成り立たない。
しかし北京語が全国を支配した二十世紀に科挙制度は無用の長物となった。
日本人が抱いてきたロマンティックな印象や文明的先輩と誤解した中国への憧れも、岡田歴史学にかかるとたちどころに海の藻屑のごとく、意義が減退する。
『三国志』のなかに、魏志倭人伝が挿入されているが、
「これは『三国志』の魏書(一般的に「魏志」と略される)第三十巻「鳥丸、鮮卑、東夷伝」第二部「東夷伝」に記されている東北アジアの七種族の最後に登場する『倭人』の部分」でしかない。
日本の歴史家らが、この部分だけを取り出して、邪馬台国の場所を探しているが、まったくナンセンスであると岡田先生の舌鋒は鋭い。
「韓半島の帯方郡から邪馬台国にいたる道筋と里程が明瞭にしるされているが、その通に計算すると、邪馬台国は台湾、あるいはグアム島あたりに位置する」。
執筆の意図は「邪馬台国を敵国・呉の背後でにらみをきかせる熱帯の大国にする」必要性があったのだ。人口さえ「卑弥呼が遠方の大国の君主だというフィクションをささえるためにでっちあげられたもの」でしかない。
魏志倭人伝はそういう政治的意図の書である。
隋も唐も鮮卑系であり、「その帝室は鮮卑系の王朝であった北魏、西魏、北周の鮮卑族と鮮卑化した集団のなかから産まれた。いずれの王朝も、北周の根拠地であった陝西省に本拠をおく一方、交通の要衝である洛陽盆地と華中の生産力の中心をむずぶ大運河によって南方、南方への勢力を維持した」のが仕掛け。
驚くべき史実を岡田先生はさりげなく次のように書かれる。
「隋・唐時代の中国人はもはや二世紀の末に殆ど絶滅した秦、漢時代の中国人の子孫ではない。北方から移住した遊牧民、狩猟民の子孫がとってかわっている。だから現代の中国人も、じつはもともと非中国人たちの子孫なのだ」
明の興亡についても、こうまとめられる。
「失業者だった李自成という漢人が反乱軍の指導者となって各地の盗賊団を傘下にいれ」やがて「北京に向かい、山西省の太原、大同、宣府を」落とした。こうして「二百七十六年前に乞食坊主の朱元章が皇帝にのぼりつめて建国した明朝は、おなじ盗賊団に追い詰められて勝手に滅びた」
混乱をみて山海関を開き、満州軍を招きよせたのが呉三桂、呉は中国人にとっての裏切りの代名詞だが、機を見るに敏な、その辺にゴロゴロといる漢人のひとりにすぎない。この呉・満州連合軍に大敗した李自成は「紫禁城の宮殿であわてて即位して皇帝をなのっておいてから宮殿に火を放ち、椋奪した金銀を荷車に満載して北京を脱出」した。
李自成は「湖北の山中に逃げ込んで盗賊団の首領に逆もどりしたあげく、農民の自警団に殺された」。
こうして明は滅びた。
かくて中国史を美化してきた戦後のシナ学の人々が真っ青になる内容、目から鱗が落ちる連続。中学生以上の子供の副読本として一家に一冊、常備薬のように。
○○○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読者の声 READER‘S OPINIONS どくしゃのこえ 読者之声
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪
(読者の声1)先日、こう書きました。「ただいま、午後7時のNHKニュースを見ていた折、なでしこジャパンとアメリカの試合を放送しているのをたまたま見ました。国同士の試合です。ともに国歌を歌います。しかしNHKニュースではアメリカ選手が国歌を歌う場面はあっても、日本選手が国歌を歌う場面は放送しませんでした。公共放送を自認するからには言語道断です! さっそく抗議しました。どういう理由なのか、返事をするように強く抗議しました。どのような返事が来るか楽しみです。」
このように3月6日の夜にNHKに抗議しました。
その返事は翌日でした。
抗議文に対しては定型文があるようで、無味乾燥なものです。しかし重要な文言がありました。
「NHKでは、放送にあたっては国内番組基準を設け、この中で、全国民の基盤に立つ公共放送の機関として、何人からも干渉されず、不偏不党の立場を守って、放送による言論と表現の自由を確保し、豊かで、よい放送を行うことを明記しています。この基準に基づいて、報道の担当責任者が具体的な対応を判断してニュースおよびニュース番組を制作しています。」
です。
「全国民の基盤に立つ公共放送」ですよね?
それで私はもう少し内容のあることがを聞きたいとメールしました。
その返事がこうです。
「お問い合わせの件について、あらためてご連絡いたします。日本時間の3月6日(火)、世界ランキング3位の日本は、 世界ランキング1位のアメリカと対戦し、1対0で勝って、決勝に進みました。日本にとっては、1986年に初めて対戦して以来、26戦目、そして、26年目での 初勝利という歴史的なできごとでした。NHKでは、放送権を持つ民放から、午前3時から分岐された映像をもとに、直近のニュース番組、『おはよう日本』で、日本が勝ったというニュースをストレートに伝えるべく、国歌・君が代が会場内に流れる様子を伝える映像を使用し、アメリカ国歌は使用しませんでした。ご指摘のあった、夜7時のニュース(『ニュース7』)は、『おはよう日本』のニュースから12時間が経過しています。このため、限られた映像の中からではありますが、「見た目」や「視点」に変化を持たせることで、『おはよう日本』とは印象の違う放送をめざし、「世界ランキング1位と格上のアメリカに対し、澤を体調不良で欠く布陣の日本は、佐々木監督の絶妙な采配で勝った」
という視点でお伝えしました。
この過程で、『おはよう日本』との違いを際だたせるため、「世界ランキング1位のアメリカ」の国歌を初めて使用し、以後、日本がどう戦ったか、ディティールにこだわった制作となりました。NHKの1日の放送の中で、同じような作りのビデオを放送しますと、視聴者の皆さまに「手抜きをしている」という誤解を与えかねず、今回のような演出に至った以上の経緯をご理解いただければ幸いです。」
この返事に関して私は以下のように質問し直しました。
「試合の翌朝の「おはよう日本」では君が代が流れる場面を放送したと弁解しておられますが、それはおかしいのではありませんか。朝の七時に起きている日本人はいるでしょうが、出勤に忙しい人が多いです。それより夜に帰宅してゆっくりとニュース番組を見たい人が多いはずです。夜七時のニュースはそういう日本人には最適のはずです。
「NHKの1日の放送の中で、同じような作りのビデオを放送しますと、視聴者の皆様に『手抜きをしている』という誤解を与えかねず」というあなたの返事はなんですか!?
NHKは日本国民の血と汗で稼いだ収入の一部をいただいて放送している公共放送でしょう? いつでも24時間、「手抜きせず」日本国民のための放送を心掛けるべきではありませんか?」
これに対するNHKの返事は以下のようでした。
「何度もお問い合わせていただきまして、誠に申し訳ございません。お問い合わせにつきましては、繰り返しのお返事となりますが、前回お答えしたとおりです。何卒、ご理解のほどお願い申し上げます。」
私は思います。「全国民の基盤に立つ公共放送」である公共放送が、手抜きせずに日本国民のための放送を心掛けるべきという私の質問に具体的に答えないというのは何なのでしょうか。
簡単なことなのに「はいごもっともです、これからはそう心掛けたいと思います」とさえ答えられない回答者の背後に、回答を指示している歯だけがニヤニヤ光っている真っ黒いイメージの人物群がいるような気がするのは私だけでしょうか。
「ご理解のほどお願い」と言われて「はい分かりました」といえるでしょうか。
「日本国民の血と汗で稼いだ収入の一部」で運営されているはずのNHKが「一部の国民」に壟断されているとしたら、我々のような者が汗をかいて稼いだ収入から受信料を払うのだったら、どんな意味があるのでしょうか。
或る方から聞いたことがあります。竹田恒泰氏のご両親は、NHKの君が代放送に直立しておられたそうです。これが本当の日本国民でしょう。臣民ではないですか!
臣民に仕えないNHKにどんな存在の意味があるのでしょうか?
こちらが問い合わせ先です。
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/index.html
(田中秀雄)
♪
(読者の声2)中国南車株機が自主開発・製造した都市間高速鉄道車両が8日、マレーシアのクアラルンプールで運行を開始したそうです。
自称「自主開発」らしいですが、輸出した高速列車は228両。バナナの叩き売り交渉だったのか、マレーシアがいくらで買ったか気になるところです。
いずれにせよマレーシアが高いリスクを背負ったのは間違いないとおもいますが、どうでしょう。
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/291901/
(naka)
(宮崎正弘のコメント)中国とマレーシアは「通貨スワップ」協定を結んでいますから、人民元で支払い、相対額のマレーシア・リンギッドで余剰分が、これから中国からマレーシアから輸入する代金となるスキームを利用したのかもしれません。或いは、中国の銀行の特融を受けている可能性も大です。
♪
(読者の声3)大震災から一年、台湾からの義捐金が突出して多かったことは日本と台湾の絆の強さをあらためて認識させる出来事でした。
日本政府は各国からの支援に対し感謝広告を現地の新聞に掲載しましたが、台湾では中国に配慮してか感謝広告はなし。それに反発した民間有志が寄付金を募り感謝広告を掲載したことは台湾メディアでも大きく取り上げられました。
http://www.youtube.com/watch?v=ya8wkUagSME
一方、韓国では火事場泥棒的に竹島の実効支配強化、という事実を報じる関西のテレビ、在日が多い土地柄だけにタブー扱いせず韓国に対しても容赦なく批判する。
義援金を撤回したばかりか、そのお金を竹島実行支配強化のために資金流用した、など東京のメディアではほとんど報じられません。
菅前首相についても、「子供にランドセルを背負わせるのは伊達直人、国民に借金を背負わせるのは菅直人」など大阪らしいツッコミが満載で、現在の橋下人気の底流に国政不信があることがうかがえます。
http://www.youtube.com/watch?v=Nnvnrf23h2Q&feature=related
韓国が政権末期の反日症候群に陥っているなか、台湾からの救援隊を二日も待機させ、中国・韓国からの救助隊を副大臣が出迎えた民主党政権、韓国主要紙に「最初に温かい手を差し伸べてくれた韓国国民の皆さんを日本国民は永遠に忘れない」との感謝広告を掲載しました。
セブンイレブンの国別義援金で一位はダントツで台湾の3億円、韓国はこれまたダントツの最下位で74万円。昨年十二月の日韓首脳会談での異様なまでの慰安婦問題提起はテレビ朝日ですら「恫喝」と報道したほどで、『3・1運動』の93周年記念式典での慰安婦問題発言も「国内向けの発言」と一蹴。テレビ朝日はどうかしたのか、と思えるほどまともになっています。
中国の南京事件カードが無効になりつつあるように韓国の慰安婦カードも賞味期限切れなのですね。
日本の若い世代は新聞を読まないと批判されることも多いですが、朝日新聞の洗脳から自由であることがこれからの日本を変えていくことになるのでしょう。こんな流れの中で台湾の交流協会(大使館)が「ありがとう、台湾」のテレビCMを制作、主要局で放映しました。
謝謝台湾 日本311大震災一周年 元氣篇 30S B
http://www.youtube.com/watch?v=_avc3XTaDDM
謝謝台湾 日本311大震災一周年 元氣篇 30S A
http://www.youtube.com/watch?v=yvYqVp5Vh2k
謝謝台湾 日本311大震災一周年 元氣篇 60S
http://www.youtube.com/watch?v=gzCUXwSwmfM
謝謝台湾 日本311大震災一周年 元氣篇 4M50S
http://www.youtube.com/watch?v=rB36inEK__s
交流協会がいい仕事をしている中、震災一周年の記念式典で台湾代表は二階席で献花もさせないという非道な仕打ち。野田首相は国会の答弁で陳謝したようですが、民主党政権が北京に配慮した結果なのでしょう。
ところで佐藤守氏のブログに中国次期主席がほぼ確定した習近平氏夫人の母と兄は台湾に住んでいて、習氏と馬氏は同郷の友だともいうから、これで台湾併合は決まりだとあきらめている台湾の友人もいる、とありました。本当なのでしょうか?
(PB生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)まず後節の噂ですが、まったくのガセです。習近平の母、斉心は、最大のブレーン、健在で、もちろん中国に住んでいます。兄は異母兄、父の前妻には三人の子供があり、男は一人のはずですが異母兄弟と習近平一家とは交流がないようです。
父親の習仲勲は1963年に失脚し、1978年に復活、2002年死去です。つまり失脚の十五年間、一家は辛酸をなめた。
習仲勲と斉心(後妻、延安時代の同士)とのあいだには男女ふたりづつ、合計四人兄弟で、姉たちは今では香港で不動産開発、弟の習遠平も国際ビジネスに手を染めています。三人とも外国籍パスポートを持っているらしい。
台湾総統の馬英九は香港生まれ、習は陝西省生まれ。要素をつめあわせても、台湾併合へのシナリオは成り立ちにくいでしょう。ただし噂の出所は不明にせよ、習近平は北京に凱旋する前が上海書記、その前が浙江省書記、その前が福建省に十余年、福州市副書記、厦門書記などをつとめ、台湾企業の誘致に精力的、積極的でしたから、台湾ビジネスマンとの交流は深い。福建省は目の前が台湾ですから。
さて先週、小生も台湾に四日ほど滞在しておりましたが、食堂で相席の台湾人、小生が日本人とわかると、まるで同胞のような情感で311一周年の見舞いを言われました。若い人は日本語が喋れませんが、親日感情は仕草でもわかります。台湾マスコミも国民党系列のメディアも「311特集」で、テレビも盛んに日本同様の番組でした。
台湾へ毎年、120万人もの日本人が訪れますが、誰もが中国大陸での体感と異なる経験、よい思い出を抱いて帰国するようです。
□□
件名: 宮崎正弘の国際ニュース・早読み(中国湖南省武漢の新幹線工事現場での事故続報)
日時: 2012年3月14日 5:03:03 JST
中国新幹線地盤崩落 続報
武漢近郊で7・2キロのレール軌道が豪雨で沈下、補修に一ヶ月以上
****************************************
小誌3583号の速報に続いて事故の詳細が判明した。
湖北省武漢から重慶へいたる新幹線区工事は、昨年7月の温州における脱線事故以来、全面点検のため、いったん工事は中断されていた。
再開された武漢―宜昌新幹線工事が崩落事故にあった。
第一報の鉄橋崩落事故ではなく、豪雨による軌道の沈下事故だったようだ。
現場は7・2キロに及び、建設担当の中国鉄道局湖北省鉄建局は「武漢から宜昌までの291キロの区間工事の湖南省現場で地盤の沈下があり、補修補強工事に一ヶ月がかかる」と記者会見した。
中国のメディアは「豪雨で軌道沈下なら危なくて乗れない」「砕石工事を土盛りで手抜きしているのではないか」などの批判が集中している。
○ ○○ ◎◎ ◎
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◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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やっかいな隣人たちの真実の部分は、こういう歴史だった
簡潔に中国史の闇を照射、じつに多民族の、非中国人の王朝が続いたのだ
♪
岡田英弘『読む年表 中国の歴史』(ワック)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
岡田歴史学の精髄がコンパクトな一冊となって、或いはこれだけ読んでも、隣国・中国のややこしくみえた王朝変遷史の本質がたちどころに把握できる。
まったくの快著である。
『中国』という国家は存在しなかった。存在したのは秦、漢、隋、唐、元、明そして清という異種族王朝の興亡であり、皇帝・眷族・傭兵・奴隷という単純な図式。
そもそも科挙とは「中国におけるエスペラント語」(官語)をあやつる人々である、というのは評者(宮?)の総括だが、科挙の制度は、この中国版エスペラント語の達人を選ぶ試験であり、古今東西の古典に通じ、暗記する能力があった。
異種同士でも共通の会話が成立したのは、人口の言葉を合成し、それでコミュニケーションを展開しかなかったからだ。したがって中国語には語彙もすくなく、前置詞は僅か、助詞は不要、形容動詞がない。形容詞にしても微細は表現力が乏しく、もっと言えば情感を表す言語体系ではない。
だから恋愛小説は成り立たない。
しかし北京語が全国を支配した二十世紀に科挙制度は無用の長物となった。
日本人が抱いてきたロマンティックな印象や文明的先輩と誤解した中国への憧れも、岡田歴史学にかかるとたちどころに海の藻屑のごとく、意義が減退する。
『三国志』のなかに、魏志倭人伝が挿入されているが、
「これは『三国志』の魏書(一般的に「魏志」と略される)第三十巻「鳥丸、鮮卑、東夷伝」第二部「東夷伝」に記されている東北アジアの七種族の最後に登場する『倭人』の部分」でしかない。
日本の歴史家らが、この部分だけを取り出して、邪馬台国の場所を探しているが、まったくナンセンスであると岡田先生の舌鋒は鋭い。
「韓半島の帯方郡から邪馬台国にいたる道筋と里程が明瞭にしるされているが、その通に計算すると、邪馬台国は台湾、あるいはグアム島あたりに位置する」。
執筆の意図は「邪馬台国を敵国・呉の背後でにらみをきかせる熱帯の大国にする」必要性があったのだ。人口さえ「卑弥呼が遠方の大国の君主だというフィクションをささえるためにでっちあげられたもの」でしかない。
魏志倭人伝はそういう政治的意図の書である。
隋も唐も鮮卑系であり、「その帝室は鮮卑系の王朝であった北魏、西魏、北周の鮮卑族と鮮卑化した集団のなかから産まれた。いずれの王朝も、北周の根拠地であった陝西省に本拠をおく一方、交通の要衝である洛陽盆地と華中の生産力の中心をむずぶ大運河によって南方、南方への勢力を維持した」のが仕掛け。
驚くべき史実を岡田先生はさりげなく次のように書かれる。
「隋・唐時代の中国人はもはや二世紀の末に殆ど絶滅した秦、漢時代の中国人の子孫ではない。北方から移住した遊牧民、狩猟民の子孫がとってかわっている。だから現代の中国人も、じつはもともと非中国人たちの子孫なのだ」
明の興亡についても、こうまとめられる。
「失業者だった李自成という漢人が反乱軍の指導者となって各地の盗賊団を傘下にいれ」やがて「北京に向かい、山西省の太原、大同、宣府を」落とした。こうして「二百七十六年前に乞食坊主の朱元章が皇帝にのぼりつめて建国した明朝は、おなじ盗賊団に追い詰められて勝手に滅びた」
混乱をみて山海関を開き、満州軍を招きよせたのが呉三桂、呉は中国人にとっての裏切りの代名詞だが、機を見るに敏な、その辺にゴロゴロといる漢人のひとりにすぎない。この呉・満州連合軍に大敗した李自成は「紫禁城の宮殿であわてて即位して皇帝をなのっておいてから宮殿に火を放ち、椋奪した金銀を荷車に満載して北京を脱出」した。
李自成は「湖北の山中に逃げ込んで盗賊団の首領に逆もどりしたあげく、農民の自警団に殺された」。
こうして明は滅びた。
かくて中国史を美化してきた戦後のシナ学の人々が真っ青になる内容、目から鱗が落ちる連続。中学生以上の子供の副読本として一家に一冊、常備薬のように。
○○○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読者の声 READER‘S OPINIONS どくしゃのこえ 読者之声
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(読者の声1)先日、こう書きました。「ただいま、午後7時のNHKニュースを見ていた折、なでしこジャパンとアメリカの試合を放送しているのをたまたま見ました。国同士の試合です。ともに国歌を歌います。しかしNHKニュースではアメリカ選手が国歌を歌う場面はあっても、日本選手が国歌を歌う場面は放送しませんでした。公共放送を自認するからには言語道断です! さっそく抗議しました。どういう理由なのか、返事をするように強く抗議しました。どのような返事が来るか楽しみです。」
このように3月6日の夜にNHKに抗議しました。
その返事は翌日でした。
抗議文に対しては定型文があるようで、無味乾燥なものです。しかし重要な文言がありました。
「NHKでは、放送にあたっては国内番組基準を設け、この中で、全国民の基盤に立つ公共放送の機関として、何人からも干渉されず、不偏不党の立場を守って、放送による言論と表現の自由を確保し、豊かで、よい放送を行うことを明記しています。この基準に基づいて、報道の担当責任者が具体的な対応を判断してニュースおよびニュース番組を制作しています。」
です。
「全国民の基盤に立つ公共放送」ですよね?
それで私はもう少し内容のあることがを聞きたいとメールしました。
その返事がこうです。
「お問い合わせの件について、あらためてご連絡いたします。日本時間の3月6日(火)、世界ランキング3位の日本は、 世界ランキング1位のアメリカと対戦し、1対0で勝って、決勝に進みました。日本にとっては、1986年に初めて対戦して以来、26戦目、そして、26年目での 初勝利という歴史的なできごとでした。NHKでは、放送権を持つ民放から、午前3時から分岐された映像をもとに、直近のニュース番組、『おはよう日本』で、日本が勝ったというニュースをストレートに伝えるべく、国歌・君が代が会場内に流れる様子を伝える映像を使用し、アメリカ国歌は使用しませんでした。ご指摘のあった、夜7時のニュース(『ニュース7』)は、『おはよう日本』のニュースから12時間が経過しています。このため、限られた映像の中からではありますが、「見た目」や「視点」に変化を持たせることで、『おはよう日本』とは印象の違う放送をめざし、「世界ランキング1位と格上のアメリカに対し、澤を体調不良で欠く布陣の日本は、佐々木監督の絶妙な采配で勝った」
という視点でお伝えしました。
この過程で、『おはよう日本』との違いを際だたせるため、「世界ランキング1位のアメリカ」の国歌を初めて使用し、以後、日本がどう戦ったか、ディティールにこだわった制作となりました。NHKの1日の放送の中で、同じような作りのビデオを放送しますと、視聴者の皆さまに「手抜きをしている」という誤解を与えかねず、今回のような演出に至った以上の経緯をご理解いただければ幸いです。」
この返事に関して私は以下のように質問し直しました。
「試合の翌朝の「おはよう日本」では君が代が流れる場面を放送したと弁解しておられますが、それはおかしいのではありませんか。朝の七時に起きている日本人はいるでしょうが、出勤に忙しい人が多いです。それより夜に帰宅してゆっくりとニュース番組を見たい人が多いはずです。夜七時のニュースはそういう日本人には最適のはずです。
「NHKの1日の放送の中で、同じような作りのビデオを放送しますと、視聴者の皆様に『手抜きをしている』という誤解を与えかねず」というあなたの返事はなんですか!?
NHKは日本国民の血と汗で稼いだ収入の一部をいただいて放送している公共放送でしょう? いつでも24時間、「手抜きせず」日本国民のための放送を心掛けるべきではありませんか?」
これに対するNHKの返事は以下のようでした。
「何度もお問い合わせていただきまして、誠に申し訳ございません。お問い合わせにつきましては、繰り返しのお返事となりますが、前回お答えしたとおりです。何卒、ご理解のほどお願い申し上げます。」
私は思います。「全国民の基盤に立つ公共放送」である公共放送が、手抜きせずに日本国民のための放送を心掛けるべきという私の質問に具体的に答えないというのは何なのでしょうか。
簡単なことなのに「はいごもっともです、これからはそう心掛けたいと思います」とさえ答えられない回答者の背後に、回答を指示している歯だけがニヤニヤ光っている真っ黒いイメージの人物群がいるような気がするのは私だけでしょうか。
「ご理解のほどお願い」と言われて「はい分かりました」といえるでしょうか。
「日本国民の血と汗で稼いだ収入の一部」で運営されているはずのNHKが「一部の国民」に壟断されているとしたら、我々のような者が汗をかいて稼いだ収入から受信料を払うのだったら、どんな意味があるのでしょうか。
或る方から聞いたことがあります。竹田恒泰氏のご両親は、NHKの君が代放送に直立しておられたそうです。これが本当の日本国民でしょう。臣民ではないですか!
臣民に仕えないNHKにどんな存在の意味があるのでしょうか?
こちらが問い合わせ先です。
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/index.html
(田中秀雄)
♪
(読者の声2)中国南車株機が自主開発・製造した都市間高速鉄道車両が8日、マレーシアのクアラルンプールで運行を開始したそうです。
自称「自主開発」らしいですが、輸出した高速列車は228両。バナナの叩き売り交渉だったのか、マレーシアがいくらで買ったか気になるところです。
いずれにせよマレーシアが高いリスクを背負ったのは間違いないとおもいますが、どうでしょう。
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/291901/
(naka)
(宮崎正弘のコメント)中国とマレーシアは「通貨スワップ」協定を結んでいますから、人民元で支払い、相対額のマレーシア・リンギッドで余剰分が、これから中国からマレーシアから輸入する代金となるスキームを利用したのかもしれません。或いは、中国の銀行の特融を受けている可能性も大です。
♪
(読者の声3)大震災から一年、台湾からの義捐金が突出して多かったことは日本と台湾の絆の強さをあらためて認識させる出来事でした。
日本政府は各国からの支援に対し感謝広告を現地の新聞に掲載しましたが、台湾では中国に配慮してか感謝広告はなし。それに反発した民間有志が寄付金を募り感謝広告を掲載したことは台湾メディアでも大きく取り上げられました。
http://www.youtube.com/watch?v=ya8wkUagSME
一方、韓国では火事場泥棒的に竹島の実効支配強化、という事実を報じる関西のテレビ、在日が多い土地柄だけにタブー扱いせず韓国に対しても容赦なく批判する。
義援金を撤回したばかりか、そのお金を竹島実行支配強化のために資金流用した、など東京のメディアではほとんど報じられません。
菅前首相についても、「子供にランドセルを背負わせるのは伊達直人、国民に借金を背負わせるのは菅直人」など大阪らしいツッコミが満載で、現在の橋下人気の底流に国政不信があることがうかがえます。
http://www.youtube.com/watch?v=Nnvnrf23h2Q&feature=related
韓国が政権末期の反日症候群に陥っているなか、台湾からの救援隊を二日も待機させ、中国・韓国からの救助隊を副大臣が出迎えた民主党政権、韓国主要紙に「最初に温かい手を差し伸べてくれた韓国国民の皆さんを日本国民は永遠に忘れない」との感謝広告を掲載しました。
セブンイレブンの国別義援金で一位はダントツで台湾の3億円、韓国はこれまたダントツの最下位で74万円。昨年十二月の日韓首脳会談での異様なまでの慰安婦問題提起はテレビ朝日ですら「恫喝」と報道したほどで、『3・1運動』の93周年記念式典での慰安婦問題発言も「国内向けの発言」と一蹴。テレビ朝日はどうかしたのか、と思えるほどまともになっています。
中国の南京事件カードが無効になりつつあるように韓国の慰安婦カードも賞味期限切れなのですね。
日本の若い世代は新聞を読まないと批判されることも多いですが、朝日新聞の洗脳から自由であることがこれからの日本を変えていくことになるのでしょう。こんな流れの中で台湾の交流協会(大使館)が「ありがとう、台湾」のテレビCMを制作、主要局で放映しました。
謝謝台湾 日本311大震災一周年 元氣篇 30S B
http://www.youtube.com/watch?v=_avc3XTaDDM
謝謝台湾 日本311大震災一周年 元氣篇 30S A
http://www.youtube.com/watch?v=yvYqVp5Vh2k
謝謝台湾 日本311大震災一周年 元氣篇 60S
http://www.youtube.com/watch?v=gzCUXwSwmfM
謝謝台湾 日本311大震災一周年 元氣篇 4M50S
http://www.youtube.com/watch?v=rB36inEK__s
交流協会がいい仕事をしている中、震災一周年の記念式典で台湾代表は二階席で献花もさせないという非道な仕打ち。野田首相は国会の答弁で陳謝したようですが、民主党政権が北京に配慮した結果なのでしょう。
ところで佐藤守氏のブログに中国次期主席がほぼ確定した習近平氏夫人の母と兄は台湾に住んでいて、習氏と馬氏は同郷の友だともいうから、これで台湾併合は決まりだとあきらめている台湾の友人もいる、とありました。本当なのでしょうか?
(PB生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)まず後節の噂ですが、まったくのガセです。習近平の母、斉心は、最大のブレーン、健在で、もちろん中国に住んでいます。兄は異母兄、父の前妻には三人の子供があり、男は一人のはずですが異母兄弟と習近平一家とは交流がないようです。
父親の習仲勲は1963年に失脚し、1978年に復活、2002年死去です。つまり失脚の十五年間、一家は辛酸をなめた。
習仲勲と斉心(後妻、延安時代の同士)とのあいだには男女ふたりづつ、合計四人兄弟で、姉たちは今では香港で不動産開発、弟の習遠平も国際ビジネスに手を染めています。三人とも外国籍パスポートを持っているらしい。
台湾総統の馬英九は香港生まれ、習は陝西省生まれ。要素をつめあわせても、台湾併合へのシナリオは成り立ちにくいでしょう。ただし噂の出所は不明にせよ、習近平は北京に凱旋する前が上海書記、その前が浙江省書記、その前が福建省に十余年、福州市副書記、厦門書記などをつとめ、台湾企業の誘致に精力的、積極的でしたから、台湾ビジネスマンとの交流は深い。福建省は目の前が台湾ですから。
さて先週、小生も台湾に四日ほど滞在しておりましたが、食堂で相席の台湾人、小生が日本人とわかると、まるで同胞のような情感で311一周年の見舞いを言われました。若い人は日本語が喋れませんが、親日感情は仕草でもわかります。台湾マスコミも国民党系列のメディアも「311特集」で、テレビも盛んに日本同様の番組でした。
台湾へ毎年、120万人もの日本人が訪れますが、誰もが中国大陸での体感と異なる経験、よい思い出を抱いて帰国するようです。
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土曜日, 3月 03, 2012
"有)宮崎正弘事務所 [メルマ!:00045206]" より
西村真悟 誇るべき満州 西村真悟 誇るべき満州
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西村真悟 誇るべき満州
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二月二十五日、大阪で満州の方の話しを聞く機会があった。期せずしてその日、産経新聞で、「父たちの満州、『建国』から80年」の連載が始まっていた。
数年前、中共がウイグルに対して強圧的弾圧を開始し、三千人以上のウイグル人を殺戮した時、(その責任者が、この度アメリカに行って大統領と会いニコニコしていた習近平)、東京で、その中共の武力支配に対する抗議集会が開かれた。
その集会に集まった中共に弾圧されている各民族は、もちろん、ウイグルを筆頭に、チベットそしてモンゴルであるが、そこに満州も加わっていた。
満州、マンチュリアンの参加を知ったとき、驚きまた新鮮な思いがすると共に、それが、戦後の日本の歴史教育の欠落に由来する驚きであることを感じた。何故なら、戦後日本では、満州を満州として教えず、中華人民共和国(中共)の東北部として教え、そこを日本が侵略したとしか教えないからだ。
戦後日本では、日本は満州をすばらしい農業と工業の盛んな豊かな大地にした、満州国が建設されてから、満州では鍵をかけずに家を空けても安全になった、とは教えない。従って、我々が再び、満州を自覚することは、中共を知ると共に、日本の歴史を回復することでもある。その意味で、産経新聞の「父たちの満州」連載は、封印された歴史の扉を開く大変有意義な企画だ。
そもそも、万里の長城は何の為に築かれたのか。これを正確に教えられないのが我が国の戦後教育である。現在、児童生徒には、万里の長城は北の騎馬民族が南に侵入してくるのを防ぐために造られたと教えられている。
しかし、これでは、万里の長城が、北の満州族によって建てられた王朝である清朝によって強化され補強されたことを説明できない。万里の長城は、南のイナゴのような支那人が、満州族の故地である満州に北上して雪崩れ込んでこないように築かれたのだ。
つまり、北が南に侵入するのを防ぐのではなく、南が北に侵入するのを防ぐのが、万里の長城だ。我が国で教えているのとは、反対だ。(ちなみに、今のアセアン諸国では、中共の問題を「南下問題」と呼ぶ。つまり、支那人が、金と不道徳を持って南に降りてきて地域に利権の根を張ってゆくゆゆしき事態のことをアセアンでは南下問題といっている)
これが分かれば、中共のウイグル弾圧反対の東京集会に、満州族が参加していたことも分かる。
即ち、チベットやウイグルやモンゴルが支那ではないように、満州も支那ではない。チベットやウイグルに中共が武力侵攻してそこを奪ったように、満州も中共に奪われた。満州は、中共の東北部ではなく満州である。満州を侵略したのは、日本ではなく、中共である。
話しをしてくれた満州の方は、日本に住んでおられる。印象に残ったことを記しておきたい。
我が家は、奉天に住んでいました。私の祖母が、一番嫌ったのが支那人でした。その次に嫌ったのが朝鮮人でした。私も、中華料理は嫌いで、何時も自分で満州の料理を造って食べています。中共の支配によって、満州語を語る人が少なくなりました。このままでは、もうすぐ、満州語がなくなってしまいます。現在、満州やモンゴルの歴史研究の第一人者は、和歌山県出身で京都大学に学んだ宮脇淳子氏だと思うが、先日、彼女と話しをすると、日本の大学で、この分野の講座を設けるところがなく、大学で教鞭を執る機会がないということだった。
しかし、振り返れば、古代からの我が国と大陸との交流として、学校では、ただ遣隋使や遣唐使を教えるだけであるが、その北の満州や渤海との交流こそ、古く根深いものがあり、日本人のフロンティアの心を揺さぶってきたのではないか。源義経が、樺太から沿海州に渡りジンギスカンになったというような伝説が今に伝わること自体、その方面への日本の夢・あこがれを前提にしているのだと思う。この伝統を基にして、昭和七年からの満州国建設があり、そこが一挙に秩序が保たれた豊かな大地に変貌していくことになる。
昭和十一年二月二十六日の2・26事件直前に、日本特派員を命ぜられたル・モンド誌記者のロベルト・ギランは、ヨーロッパからシベリア鉄道を経て満州に入り日本へ来た。 彼は、シベリアと満州の国境の街、満州里に入ったとき、文明の世界に戻ったと感じる。何故なら、そこには秩序があり、ル・モンドもワシントンポストもニューヨークタイムズも読めたからである。またナチスドイツがポーランドに侵攻し、全ヨーロッパを席巻した時、ヨーロッパのユダヤ人の多くが目指したところは、シベリア鉄道を経て満州に入ることだった。
昭和十七年に、七歳の時、両親に連れられてシベリアから満州に入り、日本海を渡って敦賀に上陸し神戸に来た婦人に、二年前エルサレムで会った。彼女は、満州に入ってからの両親の安堵と神戸で日本人から示された親切の数々を涙をにじませて語ってくれた。つまり、満州国は、当時、ユーラシア大陸で、最も秩序が保たれた地域であり文明の行き渡る地域であったのだ。
満州国建設とその発展の歴史を見直すことは、我が国が、世界に誇る歴史の回復だと思う。
アメリカの大統領、ルーズベルトが、満州への野望を逞しゅうして日本との戦争に入りたいという欲望に駆られた狂人(フーバー大統領回顧録)ではなく、我が国が大東亜戦争に負けなければ、中華人民共和国は誕生せず、満州国は肥沃な「王道楽土」となり、東アジアの全ての人民の幸せを確保する「大東亜共栄圏」を牽引していただろう。
以上、満州国建設に夢を抱いた、「父たちの満州」に触発されて。
○ ○○ ◎◎ ◎
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読者の声 READER‘S OPINIONS どくしゃのこえ 読者之声
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♪
(読者の声1)貴誌3577号「読者の声1(naka)」氏への貴見ですが、「かつて台北市長時代の陳水扁が「次期総統候補」として騒がれだしたおり(96年頃でしたか)、或るルートを通じて「日本の次のリーダーとされる政治家と有力な雑誌で対談をしたい」というのでアレンジ方の協力を引き受け「ついては誰が望みか?」と聞くと「菅直人だ」との返事。唖然として返事もしませんでした」(引用止め)。
とあります。
陳水扁という存在への違和感が、これで鮮明になりました。一種の仇花でしかなかったのですね。民進党への、どことない不信感の根がわたしの体内から動こうともしません。新執行部も同工異曲としたら、嗚呼…。
(SJ性)
(宮崎正弘のコメント)民進党は「新潮流」など、四つの派閥の連立組織ですので、盛り上がるのは「アンチ国民党」という民族感情のエネルギー。ほかの政策は党内で論争がまとまらない欠陥があります。
ただしご承知のように台湾独立で戦って獄中十五年、二十二年という猛者たちがまだまだ健在です。若い人たちのアメリカ帰り組と、この老齢ベテラン連中との認識の差が問題ではありますが。。。。
♪
(読者の声2) まもなく震災から一年、同時に九州新幹線開通一周年。九州新幹線のCMは日本に生まれてよかったと思える素晴らしいもので、再度検索したら台湾・中国人のコメントがありました。
http://blog.livedoor.jp/panda_translator/archives/51856177.html
傑作なのが「日本>開通を国民が喜ぶ。中国>開通を政府が喜ぶ」
動員されたわけでもないのに、「延べ525万人の人々がこの広告に何らかの形で協力し、沿線には開通を祝う人々で溢れかえっている。この広告は、地震によって災害と破壊に見舞われながらも、復興へと歩む日本人の心に大きな力となるだろう」
というコメントもあります。
「一方、北朝鮮と中国では・・・」というコメントで紹介されているのは胡錦濤が北朝鮮を訪問した時のビデオ。この映像は初めて見ましたが、「日本と朝鮮のを比べると、日本人は生きた人々、朝鮮は死人みたいなもんだな」というコメントの通り、マンセー、マンセーを叫ぶ北朝鮮の人々、生きたロボットです。
こちらの映像、先導白バイはBMWのボクサーツィンという旧タイプ。
http://v.youku.com/v_show/id_XMjgzMjk2OA==.html
米朝協議で食料支援を表明したアメリカ、いったい何度騙されたら気が済むのか。それとも日本を抑えこんでいくために北朝鮮をコントロールしているつもりなのか、北朝鮮の背後の中国の脅威に対応するためなのか。
日本としてはアメリカがあまり信頼できないパートナーであることが改めてはっきりしたといってもいいかもしれません。
イランの核開発問題にしても、インド・パキスタン・イスラエルが核を保有している現状では、イランとサウジに核を持たせたほうがよほど地域の安定に繋がるように思えます。
アメリカのキリスト教原理主義者の一部には中東でハルマゲドンをおこすことを本気で望んでいる人々がいるといいます。オウム真理教はハルマゲドンを自作自演しようとしましたが、キリスト教原理主義者の一部も同じことを考えているのかもしれません。
アメリカ大統領選挙のたびに繰り返される良きキリスト教徒であることのアピール、同性愛・妊娠中絶・進化論まで問題になるアメリカ、いまだに19世紀の意識を引きずっているように思えます。
新自由主義という野蛮な資本主義を推進するアメリカ、日本は少し距離をおいて置くのが得策でしょう。
(PB生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)北朝鮮のひとびとがロボットのよう、というのは言い得て妙ですね。アメリカの共和党大統領候補のなか、サントラムに至っては「妊娠中絶反対、同性愛結婚反対」のほか、外交、防衛、貿易、特許、通貨などの論戦ではなにも答えられないんですからね。原理主義をささえているのは背後にいる五人の大金持ち。しかしこれもアメリカ政治の断面でしょう。
♪
(読者の声3)『Eyewitness to Massacre』(虐殺の目撃証人)という本がアメリカでM.E.シャープ社から出ています。サブタイトルは「南京における日本軍の残虐行為の目撃証人のアメリカ人宣教師」となっています。
この本はエール大神学図書館に所蔵されている、南京にいた宣教師10人が家族や友人に送った手紙などの資料をまとめたものです。宣伝目的が希薄な本音の記録と見ることができますので、もしここに日本軍の虐殺行為が具体的に記されていたとすると、有力な虐殺証拠となってきます。
しかし、案の定といいますか、よくよくこの記録を確かめて行くと、この手紙の中に只の1件も虐殺を目撃したという事が出てこないのです。松村俊夫さんが検証し、その結果を文章にまとめたものが、「アメリカ人の「南京虐殺目撃証人」は一人もいなかった」です。
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/NO-AMERICAN-J.pdf
この論文の大要は『正論』2月号、3月号に「南京の平穏を証明するアメリカ人宣教師たちの記録」と題して掲載されました。
アメリカ人が決定的な南京虐殺資料と思いこんでいた資料が、実は南京虐殺はなかったことの決定的な証拠となったわけです。河村名古屋市長が「南京戦はあったが、虐殺があったとは思えない」といわれているのは全く正しいことです。有力な応援資料となると思います。
この英文訳を発信する会のサイトに掲載し、下記の通り、海外のマスコミ、学者、他400名ほどにEmail 発信しました。
(発信する会 茂木弘道)
○○ ○
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/7858256.html
http://nanjingforever.web.infoseek.co.jp/timperleyjchap4.हटमल
ベイツの顔写真入り記事
西村真悟 誇るべき満州 西村真悟 誇るべき満州
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西村真悟 誇るべき満州
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二月二十五日、大阪で満州の方の話しを聞く機会があった。期せずしてその日、産経新聞で、「父たちの満州、『建国』から80年」の連載が始まっていた。
数年前、中共がウイグルに対して強圧的弾圧を開始し、三千人以上のウイグル人を殺戮した時、(その責任者が、この度アメリカに行って大統領と会いニコニコしていた習近平)、東京で、その中共の武力支配に対する抗議集会が開かれた。
その集会に集まった中共に弾圧されている各民族は、もちろん、ウイグルを筆頭に、チベットそしてモンゴルであるが、そこに満州も加わっていた。
満州、マンチュリアンの参加を知ったとき、驚きまた新鮮な思いがすると共に、それが、戦後の日本の歴史教育の欠落に由来する驚きであることを感じた。何故なら、戦後日本では、満州を満州として教えず、中華人民共和国(中共)の東北部として教え、そこを日本が侵略したとしか教えないからだ。
戦後日本では、日本は満州をすばらしい農業と工業の盛んな豊かな大地にした、満州国が建設されてから、満州では鍵をかけずに家を空けても安全になった、とは教えない。従って、我々が再び、満州を自覚することは、中共を知ると共に、日本の歴史を回復することでもある。その意味で、産経新聞の「父たちの満州」連載は、封印された歴史の扉を開く大変有意義な企画だ。
そもそも、万里の長城は何の為に築かれたのか。これを正確に教えられないのが我が国の戦後教育である。現在、児童生徒には、万里の長城は北の騎馬民族が南に侵入してくるのを防ぐために造られたと教えられている。
しかし、これでは、万里の長城が、北の満州族によって建てられた王朝である清朝によって強化され補強されたことを説明できない。万里の長城は、南のイナゴのような支那人が、満州族の故地である満州に北上して雪崩れ込んでこないように築かれたのだ。
つまり、北が南に侵入するのを防ぐのではなく、南が北に侵入するのを防ぐのが、万里の長城だ。我が国で教えているのとは、反対だ。(ちなみに、今のアセアン諸国では、中共の問題を「南下問題」と呼ぶ。つまり、支那人が、金と不道徳を持って南に降りてきて地域に利権の根を張ってゆくゆゆしき事態のことをアセアンでは南下問題といっている)
これが分かれば、中共のウイグル弾圧反対の東京集会に、満州族が参加していたことも分かる。
即ち、チベットやウイグルやモンゴルが支那ではないように、満州も支那ではない。チベットやウイグルに中共が武力侵攻してそこを奪ったように、満州も中共に奪われた。満州は、中共の東北部ではなく満州である。満州を侵略したのは、日本ではなく、中共である。
話しをしてくれた満州の方は、日本に住んでおられる。印象に残ったことを記しておきたい。
我が家は、奉天に住んでいました。私の祖母が、一番嫌ったのが支那人でした。その次に嫌ったのが朝鮮人でした。私も、中華料理は嫌いで、何時も自分で満州の料理を造って食べています。中共の支配によって、満州語を語る人が少なくなりました。このままでは、もうすぐ、満州語がなくなってしまいます。現在、満州やモンゴルの歴史研究の第一人者は、和歌山県出身で京都大学に学んだ宮脇淳子氏だと思うが、先日、彼女と話しをすると、日本の大学で、この分野の講座を設けるところがなく、大学で教鞭を執る機会がないということだった。
しかし、振り返れば、古代からの我が国と大陸との交流として、学校では、ただ遣隋使や遣唐使を教えるだけであるが、その北の満州や渤海との交流こそ、古く根深いものがあり、日本人のフロンティアの心を揺さぶってきたのではないか。源義経が、樺太から沿海州に渡りジンギスカンになったというような伝説が今に伝わること自体、その方面への日本の夢・あこがれを前提にしているのだと思う。この伝統を基にして、昭和七年からの満州国建設があり、そこが一挙に秩序が保たれた豊かな大地に変貌していくことになる。
昭和十一年二月二十六日の2・26事件直前に、日本特派員を命ぜられたル・モンド誌記者のロベルト・ギランは、ヨーロッパからシベリア鉄道を経て満州に入り日本へ来た。 彼は、シベリアと満州の国境の街、満州里に入ったとき、文明の世界に戻ったと感じる。何故なら、そこには秩序があり、ル・モンドもワシントンポストもニューヨークタイムズも読めたからである。またナチスドイツがポーランドに侵攻し、全ヨーロッパを席巻した時、ヨーロッパのユダヤ人の多くが目指したところは、シベリア鉄道を経て満州に入ることだった。
昭和十七年に、七歳の時、両親に連れられてシベリアから満州に入り、日本海を渡って敦賀に上陸し神戸に来た婦人に、二年前エルサレムで会った。彼女は、満州に入ってからの両親の安堵と神戸で日本人から示された親切の数々を涙をにじませて語ってくれた。つまり、満州国は、当時、ユーラシア大陸で、最も秩序が保たれた地域であり文明の行き渡る地域であったのだ。
満州国建設とその発展の歴史を見直すことは、我が国が、世界に誇る歴史の回復だと思う。
アメリカの大統領、ルーズベルトが、満州への野望を逞しゅうして日本との戦争に入りたいという欲望に駆られた狂人(フーバー大統領回顧録)ではなく、我が国が大東亜戦争に負けなければ、中華人民共和国は誕生せず、満州国は肥沃な「王道楽土」となり、東アジアの全ての人民の幸せを確保する「大東亜共栄圏」を牽引していただろう。
以上、満州国建設に夢を抱いた、「父たちの満州」に触発されて。
○ ○○ ◎◎ ◎
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読者の声 READER‘S OPINIONS どくしゃのこえ 読者之声
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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(読者の声1)貴誌3577号「読者の声1(naka)」氏への貴見ですが、「かつて台北市長時代の陳水扁が「次期総統候補」として騒がれだしたおり(96年頃でしたか)、或るルートを通じて「日本の次のリーダーとされる政治家と有力な雑誌で対談をしたい」というのでアレンジ方の協力を引き受け「ついては誰が望みか?」と聞くと「菅直人だ」との返事。唖然として返事もしませんでした」(引用止め)。
とあります。
陳水扁という存在への違和感が、これで鮮明になりました。一種の仇花でしかなかったのですね。民進党への、どことない不信感の根がわたしの体内から動こうともしません。新執行部も同工異曲としたら、嗚呼…。
(SJ性)
(宮崎正弘のコメント)民進党は「新潮流」など、四つの派閥の連立組織ですので、盛り上がるのは「アンチ国民党」という民族感情のエネルギー。ほかの政策は党内で論争がまとまらない欠陥があります。
ただしご承知のように台湾独立で戦って獄中十五年、二十二年という猛者たちがまだまだ健在です。若い人たちのアメリカ帰り組と、この老齢ベテラン連中との認識の差が問題ではありますが。。。。
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(読者の声2) まもなく震災から一年、同時に九州新幹線開通一周年。九州新幹線のCMは日本に生まれてよかったと思える素晴らしいもので、再度検索したら台湾・中国人のコメントがありました。
http://blog.livedoor.jp/panda_translator/archives/51856177.html
傑作なのが「日本>開通を国民が喜ぶ。中国>開通を政府が喜ぶ」
動員されたわけでもないのに、「延べ525万人の人々がこの広告に何らかの形で協力し、沿線には開通を祝う人々で溢れかえっている。この広告は、地震によって災害と破壊に見舞われながらも、復興へと歩む日本人の心に大きな力となるだろう」
というコメントもあります。
「一方、北朝鮮と中国では・・・」というコメントで紹介されているのは胡錦濤が北朝鮮を訪問した時のビデオ。この映像は初めて見ましたが、「日本と朝鮮のを比べると、日本人は生きた人々、朝鮮は死人みたいなもんだな」というコメントの通り、マンセー、マンセーを叫ぶ北朝鮮の人々、生きたロボットです。
こちらの映像、先導白バイはBMWのボクサーツィンという旧タイプ。
http://v.youku.com/v_show/id_XMjgzMjk2OA==.html
米朝協議で食料支援を表明したアメリカ、いったい何度騙されたら気が済むのか。それとも日本を抑えこんでいくために北朝鮮をコントロールしているつもりなのか、北朝鮮の背後の中国の脅威に対応するためなのか。
日本としてはアメリカがあまり信頼できないパートナーであることが改めてはっきりしたといってもいいかもしれません。
イランの核開発問題にしても、インド・パキスタン・イスラエルが核を保有している現状では、イランとサウジに核を持たせたほうがよほど地域の安定に繋がるように思えます。
アメリカのキリスト教原理主義者の一部には中東でハルマゲドンをおこすことを本気で望んでいる人々がいるといいます。オウム真理教はハルマゲドンを自作自演しようとしましたが、キリスト教原理主義者の一部も同じことを考えているのかもしれません。
アメリカ大統領選挙のたびに繰り返される良きキリスト教徒であることのアピール、同性愛・妊娠中絶・進化論まで問題になるアメリカ、いまだに19世紀の意識を引きずっているように思えます。
新自由主義という野蛮な資本主義を推進するアメリカ、日本は少し距離をおいて置くのが得策でしょう。
(PB生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)北朝鮮のひとびとがロボットのよう、というのは言い得て妙ですね。アメリカの共和党大統領候補のなか、サントラムに至っては「妊娠中絶反対、同性愛結婚反対」のほか、外交、防衛、貿易、特許、通貨などの論戦ではなにも答えられないんですからね。原理主義をささえているのは背後にいる五人の大金持ち。しかしこれもアメリカ政治の断面でしょう。
♪
(読者の声3)『Eyewitness to Massacre』(虐殺の目撃証人)という本がアメリカでM.E.シャープ社から出ています。サブタイトルは「南京における日本軍の残虐行為の目撃証人のアメリカ人宣教師」となっています。
この本はエール大神学図書館に所蔵されている、南京にいた宣教師10人が家族や友人に送った手紙などの資料をまとめたものです。宣伝目的が希薄な本音の記録と見ることができますので、もしここに日本軍の虐殺行為が具体的に記されていたとすると、有力な虐殺証拠となってきます。
しかし、案の定といいますか、よくよくこの記録を確かめて行くと、この手紙の中に只の1件も虐殺を目撃したという事が出てこないのです。松村俊夫さんが検証し、その結果を文章にまとめたものが、「アメリカ人の「南京虐殺目撃証人」は一人もいなかった」です。
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/NO-AMERICAN-J.pdf
この論文の大要は『正論』2月号、3月号に「南京の平穏を証明するアメリカ人宣教師たちの記録」と題して掲載されました。
アメリカ人が決定的な南京虐殺資料と思いこんでいた資料が、実は南京虐殺はなかったことの決定的な証拠となったわけです。河村名古屋市長が「南京戦はあったが、虐殺があったとは思えない」といわれているのは全く正しいことです。有力な応援資料となると思います。
この英文訳を発信する会のサイトに掲載し、下記の通り、海外のマスコミ、学者、他400名ほどにEmail 発信しました。
(発信する会 茂木弘道)
○○ ○
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