木曜日, 3月 15, 2012

以前この拙ブログでは初めて雅子妃の父君である小和田氏のことをちょこっと触れた。

『ご成婚当初は、小和田家の家風については善意に解釈していたが、どうもここ数年雅子妃のご病気をはじめ、小和田家に関する評判がどうもよろしくない気がする。
http://yhsvtex.blogspot.com/2009/09/
自民党がかくも劣化したのは、外務官僚や政治家に親中派が台頭してきたからだという指摘も
新鮮だ。(屋山太郎、WILL11月号、23頁)

小和田恆条約局長、後藤田官房長官時代以降、保守党の精神はねじ曲がり、公明党と連立を組むに至ってどどめをさされた。自民党の再興は遠い、とある。

雅子妃の父親の家風が皇室と正反対なのが、ご病気の遠因だろうとは、いろいろ取りざたされている。これ以上は、「雅子妃のご病気と小和田王朝」をご覧下さい。(前掲書)』

と引用したりしたのだが、この問題、故後藤田氏ともからんでいるようである。

http://yamaji.iza.ne.jp/blog/

によると『後藤田正晴の危機管理

もともと中国共産党の手先であった後藤田正晴は、晩年三菱東京UFJ銀行本店内に事務所を置き、日本国にある現金(円、ドル、その他)を中国共産党にやった。そのため日本国に現金が無くなっていった。

そこで後藤田は、3000兆円の特別資金を日本国に持ち込もうと企て皇太子の岳父小和田恆氏を誘い、皇太子の実印をとり更 に今上天皇の印を偽造して使用し、元日銀総裁の三重野康氏をイギリスに派遣して、特別資金を管理する本部のあるイギリスの銀行に行かせ、偽造した文書によ りこの金をとろうとした。‥‥』などとあるのには仰天した。

『しかし今上天皇の偽造印を見破られたことを察知した三重野氏は変装してドーバー海峡を汽車でフランスに逃げた。フランスに 三重野氏を迎えに来ていたのが小和田氏だった。小和田氏の前で捕まった三重野氏はヨーロッパに拘束された。その間に妻が死亡した。葬儀にも出られなかっ た。』などとも書かれている。

この記事は半年あまり前からネットに出ておりその後も消されていないので、どうも全くのガセではないようにさえ思っている。それにしても今回尖閣諸島だけは領有の命名権を留保したりと日本政府のいいかげんさに驚いているが、それも皆中曽根内閣時代以前から培われた外務官僚の反日眉中ぶりに起因するものだろうと改めて東京裁判史観に裏打ちされた東大のある一派の影響が半世紀を経ても色濃く官僚の脳髄を犯していることに愕然とする。

その後、後藤田氏がぬすんだ金がどうなったかまで書かれているので是非一読を乞うしだいである。

http://www.nishiokanji.jp/blog/

西尾幹二氏のインターネット日録を読むと、『『週刊新潮』(2月23日号)に「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します。』とあり、「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事

という記事がある。

『妃殿下は果して親孝行をしたのか、それとも親不幸だったのか。私の判定は後者だが、そう思うのは戦後史に迎合して必死に生きた小和田氏の生涯に多少とも憐れみを覚えているからである。』という。

すでに渡部昇一上智大名誉教授による指摘などから、小和田氏が典型的な戦後左翼思想の持ち主であるという国会答弁などでの事例紹介によりビックリしていたのであるが、『評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。』と西尾氏も週刊新潮で発表された由である。

そこにはそうした結論に至った経緯が述べられている。
『 私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。』

『 小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディギャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。』
と指摘しておられるが、渡部名誉教授もだいぶ前からこの小和田氏の答弁を問題視されていた。
西尾氏は100%解釈の間違いの理由を述べた後、
『要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。』と指摘されている。

『傲慢で権威主義者

 1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。』などとも書かれている。

『理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。』

『自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である。』

『 皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。』などなど結局師の横田喜三郎教授の思想に無批判に権威主義的に染まりきった小和田氏の人格のなせる技ではないかとの指摘であり同感を禁じ得ない。いやはや、恐れ入った皇室とは正反対のお人なりなのであり、この点が天皇も無理して雅子妃を迎えるべく外務省高官たちに打診されたりした過去があるだけにご心痛の極みにあられるものと拝察するのである。

正田家と小和田家とはかくも別格の思想の違いがあるのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/横田喜三郎
http://ameblo.jp/hinoeuma-v/entry-10911473287.html




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