日曜日, 2月 17, 2013

大原へ調査に行った前後の記述から。
FTRを買ったのは緊急情勢でRBに任せたので、深い理由は会社に聞いておくれ、なのだが代車ならともかく、毎日ある程度の期間は乗り続けなければならず、やはりバイクメンテの基本は守る必要があるが、なにせ在庫中最安製品であったせいもあり(提示条件下で)、おそらく最低でも8年くらい寝かせてあったと思われ、サスは固く、工具類は一切なくプラグの点検もままならない状態であった。サスのほうは私の体重と毎日使用するせいで1週間ほどで、めきめきと回復し、柔らかくなり2週間ほどでほぼ全面回復し、今ではさらに微妙に乗り易くなっている。バイク用品店で以前使っていたクロームメッキの微小なサビ落とし製品を物色中、偶然1個180円でプラグソケットを見つけ購入した。以前のビッグワンとは違い、良好な焼け具合のようである。それをしまう工具箱も簡単な鍵付きのボックスが付いていて今ではETCのカード読み込み部品の格納庫も兼ねている。

大原往復でリッター40キロを記録したあたりから(購入走行4500キロ程)で当初の印象からまた変化が出て来た。えんじんの印象が少しづつ変化して来て、トップホールドのままアクセル操作で40〜110キロほどの範囲でオートマ気分で走れる感じがしてきた。これは、さらに潤滑剤の本来の機能が発揮されだしたように感じられる。
今日は相続の現金輸送のため、呼び出され約束の時間に間に合わせる為旧自宅へと向かっていると、途中で、このバイクを追い抜いた。こちらは四輪と同速度で右側車線を走っていた。噂に寄るとカブ(110cc)に続いて第3位の売れ筋バイクなのだという。私が通う病院の駐車場にもいつも一台止まっていて脇が空いている時は細部を観察したりしている。前方に右折帯が現れ渋滞が始まると、後ろからこのバイクが近づいてきたことが音で分かった。しばらく平行して走っていたが、やがてまた後ろへ下がって行った。こちらはスピードを落としたこともある、ほぼ無音。隣は私から見れば、いい音の一種のなのであろうが通常のオイル仕様らしく煩く感じられる。

しばらく併走したあと、隣は後ずさりするように後方に消えた。あるいは将来候補の一つと考えていたが音や雰囲気は自分に合わないと感じた。この日増しに快調になっていく感じからは、ヤマハのSR400あたりが目下手頃な候補なのではという気がしており、あるいは単気筒600あたりが狙い目かもなどと淡く夢想中である。

あと、この華奢なフレームは私の体重もあるだろうが、どうも、ちょうどいい具合にフレームがしなる感じを受けていたが、この記事を見るまではまさか、しなっているとは思わなかった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1394592203

『対してFTR223は、リバイバルで人気が出たFTR250を復刻させたものです。
実際、タンクとサイドカバーなどは、元の250の金型をベースに、
新たに起こされています。

しかし、単なる廉価版コピーではなくて、
ダート・トラック性能でも、引けを取らないフレームとハンドリングに仕上げる為、
開発中は、テスト・ライダーによるダート走行が繰り返し行われ、
ベストなタイムが出せるまで、徹底的にセットアップされたそうです。
ファッション性(スタイリング)から、前後を同じサイズの太いタイヤを履かせながら、
ダートで、ドリフトさせても平気な性能になっているそうです。

このバイクの開発者と一緒に走ったことがあります。
彼はFTR223に乗り、私はCB1100で、田舎の峠道を走りましたが、
センターラインも無いような、細い道幅の峠では、FTRの圧勝
パワーで何倍も勝る私も、ムキになって追いましたが、
ついに追いつけませんでした。』

もう一台次のマシンを考えているとRBで口走ったら、マジっすか!?などと目を輝かせていたのが印象的。
ピストンサイズもビッグワンのとさほど変らない。こちらはフレームならぬクランクロッドがしなるような想像をたくましくしている。

さて、大原での調査は、はかばかしくなかった。相手の100近い父親が存命かどうかだが、店を知っていても、みな妙な目つきになり、お互いの顔色を伺いながら、その辺のことはわかりませんとの事だった。

仕方なく、すぐ隣で同じく職種の店をやっておられるある商店を訪ねた。すぐに伯母さんが店頭に出て来たが話をすると、お亡くなりになられたんですってね、などとお悔やみを言われた。えっ、どうしてそこまで知ってるの!?と思っているうちにコーヒーなどが運ばれ、ご主人が呼ばれ出てこられた。やはりお悔やみをいわれたので、どうしてそう早くご存知なんですか?と思わず聞いてしまった。すると、隣の家の親族が直ぐ近くにおり、そのひとの話が、この店の隣ぐらいにいるらしいスピーカー伯母さんに伝わるやたちまちに顔見知りの人たちに伝わるのだそうだ。

試しに故人の写真をiPhoneで見せたら、間違いないですがずいぶんお若いですね、と言われたのでもう一枚和服の写真を見せたら、あ、これは故人の結婚式のときのですね、などといわれた。何でも隣の家の主人(すでに故人)とは小学校以来の同級だったとか。それで、結婚式の司会などもされたという。それで、隣の家のご主人の父親が生きていると聞いたのですが、ご存知ですか?と尋ねると、やはり驚いた顔をして、いくら隣でもそういう家庭の事情はわかりかねますが、確かN県の出身の方で、たとえ生きていたとしても100歳前後でしょうなどと答えてくれた。

さらに明日相続の相談も隣の家の方とする予定なんですが、と話すと、こちらではなんでも一族に銀行経験者さんがおられて、その方にみなお任せしている、という情報もスピーカー伯母さん経由でご存知だった。

とにかく、私と同等くらいの情報量を周辺の方たちがもっているようだとわかり、大変驚いた。

で、翌日その代表者とお会いした。やはり父親は大正二年生まれで、息子さんのうちの一名の家族と暮らしているのだという。

私はてっきり、その父親への遺産分割で、伯母の遺産から1/3の請求が来ると思い込んでいたが、
そうではなかった。なんと、相続放棄の手続きを保険会社を通じてしてくれているのだそうだ。

しかもその代表者の奥さんがその父親の末娘だという。伯母の亡くなった旦那さんはその妹さんとは血縁関係がなく、斎場にこられた亡き旦那の妹さんがその旦那の妹の一人で、そちらに相続権があるのだそうだ。(これは叔母から聞いた話しでそう思い込んでいたが、後日戸籍謄本を各自用意した中で、皆血のつながった実の兄弟だと判明し、当初の誤解が氷解、それにしても歳が離れ男女でこうも容貌がはなれていては、誤解も無理ないかもと思ったりした。)

その元銀行マンの奥さんは、大原で有名なK家の末娘だが、今回の伯母の亡夫もそのK家に後妻にして入った方の息子さんでK家の店を最後にたたんだ方で子供がいない。で、その銀行マン氏がご自分の奥さんのK家の供養を今後20年ほど代表しておこなう手順に一族の同意でなっており、伯母の一族との遺産分割交渉に当たっているという。

これで、当初不審を募らせたこともあった私だったが事情がわかり、かの銀行マン氏も同じ99里地方の出身、私の母方も大網の網元の家系ということで、その出身地細草という地名もご存知だという。さらにバブルの頃には、私の町のKY銀行の支店長などもしていたという。

なんだかんだで垣根が取り払われてみると、あちらから提示された残高は伯母のほうが多いが、伯母への保険金はみな亡くなった旦那の口座から引き落とされており、今は残金は少ない、などということも分った。

それで、K家の墓の守りに200万くらい、妹さんたちにいくらかやりたいという(多分同額くらい)。

あと葬式代などや雑費も旦那の口座から出ていて、伯母の預金の残りを我々が受領ということで、基本合意した。

それで約朝、さっそくおととい、隣家の情報を流してくれた方に電話し、非礼をわび、昨日の交渉も円満に終り、あちら側にこちらとしてもお願いすることになったと、報告しておいた。電話を取り次いだ奥さんも私の事をいつの間にか、お父さん、kさんよ~と隣の家族の一員みたいな呼び方をしておられた。

そして水曜日に現金の一部を分けるから土曜日に来て欲しい、と電話連絡があり、また会って話をして、通帳のコピーや実際の通帳の残金などを確認した。郵便貯金分と、保険金(旦那のガン保険)は一族の印鑑証明と戸籍謄本などが必要らしく、それ以外の大半が現金化してあった。
本日受け取った額の約二倍がさらに此方側に来るという。なんでもアフラックらしいが、ガンで亡くなった場合の保険として通常のものより高額な保険だったらしく、それで旦那の口座の減りが早い一因だとも言っていた。

帰りに伯母の実家の近所の私の従兄弟の家により、もう一人の従兄弟も呼んで経過を公開し、五人で平等分配することにした。彼らの感想は、こうして結果をみると、まるで非常にうまい配分をされたような気がする、という印象のようだった。それで、一人160万の保険(生きていた父親への保険)の受け取り人の上姉の分も相手が要らないというので、こちらも5等分ということになった。
これは保険会社が血の繋がった方でないと契約変更は難しいということで、相手の妹さんは実の子であっても亡くなった旦那がかけた保険は、相手を変更せよということで途中から変り、此方にきたが本来なら100歳近いその方というわけだが、その人を探したのもN県の保険会社であった。

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