水曜日, 8月 14, 2013

毎年、少しづつ進む過去の理解

仕事が急に今日だけ諸般の事情から休みとなった。
昨日から、退職後の新職場へ出ているが、1歳年上のマダムが雇用主で今は、仕事再開後の試験運用時期で、手応えを確かめつつ、かっての客層の拡大を図っているところ。

年齢がまあ同一世代と言えるし、息子さんも大学院終了から役所勤務といった事情もあり、比較的話題が一致しやすく張り合いがある。テレビを見ていないというのも共通項であり、社会的、政治的な話題でも話していて、違和感がない。

それで、『従軍慰安婦』の弁護をした福島某やその発端となった弁護士の事を取り上げた雑誌を買ってきて、今日一日少し勉強しようと思っていたが、いろいろな電話がきたりして、また今日の予定が狂いそうである。

昨日もアジアでたった二カ国が反日国家で残り38カ国ではどちらかというと親日国家であるとの最近の風潮に関して、北は何故韓国のような反日ではないのか?聞かれた回答の一つとして以前参照した某氏のブログを半年ぶりに見てみた。

当然まともに更新しているブログなら、最近の記事ばっかりなのは当然として時節柄!?と思ったのがコレだ。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-462e.html

真珠湾攻撃の真相
……
『 ――聖書の暗合 解析結果52 真珠湾攻撃――
   『1941年の真珠湾攻撃は、帝国海軍の密告者外務省の協力者たちによって、アメリカ大統領に事前に知らされていた。知らされていた内容は、真珠湾を攻撃することと、宣戦布告の攻撃前の事前通告が遅らされることだった。アメリカ側も日本側も罪を犯した。そして戦争となった。』
   日本側の関係者で名前が確認できるスパイと呼べる者は
       
     ・ 米内光政(よない みつまさ)
     ・ 山本五十六(やまもと いそろく)
     ・ 南雲忠一(なぐも ちゅういち)
     ・ 野村吉三郎(のむら きちさぶろう)

   海軍のトップから外務省のアメリカ大使まで、残念なことに重要な人物が「売国奴」であったのでした。帝国海軍は戦争を始める前からアメリカ側と内通しており、アメリカの望むようにうまく日本を戦争に導いています。日本の攻撃を事前に知らされていたアメリカ大統領は、状況をうまく利用して、日本を卑怯者にして彼らの望む戦争状態を作り上げることに成功しています。
   これに日本側から協力したのが海軍のトップの山本提督、南雲中将であり、ワシントンで外交交渉をしていた大使館員(5文字以下ですが名前が確認できます)を含め、彼らの大半がアメリカに魂を売っていたというこのコードの示す可能性は、認めたくないほどに悲しい現実です。
   このスパイたちですが、中でも米内光政はロシアに通じたスパイで、他のアメリカに通じたスパイたちとは行動が異なるようです。彼は日本を疲弊させて戦争に負けるように仕向けた張本人であり、日中戦争の深みにはまっていった最大の理由は彼の存在にあります。日中戦争は日本の関東軍が暴走したと私たちは教えられていますが、現実は異なるようです。』
などという文面などが読み取れる。

小生も2008年以前からこの海軍の山本提督の戦争反対姿勢から急にアメリカとの戦いをさせてくれなきゃ、連合艦隊司令長官は辞める、とダダをこねて、無理やり開戦に持込み、というあたりから、怪しい人物として脳裏にあったが、宣戦布告の遅れまでアメリカに通告済みとは何処までアメリカに心を売ったのか、と申し上げたい。

これで渡部昇一上智大名誉教授の指摘なさる、外務省の日本大使館にいた、電文通告の遅れを演出し、戦後出世した男は、教授が指摘したように戦後昇進すべきではなかった人であり、売国奴であってってみればなおさらで、いまさらながら、渡部教授の観の冴えに脱帽である。


『駐ワシントンD.C.日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官(2人ともその後外務事務次官を務めた)らが翻訳およびタイピングの準備に手間取り、結果的にアメリカ政府に手渡したのが攻撃開始の約1時間後となってしまった。その為に、「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」とのアメリカのプロパガンダに使われることとなった。』などとウィキペディアなどには出ており、この二名の外務省職員の息子某氏が史学会で、陸軍の瀬島龍三氏をやり玉に上げ、彼が電文公開を遅らせたことが、父の無念の電文交付の遅れにつながったなどとする珍説を発表したとは聞いていたが、笑止千万。
http://deepivorypigment2.myartsonline.com/gms150.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/真珠湾攻撃

外務省の怠慢 ・ 真珠湾の真相

『現実は悲惨であった。
 暗号文の解読・清書( タイプの事もある )は電信員6人が手分けをして行った。
 13部全部の解読・清書は未完であった6日の午後8時頃公文書作成担当の奥村一等書記官ともども寺崎一等書記官の送別会に出席。 午後9時半頃帰館し解読を再開。 13部全部の解読が終わったのは7日午前3時頃。 奥村書記官も一緒に帰ったが公文書作成作業をどうしたかは不明。
 兎に角904号電( 1時までに手交せよ )の解読が終わった午前10時半には13部の公文書タイプは終わって無かったので大使館はパニック状態。
 不可解なのは本来901号電の指示がある以上解読作業同様公文書タイプも書記官が共同で行うべきところだがこれ以前は勿論パニック状況になっても奥村書記官一人にタイプを任せた事だ。
 一説によると大使館内の派閥争いから来る人間関係の悪さが原因という。
 奥村書記官はタイプに堪能ではなく、完全主義者で一字でもタイプミスがあるとそのページをやり直すという具合だからなかなか進まない。
 それでもタイプする前に電信員の清書を書記官・大使が中身を見ているのだから、全14部は間に合わないと分かれば明らかな宣戦布告である第14部だけでも指定時間に手交し詳細はあとから渡すと言えば良かった筈。』
などと。渡部教授と同様の指摘がされている。

『 最近では実行には至らなかったが、昨年の米中枢テロ発生時にテロと判断された時点でブッシュ大統領は疑惑の航空機爆撃の許可を与えたと言うが、これが被害を最小限に押さえる( 多数のためには少数の犠牲も厭わない )その時点での最良の判断であった。
  「 外務省の怠慢 」で、真珠湾攻撃に際し日本は当然宣戦布告をしたが在ワシントン日本大使館員の怠慢により遅延し日本卑劣のプロパガンダの原因を作り、その処罰をしないどころか二人の上級大使館員を戦後外務事務次官更には大使にまで出世さたた外務省の無責任体質について紹介しているが、今回のこの始末も外務省の要人は知っていた。
  これも含め宣戦布告遅延の件も戦後外務省は国民の目から隠してきたが、その一番の主役は松岡洋右の秘書官をも勤め戦前から外務省要人であった加瀬俊一である。


  本当に国民の為になってない外務省の歴史は長いですね。』などとある。


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