日曜日, 7月 19, 2015

モータロイ適用後のハーレースポーツスターのトータル燃費 高速道と下道と




今日明日ぐらいで投入後3000キロを超えると思われるので、高速燃費などはもう少し伸びてほしいところ。

しかし、急に振動がすくなくなり、低速がかなり1500程度からトルクが出てきたので、それに甘えてノッキング寸前でもアクセルを開ける運転をしたせいか、インジェクションの学習効果が以前からのものが乱れ、不定期ノッキングを起こすようになり、チョイノリ燃費はリッター15キロ程度と激減した。

それで、初回からの運転方法と同様、60キロ以下はきちんどサードまでとし、低速で大きく開けないようにすることとした。リッター15キロ時のギクシャク感は惨憺たる感じだったので。

ただアイドリング約1000回転程度は変わらず、時々950強あたりまで落ちたりする。

二日の連休が天気が回復したので、日曜はいろは坂あたりを走り、海の日には高速走行中心に据えてじっくり燃費を見ることに。

サイドバッグは一応つけて走ることとした。

そして日光を走るからには昔世話になった日光付近の演習林の状況も見ておきたいと、以前矢板インターまで往復した時から思っており、ナビにも登録しておいた。

そして宇都宮から日光までの高速を走り、いろは坂を巡ってそれから矢板で降りて、演習林を巡って、と欲張った計画を立ててしまった。

ところが、耄碌したのか高速からそのまま日光まで続く分岐を見間違え、最初から矢板に向かっていることに気付いた。そこで、矢板インター手前のスタンドで高速の途中燃費だけでも知りたいと満タンにして、矢板で降りた。83.9キロで3.77だったから、燃費は22キロちょっと。これにはがっかり。

日曜のせいか普段より人もバイクも多かったが、割愛。この前上り線で涼んだ杉林はどこか?と探したらこれらしい。バイク軍団もひっきっりなしに通過する。もちろんこの休憩所にもたくさん止まっていた。

最初に驚いたのは、インターから入り、侵入路線から本線へ合流して90キロを過ぎたころ、突然白バイが中央車線から抜いてった事。しかも、バイクはどうも水冷のGL1500あたりであったようで、びっくり。これも個人的に白バイ風のバイクだったのか、官制バイクだったのかはもう不明。つけている反射ベストとヘルメットだけははっきり覚えているが、・・・。そのあと後続の飛ばし屋バイク軍が一斉に右側車線を走っていたが、しばらくしたら、白バイに追いつき、びっくりするだろうなどと考えていたが、もうすぐ利根川を超えて群馬県。管轄はどうなっているのだろう!?などと考えてしまったが、白バイに似た個人ばバイクだったのかも。

矢板インターからストリートビューでも見ておいた風景の場所についてしまったが、どうもおかしい。立派な門が昔はあったはずだが、それが見当たらない。
これから先はもう何もない。おかしい、と思い付近を探す。バイクを止めたあたりに
錆びた標識が隠れていた。たしかにそうらしいが、二十歳前後の記憶とはどうも違和感がある。
脇の水路のそばには文部省の杭らしきものも。
来る途中から絶対反対とか湧水を守れとかいろいろ看板が出ていたが、そうか、この塩谷郡塩谷町は福島県からのがれきの一時集積所の候補地に指定されて、町ぐるみで反対していたんだとようやく気付いた。近く、環境省の役人が来るので、などとどこかでアナウンスしていた。頑張れ塩谷といった標識もあったようだが、頑張る福島もいっそうよろしく。
http://ganbarufukushima.blog.fc2.com

この夏、福島県の富岡町へ行ってみたいと考えている最中だ。安部夫人も松村牧場を激励に訪れているようだ。地域の総意なら致し方ないかもしれないが、個人の国策に対する反抗はどう見たらいいのか!?と思う。
あれがかっての門の跡か!?と思い足を運んだが、看板はついておらず、どう見ても民家の門。

それで、最初の民宿風の家には~Welcomeのような文字が見えるようなので、さらに垣根の隙間から覗こうとしていたら、何の御用ですかと尋ねられた。

聞けば最近空き巣に入られたので、警戒していたら、また下見に来たのかと勘違いされたようで、簡単に自己紹介して事情を話したら、この山の裏側へ回れば立派な門のある演習林本部へ行けますよと教えてもらった。

ちなみに民宿かペンション風の家は若い人たちが住んでいるという話だった。グーグルストリートも便利だが、肝心の時、裏通りを表示したりするのはいただけない。さらに最近のナビは経費節減のあおりを受け、パーツの共通化が著しいらしく、間違いがそのまま伝播しているものが多いらしい。

私のナビも二年後には住所も電話番号も以前より一割ほど登録が減り、以前そのまま行けたところへはいけない例がいくつか出てきた。


 行って見て、納得。おお、そうじゃ、ここだ!。ここだったと。
正門前を右にまっすぐ行けば、日光まで10キロほどとわかり、ナビに日光を入れてU
ターン。そういえば、友人のCBを借りて、よくこの道を間食類などを買いにいった記憶がよみがえった。最初の学生実習の時、一人一人各自一本のヒノキ立木を伐採し、一定間隔ごとに円盤を取り、樹幹解析を行ったが、それには数日かかり、手回し計算機で計算したが、卒業寸前くらいにカシオミニなどが実用化した時代で、電卓などは想像の範囲外といった時代だった。


実習のさなか、この門の入口にT大~演習林と大書したトラックが止まり、T大の某演習林産の苗木をここへ職員数名で運んできたのを見かけた。この時の印象を今でも思い出すが、卒業後、都内のT大の林学でお世話になるきっかけだったのだと思う。

裏街道沿いに日光に行ったわけだが、途中で土木事務所の前を過ぎた事から、この道は杉並木より東側の通りだと気付いた。歩道橋のあたりが日光小学校。ところが歩道橋からは車列が全然進まず、3~4割の車がUターンを始めるほど。

じっと待っていたが、エンジンは熱くなるし、他のバイクは脇をすり抜けて先へいってしまうのを見て、私も少しエンジンを冷やさなくては、と脇をすり抜ける。すると意外にも渋滞の原因が日曜日ということにようやく気付いた。この道はまっすぐ進むと霧降高原からの帰り道が日光街道へ交差する直前の橋のたもとのT字路へぶつかり、右からの直進車両優先で、こちら側からは割り込めず超渋滞していたと。

T字路のコーナーはRがついているので、バイクは簡単にまがり先へ進める。だいぶ前に抜いて行ったバイクなど一台もいない。

それからやっとまともないろは坂へと侵入できたが、明智平手前で大渋滞。エンジンはますます熱くなり、まともに乗っていられない。そのうちニュウートラルランプがつかなくなった。

そして中禅寺湖畔まであと300メートルまで進み、もうすぐに右折して下ろうと思っていたら、こちらがいつまでたっても進まない。先を見ると、右折しようとした大型バスがずっと止まっている。

で、急きょ沼田経由で帰ろうと即切り替え、中禅寺湖畔を左に見て金精峠越えと変えざるをえなかった。

金精を超えても一見の飲食店もなく、(昔はあったが)以前このブログで紹介した
でようやく食にありついた。


昔来たときは素通りした場所だが、ここしかなかった。

食後コーヒーを飲みながら通り過ぎるバイクたちを観察。沼田方向から上がってくるバイクよりは金精峠から降りてくるバイクのほうが倍以上多い感じ。沼田方向から来た人たちは中禅寺湖畔から先はどうなっているのだろうと。

ここは菅沼と表示が出ていた。概して割高だったが、対応は親切だった。で、先ほどニュートラルがつかなくなったが、冷えたらどうなのかとみたら、ちゃんと付く。どうやら熱変形で接触の接点がずれたらしい。

今までで、いちばん熱い思いをさせられた。バンク角はどこかをこするまではいかなかったが、のぼりで渋滞で、いくら涼しいといってっも、熱くて両足の内側はステップにはのせられなかった。
ハーレーの熱は半端ではない。常に走っていてエンジンはどうにか保っている。

沼田方面はここから60キロ以上あり、げんなりしたが、勇気を出して走り出す。ここからは平たんな場所まで10キロ以上、転がり落ちるように下ったサイクリストたちも、下りなので、直線では60キロ以上で下っていく。並走する4輪は変に遠慮して、対抗車がなくてもブルーキをかけながらおりていくので、しばらくはついて行った。途中、比較的大きな土産物屋のところで、2台の車がそこへ入ったので抜けると思ったが、さらにスピードをあげていく。ふもとまでおつきあいか!?と思ったら、一人の足がつったらしく、遅れて止まってしまい、先頭が心配してやはり止まったので、ようやく気持ちよく降りる。

沼田から関越に乗るが、上里から鶴ケ島まで渋滞90分などと掲示板に出ているので、前橋で降りた.。そのため、赤城で休憩と食事。ここで、へぎそばを売っていたので土産として買い、前橋から本庄、深谷と17号を南下。土産を届けた後、サラエボで休憩。直前にガス補給。
下道と高速を一部使い、燃費は20.12だった。

秩父からの下りだけの時とほぼ同じだったが、渋滞でのロスはどうなんだか不明。次は東北道の上り(下り線)と南下(上り線)で分けて測定してみようと思った。



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