日曜日, 5月 27, 2012

先日、レッドバロンにあと二タンク走行したらオイル交換とタイヤ交換で伺うからとタイヤの注文を入れたら、タイミングよく店長だったらしく、2つ同時というのはけっこう負担になりますので、今度の日曜日にはタイヤも間に合いますから、5月27日にお待ちしております、と半ば強引に期日指定されてしまった。それで、今日距離約400キロほど残して朝から
出かけた。行くと店長から感謝の挨拶を受け、比較的安くクリーナー交換をしても3万一寸で
済まして貰えたし、チェーンにはオイルも引いてもらっていた。ラッキー。

でその後どうするか何も考えていなかったが、取りあえず観賞魚の餌を買いたいし、皮むき気分でコーナーのある正丸を通って帰ることに。

天気もいいし、気温も上がり気味、チェーンも適正ですべて静かで快適走行で切る状態!!。誰かさんではないが、気分爽快でナビなしで、美里町を行くと寄居方面へすぐ行けることがわかり、安心して、秩父路へ。

で行くうちにもし阿左美冷蔵の混雑が適正規模なら今日は是非寄りたいな、と思いだし入り口でガードマンにそぶりを見せたら、是非どうぞと案内された。
http://rose.zero.ad.jp/vodka/

指定された場所にバイクを止め、入り口を覗くと大した混雑ではなかった。これもラッキーと思って並んだ。

するとすぐになじみのおばあさんが現れ、メニュー表を渡してくれる。何時もの傾向で今年もプレーンの白桃を選ぶ。600円で少し安い。以前は何とかピーチ姫とかいってもっと高かったような気がする。ちょうどそこへ女性が主導している感じのカップルが来た。女性の声が大きく開放的で明るい感じなので思わず振り向くと、現代女性の典型かと思うような私好みの女性で何となくこれもラッキーかなと思われた。で前を撮っている振りをして後ろを一枚。幸いなんとか撮れた。

そうこうしていると後ろのカップルと一緒にいつもの裏庭へ通された。一名でも4卓の
ある席へ案内され、後ろのカップルは私の直ぐ後ろのお二人用のミニ席へ。待つ事10〜15分。最初に私の白桃が。最初に来た来たと思った物は先客さん用でした。空いている割には程よく待たされる感じ。

ついに来ました。
4月に二度ほど秩父に仕事で来た時から狙っていたチャンスにめぐりあえました。例の後ろに並んだカップルは明らかに今回が初めての様子。私が注文の品を待つ間、500円玉と百円玉をテーブルの脇に揃えて置いたのを真似して実行していたらしいが、風で千円札が飛んでしまったらしく、ひときわ賑やか。皆、ここの席ではいっそう幸せ感がアップするような例が多い気がする。

やがて、後ろの二人にも注文の品が来た。で氷の搭を2つ並べて二人が顔を寄せているところをアップで撮ろうとして男性が地べたに尻をついて変な格好であれこれやっている。見るとiPhone4Sなので、良かったらお撮りしましょうかと声をかけたが、ありがとうございますといわれたが、カメラは手放さなかった。抹茶小豆といちごミルクのとりあわせであった。

白桃は不二家のネクターの缶ジュースを濃厚にした感じがベースでたいへんおいしい。初めて喉が腫れていることがわかった。ここ数日の咳は風邪ではなく、気管支肺炎的症状のようだお初めて気づいた。練乳もいつもどおりたっぷりだ。ただ、いぜんついていた湧き水のコップは今回はなかった。
出口のほうへ進むと、カワサキ車が二台。でついナンバーを見ると二台ともとちぎナンバーだった。もう一台のW670のほうは多摩Cであった。

その後、秩父市内のエデンで食事をし、芦ケ久保で魚の餌を買うつもりだったが、250円の餌代で万札を出す訳にもいかず、一番小さいコッピー二匹が入った小瓶も買ってしまった。これで我が家の以前からの一匹に新しく仲間が加わる事になった。ほかに、別の飼育瓶にはセブラという国産種の似た魚がいる。ゼブラのほうが餌の食いつきがよく、育て易い感じがしている。

その後299号を南下し、この前と同じルートをたどって家路へつくが、今回も前回同様330キロ以上走って満タン燃費を見るとやはり以前より、伸びていた。今回は、坂戸でなく自宅近くで330ちょっととなったため、自宅からレッドバロン経由の走行距離は前回より20キロ程多い100キロほど、のこり230キロは何時もの通勤での走行であり、通勤のみだと19.5前後だと思うが、330キロを過ぎても燃料計は点滅せず、毎回少しづつ燃費は伸びているような感じであって、スズロイ効果の最大限利用が、こんなに短期間で実現することへ
のおどろき感が強い。

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金曜日, 5月 25, 2012

いままで何回か拙ブログでは、ガソリンエンジン用の燃料タンク内に投入しておくだけで省エネ効果が期待出来るという昔からのモータロイという製品の事を取り上げてきた。

今では発売元も製造を停止しているし、類似品も正式には出ていない関係で完全に過去の遺物的存在と化してしまった感さえある。

ただ、一部の経験者は、スズの塊から取り出したモータロイもどきをモモタロイなどというネーミングでネット販売したり、私のようにスズロイなどと呼んで自分のバイクで現役で使用中である。

私は言われて初めて気がついたのだが、昔のモータロイはスズ合金という事で売りに出されていたが実はスズ合金というのはスズ以外に何か特殊な他の金属がある、というほどの事ではなく、昔は精錬度が低く、スズ以外に混ざり込んだ他の金属製不純物が若干含まれているためにそう呼んでいただけで、純スズで一向にかまわないとモモタロイ氏は指摘されていたし、言われて私もハンダを溶かして使用し始めて、鉛成分があると効果を阻害すると分かってから、スズのインゴットから取り出してそれのみを使用しだしてからの効果に着目してたぶんその指摘は正しいのだろうと思っている。
以前使用していたBIG ONEでは、長く継続使用してなくて効果をはっきりと示し得なかったが、最近SC54で、一年あまりタンクに投入していて、ちょっとした使用法の変更でおどろくほど短期間でハッキリわかる燃費改善効果が見られたので報告することにした。

結論を先に言えば、何の変哲もないことなのだが、ガソリンを入れて満タンにする際に出来るだけタンク内のガソリンを減らしておく、というこの一点だけである。過去の使用例を見てもそういう注意点を指摘した例がなく、経験者としても明確に指摘できなかった点をただ恥じるばかりである。

若い時に初めてモータロイを使用し出してから、モータロイがタンク内の振動で擦れて有効成分が効果を発揮しだすのは、決まってそろそろリザーブか、というあたりから俄然エンジンの調子が上がって来ることに気づいていた。それで、当時キャブへ行くガソリンパイプに小型の金属製タンクを付けて、その中でモータロイを振動するようにしておけば、何時でもリザーブ直前のような濃いモータロイ成分を得られるのに、と思っていた。

ただ、モータロイおよびその類似品は、投入しても直ぐに効果が体感出来ない、という基本的特徴があり、私の経験でも一年以上経過して初めてわかってきたことである。ざんねんながら以前の BIG ONE では燃費は比較的悪くいつもたっぷりの燃料を残して満タンにするクセがついていたので、効果を感じながらも、今回のような発見には至らず終いであった。
http://yhsvtex.blogspot.jp/2008/09/zx-9r-120020-http-www.html
にはカワサキの900でモータロイを使用していた経験が出ていて、燃費がはっきりとリッター20を超えるようになるまでは少し時間がかかっていたように思う。この時、今は無いが当時のモータロイの化粧箱などを示しておいた。すると、とあるバイク系雑誌から写真の使用を認めて欲しいという依頼が来たので許可していたが、雑誌ではモノクロ表示だし効果については否定的!?結論で紹介されていたので、少し残念であった。

昨年震災後のガソリン入手困難時からすでにスズ製品であるスズロイを投入していた。暖かくなるとだんだん燃費は向上し、通勤オンリーだけで燃費は18.4ぐらいだった、それでもう少スズロイの効果が出る筈ともう一個増量したら、入れてすぐに19.2ぐらいまでとなった。これは凄いと思った。効果が出るまでに最低でも2000キロ以上は走行してください、などと当時の取り説には出ていたようである。ただ、そうなった後は、追加の効果はほぼ直ちに出て来るような気がしている。

それで、欲張ってもう一個追加してしまった。‥‥
その後の事はいろいろトラブルがあって、長距離走行燃費はなんとかリッター21キロを超すものの、以前程の軽快感は失せ、ピストン•シリンダー感になにか薄物が張り付いているような感触を覚えるようになった。

それから夏以降、常用していたにんじん君の接続が外れていて効果が出ず、つなぎ直して
効果が出ると期待したが、やはり効果が出ず、リッター16キロ初め位まで落ちてしまった。そのうち、寒くなっても回復の度合いははっきりせず燃費は17キロ台どまり、この正月の袋田の滝までの長距離ツーリングで初めてルート6さんのミラクルパワーを付けたりしてようやくリッター20まで行った。

その後もミラクルパワーを付けたり外したりしていたが、 結局効果がある筈と思い付け続けることを決意、最初爆発が強くなったせいかタンクに今までとはちがう振動が出て中のスズ製品がカタカタいったりしていたが、その後慣れて来て音はしなくなった。

冬が去り暖かくなると当然のように燃費は伸びて来た。それで常時通勤オンリーで燃費は18キロ台に回復し、昨年並となって来た。ピストンに張り付いていたような異物感もなく、寒い時期もコンスタントに通勤に使っていたので、夏以降不調だったエンジンもすっかり慣れてスムーズでより静かになって来た。
今年の1月10日、ミラクルパワーなしでどちらのにんじん君がいいか会社の帰りにスタンドで水平にして位置決めをして満タンにし、家の近くまで20キロ弱走り再び満タンにしたら、リッター20を出していたので、今までどおりのにんじん君を使用する事に。新規購入したにんじん君は21.Xまでしか行かなかったので、古い従来品はエンジンに親和しているためだろうと判断した。
 今年の3月18日。通勤燃費が初めてリッター18キロを超えた頃。

それから3日後の満タン燃費。通勤以外にどこか長距離を走ったため燃費はアップしている。
このように冬が過ぎ暖かくなって来ると燃費が上がって来る傾向にあり、その点を確かめる為に同一コースを回って一回のミニツーリングの結果を比較した。
http://yhsvtex.blogspot.jp/2012/04/blog-post_15.html

この比較は4月15日に行っている。
そして『走行120キロで100ccの減、一キロあたり1ccの節約ができればリッター22キロの壁を越えられる、とも言える。それが出来そうであるかどうか、一番の原因を探って対策を立てれば可能だろうが!』というコメントを残している。

その後、短距離比較だから伸びず、長距離比較ならスズロイ効果がよりハッキリするだろうからその際はリッター22は今度こそ超すだろうという目論見で300キロ以上は走ってみたが、結果は変わらずのリッター21.8キロどまりであり、仮説が破れてショックを受けた。そして、‥‥いろいろ仕事の合間に考えていると!!!そうだ、スズロイの効果!?がはっきりしだしている事は事実のように思うから、それを更に伸ばすためには一回の走行で中途半端で給油するのを止めて、リザーブギリギリまでガソリンを使い切るようにして、タンク内のスズロイ濃度を思いっきり高めておく事をすれば、その後の満タン給油でも、それほど濃度が一気に低下することを防げる筈だから、そうしてみようということになった。
 これは5月13日、通勤走行で250キロを超えた日曜日、仕事の関係で朝から現場の補備のため寄居町の某地区へ調査に出かけた。これまでなら、当然満タンにして出るのが常だったが、今回はこれからが勝負と意気込み、寄居の後、秩父飯能と回るつもりで出発。
 昼前に現地の補備は終わりそのまま秩父に向かった。上の写真からセンターラインの手前にある水道管から奥の小道に水道管がどうやって横断しているかわかりますか?私はマンホールの蓋の右手を進み、側溝を抜けたところで左折し制水弁の所で右折し、‥というルートを想像しましたが。ただ、このマンホール、首長が40センチ程しか無く水道管のDPは0.3位になりますが。この日は「北条まつり」の日とあって、近くの城跡で太鼓の音が鳴り響いていた。

秩父へ出てもリザーブにならずそのまま正丸峠超え。299号を降りだしたあたりで燃料計が点滅。この時点でタンク内残量は4リットル程度と言われているので、まだ安心と給油せず、とうとう坂戸市内まで来てようやくセルフを見つけて給油。330キロまで走行していてこの燃費19.4あたり。しかし、これは家から秩父経由の長距離を含んでいるので、いわゆる通勤オンリーの燃費ではない。ただ、通勤だけだとすると最近は19前後の気がする。
それから二度目の満タン給油。この時までは通勤オンリーだった。316.5ほど走ってちょっと早い気がするが満タン。前回と違いここまで走ってもリザーブの点滅は起きていなかったから、これまでより燃費は良さそう、と思っていた。前回の満タン以降、音は静かでささやくようなメカニカルノイズ。そして、5月の13日以降、わずか8日でこの値。
最近どうもブレーキの効きが鈍くなったと感じていたのは、減速してもエンジンブレーキが殆ど作動しないからだろうと分析。それでいて、どんどん加速してくれる。これまで、一回のツーリングで22キロ以上出すためには高速道の併用をしないと無理かも知れないと思っていたが、この値を見て、一回のツーリンヅで22.x(x>1)は出たのでは!?と思った次第。今後もガソリン給油は点滅しはじめるまではしない方針。
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月曜日, 5月 14, 2012

トケイヤーの「ユダヤ製国家日本」2:いま蘇る鉄砲伝来の真実!
http://quasimoto.exblog.jp/17968544/

を読んだ後、以下の宮崎正弘氏のメルマガを読むといろいろな関連を連想してしまう。
因みに
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=91734&bm=
に日本はいつから道を誤ったかのアンケートで織田信長以降という答えは少ないが1.2
パーセントであったが、‥。
http://www.news-us.jp/
にこの設問は掲載されており、最新版 では日本は江戸時代の良さをとりもどすべきか となっている。
http://www.news-us.jp/article/269806666.html
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成24(2012)年5月14日(月曜日)
通巻第3646号
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ダライラマ法王、毒殺されていたかも知れないと英紙に語る
中共に訓練されたチベット女性がエージェントとなっていた
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「テンプルトン賞」受賞式のため、14日にロンドンを訪問するダライラマ法王は、『サンディ・テレグラフ』(5月13日付け)との独占インタビューのなかで、「わたしは毒殺されていた可能性がある」と衝撃の内容を語った。

昨年、或るチベット女性が近づいてきたが彼女の髪毛、衣装のなかに毒が含まれていた。この女性はチベット人だが、或る事情により中共によって訓練されたエージェントであることがわかった、という。
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◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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大東亜戦争は十五世紀のマゼラン、種子島鉄砲伝来から伏線があった
侵略と搾取を繰り返し、暴虐の限りをつくした英米の侵略史をたどる


柴田賢一『米英のアジア太平洋侵略史 年表 1521-1939』(国書刊行会)
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先々週、雲南省の南西部を評者(宮崎)は旅した。同行は高山正之、樋泉克夫、北村良和氏ら合計18名。目的は英霊の慰霊と現状の取材である。
大東亜戦争中、激戦地だった雲南省の亡市、龍稜、拉孟、騰越を歩いて、ミャンマー国境の村々も二ケ所みた。すっかり観光地化して翡翠の土産屋はあるが、各地の戦跡は風化していた。
日本軍はこの地でおよそ十八万余が祖国のために尊い生命を捧げた。されど日本人墓地はない。
龍稜、拉孟の激戦をたたかって奇跡的に生き残ったAさんは89歳。娘さんとお孫さんと帯同して、参加されたが、メンバーの中で一番元気。小高い台地や激戦地の跡をすいすいと歩いて案内してくれた。拉孟ではにわかに豪雨となって寒さに襲われた。英霊たちが「来るのが遅いぞ」と怒っているかのようだった。
「陸の硫黄島」と言われる雲南戦線は、古山高麗雄の戦争三部作以外、殆ど記録がない。驚くべき事である。インパールは多くが語られた。タイの白骨街道も、最近知られるようになった。しかし湖南省長沙から南西部での日本軍の戦い、悲惨、玉砕(渋江作戦)について戦後の戦史から「欠落」したかのように雲南戦線に関しても空白のページがある。
戦跡を歩いたあとの反省会で、同行の高山正之氏がつくづくと言ったのだ。
この戦争はアメリカと日本の戦いであり、フライング・タイガーが制空権を握って日本兵を殺戮した。シナの兵隊は『アメリカの傭兵』でしかなく、あれは最初から最後まで日米戦争の文脈のなかでの戦闘だった」。
そうなのである。
英米露仏中が「連合国」だなどとひとくちに言っても、中国各地の戦争は、たしかに日本は国民党と戦ったが、背後には最初はロシア、南アジアではフランス、オランダ、英国が背後にあり、そして真珠湾以後はアメリカが空軍力にものをいわせての「援蒋ルート」を構築し、国民党の数百倍、数千倍の火力と空軍で日本に挑んだのだ。
ちなみにこの間、毛沢東の山岳ゲリアは日本とは一度も戦火を交えず延安の洞窟に逼塞していただけである。

さて、本書である。
アジア、とりわけシナ大陸への野心を淡々と研いでいたアメリカはフランクリン・ルーズベルト大統領によって、日本との衝突を周到に用意していた。真珠湾は日本をおびき寄せるために、意図的に海軍基地をサンディエゴから移設した、格好の餌である。
昭和17年にアジアの前線を歩いた海軍報道班の柴田賢一は、世界の歴史の急変ぶりを刻刻と国民につたえた。英米が十六世紀からすでに虎視眈々とアジアを侵略しようとしており、事実、インド、インドネシア、ラオス、ベトナムを侵略して搾取してきた。最終目標は独立自尊、武士道の生きる日本だったのだ。
『年表』とはいうが、本書は歴史の出来事を無機質に並べたのではなく、海外情報を精度高く蒐集し、歴史観をもって分析し、必要文献を翻訳し、系統だって歴史物語風に仕立て直した工夫がされており、異常な時代の歴史の記録として読める。
1521年、マゼランがフィリピンに漂着した。1543年、ポルトガルが種子島に漂着し鉄砲をつたえた。その後、宣教師らがやってきた。南蛮文化、基督教の普及の背後に侵略の意図があると秀吉はにらみ、朝鮮半島へ先制攻撃的予防戦争に打って出た。
それからの長い歴史は日本の敗戦まで続き、そして本書はGHQの命令で禁書処分とされた。
爾後、67年の長い眠りから覚めて、ここに復刊された。

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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 750回】          
――「中国でインド洋にいちばん近い都市」へ、ようこそ・・・



フライング・タイガー司令部跡は「飛虎楼 主題餐庁 FLYNG TIGERS RESTAURANT」と名前を変え、洒落た中華レストランに大変身し、内部にはフライング・タイガー縁の品々や生みの親でもあるクレア・L・シェンノートの写真などが飾られていた。

数年前、湖南省西端の?江に残るフライング・タイガー基地跡を尋ねた際にも感じたことだが、日中戦争とはいうものの実態は日米戦争であり、であればこそ日本は一時期、太平洋と中国大陸の二正面で米軍と戦っていたことになる。

日米戦争は太平洋だけで戦われたわけではないことを、殊に中国の内陸部から西南地方にかけて点在する戦跡を歩くと痛感する。

同時に、こういった戦跡を北京政府が愛国教育基地と定め、愛国教育に励めば励むほど、共産党の日頃の自画自賛とは裏腹に、日本と戦ったのは米軍の全面支援を受けた国民党軍だということが明らかになってしまう。

少なくとも中国の西南戦線ではそうだ。そこで共産党は中華民族主義という“印籠”を持ちだし、これを振りかざすことで、国民党の貢献を限りなく薄め、相対的に抗日戦争における共産党色を強めようという躍起になっている。

さらにいうなら日本との戦いにおける米軍の貢献をさりげなく押し出すことで、巧まずに中米友好を打ち出そうという魂胆が見え隠れする。
!)江でもそうだったが、西南中国の各地に点在する日中戦争の戦跡が中米友好のシンボルとなっていることの底意は、現在の日・米・中関係を考える時、決して小さくはないことを日本人は知っておくべきだろう。

それにしても「飛虎楼 主題餐庁」の味はサラッとしていて、そのうえ洒落た盛り付け。これまで食べたどの雲南料理より旨かった。
やはり経済統計など不要。手元不如意なら、誰も贅沢はしない。店内の盛り上がりは、一般市民の潤う懐具合を如実に物語っていた。

思い起こせばバンコクに住んでいた頃、時折、タイ雲南会館の楊主席の豪邸に遊びいって京劇談義に花を咲かせ、夫人手作りの雲南料理を数多くご馳走になった。
楊さんは「ヤツの雲南料理の腕は超一流で味は絶品」と豪語していたが、あれは油濃く、醤油の味が強く、強い酒で流し込みでもしない限り、食えたものではなかった。
ついでにいうなら、それは今から20年ほど前の90年前後の数年間のことだったが、彼はバンコク、昆明、香港、台北の4ヶ所に家庭を構えていた。
つまり夫人が4人で子女は多数。

共産党とも国民党とも、ましてやタイの政財界要路や国軍首脳とも太いパイプを持ち、バンコク、昆明、香港、台北を舞台に宝石ビジネスを手広く展開していた。もちろん彼が表舞台に立つことはない。
「これが外に飛び出した雲南人たるオレの行き方だ」との楊さんの呟きを、時に思い出す。

昆明の街を歩いていると、到る所で地下鉄工事現場にぶつかる。
このだだっ広い街で地下鉄など必要なかろうと思うが、おそらく現在の中国では地下鉄の有無が一流都市の資格ということではないか。

であればこそ地方都市の多くが、なにかに突き動かされるかのように闇雲に地下鉄建設に邁進しているのだろう。地方都市にみられる猛烈な上昇志向といってしまえばそれまでだろう。だが今だからこそ、一歩立ち止まって考えてみる必要がありそうだが、なにせ挙国一致して経済建設と都市再開発に「発瘋」している情況である。一歩立ち止まって頭を冷やせなどという傍からの“助言”などに耳など貸すわけがない。

昆明を発って西南に1時間ほど。次の目的地である芒市に到着する。
空港を出て最初に目に付いた看板には「中国でインド洋にいちばん近い都市・芒市」と。このキャッチ・コピーに、この街のすべてがこめられているように思えた。
《QED》
◇◎△▼ ○□◇ ▼◎◇○
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読者の声 どくしゃのこえ 読者之声
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(読者の声1)全米に慰安婦像を建てると騒ぎ続ける愚かで迷惑この上ない韓国人ですが、テキサス州では韓国人による違法マッサージ店が摘発され7人が逮捕される事件がありました。
記事と顔写真はヒューストンの地元紙
http://www.yourhoustonnews.com/cypresscreek/news/women-arrested-in-nw-harris-county-prostitution-raid/article_d7c27642-9606-11e1-aa4d-0019bb2963f4.html

動画はABCニュース
http://abclocal.go.com/ktrk/video?id=8647306
記事の翻訳・詳細
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1829.html

名前を見ると中国人が一人で後は韓国人のようですが、整形しているのに美人でもなく若くもない。
ソウルで腕を引いた7万ウォンの店でも通用しそうなのは一人だけ。
みな後ろ手に手錠をされ、さらに足も錠と鎖で繋がれるという物々しさ。「アイゴー」と泣き叫んだのか知りませんが、どれだけ暴れたらこんな扱いになるのやら。
日本のテレビのように手錠にモザイクをかけるような偽善もありません。ただの売春婦の逮捕にしてはやり過ぎとも思える映像ですが、人身売買組織が関わっているなど韓国人がアメリカにおける売春ビジネスでどれだけ違法行為を繰り返しているかが分かろうというものです。
メキシコ湾岸の観光地ベラクルスでのこと、南米各地からの旅行者で賑わう広場でビールを飲んでいたらメキシコ女性が声をかけてきた。50ドルでいかがかしら? 話をきくと韓国人経営者の店で働いているという。
サムスンのように世界を股にかけて活躍する韓国人ビジネスマンもいれば、女の股で商売する韓国人もいる。どちらにも共通するのが日本を騙ること。富士山・桜・相撲といった日本文化をCMに使い、展示会では韓国色を絶対に出さないサムスン、日本風の店名や源氏名で商売するコリアン・マッサージ。韓国観光公社が数年前に制作した「ダイナミック・コリア」という韓国観光宣伝ビデオには渋谷の街並みが使われていました。「韓国人を見たら泥棒と思え」は正解で、彼らは絶対に信頼できない確信犯。

ベトナムでも「韓流スター」「KーPOPアイドル」のポスターやビデオが溢れていましたが、ビデオでは日本語で歌っている。日本で人気の~、つまり「日本から」ではなく「日本の方から」来ました、なのです。笑い話で済めばいいのですが、「消防署の方から」来ましたという昔の消火器詐欺みたいなことを未だにやっている韓国は実害があるだけに迷惑千万。
サイゴンのスーパーやコンビニではグリコのポッキーをパクった韓国ロッテのペペロが売られ、アジア各国で販売されるポカリスエットもベトナムではなぜか韓国製。ハングルを見たとたん商品を棚に戻してしまう。「韓流ゴリ押し」の効果たるやすごいもので、昨年8月以降韓国製品は一切買わなくなってしまった。
キムチは寄生虫卵や雑菌が多い韓国製は2005年以降買っていないし今後も二度と買うことはないでしょう。
定期的に虫や雑菌が出てくる韓国のお菓子など論外、すぐに故障する電子機器はノートパソコンのDVDドライブ2回交換で体験済み。バンコクの行きつけの居酒屋のオヤジさんもサムスンの携帯はすぐに故障してしまった。日本人はめったに乗ることのない韓国車、シンガポールのタクシーはかつてのトヨタ車から韓国車に変わりましたが、市街地走行はともかく、たかだか時速100kmで奇妙な横揺れ、後部車輪からのロードノイズの侵入がひどく、バンコクでカローラやサニーで時速150km走行したときよりも安定感がない。
日本の30年前のトヨタ車のふわふわした足回りのよう。韓国製品は途上国向けの安かろう悪かろうでしかない印象をさらに深めました。

サイゴンにはマクドナルドはなくてもロッテリアはある。
イギリスのコスメ「THE BODY  SHOP」をパクった韓国の「THE FACE SHOP」も多数。ベトナム長期在住外国人30数万人中、中国人と韓国人が各10万人を超えるのに対し、日本人はわずか1万人(ホーチミン市では数千人)とバンコク・上海の十分の一程度。スーパーの品揃えを見ると韓国圧勝です。
もともと加工食品はベトナム製が少ないためタイ・インドネシア・シンガポール・香港の商品が多かった。それがいまや韓国製が4割近くを占める勢い。カップ麺・袋麺ともタイ製品と互角、お菓子は過半が韓国製、冷凍食品やアイスクリームも韓国製が多い。酒類も眞露、マッコリはどこにでもある。
駐ベトナム韓国人が多いとは聞いていましたが、これほどとは思わなかった。社会主義国なのに高級車が氾濫しているサイゴンを見ると、金(賄賂)とコネが利権を得る近道だろうと推測されるのは中国同様です。
BMW、アウディ、ベンツ、レクサスといった高級車、バンコクでは車体は大きくともエンジンが小さかったりして小金持ちの見栄だとわかります。しかしサイゴンでは各社ともシリーズ最高級車が勢ぞろい、個人所有か公費によるものかわかりませんが、いずれにせよ権力との癒着あるいは公費の濫用を思わせるものがあります。
韓国とベトナム、ともに周辺国として科挙体制を敷き、コネと金で生きてきた国だけに、韓国人にとってはベトナム市場を攻略するなど、たやすいことなのかもしれません。
(PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)あまりに偽ジャパンが多く、欧米に限らずアジアでも「寿司」のニセモノ、寿司まがいのインチキ料亭。そこで『ジャパン食品』を国際的に認定しようと正統な動きを開始したら、当時の松岡農林大臣をメチャクチャに批判して、自殺に追い込んでしまった売国マスコミがあります。名指ししなくても、皆さんおわかりでしょう。




(読者の声2)長浜浩明著『文系ウソ社会の研究』読後感です。
宮崎先生のお勧めに従い、長浜浩明著『文系ウソ社会の研究』の読後感を報告させて頂きます。
予めお断わりしておきますが本書は理系・文系の優劣論議のような類の内容では全くない。一級建築士・技術士である著者は理工系の人間であり、理工系にあっては先ず事実(ファクタ)が第一優先であり、事実に基づく論理構成こそ信頼に値するという方法論が基礎にある。
著者は理工系の自明の仕事の流儀に従いつつ、文系社会が「語られた事実(ファクタ・ディクタ)」に依存し過ぎることに警告を発する。時には朝日新聞やNHKが意図的に流す「語られた嘘」(フェイク・ディクタ)さえ氾濫し、読者や視聴者は無批判的にウソ情報を受け入れてしまう。
ウソ情報に騙される側にも問題(B層化)はあるが「語られた嘘」を流し続ける「文系業者」にこそ責任がある。この「文系業者」の習性は実は戦後の現象ではなく戦前から続くという。
例えば戦前の朝日新聞をはじめ文系業者はこぞって軍部に協力していた。朝日は紙面で戦争へと国民を煽っただけでなく、昭和12年~19年の間に新鋭戦闘機を陸海軍にそれぞれ献納し、合計300機にも達したのである。
なぜそんなことができたのか?
戦争のおかげで新聞の購読者数が拡大し購読料収入を増やしただけでなく、読者から献金を募ったのだ(なおこの部分は本書には書かれていません)。
海軍が壊滅的敗北を喫しても正確な情報を報道せず、大本営発表のまま紙面を作り国民だけでなく、天皇さえも騙してきたのは当にこれら文系業者だったのだ。
さて、戦後はどうか。
ご主人さまを軍部からGHQに変えただけでご主人さまの命令に忠実に従っていた。占領軍にとって都合の悪い情報は一切報道せず、あろうことかGHQの検閲に唯々諾々と従っていたのである。
再び国民を欺いていたのだ。マッカーサーが日本を去ると三度ご主人さまを変えて今度はソ連・中共・北朝鮮となった。ついでソ連の崩壊とともに左翼は精神的支柱を失い、以後はグレて反日を唯一の拠り所とし、今や中共さまがご主人という体たらくである。
犬にも柴犬、秋田犬、チン、ダックスフンド、ブルドッグといった種類があるように文系業者も朝日犬、毎日犬、NHK犬、岩波犬、さらには弁護士犬、大学教師犬、政治家犬、官僚犬等々、種々雑多である。始末に負えないのは文系社会では犬が人を騙すテクニックさえ身につけていることだという。
ウソまみれの文系社会と犬業者による「騙しのテクニック」を知ってしまった著者は、理系日本人として知らんぷりは出来ないと本書を執筆した動機を語る。
全体的にやや過激発言も目につくがこのくらい言わないと「B層」には届かないのかも知れない。
面白い本であることは確かである。なお続編も出版されていることを付記する。
(ちゅん)




(読者の声3)「世界ウイグル会議を支援し、中国の覇権と闘うシンポジウム」
5月14日から17日まで「第4回世界ウイグル会議代表大会」が東京で開催されます。これを支援するシンポジウムが下記のとおり開催されることになりました。
一人でも多くの皆様のご参加をお勧めします。
メインパネリスト 世界ウイグル会議議長 ラビア・カーディル
国家基本問題研究所理事長 櫻井よしこ
シンポジウム大会会長 平沼赳夫
特別顧問 石原慎太郎
顧問 小田村四郎 加瀬英明 中條高徳 ペマ・ギャルポ
世界ウイグル会議を応援する日本人の会代表 頭山興助

とき   5月18日(金)18:30(開場:18:00)
ところ  日本プレスセンタービル10階ホール
東京都千代田区内幸町2-2-1
料金:  一般2000円、学生無料
主催:  世界ウイグル会議を応援する日本人の会
申し込み:TEL 03‐5980‐9701 FAX 03-5980-2401
Email  sada816@yahoo.co.jp 




(読者の声4) 中日新聞が、いわゆる「南京事件」に関する河村名古屋市長の発言についての意見広告の掲載拒否を行った事柄についてです。
掲載拒否理由は「社論にあわない」ということだそうですが、新聞の論調を強要した訳ではなく、意見広告を申し込んだのを拒否したということは、異論を認めない、云わば「言論の自由」「表現の自由」を奪う行為に出たと云うことです。
もし、“社論に合わない”ことを理由、広告掲載が認められないと云うことであれば、雑誌の記事の広告などについても“検閲”が入ることになります。
実際に、過去、朝日や読売で、週刊誌の見出し広告で特定字句が抹消されたものが有りました。
その一方で、カルトである創価学会・聖教新聞系の一面広告などは、平然と掲載しております。
富者・強者には媚び諂い、一般の国民に関しては特権を振り回す、こんな酷い正体が、「社会の木鐸」と謳われた大新聞なのであります。これを看過してはいけません!
中日新聞そして、中日新聞の東京での“子分”東京新聞に対して、国民は猛抗議の声を上げましょう!
中日新聞
メール:center@chunichi.co.jp
TEL:03-6910-2211
TEL:052-201-8811
FAX:052-201-4331

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『中国が世界経済を破綻させる』(清流出版)
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急速に膨張し、不動産バブルに陥った中国は、製造、サービス分野ばかりか世界の資源、環境で世界経済を全面的に揺らす可能性がある。新幹線事故が象徴する劣悪技術と盗版常習は経済摩擦も激化させる!

「リーマンショック」から「ユーロ危機」へと世界経済が陥没する中、つぎの危機は中国バブル経済が破綻し、中国と取引関係の企業、銀行、個人に巨大な被害が出るだろう。
人民元が弱含みの趨勢に陥ったうえ政治の険悪化が次に何をもたらすか?

本書ではむしろ米ドルの下落、ユーロ暴落という世界の通貨戦争の裏側を縦軸として、金ブームを主導する中国という対比を通しつつ世界市場の相対比較のなかで中国の経済戦略の破綻を活写する。
(256p並製、5月25日発売 定価1680円)

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版元清流出版のご厚意により、事前予約をネットで受け付けます。先着300名には著者サイン入りが届きます。
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◎ 郵便番号
◎ ご氏名
◎ 電話番号を必ずご記入下さい。
なお当該書籍は「清流出版」から直接お手元に、メール便か宅配便で届きます。
お支払いは配送される本のなかに挿入される振替用紙を利用して、お近くの郵便局から後日、1680円(手数料無料)だけ御振り込み下さい。それでお終い、簡単です!
(なおサインの入らない本が届いた場合は先着301名以降と御推察下さい。本の到着は5月22日から26日になります)

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日曜日, 5月 06, 2012

昨日駐輪したバイクの後方が平成22年に開館した予科練平和記念館。休日で好天だったせいか、昼前はそれほど人出は多くなかったが午後からは駐車場はほぼ満杯。グループで各展示質を案内され迫力のある記録映画などの鑑賞をしていた。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1498.html
私はたまたま江戸時代の和算家、関孝和を扱っていることから『ねずきちのひとりごと 』を見て偶然この地の存在を知らされた。それで、行くならコーズ付近だし訪ねてみる事にした。

午後、展示室を出る事には多くの観光客が集団でガイドの説明を聞いていた。私が入った頃は、自由に参観出来て、映画の紹介以外は説明は無かった。しかし、多く訪れると会場の人の流れを合理的にさばく必要から、手際良く説明し映画を見せて行かないと収拾がつかなくなるおそれがあるからだろう。

私が天井に吊るされた赤とんぼの模型を見たりしながら、昭和20年6月10日にここ予科練のある阿見町は大空襲を受けたが、壁一杯に米軍が作成した作戦文書のテキストが 表示されていて、あのテキストは何だろうと入った時から思っていたが、3時間ほどあちこち周りようやくあとはこれしかないと見入っていたとき、後ろでガイドさんが、こんな赤とんぼのような非力な飛行機も特攻に参加し、それでも二機が体当たりしたそうです、などと説明していた。帰ってあらためて上記ブログで確認するとおススメ記事の中に(7段目あたり)赤とんぼの戦いという記事もすでにアップされていた。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-964.html
これは予科練平和記念館の正面に向かって左側からの写真で、自衛隊武器学校内にある平和記念館の別館である、雄翔園の見学を終えて駐車場に戻る観光客をバックに撮影した。

そういえば、ガイドさんは赤とんぼの塗色の色の変遷も説明していた。所沢市役所も航空博物館があり、そのせいか一時ファルマン機の模型が庁舎内広間の天井に吊るされていた時期があったが、それを思い出した。できれば、実物の1/4スケールとか表示されていればなお良かったかもしれない。説明ではあったかもしれないが、‥。

館内は撮影禁止ということで、それを知らないで一枚撮ってしまったが発表しない。予科練の沿革を述べたレリーフを撮った文章である。

海軍飛行予科練習生およびその制度をいうらしく、当時の海軍が昭和5年に横須賀に海軍飛行予科演習性の制度を設け、昭和14年に霞ヶ浦海軍航空隊基地があった関係だからか阿見町に移転した。‥昭和18年頃から予科練習生は大量に採用され、全国19カ所で教育が行われるまで拡大したなどとあり、終戦までの15年間で24万人が入隊、うち約2万4千名が参戦し、8割近くが戦死されたと聞く。うち特攻での戦死はおよそ3千名という。前述の写真を振り返るとすぐ目につくのがこの雄翔館の案内標識。隣は自衛隊敷地内であるが今は陸自の施設?のようでその中に併設されている。観光客数をカウンターでチェックする隊員が一人たまたま退園時にはいたが、陸自の迷彩服を身につけてヘルメットも付けていた。

  
雄翔館内には戦死した軍人の遺品が多い。例えば、南方の島に墜落した零戦の(金属製)プロペラの羽一枚を許可を得て切り落とし日本に持ち帰って展示したりもしているが、遺書などが多い。田中内閣時に、大西中将に与えた勲一等の賞状などもある。大西夫人は受けられたそうだが、これを受ける真の立場は戦死者たちにある、というような意味で没後生前の遺志で寄付されたような事が記されていた。

また、中でも
 の肖像などもあった。米国防総省にも展示されている、という。『最強撃墜王』零戦トップエース西沢広義の生涯  武田信行著、 光人社、前書7ページ、2004年

特攻の産みの親は大西中将であるが、最初の特攻は関大尉の神風特攻隊(しんぷう)となっているが、部下3名は皆ここの予科練を出た搭乗員であった、という。その戦果を見届けるため周回したパイロットに西沢がいて、彼もここの卒業である(出身は長野県)、という。ただ、今では、その戦果に疑問はなくとも、どの機がどれに命中したかなど、かなり諸説があるようである。

敷地内に記念碑があり、頭を下げている方達も見受けられた。またこの周りはこじんまりとした庭園にもなっていて、癒しの空間でもあるようである。
5月の陽光をあびて風にそよぐ草の動きを見て、ここかしこに英霊達の霊がまとわりついて
いるように感じられてならなかった。その一方で、ここは自衛隊武器学校の施設内でもある。
少し離れたところへは行けないようになってはいるがこんな武器類も置かれている。かなりの台数があるようである。
 入り口付近にあった町案内図。最寄り駅は荒川沖駅。ここでの常磐線は国道6号にほぼ平行である。昭和20年6月10日の大空襲で阿見町民、軍人、予科錬生など約380名が亡くなったという。
館内での映画は、特攻のほかに(これは短い)この土浦海軍航空隊と阿見町が被った被害体験の各証言や、天井から降る爆弾映像や目の前の耕地に次々と着弾する爆弾の爆発などが三次元音響とともにリアルに再現されたりしている。軍都として発展したが故の悲劇を
正確に後世に伝えるための 施設という。
http://www.youtube.com/watch?v=-HZNWtNxxWI&feature=related

最後に信時潔作曲による鎮魂頌を
http://www7.ocn.ne.jp/~gunka/showa.html#11.%E9%8E%AE%E9%AD%82%E9%A0%8C







 

5月5日、待ちに待った五日ぶりの好天となった。なんとなく、部屋が明るい感じで目覚める。ゴミ出しを終え、直ぐに出発する事に。出がけに、iPhoneの充電用端子のカバーがばらけ中のソケットと配線が(細い二本のプラス、マイナスのコード)が露出してしまったが、直す時間がないので、そのまま出発。これが後にトラブルとなる。

デジカメを会社に置いて来たので、iPhone二台のみ。できるだけ垂直にセットしようとして
端子が露出したわけだが、端子部分が大きすぎて長過ぎてタンクに当たる。本体はいいが、周辺装置はプアなことがはっきりした。

何枚か撮ったが、素手もしくは専用手袋をしないとスイッチオン後の操作ができないのも難点で、いちいちグラブを外して撮影したが、やはりナビとカメラは両立出来にくい。専用手袋の指先の部分をグラブに移植するか、タッチペンをハンドルまわりにセットでもしないと無理だし、バイクの振動で画像が歪む。垂直にセットできればもう少しましな画面が撮れたかもしれないが。
例によって4号バイパスを春日部から北上し、雀の宮付近で一般道にでたところで、カーナビが落ちた。スイッチを入れ直そうとするが反応しない。端子部分を見ると細いコードが風圧で揺れてハンダ部分から剥がれてしまっていた。

この直後に線が1本断線して、プアな旧iPhoneのバッテリーはたちまち低下、使えなくなったので、4Sに交代。4シャバッテリーの持ちはいいが、丸一日は無理。仕方なくコンビニで電池充電式のアダプタを買う。端子とバッテリーからの接続部分の携帯が多様で、共通であれば、その端子だけ接続すればいいのだがそうは行かないので、予備用アルカリ電池も買う。合計1700円程。これで、行き先に迷う事は無くなりほっとしてようやく走りに専念できる。かなり無駄なルートを回った感じ。

4Sは、初めてバイクでナビとして使ったが、今日のように明るい日でも画面が良く見え大変使い易い。ナビの音声もかなりよく聞こえる。下に、一ミリほどのプラスチック反射板でも装着すれば音声はさらに聞き易くなるだろうと思う。ホルダーの表面がスポンジなので、音の反射が悪く、車内で使うより聞きづらいことは確か。
この二枚のショットは別の場所同士である。笠間あたりだったような気がする。栃木県内で長居をして右往左往したせいで、大洗まで出る計画は無くなり、走行300キロからの目標からすれば、本日の目的地阿見町の平和記念館へ無事着ければいいだけなので、ある程度距離を稼いだら、登録地へ向かうだけである。霞が浦の南岸である。50号線に出てから、ナビをセットし目的地へと向かうが、見やすい画面をチラリチラリで難なく到達できた。
たしか11時前頃には着いたと思う。最初大洗海岸でセットしていたので、到着予定時刻が違う。先客のハーレー883が止まっていた。後ろの電波搭は、この時は気づかなかったが、自衛隊基地。ここに、平和記念館とは別の予科練の遺品などが別個に展示されていた
(平和記念館はあくまで予科練の教育内容の展示館で、基地内の遺品などはあくまでも戦争記念館的な要素が強いようで、初めて海軍のエースナンバー2である西沢中尉(死後特進)の肖像の実物!?を見た。これのコピーがアメリカ国防総省にも飾ってあるそうである。それらについては別掲予定。
館内は写真撮影は禁止であり、いろいろとメモを取ったりした関係で帰りは3時過ぎ位となった。昨年の同時期にくらべ燃費性能はどうなのかが気になっていたので、最近どうしても昨年時期の走行200キロまでは燃料計の目盛りが二個欠けで、という値をクリアできなかったが、今回はクリアーしたのでつい記念に。同レベルまで回復した、と言えるだろう!?。この後、さらに延び、210キロを超えたところで、三つ欠け、メーター上は半分消費したことになった。その前が150キロで二個欠けている。60キロはもったことになる。その後、どうなるかと見ていると、昔の記憶では確か270キロ辺りで残り2つになった記憶があったが、269キロあたりでそうなった。つまり、まあ、昨年と同レベルなのだが、その時は今日はかなり良いと思い込んでいた。

今回は下道のみという方針だったのでナビが毎回常磐道へと案内するのを無視して時間をかけて300キロ走って給油したが、燃費は前回と変わらない21.8程度でガッカリしたが途中経過をみれば昨年と同レベルであり、それでも昨年の21.5+よりは少しいい。今後高速を100キロ位取り入れてみようかなどと思ったりもしている。給油量は13.3で朝の給油量は通勤オンリーで300キロ弱での燃費は18.66で前々回と同じだった。残量を使い切る走りをすると、スズロイ効果が持続しやすくなり燃費は若干よくなるが、下道だけではその差は目立たないのかも知れない。
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木曜日, 5月 03, 2012

現代日本と江戸時代 いわゆる円周率あたりから

連休中大雨で家に籠りがちとなり、日頃忙しくてみない政治ブログランキングを見たりして、一月ぶりくらいにねずきちの独り言で和算家、関孝和のエピソードを紹介していたの除いてみた。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1496.html#more

どちらかというと数学に直接関わってきた経歴は無さそうに思える方が、どんな関孝和論を
展開しているかも興味の対象となった(失礼な言い方かもしれないが)。
『「産医師異国に向かう 産後厄なく 産婦みやしろに 虫散々闇に鳴く・・・」

ご存知円周率の暗記法です。
学生時代に一生懸命暗記しようとした方もおいでかもしれません。
ここまでで、
3.141592653589793238462643383279
で、小数点以下30桁までの暗記文になります。

長いものですと、次のようなものもあります。』
などと出だしからある種の予想めいた感覚で読み出した。

しかし、古代バビロニアの粘土版の記録から当時の円周率は3.125だったとか、
『世界では、この円周率の計算式を求めて、18世紀から19世紀にかけて大激論が交されていました。』などとなり、
『ところが日本では、江戸初期の寛文3(1663)年には、村松茂清が小数点以下7桁までの正しい値を求め、日常的に使用する円周率を3.14と決めています。
つまり、私たちが学校で習う3.14は、日本国内で350年もの長きにわたって使われてきたものです。』
となり、
『ちなみに寛文3年といえば、関ヶ原の戦いから63年目の年です。
また村松茂清は、播州赤穂藩の人です。
赤穂といえば、赤穂浪士ですが、討入りした村松喜兵衛、三太夫の親子は、村松茂清の息子の孫にあたります。

要するに日本では円周率について、赤穂浪士討入り前から「3.14」が使われていたのであって、それを日教組は、ゆとり教育だのとほざいて円周率をただの「3」にしちゃったわけです。』となって、日教組批判の矛先が一寸出るが、あとはテーマの和算家 関孝和
の業績へ移る。

最後に
『関孝和の時代のすこし後に、伊能忠敬が全国行脚して、日本全地図を正確な測量のもとで作っていますが、これだけの地図を、伊能忠敬が短期間に作ることができた背景には、彼が測量に歩いた全国各地に、彼の用いた和讃による測量技術がすでに普及していて、測量に協力する者がいたということであり、関の影響力の大きさが知れるものとなっています。』などとなっていて、書いてはいないが江戸時代、豪農や町人たちの一部で、俳諧の師匠をもてなしたりしたのと同様に、和算家たちに師事してカルチャー教室が盛んに行われていた背景を思い出したりして楽しんでしまった。
そして、数学的に物足りないと感じてしまう方向けに動画も入れてあり、直接的には元お茶の水女子大教授の藤原正彦先生の解説による三部作の関 孝和の徳川家との関係とその業績の系譜などが簡潔に紹介されている。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=e-7phsUzERM
これは最初1/3となってスタートするが、次々に連続して自動再生されて、WiFi環境でも一度も途切れず詳しく落ち着いて見られた。藤原教授のお顔を講義室で聴講している気持ちで見ていたが、行列式の説明などのところで、ちょっと先生が面倒臭いなというような表情がチラッと感じられたり(因みに先生の行列や行列式に関するテキストは難解で有名!)関孝和の、例えば二次の行列式、換二式などにも口にせず、西洋数学の発表より10年程早く独自に展開したことだけをさらりと喋っておられた。
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