戦後レジームとは、アメリカという他者の存在を隠蔽するところにこそ、その本質がある。したがって、その骨格は6年半にわたる被占領期に作られた。「憲法」、「東京裁判史観」そして、占領期における「検閲」こそが、戦後日本を呪縛しつづけている、と早稲田の岩田氏は末尾にこう書いている。
この戦後レジームを体現し、その延命を図っている存在こそがマスコミに他ならない。そこにこそ、マスコミの執拗なまでの「戦後レジーム」からの脱却に対する非難の動機がある、と指摘しているが、まさに同感である。
この認識は、私のような政治思想というか保守主義を任じていつ者でさえ、ごく最近に至って確信に変わってきたもので、岩田氏は、まずマスコミは真実を伝える存在である、という偏見から自由にならなければならない、と指摘しているが、正論ではあるが一般人には至難の業となろう。
戦後レジームの脱却とは実に遠大な道程を経た後に実現されるべきものであり、国家観、歴史観における幾多の変更を強いられるものなのだ、と指摘している。それを一内閣で成し遂げるというのは、あまりにも難しい。安倍元首相の挫折とは、我々にその方向性の誤りを示すものではない。戦後レジームの強靭さとその脱却の困難さを示唆したものにほかならないと。
今、教科書検定問題があるが、作家の大江氏は、いまだに軍命令がないとわかっても、軍の雰囲気と、手りゅう弾などの自決材料が軍から来た以上、基本認識に誤りはない、というすり替えで居直っている。
大江にノーベル賞を推薦したのは、アメリカだという。沖縄は、いまだに占領期間と同じ米軍向け姿勢をとっていて、日本に返還されたあとも、気分は占領期間中のままだそうだ。あちらの新聞は赤旗まがいのものしかなく、まさに皇居前広場で、共産党が大手を振ってパレードしていた昭和23年までのままであるらしい。
そして、新聞は、日本軍を非難して、米軍を救世軍のように褒め称える報道をしてきた。戦後の早い時期に著名な大江氏が、米軍のプロパガンダに沿った、日本軍を悪魔のごとく捉える著作を発表したのは、信念なのかアメリカの政策に協力したためかわからないが、おそらく後者
だろう。それで、ノーベル賞後、アメリカの大学で一年ほど客員教授の待遇を得た。
マスコミが、戦後レジームに染まっている、とすれば、いまだに米国の占領政策の継続が働きかけていることは想像に難くない。金丸失脚、田中元首相失脚、小沢党首の大連立構想など、アメリカの陰の手なくしては、考えられない。細川政権の、佐川献金での失脚もアメリカの手が動いていた、とされる。
今回の小沢氏は、山田洋行からの600万円は返還したというが、実はその10倍ほどの金が動いていたのを、暴露してもいいのかという脅しに屈したため、ともいううわさもある。
靖国神社の第二次世界大戦での、日本の立場を述べる部分が昨年書き換えられた、というのも記憶に新しい。拉致問題を忘れない、といいながら反対のことをしているのが、世界の現実だ。そういえば、Occupation without troops (Glenn Davis, John G. Roberts)という本が出ているが、戦後政治はずっとアメリカのコントロールのもとで動いてきた、ということを示す本だ。
日曜日, 11月 18, 2007
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