木曜日, 11月 29, 2007

今では、エクセルの機能をつかって、行列(メイトリクス)演算もできる時代になったが、面倒くさく、数式処理ソフトがある以上、それを使えば便利この上ない。

それまで、BASICプログラムで、いろいろなサブルーチンを用意し、データを入力するプログラムと連動させて計算させていたような処理は一気に過去のものとなった。フロッピーも8インチから5インチ、3.5インチとなり、おもに5インチで使用したそうしたプログラムも、垣間見ることもできなくなった。

マックが最初から3.5インチフロッピーを装備しながら、途中からフロッピーレスとなりマック用のフォーマットに移したものも、たぶんウィンでは読めないだろう。まだ、プログラムリストはほこりをかぶって、探せばあるかもしれないが。





そんなわけで、行列の例題演習書などを買って、数式処理ソフトの結果と比較したり、毎晩苦労していた行列演算が、眼のあたりに展開されるのが「うれしくて」やたら演算させていたりした時代があった。それで、教科書のミスプリがかなりあることを知った。それを頼りに手計算で、どこかで違ったと思って落ち込んだりしていたら、学ぶべきその先の課題にアクセスすることは難しいだろう、よほど優秀でないかぎり・・・。

あるとき、知り合いの会社に行ったら、かなり金額の大きい仕事を某公団関連の事業から受注し、納品となったが、所長殿が、結果の精度があまりよくないことに難色を示し、かれこれ二ヶ月以上納品がストップしてしまい、困っているという話を偶然聞いた。

それで、測量ソフトにもミスがあるかもしれないので、それを使わないで再点検して、どうしてこんな結果でしかないのか、説明しなさいという注文を付けられ、担当者は過去4度説明に伺ったが、うち二度は、また君か、今日は疲れているので、またにしてくれなどと嫌味を言われたりしていたらしい。

なるほど、精度は褒められたものではなかった。しかし、測量プログラムは、ブラックボックスで、それを使わないで、別の計算をするとなるとどういうルーチンで計算をしているか知らなければ、手がだせない。

私は、通常の最小二乗法しかしらないし、どうしたものかと思った。それで、担当者の学生時代の、測量学校の教科書を持ってきてもらい、どういう教材か覗いてみたら、なんと測量結果の網平均(専門用語らしいが、要するに観測がみな同程度の誤差を含んでいると仮定されたときに、誤差を最小の配布で平均する方法らしい)にラグランジュの未定定数法、ここでは、未定係数法と書かれているが(最小二乗法の理論とその応用、小牧・田島共著、東洋書店)、
それをつかっているらしい。

通常の測量プログラムに対して、網観測が自由にでき、条件をつけなくても、データだけ指定してやれば厳密に計算する、厳密網平均プログラムは別途に100万近くするし、あまり普及していなかった。

それで、国交省指定の網に応じた平均方法のプログラムをみながら、3日ほどその会社にマックを持参し、たしかいろいろ表計算も使ったりしながら、商用ソフトに頼らない演算結果を得て、あたりまえだが、商用ソフトにミスはない結果をえた。CDROMを付けたパソコンはマックが
まっさきに採用し、社員にデモンストレーションなどもしたので、うちもこういうのを買ってくださいと言い出す社員もいた。

それで、5回目の説明会には私も同席し説明することになった。例のごとく、担当責任者がぼそぼそと、つまりながら、言いよどみながら、事前に予想したとおりの冴えない説明を始める。数分で、何か、所長殿の逆襲を食らって頓挫してしまう。いじめと映ったので、すかさず割って入り、後半の説明を10分ほどし、質疑応答をしているうちに、別の説明を思いつき長々としゃべりだしたら、所長殿がすっと立ち上がり、もういいと。それで、納品オーケーとなった。同席した公団系の会計担当者なども皆ほっとした顔をされていた。

今から思うと赤面ものだが、日ごろマックでの計算トレーニングをしていた自信があふれていた時期だったから出来たのだと思う。今では、とても細部までは思い出せない。

昔は、みな手計算でこんなことをしていたのだと思うと、頭が下がる思いであるが、それだけに、国交省が例解として示した二色ズリの教材にも、最後のほうの誤差の推定で、手書きゆえか、ミスした手書きの数字がそのまま残されているのをみると、救われる思いがする。

今日のニュースでも、某建設会社が、船橋市で取り付ける基準点を誤ってしまい、あらぬ方向へ下水道を掘ってしまい、勝手に他人の土地の下に100メートル以上は下水管をいれてしまった、という。抜き取って埋めなおすというのだから、責任者は辛いだろうなと同情してしまう。

橋げたの位置が一メートルずれていた、などということもあるらしい。こういう場合は結果がすぐわかるが、外交の失敗とか、政策のまずさなどという問題はどうなっているのだろうかとふと思ったりもするが、これらを是正するのは至難の技だろうなと、考えないことにするで済まされる問題ではないのだが。逆に手順どおりやればよいというモデルがないので、それだけ評価も一筋縄ではいかないわけだし。

そこで、ふとこんなことを。科学者は、おれはこうおもう、と実験や調査の結果をだせばよく、間違っても、データ改ざんなどをしていなければ責められることはあまりないが、技術者やその免許で食べている者は、間違えば責任を問われる。大は戦争裁判から小は軽微な駐車違反にいたるまで、賞味期限改ざんもあるし、・・・責任者というのはつらい立場が多い。

左がかった連中のミスはところでどうなんだろう!?総理大臣、裁判官から、教室の現場まで・・・。

数学は裏切らないことを、梶原教授はどこかで力説していたような記憶があるが、・・・。決して欺くことのない、人生の伴侶とかなんとか、・・・。ただ、数学が本当に必要なときが何時来るかは、だれにもわからないとも。


なかのひと

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