土曜日, 6月 30, 2012

地球人以外のいわゆる宇宙人には昔から関心があったが、多くの人々にとっては、なじみがたく「まともな現実」として捉える視点はほとんど提供されて来なかった気がする。

しかし、最近になってUFOやかってのいわゆるタコの変形のような昔からの火星人!?のようなイメージとそろそろ離れる必要があるような多くの現実が出て来たようである。

もともと小生は子供の事からUFO肯定派であったが、現実に見た訳でもなく一種のロマンとして捉えていたような面もあるが、一時期のテレビ番組などで、UFO肯定派と否定派の激突のような番組は大抵見て来た。否定派の首謀というかおなじみの大槻博士の考え方にはいつもガッカリさせられて来た。NASAもUFOについては常に否定的な態度を取り続けて来た。これでは、一般の関心が高くならないのは当然である。

昨年からニビル関連でいろいろと地球の歴史における人類と宇宙人の関わりを探していると
http://www8.atpages.jp/starseed/shangrila/truth.html
というのを見つけた。
それまでいろいろな意見を見聞きしてきて、予備知識があったせいか、良く出来た解説と映った。ロズウェル事件で墜落したUFOの中から出て来た宇宙人(グレイ!?)のような
者ばかりをイメージしていると、最近の出来事というか情報は理解できない。

昨年7月以来、人工地震の指摘という情報に驚き、以来このサイトを良く見て来た方だが、
相手の蓄積量と情報の新鮮さには舌を巻いており、100%同意は無理だが、かなりの部分でアグリーできそうなサイトと位置づけて来た。
http://quasimoto.exblog.jp/i11/
などを見ていると、情報量の貧困さが嫌でも自身に露呈してくる。

この春からいくつか海外からメールが入り、一個は翻訳案内形式で最初に金を取られて失敗したが、もう一個は寄付を希望するが情報がビックリ!なので、そのまま受容している。
ETs/EDs Hit North Korea-Wreck Rocket Fuel/BW Complex!
時期的に北朝鮮の人工衛星の衛星打ち上げというイベントが失敗した直後だっただけに、後から話としても良く出来ていると思った。これは5月の記事だが、4月の衛星失敗は、
核弾頭と同じ重さのダミーを積んでいたので、発射直後に宇宙人達が爆破したという情報だった。それあらしばらくして出てきたのがこういった情報で、これ自身ライセンスがかかるので、中国、ロシア への攻撃などは割愛する。

"ETs/EDs (extraterrestrials/ extradimensionals) of the Liberation Forces unexpectedly struck the night of May 10th in North Korea, hitting a target complex ~ 50 miles north of the capital Pyongyang so hard that the fire and explosion were visible from space and reportedly promptly detected by U.S. satellites. The ETs/EDs said “We wanted to make sure it was visible.” Clearly, the ETs/EDs have been listening to repeated requests for externally verifiable actions."

要するに凄い宇宙人達がどうやら実在するらしい。
 しかも宇宙人達も幾種類もあるらしい。
 
これは、文字どおりサルーサさんの似顔絵らしいが、
には
『闇の勢力に最後の日がやってきた―サルーサからのメッセージ( 6/29)』という記事があり、そのサイトでは、過去にも度々登場する名前であるから、私は勝手にこのメッセージの書き手が地球人ではなくETのサルーサさんだと今では感じている。どうやら、男性のようだ。 以下はその内容の一部。実際に投稿したのは、地球人らしいが。

 最初にあげた画像のサイトから出て来たもので、このTEAM EARTHの中味はPDFである。

その中の解説の一部である。取りあえず、速報をチェックするには
日本語サイトで事足りるかもしれないが、ETたちの真意まで辿るためには、原典参照がかかせないだろう。どうして、エT達とアメリカは意思疎通ができたのだろうと昔から不思議でしかたがなかったが、ETたちはテレパシーも良くするらしく、地球文明の比ではないらしい。しかも、地球人たちと合うときは、地球人のだれかさんという風に変身できるらしい。
http://blog.goo.ne.jp/minoris_2010/e/369b37674802320a1cdbcb852d58bfc8
にはレプタリアンの変身について解説がある、
このレプタリアン達、白人の中にかなりいるらしい。井口氏のブログでは、高齢になって年下の白人と再婚したアルバ公爵夫人のことを例に挙げている。
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/643bc6b05d0835af3b80444823d30d8a
では

【転載】ドレイクの最新アップデート概要「逮捕・地球外生物そして繁栄資金」  

ディスクロージャー / 2012-06-24 06:12:24



(世の中おかしい・・・より)

ペンタゴンのインサイダーであるドレイクは現在行われている、秘密結社と呼ばれる犯罪組織の多くのメンバーの大量逮捕に関しての舞台裏最新の更新をリリースしました。‥

ドレイクは地球外生命体の存在は確かに本物であると述べ、彼らは私達の世界にこの時点で本当にいて、犯罪秘密結社のメンバー逮捕に積極的に役割を取っている。ドレイクによるもうひとつの興味深い声明は地球外生命体が犯罪秘密結社のメンバーの期限を出し、それは2012年6月21日になります。その日を過ぎると、地球外生命体自身が彼らの逮捕をし始めると表明したとドレイクは主張している。

ドレイクが更に明言したのは、宇宙人のもうひとつの計画は彼らの技術を使い、人間の人口から負の人間を識別し、拘束し、二つのグループに分けます。ひとつのグループは修復可能なグループで、もうひとつは修復不可能なグループになります。宇宙人が修復不可能な負の存在達を連れ、この宇宙の中心である太陽に彼らを預け、効果的に彼らのエネルギーをリサイクルして創造主に戻すと述べているという事をドレイクは主張しています。

ドレイクは続けて言いました。宇宙人が地球同盟者(ペンタゴン、CIA、軍と私達の新システムの民兵)に述べたのは、時間が非常に短くなってきて‥

ドレイクがまた続けて明言したのは、宇宙人が地球同盟者に述べた事で、2012年の後半に人類の課題が発せられる。それは地震という形と、世界のいくつかの箇所を通しての海面上昇、過去数ヶ月に渡り多くのメッセージが共有された銀河連邦の光コミュニケーションとの更なる強化になります。この移行期間に前もって人類を支援する銀河のコマンドを許可させるために秘密結社の障害は取り除かれる必要があると宇宙人が述べた事をドレイクはまた明言した。‥』などとなっており、これをラジオで言ったらしくなかなか原典のチェックができない状態である。

しかも、冒頭のサイトでは朝にはなかった新しいコメントがついており、インサイダー ドレーク氏が発した情報を、否定する仲間の情報も出ている。

宙に浮いたマリア像らしき黄金色の映像とともに、David Wilcock: I Cannot Confirm the “Green Light” Eitherなどというのが出ている 。
http://blog.goo.ne.jp/narudekon/e/0668009c401e05c23908930cabbc3f27
には、6月29日の日付で『ペンタゴン・インサイダー Drakeによる GREEN LIGHT情報、ここまでのまとめ』などと出ていてもドレーク氏の仲間が否定発言というわけである。




ただ、宇宙人との関わりで、彼らが人間の隠された本質を見通す能力を十分に備えているようで、人間より遥かに高い位置に属しているようであることも、いろいろな関連情報から分かって来た。アメリカはまだ国境封鎖はしていないので、身に覚えのある人たちは海外に逃げているが、どこに逃げても行き先は分かっている、とも。

昨日届いた中丸女史のメルマガでは、ベンジャミン•フルフォード氏の事が触れてあり6月18日時点で氏は『パネル・ディスカッションの席上、会場の参加者からの、今後東京でも
大地震などの大きな災害はあるのか、という質問に対し、闇の権力と抵抗勢力
の間でのやり取りの中、首都圏が壊滅する危険性は当面避けられた、といった
情報を掴んだことを披露してくれました。』などと初めて彼女が米国でのそうした事情に間接的ながら触れたので、ほぼ本当なんだろうと思って、少し安心した。
さらに驚いたのは、告発文の中にアカシックレコードなる言葉が出て来ることであり、エドガー•ケーシーの画像も、関連分野から出て来る事である。実はこの小生も
で、エドガー•ケーシーのことを取り上げたことがある。そして、アカシックレコードの事を聞き書きしている。 「人間は誰でもケーシーのように宇宙の叡智の源に接触が可能であるという。そこを「アカシック・レコード」(仏教ではアーラヤ識?)と呼びそこにわれわれのひとりひとりの魂の固有のアカシック・レコードを持ち、そこに我々の宇宙に存在を開始して以来の、あらゆる前世の出来ごとが書き込まれているとされる。ただし、この記録に接して人間が理解できる言葉に解釈するには、ある種の霊的訓練が必要であるという。彼の場合は、前世においてそのような修練を積んでいたので、その記録を読むこと(リーディング)が可能だということであった。)それでは、いきなり具体例から2例を紹介してみよう。』‥

その時、前世療法という本の紹介もしていたのだが、魂は不滅ということも書いた。今回宇宙人の事を調べていて、宇宙人達は捕らえた(地球人による!?)カバルの連中を矯正可能と否とにわけ、不可能な種類はそのまま、セントラル•サンへ送り、精神をリセットされるという。一瞬ビックリしたが、当人は痛みは伴わないというから、死刑はないようだ。魂は不滅なら、当然一種の精神療法しかないわけで、宇宙人たちの世界と地球人の世界とは、神の領域を介して繋がっているのだろうと思う。

海外からの情報は6月29日を最後に今のところ更新はない。ただ、見通しとして7月4日までにという説が浮上している。こちらは、地球人勢力が集団逮捕に拘るという事だから、宇宙人たちが心配しているように、更なる遅れもも予想される。

しかし、日本路と思われる方はすでに4月7日に終了したととれる気の速いご仁のサイトも
あるにはある。井口氏なども、周辺情報は出しているようだが、こn案連はスルーしたままである。



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水曜日, 6月 27, 2012


山梨県立美術館で開催されていた石川啄木展が6月24日で終了することとなり、以前から関心を寄せていた関係で、時間を取って出かけて来た。今年の二月には文化放送で取り上げたこともあり、漠然としていた金田一氏と石川氏との関係が、二人が同じ近傍の出身者ということでにわかに現実味をおびて迫って来た。

子供の頃は、最初金田一氏の事から本で知りアイヌ語の研究の最初の取りかかりでの苦労と語彙を増やして行く過程のみが脳裏に残り、石川氏との関連はまったく残っていない。

しかし、高校一年か二年の時、金田一先生が高校に講演に来られ、若き日の 石川氏との交流について、二時間程語られた。こういう経験があると、今はどうか知らないが、国語の授業での比較的退屈な北村透谷以来の文学史なども比較的興味をもって接することが出来たのではなかろうかという気がする。

結婚してから家内の所有していた日本文学史全集の中から、夏目漱石の石川氏への弔辞や、死後残された借金の多さなどから夏目漱石もかなりの額の援助をしていた事などを知った。今はそれらの場所を要する書籍類は処分されてしまい手元にはないがもう一度開いて見たい気がしている。確か、270円ほど用立てていたような貘とした記憶が残っている。もちろん、援助した額の多さの筆頭は金田一先生なのだろうが、講演ではそんなことは触れていない。座敷に投げれば立つような袴、とかいう表現を二度三度と話しの途中で使われていた記憶がある。この前行った予科練記念館の記録では、戦争末期に戦死した遺族に海軍が支払った弔慰金は、経理部の名前で255円とあった。この時代の文芸春秋の値段が40銭だったとの事。

ふたりが都内の本郷界隈に生活していた頃の石川氏からみた金田一氏の話しなどは、大変興味をもって読んだ。金田一氏は当時帝大の学生で研究の為に北海道へ出張というか研究旅行へ行かねばならない、そうした時期のふたりの交流なども書いている。 かなり、金田一氏への人間的批判も書かれていたりする。生涯の親友とはそういうものかもしれない。

また、息子さん(春彦)の子供時代の回想では、石川と聞けば子供心に石川五右衛門の末裔か!?というぐらいの印象が強かった旨、ちょろっと述べていることがあった。奥さんが明日から飲むお茶代がありませんと言うのを聞くと、じゃあ、白湯を飲めばいいじゃないか京助氏は応じたそうだから、息子さんの回想は誇張ではないだろうと。今はどうかしらないが、当時の学者の家庭は、
大多数が似ていたのではないか、などと妄想してしまう。
さて何十年ぶりかの国道20号の下道をを行くと、ナビがあっても迷った。タイヤの皮むきをかねて屈曲の多い道をいくと道志村とかいう標識が出ていてそちらへ行けという合図と思って左折したら、暫くしてUターンの指示が。坂道なので平らなところへ出てなどと思っているうちに別の指示が出たりしてどんどん脇道へ迷い込み、人気のない道なども経験した。しかし上の原を過ぎて大月以降は比較的直線が多く坦々として走り易かった。

 甲府に入るとまったく違和感なく走れて距離が稼げた。この道は、4厘免許を取ってすぐにレンタカーでドライブした道である。以後、この方向で走るのは初めてである。30数年ぶりというわけである。
 同じ東電管内であるが、電柱は皆針葉樹なみの着色で違和感がある、路上機器などもみな同形色であり、衝突防止用に黄色の反射テープが張ってあった。埼玉は東京の影響が強いのかも知れない。ここまで来るとあとわずかである。
昨年行った栃木県立美術館よりスペース的に駐車場をはじめゆとりがある。
http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/



文学館と美術館と両方あるせいもあるだろうが、この広さは開放的だ。当然、売りのほうの美術館へ先に入る。
http://www.rere.net/museum/yamanashi-museum.html
 http://www.google.co.jp/#hl=ja&q=山梨県立文学館&revid=1876033279&sa=X&ei=0iPqT-K0PKTNmAX44LkS&sqi=2&ved=0CJQBENUCKAM&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.,cf.osb&fp=394e905ffeff37ec&biw=1634&bih=910

ここでもまた高校時代の思いでと遭遇する。美術の教師はいかにも画家指向風と行った雰囲気の方であった。その先生の存在が美術へのイメージを方向付けられた気がする。そういえば生物の先生はいつも白衣を着ていたが、シュペーマンがノーベル賞を取るなら 、俺でも出来た筈などと口にしていた。ここの生物クラブからは一年後輩の千石正一君が出ている。
http://alfalfalfa.com/archives/5182852.html
中学生時代から押し入れで何匹も蛇を飼育しているというもっぱらの噂の人だった。ご冥福をお祈りする。私も一時期
 http://www.jwrc.or.jp/
でアルバイト をする話しがあったのだが、いろいろの誤解と偶然からお断りしてしまった経緯があり、行っていれば彼と再会していたと思う。

さて、ミレー展であるが、照明が暗く感じたがそれほど混んでおらず助かった。その分監視が行き届き、ちょっと手帳にメモをしたらすぐさま女性が近づき、恐れ入りますが、メモ等は結構ですがこの鉛筆をご使用下さいなどと注文をつけられた。この傾向は文学館でもちょっと細かい啄木が読んでいたという書籍を覗こうと手をついたら、ガラスが破損する恐れがあるので、肘や手をつかないでくださいなどと駆け寄って来て注意された。

県民性か!?などとも思った。

最初私がメモした絵のタイトルはEmmaculate Conceptionで無原罪の宿り、あるいは処女懐胎。ミレーも描いているのだが、どうみても女性の顔が何処にでもいそうな丸顔の女性で、これでは法王の期待に応えられまいと、 説明を見ながらも思った。制作環境で、画風も変わりうる。

風景画の展示となると、代表作とは別にバルビゾン派といわれる他の作家たちの展示もあり、面白かった。
http://www.weblio.jp/content/バルビゾン派
『にバルビゾンで制作した彼らにとって、自然は、ほとんど崇拝の対象に近いものであった。また、風景それ自体に興味を示し、古典的な規範に反抗するその態度は、当時としてはかなり革新的なものであった。‥』などの解説にあるように、私はかれらの風景の中の樹木の枝葉の描き方に注意を払って見た。

私が最初にオヤと思ったのは、たった一枚だったと思うが、クロード•ロランという人の描いた川辺の林での伐採風景。
http://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ロラン
にも『『アポロとメルクリウスのいる風景』』というのが紹介されているが、一目でああ、コレコレとわかる。展示室は暗いので、絵ももっと暗く見えたが、枝葉の先端の様子が実に丁寧で、樹木の枝別れの規則性の特徴であるフラクタル性を感じられる特徴がいちばんはっきりしていた。上の記事での評価を見てやはりそうかと思った。

絵はがきから、題をみると木を切り出す人々(川のある風景)とある。
前出のネット記事の二枚目の絵と色合いはちがうものの、構図といい、樹木の描き方といい、ほとんどおなじである。 1637年後といい、バルビゾン派ではない。

こちらは、ジュール•ヂュプレ作森の中ー夏の朝というらしいが、1840年頃の作と推定されている。あちらのアカマツらしいが、葉の色に特徴がある。昔の写生画では、草木の枝葉をどう描くかで、絵の出来映えが違う事を身にしみて感じていた。それで、バルビゾン派の数名の人たちの枝葉の描き方を注意したが、固まって住んでいたらしいから、相互に
技法のチェックなどは十分できたであろうから、木を伐りだす人々ほど差異のある描き方はなかったように思う。

文学館も見て、郷土ゆかりの作家たちの遺品展などもじっくり見学して、昼をまわってから、近くのぼんちに寄ってみた。横浜ナンバーの125が着いたばかりで、彼の後を追って店内へ。とりあえず、800円のカツ丼を頼む。噂通りの大盛り丼がすぐに来た。なかなかおいしいが、なかなかすすまない。 半分程で食傷気味。先ほどの彼が少し離れたカウンターで黙々とたべているが、スイカの切り身がついたカツカレーらしい。すごく大きな容器である。時間をかけて半分残ったものの1/3ぐらいは手を付けたが2/3位を残して退散。先ほどの彼もまだ4割位は残している。レジの時、周りを見渡したら、大きなすり鉢一杯に麺が入っている出されたばかりのどんぶりにかぶりつく高校生らしき若者の目を見たら、最後はしらないが、多分食べきりそうな目つきを感じた。先ほどの若者といい、共通の食欲への執着の強さらしき雰囲気を感じた。それだけこちらが老いたということか。無理して挑戦しないで良かったと安堵しつつ店を出た。
 20号を坦々と走り、どの辺から高速に乗るか考えていたら、カーブが始まる前の大月駅を過ぎたら、来る時気づいた小菅村への脇道を見つけ、前の二人乗りも迷うそぶりなく(神奈川ナンバー)左折したので続いた。

暫くして軽トラが出て来て先行するバイクと離れ単独でなだらかな山道を気分よく走る。交通量がかなり少なく走りよい。しかし、何処へ出るかは知らないので運まかせである。

小菅村を過ぎると林道っぽくなって勾配、カーブともにきつくなるが、時折バイクや対向車が現れるのでどんどん進み、奥多摩の多摩湖あたりを通って青梅へ出て入間から圏央道へ入り返って来た。

川越で給油してから、帰り着くまでの走行距離は316キロほどで、燃費はなんと20.17と予想を下回った、

五月から始めたタンク内のガソリンを3L位まで残す走り方で、スズロイ効果が顕著となり、18キロ台から19キロ台(通勤主体)で、ちょこっと100キロ程遠距離(通勤は20キロ未満)すると19キロ後半、しないと19.2〜4とコンスタントであったが、何タンクめかで少し調子が変わったので、増量分の一個あたりの半分を追加、するとスムーズ感は戻ったが、出発直前の通勤だけの燃費で18.6辺りまで落ちてしまった。その直後の長距離ゆえ、一気には回復せず、正月の時の長距離燃費に落ちてしまった。いずれ回復すると思うのだが。平地オンリーではない点もあるだろうし。


日曜日, 6月 17, 2012

 先日、仕事の現場の近くで昼食をとった。旧岩槻市役所近くのラーメン店、めんくみである。具体的な情報はこちら。
http://r.tabelog.com/saitama/A1101/A110103/11005450/

場所柄私はあまり利用しないが、会社には熱烈なファンが数名おって、割引券などを離島している。10回以上利用スタンプがたまると、一杯無料とか。その券を持参していれば、毎回チャーシューが一枚増量らしい。
二年前の夏、初めて訪れた時はギンギンに冷えたコップにお冷やを入れて出してくれて、思わず夢中で喉を潤した。最初、すぐに気づかなかったが、汁の底にガーリックの残りや魚粉類の残りが沈殿しているが、なんと隠し味的にユズの皮が二〜三片入っている。

これが他の薬味もそうだが、他店とひと味もふた味もちがう、うまさと感じるように思う。時々、他店のラーメンに飽きると、場所が近ければ寄りたくなる店である。

国道122号から別れたさいたま春日部線沿いであるが、歩道にそって駐車スペースは二店分程ある。

土曜日, 6月 16, 2012

通常使う起動ディスクがオリジナルの内蔵ディスクと同容量となって(外付けUSBHD)それまでその一部は貯蔵庫として主としてスナップ写真などの貯蔵庫がわりだったのが初期化で消えてしまい、会社で使っている予備システムを持ち帰って以前から貯蔵庫だった時の画像やソフト、書類なども復元した。

再三の初期化にもかかわらず、目下調子が良い。しかし、一台バックアップ用にFireWire接続で使っていた外付けが壊れたようなので、本格的なバックアップ装置が、今は調子が復活しただけにより一層切実と感じられるようになってきた。同僚に今外付けHD、1Tだと幾らかたずねたら1.4万円程度だという。しかもそれはタイ洪水の影響で割高基調の時の値段だという。それで、急にバックアップ用が欲しくなった。
仕事の終わりが丁度某電気店近くだったので、この前USB装置を購入した時の勝手で、10分ほどで買い物を済まして帰社できた。包装を外してみたら意外と小型で、電力供給も電源アダプターから低ボルト供給のようである。

それで、さっそくつないでMacならではのタイムマシンを復活させることにした。
http://inforati.jp/apple/mac-tips-techniques/system-hints/how-to-use-mac-time-machine-back-up.html
上記サイトで最近のタイムマシンの特徴をチェックした。すると
『この記事はMac OS X 10.6 Snow LeopardのTime Machineを想定しています。』とあり、初期の使いづらいタイムマシンしか経験のない小生にはちょうど手頃な入門書のように思えた。


最初、名称未設定のアイコンと同じ色だったが、タイムマシン用にバックアップが始まったら、アイコン色も変わった。Windows様フォーマットであったが、USB外付けで起動できるようにMac用のフォーマットで、1パーティションとした。

5時過ぎに終わる見込みの作業は5時26分まで掛かって終了した。バッファロー社とIO DATAと二種類の外付けをほぼ同じ時期に使った(ている)経験からいうと、IO DATA社製のほうが、空気穴が細かく開いているせいか幾分筐体温度が低めだということが、分かった。しかし、今回の製品、低ボルト供給の方式のせいもあり、ほとんど温度が上がらない。値段は1.1万程度であった。

バックアップされた中味を見てみると、起動ディスクの他に、内蔵の本体分まで律儀にストアーされていた。まだ、再インストール後で、ほとんど中味は変わっていない筈なので、
差分ファイルだけバックアップされているのかもしれない。

それにしても、こんなに細かくバックアップされているとはおどろいた。二週間に一度という条件はこういうことだったのかと、改めて驚いた。
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日曜日, 6月 10, 2012


先日、なんとか再インストールを果たした外付けHDディスクだが、容量が少なく大半の領域がシステムから不過視となっていて使っていて大変不便だし面白くない。

そこで、いろいろ考えて、もういちどシステムに含まれているインストールキットの構成を見ていると、ディスクユーティリティもちゃんとふくまれているではないか。
それで90GBしかないHDを再度検証して本体と同じ250GBを無理矢里認識させ、再度手間ながらインストールした。
どういうテクニックか自分でも思い出せない。いろいろトライしていたら全域を認識してくれた。
そうなると、もう一個の外付けHDも、本来ノートブックの外部起動用だったのだが、消去処理で空になった上に不過視となっているので、これも再認識させようとノートブックにつないでディスクユーティティリティを使って再認識させた。
これで本体と同容量となったため、本体をすっかりコピーしてまだ半分以上空きがある状態となった。
 これまで、名称未設定1という名前で90GBしか容易できなかったのが、一挙に三倍近くに跳ね上がってインストールできたので、しかも動作も快適で言う事はない。本体のデフラグ状態に関係なくクリーンインストール出来たので速いのかもしれない。


さて、ノート用外付けHDも復活できたので、予備起動システムをインストールすることに。ノートは,メモリが1GBと少ないのでLionは見合わせ、スノーレパードで止めている。ところがスノーレパードのDVDを入れても認識せず吐き出されてしまう。

さんざん方法を探したが出ていないため、購入したとき添付されていたOSX10.5のDVDを
挿入したら問題なく認識され、新規のインストールが可能となった。ウィンドウズのノートパソコンみたいな感じがした。
Macのシステムも途中で細かく変わったし、モデルもいろいろなので、型通りのインストール法では対応しない場合があることを痛感。適当にモディファイすることで何とかなるものである。
ただ、最初インストールしたバージョンが本体より下位の10.5なので、本体からのシステム転送はできなかった。そこで、10.5をスノーレパードにアップグレードできるまでバージョンアップし、そこらスノーレパードのDVDで同じバージョンにしてからシスステム転送しなければならない。

 そして、Lionで移行されたソフトは皆正常動作することを本日確認、一部問題のあった
VMWareも、ショートカットを捨て、本体から起動すると問題なく動作した。もろろん、
旧MacOS9.0も雑作なく起動してくれた。

ただ、USBに起動システムを移すところでは何度やっても駄目だった。しかし、二度目に再ダウンオロードしたLionは消えずに残っているので、いつでも再三インストールは可能だ。アップルさん、ありがとう。
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