子供の頃は、最初金田一氏の事から本で知りアイヌ語の研究の最初の取りかかりでの苦労と語彙を増やして行く過程のみが脳裏に残り、石川氏との関連はまったく残っていない。
しかし、高校一年か二年の時、金田一先生が高校に講演に来られ、若き日の 石川氏との交流について、二時間程語られた。こういう経験があると、今はどうか知らないが、国語の授業での比較的退屈な北村透谷以来の文学史なども比較的興味をもって接することが出来たのではなかろうかという気がする。
結婚してから家内の所有していた日本文学史全集の中から、夏目漱石の石川氏への弔辞や、死後残された借金の多さなどから夏目漱石もかなりの額の援助をしていた事などを知った。今はそれらの場所を要する書籍類は処分されてしまい手元にはないがもう一度開いて見たい気がしている。確か、270円ほど用立てていたような貘とした記憶が残っている。もちろん、援助した額の多さの筆頭は金田一先生なのだろうが、講演ではそんなことは触れていない。座敷に投げれば立つような袴、とかいう表現を二度三度と話しの途中で使われていた記憶がある。この前行った予科練記念館の記録では、戦争末期に戦死した遺族に海軍が支払った弔慰金は、経理部の名前で255円とあった。この時代の文芸春秋の値段が40銭だったとの事。
ふたりが都内の本郷界隈に生活していた頃の石川氏からみた金田一氏の話しなどは、大変興味をもって読んだ。金田一氏は当時帝大の学生で研究の為に北海道へ出張というか研究旅行へ行かねばならない、そうした時期のふたりの交流なども書いている。 かなり、金田一氏への人間的批判も書かれていたりする。生涯の親友とはそういうものかもしれない。
また、息子さん(春彦)の子供時代の回想では、石川と聞けば子供心に石川五右衛門の末裔か!?というぐらいの印象が強かった旨、ちょろっと述べていることがあった。奥さんが明日から飲むお茶代がありませんと言うのを聞くと、じゃあ、白湯を飲めばいいじゃないか京助氏は応じたそうだから、息子さんの回想は誇張ではないだろうと。今はどうかしらないが、当時の学者の家庭は、
大多数が似ていたのではないか、などと妄想してしまう。
さて何十年ぶりかの国道20号の下道をを行くと、ナビがあっても迷った。タイヤの皮むきをかねて屈曲の多い道をいくと道志村とかいう標識が出ていてそちらへ行けという合図と思って左折したら、暫くしてUターンの指示が。坂道なので平らなところへ出てなどと思っているうちに別の指示が出たりしてどんどん脇道へ迷い込み、人気のない道なども経験した。しかし上の原を過ぎて大月以降は比較的直線が多く坦々として走り易かった。
同じ東電管内であるが、電柱は皆針葉樹なみの着色で違和感がある、路上機器などもみな同形色であり、衝突防止用に黄色の反射テープが張ってあった。埼玉は東京の影響が強いのかも知れない。ここまで来るとあとわずかである。
昨年行った栃木県立美術館よりスペース的に駐車場をはじめゆとりがある。
http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/
文学館と美術館と両方あるせいもあるだろうが、この広さは開放的だ。当然、売りのほうの美術館へ先に入る。
http://www.rere.net/museum/yamanashi-museum.html
http://www.google.co.jp/#hl=ja&q=山梨県立文学館&revid=1876033279&sa=X&ei=0iPqT-K0PKTNmAX44LkS&sqi=2&ved=0CJQBENUCKAM&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.,cf.osb&fp=394e905ffeff37ec&biw=1634&bih=910
ここでもまた高校時代の思いでと遭遇する。美術の教師はいかにも画家指向風と行った雰囲気の方であった。その先生の存在が美術へのイメージを方向付けられた気がする。そういえば生物の先生はいつも白衣を着ていたが、シュペーマンがノーベル賞を取るなら 、俺でも出来た筈などと口にしていた。ここの生物クラブからは一年後輩の千石正一君が出ている。
http://alfalfalfa.com/archives/5182852.html
中学生時代から押し入れで何匹も蛇を飼育しているというもっぱらの噂の人だった。ご冥福をお祈りする。私も一時期
http://www.jwrc.or.jp/
でアルバイト をする話しがあったのだが、いろいろの誤解と偶然からお断りしてしまった経緯があり、行っていれば彼と再会していたと思う。
さて、ミレー展であるが、照明が暗く感じたがそれほど混んでおらず助かった。その分監視が行き届き、ちょっと手帳にメモをしたらすぐさま女性が近づき、恐れ入りますが、メモ等は結構ですがこの鉛筆をご使用下さいなどと注文をつけられた。この傾向は文学館でもちょっと細かい啄木が読んでいたという書籍を覗こうと手をついたら、ガラスが破損する恐れがあるので、肘や手をつかないでくださいなどと駆け寄って来て注意された。
県民性か!?などとも思った。
最初私がメモした絵のタイトルはEmmaculate Conceptionで無原罪の宿り、あるいは処女懐胎。ミレーも描いているのだが、どうみても女性の顔が何処にでもいそうな丸顔の女性で、これでは法王の期待に応えられまいと、 説明を見ながらも思った。制作環境で、画風も変わりうる。
風景画の展示となると、代表作とは別にバルビゾン派といわれる他の作家たちの展示もあり、面白かった。
http://www.weblio.jp/content/バルビゾン派
『にバルビゾンで制作した彼らにとって、自然は、ほとんど崇拝の対象に近いものであった。また、風景それ自体に興味を示し、古典的な規範に反抗するその態度は、当時としてはかなり革新的なものであった。‥』などの解説にあるように、私はかれらの風景の中の樹木の枝葉の描き方に注意を払って見た。
私が最初にオヤと思ったのは、たった一枚だったと思うが、クロード•ロランという人の描いた川辺の林での伐採風景。
http://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ロラン
にも『『アポロとメルクリウスのいる風景』』というのが紹介されているが、一目でああ、コレコレとわかる。展示室は暗いので、絵ももっと暗く見えたが、枝葉の先端の様子が実に丁寧で、樹木の枝別れの規則性の特徴であるフラクタル性を感じられる特徴がいちばんはっきりしていた。上の記事での評価を見てやはりそうかと思った。
絵はがきから、題をみると木を切り出す人々(川のある風景)とある。
前出のネット記事の二枚目の絵と色合いはちがうものの、構図といい、樹木の描き方といい、ほとんどおなじである。 1637年後といい、バルビゾン派ではない。
こちらは、ジュール•ヂュプレ作森の中ー夏の朝というらしいが、1840年頃の作と推定されている。あちらのアカマツらしいが、葉の色に特徴がある。昔の写生画では、草木の枝葉をどう描くかで、絵の出来映えが違う事を身にしみて感じていた。それで、バルビゾン派の数名の人たちの枝葉の描き方を注意したが、固まって住んでいたらしいから、相互に
技法のチェックなどは十分できたであろうから、木を伐りだす人々ほど差異のある描き方はなかったように思う。
文学館も見て、郷土ゆかりの作家たちの遺品展などもじっくり見学して、昼をまわってから、近くのぼんちに寄ってみた。横浜ナンバーの125が着いたばかりで、彼の後を追って店内へ。とりあえず、800円のカツ丼を頼む。噂通りの大盛り丼がすぐに来た。なかなかおいしいが、なかなかすすまない。 半分程で食傷気味。先ほどの彼が少し離れたカウンターで黙々とたべているが、スイカの切り身がついたカツカレーらしい。すごく大きな容器である。時間をかけて半分残ったものの1/3ぐらいは手を付けたが2/3位を残して退散。先ほどの彼もまだ4割位は残している。レジの時、周りを見渡したら、大きなすり鉢一杯に麺が入っている出されたばかりのどんぶりにかぶりつく高校生らしき若者の目を見たら、最後はしらないが、多分食べきりそうな目つきを感じた。先ほどの若者といい、共通の食欲への執着の強さらしき雰囲気を感じた。それだけこちらが老いたということか。無理して挑戦しないで良かったと安堵しつつ店を出た。
20号を坦々と走り、どの辺から高速に乗るか考えていたら、カーブが始まる前の大月駅を過ぎたら、来る時気づいた小菅村への脇道を見つけ、前の二人乗りも迷うそぶりなく(神奈川ナンバー)左折したので続いた。
暫くして軽トラが出て来て先行するバイクと離れ単独でなだらかな山道を気分よく走る。交通量がかなり少なく走りよい。しかし、何処へ出るかは知らないので運まかせである。
小菅村を過ぎると林道っぽくなって勾配、カーブともにきつくなるが、時折バイクや対向車が現れるのでどんどん進み、奥多摩の多摩湖あたりを通って青梅へ出て入間から圏央道へ入り返って来た。
川越で給油してから、帰り着くまでの走行距離は316キロほどで、燃費はなんと20.17と予想を下回った、
五月から始めたタンク内のガソリンを3L位まで残す走り方で、スズロイ効果が顕著となり、18キロ台から19キロ台(通勤主体)で、ちょこっと100キロ程遠距離(通勤は20キロ未満)すると19キロ後半、しないと19.2〜4とコンスタントであったが、何タンクめかで少し調子が変わったので、増量分の一個あたりの半分を追加、するとスムーズ感は戻ったが、出発直前の通勤だけの燃費で18.6辺りまで落ちてしまった。その直後の長距離ゆえ、一気には回復せず、正月の時の長距離燃費に落ちてしまった。いずれ回復すると思うのだが。平地オンリーではない点もあるだろうし。
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