石原都知事が総指揮をとったという映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」が公開され、客足が伸びている、という。死ににいく、は死にに往く、とも死にに生くとも私には読める。日本語は二本語だと、一筋縄語の英語と格闘しているころ、しきりに感じた。いまでも、公用語は、国語と英語にし、大学の国語以外の教科書は英語にすべきと思っている。もっとも、教員がそのレベルに達している人員はまだ少なく現実的ではないかもしれないが。男達の大和も、見ていないが、評判は聞いた。
エキストラや、主役を演じた無名だった若者は、映画の打ち上げのとき、社長が感謝の言葉を述べたら、期せずして会場に「海ゆかば〜、水漬く屍〜・・・」が沸き起こったと聞いた。募集の時、どうしようもないと思った若者たちは、演技とはいえ、甲板上では、あきらかに日本兵の顔つきに生まれ変わっていた、とも聞いた。
小泉前首相が昨年8月15日に、靖国神社に参拝する是非を問うた各マスコミの世論調査では、賛否両論で、国論がわれんばかりの報道だったが、Yahooでの調査では78%ほどが、消極的選択肢もふくめ構わない、という結果で、かなり違うものだと思った。
先日、日本保守主義研究会代表主幹の岩田氏の「悲劇的パトス」という機関誌「澪標」の巻頭言を読み、改めて感心した。
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「先日公開されたばかりの映画、『俺は、君のためにこそ死にいく』を観た。石原慎太郎が脚本を書き、制作総指揮をとったという映画である。・・・事前にある種の諦観をもちながらの鑑賞であったが、豈図らんや、特攻隊員の想いを誠実に伝えんとする力作であった。
・・・特攻とは統率の外道と論じていたのではないかと難じる部下に対して、大西は厳しくこの戦争は破れる、だが我々の国體は守らねばならぬという。国體とは何かと問う部下にそれは国家の意志、民族の意志だと答えるのだ。白人の侵略に対し、同じ黄色人種が手と手を携えながらアジアを築き上げようという我々の意志は間違ってはいない。それは敗れようとも正しい意志だったはずだ。この国家の意志を歴史に刻むためにこそ特攻が必要なのだ。
このとき、大西の頭の中には特攻隊による戦果などという思想はない。歴史に精神を刻むということ。
この一心で彼は特攻を出撃させたのではなかったか。そうであるがゆえに、8月15日、ポツダム宣言を受諾する御聖断が下されるや否や、屠腹して果てたのだ。歴史に精神を刻むという特攻隊の出撃の意義は、大西が屠腹せねば果たせない。出撃を命じた者が生き残ったき、彼らの死は犬死と化したのかもしれぬ。大西の「特攻」により、特攻の精神は歴史に刻まれたといってもよい。映画に大西の決断と割腹が描かれた意義はすこぶる大きい。
・・・ ・・・ ・・・
石原氏の制作した映画を観た後、興奮は止まず、特攻隊員の存在が脳裏を離れなかった。翌日靖国神社に参拝し、一人彼らの胸中に想いを馳せた。
彼らが全く欣然として死地に赴いたというわけでもなかろう。様々な葛藤、苦悩があったのは当然である。その苦悩に想いを馳せ、そしてまた決然ととび立つ心境を想うが故に、我々はそこにほとばしる一条の悲劇的パトスを感じるのである。
そしてこの悲劇的パトスの連続性こそが日本の歴史であり、文学であり、精神である。
大東亜戦争末期、台湾にて壮烈な戦死を遂げた若き國学学徒、山川弘至は「神話の精神」と題した一文において鋭く指摘している。『民族の慟哭の深さをうたふ以外に、我が日本においては深い高い文藝は存しえないのである。そこに歴史の精神が存するのである。』(平成18年、国風の守護、錦正社)
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限りなく深い悲哀。これは近代日本そのものが抱えた悲哀であり、大東亜戦争そのものが表徴する悲哀である。日本民族の悲哀をさらに具現化したのが特攻隊の出撃である。
国を挙げての特攻、それが大東亜戦争の本質に他ならない。そこにほとばしる激しい悲劇的パトスに日本の歴史の深さを感じざるを得ないのだ。それゆえに特攻隊出撃の歌は「海ゆかば」でなければならない。
時を遡ること、遥か万葉の時代の防人の思い。
海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ
この「顧みはせじ」の言葉の持つ奥深さを感じざるをえない。・・・
古の防人は幾度顧みたことであろうか。顧みて、顧みて、最後の「顧みはせじ」の言葉へと続くのである。99回顧み、最後の1回で顧みはしないということ。「顧みはせじ」の一言は、その精神における深い悲哀と、決然飛び立つ至純の情念、すなわち悲劇的パトスを表徴する一言なのである。
・・・ 世界史の流れの中から鳥瞰すれば、大東亜戦争とは、日本民族が顧みて、顧みて、幾度も顧みた後に、決然と立ち上がった悲劇的パトスの燦然とした光であった。この悲劇的パトスの美しさ、気高さを後世へ、永遠に忘れ難く遺したのが、南の空に轟き吹き飛んだ神風、特攻隊にほかならない。彼らの顧みざる精神は歴史に刻まれ、日本民族の帰りみざる悲劇的パトスもまた歴史に深く刻まれたのである。」
岩田氏は、ずっと年配の方だと思っていた。しかし、机の前の女子学生を紹介する先生の話し相手が岩田氏と解ったときの驚きは大きかった。まさか!?、まさか!?、後で知ったが、彼は(英語的で申し訳ないが)まだ、早稲田の政治学研究科の修士一年生だったのだ!!!。後生おそるべし!。原稿やブログを書く
人間は、ふだんは校正おそるべしなのだが。