火曜日, 5月 29, 2007







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石原都知事が総指揮をとったという映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」が公開され、客足が伸びている、という。死ににいく、は死にに往く、とも死にに生くとも私には読める。日本語は二本語だと、一筋縄語の英語と格闘しているころ、しきりに感じた。いまでも、公用語は、国語と英語にし、大学の国語以外の教科書は英語にすべきと思っている。もっとも、教員がそのレベルに達している人員はまだ少なく現実的ではないかもしれないが。男達の大和も、見ていないが、評判は聞いた。

エキストラや、主役を演じた無名だった若者は、映画の打ち上げのとき、社長が感謝の言葉を述べたら、期せずして会場に「海ゆかば〜、水漬く屍〜・・・」が沸き起こったと聞いた。募集の時、どうしようもないと思った若者たちは、演技とはいえ、甲板上では、あきらかに日本兵の顔つきに生まれ変わっていた、とも聞いた。

小泉前首相が昨年8月15日に、靖国神社に参拝する是非を問うた各マスコミの世論調査では、賛否両論で、国論がわれんばかりの報道だったが、Yahooでの調査では78%ほどが、消極的選択肢もふくめ構わない、という結果で、かなり違うものだと思った。



先日、日本保守主義研究会代表主幹の岩田氏の「悲劇的パトス」という機関誌「澪標」の巻頭言を読み、改めて感心した。
http://www.wadachi.jp

「先日公開されたばかりの映画、『俺は、君のためにこそ死にいく』を観た。石原慎太郎が脚本を書き、制作総指揮をとったという映画である。・・・事前にある種の諦観をもちながらの鑑賞であったが、豈図らんや、特攻隊員の想いを誠実に伝えんとする力作であった。

・・・特攻とは統率の外道と論じていたのではないかと難じる部下に対して、大西は厳しくこの戦争は破れる、だが我々の国體は守らねばならぬという。国體とは何かと問う部下にそれは国家の意志、民族の意志だと答えるのだ。白人の侵略に対し、同じ黄色人種が手と手を携えながらアジアを築き上げようという我々の意志は間違ってはいない。それは敗れようとも正しい意志だったはずだ。この国家の意志を歴史に刻むためにこそ特攻が必要なのだ。

このとき、大西の頭の中には特攻隊による戦果などという思想はない。歴史に精神を刻むということ。

この一心で彼は特攻を出撃させたのではなかったか。そうであるがゆえに、8月15日、ポツダム宣言を受諾する御聖断が下されるや否や、屠腹して果てたのだ。歴史に精神を刻むという特攻隊の出撃の意義は、大西が屠腹せねば果たせない。出撃を命じた者が生き残ったき、彼らの死は犬死と化したのかもしれぬ。大西の「特攻」により、特攻の精神は歴史に刻まれたといってもよい。映画に大西の決断と割腹が描かれた意義はすこぶる大きい。

・・・ ・・・ ・・・

石原氏の制作した映画を観た後、興奮は止まず、特攻隊員の存在が脳裏を離れなかった。翌日靖国神社に参拝し、一人彼らの胸中に想いを馳せた。

彼らが全く欣然として死地に赴いたというわけでもなかろう。様々な葛藤、苦悩があったのは当然である。その苦悩に想いを馳せ、そしてまた決然ととび立つ心境を想うが故に、我々はそこにほとばしる一条の悲劇的パトスを感じるのである。

そしてこの悲劇的パトスの連続性こそが日本の歴史であり、文学であり、精神である。

大東亜戦争末期、台湾にて壮烈な戦死を遂げた若き國学学徒、山川弘至は「神話の精神」と題した一文において鋭く指摘している。『民族の慟哭の深さをうたふ以外に、我が日本においては深い高い文藝は存しえないのである。そこに歴史の精神が存するのである。』(平成18年、国風の守護、錦正社)


限りなく深い悲哀。これは近代日本そのものが抱えた悲哀であり、大東亜戦争そのものが表徴する悲哀である。日本民族の悲哀をさらに具現化したのが特攻隊の出撃である。



国を挙げての特攻、それが大東亜戦争の本質に他ならない。そこにほとばしる激しい悲劇的パトスに日本の歴史の深さを感じざるを得ないのだ。それゆえに特攻隊出撃の歌は「海ゆかば」でなければならない。

時を遡ること、遥か万葉の時代の防人の思い。

海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ

この「顧みはせじ」の言葉の持つ奥深さを感じざるをえない。・・・

古の防人は幾度顧みたことであろうか。顧みて、顧みて、最後の「顧みはせじ」の言葉へと続くのである。99回顧み、最後の1回で顧みはしないということ。「顧みはせじ」の一言は、その精神における深い悲哀と、決然飛び立つ至純の情念、すなわち悲劇的パトスを表徴する一言なのである。

・・・ 世界史の流れの中から鳥瞰すれば、大東亜戦争とは、日本民族が顧みて、顧みて、幾度も顧みた後に、決然と立ち上がった悲劇的パトスの燦然とした光であった。この悲劇的パトスの美しさ、気高さを後世へ、永遠に忘れ難く遺したのが、南の空に轟き吹き飛んだ神風、特攻隊にほかならない。彼らの顧みざる精神は歴史に刻まれ、日本民族の帰りみざる悲劇的パトスもまた歴史に深く刻まれたのである。」

岩田氏は、ずっと年配の方だと思っていた。しかし、机の前の女子学生を紹介する先生の話し相手が岩田氏と解ったときの驚きは大きかった。まさか!?、まさか!?、後で知ったが、彼は(英語的で申し訳ないが)まだ、早稲田の政治学研究科の修士一年生だったのだ!!!。後生おそるべし!。原稿やブログを書く
人間は、ふだんは校正おそるべしなのだが。

Map

月曜日, 5月 28, 2007



天気が良く、昨日は十分睡眠をとって、疲れを取ったので、伸び切った髪を散髪した後、会社へ残務整理へ行く前に、その辺をぶらりと走ることに。散髪も自宅近くではなく(よく混むので)、会社の同僚の実家へと、大宮経由で川越へ出て南下し、富士見市まで行き、一年半ぶりに訪れた。彼は、昨日来て帰ったそうだ。一人先客がいたが、直ぐ終わりさっそくとりかかってもらい、正午頃終わった。

そこで、北上し、東松山の小峰オートセンターへより、バイク用の安いジャケットを買い、昼をとろうと沿道を物色するが、混んでいそうで諦めた。そうこうするうちに高速入り口に近くに来て、先週から暇があったら、長瀞の現場を下見する必要があったのだが、その用も果たせるとようやく気付き、そっちで昼をとることに。

途中で割り込んできて飛ばすBMWの後について高速に。ETCレーンに行くような思わせぶりな運転をした揚げ句結局混雑したチケットレーンへ。こちらは専用レーンを通って花園を目指す。後を見ると後続車もETCレーンからすぐ出てくる。

高速は空いていたので、走行車線もかなり飛ばしているので、こちらも思い切って抑え気味のスロットルを開けて、4輪の後に続く。それで一気に花園へつく。寄居あたりで、先ほどのBMWが追いついてきてまた、先へと回るが、その先は一車線。一列縦隊なので、信号手前で、脇をすり抜け走る。しかし、信号でその車は左折し、対岸へと向かった。



最近のスクーターは、カウルが精かんなマスクになり、バックミラーで見ると1300クラスのカウル付きと誤解しやすいことに気付いた。対向車もそうだが、ホンダのCB1300だけは間違いなくすぐ分かるだけだった。カワサキ車はもちろん間違わないが、その他はスクーターかビッグバイクかすれ違うまでなかなか分からない。長瀞の現場を下見したら、あえて月曜以降、元請けへ連絡を入れなくても良いことがわかり、そのまま秩父市内まで行き、警察近くの「しまや」さんで手打ちうどんを食す。

てんぷらが二個ついて大盛りでたった600円。警察の事務官らしき人も来るし、野球着スタイルの人も来る。日曜日も通常営業しているそうで助かる。そばもあるがそばは中盛りがなく小と大だけ、うどんだけは、大・中・小とある。さぬきうどんではないが、少し黒っぽい地粉で打ったうどんは太さもまちまちで固さもいろいろ。このバラエティが一種の野趣があって、空腹もあり、前回よろかなり美味いと思って完食した。


あれ、バイクで来たんだ!と声をかけられた。顔も覚えていてくれたらしい。警察署かどの歩道橋のある140号を右折し、最初のミニ交差点角のしもた屋さんふうのこじんまりしたお店だが、地元では、知る人ぞ知る
お店らしい。



時間がないので、140号へでると左折して道をくだり140号を深谷へとはしり、食後のコーヒーをサラエボで
とって、しばらく本を読んだり雑誌を開いたりした後、今度は高速とほぼ平行する県道69号線を飛ばしてまた嵐山経由で東松山まできてから、会社へと向かった。この道はアップダウンもあり、カーブも適当にあって、交通量も少なく、久しぶりに豪快な走りも楽しめた。ヘリで追えば、結構楽しそうな走りに見えるだろうなと想像しながら、・・・。

会社で仕事をすまして帰り際、見通しが悪いので慎重に出るが、ライトが目立たない夕方で、途中まで出てから、4輪が接近中に気付いたが、遅い。それで一旦左へ寄ったが、追い抜こうと迫ってきた。反射的に吹かしたら、普段とちがい暖まっていたので、聞いたこともないような快音を残してローギヤで一気に加速した。セカンドにいれた段階で完全にミラー後方に映るようになった、・・・。

そんな走行で、過去最悪の14.2キロを記録してしまった。

日曜日, 5月 27, 2007



数式処理ソフトで、学生時代の積分に挑戦してみた。学者が論文を書くソフト
と言われる Mathematicaで実行してみるとこのような結果になり、Maple9.5での結果と異なる。教科書に載っている積分結果は、数値代入してみると、ある時間内の生体の呼吸量を示す式でマイナスにはなりえないのに、負の値しか出ないからあきらかに間違いだ。

しかし、結果がいきなり出てしまうので、なぜそうなるかはわからない。Mapleとも違うし、いくら、このソフトで、過去の積分公式教科書の間違い(プリントミスではない)を200箇所ほど指摘したという実績があるにしろ、釈然としないのは、自分だけではないだろう。

東大で1000台以上入ったというiMacにも、標準でMathematicaの5.xあたりが入っているのが、ドックのアイコンでわかった。Mapleも入っていたかどうかはわからない。

そこで、積分自体の数式は、高度な関数とはいいがたい範疇で、どうみても19世紀以前のジャンルに入る
四則演算に限定されているようにも感じる。




そこで、Theoristの1.5という日本語版として一時流通した数式処理ソフトで部分的に数式の変形を試みた。

いわばMac専用というか、GUI環境が当時はMacしかなかったからというか、数式を自分で変形処理させながら結果を得るという面倒くさいといえば面倒くさいソフトだが、数学の初歩ではこの面倒くささで敬遠していては、その先がない。しかも、こういう変形では、手計算では計算ミスを犯しがちで、どこで間違ったか分からず、結果が思わしくないとき、ミスのせいなのか、攻め方が悪いためか判断がつかず、途方に暮れてしまう、ということがほとんどだろう。

Mathematicaと一時期数式処理ソフトとして評判をとり、値段も安く(5万前後)Mathematicaより使いやすいと評判のソフトとして、Mac雑誌にはよく宣伝が出ていた。フロッピー一枚で動く軽いソフトで、数値演算用コプロの有無で、プログラムがそれぞれ別れていて、別々のフロッピーに入っていた。



北大の先生も、九大の先生もこのソフトを褒めておられた。それぞれ、著作の中で紹介されていた。両方買ったのだが、今は九大の先生のものしか手元にのこっていない。
「MathematicaとTheoristでの大学院入試への挑戦」梶原讓治著、現代数学社、1994年。この本は、今でも時折本屋さんの書棚に一冊ぐらい置いてあるのを見かけることがある。しかし、Theoristは残念ながら、販売されてはいない。この会社Presciense社は、数式入力システムとしてたしかMapleグループに買収されたような記憶があるが、さだかではない。

その梶原先生の講義の末尾には、毎回といっていいほど、Macや数式処理ソフトの優秀性を褒め称えておられる文章がのっていた。


「Theorist教授の講義は丁寧、東大生に追加説明の要はなかろうが拙著「独修微分積分学」(現代数学社)の14章、微分方程式の記号的解法を読まれれば十分であろう。それよりも高級官僚として地球にやさしく市民生活の環境を整えようと欲するか、大学教員としての進路を選ばれる東大生諸君は拙シリーズをママに見せて、8MB以上のRAMとコプロセッサー、カラーモニターを備えた1級のゲーム機、マックを買ってもらってください。日米摩擦が多少は緩和します。・・・」などと書かれていた。


それで、受験参考書で覚えたテクニックで数式を変形していき、なんとか、Mathematicaとほぼ同じ結果にたどりついた。Mapleとは異なっていた。



いちおうMathematicaの結果を正しいとしてTheorestで数値を代入して検算してみると、どうやら結果は正しいように思われる。Mapleの結果もマイナスにこそならないけれど、値が半分くらいの数値を出力した。

そんなわけで、あと30万ほど出して今、数式処理システムを買うのなら、私は迷わずMathematicaを買うだろうが、Theoristも手放せない。Macの旧システム専用だが、Macを所有していた人なら、ROMをWinシステムから吸い出して、Basilisikiiというフリーソフトで立派に動かせるから安心で、その意味では、ウィンドウズシステムも永遠に変化なく動くようになっていてもらいたい、と虫の好すぎる期待を抱いている。もっとも、ウィンドウズにはVPCという旧型ウィンドウズOS環境を実現するソフトがあって、Vistaになっても安心だが、これももとはといえばMac用で、ウィンドズを動かすためのソフトとしてスタートして発展したものだ。当時はもうひとつ、ソフトウィンドウズという同様のソフトがあってそちらが優位と思われたが、速度的に問題があったものの、Win意外のOSもインストール可と、Winのいろいろなバージョンもインストールできるということで、他を駆逐した。そして、マイクロソフトに買収された。

なんでも、XBoxをパワーPCにしたために、旧ソフトが動かないと困る、ということで、自社製品としてXBoxに組み込み、新ソフトも旧ソフトも同じようにゲームを楽しめるようにしたのだという。

Mac用にもあったのだが、インテル化したために開発は中止、かわらにパラレルズシステムなどが出てきた。私の少ない経験では、VPCのほうが出来がよかったように思うが、ある程度開発の歴史が備わらないと、向上しないのかもしれない。しかし、Mathematicaは5.xなのに、Mapleは11にもなってどっちがいいかは、判断が分かれるところだろう。

金曜日, 5月 25, 2007



1938年5月13日(金)の午前3時ごろ、首都東京の政治の中枢にちかい虎ノ門界隈で、一台のビッグバイクの事故が起きた。満鉄ビルの角をまがりアメリカ大使館へ向かい、突き当りT字路を左折したところで、大使館の南側石塀に激突した。バイクはかなりいたみ、散乱した金属片の合間に、男の歯が何本もこぼれていた。大使館警備の警官によって第一発見となった。

かなりの重症であって、普通ならとうに気絶しているはずだが、その男が、稀代のスパイ、リヒアルト・ゾルゲであってみれば気を失うことは許されなかった。仲間の無線技師に連絡をとってもらい、コートのポケットのドル札と機密文書を手渡し、家の処理も頼んだ後で気をうしなった、という。かなりの飲酒の後の事故だという。

そのおかげで、彼の身元は割れなかった。ドイツ大使の奥さんともできていて、当時すでに関係は終わっていたが、一縷の望みをつないで、大使婦人がよく見舞いに来た。ドイツ人社会では、何かと大使婦人が、病人が待っていますから、と会合を途中で退席することから、かなりうわさになっていた。もちろん、オットー大使もいずれ気づくことになる。

2.26事件当時、陸軍省が、決起部隊と連絡を取る各部局の電話盗聴をしていたレコード盤が出たというかなり昔のNHK番組でも、当時を回想して、馬奈木大佐だったと思うが、ドイツ大使館がそばにあり、ゾルゲが大使らとともに、経過を見つめていたと語っていたのが印象的だった。




篠田監督が映画でスパイ、ゾルゲを最近製作したが、ロケ地が埼玉県本庄の早稲田キャンパス近くということもあって、改めて、ゾルゲなるスパイとは、いったいなんだったのか興味があって少し調べてみたくなった。英語の本が最初に出て、これはその後、ゾルゲの第二?の故郷ドイツで出たということで、紀伊国屋で買ったが、やはり第二外国語、読むのがしんどく英語版を丸善に頼んだら、絶版ですとのつれない回答だった。

その後、だいぶたって、新潮文庫「ゾルゲ・引き裂かれたスパイ」として原著の英語版の翻訳が出ていることを知った。

彼がどんなバイクに乗っていたのかまでは出てこないようだ。ま、しかたがないか?

あやしい電波が都内あちこちから出ていることはすでに知られていたが、組み立て式のかばんに収まる無線機で、短時間で打ち切って移動してしまうので、それがもとでつかまることもなかった。きっかけは、ふとしたことから逮捕した女性共産党員の取調べからもれたことから足がつき、ともに死刑になった尾崎らといっしょに逮捕された。

それはともかく、いづれ触れるかもしれないが、ライシャワーやドナルドキーンなどを育てた、セルゲイ・エリセーエフというロシアの富豪の息子が夏目漱石がいる東大へ留学し、ハーバードへ移って、多くの学者を養成した。1937年にハーバードで東洋語学部を新設することがきまり、初代学部長として、外国人ではじめて東京帝国大学を卒業したエリセーエフ教授が就任したという。




このエリセーエフ氏はゾルゲと異なり、対日穏健派とでもいう立場であろうが、学生時代はやはり本郷や根津の界隈を、当時珍しい大型バイクを乗り回し、かなり目立った存在だったらしい。そういえば、昔、帝大などに「遊学」できる学生は裕福な階層出身者に限られており、東京都知事だった美濃部博士も学生時代は、ヨットなどとならんで、バイクを乗り回したという。その回想を聞いて、テレビの司会者だった小川アナは、それじゃ、亮吉ではなく音吉だったんですね、などと応じていた、かなり昔の思い出。

現都知事も、三宅島あたりで、バイクイベントを計画されているようだから、若いときは多分お乗りになっていたのかもしれない。たとえ乗らなくとも、弟裕次郎氏は、映画の中などで乗っていたようにおぼろげに記憶しているような錯覚を覚える。



この画像は、sho様からいただいたバイク雑誌、クラブマン;1993年2月号の表紙裏に載っていたもの。つい、戦前というと、モノクロのイメージで捉えがちで、バイクも、戦後の国民の足としてスタートした経験から黒というイメージに傾きやすいが、これを見ると、やはり夢の別世界のような存在として描かれている。きっと、このようなカラフルな、たぶんハーレーあたりを外人が乗り回すと目立っただろうことは容易に想像できる。

日曜日, 5月 20, 2007

http://www.bluesky.com/
でTexturesのことを一年ぶりに調べてみた。Texturesとは、一時流行った画像関連ソフトではなく、れっきとした商業印刷向けのTEXシステムで、どういうわけかWin版がないようだ。

一年前までは、インテルMacに対応したけど、残念ながらまだ実機がないので、テストできないんだ、などと書かれていたので、その後どうなったのかと思って訪問してみた。

いちおう出来ていて、パフォーマンスについても書いてある。
We know that many are interested in the performance of the Intel platform, so we report these times for native Textures to compile the 494 pages of The TeXbook: 1.33 seconds (G5 @ 2.0GHz); 1.1 seconds (MacBook Pro @ 1.83GHz).

しかし、まだほとんど最終版ではなくテスト版の部分があるらしい。これは2.2からはじまるが、いわゆるタイガー版が2.1xで出ており、160ドルくらいでアップグレードができる。最初、有名な2.1にするには、2.0の場合110ドル位でできるとあったが、驚くべきことにOSX対応版ではなく、クラシック環境で動くもので、やはりタイガー版が欲しくなる。

それで、インテル版へのアップグレードはわずか25ドル程度らしく、テスト段階だから安いのか、OSX版からのマイナーバージョン版だから安いのか判断に苦しむ。それにしても、地味な会社でどこかの「?」の帝国などと噂される会社とは雲泥の差だ。ただ、日本の方は亘香通商へコンタクトされたいとある。もちろん直接オーダーもできるが、多分小さい会社なので、日本人への対応は面倒なのかも知れない。
そういえば、以前フロッピー版からCD版にアップグレードしたとき、アメリカから送られてきたが、シリアルナンバー発行にミスがあり、ということで、夜中に何度も電話が来た。いずれ制式通知がくるということだったが、電話でやりとりする数字はともかくDとWとかBとVとか後でみたら、何度も念をおしたのだが、間違って書き留めていた。ドイツ系の女性のようで、白人(?)女性と15分ばかりの初めての英会話、
冷や汗ものでした。

Macでもウィンドウズがあたり前に動くという新時代になり、しかも持ち運べるとなれば、ウィンドウズ用ソフトの出番もチャンスが拡大する。以前激安ソフトとして買っておいた数式処理ソフト、Mapleも少し使ってみようかという気になった。アメリカから、ダウンロードして買ったもので解凍して使えるようになるまで、たびたびメールで質問したりして大変だった。Mac版、Win版、それにLinux版が一緒になっているというので買ったのだが、Mac版は無かった。質問したら、sorry、実はMacは使ったことなんかないんだ、という回答であきれた。しかもさらに解凍したものをIsoCommanderとかいうソフトを有料でダウンロードしないといけないとか言われた。それは書いてなく、コンタクトして初めて分かった。安い割には盗難物では無いようではあったが、怖い感じは今もしている。

アクロバットもアメリカから激安で買ったのだが、こちらはCDがロシアから届いた。しかも開けた途端、
CDにインクジェットで印刷してあるのが歴然、一応ライセンス番号を入れてインストールしたら、これは
だれかに使われている、ということで、アップグレード権はもちろん無かった。ほとんど使わない。それでWin版のAcrobat8.0プロに正規に対応してダウンロードで購入しなおした。

私が買ったときはMapleは9.5だったが、その時はもう、10.0が出ていた。それから現在では11になっていて値段を調べたら驚いた。シングルユーザーで学生でなければ25万ほどして、毎年5万以上の更新費用がかかるという。これなら、他の数式処理ソフトMathematica5.xと比べて変わらない
値段だ。新パソコンの高級機が一台優に買えるお値段です。

解凍したファイルをIsoCommanderでディスクイメージに変換して、バーニングソフトでCDに焼いてインストール可能となった。CDを見たら、内側から一センチほど焼き跡があるだけで、軽そうだが、すべて入っているかは不明。一応Mac版旧型用Mathematica3.xももっているし、それも今やウィンドウズ上で走らせることができるので、比較程度には使えるだろうと思っている。数式処理ソフトが実用化され普及しだした頃、数学セミナーという雑誌で若手数学者たちが座談会形式で、おもに今あげた両者の
長短を比較検討してMapleに若干後発の優位性があるかのような印象だった。

一時期、先に普及した
Mathematicaを追うべく、この例題がMathematicaで解けますか!?
Mapleなら可能です、などと文字式を含んだ行列計算などが出ていて、さっそくやってみると
解けない。しかし、複雑な部分を簡単な文字に置き換えて実行させるとちゃんと解けた。もちろん置換した部分はあとで代入しなくてなはらないが。当時は(多分今も)バグがありうるので、数式処理ソフトは複数試さないと結果に自信がもてない、などと言われていた。



学生時代の教科書に、複雑な積分が載っていて敬遠しがちだったが、数式処理ソフトが出て、それらの中の一部がどうやら怪しいということは、大人になって、また大学受験用の参考書を開いて1週間ほどかかって
やった結果から推定していたが、Mathematica
で実行してみて具体化した。ただ、Mathematicaでは、いきなり結果が出るのでなぜそうなるかを追求する立場からは物足りない。その点Theoristという数式処理ソフトは、自分で数式をコピー&ペーストしたり、いろいろと式の変形を手助けしてやりながら結果を出すので、教育的ソフトで実に好い、と九大元教授の梶原先生はおっしゃる。大学の数学教員にも向いていると。その点、Mathematicaはいきなり結果が出るので、学者が論文を書くためのソフト、純粋数学でさえこういうものを使いこなさないと、若者の未来はない、などと強調されていた。




しかし、数学者たちは最初こういうソフトには否定的だったようで、日本の数式処理ソフトを開発発表した
初期の段階ではlogxの微分だか積分が実行できると発表した若手は、年配数学者から、それは機械がやった結果だろう、君は一体何をしたんだ!?などと否定的反応が常だったようで、梶原先生の周辺でもそういう雰囲気はあったようだ。MacにはじめてCDROMが搭載為れた頃、アメリカからのソフトで税関でHなCDROMの摘発がさかんだった時代とクロスオーバーして、Macを使うと学内で、冷ややかというか変な目で見られるというおまけまでついたりした時代もあったように私は先生の著作から感じたこともあった。

おまけ 「理系限定★★計算機のOS何よ」も参項にしようと覗いたが面白い。
http://ton.2ch.net/campus/kako/1005/10058/1005836011.html

11 名前: 1 投稿日: 01/11/16 00:25 ID:8hn8LCO1
Fランクの情報工学科です。

有名大学 -> UNIX
Fランク -> Windows

のような気がする。
これでは、ますます大学間の格差が拡がるような気がしてならない。
もちろん、俺の大学では一応両方あるが
solaris使ってる奴はほとんど見たことない。
院生ですら「winマンセー」とか言ってる。
だめだなこりゃ

Map

土曜日, 5月 19, 2007

今日は、前回の強風時とは異なり、穏やかな天候で早朝からスタートしたので、所要の手順が終われば
後は定期的に網を調査するだけ。夜間の遡上調査も始まっており、網は設置ずみなので、大した手間もかからず、仮眠でもしなければ、かなり暇となるので、MacBookでウィンドウズを起動し、仕事もしてみる。

もともとこの調査の合間に仕事ができるようにと念じて捻出して用意したものだが、昼間訪れるギャラリーも多くなかなかそういう環境がめぐってこなかった。やっとその出番が来たので、トライしてみたが、室と違い野外はかなり明るい。太陽光を厚いバインダーで遮ってやらないと、見づらかったが、薄曇りにでもなればその必要はなかった。二時間もしないうちに用意しておいた課題は終了してしまった。

バッテリーはまだ一時間半ほど使用可で、昼休みにDVDでもと思っていたが、魚道を流れくだる水流の音が激しく、音声を最大にしてもバッテリー駆動だけの状態ではよく聞き取れず断念。

会社に帰り使用したファイルを親機に戻そうとしてLANの端末とつなぎメールなどを受信してからいざ送信しようとしたら、送信ができない。とりあえず、親機の外付けHDをMacにつなぎファイルを転送したが、そのときようやく気付いた。受信はいつでも可だが、送信サーバーの設定が、家で使うためだけしか設定しておらず、会社環境の送信サーバーは家とはまるきりちがう。それで、アカウントを追加し、自分の親機と同じ設定をしてから送信すると(もう移動済みなのだが)うまく行くことがわかった。自分のアドレスで、自分のアドレスにメール送信するわけで、変な気持ちだが、国会でも偽メール騒ぎがあったように、自分へ送ることもこうなればいつでも可能。



コンビニで数日前買った旧車特集誌。記憶が蘇るいろいろな若き日の思い出バイクがずらり。1000ccクラスの性能は、今と同じかそれ以上。今は環境規制の影響で、水冷、燃料噴射式のようだが、あの頃はまだ、電子点火ぐらいで、まだ70年代の延長だったような時代。この頃、ヤマハの1100に乗った記憶がある。今と比べて加速がするどかった記憶があるが、体感性能はあてにならない。

この雑誌でも、マイクロロンの広告があって、目を引いた。

www.drsuda.co.jp

ドクター須田の言葉で、使用フィーリングが語られていた。思わずうなずく数々の指摘、・・・・。

9つの効果はいかのようだった。

シフトフィールが改善されます。
エンジン寿命の延長と部品摩耗の防止。
圧縮力の増強とパワーアップ。
エンジン騒音の防止、回転を滑らかに。
オーバーヒートを予防。
エンジン内部の洗浄。
一度の処理でオイル交換後も長期間効果が持続。
燃料、オイルの消費減少と、オイルの寿命を大幅にアップ
新しいエンジンには予防的に、古いエンジンには治療的に・・・。


となっている。私が実感しているのは、1と4、それに5だけははっきりとわかる。あと7も最近わかってきた。

後、ドクター須田氏の言葉が印象的。
「ちょっと見、灯油みたいな液体に何ができるかと誰でも思いますよ」

「マイクロロンの効果に確信が持てるにたっぷり三年はかかった」う〜ん、石の上にも
三年か〜^^;)。

まだ半年ちょっとでも、効果は出ている。燃費はアクセル操作で変わるので、何ともいえないが、静かに走ると以前より少しづつ向上しているような気がする。

最初、オイルを抜くと効果が消えたような感じがして、二回もいれてしまったりしたが、会社の車は規定量で直ぐに効果がでたあと、また前に戻ったと思い、もう一度入れたい誘惑にかられたが、我慢して乗っていたら効果がだんだん出てきて、燃費も確実にアップ。11キロ台後半から13キロちょっとと変わっている。

バイクもオイル交換を三度したが、変える度に濃い状態だったものが薄まり、今はもうほとんど残っていない感じがする。しかし、乗っているとだんだん慣らしがきいて良い感じになってくる。長く乗らないと分からない感覚だと思う。バイクではカワサキ車には効いたがホンダ車には効果がなかった、などと言った例もあるが、やはり三年とはいわないが、一年以上は使い続けた後の記録も残して欲しいものだ。

元にもどったような感じが丁度よいようで、規定量の指示はだてではないようだ。入れ過ぎると、ヌルヌル感は増大し、アクセルレスポンスも好く、好感度はアップするが、それにはオイル交換毎に入れ続けなければならず、極めて不経済。

Map

木曜日, 5月 17, 2007




先日、とある県管理事務所へ所用ででかけたら、駐車場が込んでいて、端のほうへ行って開いているスペースへ駐車したところ、車一台分を占用しているビッグバイクが目に付いた。

近寄るとカワサキ車で、走行は4万の半ばだった。年式や制式名などはわからないが、よく乗り込んでいると思い、記念に、スペースがあるので、撮影した。



ZZRのこの型は400がポピュラーで1400もあるらしいが、こうなるとさて、どっちだったかはわからない。どなたかわかる方いらっしゃいませんか?400としても最高査定価格は80万と言われている。転倒か、接触跡も若干あったので、さていくらぐらいがつくのか。排気音を耳にすれば、だいたいどちらかは見当がつくのだが、こちらも忙しく、用がすめば慌しく次の役所へと移動してしまった。



慣れれば、こういう風防でも苦にならないだろうが、目が回りそうなメーター周り。手入れが大変そうだと、否定的に捉えてしまうタイプだ、ネイキッド好みを自認する者としては。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211569647
では、

「ZZR250は 2気筒ッてことでエンジン性能はいまいち昔あったZXR250の方が(バリオス同じ4気筒に倒立サス・ダブルディスクと本格的) 、ただし250ccクラスでは現在4国内メーカー中 唯一のフルカウルモデルrなのでそこそこの台数は出ています。

ZZR400も400ccクラス自体の不人気(車検が掛り:かといってあまりパワーもない)という事で、現状では簡単に取れる大型免許・維持費も大型車種と同一と魅力がありません、一応4気筒エンジンでそこそこ動くので、フルカウルの車種が新車で欲しいという、僅かな層の支持は集めています(ほかのメーカーに無いので)」

とか、

「現在は400cc自体が不人気(その証拠にどのメーカーからも 400ccのフルカウルモデルはないし、400ccの車種自体が少ない)


250ccは空冷・シングル以外に売れている車種はないです。 よって両方不人気」

などと肯定的意見の中に否定派の存在も約半数近く出ていた。


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月曜日, 5月 14, 2007



たまの休日で、普段と同じく出社し、段取りを整えてから秩父へ向かった。先週と同じような条件で、車が少なく走りやすい。国道140号では、ハーレーの新型と並走して、BIG1の能力を再認識した。最近のハーレーの新型エンジンとフレームは今一好きになれない。そのハーレーは、寄居から皆野バイパス(有料)へと向かったのでまたしばらくソロで。

秩父市内では、10台ほどのハーレーを中心としたグループが二列縦隊でゆっくり走っているので、抜くにぬけずしばらく後続車として附いていったが、クラシックタイプが多く好きなタイプ。ハンドルを震わして加速する。案の定、道の駅へ全員左折してくれたので、一気に目的の場所へ。

そこの奥さんは、秩父市役所職員なのだが、最近は日曜でも出勤があってお忙しいとのこと。ご主人と事務所で雑談していたら、クラウンで出勤していくのが見えた。秩父でもハーレー祭りの行事が毎年春にあるらしいが、今年ももう連休前に終わった、という。



こちらも仕事があるので小一時間も雑談したあと、いとまを告げる。秩父市内で給油。130円のセルフサービスでいれた。きれいな黄色と茶をベースにしたカワサキZ1000位のバイクが来ていた。料金を支払いにレジに入ろうとすると、小柄な女性が払って出てくるところとぶつかりそうに。すれ違い座間、服装と手に持っていたバッグでライダーと直感。急いで支払いをすまし、外へでると、やはりその女性が大型バイクを押している。珍しい光景にみとれ、写真は撮り損ねた。

しばらくすると、132円のスタンドが。がまたしばらくすると128円のスタンドも営業していた。たまに来ただけでは、こういう路線情報は分からない。これからもちょくちょく来ることにしようと思った。片道70キロほど。一日自由に走れる日は残念ながら少ないのだが、奥も含めて見どころはたくさんある。和銅の時代から開発された場所で、天領だったから歴史的遺物も多く、戦争中は疎開地としても多くの児童たちが炭焼きなども行った。最近は、秩父市長が吉田町で、バイオマスの研究開発プラントも立ち上げ、新時代に対応する準備もしているという話しを聞いた。奥地の大滝村も秩父市(大秩父市)に合併され、荒川村なども同様。甲州とも大滝経由で繋がり、奥地の閉塞感もなくなった。日本オオカミが生息していた地域だ。





帰りは、やはり峠道をと思い、140号を右折して定峰峠に入り小川方面へ抜けた。ゆっくり走って緑と空気を楽しんだ。競輪選手の予備軍なのか、登りも下りも必死にトレーニングしているグループが車より多かった。BIG1は、大きいしタイヤも18インチなので、細かな急カーブでもできるだけ忠実に左側を走ろうとしても、途中で気を抜くとはらんでしまってなかなか上手くカーブに沿って走れない。ついブレーキをふんでスピードが落ちてしまうが、シフトダウンなしに加速してくれるので、苦にならない。


下りでヤマハの180cc単気筒水冷の軽快バイクに抜かれたが、途中でまた対向車線をあがって来た。練習をかねて走っていたようだ。

燃費は、150キロほど通勤、70キロほどツーリングで15.3キロ。通勤燃費をいつもの14.3キロと仮定すると、ツーリング燃費は17キロ台ということになり、はじめて17を超えたことに。最近だんだん燃費が好くなっている感覚はあったものの、にわかに信じられない。前回甲府経由で走ったときは16.1しか行かなかったが当時はこれでも最高燃費。sho様の1300同様の好燃費に近づけるかまたトライしてみたくなった。早出が肝心だと改めて思った。

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金曜日, 5月 11, 2007

本日は強風のため、アユ遡上調査の当番だったが、波が高く危険ということで、午前二時から仮眠を伴い待機したが、夕方までとうとう波、風が収まらず一日は結局一匹の調査も出来ずじまいだった。

おかげで、読書も出来たが、「仕事中」の読書も実に久しぶり。昔から用意はしていたが今一わからない本を開いた。

いつも引用する藤原正彦先生だったと思うが、大数学者がでない国をいくら国土が大きいとか、人口がすごいとかいうだけでは、私は絶対「大国」と認めない、ということをどこかで書いていた。その意味で、中国は「大国」ではないとも。そういえば、作家の三浦朱門氏も、中国は絶対に「大国」ではなく、その名のとおり、中国というくらいが適当だろう、という意味のことを書いていた。

その点ロシアは、大数学者を輩出しているとも、その中にコルモゴロフも上げられていた。コルモゴロフが統計学者とは知っていたが、今一業績は不明なままでいた。

今日読んだ本は、積分論だったが、注目すべき一文を見つけた。確率の数学的定義とルベーグ測度という小節であった。

確率を数学的に定義する方法として大きく分けて

1)頻度的定義
2)公理的定義(コルモゴロフ)
の二通りが考えられる、としてあった。ふむふむ。確率の頻度的定義はコルモゴロフがルベーグ測度をもちいて厳密に確率を公理的に定義するまでの便宜的手段だったとも。

公理とは、数学上の仮定だとも。う〜ん。



魚の調査も、誤差を含む確率的な法則を前提として、統計をだしているが、そこまでは考えなかった。

数日前、白衣の天使といわれたナイチンゲールが、実は統計学を研究する「数学者」であったことも読んでいた。その成果を用いて、英国陸軍病院での死亡率をわずか半年で40%から2%にまで低下させた極めて優秀な「応用数学者」であったという。

彼女は幼少の頃から、数学に極めて強い興味を持ち、ロイヤル・ソサエティの会員でもある数学者シルベスター氏に個人教授を受けていた。統計学に関しては、学会の権威であるベルギーのケトレ氏と学問的親交を持つことにより、それを深めていったという。

こうした背景を持つ彼女は、患者個人の看護から病院全体の改善へ、ひいては全人類の衛生問題へと視野を広げえた。彼女の学問的貢献は、看護婦(士)の余技の水準をはるかに超えた第一級のものである。


彼女は、心からの称賛を込めて、「情熱の統計学者」と呼ばれている、という。その意味で、この点でも英国は、老いたりといえども、まぎれもない大国だったし、大国たりえるのだろう・・・。


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木曜日, 5月 10, 2007



一昨日は7月中旬並の暑さとなった。朝から、バイクで仕事先回りの必要があり、そのうち走行中に、合流すべき仲間が先発ですでに現地へ向かったとのしらせで、会社へ寄らずそのまま、予定現場へ。

以後、外の仕事が終わるまで車について移動した。午前10時にはすでに汗ばみ、昼休みには、緑陰が本当に恋しくなり、薄着で出ていたのだが、これで真夏はどうなることやらと気をもんだ。

この前の20度Cの早朝の田園のツーリングが嘘のような、天気の変化が激しい年だ。



午後2時、ようやく会社に帰れることに。渋滞路を避けて、車の流れの良い道をえらんだが、右足の内側が
熱い。右膝を30度以上外側に広げると、内側にも外気が直接あたり、涼しく気持ちよい。今これを書いているときも、右膝内側が、熱を受けているかのようにカッカとしてくる。

水温計はあまり上がらないのだが、エキパイが集中する右側は、熱風が遠慮なく来る。



そのうち、急激に日変化したためか、エンジンが追いつかず熱ダレぎみに。音も変わりヒューンという音が混じるように。エンストも起きやすくなっている。ゆっくり走っていると、4輪にもあっというまに抜かれた。それで、少しアクセルを開けてガソリンが沢山流れるようにスピードをだして走るが、何か変。

翌日は朝から5度C以上も下がり、昨日と同じ服装では朝は少し涼しすぎる位だが、エンジンはご機嫌。
途中Z900の水冷と並走するが、向こうは、カワサキサウンズが少々大きい。こういう中古にマイクロロンを入れたら、丁度よくなるのだろうにと思う。前が空いた交差点で並び、同時発進。お互い各ギヤで申し合わせたようにほぼ同じタイミングでシフトアップ。シフト音も金属的な音がしている。マイクロロンのせいか、プラス100ccのせいか、おそらく複合要因だと思うが、若干各ギアで一台分くらい先に出て行く。音はこちらが向こうの2/3以下ぐらい。


昨日のような急な昇温時ではどうなっていただろうと思う。

月曜日, 5月 07, 2007



Win環境とMac環境で、ホームページの更新は支障なくできるのか!?というsho様の質問に取りあえず、快答はできなかったが、後で家へ帰ってテレビをみていたら、今日会社で自分のブログにログインして、その質問にどうにか答えたが、会社ではWinXPのFireFoxブラウザで書き込んだり、あるいは写真を貼り付けたり、誤字脱字を修正したり、基本的に自宅のMacと同様なことをしているわけだと改めて気付いた。

家では、Winもあるが、WinはもっぱらMacで編集したブログの結果を別画面で眺めるのを常にしているので、sho様のような質問が改めて来ると戸惑った。

ブログがそうなのなら、ホームページも基本的に同じことではなかろうか。それで、まずWinでMacでしている編集・管理画面を開いてみた。ここではブラウザを統一しているが、Macにはブラウザが多いので、一概にはいえないかもしれないが、FireFoxは何度もいうように、Linux版、Windows版、MacOSX版が同時にバージョンアップなどのリリースがされるので、
異なるプラットホームでの差が出難い面は確かにあるように思える。



2006年7月号のMac関連雑誌「MacFan」では、インテルMacへの移行特集があり、その中でウィンドウズユーザのための移行の掟という部分が、旧Macユーザが移行する場合への事例の後に独立して書かれている。

それによると、「ウィンドウズのアプリケーションのパフォーマンスを優先させるのなら、ウィンドウズが単体で起動するブートキャンプのほうがおすすめ。一方、OSXをメインに据えて、ウィンドウズ用ソフトはたまに使用する程度なら、OSの切り替えが簡単なパラレルズのほうがいいだろう。」などと書かれている。

さらにどちらも基本的にノンサポートで、ブートキャンプに至ってはベータ版である、とも断り書きが・・・。

ここでは紹介しきれないが、ウィンドウズXP環境を、できるだけインテルMac環境(のWin)へ移行する場合のノウハウ、ウィザード未対応の設定や書類は手動で移動する(オフィス、ブックマークとキー、メールアドレス帳、iTunesライブラリ)、として各場合の対応がいろいろ述べられている。

「ブックマーク」の項目ではこんな記述も。

ウィンドウズ版の「インターネットエクスプローラ」にはブックマークをHTML形式にエクスポートする機能が用意されている。そしてMacのウエブブラウザ「サファリ」(標準添付)にはHTML形式で書き出されたブックマークを読み込む機能が用意されているので、簡単に移行できる。ただし、日本語が文字化けしてしまうので取り込み後に修正が必要だ。 また、Macとウィンドウズの双方に、ファイアーフォックスをインストールすれば、サンダーバード(メールソフト)と同じ方法で、設定やブックマークを丸ごと移植することができる。


「ファイアフォックス」のデータを移植する場合は、Documents and settings→ユーザ名フォルダ→
Application Data→Mozilla→FireFoxフォルダをmac側にコピーする、とあります。

無料のFireFoxをダウンロードすると、インターネットエクスプローラーの設定を自動的にインポートしてくれるので、移行前にそれをしておけば、後は上記フォルダをバックアップしてMacにコピーし、MacのFireFoxを立ち上げれば、環境が移行します、というわけです。

Macには多くのブラウザがあって、それぞれの特徴は、http://www.geocities.jp/nmuta2004/の
http://www.geocities.jp/nmuta2004/appli-index.htmlにくわしく述べられている。

逆に、MacでWinのHP継続ができないと仮定したら、その時こそパラレルズ(やブートキャンプ)の出番ではなかろうか!?。アップルの乗り換えキャンペーンはそういうこともアピールしてくれるモニター募集ではなかったろうか!?。

いろいろ不安もあるかもしれないが、ぜひそうなったらチャレンジして、移行の障害を乗り越え、プラットフォーム移行完了宣言を、HPで公開してもらいたいものだ。




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土曜日, 5月 05, 2007



明日は雨の予想なので、早朝暑くならないうちに家を抜け出て北へふらりと向かった。混んで暑くなるときの走行はごめんなので早めに出かけ、早めに帰るということにした。

取りあえず高速にのり、周囲の新緑を堪能しつつ、車の流れに乗って走る。追い越しの最右端車線は別として、残りの二車線は100〜110キロの巡航速度。高速入口には、機動隊員たちが、シートベルトなどの監視のためか、捕まえやすい早朝時に、しっかり見張っていました。



大型は、タンクローリーと物流関連のトラックだけで、走りやすかった。数分毎に、2〜3台のビッグバイクが120ぐらいか、最右端のレーンを駆け抜けていくが、こちらはもっぱら、左端を車と一緒に走ることに徹する。最初、振動が多いと思ったが、休憩以後は気にならないレベルだった。日頃、通勤でトップでゆっくり走らせていたので、エンジンが最初はそれに慣れてしまっていたらしい。




朝早いせいか、休憩所も普通の混み具合で、気持ちよく使った。出ようとすると、駐輪場に国産ビッグVツイン車の新車にのったおじさんが脇に駐輪。それとなく観察すると、65は回っていそうな、悠々自適の定年後の生活を楽しんでおられるような、おじいさんだったが、首からかけた小物類なども、こだわりがあって選んだようないでたちだった。こちら生活派の通勤バイクなので、長居せず、会話せず、すぐ本道へ。



宇都宮近くで降りて、壬生、石橋方面の県道を東に走る。途中で降りた高速の下をくぐる。心の和む風景が続く。風はほとんどなく、天気はよく、光があふれている。



こちらも半分ほどは田植えが済んでいるようだった。高速での温度表示(午前8時頃で20度)からしても、この時間の走行は大変気持ちが良い。20キロほど楽しい、安心な走りを満喫した。4号を南下して、家に帰り着いたのは10時20分ごろ。3時間あまりの脱日常だった。通勤150キロを含んだ燃費は15キロ弱で、だんだん良くなってきたような気もするが、ガソリン代が上がっていた。


今日は、夏日になりそうと予測して、早朝に出かけ、10時半前にはまた家へもどった。予想通り暑くなり、長袖シャツ一枚になっても暑く
ぐったりしてしまう。

こんなに暑くては川の水温も上がっているだろうとウィジットで見ると、午後2時でも地中の年平均温度なみの上がり方。川の水温も日が落ちてから最高になるようだ。

隣のタイガーたんの紹介で、高校でのマック導入例を見させてもらった。

タイガーたんの紹介は、最近よく見るようになり注目している。RSSという言葉も良く知らなかったが、彼女によって教えてもらった格好だ。彼女の腰まわりにあるiをクリックしてセリフのジャンルをRSSに変えるだけ。



さて、昨日のラマヌジャンの数式のうち、簡単なものでは、2143/22というのがある。これの平方根の平方根を電卓で求めると、円周率πに驚くほど近似する、という。3.14159265258とかなり、最後の・・・258だけが
ちがっている。・・・358が正しくちがいは小数点以下9桁目の3が2となるだけの驚くべき近似だ。
因に、πの2乗が重力加速度に極めて近いことも、何やら自然界の裏に潜む神の領域を暗示しているような気がする。(吉田 武「虚数の情緒」東海大学出版会)
この本によれば、人類は数千年近く虚数の存在から背を向けてなんとか触れずに済まそうとしてきたが、三次方程式の解を扱うにおよんで、負数の平方根に意味を与えないわけには行かなくなった、という。

そして、現代は虚数といわず、複素数というが、極微の世界を支配する基礎方程式(シュレーディンガー方程式)は波動関数であり、その内容は虚数だという。分子も原子も虚数なしには表しえないものだったのである、という。

最初、パソコンが一部の人に普及し始めたとき、私は計算機として最初は理解したつもりだった。シュミレーションなどということにはある種の抵抗があった。なんで箱の中だけで行う、虚の演算が、現実を予測、制御できるのか見当がつかなかった。

しかし、実際手にして計算やら、データ処理やらを通して、ある種の神域が備わっていると直観した。カントではないが、脳を通してしか、自然の現実を掴むことができない生物は、やはり自然をある種の虚としか捉えれないのかもしれない。


吉田氏の著作には、『脳が脳を理解する、虚数が虚数を記述する。』と書かれている。数学に美を与え、現実の世界の法則である物理学をも表す、虚数の実在性を本書では強調している、とある。
パソコンは、非常に優れた教育器材なんだなあ、と改めて思う。好きなパソコンを選んで学べる幸せを再認識させられた一冊ともいえる好著だと思うが、吉田氏の著作、これ一冊で1000ページもあり、読みごたえはかなりある。

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金曜日, 5月 04, 2007



一般に理工系の文書で多用されることが多い数式や図を含んだ文書は、今でこそWordなどでもある程度作成できるようになっているが、専門的な内容などとなると、間に合わなくなることも少なくない。

そういうときに、重宝がられるのが、一部の人々の間で愛用されているTEXによる文書作成システムで、基本的に無料で公開されていて、ある程度パソコンに強い人々で、そういう必要に迫られれば、勉強して使うことになる。



TEXはスタンフォード大の先生が、印刷されたご自分の論文の数式が今一美しい配列でなく、ご自分の専門の知識を生かして、満足のいく数式を印刷できるよう考え出された一種のDTPシステムだ。先生によれば、白紙に小さな黒いドットを思うように配列できれば、目的は達成されるというところからスタートしたようだ。

私はブログしか書いていないが、htmlの記述もちょっと似ているように感じている。
例にあげた数式は、NHKの講座で藤原博士も取り上げたインドの郵便局員から数学者になった、ラマヌジャンの有名な数式の一つを、texシステムで記述し、印字した例だ(野寺隆志、「楽々LATEX」共立出版)。

TEXを定型スタイルの(例えば、論文とか、著作)文書作成システムに特化したものがLATEXといわれ、広く利用されている。



アスキー社がかなり前から、解説本やCDを出したりして実績があるが、奥村晴彦氏の「LATEX2e 美文書作成入門」(技術評論社)も版を重ねている。大学の研究者から、ドリル教材作成まで、数式を扱うところでは、必ずといっていいほどあるはずだ。

しかし、インストールして満足に使用するとなると、いおいろと関門があったりする。私もその一人で、ウィンドウズにはいれていないというか、一度入れたが、使いづらく感じ削除。もっぱらマックで使用するときがある程度。

ちょっと古い統計でも、世界の出版物の16%はこれで作られていると言われていたから、今はもっと比率が増えているかもしれない。学術書などでも、数式をみると、ああ、あれだなと思われる輸入書籍も少なくない。

ところで、アメリカにブルースカイ社という会社があって、そこでTexturesというマックに特化した商業印刷専門ソフトを販売している。わたしも、Win機を使用していない頃、マックしか持ってなく、LATEXに限って投稿許可という所へ原稿をだす必要があって、自分でインストールするのに自信がなく、注文を出してしまった。この会社、いまだにウィンドウズ版を出さないでインテルマックにも対応した、不思議に思うことが多い会社である。



これは、横文字専門で、日本語入力はできないのだが、大阪大学の小磯先生が、これを騙して日本語表示、印字を可能にするシステム(JtexEdit)を開発されて公開され、恩恵にあずかっている。最初に掲げた画像で、日本語組版内に大きな文字が見えるが、これはTexturesに備わる角形ルーペで、マウスカーソルを当ててクリックすると細部が正しく変換されているか、チェックするための拡大表示機能を使ったもの。

もっぱら、クラシック環境で使っているが、OSX版のインストールもしてみようとトライしたが、ユニックスコマンドでパスを通すというところで、挫折してまだそれは動いていない。
ターミナルのコンソールでコマンドラインでインストールの確認をしたが、見つからないという。原因をつきとめるまで時間がかかりそうだ。それで、導入が簡単だったクラシック環境に
魅力を感じている。簡単な指示を守るだけで、日本語で自由に扱えて、ワードの数式機能などよりも優れているが、あくまで自己完結した印刷まで責任を負う場合にはいいが、指定がワードでとなれば、使えない。

『美文書入門』を書かれた奥村先生も、高校の数学教科書の執筆陣時代、印刷された数式に誤りが多く、校正に多大の手間と時間をかけた、と苦労話が巻末にある。JtexEditなどはふれていないが、奥村先生も、長年ウィンドウズを使われた後、数年前ユニックスマックになってから、マックを使われている、ことを雑誌などには表明されたことがある。著作には、Winの風しか吹いていないスタイルしかみられないが、・・・。



ところで、小磯先生のところにも分からないことがあると、無遠慮な解説要請メールなどが結構来るらしく、聞いた話しでは、私は大学の教員であって、ソフト会社のサポーターではない、と怒りを露にされたこともあった由、大人相手に公開された、というスタイルで、少し周辺的な解説サイトのお世話になる必要がありそうだ。

さて、気を取り直し、もう一度、OSX版のJtexEditのReadme.pdfをじっくり読むと、Texturesを併用する限り、昼間にインストールに失敗したptexという、シェルとなるものは要らないような書き方である。Texturesの2.1というのが指定されたバージョンで、2.2がインテルマック用らしく、除外されている。1.8でもやり方次第では動くはずと書かれていて私の持っている2.0については言及されていないが、2.1のつもりで、環境設定のTextues関連チェックボックスをオンにして、取りあえずやってみたら、あっけなく成功〜。

あくまで、奥村先生と同じく正当な書き方だったので、Texturesを使用しないことを前提で、基礎から述べられたので、ドキリとしたが、G4マックでは簡単だった。なお、JtexEditはタイガー専用版を使った。


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