月曜日, 6月 04, 2007



アユ調査も終わり、楽になるはずの休日も、緊急の仕事が入り他県の現地の下見にいくことに。現地の住所や案内図が親会社のMOにまだはいったままで、一枚の25年前の現地図面しか手元になく、場所の特定や、道順、所要時間などを早めに把握する必要がある、という。そこで、まず会社へ車を返しに行き、グーグルマップとその県の地図帳(古いもの)で現地を特定し、まずここでまちがいないという場所を選定。

航空写真のハードコピーを持ってバイクで出発。途中の県越えの橋上の温度計は23度を表示。快適な走行が続く。道はあまり混んでないが、市街地に近づくとやはり混むが、大型が少ないので、比較的楽だが、サンデードライバーの挙動は、時としてドキリとするので、抑え目に走る。

二時間ほどして到着。図面と細部の情景を比較してまちがいないか確認。適当な駐車場所もあり、仕事はしやすそうと判断。後は食事場所の探索。幸い数キロはなれた場所に何件も適当な場所もある。




仕事が終わると、のんびりツーリングで帰るだけ。途中、最近なにも新刊を買っていないので本屋へたちよる。店内をくまなくまわったが、狙った新刊本はなく、しかたなく、特攻関係の雑誌を購入。珍しく、米軍の機密文書が指定解除されて、特攻の成果の実態が数字入りで載っていた。戦後米軍によって発表された「成果」は、これにより実際の1/3程度に低く抑えられて発表されていた、とある。敗戦のショックとGHQの洗脳教育で、犬死ということばさえ生まれたが、これはすばらしい戦果ではないか。

今、李登輝元総統が訪日されているが、実兄氏は靖国におられ、参拝も希望されている、と聞く。同じ立場の生き残り、富士通元会長の山本氏の講演でも、米軍が特攻の真の成果を秘匿しているが、特攻の戦果は相当なものがあったんです、と強調されたことと符合する結果だった。昭和20年当時、訓練に使用した戦闘機は、照準が飛散するエンジンオイルで汚れすぐ使い物にならなかった、という。それで、戦後工学部を志したのだという。

最近、ノモンハン事件についても、ソ連側文書の公開がなされ、大敗北といわれた日本側が、これでは大勝利ではないか、とさえ言えるロシア側資料も出ている。(ノモンハン事件の真相と戦果ーソ連軍撃破の記録ー 小田洋太郎・田端元、有朋書院、2002)

車を返しに生く途中、竹村健一、渡部昇一、日下公人の3氏の対談が放送されていた。ここで、渡部氏は、アメリカ上院の軍事外交委員会での公聴会証言で、老将軍のマッカーサーが『それゆえ、日本の戦争は大部分が自衛的なものだった』、と言っていると英文とともに発言。侵略戦争とした東京裁判史観を本人が否定する発言をしている、と。朝鮮戦争で苦渋を舐め、解任された老将軍は、初めて戦前の日本の立場に「目覚めた」というわけだ。しかし、マスコミで仕事をしている竹村氏は、それは渡部さんの持論ですが、そういう過激な事を言う人は日本ではすくないですな、とやんわり抑えて話題転換。日下氏の発言を促す。


公職追放20万人で、戦前の立場を主張しえる人材を追放し、反日左翼が、自己増殖した過程については言及されたが、マスコミ批判そのものとなるので、深入りが避けられた感を強くした。



本屋をでると、ヤマハ車が帰るべく始動していた。走行キロは五万を超えていたが、まあまあのエンジン音。しかし、マイクロロン処理のビッグ1とは比べ物にならない。音が静かだと、長距離走行後の疲労も違うように感じるが、どうだろうか。音質の点では、2気筒の大排気量かもしれないが、好みも加わるので、複雑だ。同じ機種なら、静かに越したことはない、のではないか。

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