月曜日, 2月 23, 2009


原因不明の突然停止で、修理に出してから5日ぶりに、治って届けられた。軽4輪が小さく見える大きさに改めて感心した。交換部品はキルスイッチユニットと、電気系の背骨かつ中枢神経といえるワイヤーハーネス。けっきょく、どこがどう悪くて止まったのかを聞き出そうとしたが、バイク屋さんでも結局分からなかった、という。ただ、ここしかないだろうと思って新品に交換したのだという。

ワイヤーハーネスは2万6000円以上もした。キルスイッチは、今回交換を見送ったリヤのブレーキランプのレンズより安く、新車のように赤いスイッチがついてきた。試乗したバイク屋さんも吹けがかなりいいようですね、などと言っていた。私もアクセルを軽くひねってみて回転の上がりと言うかツキの良さを感じた。低回転で細かく断続的に震えるようにノイズが入るように見えるニュートラルランプも、静かに明るさが変化するだけで落ち着いている。

あいにく、納品物が多く、11時まで仕事に追われて、ようやく乗り出した。明るさが全然ちがうではないか。これでは、昨年秋の車検時に、ランプが暗くて車検の規定の明るさギリギリだったという指摘を思い出した。おそらく、ハーネスのどこかでボディと異常接続していたのかもしれない。メーターが明るいので、トリップメーターの走行距離も、過去最高に見やすい。ということは、火花も快調のはず。

しばらく走ったら、アイドリングが1400回転にも達していることに気がつく。1200回転に調節していたのだから、明らかに火花が強くなって帰ってきたのだろう。ローギアへのショックがやけに大きいと感じていたが、そのせいだったのか。それで、さらに走って1200以下、1050回転程度まで下げた。これで、ショックはだいぶ小さくなった。戻すネジはかなり大幅に回さないと落ちなかった。最近、暖冬だと言うのに、自作モータロイのせいだとばかり思っていたが、今までより朝の水温計の表示が低すぎると(ここひと月ばかり)感じていた。白の適正レンジまで針が行かない日もあって、ブルーゾーンと白のレンジとの境どまりであったが、今日は、ちょっと走るとまた昔の位置に針が戻っていた。

そのせいか、自作ロイの感じがなく、またまた慣らし運転スタートといったところ。いい加減に安定してもらいたいものだ。ただ、小排気量とちがい、たいていはあまり不調を感じず走ってしまっていたので、期待していたほどにはパワー感はないが、シフトアップした時などに、グイッと前へ押し出される感じがした。

後はカーボン堆積がどの程度改善されるかだ。燃費ももちろんではあるが、最近はやたら仕事が増えているので、通勤オンリーで、こういう時は、燃費は良くない。走りに鋭さは感じないが、以前よりも前の車が早く近づくのは、気のせいだけでもない感じ。後続車が出遅れている感じもするし。あとはツーリング燃費だが、今のところ何の予定も組めない状況だ。通勤に使用できるだけでも、満足しなければならない。

過去に、排気の匂いはガソリンにもよると書いたが、不完全燃焼っぽい匂いはやはり燃焼異常だったようで、不思議なくらい匂いがしない。また、アイドリング途中で、エンジンが温まってくると、回転がさがりよく止まったが、今回はアイドリングを以前のレベルに戻しても起こらない、ようだ。

社内でも、新車を買ったほうが安上がりだったんでは!?と噂されているらしい。購入価格、直後のオプション部品交換、その後の修理代(消耗品をのぞく)とカウントしていくと、SC54の新車はともかく、SC30の頃の新車価格を上回りかねない。いずれにしても、SC30は昨年あたりが中古価格の底をうったとも言われており、以後は上昇はすれど低下はしない、などと気になる記事を書くバイク雑誌もあった。

玉ナビの女子アナさんの乗るハーレー883は、すでに18年目に突入とか。CBとかいろいろ迷ってハーレーの900クラスとして、いちどじっくりメンテをしたいなどとおっしゃっているが、新車ならいざ知らず、中古はある意味、メンテ次第であるし、そこに新車とは一味ちがうそれぞれの中古との付き合いの世界が広がるように思える。

なかのひと

土曜日, 2月 21, 2009

坂井三郎氏関連本とともに、半年ほど見失っていた昭和史の謎を追う副島隆彦氏の「仕組まれた昭和史」も偶然出てきた。坂井氏の気迫は凄いの一言であるが、坂井氏は海軍上層部への歯に衣を着せぬ批判もすごかったらしい。下々の中から坂井氏のような人が健気に戦った、というのに、一部の海軍上層部が米国の傀儡であった、という指摘は、どうも私には真実のような気がしてならない。

『仕組まれた昭和史』関連の事項は、ネットで簡単に見つかるので、皆さんもご覧になっては如何が!?

一例として以下のサイトをご紹介させていただく。ここでは無難にざっと本の内容を箇条書きに要約してくれているが、『「昭和史」にもいろんな考え方があり、どれが真実なのかよくわかりません。
この本では、世界史の一部である昭和史をロスチャイルド財閥 vs. ロックフェラー財閥の視点で描いています。
確かにわかりやすい理解の仕方ではあります。』とだけ筆者のコメントがあるだけである。
http://mindmapping-doctor.blogspot.com/2008/08/blog-post_7235.html

私は、昔から陸軍と海軍が仲が悪いと言うことは聞いていた。ある大学の先生は、戦争中南方のゴム園を視察した際、陸海軍が敵同士のように仲が悪いのにびっくりした、と書かれていた。ゴム園視察中、銃弾さえ飛んできた、という。

時間を置いて、もう一度副島氏の説を振り返ってみると、ハワイ攻撃に参加した源田実あたりまでが、怪しいという指摘を副島氏がしている。ハワイ攻撃直前は、海軍航空隊をもり立てたようだが、最初は、日本のパイロット養成に、源田氏はむしろ反対していた、という指摘を坂井自身だったかどうかは忘れたが、その関連本かなにかで見た。当時は非常に奇異に感じた指摘だが、もしそうならありえよう。特攻攻撃の産みの親である自決した大西中将などは違うかもしれないが、海自の海将経験者でさえ、戦時中の海軍が陸軍に多大の迷惑をかけていた点を指摘している。

これまで、いろいろな戦記を読むにつけ、どうも海軍はその持てる機動部隊の戦力をどう考えても有効に使わなかったような印象を、素人ながら感じていた。もし、海軍の上層部が米国の傀儡なら、戦う振りをしていただけ、ということだから私は、副島氏の指摘がたいへん気になる。副島氏の指摘を得る直前に、海軍の上のほうは怪しい、と外務省の拙劣な外交姿勢を新聞などで読むにつけ、感じていた。それで、指摘をうけてすぐに、宣戦布告文書の手交遅れも、偶然を装った意図的な米国への追随ではあるまいか、と思った。しかも、戦後も責任を問われずに、事務次官まで出世している。

硫黄島の戦いのときに、牛島大将は、海軍部隊に対して陸軍の指示があるまで要塞砲を使わないよう指示していたが、米軍上陸前に勝手に沖合の艦艇に向けて発射してしまい、位置を悟られ砲身が曲がってしまうほど、叩かれて攻撃不能にしてしまった、という。米軍が上陸を済ませた後に使えば、かなり有効な打撃を敵に与えられたはずのものを。

今は捜し出せないが、かって深田祐介氏が指摘した、駆逐艦、巡洋艦レベルの夜戦で、米軍を完璧にやっつけてしまった2隻の艦長は、その戦いの後、なんと予備役に編入されてしまった、という。外国の教科書にも、模範例として載るほどの戦いぶりだった、とも。これを読んだときも何か、海軍(当時は海軍と決まっておらず、いわゆる日本のある種の悪しき伝統か?)のやる気の問題につきあたったような気がしたものである。

小学校の頃の漫画雑誌などに載っていた山本五十六元帥の美談的記事に洗脳されていたせいか、漠然と信頼感のようなものを持ってしまっていたが、小室直樹氏が、艦隊決戦思想と、艦隊保全思想のどちらも日本にとって大事なので、勇敢に戦えなかったのだ、という指摘でそんなものかと思っていた。

後は、アメリカは、潜水艦を有効に使ったのに、日本の優秀なはずの潜水艦隊の活躍は、殆ど知らされていない。ということは実際、活躍しなかったのだろう。テニアン基地に原爆を運んだ米巡洋艦を伊号潜水艦がサメのいる海域で沈めたことぐらいしか知らない。この潜水艦は、戦後米軍に探し出され、洋上で見せしめ的に公開爆破で沈没させられている。NHKだったと思うが、その映像をわざわざ元艦長に見せて、元艦長が肩を震わせる映像を流していた。

「海軍の失敗」という本がある。是本信義氏が光人社からだされた本である。
そこに、第3章の(7)に、雲泥の差ーーーー潜水艦の特性をどう生かすかが明暗をわけた。
とある。私も昔から知っている歌で、轟沈、轟沈凱歌があがる、・・・という下りがあるが、いまも海上自衛隊潜水艦部隊では愛唱されているそうである。

そこでは、この歌詞とはうらはらに、日本海軍の潜水艦活動は惨憺たるものであった、と書かれている。それはいつに日本海軍は、潜水艦の用法を誤ったからである、と書かれている。

『すなわち日本海軍は、潜水艦の特性であるその隠密性を生かした海上交通路の破壊と言う機能には一切目もくれなかった。そして、唯一の兵術思想である「艦隊決戦」の有力な一翼とのみ考えていた。』と書かれている。そうか、ノモンハンの時、もし日本の爆撃機が、シベリア鉄道を1ヶ所でも破壊していれば、ソ連軍はそうとう苦戦せざるを得なかったとあちら側が述べているのに、日本軍は指一本、輸送路には攻撃しなかった、というのと同じか。タムスク爆撃などはしていると言うのに。もっとも、これは上層部が不拡大方針だったから病むを得ないか?

技術戦としての第二次世界大戦(日本vs中ソ米英篇)という本では、『井上成美は正しかったのか?』という箇所がある。共著者のひとり、別宮氏は、井上成美は『新軍備計画論』(1941)で、「日米戦争の場合、太平洋上に散在する島々の航空基地争奪戦が必ず種作戦となる」と書かれているそうであるが、大いなる誤りだと思うとして、結果としての違う事実を書いている。

太平洋戦争の決戦は、陸戦でもなく、また基地航空部隊による空中戦(坂井三郎氏などの例)や潜水艦艦戦というより、やはり空母機動部隊という水上艦艇による、航空機を以前の主砲弾として使った海戦です。海軍の誤りは、基地航空隊や潜水艦を艦艇(空母機動部隊)決戦の道具として使ったことです、と指摘されている。(海戦要務令で規定されている)

副島氏によれば、この井上成美、山本五十六、米内光政のいわゆる海軍3羽ガラスと称される3名が中心的傀儡と指摘。空母とともに運命を共にした山口多聞海将などは立派な軍人としている。

山本長官愚将論を展開したのは、私にとっては日下公人氏だった。そこで指摘された数々の事実は、長官がパフォーマンスをして戦争をしているように見せている、だけのように書かれていた。もう十年以上前のことだったような気がする。また、前述の海軍の失敗を書かれた是本氏も、山本長官は、呉の官舎に、妾を住まわせていた、と指摘している。日下氏も、主張手当てが2ヶ月分でるというので、月末にちょこっと日本を離れ、翌月早々に日本へ戻ると言うようなパフォーマンス出撃をして、主戦場からは遠く離れていた、という指摘も。


なかのひと
前回、キルスイッチ(切る!?)スイッチ関連で、第二次大戦の海軍の航空兵でエースとしての名を不動にした、坂井三郎氏のバイク事故の件について触れた。

もう少し、詳しく紹介しようとあちこち探したが、見つからなかったが、ちょっとした合間に開いたページに見つかった。

東大の航空宇宙工学の加藤寛一郎教授の(もう退官されたかもしれない)著書中に書いてある。46ページから47ページに出てくる。明晰なる頭脳、常に緻密な男と感心しているあたりである。

最近改めてふとしたきっかけで、手に取り、大いに参考になりうる話が満載と改めて思った。人は書斎で思索にふけるだけでは、何事か人生の大事までは思い至らないのでは、と思う。視力を鍛える話などは特におもしろいが、訓練効果がでるまで、半年はかかった、と言う。

試しに、朝、緑の葉を眺め、遠くの送電線の本数などを数えたりしてみるが、今はブルーベリー錠剤などを飲んでいるせいか、よく見える。しかし、ふだんの運転中での目とこうして意識してみるとでは、見える範囲がこうも違うかと愕然とした。坂井氏が撃墜王として生き残ったのは、危ないときは逃げて逃げて逃げまくったのではという懐疑をこの加藤先生も心中ひそかに抱いていたらしい。もちろん、ご専門の航空機がいかに究極の飛びを可能にできるかの秘術を聞いて、実際の課題に役立てるためが、本来の興味なのであるが。

大学院の優秀な学生に、その飛びをコンピュータで解析して、バーチャルな世界での再現にいたるまで、一年半はかかった、とも言う。あの優秀な彼にして、と教授はつぶやいている。
名人の飛びは、設計技師の試算を超えた飛びを可能にするものらしい。

教授は戦争が終わったとき、小学校の4年生だった。(おそらく校庭の)さつま芋畑の草取りをやらされ、いやいや行っていたが、B29が飛来して機関砲の射撃音が断続して聞こえると興奮した、と言う。戦闘機は見えなかったが、時たま白い落下傘が見えたという。あのとき、坂井氏は29歳だった、と書いている。

戦争が終わって、坂井氏が35、6歳の頃、かれはバイクで人形町を走っていた。前方にタクシーが止まった。右側を通り抜けようとした。運転席側のドアが開いた。坂井氏はバイクごと右側に転倒した。すぐ後ろをトラックが来ていた。坂井氏は轢かれる運命にあった。坂井氏は右手でドラックのバンパーを叩いた。トラックの車輪の左側に逃れた、・・・とある。
坂井氏はッ死なない。常に生き延びる。っそれは我々の確率の概念を超えた世界であるように思えると書かれている。

坂井氏は頑張りやで、霞ヶ浦海軍航空隊を恩賜の銀時計で卒業しているのも驚き。受験者8000名、合格者80名中、適性検査まで合格したものが50名、さらに操縦練習生卒業マーク(とんびのマーク)を手にした者たちはさらに半数の25名であった、という超難関をトップで出たのだ。とはいえ、坂井氏は、小学校当時の体格が、丙で、今でいえば、栄養失調レベルだったせいもあり、胸囲と肺活量で、厳格には身体検査に合格しないはずであったというが、軍医中尉どのの温情で、合格を勝ち得ている。本人の気迫に打たれたのかも知れない。

そして、占い師に、各自面談させて、当局はその後の参考資料とした、らしい。なんでも、今後の訓練中、真っ先に事故死など起こしそうな人物を指摘し、それがよくあたった、というのだから驚き。戦後も、酒井氏は、当時の占い師のもとを訪れ、小さな印刷会社を経営するために、名前の候補を三点用意し、選んでもらったと言う。自分でこっそり決めていたのと、一致したと言う。ここでも、教授の著作でも、坂井氏は死なない、とかいているが、その占い師からも、あなたはなかなか死なないのです、ということを改めて、戦後も聞くことになった、と言う。

戦前は、台湾にいた民間人の奥さんからも、あなたは戦争から生きて帰る、と言われていたらしい。仲間たちと、彼女の家でトランプなどして、ついでのこっくりさんまでやっていたらしい(ウジャ盤!?)。科学では切り捨ててしまうが、占いとか予言とか、不思議で妖しい魅力があるのも事実。日本海海戦のときも、秋山参謀は、バルティック艦隊が通過する海峡を事前に夢でみたそうで、あとで、それが偶然だったかもしれないが、同じ海峡を通った、といわれている。なお、秋山参謀は、関東大震災も、予言めいたことを記録しているそうだ。

なかのひと

木曜日, 2月 19, 2009



昨年秋ごろから、アイドリング中、エンジン回転が息をつくような一瞬の落ち込み現象がまれに見られた。最初は気にならなかったが、少しづつ頻度が上がり、回転計がすっと落ちたと思うと元に戻る、という現象だ。走行中も起こっているはずで、連続回転しているので、気づかないだけなのだろう。

前回、突然エンジンが不調で止まり、かならなくなったので、コイルやプラグコード(私はこれが原因とはどうしても思えなかったが)、電子点火装置も一新した。ところが、受け取って帰る途中にも、エンジンこそ止まらなかったが、起きていることに気づいた。

エンジンが止まるようになったのは、最近のことで、すぐにかかるので問題はないとは思っていた。しかし、気持ち悪いことには変わりがない。最近はエンジンをかけて数秒でとまり、またかけてすぐとまり、3〜4回セルを回したこともあった。

それで、この頃は適正アイドリング回転数という、1200回転にあげた。すると、直後に一回だけ1000回転レベルに落ちることがあっただけで、以後気がつかない。しかし、本質的解決ではないな〜、と思っていた。バイク屋さんに話しても、まず、キャブ清掃、バルブクリアランスチェック、などと気の遠くなるような手順を話す。絶対、電気系の異常だと言っても、俄に信用されない。

先日、急に暖かい日があって、バイクで用たしに。後ろに大型ダンプがついて、ふと見ると私のバイクのブレーキランプが、ブレーキを踏んでもつかないことに気づいた。それで、スタンドでバルブを交換しようと、寄ったら切れたのではなく、スイッチ異常で、点灯しっぱなしということに気づいた。それで、ダブルの電球はどちらもそうとう熱くなっていた。それで、充分にリヤのレンズのねじを締めないで、スタンドから慌てて出た。途中の振動で、帰ったら裸電球だけがついていた。ガ〜ン、やばい。それですぐ今来た道を逆行したら、幸いなことに、200メートルほど戻ったところに、赤いプラスチックが転がったままになって、踏まれもせず落ちていたが、ネジが2本なくなり、一本は近くで見つけ、もう一本はレンズに刺さったままだった。それで、部品を注文する際、バイクの不調を話しておいた。

大した部品ではないので、すぐに来てとりつけたが、まさかその二日後にエンジンが突然ストップしたままかからない、という現象がまた立ち現れたのには、さすがに私も驚いた。

納品原稿をかばんにいれ、バイクで帰りがてらに届ける。いつものようにエンジンをかけ、ヘルメットをかぶるために中にあった革手袋を、一時的にメーター上に置こうとして、バイクの右側から手を伸ばした際、キルスイッチに触れたのかもしれない。何の前触れもなくパタリとエンジンは止まる。辺りは暗く、手でキルスイッチの位置を確かめるために前へ倒す。やはりオフにはなっていない、と思った瞬間、ライト類が一斉に消え、真っ暗に。再び、キルスイッチをオンにして、電源を入れても、ランプがつくことはなかった。これで、漏電かなにかでヒューズが飛んだと思った。

以前も、キルスイッチをさわっただけで、エンジンがプッツンする異常なキルスイッチだった。それもまれで、いつでもというわけではない不可解さ。いつかは何か起こるぞ、という予感めいたものは、どこかで感じてはいたが、通常は忘れてしまっている。

あいにく、その晩は定休日だったので、翌朝すぐバイク屋さんに修理を依頼。来てもらって事情を説明し、スイッチを入れるとまた前回と同じように問題ないようにランプがついた。しかし、セルを回したら途中でまたランプが消えてセルも止まった。バイク屋さんはヒューズでないようだとつぶやく。

まず、キルスイッチがおかしい。オンを触っただけでオフモードになることがある。
また、低回転でニュートラルランプがかなり瞬くのも気になる。迷走電流が多すぎるのか!?
以前もにんじん君をつけて明るくなったが、それも時折明るすぎたり、暗くなったりと一定しなかった。また、バイク屋さんがおどろいたように、マフラーにカーボンが溜まりすぎだという指摘も気になる。自作モータロイのおかげで、この冬は暖かいせいもあるが、一回もチョークを使っていないで、始動しているが、調子良いのはそこだけか?。これでは、怖くて遠出はできませんね、と呟いていた。

午後早くに、バイク屋さんから、交換部品の見積もりが来る。4万5千円ほど。ハーネスは交換だと言う。キルスイッチも新品に。また、ヒビの入ったテールレンズは7500円もする、というので今回は交換を見合わせた。それなら、4万未満だ。在庫があれば、明日か明後日には、怪しい部品は新品に戻っているだろう。しかし、ハーネスなども、未使用灘家で経年変化はしていることになるが、漏電がなくなるだけでもいいか!?。10年を越えてくると、いろいろと予期せぬ部分に異常が起こるものだ。

バイクにキルスイッチなるものが付いたのは何時頃だっただろうか!?
http://okwave.jp/qa1735746.html

には、CB750で初めて採用された、ということが書いてあった。運輸省(当時)にゴマをするための手段というようなことも書かれている。坂井三郎氏は、戦後オートバイに乗っていて、トラックと事故り、体が投げ出される前に、キーをオフにして抜いてポケットに入れることを無意識に瞬時に行っていた、というから、驚きなんてものではない。いかもトラックのドアを利用して、有利な位置に投げ出されるような操作も行っていたようだから、凄いなんてもの以上の神業と言っても、言い足らないだろう。




なかのひと

土曜日, 2月 14, 2009


SheepShaverやBasiliskIIが使用するディスクイメージをインテルマック上で、自由に読み書きできる場合とそうでない場合があったりして、そのとき何が違うのだろうと不思議だった。

最近は、10.6にしたせいか今のところ警告無く開いて、白紙アイコンをFile Buddyで開いてオリジナルアイコンに戻したものをセッセと書き込んだりして使っている。しかし、すべてではなく、ディスクによっても違うようだと漠然と、あまり勝手に開いたり、読み書き(インテルマック上で)しないようにしたほうが良いだろうとは、思っていても、必要に迫られるとテストと称してやってしまう。

もともとエミュレータ上のディスクイメージであるから、本体のHDに異常がないかぎり、いくつでも作成したり、消去したりと手軽にできるので、どんどん失敗を恐れずにいろいろやってみたほうが良いのかもしれない。

いろいろ試行したディスクイメージで、エミュレータで開き、中のファイルを触ると、ディスク全体のファイル群の表示が変化してしまう問題のディスクもあり、これは半病人状態だと思っていた。いずれ消去するなりして、正常にもどす必要がありそうだと思っていたが、なかなかこのところ忙しく手付かずでいた。

そこで、ふと思いついて、MacOSについていたHD診断ソフトを使用して状態の把握をしてみようと思いつき、行ってみた。昔は、CentrisとかLCIIIとかで、実際にやっていらい、何年も忘れていた操作だ。

マックで気に入っている特性の一つに、自由に起動ディスクを選べる、というのがあり昔は、キャノンさんがつくったSystem Switcherという超ミニアプリがあって、同じボリュームの中に、英語システムと漢字トークなどを同居させ、メモリー食いのMathematicaなどを主に使うときは、英語システムに切り替える、などということもよく行ったりした。

いまでも2GBの内蔵式SCSIHDを何らかの装置で開くことが可能なら、まだその中に残っているはずだ。

エミュレータでは、使用したいディスクイメージを、最初にいくつかエミュレータのGUIで指定してやれば、最初に選んだディスクを起動ディスクとして認識して立ち上がる。起動順序は、ウィンドウズ用SheepShaverでは、マウスで順序を入れ替えできるらしいが、マックでは、一度りムーブして、起動させたいディスクを最初に指定しなおさなければならないが、大した手間ではない。

ディスクファーストエイドで、各起動性ディスクイメージを実際のディスクのようにチェックしてみたら、あやしいとにらんだディスクイメージは当然としても、問題はないと思っていたディスクイメージでも、けっこうなエラーメッセージを表示してくれた。

問題ないと思っていた、SheepHDも修復できないなどと言われてしまって面食らった。
Basiliskii上で試してみても結果は、当然ながら同じだった。ただ、ウィンドウズ用として使っていた同じSheepHDでは、何の問題もない、という診断結果で意外な感じがした。やはり警告を無視して何度も開いたりしたせいかも知れない。

エミュレータ内で、ディスクイメージ内のフォルダやファイルを別のディスクイメージにコピーしようとしても、拒否されるようなディスクイメージは、明らかに問題であり当然のように結果に反映している。




なかのひと

金曜日, 2月 06, 2009




File Buddy 9.0のライセンス番号が、邦文で届いた。それで、到着に時間がかかるのだろうか?

もっとも、頼んだのも深夜なら、届くのも深夜というのは、地球の裏側での処理だろうから当然か!?ともあれ、感謝の言葉とともにライセンス番号が届き、それをインプットしておけば、気は静まる。

昨日から継続中の白紙アイコンの修正をやりだしたが、Power-PCでは遅いので、ファイルをUSBスティックに移し、インテルマック上で行った。280項目もあったので、一仕事となった。

ここでは、File Buddyのアイコンをドックに表示させ、USB内のファイルをデスクトップ上に開き、ひとつひとつ必要なファイルを選び、ドックのアイコンにドラッグしてやればあとは自動的にファイルの属性群が表示される。やはり早い。しかも、一度入力した4文字属性は、2個目からは、最初の一文字をタイプしただけで、残り3文字が確定されるので、大変に楽である。調子にのって、変えなくてもよい、Finder.datというファイルまで最初は変えてしまったりした。


そのうち、自分で作ったノートブックファイルだけではなく、アプリ本体の補助となる最初から付属しているファイル群に遭遇した。三角関数や、積分公式などを記述した定義ファイル群などである。それで、インテルマック上で、SheepShaverのディスクイメージを開き、すでに無事に移行していりファイルを開き、そのファイルの属性を開いてみると、ひな形というところにチェックマークがついているだけのようで、さっそくそこにチェックマークを入れると、それまでノートブックファイルの茶色が一瞬で白い、特殊なノートブック風ファイルに変化する。これはこれで面白い。



そのうち、付属デモファイルとして、ハイパーカードのスタックも出てきた。これもまた、ハイパーカードなどはインテルMac内にはないので、エミュレータのディスクイメージを開いてハイパーカードを捜し、その通りに、属性とクリエータとを入れた。

属性がすべて大文字のSTAKというのはU名付けるが、クリエータの属性を見て、一瞬目を疑った。なんと、WILDとなっていた。そうして作ったスタックは、起動させると(ハイパーカードから)グラフが波打つ様子を延々と表示していた。

さらに、ムービーファイルも出てきたが、これは、属性がPICSとなっていたが、こちらは昔はカラーグラフがろいろと自動的にそれぞれのグラフ特性を演じるものだったが、これはなぜか動かなかった。

とはいえ、これで、インテルマック上でも、クラシック環境は、一部の不安定さを除けば、いちおう満足のいく再現ぶりを示していることにはならないだろうか?アップルの相談員氏も、インテルマックでもクラシックはちゃんと動きますよ、と同意されていた。

なかのひと

木曜日, 2月 05, 2009


パワーPCのG4機の調子がおかしく、苦労してあれこれ試した結果、二分割のHDを一個に統合してゼロを書き込み、サラにしてから、OSXをいろいろのバージョンで試したが、OSX10.4だけが正常に起動、終了可能となり、クラシック環境もほぼ無事動くことがわかった。

それで、それまであったクラシック環境用ファイルを別のディスクからコピーしたが、いわゆる白紙アイコン状態であった。これは困った。古いファイル群で手付かずであったため、インテルMac上でも、すでに変換されたファイル群に属さないもので、今となっては一番中味をチェックしたいものであったが、インテルMac上でも、従来のような操作をしても白紙のままであった。

Theoristという数式処理ソフトの本体もG4機内にはなくなってしまい、他の外付けHDを捜しても、皆エミュレータ用のHD.img内にはあるのだが、単体のものは見当たらなかった。それで、G4機内でもShepShaverを試す場合もあるかと思い、HD.imgをいくつかコピー、インテルMacとはちがい、イメージも警告なく開けて、その中の本体をデスクトップにコピーしたら、こちらは無事復活してくれて、起動もしてくれた。これで、本体はOKのようである。

それで、どうしたものかと思い悩み、もういちど他の方がいろいろとSheepShaverで書き込んでおられるサイトをふと見たら、ヒントというか答えがズバリありました。
http://somali-present.blogspot.com/2008/01/sheepshaveros-x.html
OSX本体からエミュレータ内へファイルを移動した際に起こりやすい白紙アイコンの解決法であったが、最近気になっていた、Macのファイルタイプ属性にも言及されている優れ記事と判明。



Unix以前のクラシックMacでは、ファイルタイプとクリエーターサインとがあり、ファイルを作成するときに、アプリケーションが作成するのだという。クリエーターサインはアプリケーションを特定する識別子で、ファイルタイプはファイルのデータ形式を識別するものだという。(日経MACBook マックの謎、林 伸夫、1998)

上記サイトでは、File Buddyという耳の底のどこかに残っていたソフトを使うと、白紙アイコンの空白となっているファイルタイプ欄とクリエータ欄に、本来の識別データ(たった4文字、しかもアルファベットのみ)を記入すると本来のファイルのアイコンに戻るということを教えている。

ほかにReEditとかいう、アップル提供の無償ソフトでも可能だというが、敷居が高そうで(プログラマー御用達ミニアプリ)値段をみるとビックリするほど高いFile Buddy 9をダウンロード購入。まだ、ライセンス番号は届いていないが、30日間10回までの試用が可能となっている。クラシック用のバージョンは今は販売していないそうだ。

使い方は今一わからなかったが、マックの昔からの癖で、白紙アイコンをFile Buddyのアイコンの上にドラッグ&ドロップ操作したら、ファイルの特性画面が開いた。



すると、どちらの4文字も空白のままであることが一目瞭然。それで、HD.img内にあるちゃんとしたファイルアイコンも開いて識別子とクリエータタイプをメモった。

ファイルタイプはTNotであった。数式処理ソフトTheoristの作成したファイルはノートブックファイルと言われているので、無難な4文字である。これらは、みなアップルに開発時に登録されているコードだとう。

続いてクリエータは当然Theorist本体であるから、Theoであるというのも妥当。たった8文字を追加して保存すれば、アイコンが見慣れた本来のものに戻る。



この調子で残りの数十ものファイルを正常化する操作をすれば、元のデータが完全に復元する。エミュレータでは、あるデータファイルを開こうとすると、エミュレータが一瞬にして飛んでしまうようなデータが、今のところはまだ一個しかないが、どんな内容だったかは気になるところである。

それで、実機のG4機上で、クラシック環境とはいえ、(実はこれもエミュレータ)開いて確認することもできた。なぜ飛んでしまったのかは、あとで、File Buddyででも開いてみても一興かな、という気もする。



こうなると、OSXが動くパワーPCも不調ではあったが、クラシックもちゃんと動くようなので、アップルに引き取り通知を出しそうであったが、止めることに。まだまだ当分はHDが健在な間は、重宝に利用できそうだ。

もう、OS9環境は終わった、と思わされていたので、手付かずでいたデータは殆ど未整理な部分も少なくない。

上述のサイトでもSheepShaverはゲームなどにはいいが、仕事で使うとなると、やはり古い実機のほうを選びたい、とされていたが、同感であある。しかし、いまや実機は遅い!!!。

問題がなければ、手軽に素早くエミュレータ内で処理できるとなれば、手軽な方向へと比重は移るし、いずれエミュレータしか利用出来なくなる時代も迫っている。そうなってもいいような準備は必要だと感じてもいる。油断大敵である。


なかのひと

火曜日, 2月 03, 2009



MacBookのバッテリートラブルでアップルに相談したら、電源のプロフィールの完全充電時の容量がゼロ表示となっているのは、おかしく認識する、しないの問題ではなく、バッテリ自体のなんらかの寿命ではないか?と指摘された。もともと無償交換の期限の二年はとうに過ぎており、はやく交換したかったので、持ち込み検査をしてみては!?という提案はお断りして、新バッテリーを送ってもらうことに。

一週間ぐらいかかるかも、ということだったが、自宅に帰ってメールを見たら、午前9時半に注文したバッテリーが15時過ぎにはヤマト運輸の手に渡っていると言う。すると早ければ、明日には届くかもしれないと思い、焦った。というのも、バッテリーをその際、アップルに入れ替えに返却しなければならず、当日は納品物が多いので、MacBookは会社に置いてきてしまっていた。案の上、翌日9時過ぎには届いてしまい、手渡せなかった。夕方電話したら、自宅近くに運よくヤマトの配送員氏がいたらしく、すぐに取りに来てもらって事無きをえた。私も彼もラッキーという気分であった。2週間以内に返却しないと、3400円ほど取られるという。バッテリー本体は11500円程度で、充電量は到着時37%で、電源ケーブルなしで起動した。これでひと安心。いろいろと初期トラブルに見舞われはしたが、末長く使用したい、と思っている。

さて、パワーPCのデュアルブート機のほうであるが、どう調子がよくない。クラシック専用モードにも移行はするが、終了しても電源が切れず、強制終了と同じことに。それから、OSXモードに戻る際も素直に戻らず二度ほど強制終了を繰り返さないといけない。おまけに、今となっては速度が遅く、イライラしてしまう。あまりクロック数の変わらないG3のiMacのOS9専用モードのほうがよほど使い良かったような気がしている。

OSXのクラシックも結局はアップル仕様のエミュレータ。それなら、BasilisikIIやSheepShaverと本質的には同じでは!?と思ってしまった。今のところOSX10.4はダメかと思ったがさしたる異常はその後出ていないようなので、その上でクラシックを使うなら、どれでもいいにかもしれないとすら思ってしまう。

そうすると、インテルMac上のBasilisikIIやSheepShaverとのファイル交換などもやりやすそうだし、・・・と思ってしまった。以前は、iMacから取り出したMacROMを使っていたのだが、今回はアップルのサイトからダウンロードしたものから抽出したROMで新たな使用感もためしたい。アップルの担当者氏も、いまはインテルMacでもクラシックが動く時代です、と私の疑問に肯定的に応えてくれた。使わなければ、損することになるかもしれない。

なかのひと