このところ、宮崎正弘氏のメールが日に二回も連日届き、目を通して理解するのもけっこう大変である。今日も川村名古屋市長発言に関する読者の声欄がおもしろい。
WILLという雑誌を一時期ほぼ毎号読んでいて、南京事件に関する日本の研究者たちが17年ほどかけて研究した結果、南京事件はなかったとする結論に達し、英文で海外に向けてだした、ということは数年前から知らされていた。17年前研究を始めた頃はまさかこんな結果になるとは夢にも思わなかった、という。外人記者クラブでも発表したそうである。
私の書架には二段にもわたり当時のWILLが山積みになっているが、あまりに本が増え過ぎ、手狭なため、新聞紙などと一緒に処分するところだったが、家内の父親がこういう雑誌を捨てるのはもったいないと言って捨てないでおけというのでとっておいたのだが、先日取り出そうとしたらすっぽり抜けていてた。どうやら、家内が勝手に処分したらしい。
そんなこんなで、今では宮崎氏のメルマガがたよりであり、心強い味方でもある。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年 2月25日(土曜日)
通巻第3572号
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読者の声 どくしゃのこえ 読者之声
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(読者の声1)中国が傲慢にも河村名古屋市長の当然の正しい発言にいちゃもんをつけてきていますが、全く愚かなことです。
なぜなら2年前に胡錦涛主席が来日した折に、「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明)が中国文の公開質問状(下記に添付)を中国大使館を通じて送っていますが、彼はこれにこたえていないからです。
これは中国語、日本語、英語で発信する会のサイトに掲載され、世界各国のアジア関係学者、マスコミ、大使館関係等4000名ほどにメール送信もされています。
お読みになればおわかりのように、これを読んでまだ「南京虐殺があった」と考える人がいたとしたら、その頭の構造を疑いたくなるでしょう。
決定的なポイント5点についてどうにも答えられない、というのが中国の側の事情であることがよく理解できるかと思います。
読者の皆様にお願いします。この文書を使って、河村市長の応援活動を是非実行してください。
既に「新しい教科書をつくる会」(藤岡元会長は検証する会の事務局長)のメルマガでこの公開質問状が発信されていますが、有効活用が出来るかと思います。
特に大村知事、藤村官房長官にはこれを送り、「あなたはこれに反論でも出来るのですか」と迫ってみるのはどうでしょう。それぞれのお立場で、メールでもいいですし、ファックスでもいいですし、手紙でもいいですし、電話でもいいですし、はては面談でもいいですし、それぞれ可能な方法で、これを活用して糾弾活動を展開していただければとお願いする次第です。
平成24年2月24日
「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木弘道拝
(参考添付)
胡錦濤国家主席閣下への公開質問状
このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。
さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。
一、故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?
二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?
三、南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?
四、さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?
五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。
以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。
平成20年5月5日
南京事件の真実を検証する会委員一同
(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち
高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘
たしか、温家宝首相にこの種の質問をしたら、一言も発せずお逃げになられたとか、伺っております。
なお以下のブログもおもしろい。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4561.हटमल
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年 2月26日(日曜日)
通巻第3573号
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読者の声 どくしゃのこえ 読者之声
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(読者の声1)貴誌前々号に掲載された「大東亜戦争を考える:多田彰矢」論文への感想です。
「大東亜戦争は、独ソ戦に備えたスターリンの東西挟撃を防ぐ東部国境工作(西安事件、支那事変)と、米国の満洲狙いの排日戦略(日米戦争)に挟撃された日本の、自存自衛の戦争であった」ということを追加したい。
また「戦争とは何か、クラウゼヴィッツのテーゼを引くなら「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」ということである」とありますが、これに孫子の「戦争とは騙すことである」を付け加えたい。
「戦争とは勝つことでなければならない」。
当然だが、負けるとしても自由と独立のために戦うのが自衛戦争である。これが分からないと日本の戦争は理解できない。日露戦争は負ける可能性のある戦争であったが戦った。
外国の事例をあげると、1939年、人口350万のフィンランドは人口1億7千万のソ連の領土割譲の恫喝を受けた。カヤンデル首相は1カ月の懊悩のあげく、11月23日、ラジオを通じて、「フィンランドは極力ソ連の要求に応じるように努め、国家死活の権益が侵されない範囲内ならば、いつでもソ連と交渉を再開する用意がある。しかしソ連がいかに精神的経済的に圧迫してきてもフィンランドは断じて屈服するものではない」と述べた。
すると、ソ連は砲撃被害をでっちあげて攻撃を開始し、有名な冬戦争が発生した。フィンランドは善戦しソ連軍20万を死傷させ大打撃を与えたが、春には敗戦した。しかしフィンランド人はこの負けた戦いを誇りとし、指導者マンネハイムを銅像にして今も顕彰している。日本も学ぶべきである。(典拠「北欧空戦史」朝日ソノラマ)
「何故日本は戦争に追い込まれたか、何故敗北したか、何故あれだけの戦死者、餓死者を出したのか等々、そしてその責任はどこにあったのかも冷静かつ全体的視野に立って総括を行うことが大事ではないだろうか」(引用終わり)とありますが、原因は、外国(米ソ)の挑発、圧迫があったからである。戦争は国際関係だから日本だけに責任を求めるのは不当である。
兵器的には原爆が開発できなかったからである。それは当時の日本人の経済力、科学力が低かったからである。また後世の我々は当時の人の苦悩を知らない。それなのに結果論で先人の奮闘を非難するのはいかがなものか。
不敗の国防体制を作ることには賛成である。
今は非対称性兵器(原爆)の時代である。1発あれば100発に対抗できる。どんな小国でも核自衛すれば、自由と独立を守ることができるのだ。
(東海子)
(宮崎正弘のコメント)FDRこと、「フランクリン・ルーズベルト大統領は狂人だった」とフーバーは明確に書き残していた事実がわかりました。
『月刊日本』3月号に稲村公望さんが、原書を早速に取り寄せて読まれ、緊急寄稿をされています。(同誌、「F・ルーズベルトの犯罪」)。
フーバーとはいうまでのなくFBI長官として戦後米国政治の背後に君臨した大人物。なにせ歴代大統領の秘密を全部知っていたんですから、アイクもJFKも、彼の首はとばせなかった。そのフーバーが、FDRの周囲を囲んだ共産主義者ともども、かの大東亜戦争はFDRがしかけた謀略であるとも、発言していたのだ。マッカーサーも「わたしが日本の指導者の立場だったら、あの戦争はやらざるを得なかった」と戦後の発言があるが、まさに驚き桃の木です。
原題はジョージ・ナッシュ著「Freedom Betrayed」(アマゾンでも入手可能。3969円)
http://www.amazon.co.jp/Freedom-Betrayed-Aftermath-Institution-Publication/dp/0817912347/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1330142182&sr=8-1
この翻訳版が出ると、日本の読書界も騒然となるだろう。『マオ』の衝撃度を超えることは請け合い。
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土曜日, 2月 25, 2012
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