木曜日, 5月 13, 2010


普天間問題の5月末決着は無理
鳩山首相はなぜ国外移設を放棄したのか という記事を見た。民主党の応援ブログでは、民主党に都合のよいときだけ、この雑誌を引用したりしているが、こういう記事には、無視。
私が念頭に置いているのは、永田町異聞のことである。

ミンスの支持者は、この上杉氏をもやり玉にあげて、誹謗中傷していたが、(毒蛇山荘日記)。
http://diamond.jp/articles/-/8115?page=4

また、中韓を知りすぎた男では、韓国艇の沈没事件の背景と、金主席の中国訪問をからめ、北ではなく中国が実行したと推測している。
http://kkmyo.blog70.fc2.com/

もっとも、宮崎氏のメルマガでも、『北朝鮮がやったとすると、今まで推測されていたレベルをはるかに超える軍事技術を以下のとおりにもっていることになります。』などという投稿も見える。さらに、愛媛丸事故も、米軍がわざとやった、とする説まで出ている。

同じ号の、
宮崎正弘氏のメールマガジン ユーロ危機はさったか の号に載っていた読者からの投稿ですが、・・・

『・・・ドイツは既に55年前に憲法(基本法)を改正して、陸海空軍からなる連邦軍をつくり、同時に徴兵制も設けています。
日本ではいつできるのでしょうか。
三島由紀夫氏が昭和43年に書かれた論文に「栄誉の絆でつなげ菊と刀」というのがありますが、三島氏は西ドイツ(当時)を範にとって自衛隊も真の国軍にすべきであり、国軍に対する栄誉大権を天皇に与えよ、と述べられました。三島氏の論文から42年、その死から40年です。
国民と政治家がその気になればいつでも出来るのです。第三次ポエニ戦争で玉砕したカルタゴ、ユダヤ戦争でローマ軍の前に玉砕したユダヤ軍、彼らの誇りのために死を選ぶ気概には感動します。
ユダヤはたとえ国が滅びてもその誇りゆえに二千年後に再興できたのです。米国人は実は日本人を心ひそかに畏敬しています。
何故か?それはかつて特攻隊の勇士たちが、硫黄島の勇士たちがそして戦艦大和が祖国を守るために死をも恐れずに戦ったからです。形而上学的価値は時として形而下的存在を超越するのです。つまらぬことを長々と失礼しました。
  (武蔵国杉並住民)


(宮崎正弘のコメント)コラムニストの高山正之氏から聞いたのですが、硫黄島ではあちこちから霊が呼び掛け、硫黄島へ行くと眠れない体験をした人が多かった。ところが先年、天皇皇后両陛下が慰霊にご訪問されて以後、霊は収まったそうです。
 その地をオザワとカンが笑いながら訪問している写真が残っているそうです。』

わたしは、これを読んで、思わずはっとなった。知り合いが、硫黄島の米軍施設の拡張工事かなにかの案件で、測量関連で昔硫黄島へ出張したとき、夜になるとやる事が無く、暇つぶしがてら、島内ドライブをしたが、闇の中から無数の目が光っているような気がしだし、怖くなって宿舎に逃げ帰った、という話を聞いたことがある。後日、その辺へ行ってみたら、まだ無数の人骨片やら、遺品なども容易に見つけることが出来た、という懐古談だった。

同様な事を、拙ブログでも取り上げたことがある。高木東六先生の、軍歌作曲過程を引用した後に、硫黄島の野戦病院跡の洞窟内で、多数のスナップの中に、偶然一枚、火の玉が写っているショットが含まれていた話である。
http://yhsvtex.blogspot.com/2007/06/blog-post_16.html
この写真が撮られたとき、撮った人も、被写体となった人も、薄暗い洞窟内でこれだけの火の玉が実際現れていれば、気付かない筈はないのであるが、誰も気付かず、現像して初めてあっとなったというのである。

おそらく、この一行の中には、霊が見える人たちは一人もいなかったのであろう。しかし、カメラには写っているので、何らかの作用を及ぼしたと考えざるをえないのである。

天皇皇后両陛下のご訪問によって、霊の多くが収まったとすれば、今後はこのようなショットが残ることはもうないのかもしれないが、それにしても考えさせれることである。

硫黄島には、自衛隊員も行っているが、地方紙に載った記事に寄れば、霊感の強い隊員には、幽霊をよく見かけるようだと、上司が取材に応じていたのが印象的。その写真入り(米軍の食堂風景)の新聞は、何かの折に紛失してしまった。返す返すも残念。
なかのひと

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