土曜日, 5月 07, 2011



珍しく、連休の後、土日も休みとなった。まとめてどかっと仕事が出て納期が比較的キツかったら怖いと皆言っていた。しかし、事ここに及んでは、連休の谷間の月曜とか金曜とか本来の発注日以外に仕事は出ないだ•ろ•う•な、となんとなく読めてはいたのだが、予想どおりだった。バイト氏も法事だとか。こんなことは近年稀である。

天気予報は曇りで午前中の降水確率は30%。明日はさらに天気がよく、気温も高いらしいが、それだけに混みそう。それで本日ツーリング燃費を測定する気に。近くのスタンドで満タン。しかし、出たら小雨が。それでカッパを取りにもどり再出発。会社付近が本降りで、しばらくすると道が乾いてた。それから、ときがわを経由して白石峠を目指す。途中からまたずっと小降り。しかし、車は少なく狙いはあたった。

登坂力があるのにビックリ。楽々坂を上がる。同じ車重の先代とは雲泥の差。エンジンが苦しげな音を上げない。乾いていたら、相当楽しめそうと思った。今日の目的は92キロから落ちない体重を1キロほど落とす作戦で、水以外は摂取しない方針である。朝、水を口に含んだだけで来てしまった。どこかで水分補給を、と予定地に到着。



昔どおりに水が湧き出ていた。以前より気持ち少ないか!?という程度。以前は車が止まりポリ缶を抱えて水汲みにいそしむ人たちがいたものだが、今日は無人。以前はあった水飲みようの容器もないので、手で掬って数口飲んだ。何か異臭がしないか、気がかりだったがおいしいとはいえないが、普通の水や水道水と味その他は区別がるかないが、脇に飲用にするためには消毒もしくは煮沸してくださいなどと注意書きのラベルがぶら下げてあった。

これに似たところが秩父の風布にあり、そこは日本水として売り出している。そこでも飲んだ経験がある。子供の頃には湧きだしの小川の源流の水を飲んだりしたことも。さらには、戦後間もなく、友達の家に行った帰り、喉が渇いてたまらず、畑の脇に台状に積み上げた土の基部に沁みだした水が水たまりを作っていて、青空を写してきれいにみえたので、腹這いになって、渇きをいやした経験も。父も軍隊経験から、湧き水を生水で飲んで下痢しない国は日本だけ、と言っていた。峠の頂上付近から3.6キロほど下った地点である。下からバイクが迫って来て何かと思ったら、それは郵便屋さんだった。すぐ追いかけたが、生活道路化しているらしく、あっというまに消えていってしまった。カブの力、恐るべし。山道なので、ピンクナンバーだったようだが。

頂上へ付いたらどこかで人声がする。近くの東屋風の休憩所でサイクリストたちが集っていて雨がほとんど止んだので、また走り出す準備をしていた。これもカブ同様、恐るべし。何処からか自走して来てこの峠を登ったのだ。!私も霧雨にぬれて視界の悪い峠道を定峰方向へ降りだす。

峠へ着いてみると客は居そうになかったが、やたら中で笑い声などが聞こえる。サイクリスト達のたまり場と化していたのだ。トイレ休憩などで来た観光客達も覗き込んでも結局入らず、引き返していた。こういう時に、背景の異なる客が入っておしゃべりに参加するのも、本当は楽しいものだが、他の客が一人もいないとなるとやりづらい。前回のshoさん同様先へと急いだ。

秩父方向への下りは、東松山県土整備事務所の管理から秩父県土整備事務所の管轄と表示が出ていたが、まだ、再舗装して二年ほどで路面は良い。対抗方面からさかんにサイクリスト達が上がって来る。多段ギヤの長所を生かして足はけっこう忙しく動かしている。

途中、トボトボと上って来る犬を発見。野犬というほどでもなく、誰かの飼っているボニという猟犬とそっくりの顔立ち。おそらく山で故意か偶然で置き去りにされた元ペット犬ではなかったか、と思った。顔の表情で幾分救われた気がしたが、生きていけるのか!?気になった。

雨はヌカ状の降りだったが、道はほとんど秩父側は乾いていた。下が見通せる場所で、どうせ見えないだろうと覗いたら、意外なことに薄日の射すほぼ晴れと曇りのちゅうかんの天気にビックリ。やはり峠なんだなあ、と思った。バイクを止めても動き出しそうでギアを入れて
動きを止めてから停車させた。この間に、バイク二台が通過したが、全然雨装備ではなく、バイクも濡れていなかった。

しかし、サイクリストのほうが圧倒的に多い。かえwらも、経験的にこういう天気のほうが暑くなく走り易い事を熟知しているのあろう。スポーツサイクルの値段は、バイク顔負けのものがザラである。この時期通常のサイクリスト達にとっては束の間の天国気分だったのではなかろうか!?

定峰を降りきると辺りの畑はからからに乾燥していて、朝から降雨すらなかったことがわかった。天気予報どおりというか、降水確率の意味を改めて噛み締めた。断然走り易い。しかし、まだ、防風シールドには水滴が。ちょうどiPhoneのデフォルトの画面のようだ。この春出た現場を見直す。その脇に知り合いがいたので寄ったが、留守だった。犬が見慣れぬ他人が来たのでじっと見つめている。しかたなく、そこから小鹿野へ。

ちょうど一年ほど前、バイクの森おがのの裏手で仕事があって行ったが、そこで国土調査した杭についていたラベルがおがののある会社名で、上司はこれなら、そこへ行けば座標データがもらえると、意気込んでいて帰りに昔の事務所をこの辺ではなかったかと訪ねていったら、ありました。

10年振りかで昔話などした後、その話をしたら、まだ役所にはデータを渡していないんで、出せないがといいながら役所に電話して掛かりに事情を説明してOKを出してもらって図面をそっくりデータ毎頂いて来た。この区域全域を今のペースで国土調査すると300年はかかるということだった。スーパー堤防同様気の長い話だ。



iPhoneによるナビデータの一部。この事務所でいったん終了し、また、花園からオンにしたら、途中で電池が消耗しすぎてストップ、半分ほど地図履歴などが失われた。事前にスナップしておいたデータとこのテキストデータだけが残っていた。

彼は、ここまでどのくらい距離があるか?と言っていたが、実際の距離は自宅からだとほぼ100キロだった。スイッチをいれた時点からだと70.74キロ。自宅から30キロほどはずっと小降りだった。

花園で満タンにして燃費を見たら、142.5キロで7.5リットル、ちょうど19.0だった。

家で、夕食後体重を量ったら、ちょうど1キロは減っていた。皇族の方の例を引き合いにだして恐縮だが、夭逝された高円宮は、一日一食主義だったようで、私は独断ながら、この極端な小食を長期にわたって維持し続けたことが、ご短命の遠因ではなかったか!?と当時訃報をお聞きして思った記憶がある。

人間の身体は長い進化の過程から、飢餓にはかなり強いと聞いているので、私のような短期、いや一瞬に近い一食主義なら、なんら問題なかろうと勝手に思っている。からだの調子は却って軽快で良好のようだ。
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