雑誌WILLの二月号から巨弾新連載シリーズとして、『誰が「南京大虐殺を」を捏造したか 1』
が掲載された。フリージャーナリスト古荘光一氏による作品で、おおきな世界史の流れの中で見なければこの"事件”の真相は分からない。中国共産党の嘘とデタラメを徹底検証!とあり、新資料続々発掘などというサブタイトル群が並んでいる。
著者は1940年の生まれだそうである。例の先の一川防衛大臣が1942年生まれで、ほぼ同世代ということに。私の誤解と偏見からこの時代の方々は、戦前の教育を刷り込まれかかったところに、終戦で教師たちの態度が180度変るという体験を目の当たりにして育った世代ゆえ、大半が
東京裁判史観に塗り固められ、さらに共産党が大きな顔をして皇居前広場などを練り歩いていた時代背景を背負っていて、まあ、戦後日本のゆがんだ時空を代表する、困った世代と信じていたが、それははやとちりだったかも知れない。
いまさら、南京大虐殺はなかった、といっても数年前まではかなずしもそういえる雰囲気ではなかったかもしれないが、今はこのデタラメ説のよってきたる背景を解き明かそう、という時代となった。まさに近代史は歴史科学であり、日々検証と考究がなされ続けている魅力的な分野ということになってきたのである。私のいた大学にも、その方面の猛者とも数え上げられていた教授がおったが、今ではまずお目にかかれない。東京裁判史観にそった言説をなしていた
例としての傍証程度の存在といったら、失礼ながら過言だろうか!?
過去にこの件に関しては、渡部昇一上智大名誉教授と昭和史研究家としての秦教授の論争を紹介したことがあったが、もちろん筆者は渡部説信奉者であり、渡部教授説を暴言呼ばわりするかに思えた秦教授は、渡部説の真の意味をまだ理解していないおかただな~と思っていたが、また偽本と分からずそれを高評価して自著にさんざん引用しまくった秦教授は、本来の文筆活動家なら、筆を折るべき、とまで追求されていたのがいまだに印象的である。果たして、今回のWILL記事や今後の新事実などの発掘解明にあたって、どのような対応をとられるのかたいへん興味が持たれる。まあ、ちらりと見た限りでは、過去の日本側研究者!?(肯定派)などは研究対象にも入っていないようなので、その点では皆さん安心であろう。
「南京大虐殺の」の捏造は、ルーズベルトを操るため、蒋介石がアメリカ国民に向けて繰り広げた一蓮のプロパガンダの一部である。これが今号の一番大きな収穫でであると思う。
三悪人に操られた大統領という小節中にある。三悪人と名指しされたのはチャーチル、スターリン、蒋介石であり、中国人の嘘つき能力のすごさについてもかなりの紙数が費やされている。
特に蒋介石にだまされて、ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃の五ヶ月ほど前に中国基地からの米軍機による日本爆撃計画を承認しており、それを承認したとする陸軍長官と海軍長官の連名の手紙が、アラン・アームストロング著 『幻の日本爆撃計画』なる書物に写真として掲載されている、という。
http://
www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1946_tokyo_saiban.html
昨年改めて出先での空き時間にスマートホンで調べたら、数年前までの常識を覆すようなことまで書かれていた。東大にいたことがある横田某なる教授のことである。この教授の孫が、小泉内閣時代の少子化担当大臣であった、某女史であだ名は姫〜だったという。横田氏は、軍関係の学校を受験して失敗し、しかたなく東大へ行って反軍、反日教官となりGHQに取り入り、東京裁判で無罪者も出そうで連合国としては開催への逡巡が有ったところへ、日本人自らが連合国側を勇気づけるような出版をして、喜ばせたという。
東京裁判は、上のサイトにも出ているように、
『現在、国際法学者の間では、この「裁判」は完全に否定され、不法なものであったということが定着している。裁判に加わった多くの判事も帰国後、裁判の不当性、違法性を証言している。現在、この茶番劇(東京裁判)の判決を信じている者は日本人くらいといわれている(自国の政権に捏造された歴史を強制的に学ばされている支那、朝鮮、ロシアなどはもちろん除く)。』
などと言われている。
南京大虐殺などということを宣伝し始めたのは昭和19年になって急に米軍(米国)が宣伝し始め、東京裁判風舞台仕立てで米軍が被害者の概数などを提出し、中国側の証言などは証拠とされなかった。たしかその数、19万人程度だった。米国のやり方の典型的悪例の見本だろう。
『その後、支那政府がアメリカで展開した「対日屑鉄輸出禁止」運動に関する文献を入手した。それによって、「南京大虐殺」をでっちあげた支那側の動機ないし直接の目的が「対日屑鉄輸出禁止」運動にあったことが判明した。』などとあり、ティンパーリが書いた「これが戦争だ」に南京YMCAの専務理事だっフィッチ宣教師夫妻が熱心な蒋介石の宣伝マンとして活躍し、ティンパーリに原稿を渡したと日記に書いている、ような所までわかってきているそうだ。
『そして、東京裁判が終わって2年経つか経たないかのうちに、朝鮮戦争が起こった。その前には蒋介石政権が崩壊している。あっという間に、支那もモンゴルも満洲もシベリアも東アジア全大陸が共産主義になった。
日本が言ったことが正しかったのだ。マッカーサーはそれに気づくのが2年遅かった。だから朝鮮戦争が2年半早く始まっていれば、東京裁判は日本を裁くことができなかっただろう。日本の一番の主張が証明されたわけだから。
朝鮮戦争が始まるや否や、アメリカもマッカーサーも日本の主張が正しかったことに気づいたので、即、サンフランシスコ講和条約を結んだのだ。 』などと上述のサイトには書かれている。
また、今見たと所ではこんな記述も見つけた。
『いわゆる「南京大虐殺」というものは、今では「南京大虐殺という概念は、朝日新聞社がねつ造して作った」ことが事実であったことも分かっている。1970年代当時、
朝日の記者であった
本多勝一と
社会党の田辺誠書記長が中国と仕組んでやったことが真相であると知られている。
靖国問題、南京大虐殺、従軍慰安婦、教科書問題 実は朝日新聞記者の捏造が発端
中国の政治的強行カードとして「南京大虐殺」と騒げば、日本政府をどうにでも動かせるという、「切り札作り」のために仕組まれたものであると考えられている。
(アジア人よ、目を覚ませ!:「握り拳と握手はできない」マハトマ・ガンジーの言葉)
事実、「ふぐ計画」という本を書いた、ユダヤ人ラビのM・トケイヤー氏は、中丸薫氏との対談で、当時日本政府が中国に多くのユダヤ人を呼び込んで発展させようしたという「ふぐ計画」の下で、
中国南京にいた多くのユダヤ人たちの証言から、いわゆる「南京大虐殺」はなかったという話だと証言している。』
http://
quasimoto.exblog.jp/15416412/http://
gamen.blog68.fc2.com/blog-entry-51.html宮崎正弘氏の12月9日のメルマガから、読者の声の一部。
『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読者の声 どくしゃのこえ DOKUSHANOKOE 読者之声
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(読者の声1)東京裁判で日本侵略者の判決を下してからわずか2年半後の1951年5月3日、その最高責任者であったマッカーサー元帥は、上院軍事外交委員会において、「彼らが戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです」
と証言しました。日本の真珠湾攻撃は正当な「自衛権」の行使であることを認めたわけです。
実は、経済封鎖は戦争行為であることはパリ不戦条約作成者の一人であるケロッグ国務長官が上院軍事外交委員会で明確に認めていました。(
何と真珠湾攻撃の丁度13年前の12月7日でした)
即ち、アメリカの経済封鎖という「戦争行為」に対して日本は自衛権を行使したのです。
アメリカの日本に対する戦争行為は経済封鎖に限りませんでした。アメリカは中国を通じて日本の本土爆撃を行う計画を立てていました。大統領補佐官ロークリン・カリ―(べノナ文書で
コミンテルン工作員であることが明らかとなっています)が推進者となって陸海軍合同委員会でまとめた日本本土爆撃計画JB355が大統領に提出されたのは、真珠湾攻撃の5か月前の7月18日でした。
ルーズベルトはこの日本攻撃計画にOKのサインを7月23日にしました。
「戦争を起こしたのはアメリカである」(茂木弘道)
http://
hassin.org/01/wp-content/uploads/THE-US.pdfは、『伝統と革新』(たちばな出版)の最近号(第6号)に掲載されたものです。ここにルーズベルトがJB355計画に承認のサインをした文書のコピーが載っています。
アメリカは日本に対する先制攻撃の決定を日米交渉のさなかに行っていたのです。
本論文の英訳を発信する会のサイトにアップロードし、また Newsletter で下記の通り海外のマスコミ、学者等4000余にメール送信しました。
Summary: http://
www.sdh-fact.com/CL02_1/82_S2.pdfFull text: http://
www.sdh-fact.com/CL02_1/82_S4.pdf (発信する会 茂木弘道)
(宮崎正弘のコメント)
本来なら国家がおこなう事業を展開されているご努力に脱帽します。ますますご活躍されますように。
♪
(読者の声2)大東亜戦争開戦、真珠湾攻撃の日に一言述べさせていただきます。
東日本大震災で見せた日本人の「危機にあってなお節度ある行動」、「自らの難儀を顧みず周囲を思いやる心」、これが日本人の民族性の本質です。
自国の苦しみにあってなおアジア諸国の難渋を救おうと立ち上がった日本、決して他の国々を苦しめるために開戦したのではないことを止むに止まれぬ開戦であったことを誰よりも日本人自身に認識していただきたいと願っています。
ましてや30万人もの人を虐殺するなど日本人の民族性が許さないでしょう。改めて先祖たち、先輩達に感謝し、先人を辱めないことを肝に銘じるべきと思います。
(HK生、大阪)
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(読者の声3)日米戦争の原因についてアメリカの中国市場や満洲に対する野心があったといわれます。アメリカは1930年代、日中の戦いが続いている間は蒋介石を支援し、上海事変など国民党のデマ宣伝に加担。蒋介石のスポークスマン宋美齢が訪米するや絶大なる人気で中国かわいそう、日本けしからん、の世論をつくりあげていく。ところがヤルタの密約で満洲の利権はソ連のものに、さらにアメリカの支援は国民党から共産党へと変化していく。
日本敗戦以前から共産党寄りの政策に舵を切る米国、ウェデマイヤーの報告では蒋介石を評価しているのに、マーシャルを中心とする国務省は徹底的に共産党寄りの政策を進める。
ジョセフ・マッカーシー著「共産中国はアメリカがつくった」を読むと第二次大戦期のアメリカ政府中枢・周辺にいかに「ソ連の友人」が多かったかがわかります。
中国大使が内定していたウェデマイヤーは中国共産党の反対で赴任できず、国民党軍はアメリカからの補給が途絶えトラックの修理もままならない。大連港はソ連に押さえられ国民党軍は満洲に上陸できない。
宋美齢が支援を訴え再度訪米するも冷たくあしらわれる。
国民党優勢時にはマーシャルに停戦を強要され、その間共産軍はソ連・旧日本軍将校による軍事訓練を受け、膨大な軍事物資を手に入れる。米軍艦艇が共産軍機に攻撃されても文句一つ言わない。それどころか
アグネス・スメドレー、
オーエン・ラティモアなど、左寄り文化人を利用した共産党賛美の大合唱。
ウェデマイヤーの中国視察報告書が二年間も放置され、いよいよ国民党が劣勢になるとさすがに米国議会もおかしいと思い蒋介石への支援を議決するのですが、そこは国務省、徹底的に骨抜きにする。戦争が終わり余剰となった武器は格安で払い下げられていたのに、蒋介石への援助物資は通常の5倍から10倍以上の価格とされ、さらに業者選定などに制限が加わり、武器が輸出されるころには国民党は大陸から追い出されていた。
日米戦争の主因ともいえるハルノートも穏健な「ハル試案」から強硬な「ホワイト試案」に変えられ戦争は決定的となる。その
ハリー・デクスター・ホワイトはソ連のスパイとされますが、そのホワイトを擁護するのが
アチソン・マーシャルのライン。
アメリカは中国を失い、さらに朝鮮も失うところだったところマッカーサーが押しとどめる。
その極東米軍は補給がままならず、太平洋の島嶼部から遺棄兵器をかき集めたとまでいわれます。日本の補給能力がなければ朝鮮半島は赤化していたことでしょう。
マッカーサーはマーシャルに操られるトルーマンにより解任。1880年生れのマッカーサーはウェストポイントに主席で入学、抜群の成績で1930年、史上最年少で陸軍参謀総長就任。
一方、同年生れのマーシャルは出世もおぼつかなく、1933年パーシングに掛け合い、なんとか連隊の司令官に大佐で任命されるも、彼が指揮した一年間で最精鋭部隊であった第8連隊は最悪の部隊に転落したと査定されたことを受けたマッカーサーは、彼の昇任はないとパーシングに伝えた。
これが後年、マッカーサーに対する彼の恨みとして残ることになる。
http://
chatky.iza.ne.jp/blog/entry/2232271/軍歴に乏しいマーシャルはニューディール政策での失業救済事業で頭角を現し、ルーズベルト夫人の知己を得るなど、末席の取締役が社長になるほどの大抜擢で陸軍参謀総長に就任。数十人の記者の質問を最初に全部聞き、次いで質問者の顔を見ながら、すべての質問に答えるというあたり、頭の回転が早く、議会や新聞記者の受けがよかったとされるところです。米ソの対立といえば欧州戦線のパットン将軍は大戦末期、ソ連の脅威に対しドイツ兵に武器を与えソ連と戦うべき、と主張しました。
「第六感」と「輪廻転生」を信じていたとされ、実際に死ぬ運命まで予知していたという。
http://
inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha811.html『私が朝鮮半島でしたこと』(松尾茂著、草思社刊)
http://
www1.u-netsurf.ne.jp/~asakyu/a_jouhou/a0205_22.html
には昭和21年9月当時の朝鮮半島北部の様子が描かれています。
日本の敗戦から一年以上経っても日本円(朝鮮銀行券)が流通し、朝鮮人が中国人農民部落を襲う計画を中国人に伝えるや翌日には中国人農家に「晴天白日旗」が掲揚される。(戦前の朝鮮に中国人農民がいたという話はこの本ではじめて知りました)
その中国人が言うには、「今はアメリカやソ連などの白人が大手を振るっているが、いずれ東洋は東洋人が治める時がくる。だから日本人を決して粗末に扱ってはいけない」といった内容の演説を蒋介石がラジオでしていたという。蒋介石はヤルタにも呼ばれず、すでに梯子をはずされた状態、蒋介石の胸中や如何。息子がソ連の人質でなければ日本との早期講和もあったかもしれません。
マーシャルやアチソンがソ連寄りとも思える政策を実行した背景がソ連の工作によるものなのか、それとも当時のアメリカの政治状況で出世に有利だったからなのか、いろいろな見方ができると思います。
アメリカとソ連の繋がりについてはロシア系ユダヤ人で共産主義者でもあったアーマンド・ハマーが米・ソ要人の多くと個人的に親しく経済的にも大きな利益を得ていたことを思い起こさせます。ソ連崩壊後は米中の接近と対立が繰り返されるような展開ですが、中国の指導者の子弟はみな米国に留学しているし、海外に巨額の財産を逃避させている。米中対立は本当かもしれないし、対立に見せかけた出来レースなのかもしれません。
米中が結託しようが戦争になろうが、どちらもシナリオの一つとして日本が対応できればいいのですが、自民党も民主党もまったく心もとない。軍事オタクの石破茂はF2戦闘機のラインを止めてしまったし、民主党は国防政策などないに等しい。
中国でもバブルがはじけ鉄道建設がストップし、給与不払いにしびれを切らした鉄道作業員が、レールをひっぺがして“差し押さえ”。あるいは流民化した元鉄道作業員による犯罪など治安が悪化しているという。
http://
zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111202-00000500-sspa-soci2012年以降の世界は指導者の交代と経済の混乱、いつどこで内乱や戦争が起こってもおかしくない時代になりそうです。
(PB生、千葉)
――読者の声欄は下段に続きますーー 』
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同12月12日 宮崎氏のメルマガより
『 読者の声 どくしゃのこえ
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(読者の声2)黒宮広昭・米インディアナ大教授(ソ連政治史)がロシア情報などを基に、関東軍第23師団の小松原道太郎師団長がソ連のスパイだった可能性が大きく、関東軍はスターリンの巧妙なわなに陥れられたとの新説を唱えたので、騒ぎになっています。
そこで以下ご参考まで。
張作霖暗殺事件の河本がソ連工作員の手先らしい、となってから、そこら中でスパイ警戒が叫ばれるようになったのは良いことです。
しかしこれはどうでしょうか。事件の動機や経過がソ連崩壊後に分かった史実と違うからです。黒岩教授がロシアや中共のスパイという可能性だった否定しにくいことにもなりかねません。
1.事件の動機論:ノモンハン事件はソ連が準備しソ連が挑発した事件であることはソ連資料で明らかです。いまさら日本の挑発は古すぎます。
日本軍がソ連を攻撃したと言う説に対して、元ソ連の将軍は、「支那事変で苦しむ日本軍がソ連を攻撃すると等という主張は、よほどの馬鹿か間抜けしか思いつかない愚論である」と片づけています。また偶発で始まった戦争ではありません。近代戦は補給戦であり、小競り合いで始まる戦争などありません。勿、論指導者の冷厳な戦略があります。
2.ソ連の準備:ソ連軍は1939年2月ごろからシベリヤ鉄道から一千キロも離れた、ノモンハンの原野に20万の大軍、数千輌の戦車、軍用車、一千機以上の飛行機を集めて、攻撃を準備していました。その上でモンゴル騎兵を使った越境挑発してきたのです。
日本軍は当然反撃しました。どこの国でも同じです。するとソ連は計画通り戦闘を拡大してきました。始めから計画的だったのです。
3.経過:ノモンハン事件は1939年の5月に発生し、9月に終わりました。日本は1937年の支那事変の終息に必死の努力をしていました。ソ連と戦う気などありませんでした。
支那では蒋介石は敗北を続け、ソ連は蒋介石が日本と講和することを恐れていました。満洲狙いで蒋介石を支援していた米国もそうです。
そこでスターリンは蒋介石を督戦するために1938年には張鼓峰事件で日本軍を挑発し、そしてノモンハン事件を起こしたのです。
それだけではなく、西部のナチスドイツとの9月のポーランド分割に備えた東部国境の牽制策でもありました。だからスターリンはノモンハンでは緒戦は敗北しましたが、分割の迫る8月下旬には日本軍の十倍の戦力で攻撃してきました。
このため日本軍は大打撃を受けたのです。しかしスターリンはポーランド分割が迫っているので、ヒトラーの仲介で講和しました。
予定通りだったのです。
4.小松原師団長スパイ説の疑問:もしスパイならソ連へ逃げていたでしょう。しかし自決に近い死去をしています。こうした馬鹿げたデマはソ連が得意とするところです。西安事件も日本がやったと報道しました。
そのうち東條首相はスパイだったなどと言い出す可能性もあります。謀略の世界では、スパイだといっているものが実はスパイということもあり、合理的な理由がない限り信用しないことです。そのために歴史の勉強が必要です。
5.ソ連スパイ:ただし日本にはゾルゲが既に侵入しており、当時世界の軍事筋では日本軍の軍事力はソ連が一番良く知っていると言われていました。
スパイが関東軍にも入っていたことはあり得ます。戦前の世界では共産主義の正体を知らず、ソ連にあこがれた人が多かったのです。
6.ソ連の資料の信憑性:ソ連の資料は謀略用の資料もあるので簡単には本気にできません。前後の歴史の合理性で確率的に把握することが必要です。
7.日本軍大損害説:
日本は前半で圧勝しているので8月攻勢で打撃を受けても、ノモンハンは総計で見ると勝っています。これが勝った、負けたの誤解の理由です。 スターリンはソ連軍の大敗に怒って、ジューコフを殺そうとしましたが、ジューコフは身代わりにシュテルン大将を差出し助かりました。ジューコフが一番恐ろしかった戦争はノモンハンといったのはそのためと思われます。
ソ連が、日本軍は兵士は優秀だが将校は無能だといったのは、日本軍の分裂を狙う定番の謀略ですから、騙されないこと。日本軍は上下ともに実に優秀であり勇敢でした。
8.ハニートラップ:ソ連の情報機関は工作に美女を使った。24時間フル・アテンドです。理由は費用安くて効果的だったからと言います。
これに英国の将軍が引っ掛かりました。ただしナチスの将軍には通じなかった。ある将軍はソ連視察旅行で散々アテンドを楽しみ、写真を撮られましたが、帰国後恐喝に乗らないので、ソ連諜報部がゲシュタボに流すと「元気でよい」ということでお咎めなし、だったそうです。
文化が違うのでしょうか。
9.特務機関: 英国のMI5です。米国のCIA,ソ連はkGBとGRUの2系統。国家必須の情報機関です。ノモンハン事件当時、日本はソ連とは戦争状態にはありませんでした。当時、満洲ではハルピンのソ連領事館の通信担当者が日本側に接触してきました。そして重要情報を漏らしたのです。これに対して日本側も何か与えたのでしょう。諜報の前線ではギブアンドテイク(えび鯛)が常識です。
ただ、菅沼光弘先生の講演によると、1939年8月20日のソ連の大反撃については、偽情報だったそうです。
したがって日本の満洲の特務機関の提供した資料があったとしても不思議ではありません。それだけではスパイではありません。なお、黒岩説は史実が全く誤っていますので、出鱈目です。
ウィキぺディアを正す必要があります。
特に太平洋戦争2年前と言いながら、支那事変中と言わないところが不自然です。支那事変中だと誰もがソ連を攻撃するわけがないと気づくからです。こうしたところも謀略誘導では非常に重大です。参考:ウィキペディア情報:
「太平洋戦争勃発の2年前の1939年、当時の満州国西部国境で日本の関東軍がソ連軍と衝突、大損害を被ったノモンハン事件について、黒宮広昭・米インディアナ大教授(ソ連政治史)が日本とロシアの公文書などを基に、関東軍第23師団の小松原道太郎師団長がソ連のスパイだった可能性が大きく、関東軍はスターリンの巧妙なわなに陥れられたとの新説を唱えている。
小松原師団長は陸軍大学校卒で、満州国が建国された32年から約2年間、ハルビン特務機関長を務めるなど主に情報畑を歩んだ。38年に第23師団長に任命され、満州北西部ハイラルに駐屯。39年5月にノモンハン付近で発生した小競り合いに独断で部隊を出動させ、大規模紛争のきっかけをつくった。ソ連は周到な準備で機械化部隊を投入、同師団に壊滅的打撃を与えた。
黒宮教授が米誌「スラブ軍事研究」12月号に発表した論文によると、小松原師団長は在モスクワ日本大使館付武官だった27年、ソ連情報機関による「ハニートラップ」(女性を使って弱みを握る工作活動)に引っ掛かり、ソ連の対日情報工作に協力するようになったとみられるという。
ハルビン特務機関長時代には多くの機密情報がソ連側に漏えいした形跡があり、ロシア国立軍事公文書館などにそれを裏付けるファイルが保管されている。小松原師団長に対するハニートラップ説はロシアの研究者が唱えていたが、黒宮教授は最近、この研究者にインタビューし、ソ連の元防ちょう機関員(故人)が情報源だったことを確かめた。
(東海子)
(宮崎正弘のコメント)とくにウィキペディアの歴史、政治、思想などの分野は、左翼が混入して書き殴っているので要注意。出鱈目な情報がたくさんあります。◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 』