土曜日, 2月 25, 2012

このところ、宮崎正弘氏のメールが日に二回も連日届き、目を通して理解するのもけっこう大変である。今日も川村名古屋市長発言に関する読者の声欄がおもしろい。

WILLという雑誌を一時期ほぼ毎号読んでいて、南京事件に関する日本の研究者たちが17年ほどかけて研究した結果、南京事件はなかったとする結論に達し、英文で海外に向けてだした、ということは数年前から知らされていた。17年前研究を始めた頃はまさかこんな結果になるとは夢にも思わなかった、という。外人記者クラブでも発表したそうである。

私の書架には二段にもわたり当時のWILLが山積みになっているが、あまりに本が増え過ぎ、手狭なため、新聞紙などと一緒に処分するところだったが、家内の父親がこういう雑誌を捨てるのはもったいないと言って捨てないでおけというのでとっておいたのだが、先日取り出そうとしたらすっぽり抜けていてた。どうやら、家内が勝手に処分したらしい。

そんなこんなで、今では宮崎氏のメルマガがたよりであり、心強い味方でもある。


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成24(2012)年 2月25日(土曜日)
      通巻第3572号 
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 読者の声 どくしゃのこえ 読者之声
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(読者の声1)中国が傲慢にも河村名古屋市長の当然の正しい発言にいちゃもんをつけてきていますが、全く愚かなことです。
なぜなら2年前に胡錦涛主席が来日した折に、「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明)が中国文の公開質問状(下記に添付)を中国大使館を通じて送っていますが、彼はこれにこたえていないからです。
これは中国語、日本語、英語で発信する会のサイトに掲載され、世界各国のアジア関係学者、マスコミ、大使館関係等4000名ほどにメール送信もされています
お読みになればおわかりのように、これを読んでまだ「南京虐殺があった」と考える人がいたとしたら、その頭の構造を疑いたくなるでしょう。
決定的なポイント5点についてどうにも答えられない、というのが中国の側の事情であることがよく理解できるかと思います。
読者の皆様にお願いします。この文書を使って、河村市長の応援活動を是非実行してください。
既に「新しい教科書をつくる会」(藤岡元会長は検証する会の事務局長)のメルマガでこの公開質問状が発信されていますが、有効活用が出来るかと思います。
特に大村知事、藤村官房長官にはこれを送り、「あなたはこれに反論でも出来るのですか」と迫ってみるのはどうでしょう。それぞれのお立場で、メールでもいいですし、ファックスでもいいですし、手紙でもいいですし、電話でもいいですし、はては面談でもいいですし、それぞれ可能な方法で、これを活用して糾弾活動を展開していただければとお願いする次第です。
平成24年2月24日         
       「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木弘道拝

(参考添付)
胡錦濤国家主席閣下への公開質問状

このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。
 さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

一、故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?

二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?

三、南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?

四、さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?

五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。

以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。
           平成20年5月5日
           南京事件の真実を検証する会委員一同
(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち 
高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘

たしか、温家宝首相にこの種の質問をしたら、一言も発せずお逃げになられたとか、伺っております。

なお以下のブログもおもしろい。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4561.हटमल

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成24(2012)年 2月26日(日曜日)
      通巻第3573号 
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 読者の声 どくしゃのこえ 読者之声
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(読者の声1)貴誌前々号に掲載された「大東亜戦争を考える:多田彰矢」論文への感想です。
「大東亜戦争は、独ソ戦に備えたスターリンの東西挟撃を防ぐ東部国境工作(西安事件、支那事変)と、米国の満洲狙いの排日戦略(日米戦争)に挟撃された日本の、自存自衛の戦争であった」ということを追加したい。
また「戦争とは何か、クラウゼヴィッツのテーゼを引くなら「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」ということである」とありますが、これに孫子の「戦争とは騙すことである」を付け加えたい。
「戦争とは勝つことでなければならない」。
当然だが、負けるとしても自由と独立のために戦うのが自衛戦争である。これが分からないと日本の戦争は理解できない。日露戦争は負ける可能性のある戦争であったが戦った。
外国の事例をあげると、1939年、人口350万のフィンランドは人口1億7千万のソ連の領土割譲の恫喝を受けた。カヤンデル首相は1カ月の懊悩のあげく、11月23日、ラジオを通じて、「フィンランドは極力ソ連の要求に応じるように努め、国家死活の権益が侵されない範囲内ならば、いつでもソ連と交渉を再開する用意がある。しかしソ連がいかに精神的経済的に圧迫してきてもフィンランドは断じて屈服するものではない」と述べた。
すると、ソ連は砲撃被害をでっちあげて攻撃を開始し、有名な冬戦争が発生した。フィンランドは善戦しソ連軍20万を死傷させ大打撃を与えたが、春には敗戦した。しかしフィンランド人はこの負けた戦いを誇りとし、指導者マンネハイムを銅像にして今も顕彰している。日本も学ぶべきである。(典拠「北欧空戦史」朝日ソノラマ)
「何故日本は戦争に追い込まれたか、何故敗北したか、何故あれだけの戦死者、餓死者を出したのか等々、そしてその責任はどこにあったのかも冷静かつ全体的視野に立って総括を行うことが大事ではないだろうか」(引用終わり)とありますが、原因は、外国(米ソ)の挑発、圧迫があったからである。戦争は国際関係だから日本だけに責任を求めるのは不当である。
兵器的には原爆が開発できなかったからである。それは当時の日本人の経済力、科学力が低かったからである。また後世の我々は当時の人の苦悩を知らない。それなのに結果論で先人の奮闘を非難するのはいかがなものか。
不敗の国防体制を作ることには賛成である。
今は非対称性兵器(原爆)の時代である。1発あれば100発に対抗できる。どんな小国でも核自衛すれば、自由と独立を守ることができるのだ。
(東海子)


(宮崎正弘のコメント)FDRこと、「フランクリン・ルーズベルト大統領は狂人だった」とフーバーは明確に書き残していた事実がわかりました
 『月刊日本』3月号に稲村公望さんが、原書を早速に取り寄せて読まれ、緊急寄稿をされています。(同誌、「F・ルーズベルトの犯罪」)。
フーバーとはいうまでのなくFBI長官として戦後米国政治の背後に君臨した大人物。なにせ歴代大統領の秘密を全部知っていたんですから、アイクもJFKも、彼の首はとばせなかった。そのフーバーが、FDRの周囲を囲んだ共産主義者ともども、かの大東亜戦争はFDRがしかけた謀略であるとも、発言していたのだ。マッカーサーも「わたしが日本の指導者の立場だったら、あの戦争はやらざるを得なかった」と戦後の発言があるが、まさに驚き桃の木です。
 原題はジョージ・ナッシュ著「Freedom Betrayed」(アマゾンでも入手可能。3969円) 
http://www.amazon.co.jp/Freedom-Betrayed-Aftermath-Institution-Publication/dp/0817912347/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1330142182&sr=8-1
 この翻訳版が出ると、日本の読書界も騒然となるだろう。『マオ』の衝撃度を超えることは請け合い。
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水曜日, 2月 22, 2012

二月の初め頃、ネットで燃費グッズの種類や効果を特集した企画を眺めていて、一般的に良くない言われた製品でもある種の車には効果があったりその逆に評判のいい物でも全然効果無しという事例も少なくないことに気づいた。

しかも私が先代から取り付けていたにんじん君という電気ノイズを取り去ることにより燃費を向上させるという製品も、各自のケースで効果はまちまちで、かなり効果がある場合と、効果ゼロで値段からすると不満あらわという事例も少なからずあった。

メーカーの宣伝でさえも、時とともに宣伝の重点が変わっていたり、最初に自分でイメージした思い込みが評価を左右する側面もけっこうあるように思った。まったく燃費は気まぐれで、なかなかこうすれば良くなる、という方法は千差万別といえそうでわる。

今となっては少しオカルト系にでも手をださない限り、そうそう新規に試す気もそうは起きない。手持ちのグッズ、にんじん君、ミラクルパワー、それに彼方此方で結構効果も出ているという例もあったエコボックスがあり、エコボックスは過去ににんじん君程効果は無さそうだったので、お蔵入り状態であった。

そうこうしているうちに昨年秋ににんじん君の端子が緩んで外れた状態と同等となり、最近燃費が落ちたなあ、なぜだろうと思っていたら偶然発見して再装着したのだが、以前と違い今イチ結果が思わしくなく、あれこれ試行錯誤を始めた。そして何となく原因ではないかと疑っていたのが、スズロイ投入の効果というかその影響である。
本来使い込むほど効果が出て来る、と理解していたのだが今のところ過渡期なのかどうか、あまり昨年程効果はなさそうである。これはエンジンの特性変化なのかとも思う。今までの常識とは違う変化が起きているようである。

通勤燃費でいうと、時に15キロ〜16キロ台というところまで低下した。長距離燃費だとそれほど悪くはないのだが。かって19キロ台だったものが、何たるありさま、それで使っていなかったエコボックスの4輪用というのを再度試すことに。

http://yhsvtex.blogspot.com/2012/02/gt-2000-http-yhsvtex.html

このとき示した写真は二輪専用のエコボックス。しかし使用したのは実はこの4輪専用のこの製品。


先代のバイクで使用したのは鶯色の製品だったが、それは現在行方不明。記憶に一切残っていない。壊れて捨てた記憶もない。まさに記憶喪失症。

それで、前回の100キロを超えるプチツーでリッター20.6程度となったので、その後も使い続けていた。それから通勤と納品だけの生活でリッター17.2となった。プチツーの翌日、通勤で動き出したら、ツーの影響で明らかに今までより調子は良い。それで二回目もそのまま使っていたら、少し燃費がのびた。

















これならshoさんのツーリング日記にある17.5に近いし、日々の通勤でこれならかなり良い、としなければならないかな〜などと思っていた。しかし、これではにんじん君の効果はあるのかないのか分からない。それで、エコボックスを外して、今までと同じように走るように心がけて燃費を見ると、ガ〜ン、こんなもんかいな!?という感じ。

やはり体で感じた調子の良さは、嘘ではなかったと思った。にんじん君とのダブル装着は、ブリッジカンパニーさんのほうから薦められた経験から、考えついたもの。しかし二個付けたからといって特に効果はないように感じて、別の個体で使われるように願った。エコブリッジはコンデンサーを使うタイプで、その評価が車によっては結構効果が出ているし、市販のコンデンサーで自作している人もけっこういる様子なので、異種の類似製品を使うのも面白いと思っている。

にんじん君を再度取り付け直すまでは15.Xなどという時もあったから、それでもにんじん君の効果はあるんだろうがこれでははなはだ面白くない。それで、次回、会社まではそのまま出て、昼休みの合間に再び外していた銀色のエコボックスを付け、しかもさらに二個に留めていたミラクルパワーも4個つけてみることにした。



それで、普通に通勤で使っていたが、どういうわけか変化があまり感じられない。しかし、毎日40キロ近くと乗っているうちに少しづつ調子が上がって来た、と感じられるようになった。ミラクルパワーを4個付けた水戸方面へのツーリングの時、やはり4個はまだ無理と以来二個に拘っていたのだが、その違和感もこれといってない。

それとアーシングの時のようにライト類が少し明るくなったと感じられた。夜右折帯などで前に黒いワンボックスがいたりすると、その車に反射している自分のライトの脇で点滅するウィンカーの明るさがアレッ今までより明るいぞ!と思えたりした。

今日は仕事の関係で40キロごど離れた役所へ再調査で出かける必要があり、行きは時間指定だったので高速を使った。しかし、日頃飛ばしていないので、高速に入っても80キロ以上は
バイクが出ようとしない。しかたなくしばらくそのまま走り、徐々にスピードを上げて行き、
ようやく追い越し車線も問題なく走れるようになってきた。

降りてみると通常走行はかなるスムーズになっている。慣らしもあるんだな〜と実感。
残りひとメモリとなったので、帰りに役所の近くのセルフで満タンにしたら、どうなるか〜!?と思っていた燃費は18キロほどに伸びていた。


とまあ、体であまり感じられなくとも燃費は向上していたが、昨年5月〜6月の18.2〜18.4には及ばない。しかし、機器の効果というのは判定が難しいものだと実感する。

ただ、気がついた点は、スズロイとにんじん君で排気管出口はかなりきれになって指でそっと内部を触るとすこ〜し指に薄くカーボンが付く程度だったのが、今回は指先で目の一番細かい
サンドペーパーみたいな感じがすると排気管の内側をなで回しても肉眼ではカーボン付着が認められない点である。これは、燃費結果と共にうれしい副産物となった。

shoさんがミラクルパワーを付けると(4個)燃費はが1.1キロほど上昇したという。今回は二個の増設で約0.7伸び、エコボックスの追加で0.7伸びたと結果を分解できた。

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金曜日, 2月 17, 2012

『誰が南京大虐殺を捏造したか 2 』シリーズ二作目をだいぶ前に購入した。(WILL3月号)。
ざっと構成を見ると以下の項目がある。興味のあるお方がどうぞWILL 3月号を。

司馬遼太郎の暴論

日本史、三つの錯覚

サボタージュした歴史家

日本を脅し続けるロシア

キリスト教と義和団事件

宣教師が略奪に走る

支那の崩壊を食い止めた

対ロ同盟案を聞き流した

ほかに雑誌『正論3月号』でも南京事件特集を扱っている。筆者はまだ見ていない。(買ってもいない)。

これとは別に巻末に『万里の長城に登って考えたこと ②』という記事があり、チラリと散見したら米中合作の南京虐殺という小見出しがあって、比較的短いのでそちらから目を通した。
筆者が文芸春秋の包堯氏である。

南京記念館を見ての感想や息子さんが薬師丸ひろ子を起用したドキュメンタリー番組を息子さんが撮ったというので、息子さんとの中国レポでもある。このドキュメンタリーは私は数年前にテレビで見た記憶がある。

虐殺の数300000という数字が随所に大書されている、そうである。当時の南京の人口は20万人。虚構の数字をいまだ麗々しく掲げる、などと書かれている。それにしてもこの南京虐殺の虚構は、つくづく米中合作と思えてならない、と続く。

近年の研究者の努力で、いわゆる証言者のほとんどがアメリカ人の記者や宣教師兼教授であることがそれを示している、としている。

http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%A5%D9%A5%A4%A5%C4%A4%CF%B9%F1%CC%B1%C5%DE%A4%CE%B8%DC%CC%E4%A4%C7%A4%E2%BC%EA%C0%E8%A4%C7%A4%E2%A4%CA%A4%A4

http://ja.wikipedia.org/wiki/マイナー・シール・ベイツ

http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/7858256.हटमल

http://yhsvtex.blogspot.com/2007/06/blog-post_7294.html
拙ブログでは2007年6月に南京問題に関する渡部教授と秦教授(当時)の見解と論争のごく一部を両教授の著作を例にとって紹介した。

その後もさまざまな研究が進んで現在のような特集が組まれる状況になって来ている。

渡部教授の見解は修正の度合いが、もう一方の見解と比べれば極端にすくないように見える。

一方、秦教授はどうだろうか!?

http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/10030377.html

http://www.history.gr.jp/~nanking/books_bungeishunju875.html



そしてここへ来て名古屋市長の南京虐殺はなかった発言。今となっては国内の反論さえ表立っては聞こえて来ない。秦 先生は如何に考えておられるか聞いてみたいものだ。

例によって、宮崎正弘の国際ニュースにこんな読者の声が!
平成24(2012)年  2月22日(水曜日 から
  ♪
(読者の声2) 名古屋の河村市長が[南京大虐殺はなかった]と歴史認識の正当性に立脚して、まっとうな発言をしました。
河村たかしはこれまでおっちょこちょいのアホな奴だとしか考えていなかったのですが、今回の発言で少し見直しました。これでまた国内の馬鹿な反日左翼やマスコミがあぶりだされますが。もっとも減税一点張りの市政は頂けませんが。
 さて「南京問題」が話題になる度に、郷友連では、「あれは何のことを言っているのか」と議論していました。
 あらゆる戦争犯罪には理由があります。例えば、日本が「中国人は世界のガンだから、これを1人残らず殲滅する」という理由で支那事変を始めたなら、分かるが、「五族協和 アジア解放」を掲げる日本軍に30万もの無辜を虐殺する理由は皆無です。もし軍紀の緩みが理由なら、せいぜい数十件が関の山、30万という数は周到に準備し、組織的に行わなければ、達成不可能な数です。郷友連の故味岡理事長は南京陥落一週間後に南京に入ったそうですが、そうした虐殺の痕跡は皆無だったと発言していました。
 (名護屋ふたり)


(宮崎正弘のコメント)すでに南京大虐殺はシナと米国のつくり話であり、でっち上げであることは完膚無きまでに証明されています。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成24(2012)年  2月22日(水曜日)弐
     通巻第3568号 
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 読者の声 どくしゃのこえ Reader‘s Opinions 読者之声
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(読者の声1)河村市長の南京事件はなかったという発言。これは日本にとって非常によいチャンスと思います。
名古屋で「南京事件大虐殺はなかった、中共の言う事は全部嘘」の大啓蒙運動を行い、名古屋への中共の領事館建設を阻止したらどうでしょうか。中共はすでに、南京に巨大な南京大虐殺記念館を建設しているので、事件の否定はできません。
総力をあげて宣伝してくるでしょう。それを逆用して、日本中に反中共の大旋風を起こします。南京事件については周知の通り、以下の理由で完全な虚偽です。被害者はゼロです。
第一に物証がない。ナチス規模の巨大収容所が必要なのに何もない。証拠皆無の魔女裁判である。騙されるものは阿呆である。
第二に動機がない。ヒトラーの日本、蒋介石講和仲介工作(トラウトマン工作)中なので、大虐殺をする理由がない。
第三に物理的に不可能である。30万人を一瞬で消去することは原爆がない限り不可能です。一週間でも不可能です。
第四は米英マスコミの虚偽です。戦前の米国は満洲が欲しくて日本を敵視していました。したがって全く中立ではありませんでした。反日一色だったのです。
第五に証言の信憑性が希薄である。物証のない芝居は猿でもできます。しかし支那人が言うように、これは「騙される方が悪い」のです。
南京大虐殺問題を日本中で大いに盛り上げ、中共の対日工作に反撃する機会に活用しましょう。反日教科書の偽記事を攻撃し、文科省と会社に謝罪をさせましょう。
   (東海子)


(宮崎正弘のコメント)北京はまたまた全土で反日暴動をやらせるか、沈黙させるか。そのあたりに北京政府の次の思惑が露骨に現れると思われます。


また今日、井口和基博士のブログでも面白い記述に出会った。
http://quasimoto.exblog.jp/
HAARPに地震波か?研究用49:再び300nTの地震電磁波到来! 2012年2月12日

『ましてや、電磁波、それもスーパーパワーの電力を使った電磁波による地殻の加熱の研究というようなことは、日本ではとてもではないが、やることも研究することもできなかったはずなのである。事実米国ですらこういったものは、一般納税者の賛同が得られない為に、麻薬資金を使った「ブラック・プロジェクト」としてしか研究できなかったのである。ならばUFOのような飛翔体の研究等なおさらのことであったのである。

日本人はSF作家にせよ学者にせよインテリにせよ、非常に唐変木が多い。今風に言えば、アスペルガー症候群的な人が多い(まあ、言葉遊びはどうでもいいが)。それに我々サッカーの世界で言うところの「日本人特有のメンタリティー」というものがある。その2つが巧妙に合わさって、一種摩訶不思議な学者像が描かれる。それが「御用学者」というイメージの学者である。これは周知のように事実として存在するのである。

要するに、「自分が理解できたことだけが存在する」、「自分が行った正否がこの世の正否である」、「自分の思う善悪がこの世の善悪である」、「自分が証明できたことが本当の証明である」というような見方をする学者(やインテリ)のことである。

言うまでもなく、これは間違いである。多くの場合、我々学者は自分の専門分野をちょっとでもはずれたらまったく理解できないというのが常だからである。

DNAの話をすれば、専門外だから分かりません。じゃあ、ネットワーク理論の話をし出せば、専門外だから分かりません。じゃあ、ボブスレーの話はどう? 専門外だから分かりません。じゃあ、サッカーの話は? 専門外だから分かりません。じゃあ、原子炉の話は?と聞けば、それも専門外で分かりません。じゃあ、あんたは何が専門なんだ?何が分かるんだ? と聞けば、実は修士までしかでていませんので、何も知らないんです。

とまあ、こんな案配なわけである。これは、地震の大家という人でも同じことである。自分のいま行っていることの付近しか分からない。だから、電磁波で地震活動が見れるというようなことは理解できないことになるわけである。

ちょっと前まで、人間の脳を立体的に見るなどということは不可能だと多くの学者は信じていた。それがどうだろうか? 今ではX線CTは古い装置、MRIならどんな田舎にも存在する。どこのお百姓さんでも自分の頭の中の脳梗塞の位置をこの目で見ることができるのである。‥』

渡部教授との論争に負けたと私が考えている秦 教授の姿はここで引用した、井口博士が描きだしたような御用学者のイメージそっくりである。


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木曜日, 2月 09, 2012

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成24(2012)年 2月8日(水曜日)
      通巻第3550号 に山本五十六の最近の映画をみてのいくつかの感想が載っているのでまとめて紹介したい。

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(読者の声2)映画『聯合艦隊司令長官山本五十六』を観て
 先週末出張先で少し時間があったので、上記映画を観た。以下その感想である。
率直な感想として、従来の多くの同種の映画と同様海軍善玉論、米内光政、山本五十六、井上成美の海軍トリオ賛美論に立脚していて正直つまらない筋書きであった。半藤一利の監修だからむべなるかな。これまでに大河内伝次郎、佐分利信、藤田進、三船敏郎、山村聡といったスター俳優が山本五十六を演じてきたが、役所広司の山本五十六はまあまあの出来。柳葉敏郎扮する井上成美はよく雰囲気が出ていたが、日独伊三国同盟に反対したことばかり強調してすこし美化しすぎ。
私の岳父は井上中将が大東亜戦緒戦で司令長官をつとめた第四艦隊の水雷戦隊(駆逐艦部隊)で戦ったが、ウェーキ島攻略戦や珊瑚海海戦で見せた井上長官の拙劣な指揮を痛烈に批判していた。井上成美提督は軍政家や教育家としては一流だっただろうが、指揮官としては全く駄目だった。
命を預ける部下将兵から見て指揮官が戦上手かどうか大問題である。

またこの映画では山本五十六の愛人であった河合千代子の存在がすっかり無視されている。映画では山本五十六が恩賜の銀時計を原田美枝子扮する妻に与える場面があるが、事実は河合千代子に与えたのである。別に愛人がいたからとて本人の価値が落ちるわけでもなし。またそこに山本五十六の人間性が感じられると思うのだが。

あと映画ではおかしな場面が沢山あった。日本の戦争映画は年々ひどくなってきているとの思いである。たとえば距離を言うのに「○○海里」という台詞がありますが、あれは昔も今も「海里」ではなくて「マイル」である。
ミッドウエー海戦で、南雲長官が魚雷への換装を命令する場面があるが、事実はミッドウェー攻撃部隊を出した後残りの飛行機には次に予想される米空母攻撃用に対艦徹甲爆弾と魚雷が搭載されていたのだが、「第二次攻撃の要あり」との第一次攻撃隊からの意見具申電に陸用爆弾に換装し、そこで「敵機動部隊発見」の報で再度換装を図って貴重な時間を失い大惨敗を招いた。
しかしこれは南雲中将の判断ではなく源田實航空参謀の意見具申によるもので、ミッドウェー敗北の最大の原因は源田参謀の判断ミスであった。因みに南雲機動部隊は当時別名「源田艦隊」とさえ揶揄されていた。映画ではここがすっかり抜け落ちている。あと時代考証の間違いだが、真珠湾攻撃のときの「赤城」艦橋における南雲司令部の幕僚達が白い二本線の入った第一種艦内帽を被っているが、当時はまだ士官、下士官、兵を区別する線は存在せず、昭和17年春以降に線入りの艦内帽が制定されたのである。この点はかつての東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」(昭和17年)や「太平洋の嵐」(昭和35年)の描写が正確である。

空母「飛龍」が沈むとき、阿部寛扮する山口多門二航戦司令官が艦と運命をともにする感動的な場面があるが、実際には「飛龍」艦長の加来止男大佐も一緒に運命をともにしている。加来艦長のご遺族が映画を観たらどう思われるだろうか。かなりいい加減な筋書き設定と感じた。
また終戦の玉音放送の場面だが、霞ヶ関の海軍省や江田島の海軍兵学校で将兵が純白の第二種軍装姿で整列していたが、当時は皆第三種軍装(褐青色、開襟ネクタイ着用)を着用していた。その他おかしな描写が多く目についたが、以下省略する。
戦後多くの作家、評論家が山本五十六を美化する作品を書いてきたが、そろそろもっと客観的な評価をすべきときではないか。
そうでないと歴史の本当の総括がなされぬまま、後世の人間は謝った歴史観を抱いてしまう。ちなみに小生は山本五十六をそれほど評価しない。ミッドウェーの敗北やその後のソロモン大消耗戦で航空兵力をすり潰した責任は山本にあると考える。
 (武蔵国杉並住人)


(宮崎正弘のコメント)当該映画を見ておりませんので、なんとも言えませんが、あの「正真正銘のバカ」の半藤一利が原作ですから、出来映えもさもありなん。
 ちなみにご投稿を掲載前に若手の軍事評論家三氏に見て貰って意見を聞いたところ、次の回答がありました。
甲氏曰く。
ご指摘のすべてについて同意です。終戦時、陸軍は3長官が会同して「今次敗戦の責任は陸軍が負おう」と合意したので陸軍は一切言い訳をしなかったのに対し、海軍は戦後「今次大戦、我が海軍はアメリカに負けてよかった、陸軍に負けなくてよかった」と放言したと伝わっています。また、阿川弘之らが礼賛論をまくしたててため海軍善玉、陸軍悪玉が定着したようです。歴史は真実を伝えなければなりません。私たちの世代で是正する義務があると思います」。

乙氏曰く。
「東京裁判をアメリカはニュルンベルク裁判のドサ回り公演と位置づけ、ドイツのナチスに相当するのは、陸軍だと決めたそうですね。陸軍悪玉論は、ここでも、でっち上げられたのです。ちなみに海軍軍令部の生き残り参謀たちも、山本を全く高く評価していません。ある参謀は不道徳なギャンブラーと評していました」。

 丙氏曰く。
 「我が国では、あまり知られていませんが、そもそもヒトラーが三国同盟で何を日本に期待したかというと、日本の海軍にアメリカを牽制して貰い、戦争に参戦して来ないようにすることでした。それが、真珠湾によって、アメリカに戦争に参戦する口実を与え、正反対の結果になってしまいました。三国同盟はお互い参戦義務はないのに、義理固いヒトラーは参戦に踏切ました。ヒトラーにとって、独ソ戦に参加しない時点で日本を利用するメリットは全く無くなったのです。しかし、ヒトラーは彼の政治的遺書にもある通り、最期まで、日本を高く評価しています。人種論で日本を馬鹿にしていたというのは、イギリス諜報部の日独離間謀略であって、最たるはヒトラーがシンガポール陥落時にドイツ軍を差し向け救出したいと言ったというデマです」。

       ◇◇ △△△ ○○

その次の号にも興味深い投稿が載った。私が同意した部分は強調表示に変更し、特筆部分は赤字にさせてもらった。以下同様。
  ♪
(読者の声2)映画『聯合艦隊司令長官山本五十六』を観ての投稿、書意見への感想です。
1.常に大局の歴史観を持つ:日米戦争は、日露戦争以来の米国の満洲狙いによる、無理難題の圧迫に耐えてきた、日本の自存自衛の戦いであった。海上戦闘はその中の挿話である。この背景が分からないと海軍の戦闘の意味も不明になり、奮戦した将兵、銃後国民の苦闘も正しく評価できない。

2.自衛戦争:昭和天皇以下、対米戦争に勝てると思った国民はいない。しかし戦った。
負ける戦争をするのが自由と独立を求める古今の国民の義務」だからである。

3.事例:1939年、ノモンハン事件直後、ヒトラーと共謀しポーランドを分割したスターリンは北欧フィンランドの領土割譲を求めて脅迫した。しかし人口350万のフィンランドは人口1億7千万のソ連に対して断固拒否したのでソ連軍が侵入した。フィンランドは冬戦争で善戦し、ソ連軍に20万壊滅の被害を与えたが、結局翌春負けた。しかし現代のフィンランド人は、対ソ戦で敗戦した指導者マンネハイムの銅像をヘルシンキ駅前に建立し、顕彰している。小国であるが立派だ。

4.山本提督批判の愚:(1)利敵行為の愚:日本人なら戦争の殉国者を批判する愚は無条件で止めなければならない。というのは、敵が嘲笑しているからだ。「戦争とは騙すことなり」は孫子の名言である。今も支那事変は続いている。常に敵国の目を意識することが必要だ。(2)後智恵の愚:明日の株価も分からない現代人が、当時の日本人の苦悩を知らずに、後世の立場で、高みの見物よろしく、ノーテンキに批判する恩知らず、愚かさにはウンザリである。自分が明日戦死するという立場に立ったらどう行動するか、他人ごとではなく考える。山本元帥以下将兵の奮闘ぶりを無条件で高く評価したい。(3)レバタラ論の愚:相手も変わるので、日本が別の戦術をとったらどうか、という発想は成り立たない。歴史にイフはない。
時間の無駄だ。

5.真珠湾攻撃:英国の軍事史家は、天才的な作戦であり、米国の不当な非難が忘れられたなら、世界の軍事史上の金字塔として輝くだろうとしている。

6.ネルソン提督:ネルソンは、愛人のハミルトン夫人との艶聞が有名だ。しかし私事に過ぎず戦果には関係ない。

7.真珠湾攻撃直後のヒトラーの対米宣戦布告:これは近代史の謎の一つであるが、私は当時ドイツ軍がモスクワ正面に引き込まれて寒波と補給不足で大打撃を受けていたので、ヒトラーが日本の対ソ参戦を望んだものか、と考えている。しかし支那事変で出血していた日本に対ソ戦争を起こす力などなく、ヒトラーの対ソ東西挟撃戦略は不発に終わった。
それでも戦後、スターリングラードの捕虜のドイツ兵は抑留されていた日本兵に、あの時日本がちょこっと手伝ってくれたら勝てたのにと異口同音に述べていたと言う。
大東亜戦争は独ソ戦に備えたスターリンの極東戦略(西安事件、支那事変)と米国の満洲狙いによる攻撃(日米戦争)を両面で受けた日本民族の苦難の戦争であった。
(東海子)



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(読者の声3)映画『聯合艦隊司令長官山本五十六』への感想を読み観にゆく気が失せました。東京裁判で絞首刑となったのは戦争指導者として文官一人、陸軍関係者6人だが、海軍関係者は一人もいない。海軍関係者の被告は終身刑だったし、彼らはその後釈放されている。
この事実、つまり東京裁判が海軍関係者に甘い判決を行ったのは何故かということが予てからの疑問である。以下にこの疑問への自問自答を記したい。
結論から言うと米海軍の日本海軍への密かな感謝の念の表れと解釈される。
米海軍が日本海軍に感謝したとしても不思議ではない事実を挙げると、まず第一に真珠湾攻撃である。人種主義者ルーズベルトの陰謀にまんまと乗せられ奇襲には成功したが本土攻撃の第二撃、第三撃もなく日本海軍が去ったこと。
本土攻撃も覚悟したであろう米国にとっても拍子抜けではなかつたか。
第二は米海軍が太平洋艦隊の立て直し中のこの半年間に日本海軍からの大規模な攻撃が無かったこと。真珠湾では米海軍の空母の被害はなく戦艦等は被弾したが約半年間で殆どが修復を終えた。あたかも日本が待っていてくれたかの如くに。
第三はミッドウェー海戦で日本艦隊が大敗してくれたこと。日本はこの大敗によりその後の国の敗戦を決定づけられ、米は安堵したことであろう。
第四は暗号筒抜けのまま、山本五十六を撃墜死させてくれたこと。司令塔を失った日本海軍はますます弱体化した。
つまり日本海軍は米海軍に翻弄されただけで本当にまともな戦闘を行ったのかと疑問を禁じえない。米海軍からすればこの日本海軍の戦争下手には感謝こそすれ憎悪の対象ですらなかつたのである。
確かに戦争末期には特攻攻撃という禁じ手により米海軍将兵に多大な恐怖感を与えたとしてもそのことが日本海軍への憎悪へ繋がり、東京裁判での海軍首脳への絞首刑に至る報復裁判とならなかったのである。
戦後35年が経過した昭和55年から11年間、海軍の中枢・『軍令部』のメンバーが中心となって秘密に集まっていた会合である「海軍反省会」の証言にもあるように第二復員省に移動した元軍令部の参謀たちの東京裁判対策活動にも多少の効果はあったのかも知れない。
(ちゅん)
       ◇◇ △△△ ○○ 

この疑問は小生も数年前からあり、山本一派は米国と内通しあった仲ではないかと疑っており、今でも釈然としない。アメリカは、どうして、ジャップは必ず来る!と事前に断言できたのか!?

さらに本日の号、平成24(2012)年 2月9日(木曜日)貳
     通巻第3552号にも。まとまって読むとこれだけでも大層視野が広がる感じがする。

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 読者の声 どくしゃのこえ 読者之声 READER‘S OPINIONS
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(読者の声1)山本五十六元帥の映画は半藤一利の監修という事で、どうせくだらぬ内容であろうと思いまして見ておりません。
山本五十六元帥が名将であるか凡将であるか、については歴史の後知恵でどうこう決め付けるのは小生にはできかねます。ですが指揮官としての統率力、プロジェクトを成功させるマネジメント能力など当時の将星の中では秀逸だったと思います。しかし成功したのは真珠湾攻撃の一撃のみで、ミッドウエイやガダルカナル・ソロモン方面の作戦では全てが裏目にでました。
もしもブインで撃墜されず生きていれば、必ず東京裁判に引っ張り出され、死刑を宣告されたでしょう。
戦死された故に今日の神話のような山本五十六伝説になったと思います。
聯合艦隊司令長官について少し述べます。
昭和14年8月、独ソ不可侵条約の締結により、平沼内閣が「欧州の天地は複雑怪奇云々」 で倒れます。この時、海軍次官だった山本五十六は聯合艦隊司令長官に親補されますが、艦隊司令長官の経験は皆無でした(右翼の暗殺から逃れる為、海上勤務に出したと言われる)。山本は米国駐在武官やロンドン軍縮会議次席委員、海軍航空本部長など長く軍政にかかわってきました。またハーバード大に留学するなど国際知識も豊富と思われます。
米内光政は昭和11年12月聯合艦隊司令長官に親補されますが翌12年2月林銑十郎内閣のとき海軍大臣に推されわずか3ヶ月でその職を去りました。米内光政は第三艦隊司令長官、第二艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官などを歴任した部隊指揮の練達した将官でした。
聯合艦隊司令長官の任期は通常1~2年程度であり、山本五十六は開戦の時点で2年4ヶ月の長きに渡っていました。
もしも慣例どおり開戦前に聯合艦隊司令長官の人事異動がなされたらどうなったでしょうか。私は山本五十六は海軍大臣になって開戦をズルズルと引き延ばし、(北朝鮮のように)したたかに米国と渡りあってほしかったと思います。
海軍には先任承行令があり無理かと思いますが聯合艦隊司令長官は米内光政の返り咲きが適任かと思います。
   (MT生、大手町)


(宮崎正弘のコメント)小生も二十年ほど前に長岡市に講演のおり、市内にぽつんと設置された「山本公園」をみて、標識だけに唖然。地元でもまったく評価されていないんだと思っていたのですが、数年前にブーゲンビリアから墜落機の翼を運び込んで長岡市には山本五十六記念館が開館。これも数年ほど前にやっぱり長岡へ講演旅行の折、見に行きました。
 地元の評価? 河井継之助と同様に賛否両論、多彩です。河井記念館とて市内に設置されたのは数年前ですから。長岡はかの田中真紀子の地盤でもあります。



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(読者の声2)貴誌前号の「東海子様」へ。
「大東亜戦争は独ソ戦に備えたスターリンの極東戦略(西安事件、支那事変)と米国の満洲狙いによる攻撃(日米戦争)を両面で受けた日本民族の苦難の戦争であった。」ことも「将兵の奮闘ぶりを無条件で高く評価したい」のも全く同意です。
そのことと敗戦の原因を探ることは別のことです。また、戦争を指導した者と戦争を戦ったものは同列には扱えません。
一国の命運を左右する人間の一挙手一投足や判断は、責任重大です。
山本五十六は海軍大将として、連合艦隊司令長官として祖国の命運を左右する立場にいたのです。
仰言るように歴史イフはないのですから、彼がもたらした結果によって判断すべきでしょう。

一、大東亜初戦を戦った高級将校は異口同音に「緒戦は勝って当たり前。なぜならそれだけの準備を周到にしてきたから。問題は開戦後の作戦指導である」と言っています。
これは真珠湾にも当てはまることです。

二、指揮官は先頭に立つことで作戦の効率を高め、勝機を得られるということはご了解いただけると思いますが、山本司令長官は真珠湾の時は出撃していませんでした。
 三、山本長官に対する批判は、後知恵の愚ではなく、戦時中から澎湃と批判がありました。当時の大本営に勤務していた人たちから直接聞いた話です。むしろ後知恵で、戦後しばらくたってから海軍礼賛が始まるのです。
歴史は正しく評価しなければならないというのが私の基本姿勢です。
  (軍事評論家 佐々木俊夫)



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(読者の声3)『聯合艦隊司令長官山本五十六』は昨年12月、公開直後に観てきました。家庭人など、山本の人間性を豊に描いており、歴史考証のいい加減さは別として、ストーリーとしては面白かったと思います。
考証面で言うと、作戦会議などのシーンで黒板に書かれた「作戦」という時が旧字体ではなく新字体になっていたり、というのが数カ所ありました。
また冒頭で陸軍部隊が海軍省前で整列して銃を構えるシーンがありましたが、実際にそんな出来事はなかったはずです。
伊武雅刀さん演じる永野軍令部総長の演技が軽薄に見えますし、ミッドウェー作戦では南雲忠一中将が優柔不断で草鹿龍之介参謀長の判断に一辺倒であったという描き方は誇張過ぎると思いました。配役で言うと、役所広司さんと山本五十六、柄本明さんと米内光政は風格も含めて実際の両人物と対応していません。
 私自身は山本五十六には親近感を持っています。寡黙すぎて作戦指導上の意思疎通を欠き、信賞必罰の原則に不徹底であったという批判があるのは承知していますが、山本関連の出版物が書店であると、つい手に取ってしまいます。
2年前、長岡市内にある山本関連の史跡や資料館など全て観てきました。
山本の生家跡や関連する展示を全て見ておきたいと思っていたからです。国際的な視野の広さ、石油資源・航空兵力の重要性への着目、日米両国の指導層から得ていた評価の高さ、部下への教育観など、評価すべき点はいくつかあると思っています。山本五十六記念館に行った際、案内員の方が「山本さんは郷土の誇りです。ここには近所の小学生が社会科見学で来るんですよ」と言っていました。今回の映画も半藤さんではなく、別の方が監修や考証に関わっていれば、もっといいものになったのではないかと思います。
 (YS生、多摩市)



  ♪
(読者の声4)以前の投稿で紹介した「米欧回覧実記」では宗教についても触れています。
ビスマルクは普仏戦争の勝利の後、カトリック教会が旧教国をそそのかし戦争を煽ったとして、イエズス会士をドイツ国内から追放した。この処置に対する非難やそれを覆そうとする謀略はますます激しくなり、やむなく宰相の座を降りるまでに至った。
いまもなおこの紛糾は終わらず、カトリック派はビスマルクを狙撃する機会を常に狙っているのである、とあります。
幕末から明治にかけて来日した西洋人の記録を読むと、キリスト教徒ではないという一点のみで日本人を見下す人物がいる反面、戦国時代から徳川時代にかけての伴天連追放令や禁教令を当然のことと評価する人物も少なからずいます。
プロテスタントのカトリック嫌いなのだろうと思っていましたが、幕末から明治にかけての欧州ではイエズス会に代表されるカトリックは現実の脅威だったのですね。
フィンランドの教会で、北欧では長年イエズス会を禁止していました、と説明されたことを忘れていました。
スイスでは1848年の憲法でイエズス会を禁止、解除されたのは1973年。イエズス会は世俗の権威を認めないバチカン(教皇)至上主義ですから、旧教国でも目障りな存在で18世紀末には一度解散されられています。
それが復活するやまたもや新教国の転覆を企てる。現代で言えば、世俗国家を目指すエジプトがムスリム同胞団を非合法化したのに似ています。
普仏戦争のさなか1870年にナポレオン3世の軍隊が守っていたローマ教皇領がイタリア王国に併合されるのですが、フランスでも第三共和政でフランス革命以来の政教分離が確立。フランスの歴史はローマ教皇との権力争いの歴史でもありますからカトリック教会排除は徹底しています。
1880年代には公教育から宗教教育の排除、十字架やマリア像などの撤去、大学の神学部の廃止(ストラスブールだけは当時ドイツ領のため神学部が残った)、教職からの聖職者の排除、1902年以降はカトリック系の学校約12500校を閉鎖。こうした流れがイスラム教徒の女生徒のスカーフ禁止につながるのでしょう。
ドイツでは公教育で宗教教育の時間があり、大学の神学部が重視される。
フランス革命で廃止された十分の一税の代わりに教会税(8~9%)を源泉徴収ですから教会の国家管理といえなくもないようです。岩倉使節団が訪欧した当時の宗教心の国別比較はおもしろい。安息日の日曜日、アメリカ人は教会に行き、イギリス人は家に閉じこもり、フランス人は公園で散策を楽しむ。ベルリン市民も宗教心は薄いとしています。
「米欧回覧実記」の著者にしてみれば日本では300年も前に延暦寺の焼打ち・本願寺攻め・バテレン追放と政治から宗教勢力を排除していますから、カトリック教会に対する見方は批判的。教会の周りには多くの乞食がいて、恵んでもらったお金の半分は教会へ、乞食は感謝ひとつすることがない。大聖堂をみても規模の大きさには驚きながら、民を無知蒙昧のままにし膏血を絞り取る象徴のように感じ、ロシアは祭政一致で、民衆のロシア皇帝を見る目は本願寺の門徒のようだと記しています。
ローマの教皇領など日本で言えば近畿一円から北陸にかけて本願寺領のようなものですから違和感を感じるのも無理はありませんね。
  (PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)ご意見を伺いながら、80年代初頭、米国政府の招待でクレアモント研究所に一ヶ月、滞在したことを思い出しました。ロスアンジェルスから二時間のクレアモントはドラッカーも住んでいた学園都市ですが、六つ大学があり、しかも大半の大学の「売り」が神学部でした。

       ◇◇ △△△ ○○

呉に愛人を囲い、実戦に出ず、パフォーマンスをしていたと日下公人氏が指摘して以来、どこでアメリカと繋がっていたのかご今後の課題になると信ずる。
ビンラーデン容疑者を射殺した米軍が、山本長官の例を挙げた、と知ったとき早めの口封じと言う言葉が脳裏を過った。だいたい、海軍首脳が当初大反対した真珠湾攻撃を、やらせてくれなきゃ辞めるとまで言ってだだをこねたという評価も一部にはある。東條首相は聾桟敷であった。事前に練り上げられていたプロットとしたら‥‥。
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日曜日, 2月 05, 2012

『ツインGTをつけると、エコボックスの時とはちがい、また未燃焼ガスくさい排気出ることは気づいていた。エコボックスでは、何も付けない時よりも、匂いが へり、しかも匂いの質も芳香族っぽいものに変わった記憶がよみがえった。2000回転前後なら、4輪の常用域だから、その回転でも効くようにできているだ ろうと、前向きに考えた。』
http://yhsvtex.blogspot.com/2008/03/blog-post_23.html

いまから約3年10〜11ヶ月前の拙ブログの記述である。あの頃は先代のビッグ1で省エネグッズの特性把握にあれこれトライしていた。

またこんな事も書いていた。
『ところで、このエコボックス、保証書もついているが、製造元は、公取委から指摘された例の19社のうちの一社。ただし、該当製品は、シガーソケットに差し 込む別の製品。販売員の方が、再三、効果は疑問で気分的なものだと思いますよ、と念をいれたのは、そうした背景をすでにご存知だったためだろう。そのた め、このエコボックスについてくわしく知ろうとしても、なかなかいい情報に出くわさない。』

それから、紆余曲折を経て結局ツインGTを常用しだすといつの間にか忘れられ机の奥の片隅に放置されたまま4年近くが経過した。

何かの弾みで時々見る事はあったが、捨てる訳にも行かず同じ製品がどういう訳か三台あったのだが、最初の一台は何だったか理由が思い出せないが今は二台だけとなっていた。4輪用と2輪様である。写真にない4輪用はいまのバイクに昨夜(土曜の夜)、外していた先端の端子をハンダ付けしてツインGTと一緒に取り付けた。



何でまた取り付けたかというと、冬場になって燃費が思わしくないからである。先日ツインGTとミラクルパワー二個(2番、3番プラグ)に取り付けたシステムで当分行こうと思っていたが、秋後半にツインGTが外れているのに気づかず燃費を落としてから回復の兆しがハッキリしないからである。このバイクになって初めての冬で、夏場同様の燃費は期待するほうが無理というものだが、通勤燃費が16キロ代後半から17キロの前半ぐらいと振るわない。

この前の二台まとめてつけても、宣伝文句とは裏腹に以前からのついんGT一個とくらべてコレといって特に良くはない上に、新規の単独使用でも、かえって以前からのものより良いということは決してないことに、2〜3日で気づいた。古いツインGTにエンジンが慣れているかのようで、元に付け替えるとことらのほうが断然いいと思わされた。

これでタンクを垂直に保ち、位置を決めて満タンにして、15.4キロ走って燃費はリッター22.0キロとなり、初めて22.0を達成したものだった。ただし通勤燃費は上述のごとく振るわない。

昨夜も前回と同じ方法で15.4キロ走って同様な方法で燃費をみたら、22.0を達成したときとほぼ同じ0.71リットルの消費だった。10ccの差は誤差と言える。で、低速はエコボックスの特性として幾分強くもう少し燃費は行くか!?と期待したのだったが、変わらずじまいであった。

ただ、排ガスのにおいは若干変わったことは直ぐに分かったので、昔の特性を維持しているようである。帰りは夜となり、取り付けも暗いところで行って、先にプラスを結び、つぎにマイナスを結ぼうとしら端子同士が火花を散らしてビックリした。ツインGTは分離しているのでその心配はなかったが、エコボックスは一個から2本の端子がでて、内部はコンデンサーらしいから軽くショートしたのはしかたがないことであった。

『改めて包装の効能をみると、HC軽減効果が5分ごとに取り付け、取り外し試験を数回おこなって、認められたという。私は、鼻で関知した。あまり臭くなく、時にはいいにおい(ごくまれ)も出る。数値自体は書いていないが、効果あったよう。』

http://www.super-tetsu.com/nenpi/nenpigoods/nenpigoodsjiryoku.htm

上のサイトでいろいろな省エネ製品を吟味中、忘れていたエコボックスの例に出会い、意外にも(4輪であるが)比較的効果が高い例が数例みられ、ツインGTも数例あったが、評価はばらつき星5個から0個までとこちらの方が評価が割れていた。私は今はこれ無しには考えられないのだが、私の以前のバイクでは最初は変化無しのインプレだったこともこれまた確かである。

『平均7.2km/L→L9.1km/Lに向上!!』というマツダの4輪の例から
これは磁力系での例だが、点火系はこちら。
http://www.super-tetsu.com/nenpi/nenpigoods/nenpigoodstenka.htm

『にんじん君を褒めちぎるサイトが多くありますが、効果はないです。
カーライフクリエイターの肩書きを持つ「男松」という人物が、私が乗っている車と同じ車で取り付け、およびその効果を示す動画をネット上で流していました。
販売元のページにリンクありますが、現在ではつながりません。
そこでは取り付け後エンジン回転数が下がるといっていましたが、同型の私の車では変化無しです。
男松という人物のページから購入すると、特典としてモリドライブがもらえました。
モリドライブは男松さんから直接送られたものでしたが、発送もとの住所・氏名など、当たり前に書いたあるものが書いてありませんでした。
効果がないと、文句を言われることを恐れてのことでしょう。
また、その中身を分解したページを見つけて愕然としました。
これで2万とは・・・。』などと零点の例も。あと、ホンダシビックHVでも23.5から25.0で100点を付けた方も。エコボックスの例はいくつか見た記憶があるが、探すとそれだったらしいものはあるにはあるが見当たらない。残念。

とはいえ、今日は休みが取れて昨日なみの天気を期待したが寒そう。それで昼過ぎからちょっと100キロを超える燃費テストをしたくなった。これまでの経験から100キロで燃料計の減りがどうなるかでおよその燃費が推定でいることを経験しているからである。燃料計メモリが一個減った時点で約5リットル消費しているらしいので、100キロでそうなればリッター20キロ。まあそんな概算が可能となる。

今日は昨日とは違いだいぶ肌寒い。そのせいか交通量は多くない感じがする。どこをどう通過したかは書かないが130キロ走行を目指したが、会社近くまで帰って来てセルフで昨夜ときっかり同レベルまで入れたら、5.88Lとなった。初めてメモリが欠けたのは93キロあたりから。おや、やけに早いと思ったが、停止するともとに戻る。それの繰り返しで100キロ過ぎまでいきつ戻りつしながら会社近くを目指して来た。ちょっと運ぶ荷物があったので、それようの準備をして遠回りをしたわけである。で、その時に距離は121.4キロ。昨夜基準値まで満タンにして家へ帰り、昼間そのままスタートだった。








給油を終えた段階で15:03。印字された段階で15:04となっている。出発は12:15だった。2時間足らずで120キロ走行。時速60キロ平均のレベルでありかなりスムーズな流れだったことに。これが300キロ近く走った後ならどういった値となるかは未知数で追加したエコボックス4輪用の評価はまあ、悪くはないか!?といったところ。100キロ手前で完全に一メモリ欠けるなら外そうと考えながら走っていたが、この結果では微妙。

通勤燃費で4輪などとのバトル無しでも17.2キロ程度だったので、夏場の2キロ減とはちがい冬場は3キロは落ちるのかどうか?今回が初めての冬なのでまだよく分からない。大半のエコフッズのインプレッション同様の、少しは効いていりような気がするという平均的なレベルで終わったようだ。スズロイの効きについても影響があるんだろうが、それらの役割分担の程度を知る事はもはや不可能で、エンジンにはいいだろう!と思うしかない程度。

インプレッションとしては、時速100キロを超えると伸びが落ちる感じは先代と同様な感じがする。エコボックス無しの方が高速ではそうしたブレーキ感はなかった気がした。それで。ツインGTの評価がまた確認できた感じである。次は春から初夏にかけてどんな値に落ち着くかが楽しみである。すでに3万3千キロを超えた。年間1万8千キロペースである。
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