土曜日, 5月 31, 2008

18 世紀後半の観測誤差論

安藤洋美教授の『最小2乗法の歴史』(現代数学者)で、なかなか注意が向かなかった部分が、観測誤差論である。

年代的に、ド・モアブルをつぐ人物としてシンプソンの確立分布論を3章で取り上げている。シンプソンは独学の数学者で、19歳のときに、二人の子持ちの50歳の未亡人と結婚した、とある。1740年にシンプソンは『偶然ゲームの性質と法則』を出し2年後には『年金と死亡時支払金の教程』を出したとあるが、なんと、ド・モアブルの著書を下敷きにしていた、という。そのため、ド・モアブルは快く思っていなかった、という。

ド・モアブルがなくなった1755年に彼は、王立協会で「実用天文学において多数の観測値の平均・・・利点について、王立協会総裁・高貴なるXX伯爵への書簡」を読んだ、という。当時彼は陸軍士官学校教授かつ王立協会会員で、応用数学における多方面の問題に直面していた、という。

安藤教授によれば、シンプソンの偉大さは、生成函数の使用もド・モアブルゆずりとはいいながら、『観測値の平均に注意を払うのではなく誤差の平均に注意を向けた、という疑念的進歩にある」、といい、後年1774年にラグランジュによって再び取り上げられた、という。

外国人ゆえに大革命を生き延びる事ができた、というラグランジュは、1770-73にかけて、シンプソン同様生成函数を用いて、L'UTILITÉ DE LA NÉTHODE DE PRENDRE LE MILIEUを書いたが、実用性よりも理論に重点を置いたので、題名はふさわしくない、との注釈も。

測量分野でも未だに、ラグランジュの未定係数法なる計算法が登場するのを知ったのは、1994年か1995年ごろである。梶原教授の数学教本で、ラグランジュの未定乗数法としても解説されている。15章偏微分の練習問題として、単位球面^2+^2+^2=1上の=6x^2+5y^2+7z^2-4xy+4xzの極値を求めよ、よいう早大院入試問題ではじめて知った。

測量分野では、コンピュータが発達普及したので、実用上はあまり必要がないが、手計算で条件付きの最小二乗法の応用をするときに現れてくる。測量学校の教科書にはきちんと載っていた。私も、コンピュータでも間違うことがあるから、手計算で計算チェックせよ、と嫌がらせを受けたとき、その会社にマックを持ち込み3日ほどかかって計算チェックをしたことがある。また、最適レギュレータ問題や、経済原論などでも現れてくる。変分法とのかかわりにおいて。

ついで、ラプラスの初期の研究として『事象による原因の確率に関する論文』を紹介している。同じ現象に対する3つの観測値間で取らねばならない中数値を決定することを論じている、という。

1805年になって、ルジャンドルの最小2乗法は、彗星軌道の決定に関する本で発表された。
NOUVELLES MÉTHODES  POUR LA DÉTERMINATION DES ORBITES DES COMÈTES
ルジャンドルはMéthode des moindre quarrésと呼んだらしい。

安藤教授は、「ルジャンドルの最小二乗法は、確率的枠組みがなかった。シンプソン以来の観測誤差論の影響は微塵も感じられない。概念の系譜からいうと、ボスコヴィチの補間法の延長線上のものである。また、彼が称した誤差は、今日の残差に当たる。このように、彼の最小二乗法は大いなる欠陥が見られるにも拘わらず、運用のし易さで高く評価された」という。

とはいえ、ルジャンドルの紹介は比較的短く、最後は「ナポレオン軍はアラムとアウステルリッツの戦い(三帝会戦)で勝利を収めた。そのような高揚期に国威をかけた子午線弧の観測とその結果の処理に、ある程度の成功を収めたルジャンドルは、ナポレオンの没落と歩調を合わせるかのように、学者としての地位を絶えず脅かされるようになった。大陸各国の反ナポレオン感情の発生と、ガウスの執拗なまでの反ルジャンドル・キャンペーンは無関係とは言えないような気がする。」としている。

ガウスはナポレオンから、戦争税を1806年に2000フランを課せられ、ラプラスがパリで立替え、以後ガウスが利子付きで返済していった、ということはすでに引用させていただいたが、誇り高きガウスのナポレオン憎しの憎悪はこうして蓄積され、ナポレオンへの憎悪は、ルジャンドルの上に倍加される、としている。

ところで、ウィキペディアでは、ラプラスは、「天体力学」と「確率論の解析理論」という名著を残した、と紹介。ラプラス変換の発見者、とも書かれている。現在ベイズの定理として知られているものも、ラプラスが体系化したもので、ベイズよりもラプラスに端を発するという見方も強い、とされている。

また、松岡正剛氏は、http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1009.html
で、『確率の哲学的試論』ピエール・シモン・ラプラス、という記述がある。

『 この、近代国家がひとしなみかかえる問題を、片っ端からその原理原則に戻って検討し、そこにひそむであろう根本ルールに挑んだ数学巨人がピエール・シモン・ラプラスだった。株価・出生率・失業率・金利問題は、すべてラプラスがとりくんだサブジェクトだった。』

『ラプラスが『天体力学』の中核部分を書いたのは1802年である。この19世紀の初頭という年代が重要だ。時計の針はナポレオン時代のフランスをさしている。』

『『天体力学』が何をはたしたかといえば、ニュートン力学から導かれうる諸原理が、これでほぼ全面的に惑星系にあてはめられたのである。それ以前、万有引力の法則が何にもまして正しそうであることは知られていたのだが、ニュートン自身は太陽系が最終的に秩序を保つには「神の覗き穴」が必要だと思っていたのだし(『プリンキピア』第3篇にはそのことが書いてある)、オイラーは月の運動の微妙な変化を説明できる方法がないことに困って、はたしてニュートンの理論だけで惑星と衛星の関係が数学になるのか疑っていた。
 それらの疑問を晴らしたのがラプラスである。惑星や衛星の摂動計算をめぐるラグランジュの協力もあって、大半の誤差の修正もやってのけた。』

『数学によって宇宙や世界のしくみを証明してみせることは、イギリスもドイツもフランスも、国家(王室)の威信をかけての計算合戦だったのだ。いまなら原油を押さえて石油製品技術を競う、より強力な軍事兵器を開発する、ゲノム解読によってバイオ産業の独占を謀る、コンピュータのOSも回線も基本ソフトも牛耳る‥等々の、ようするに国家が他の国家に勝つための根本シナリオなのである。』

『こうしてナポレオンとラプラスは(そしてベートーベンは)、「全体というシステム」を記述したいという理念と野望を、まったく同時期に現実化したわけである。ラプラスは『天体力学』の序文でナポレオンを口をきわめて賛美する。
 しかし、ナポレオンはまもなく失脚してしまった。ラプラスは驚いて(ベートーベンも驚いたが)、新たなエディションの『天体力学』から序文をすっかり削除した。ついで書きあげたのが本書『確率の哲学的試論』なのだが、そこでは献辞はナポレオンではなく、ルイ18世の名になっていた。ラプラスにとって、「事実の体系」を知るべき相手はつねに現実の世界制覇者でなければならなかったからだ。ラプラスを読んでいると、こうした科学と国家の接近にしばしばピンとくるものがある。』

『こうした確率の値にも、連続的な確率変数もあれば離散的な確率変数もある。なんでも確率でわかるというのではなく、どのように確率に対する態度を決めればいいのかというのがラプラスの成果だったのである。ようするに世の中の一部の現象をしかるべき「確率モデル」として眺める方法を提案したのだった。これはのちに行動科学や経営学において「意思決定モデル」にまで発展した。』

なかには、このような解説も。『 ちなみに検定と推定のちがいは、こうなっている。さまざまなデータ(情報)が生じる母集団のすべてをチェック対象にできないとき、そこからサンプルを取り出して母集団の特定の傾向を調査判断するのだが、このばあい、あらかじめインディケータを設定してから確率モデルにあたって統計的な操作するのが「検定」で、これは計算者の仮説を実証したいときにつかう。一方、「推定」というのは、なんらかの計算によって母集団そのものがどういう特徴をもった母数であったのかを見いだすのが目的になる。』

さて、『最小二乗法の歴史』(安藤洋美)の9章は、「ラプラスの最小二乗法」であり、
1 ラプラス瞥見
2 天文学と偶然性
3 特性関数の導入
4 最小二乗法のラプラスによる第四証明
5 ラプラスの最小二乗法
6 「確率の解析的理論」1812年

となっており、さらに10章も「ラプラスの推定論」でやはり6小節にわかれ、ルジャンドルのわずか2小節の記述とは段違いである。そして11章で、「理論と実際の比較」となり、ベッセルと確率誤差、ガウスと確率誤差、ベッセルの正規分布当てはめなどの小節がつづく。12章が「ガウスの貢献」、13章が「正規分布の付加的証明」、14章が「根源誤差の仮定」、最後に補遺として、「ド・モルガンと最小二乗法」と「ベルトランと最小二乗法」が続く。一筋縄では行きそうにない、恐るべし!「最小二乗法」ではある。


なかのひと


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日曜日, 5月 25, 2008



昨日は午前中早い時期の降雨を見込んでいたが、降りだしたのは夕方から。それで、日曜日にずれこんだ雨は、朝からよういに止みそうも無い。出発は13時頃かと天気図を眺めていたら、意外に早く10時半には止んで薄日も射した。これはラッキーとばかり、もう一度天気図を見ると、南のほうはまだグズつき気味だったが、埼玉北部は心配なさそうなので、出かけた。

レッドバロン和光にあるという、sho様たちご一行のツーリング記録を拝見するために。週末にアイドリングを上げ、操縦感がかなりかわったので、様子をみるにも丁度良い距離とばかり出かけた。アクセルを開けないでも走ってくれる感じで、なれるのに時間がかかったが、アイドリングが安定していて、止まっていても拍子抜けするぐらい楽である。今までは、かなり止まらないようにアクセルを開けて、回転調整を手動でしていたのだから、馬鹿げている。燃費にもほとんど影響しないようだし、・・・・。

良く降った後なので、車のはねる水しぶきが顔に少量ながら当たるが、大宮区あたりから無くなっていたが、和光に近づくと回復の遅れのため、また少し水跳ねがあたりだしたが、空模様はうす曇で何の心配も無くレッドバロンさんに到着。

客はすくなく、商談中の方がお一人。二階までまわりきょろきょろしていると、怪しまれたのか若手の店員さんが近づく。その方に出会うのと、ツーリング写真コーナーを見つけるのとほぼ同時だった。それまでは、値段と程度を見比べながら、目の保養を楽しませてもらった。

50円の自販機も、ちょっと見には発見しづらい位置にあったが、さすがに今回は試しすことは無かった。若手の店員さんはIさんといい、CBR600をまだ慣らしちゅうだとのこと。明日はまた皆でツーリングとか。良かったら、ご一緒にいかが!?といわれたが、平日の休みは、まず無理なので、事情を説明してご遠慮申し上げた。


このコーナーの写真も許可を得て撮らていただいた。リーダーの「かねごんさん」も教えていただいた。この前のツーリング帰りにはおみやげも頂戴したなどという話も。私はこの年配の方ですかと思って聞いたのだが、全然違ってお若い方だった。ヤマハのオフロード車を最近購入された方で、一発回答となった。あの方なら、この写真の人です、と。

ツーリング参加者には女性ライダーさんも複数おられた様である。詳しくは、見ている暇が無かったのだが。sho様と思われる写真もあったような気がする。めがねの方が他におられないようなので。店員さんも、他の方のお名前は、最近入社したばかりだし、存じ上げないご様子でした。もちろん、目的はあくまでツーリング写真を拝見する、という純粋な目的で出かけたのだが、sho様まで分かろうとは、予想外でした。しかし、前回といい、今回といい、雨男さんがおられるのか、それともたまたま最近週末が悪天候なのか、不運といえば不運。

レッドバロンさんは、平日にツーリング計画を立てたという。空いた日に観光地を含めて、好天の日にツーリングすれば、それこそ別世界を味わわれることになろう。無事をお祈りする。http://www.geocities.jp/shonaka2001/


帰りは、途中で少し過熱気味になった。やはり時間がたつといろいろな特性が顔を出してくる。しかし、そのうち慣れてきて心配するほどでもなかった。途中昼飯をすましたあとは、極めて快調そのもので、軽く回ってくれた。900回転に設定したつもりでも、今日は過熱したせいか、ほぼ1000回転弱で、針も安定して静止状態だった。まったくのラクチン運転ができることを再発見。


さらに夜帰る途中、エンジンがばかに調子がいい。しかも通勤コースなのに、半分を過ぎても水温計の上がりが小さい。アクセルを開けなくても勝手に回転が上がる、感じ。そこで、はじめて過去最高の17.1キロを記録した夜も、今回と同じ過熱走行の後の、クールな夜の走りだったことが思い出された。

そうだったんだ。かってホンダが普通4輪を売り出したときに、水冷といっても結局は空冷です、なんていうキャッチコピーで放熱フィンの内側へ強制的に対流を送り込み、ラジエーターなしのモデルを出したことがあった。しかし、時代の大勢で水冷化へ。いっぽう、CB500が出たとき、夜と昼とではエンジンの回りがちがい、昼間はあきらかに過熱気味という指摘がバイク雑誌に載ったことがあった。そして今日の体験をかみ砕くと、水冷といっても空冷で、水温計の針が昼間は真夏並になったが、まあまあ過熱気味でもこんなもんか、という感じで回ったが、夜は針一本分上昇が通常より少なく、そういうときにかぎってトルク上昇を体感させる軽い吹けあがりを起こしていた。今、ただいまの定地燃費を計れば、昼間よりも段違いにいいのだろう、と
思いながら帰宅した。

やはり慣らしには一年ぐらいかかるかもしれないな、と思ってもみた次第。


なかのひと


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土曜日, 5月 24, 2008



ミラクルパワーの単独装着から、徐々に個数を増やして、様子を見たが最初に1番シリンダーへの装着が一番効果があった以外は、後はどれも特に顕著な改善効果はあまり感じられず、とうとう再びすべて使用することとあいなったが、過熱現象は現れていない。

思うに、アースを積極的に採用していた当時は、ミラクルパワーに関係なく徐々に過熱現象が現れていたので、誤った判断をしていたのだと思う。ノーマルのアースに戻したところ、過熱現象は特に現れず、ミラクルパワーを追加していっても、結局問題ないようだった。

4箇すべて装着すると、各ピストンが思い思いにそれぞれ勝手な方向でゴロンゴロンと回っている感じがしたが、一日ほどたつとその現象は消え、スムーズに回る感じに変化していった。

ただ、アイドリングが低いせいか、かならずと言っていいほ交差点などで止るとエンスト。最初は、各ピストンがシリンダーとの馴染みがないせいだと思っていたが、適性アイドリング回転数は、1000回転±200回転ぐらいなはずなので、とうとうはじめてアイドリング回転を適性レベルに調節してもらった。



頼んだら、あっけないほど簡単に素手でキャブの下にある手回しネジを締める方向で回すと、アイドリングが上昇すると教わり、800回転にしてもらった。

一個しかないネジを回すだけで、4箇全体の調節ができるとは知らなかった。これで、燃費がどう変わるかも興味の対象だった。単純に考えれば、常時余計にガソリンが流れるわけだから、マイナスだと思っていて、なかなかアイドリング回転に手を付けなかったわけだったが、アイドリング回転系のガスは、結局その後のアクセルのあおりと関係し、トータルでアクセル開度がおなじならば余計に食うことになるが、僅かでも少なければ、却って差がないか逆にプラスにもなりえる可能性もある。

バイク屋さんはいつもそうなのだが、物すごく空ぶかしをして、まるで早く壊れといっているかのごとく急激にアクセルを煽る。すると、昼間でもはっきりわかるほど、黒煙を吐くジーゼル車のような、黒くはない、焦げ茶色の煙をモクモクと出し始めた。あれ、こんな煙が!というと、バイク屋さんは、あ、ほんとだ、とさらにガンガン空吹かし。これでは、そうとうガスが濃い可能性があると言っていた。

しかし、しばらくすると吹かしても煙が出なくなり、どうやら、いつも大人しく運転していたので、積もりに積もったカーボン類が吹き出したようだと分かった。バイク屋さんは、オイル上がりだと、オーバーホールが必要などと説明するのだが、オイルはほとんどいままで減ってきたことがない、とお礼をいって引き取った。

その後、走りだすと随分操縦感覚がちがう。やはりというかとうぜんなのだが、あまりアクセルを開けなくてもいいような感じすらする。それで、燃費テストをしたら、16.3キロだった。そのため、さらに900回転程まで回転をあげてみたら、さらに乗りやすい感じになった。


なかのひと


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水曜日, 5月 21, 2008


以前から気になっていたのだが、ずっとKTMの950CCバイクが置いてある。しかも、ほぼ新車。よくバイクがいろいろと変わるので、目の保養にはなっていたが。約100馬力近いVツインだとメーカーカタログには書いて合った。馬力規制がなくなり、国産1300でも130馬力とかいう時代、950で100馬力と言うのは標準的な値となってしまった。我が愛車、1000で93馬力と言うのは、かなり控えめな馬力と言うことに。しかし、不足は感じていない。ハーレーの1200XLでは、たしかハイオク仕様で、67馬力ぐらいだったような気がするが、それは初期のホンダナナハンと同レベル。乗っていて不足は感じないといえば嘘になるが、日常的にはまったく不足はなかった。


セローに長く乗っていて、四輪ドライバーの友人に、オフロード車(バイク)は、フロントタイア約1万キロ、後輪で1.3万キロぐらいで寿命が来る、といったら、ずいぶん乱暴な運転をしているな、と言われてはじめてオフロードバイクのタイヤの寿命の短さを改めて意識した。4輪とくらべて接地面形状の特徴から、面にたいして点的に接地しているし、オフ車はさらに接地部分が大きな水はけ用の溝で少なくなるから、必然的に摩耗しやすくなるのだと。

ナナハンが出たとき、煙が出るほど加速して乗る人のタイヤ寿命は4000キロで寿命が来る、などと言われていた。その頃は、乗っても見たが、650か450位で充分だろう、と想像していたが、25位から500〜650でもちょっと物足りないと感じるようになっていた。250での経験からナナハン以上のバイクの、回さずに速い運動特性をいやというほど、都心で感じた結果だった。

CB1000SFの場合、2000回転強で、60キロ。速度計の針は回転計の1.5倍ほど上を向いている。CB400SFだと、60キロ、6速でも3500回転はまわってしまう。400×1.5=600となり、1000ccとの差は縮まる。それで、燃費は400ccが仮に20キロとしたら、12〜3程度でも文句は言えない勘定になる。実際は車体がさらに重くなりさらにハンディがつくのだが、吹かし具合が400のほうが頻繁で、ついつい回すことになるから、リッター以上のバイクでも、15〜18ぐらいは稼げるようになっているのだろう。

昨夜もsho様の1300について、年間の平均燃費を計算してみたが、17キロ弱。最近はミラクルパワーを使用したせいか、さらに向上し、先日は一般道で20キロを越えた、という。
http://www.geocities.jp/shonaka2001/

こうした傾向が窺えるのに、我がバイク、にんじん君をつけたにしても燃費が、悪過ぎる点は否めず不思議だった。ただ、時々いいときがある。それが不思議でならなかった。事実を正直に見る、ということは簡単なようでいて、実は以外と難しい。それで、いつも原因がわからず中途で放りなげていて、かなり時間がたった。

それで、今日昼間ふと思いついた。我がバイク、最初に燃費不振の原因として昨年推察したのは、4気筒のう少なくとも一つのシリンダーで爆発不良があるのではないか、ということだった。未燃焼ガスらしき匂いが強過ぎると思ったからだった。にんじん君をつけたらだいぶ減ったが、まだ一部残っていた。ただ、ミラクルパワーだけで走ったときは、匂いは全然しなかった。ただ、にんじん君と併用すると、過熱して返って燃費が落ちた。それで、にんじん君のアースセッティングをいろいろと試しよさそうな結果がえられたので、
期待して再び買ったのだが、宝の持ち腐れとなってしまった。

一度に4箇、すべてのプラグコードにミラクルパワーを付けるから過熱するのであって、たとえば爆発不良のシリンダーのプラグに一個だけつけたなら、過熱せず効果が期待できるのでは!?というもので、仕舞っておいたミラクルパワーを一個だけ取り出し、握りしめて車で会社へ行った。昼間、仕事の合間にどこから付けるかいろいろと考えたが、ひとつづつ試すしか手がなかった。手間がかかるな、と思った。それでも、不良シリンダーが仮にあって発見できれば、それに越したことはない、と思った。いよいよバイクで帰るとき、仕方なく進行方向左から1,2,3,4としたとき、一番に一個だけミラクルパワーを付けた。たまたま納品封筒も一通預かったので、それを届けて帰るには、ちょうどいいタイミングとなった。

走り出して、すぐに何かトルクが出ていると思った。しかし、交差点ではよくエンジンが止った。ある程度暖まってからは水温計の針はそれ以上上がらず、その後はスムーズにまわって、力がある感じだった。

それで、セルフによって燃費を計ったら過去最低の12.8キロだった。しかし、ミラクルパワーを付けてから30キロ程度、悪燃費の大半80キロは未使用だったので、この感じならイケルかもしれないと、そのままホットスタート。かなりよく回るし、回して走って40キロで給油したら2.5リットルで満タン。それで、16.0キロという燃費。過去最高ではないが、はじめて買って乗ったときと同じくらいのごく普通の感じで飛ばして走って16キロなら、上記の計算通りの値の範囲に収まっている。

実は、封筒を届け終わった時点で、気になり匂いをチェックしたが、かなり減っていて、交差点では一度も感じなかった。今後の経過を見守る必要があろうが、どうも一番シリンダーの点火装置が不具合で、気分屋だったようだ。トップ60キロではほとんどエンブレも効かない感じでよく走っていた感じがしたが、80になってもほとんどアクセルを捻る必要なく最低レベルのアクセル開度でも走っているようだった。

最低レベルとは、アイドリングが600回転以下ぐらいなので、交差点で止らぬようアクセルを少しあけて900〜1000回転ぐらいまで少しアクセルを開けた程度の感じである。

翌日はかなり飛ばして14.6、少し抑えて15.5で、まだ、当然ながら慣らしはこれからという感じ。しかも帰りは3番コードにミラクルパワーをつけてしまった。心配したほど過熱せず、ということは効果は薄いのだろうが、バランスがよくなったような気がする。もう一個追加するとしたら、2番か4番か、一個づつ慣らしの経過を見ながら追加する楽しみが増えた。


なかのひと


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日曜日, 5月 18, 2008

今までの燃費テストを総括する意味で、再びミラクルパワーを試す気になった。

単独での走行試験は一度もしていない。にんじん君についても、つけたらそれで
終わりではなく、
その後いろいろな情報も入ったりして、効果の評価についても二転、三転したり
した。

ただ、にんじん君はモニター募集期間は終了したようで、製品版が約5000円アッ
プの二万弱で発売されだした。私とのメールでのやりとりも、実名こそふせ、他
商品明はたとえばミ●ク●パワーなどの伏字にしただけで、堂々とお断りも無く
(いい意見は発表させてもらうかもしれない、というような断り書きは、製品試
用レポートにはあったが、モニターである以上、多少のことは致し方ない。)
ネットで公開されていることも分かった。

具体的な燃費をきちんと書いた報告はバイクの場合、にんじん君についてはほと
んどなく、結果は予想を
超えていい感じなのですが、まだ、正式に燃費は計っていないので、そのうち
計ってみます、などという類が多かったので、メーカーさんとしてももう少し具
体的な結果が欲しかったのかもしれない。

今では、あやふやなことと、はっきりしたことがかなり明確になってきたので、
経験の範囲でいろいろと感想をのべることにする。

各車の使用状況、履歴が異なるので、その辺の背景も含めてどの程度事実を正確
にお伝えできるか心もとないが、アースにしてもネット上ではいろいろある。で
きるだけ、『帰納的』ではなく、『演繹的』に書くよう心がけたい、と思う。

ミラクルパワーも、返品保証が付いていて、効果がなかったら返金くれるとい
う。短期間であったが、単独でも、にんじん君との併用においても、目だった効
果はあまり感じられなかった。燃費のみの話では。

つけた感じはかなり良いように思った。さらに、シリンダーヘッドからのアース
も、オリジナルアースと直結させると、プラグコードから火花が散っているので
は錯覚するほど、ダイナミックな爆発感覚を味わうことが出来た。

はっきりしていることは、私のCB1000SFの燃費は装置云々よりは、アクセル
開度にのみ直接依存している、ということである。これが、にんじん君の評価に
時間がかかった、ことの主因と思う。



それだから、たぶんそうでないCB1300SFなどでは、いちだんと燃費が向上し
てくれたのだと思う。
発売当時のバイク雑誌のCB1000SF(後期タイプ)では、テスト全工程での平
均燃費が13.0だと出ていたが、率直にうなずける値だと思う。私の場合、13キロ
後半当たり、ミラクルパワーつきで、14キロ中ほど、にんじん君で15キロ〜16キ
ロ代ぐらい。

にんじん君で17.1キロ以上ということもあったが、まだ再確認はしていない。ア
クセルを少しでも油断して開けて気持ちよく走ってしまうと、とたんに燃費が落
ちるから、好燃費の後は、得てして悪くなりがちである。

つまり飛ばしたら、その辺の雑誌に近い値にすぐたやすく戻る。アクセルにメモ
リでもつけようかと真剣に思うこともある。手の感覚だけではなかなかわずかの
差を感じ取れない(感じ取っているつもりでも)。

にんじん君の場合は、60前後ではしっているかぎり燃費はわるくないが、渋滞、
高速、カーチェイス的な走りになれば、元の木阿弥となってっしまう。

いままでのにんじん君の燃費の大半は、独自にアースも併用しての結果であり、
純正のみのアースでは試していなかった。シリンダヘッドからのアースもクラン
クケースに間接的にとるほうがエンジンが過熱せずよいと思っていたが、それで
も加熱しているとだんだんわかり、今では、純正のアースのみで、にんじん君を
試している。今のところ、今日一家であるが、コールドスタート二回のコースで
15.75キロと出た。

ミラクルパワー除去直後で、エンジンはがたがたでスムーズではなかったが、健
闘してくれた。一度そういう状態を経過した後、エンジンはかなりスムーズで、
よく回るようになるが、これが曲者で、あくまでフィーリングと燃費は別で、つ
いつい開けてしまう誘惑に打ち勝たないと、にんじん君でも燃費はよくならない。


アースをいろいろと試したが、結局ノーマル以外は外した。なぜかと言うと、にんじん君との併用では、効果が強過ぎるのか、熱をもって過熱気味となり、結局悪燃費となるから。ミラクルパワー単独でが、強いアースをつけてもそういうことはなさそうだったが、私のバイクには現状では、にんじん君には勝てない。

その発熱は、数日しないとわからない。そのくらいで長距離走っていたりする場合に顕著になってきたりするから、油断がならない。それで、ミラクルパワー単独使用時に、本来のアースとつないだ以外は、今は遊ばせてある。

今日も朝比較的好燃費だったが、帰りは、いろいろとあちこち雑用で立ち寄った後、発熱しだし、ミラクルパワー同様、調子が悪くないのに、交差点でプツンとエンストしたりしている。アイドリングはそういうとき600回転ぐらいで、回転計の針が大きく揺れている。

マイクロロン処理後、アイドリングが1000回転前後から800回転ぐらいに下がりその後改善しない。この点も気にはなるところで、通常回転は摩擦が減って上がることがある、とされていることと正反対。

エンジンは静かでいいのだが、ピストンの具合がどんどん変わるように思う。熱の状態でもちがうのだろうが、調子良く回っていると思っても、60キロ走行時のアクセル開度が微妙に違うようだ。もちろん、より少ない開度がいいに決まっているが、ピストンの具合で、飛ばさないにしても、エンジン好調と感じる開度が微妙にことなるようで、感覚的に好調と感じるところまでは、どうしてもアクセルを開けてしまうから、その都度
大きく違う。その辺の感覚がようやくわかってきたようだ。

まだまだ、この問題の追及は、続くだろう。当分は、にんじん君と付き合うつもり。本格的慣らしはこれからの段階。


なかのひと


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月曜日, 5月 12, 2008


母の日に、それとは知らずに映画館へ入ったら、なんと「母べえ」を上映していた。
連休も出勤で、土日は久しぶりに休みをと思っていたら、忘れていた仕事が出てきて、雨も降るし、土日も会社で仕事。

午後には薄日も差して仕事も後は平日の調査だけとなったので、疲れてはいたが出かけた。頭の中がごちゃごちゃで、リバイバルのサウンドオブミュージックがまだ上映中とばかり思い込んで子供の頃見過ごしたつけをいまこそ払わんと出かけたので、看板など見もせずに入館してしまった。予告編で、どっちみち見ると決めていたので、抵抗無く受付を通過。

受付はあと30分で終わりますから、暫く待って最初からきちんと見るほうがベターだと行って、なかなか途中入室を許可しそうもなかったし、一足さきに入ったカップルはじゃあ、といって表の喫茶店に出て行ったが、私はねばり入れてもらった。初めてこの映画館に桶川方面から来たらしい。会員証に住所を書き込んでいて、受付が年賀状も届いたりしますから、と説明をうけている。私には初耳。スタンプが7個だかたまると一回無料で観覧できるらしい。私はあと一回でその身分に。予告編をみたら、また「いのちの食べ方」を再映するらしい。

私はチベット映画が二本も候補に上がっているほうが興味があったが、それに決まるかどうかはまだ先の話。

後半を先に見た。吉永小百合が、老婆で亡くなるシーンが最後に来るのだが、のどの弛みやしわといい、これが本物のあの吉永小百合かと驚いて、代役が出演かと思ったが、どうも本人らしい。まあ、顔のほうはほとんど目を閉じていてはっきりしないのだが、やはり面影は残っている、ぐらいの程度だった。

30分ほどまたされて、正式に始まった。新聞をためておいて読むとき、古いほうから読むよりも、新しいほうから読んだほうが分かりやすいというが、そんな感じがした。

それで、比較的いろいろと落ち着いて観察できたと思う。時代設定は昭和16年、17年。戦争前夜、開戦、シンガポール陥落あたりが中心で、後は終戦直後とヒロインの老衰死。

左翼すじの山田監督作品なので、仕方がないのかもしれないが、帝大の講師だか助手だかの経験の物書きの先生が、治安維持法違反で、著作物の発行停止をくらい、拘置所ぐらしで、やがて、衰弱死するという設定には違和感が。東大時代にドイツ語を教わったという経歴の持ち主が検事役で、あなたの書いた転向を示す文章、あれでは転向したとは認めがたい、と話しかける。日華事変をこたびの戦争、などと書くようでは駄目で、聖戦と書く様でなくては、などと話している。

死刑にはなったが、朝日新聞の尾崎は身分を偽り政府のブレーンとなって、日本がアメリカと戦争し早く負けるようにとゾルゲたちと画策していた時代である。そのあとに赤色革命を起こして、・・・ともくろんでいたらしいが、ソ連よりも先にアメリカに占領されたので、生きていたしても夢は潰えたはずである。近衛公は、気がついたら開戦論者ばかりだった、と言っている。スターリン、蒋介石も、日本がアメリカと戦争してもらわないわけにはいかない、といろいろと画策していた時だし、開戦を苦渋の決断とさせたハルノートはソ連のKGBの作成したものだという。治安維持法は悪法でも、無法よりはましだという夫の恩師にあたる先生のもとへ、差し入れ用の洋書を借りに、訪ねた妻、母べえは夫はそんなに悪くないと言い張って会話が成り立たない。差し入れ用の書物に書き込みがあると禁止されるとかで、一家総出で、ページを繰り、消しゴムで消して消して消しまくっていた。

うみゆかばや愛国行進曲などもバックに流れる。吉永小百合がデビューした映画の製作地、川口市で、ロケの大半が行われたらしい。町内会での世話人が、小百合に生活物資を融通する際に、ドイツと組んで英米をやっつけ、その後ドイツをたたき、世界制覇をなどという話を吹き込む。これは、出所がどうも東京裁判で世界制覇をたくらんだという『田中上奏文』という偽メモのことらしい。ルーズベルトもこれを読み、なんとしても日本を叩かなくては、と思い込んだとされる文書。(ルーズベルト秘録、サンケイ新聞社刊)

ところがこのメモには、昭和2年に書かれた会議の様子があって、大正11年に亡くなっている山縣有朋が出てきたりと、日本の事情を知らないものが書いた偽メモ。最近の研究ではコミンテルンがモスクワで作って世界中にばら撒いた、とされているらしい。日本政府は、南京事件と同様、否定しなかったので、真実として流布したが、東京裁判では証拠にすらならなかった。という。(渡部昇一、WILL6月号「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」)

夫(父べえ)が拘束されたあと、教え子の書生役として、一人の青年が出入りし、一家を助け交流を深める。ドイツ語で歌う、菩提樹はよかったが、一番だけというのは惜しい。
ヌン ビィン イッヒ マンへ シュテュンデ エンテフェールト フォン イェ~ネン オールト・・・というところが好きなので。

実際には写らないが、軍用バイクの音とか、いろいろ細かく行き届いているようにも感じる部分が。実際には奄美大島だというが、江ノ島海岸での海水浴、上空を通過する軍用機の編隊を、ヒロインはふと上を向いて眺めるが、その目は不吉なもの見るかのような陰が。軍用機の塗装は、ジュラルミン丸出しの銀白色で、坂井三郎の乗ったゼロ戦も、当初はその色だった。迷彩色やグリーンなどの色は戦争後半かららしいが、そのへんもちゃんとしていたような気が。

出征軍人たちを見送る品川駅頭でのシーンもそれなりに見ごたえがあった。少々大げさな気もする憲兵らしき人物もいたが、場所は伊豆の大井川鉄道の駅を借りての撮影だったそうだ。ここでは静岡県人が多数出演、援助をされたとか。
懐かしいものを見るような気が。戦後生まれだが、戦前の気分がまわりに濃厚に残っていた時代に生まれたし、校長や教師たちはみな戦前の教育を受けた方ばかりの中で育ったのだった。

書生の山崎青年も、帝大生らしく見えたし、セットも子供の頃の家並みとダブル。当時角帽をかぶった東大生が近所にいて、いつも折りに触れて眺めていた所作とも共通の雰囲気がしないでもない。他大学生たちもいたし、彼らの動きとともに、言葉遣いが今でも耳にこだましている。あの当時の大学生といえば、子供の目にも他とは一味ちがう何かを感じていたと記憶している。


なかのひと


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月曜日, 5月 05, 2008

健康診断で訪れた病院の待合で、かいま見た記事。(UP No.427、2008) 『卵子の染色体型は常にX,男性の方はXとY、一度に放出される何億もの精子の 半数がX,残りがYで、 激烈な競争の結果、最初に卵子に到達したのがXであれば、女性、Yであれば男 性が生まれる。』 で始まる書き出しで、福岡伸一氏がヒト染色体のXとYの写真をのせて、漂白された名前と題して 生物学のアンサングヒーローたち(謳われることなき英雄)のシリーズで性決定の秘密を最初に探った 米国人女性のことに触れていて、驚いた。 『今から100年以上前、彼女、ネッティは米国の小さな女子大の補助教員だった。 40歳にしてはじめて得ることの出来たささやかな職だった。』とある。何やら米国の独学科学者の伝統を 感じさせる出だしである。 自分だけの時間を持てる夜になって、彼女は顕微鏡で一心に覗く対象があった。『ゴミムシダマ シ。設備も資金も十分にない彼女にとって唯一実験材料として使える対象がこの 虫だった。』ゴミムシダマシとはカブトムシの仲間の小さな甲虫のことらしい。 『精子と卵子を採取して、彼女は来る日も来る日も顕微鏡で観察した。』 『今日私たちがXとYとよぶ性決定染色体を始めて発見したのは、紛れもなくネッティだった。』そうだ。 『彼女の名前は、彼女の切実さとともに教科書から漂白されてしまってひさしい、』 という。 ネットで調べようとしても日本語では一件もヒットしなかった。

http://en.wikipedia.org/wiki/Nettie_Stevens

『She discovered that in some species chromosomes are different among the sexes, by observations of insect chromosomes. The discovery was the first time that observable differences of chromosomes could be linked to an observable difference in physical attributes i.e. if an individual is a male or a female. This work was done in 1905.』


ところが、今日の朝日新聞には、ネズミの仲間にはY染色体なしに雌雄がきまる種類がいるらしいことを紹介していて、驚いた。

そもそもY染色体は約3億年前に現れ当時は1500ほどの遺伝子があったとされるが、現在は50ほどまでに減った、という。一千万年後にはY染色体のすべてが消失するかも知れないと言う予測もあるという。これ歴史をたどれば、雌雄の別は3億年前からあったとすれば、ここでのネズミのようにY染色体とは別の要因が性決定にからんでいる可能性があり、これまでの定説が教科書から消える日がくるかもしれない。

秋篠宮家に男子がお生まれになって、性急にすすめられようとしていた女帝論が下火になったことは個人的にはよろこばしい。まさに天佑とも思える。現在の愛子内親王殿下をどうしても天皇に奉戴したいのであれば、
女性天皇にはご懐妊の禁止が古来よりの法である以上、「生涯独身でもよろしいのですか」「絶対にこの法は守っていただきますよ」とそのご意志を内親王御本人に確認するのは当然であり、と中川八洋筑波大教授(英米系保守主義の政治哲学・憲法思想)は、『皇統消滅』ビジネス社、渡部昇一氏と共著、で述べている。

GHQの内部文書でさえ、男子のみの皇統を認めていた、という。愛子内親王は、小和田Xと正田Xしかなく、神武天皇以来受け継がれたY染色体を欠いている。女性天皇ともなり、朝鮮人の婿さんでも入れば、日本の皇統は途絶えてしまう。これから16年後の愛子内親王殿下のお相手が「旧皇族」という限定された数の中から決まるはずと思い込むのは、三億円の宝くじに必ず一年に3回も連続してあたるからと9億円のフランスのシャトーを購入するのを提案する、妄言奇想よりひどい、というたとえ話をしている。

女性天皇論は、ジェンダー・フリー(性差破壊)革命のひとつだと断じている。

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日曜日, 5月 04, 2008

ゴールデンウィークの真ん中でも、今日も会社で残務整理。

だれもいない会社は、静かで表の旧県道を通る車やバイクの音が、時折ひときわ耳に付く。調子よさそうなバイクの走行音などを聞くのもいいものだが、そういう事例はめったに無い。たいていは騒音でしかない。しかし、バイクのりであってみれば、バイク音にはどうしても関心が向く。車種特定とまでいかなくても、乗り手の気分まで想像できるような事例も多い。

昨日も、二日の朝までに納品されているはずの封筒が車内で見つかり、焦った。連休で担当者が送る側も受ける側も休みで、連休開けになってしか納品されないらしい。それでも夜間ポストに入れておかなくては、と幸い雨の心配もなく、バイクで配送。気になっていた燃費を測定したら、依然として15キロ前後と良くない。これでは、いくら音がいいとか、感じがいいとか言ってみても、始まらない。あの16キロ代や17キロまで行った好燃費はどこへ行った!?

休みも仕事といっても、やはり連休の影響で、体も心も休まってきた。そして朝起きると、また、アース系をいじってみようと思い立った。シリンダーヘッドからのアースは効果があることははっきりしたが、前回最高燃費は、あまりアースの効果が最善とはいえない状態で得られたものだ。

そんなことを考えていて、朝目覚めると、すぐまたアースの取り付けを変更することを思いついた。せっかく苦労してつけたシリンダヘッドアース、そう簡単にあきらめるわけにはいかない。

それで、いきなり従来のアース取り出し部につなぐようにつけていたシリンダヘッドからのアースの端子を隣のボルトに付け替えた。どっちみちセルモーターの基部でアルミを主体にできた部品だろうが、いきなりでは強すぎると思ったので、水増ししたわけで、一部は今までのアースにもいくが、大半はクランクケース全体へ・・・、そうなっているかどうか不明だが。

そそくさと朝飯を済まし、エンジン始動。おそるおそるクラッチを繋いでみたら、今までより憩いよく前進することに気づいた。仮説が正しいようだ。それで、いつものコースで燃費テスト。走り出して、アクセルを開けたか開けないかわからない程度の位置で、トルクが明らかに向上している!!!。以前記録したように、まるで2気筒エンジンっぽいフィーリングが蘇っている。これは、きっと好燃費が期待できると直観した。

あとは、結果をみるべくいつものスタンドへ、ところがまだ縄を張っていて営業していない。しかたなく、別のスタンドを探すべく1キロほどいくと反対側のセルフが開いていた。そこで、給油すると、なんとコールドスタートにもかかわらず16.4キロ。信じられないほどだ。一気にリッター1キロ以上伸びた。あのトルクの増加が原因のすべてだろうと思った。

帰りはさらなる高燃費を期待したが、渋滞もあり16.3キロ、誤差の範囲で同レベル。帰りは朝日に向かって五月の早朝の舗装路をたいへん気持ちよく走ってきた。すべてがまぶしく輝いて見えた。

会社で仕事をしていると急にまた最近できた16号沿いの大型店舗付近へ行く用ができて圏央道を川島から乗って出かけた。入間周辺で降りると案の上渋滞で、時間を食いました。そのせいかどうか高速をふくめて15.2キロと落ち込みました。それで、帰りは407へまわり、渋滞もあったが、下の道だけで帰り、燃費を計測すると15.1??おいおい、なんで悪くなるんだと思わず声を出してしまったが帰って電卓で計算しなおしたら、16.25キロでした。たった、一本のアースコードを移動させただけで、昨日まで15キロ行くかどうかの重いバイクが一気に1.2~1.3ほど燃費が向上するとは、さすがにびっくり。

にんじん君本体の能力を発揮させるには、やはり他はノーマルのままがいいのだろうか?アースの取り付け部が錆びていたことから始まったアース改造の試行錯誤、いちおうこれ以上の向上はちょっと無理なのかどうか?また、ミラクルコードなどの効き目がさらに追加されるのか、抑制的になるのか気にはなるが、とにかく偶然だろうが、試行錯誤はうまく行ったといえるかも知れない。

にんじん君ツインパワーGTは。(有)ブリッジカンパニーの製品です。

名古屋のホンダディーラーでは、店で取り付けているとのこと。



今までは、エコボックス同様一個式でしたが、ツインパワhttp://www2.blogger.com/img/gl.link.gifーGTになってから2箇構成の分離式となりました。もちろん効果のない車種も載せてあります(4輪、日産、トヨタのごく一部)。多くの事例では10パーセント以上の燃費の伸びが記録されている。

ホンダ車の例では、馬力が9.2PS、トルクが0.4kgmほど増加したとある。(アコードユーロR2003)
179.5PS->188.7
22.3kgm->22.7kgm

また上記サイトには、アーシングのみでは低速はたしかに効果があるが、回転をあげると中落ちしてしまい、
結局、モニター終了後、購入したという事例などもある。

個人的にはエコボックス(サン自動車)もよかったが、今は軽にとりつけて、通勤距離の長い人に使ってもらっているが、効果を聞くと、びみょ〜とのことだった。


さて、翌日早朝チェーンにオイルを塗布して、出勤前にまた燃費テストにチャレンジ。高速走行でないかぎりかなり良い燃費と思ってしまい、少々ラフなアクセル操作を含めて、どれほどの燃費となっているか、昨夜はさらに夜間にも現地撮影にも行ったりして使用している。

自宅から燃費コースを走行するため静かに走り出すが、なぜか昨日のトルク感が無い。エンジンが温まってきても、軽く回らない。無理に回すと回るのだが、明らかにヒート気味である。

それで、エンジンがやけに静かである。やはり、付けた直後が燃費がよく、その後低下するという印象はここでもまた現れた。あれだけトルク感があったということ、しかも燃費がよかったということじたい、ピストンが過熱気味になるという結果をもたらすだろう。それで、つけた直後から効果はあっても、だんだんピストンとシリンダの当たりが変化してきて調子が変化することは十二分に考えられる。問題は、それが何時まで続き、その間の燃費変化はどうなのか、である。

昨日より少し遅く着いたので、セルフスタンドは営業していた。そこで、満タンにして計算したら、しなくてもほぼ100キロ走行して7リットルだったから、かなりよくない14.3前後で一日にして好燃費がフイになってしまった。

それでも、会社に行かなくてはと、燃費コースを会社へと向かう。それで、少し反省して省エネモードで注意深く走る。珍しく東風で、エンジンは良く冷える感じで、まもなく水温計の針も低めに安定したが、エンジンは少し重い。慣らし運転中なのだろうか。

そして、おとなしく走り、会社近くのセルフで給油したら、16.7777777と好燃費に戻っていた。スタンドが近づく頃、エンジン音が少しうるさくなり、昨日の状態にもどりつつある感じはしていたので、もしかしたら悪くないかもしれないという予感はしていたのだが。

過去にも好燃費は、オーバーヒートをした後が一番良かった経験があるから、(その原因を除去した後)、今回もオーバーヒート気味で、その後ピストンがある程度整形され、帰りは向かい風でエンジンは重い感じがしていたものの、抵抗は少なくピストンが動いたのだろう。

スタンドを出た直後、給油中のエンジン停止でピストンはさらに冷え、ものすごくエンジンが軽く回ってくれた。この状態でずっと走行できたら、そうとう好燃費になるんだろうな、とふと思った。


なかのひと


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土曜日, 5月 03, 2008


明日から連休という前日、会社へ帰る途中部品注文をしたバイク店に連休の間の営業予定を確認するため立ち寄ったら、部品は来ているが、営業は5日も先とあっさりと回答された。今日持ち込むにはいささか混み過ぎているような感じで、リンクロッドではないが、走行になんら支障のない部品(交換は30分強の見込みだという。)である。




珍しく店頭に二台のビッグワンが・・・。一台のブラックは昔sho様が乗られていたのと同型。右タンクに転倒跡あり。もしかすると、同一だったりして、・・・などと思った。
http://www.geocities.jp/shonaka2001/
また、もう一台は、やはり色といい、ミニカウルといい、やはり現在のsho様所有とそっくり。もっともこちらは、排気量も違うし、ここに並ぶわけもないのだが、なぜかしげしげと見入ってしまった次第。

どちらも最終のビッグワン。これが製造されていた頃、すでに現在sho様が所有されている1300の原型は現実のものとなっていた、という次第。

スパークプラグのキャップやコードの色がイエローなので、最終型とすぐ分かる。

それにしても、sho様が手放した黒のビッグワン、まだ現役のはずだが、いまいずこ。

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