月曜日, 1月 12, 2009



旧MacOSでは、各アプリケーションの使用予定メモリー量ををみずから状況に応じて設定する必要があった。これは、メモリーRAMが比較的高価で、搭載RAM量が限られていた時代の名残かもしれない。疑似マルチタスクだったので、メモリー喰いのアプリケーションでは、他のアプリケーションを必要に応じて、終了しなければならないこともあった。

画像を扱うフォトショップやイラストレーターなどでは、搭載メモリー量がすくないと、扱える画像サイズに制限があったり、画像処理に長時間かかる場合もあったようだ。Photoshopの出だしの頃などは、女優さんの顔のニキビを消すのに、たっぷり3時間くらいかかることもあったようだ。一日に数処理しかできない、などと今のレベルからは信じられないほどの、カタツムリ状態だったそうだ。おそらくMacintoshIIの時代のことだろう。その後、東芝のDynaBookが出た頃存在していたMacintoshII fx (MC68030 40MHz)は、速度がワークステーション並みなどと紹介されてはいたが、大変高価で本体だけでも軽く130万円以上は当時の日本でも必要で、私も熱病に取りつかれ、あやうくローンを組むところだった。そのあたりから、徐々にではあるが値段が下り始めていた。梶原教授が、大蔵大臣にお伺いをたてて、MacintoshII siをプリンターとモニター込みで購入された時は、やはり140万円くらいしたらしい(1990年5月)。それに別途MathematicaTheoristなどの購入費がかかる。マックライトなどのワープロは通常最低限ついてくるのであるが、それも代金に含まれる。この40MHDモデル本体でも70万円以上した、という。先生の場合は80MHDモデルであったが、ビル・ゲイツ氏が来日した折り、日本ではHDの値段は金塊レベルだ、という感想を漏らしたとかいう時代であった。

Mathematicaでは、先生と同じ8MのRAM搭載量のSE/30では、問題によっては公式などを大量にロードするので、ぎりぎりかオーバーしてしまうこともあった。それで、英語システムで起動する、などという手も実際ありえた時代だった。
 その点、他のソフトは全般にメモリー喰いではなく、アプリケーションがフロッピー1枚で供給されていて、今から考えると信じられないくらい、つつましいものであった。
 Theoristなどは、コプロのないクラシックマックでも充分扱えるので、学生さん向きであると同時に、一発で回答がでないので、教育的で、大学の教官にも向いている、などというコメントも、梶原先生は残されている。

このTheoristの発売元は、Prescience社で、とうじワープロに挿入する数式を、自由に組むソフト、Expressionistというソフトを先行販売してた。やがて、ワードなどにもこの機能が取り入れれていく。Mathypeとかいうソフトも前後してあった。



ウィンドウズ時代になると、この旧MacOSのメモリー設定の仕方が煩わしく感じ出した。そうした考慮は、OS自身が自動でしてくれる、というのが当たり前の時代となった。その反面、事前に搭載メモリーは多めにする必要があった。だいたいウィンドウズはメモリー喰いといわれ、マックが12MB程度で済むところを16MBは必要と言う状態からスタート、その後メモリーやパソコン本体が徐々に下落し、性能はムーアの法則とかいわれる状態そのままにどんどん向上していった。

ウィンドウズ95が出たとき、物凄く世間の注目を浴びていたことを覚えている。雑誌などでもWinかMacか?などという論争?っぽい記事が乱立した時期もあったようである。アップル社は、MacOSでいえば、システム6.xレベルと判断したようである。当時は漢字トーク7の時代だったように思う。CDROMを真っ先に搭載したのもMacだったが、マスコミで輸入CD媒体にいかがわしい範疇の作品が多いと指摘され、大学でもMacを使っている、というとその方面の情報から誤解され、白い目で見られた時代も一時期あったようである。

タイム誌数年分が、1枚のCDい納められて発売されたのもこの時期であった。書店で買うと一冊720円だったものが、数年分入って8000円程度だったと思うので、買うに越したことはない、と感じていた。

これには動画も含まれており、インチョンインベージョン(仁川上陸)とかモノクロの動画なども含まれていた。

このTIME Almanac 1994、1995はもう旧OSでしか見られないので、クラシック環境の「復活」は、当時ほど重要性は減ったが英語世界へ通じる、一つのどこでも窓(ウィンドウ)である。

なかのひと

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