火曜日, 1月 12, 2010

昨日も、『アザラシの子、千葉の漁港に迷い込み保護』というニュースがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100111-00000288-yom-soci
西岡秀雄氏による『気候700年周期説』には、今よりももっと寒かった江戸時代の記録に、千葉県あたりでも、頻繁に、こうした海獣類の南下が目撃されていた、との記録があった。
また、読んではいないが、原田常治氏による、1200年周期説もあるらしい。

樹木の年輪研究でも、気候の寒暖の変動は解明されつつあり、数百年の単位での変動も読み取れる場合があるという。最近の温暖化の主因にCO2が主犯のように上げられていても、にわかにそれを信ずる気にはなれない。
養老猛司氏などは、タバコによる、健康悪化説などは、意図的に流されているフシがあるとまで言っている。
また、地球の気候変化は、太陽黒点数の増減によっても支配されていることは、比較的よく知られている。元、神奈川大学長の桜井邦朋博士は、長くNASAに滞在し、そちらで研究を続けられた由ではあるが、地球が寒かったとき、という小冊子を執筆され、小生などは多大な影響を受けた思い出がある。

先生はまた、長く在米で研究した結果から、日本語の表記と英語の表記の本質的な差異について、今後日本人にとって、英語での発信がますます重視される中で、このままでは理解される英文までは、達しないと心配され、『科学英語論文を書く前に』なる本まで書かれた。今でも、丸善書店などへ行けば、手に入るはずである。

http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E8%AB%96%E6%96%87%E3%82%92%E6%9B%B8%E3%81%8F%E5%89%8D%E3%81%AB-%E6%A1%9C%E4%BA%95-%E9%82%A6%E6%9C%8B/dp/425410068X

たしか、その中に地球の寒暖の歴史にかかわる太陽活動の重要性を説いたエディ博士の書いた英文も、イタリアからアメリカへ亡命したエンリコ・フェルミ博士らの英文と共に、引用されていたりする。

さらに、サイデンステッカー訳の『Snow Country』と川端康成の『雪国』とを読み比べて、英語と日本語の違いについて、勉強すると共に、タイム誌などをよく読んで、日々英語漬けの生活を送るよう、勧めている。論文などの英語は、中学3年ぐらいまでの英語でかまわないのだが、書くのと読むのとでは、10倍以上の開きがあるので、タイム誌などを普段から読みあれていないと、普通の英語が書けない、というのである。

渡部昇一教授の「知的生活の方法」では、英語の小説を読んで本当に面白いと思うようになったのは、30代も終わり以降だという。知的オルガスムスを求めて、という節では、大学で英語を教えていても、「私の英語は本物ではない」という不全感から解放されなかった、という。

それで、30代も終わりの頃、その不全感に耐えかねて断固とした手段に訴えた、という。(たとえとして、不全感をもって中年の域に近づいた人妻が、アドベンチャーの決心をすることに相当しようか、とある。)

アメリカで、コロンビア大学の医学部教授未亡人のもとで下宿し、そこにあった多くの蔵書の中から、アガサ・クリスティの作品などを読んで面白かったが、探偵小説は、筋がわかれば面白いから、これではだめだと普通の小説で、おもしろいとはどういうことかを実感できるかどうか試行錯誤されたらしい。

あちらの教師に聞いて、面白い小説をあげてもらって読んだりしたが、どこが面白いかピンとこないものが多かったそうである。

あるとき、古本屋で500万部突破というペーパーバックを見つけて、買って読んだら 引き入れられるように面白く、終わりに近づいたら、がくがくと身震いがしてきて読み続ける事ができなくなり、心を落ち着けるために風呂に入り、残りの4ページ半を読み終えてその小説を終了した、という。

その小説で、ついに英語に対する不全感は吹き飛んで、以後続々と面白い小説に巡り会う事になった、という。なんでもそれくらいやらねば、本物にはなれまい、という一つの見本のような話である。

仕事とは別だが、英語で発表しなければならない課題を持っているとき、手っ取り早く日本語を、英語にして済ます、というのも一つの、たぶん多くの人がやる方法かもしれないが、桜井学長や渡部教授の書かれたものは、私にはたいへんフィットする感じがするので、できれば真似たい、と思うのは人情である。

それで、いろいろとタイム誌の英語についても、いろいろと文句をつける人も結構多いのだが、自分はその域にも達していないんだから、と我慢して、折をみてのことであるが、できるだけタイム誌を読むことを心がけた時期がある。当時は、普通の本屋でも、二冊ぐらいは置いてある店も何カ所か回るとあったのである。ベルリンの壁が崩壊する前夜あたりの時期である。今は、そうした本屋でも、まず英語雑誌を置いていないようである。それだけ、皆英語誌などいらないほど英語が上達したのだろうか!?

いきなり英語がスラスラと聞き取れるようになった、などというような促成メソッドの宣伝は多いので、英語への需要は衰えてはいないのだろうが、活字ばなれの傾向は、ここにも及んでいるようである。

そして、数年が経ち、あるときタイム誌の表紙の裏あたりに、もちろん上半身のみであるが、熟年のご婦人のヌード画像とともに、なにやら記事の紹介がしてあった。

なんでも、イタリア人女性らしいが、環境団体(グリーンピースのヨーロッパ支部)のトップの奥さんとのことである。毛皮業者が、北極圏の海で、毛皮の材料となる小動物を撲殺したりしていることで、ミンクの毛皮コートにむらがる群衆心理を逆手にとり、そうした傾向に歯止めをかけるべく敢行したポスター発表にからむ記事のようである。

もうそのときの雑誌は、何十冊(30センチ近かった)もたまり、新聞紙などと一緒に処分され手元にはない。それがどうしたことか、昨日何かの弾みで、その記事のテキストがポロリと画面に表示されてビックリした。何だろうとおもって、そのテキスト文書を開いたら、最後に、以下のような記事が出てきた。

1996年4月1日だから、冗談かもしれないと思いつつ、書き込んだのか、それともタイム誌数年分が入ったCDからコピーしたのかもうわからない。

それで、ふたたびCDをセットし、探したが、1992年のリオサミットの文章は出てくるのだが、後半の1996年の項は出てこない。それもそのはず、CDは1995年までのタイム誌しか出ていないのである。

それで、そのテキスト文書作成のもとになった文章をさがしたら、Nisus Writerというワープロで作成していて、前半は1992年のサミットの話がコピーされ、後半は1996年の街頭ポスター記事があった。この頃、海外で発表する機会が訪れ、その時の予行として発音練習などをしていた頃のフォルダーにそれはあった。1996年3月31日づけで記録されている事から、タイム誌の4月1日号を読んだ直後にちがいない。その記事をみたのは、友人の家に招かれた時のことまで、思い出された。それにしても、タイプミスかなにかで、テキスト文書も作成(2003年頃)しておいたので、Spotlightによる検索でひっかかって、比較的上位にヒットされたのあろう。
ワープロ文書だけなら、多分このまま眠り続けていたにちがいない。なにしろ、仮想化されたHDイメージの中にしかないのであるから。テキストだから、その同名のファイルがひっかかったのである。

かれこれ15年以上のもろもろのファイルが、代々のHDに蓄積されていて、過去のことが昨日のことのように思い出される。パソコンが普及しだした頃は、簡単に可視化できないので、不便でしょうがなかったが、今は、テキストならば瞬時に検索できることに遅まきながら、気がついた。いやはやである。

それで、当時はいったい全体、どういうポスターだったんだろう、と思ったものだが、今や簡単に、グーグルなどで、彼女の名前を、三文字打ち込むだけで、ポスター以外にも、邸宅やら、彼女の活動状況やらが、動画を含めて検索できててしまう時代になった。
渡部教授は、世界中の作品が、ほとんど母国語でよめる国というのは、日本だけのようである、と指摘され、しかし、英語の世界は、その10倍以上の広がりを持っているとも指摘されている。
漢字を使っていることが、どれほど日本にとって不利かわからないと指摘した、梅棹博士の真意は、ローマ字や英語テキストであれば、簡単に検索できるから、ということのようである。

『Talk of the street (April 1,1996)

ROME:Public Exposure
Marina Ripa di Meana, an animal rights activist and the wife of Green Party leader Carlo Ripa de Meana, is not shy about standing up for her beliefs. But never before has she taken such an eye-catching stance. Italy is suddenly plastered with posters of the 54-years-old animal lover, stark naked, pubic hair exposed, and the slogan "The only fur I'm not ashamed to wear!" The ads, sponsered by the International Fund for Animal Welfare, drew complaints as well as ogles. "Advertisers always try to shock you," said teaching assistant Pier Paolo Bucalo. "I think there are ways to get people's attention without offending them." Such criticism failed to disturb Ripa de Meana. "I am engaged in a just cause," she said.』


なかのひと

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