金曜日, 3月 28, 2008

仮説を立てて粘り強く論証

 これまで定説となっていた日本論を覆すような説をたてられる。先生(梅原猛)の研究の基本姿勢とはいったいどのようなものなのか。?(記者の問い)

 『科学というものは、まず仮説を立てることなんですね。つまり、ある現象を今までの学説、旧説で説明しようとすると、たくさんのアポリア(論理的難点)や矛盾にぶつかる。そして全く説明できない。だから、そういう旧説を懐疑して、新しい直感によって、新しい原理をたてる。そして、それを粘り強く実証的に論証していくというのが私の方法です。それは学問というものの態度だと考える。それを教えられたのはデカルトです。』

『つまり、学問の方法というのは、懐疑と直感,そして演繹、実証です。特に、演繹、実証などは一番面倒くさい仕事です。しかし、それをやらないと学問にならないのです。』

などと応えている。ある新聞の学芸欄に出ていた、と思う。

さて、そのデカルトであるが、中川鶴太郎著「ラボアジェ」(清水書院、人と思想シリーズ10、1991年)によれば、

錬金術の遺産は何か、の節で

『「理性の時代」17世紀がきたとき、明証と分析を武器にしてスコラ哲学に戦いをいどんだデカルトは『精神指導の規則』第4則でこんなことを言った。「人間は盲目的な好奇心に捉われている。すべての化学者が幸運だけをたよりにしている。こういう無秩序な研究や不明瞭な省察によって、精神が盲になるに決まっている。暗闇になれた眼は明るみに堪えられなくなる。」

こうして近世の新しい気質の中で、錬金術は次第に衰えていったのである。

ここで、最後のまとめをせねばならない。序章の序章で、「中世は科学をみごもっていた」と言った。では、錬金術は何を残したのか。

それは無数、膨大な実験結果(経験と観察)の集積である。妖術者が実行しようと、科学者が実験しようと、そこに生起した事実は、事実である。千数百年にわたる錬金術の実践の中でランダムに、あるいは系統的に蓄積された諸物質の知見、諸化学反応の知見は近代化学の発展にとって必要不可欠な栄養となったのである。いな、あえていうならば錬金術の諸経験を整理し、体系化したものが、近代化学である。・・・ようやくラボアジェの登場する18世紀となった。』

と。ここでは、近代化学が成立する過程は、膨大な先験的事実を帰納したかのように見えもするが、まず、錬金術的前世紀までの実験も、こうではないか?こうなるはずだという一種の仮説演繹的諸事実の蓄積があってこそのことである。また、それらを整理して、体系化したとはいっても帰納ばかりではなく、天才ラボアジェほぼ一人といってもいい、彼の演繹的推論で、近代化学は誕生したのだということができる。

さらに、『ラボアジェ』を見て行くと、1 アンシャン・レジーム末期、ラボアジェ誕生の章では、
『そして、思想、哲学界ではイギリスのフランシス・ベーコンが帰納法を唱えてイギリス経験論哲学の祖となり、フランスではデカルトが演繹に基づいて理性を導く『方法の序説』を書く。彼らの説く「帰納」と「演繹」は、近代科学の基本原理となって今日にいたるのである。・・・』

『ラボアジェが従来の燃焼論の元となったフロジストン説を論破するせんとする彼の弁証はあくまでも冴え、その気魄は『ソクラテスの弁明』を書いたプラトンを思わせる。・・・・「私がおおきな満足をもって眺めることができるのは、偏見なしに科学を学び始めた若い人々、そして新しい頭脳で化学の真実を追う数学者や物質学者である。彼らはもはやシュタール流のフロジストン説を信じないし、化学というサイエンスを構築するのに、フロジストンの教義は邪魔になる足場だと考えている。」
上記化学を数学者に期待するのは、一見奇妙であるが、哲学者コンディヤックに傾倒していたラボアジェは、常々化学を「数学のような」学問にしたいといっていた。彼が期待した若い物質学者とはラプラスのことであろうか。この論文を書いたとき、ラボアジェは40歳の初め、そして優れた協力者ラプラスは6歳若かった。』



『デカルトは『方法序説』の中で「明確な思想は明確な言葉のなかにある。」と説いたが、同じくコンディヤックも「正しい論証は正しい言葉使いに帰着する。」といった。彼は主著『論理学』(1780)のなかで「怪しい言葉が過ちのもと」ともいった。...記号としての言語は観念の分析に不可欠であるが、さらに進んで科学の体系化を考える場合には、よく整備された明解な言葉は科学の本質ですらある。』

『よい言葉は科学の本質とまで言いきり、「数学のような哲学」を期待したコンディヤックの思想はロックよりも徹底している。18世紀でもっとも進んだ「科学の哲学」ともいえるコンディヤックをラボアジェが如何に高く評価していたか・・・』

そして、コンディヤックはラボアジェに乗り移って「科学革命」を進行させた、と書いている。


化学原論

『自分はいままでコンディヤック神父の著書『論理学』に提起されている諸原理を十分に実現してこなかったと思う。神父によれば、我々は、言葉によって思索している。言葉こそ、分析の真の道具である。神父によれば、最も単純、正確、かつあらゆる表現目的に最もよく適合している代数学こそが一つの言葉であると同時に解析の手段なのである。結局神父によれば、論証の術はよく整備された言葉に帰着する。(l'art de raisonner se réduit une langue bien faite.)』

コンディヤックの最後の著述「論理学」の発行は1780年であり、ラボアジェが化学原論を1789年に
出すまでに10年近く彼の愛読書であった由。

アメリカの研究風土を体験してきた土金氏は、ブルーバックスの中で、こう書かれていた。

研究開発の究極は独創性
1)現象を調べて、
2)仮説を構築し、
3)実験や、
4)観察によって仮説を実証し、
5)結論を出す

つまり、ものごとを客観的にとらえて、論理的に結論を出せる個人が
「PHEOC」人間なのである。この客観性と論理性が、独創力には欠かせないのである。
「自然現象に対して、素直で忠実になることが、創造の基礎である」

ガウスの無類の計算好きが、高木氏もおどろくような種々の計算規則を見いだしていろいろと先へ先へと特殊な計算を検証していたらしい。その結果からある種の帰納で新しい数学の基礎を形成していったから帰納的、と書かれているのであろう(『近世数学史談』、岩波文庫)が、私には、やはり仮説演繹的なある種の好みと勘によって、膨大な数関係の規則を内察していたからこそできた帰納であり、本質は、仮説演繹的ではなかったか。と映るのである。


なかのひと

2 件のコメント:

りぃ さんのコメント...

こんにちゎ

いきなりでごめんなさぃ。

壁紙ってどうやって変えたんですか?

教えてください(><)

nature さんのコメント...

りぃさん、こんばんわ。

そちらのパソコンが何かわからないので、的確にはお答えできませんが、ネットでおしらべになったら、いろいろ出ていますね。

http://www.rd.mmtr.or.jp/~tkhs/free/f07_01.htm
とか
http://www.koujyu.co.jp/kabegami/settei.htmlにはWin、Macとも出ていたりしますから、

フリーもふくめて設定ソフトもいろいろあるようです。^^);