火曜日, 12月 09, 2008


『それにしてもさすが大日本帝国が国威をかけて海外に発信した写真誌「FRONT」である。「TIME」、「LIFE」も真っ青なクオリテイーである。』

『またここに写っている方々のほとんどが英霊になられたはずである。これほど誌上では勇猛に見える97式戦車も英米独露の主力戦車と比べると武装も装甲も貧弱、海軍の戦艦、航空機と比べても開発もなかったのである。若い戦車兵のりりしい顔を見ると複雑である。』
http://www.fushou-miyajima.com/sakuhin/book_081016_3.html

以前から見かけて欲しかった写真書籍であるが、一冊4800円で、少々高い気はするが、中身はそれだけのことはある、と息を飲んだ。最初の出版が、『鋼鉄の最精鋭部隊』(千葉戦車学校・騎兵学校)であり、その裏表紙がブルーのほうであり、ここの敬礼をしている若い戦車兵たちのりりしい顔だちも大変好ましい。昭和16年撮影らしい。しかし、写っている戦車は、古い写真しか知らない目からすると、宮嶋氏は武装も装甲も貧弱とは、ご自身のブログで紹介されてはいるものの、大変に新鮮に映る代物で、ノモンハン事件以後たった二年でここまで成長したのか、とブルッと身震いしたくなる出来だと、素人ながら思ったものである。

最近のテレビ討論でも、おや!?と思ったのであるが、先日のサンケイ新聞「正論」欄で、拓殖大教授の森本氏が、田母神論文を批判して、満州国などは、どう考えても侵略としか言えないし、・・・などと発言されていたことが疑問として殘る。東京裁判でも、あれほど日本を断罪したにもかかわらず、満州国建国などは埒外に置かれ、石原莞爾元中将は、簡単な取り調べだけで無罪放免であった。マッカーサーも彼を法廷に立たせたら、論理的矛盾をつかれやっかいになることを恐れての処置だという憶説もあるが、海軍の将官たちに一人も刑死者がでなかったことの指摘(副島説、および筆者)と合わせて、満州国建国の裏に英国の影が見え隠れすることから、森本氏でさえ、時代的に東京裁判史観から自由でないことを新発見した。なお、ソ連は満州国を承認していた。イギリスはこれをアメリカをはじめ大部分に承認させ、ユダヤ人移住計画を画策さえしていた、というのであるが、アメリカと呼応した海軍が軍をすすめ、国際非難を増幅、ためにリットン調査団を派遣したにもかかわらず英国の裏の目論見は崩れた、というところまで、最近流布され出している。

もちろん、上智大名誉教授の渡部昇一氏は、満州国建国を侵略などという発想は微塵もない。それで、戦後岩波が意図的に誤訳していた「紫禁城のたそがれ」を正式に「翻訳」し直して、今出版されている。東京裁判で、皇帝溥儀氏は、ソ連側の捕虜で、言いたいことが自由に言えず、結果的に戦前の日本の大陸政策が、誤解されたままになっていると、渡部氏は主張されているし、田母神氏もそういう主張である。

ところで、これを書くにあたってインターネットで記憶の確認などの作業中に、また毎日新聞がウソを書き並べていることを告発している長文のサイトに遭遇した。
http://fode.hp.infoseek.co.jp/ItsuwariAoba/ItsuwariAoba.html
である。時間に余裕のある方は読んで考えてみてもらいたい。従軍看護婦の証言がうそまみれだというのである。・・・・

南京事件でも、南京戦に参加していないものが、戦後の時代に迎合して、ウソまみれの虐殺話を作り上げ本にしてしまい、現代史家の誉れ高い秦郁彦教授が、引用文献として全面的に信用して氏の著作の、南京事件での市民虐殺数を4万人前後と推定したりという笑うに笑えない裏話が暴露されたりしている現代日本である。東京裁判史観のメッキがはがれないように、GHQは大量の焚書を行い、日本人の記憶の覚醒を思いっきり妨害していることも、西尾教授の最近の著作で明らかにされつつある。だいたい、防大の校長自身がかっての猪木氏といい、五百鬼部氏といい、左翼史観の持ち主であり、週間新潮でも批判されていた。

田母神論文は、東京裁判史観批判であり、村山談話の批判などしていないが、その根底にある日本人の刷り込みを批判しているので、政府としては放っておけなくなったのであろう。

小室直樹氏の著作『これでも国家とよべるのか』クレスト社、1996
では、『第一章 謝罪外交は国際法違反』とあり、

無知・無学の日本の政治家・マスコミ人を告発するという副題がついており、その内容は

致命的禍根を残した「首相書簡」

第一次世界大戦まで侵略という概念はなかった

韓国併合条約は明白に合法である

「民族自決」の意志も能力もなかった朝鮮人

英米中露は今なお植民地主義の権化

朝鮮半島に国家は存在していなかった

とある。

さらに、真ん中辺にやはり、暗号文書通告の遅れという致命的失態について、縷々述べられている。これも、東京裁判史観とは逆の意味で、もう史観のレベルに達しているのかもしれない。当事者の息子さんが、軍が通告を遅れさせたのが原因で、父親の怠慢が原因ではない、とするような著作を書かれたことはこのブログでも紹介したが、・・・・。

軍が(瀬島参謀の謀略!?)遅れさせた、というが、それは、最後の一章だけのようである。
小室氏の指摘によると、
『日米交渉は暗礁に乗上げていた。日米開戦近し。日本側もアメリカ側もそう感じていた。そのときに、宣戦布告の箇所だけを欠いた通告文書が送られて来たのだった。そんな文書を手にした外交官が、この文書の最後に、一章だけを付け加えれば、宣戦布告の文書になると感づかなかったとすれば、これも奇跡である』と書いているではないか。

これは犯罪である。トップクラスの戦争犯罪である。外交官として、考えられない犯罪である。「四方に使いして君命を辱めず」どころではない。これ以上ないほどの恥辱を、永遠に日本に与えた、のである。・・・しかもこのとき、酌量すべき情状は少しもない。ほんの少しも。日本はすでに対米宣戦の肚であったから、通告文の大部分は、前日すでに打電済みであった。ここが肝要。かくも重要な通告文書なんだから、ちょっとみただけで、あれっ、何か普通じゃないぞときづかなかったか。・・・とある。

なお、アメリカは暗号解読(外務省の暗号が、もっとも簡単に破られ、ついで海軍、陸軍はあまり破られなかった、という。)により、先刻把握はしていたのである・・・・・。

『この通告文書は、すでにアメリカ側にも暗号解読されアメリカは日本に開戦の意図ありと察知していた。それほどの文書である。それを受け取ったワシントンの日本外交官は、ハア、そうであすか、まったくの平時センスでノホホンとしていたのであった。危機感覚ゼロ。』と小室氏は指摘している。

特権的エリート集団には、他の人々とはちがった規範が適用される。陸海軍という官僚制で確立されたこの鉄則は、外務省という官僚制においても、そのまま通用する。さらに大蔵省(当時)・日銀などの官僚制においても、そのまま通用することを、われわれは後にこれを見ることになる(第六章参照)』とある。


なかのひと

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