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で、 ”『諸君!』が休刊となる事態とは対照的に、絶好調の『WILL』は恒常的な別冊の発刊に踏み切った。
その名も『歴史通』。初回は「零戦と坂井三郎」特集。ほかに塩野七生vs堤堯の対談、田母神俊雄 vs 坂本未明の対談など。
中西輝政「歴史とは何か」という論考もある。
むかし、中央公論別冊のかたちででた『中央公論 歴史と人物』は中世、近世、近代、現代史のオンパレードで、じっくりと読む考察が多かった。WILL別冊『歴史通』は、いきなり現代史が基軸のようで、はたして読者がつくか、試行錯誤が続くだろうと思われる。”という紹介があった。さっそく買いにいったが、日曜の時点では地方の書店では見かけなかった。
坂井三郎氏の著作は、広く翻訳され、フィンランドなどでもかなり売れたように記憶している。(111刷を超えている、という。)日本軍が、ノモンハンでソ連機を大量撃墜しても、ソ連はドイツの尻を叩いて弱腰の平沼内閣とノモンハンで和平を実現させると、取って返す刀で、フィンランドなど西側に侵攻した経緯がある。(航空機2500機以上!?)ソ連側は、ノモンハン戦後、関東軍がソ連の把握で10個師団、実際には14個師団を擁して反撃の準備を進めていることに、震え上がった、ともいう。なにしろ、ジューコフ元帥が一番苦しかった闘いは!?と米国ミシガン大を含むインタビューに、ハルハ(ノモンハン)と応えていた、というからさもありなん。
アメリカは、ユーラシアがドイツに占領されたりしたら悪夢ということで、戦前からソ連には、違法な援助を続けていた、という。連合艦隊が北方の島に集結してハワイへ向かうときなど、ソ連船には必ずといっていいほど米側乗組員がいて、米ソの海底ケーブルなどを使って、動向が逐一米側へ筒抜けになっていた、という指摘も、正論には兵頭氏が寄稿していた。
さて、そのノモンハンの空戦で、わずか三ヶ月という短い期間で日本側に撃墜王が頻出した、という。トップの撃墜王(篠原准尉)が戦死したのは、撃墜説と事故説があって、判然としない。墜落後の軍医所見はあるそうだ。一説に、ソ連機の損害は約1500機ともいうから、戦後に流布された歴史教育からは信じられない戦果だと思う。親戚にも、第二次大戦を生き延びた隼のパイロットだった人がいるが、当時は、航空機から地上の敵兵を撃つなどという発想はなかったようだ。米軍は、女子供まで狙って撃ったり、というのが通常だったようだが。
そのせいもあるだろうが、シベリア鉄道の空爆による破壊は起こさなかった。ソ連側は、どこかそこをやられれば、多大な損害を受けたはず、と語っているにも拘わらず。
第二次世界大戦で、坂井三郎氏は、撃墜機数58機とかいって、トップの数字だそうである。しかも目を損傷する昭和17年あたりまでが、彼の活躍時期だから、本来ならもっと多かったはずである。しかし、長く、基本性能のあまり変わらないゼロ戦で20年まで戦っていれば、数字を稼ぐ前に、本人自身の命が保たれたかどうかは、神のみぞ知ることであろう。
しかし、東大航空宇宙学科の加藤寛一郎教授は、『零戦の秘術』(講談社+α文庫)で、撃墜王、坂井三郎氏が絶対の自信を持っていた、敵弾回避の技術のつぼについて、インタビューして記録を残されている。なお、この本の引用文献で、ゼロ戦の設計をされた堀越技師は、東大学位論文を、英語で出されたことを知った。やはり、そうか!?”A Research on the Improvement of Flying Quarities of Piloted Airplanes"
坂井氏は、堀越技師が正月に、ゼロ戦の操縦桿についてのパイロットの感想を、電話で聞いてきたとき、坂井氏の感想を聞いて、やはりそうですか、計算と合うというようなことを聞いて、がちゃんと電話を切った、という話を披露して、学者と言うものは、・・・と言っておられたというが、加藤教授に言わせれば、操縦について、誰でもが正確に話せるわけではない、という実例を挙げて、その反例として坂井氏の話は正確かつ詳細である、と称賛している。戦争のさなかから、詳細な記録を取っていて、そうした蓄積がないと、あのような本は書けない、と断じておられる。
『例えばA氏、この人はかって坂井の上官であった。海軍兵学校の出身である。いま山奥のある村で、現役の村長をしている。この人に零戦の操縦法を尋ねたことがある。すると身振り、手振りよろしく「ガァーと引っ張る」、「グーッと行く」。こういう話ばかり、飛行力学の役ににたつ情報はほとんど得られなかった』などとある。
私は、勝手にこの村長さんを、群馬県上野村の村長さんと推測していて、海兵出のゼロ戦パイロットで、敵爆撃機攻略の戦法を編み出された方と認識しているが、操縦法は、とくに究極的な敵弾回避技能ともなると、各人各様であるらしく、秘中の秘であって、語りたがらないものかもしれない、と思った。しかし、かっての落合選手が原監督と会談をしたあと、ニコニコ顔で出てきて言ったという、これで原氏のバッティングには理論がないことがはっきりした、と言ったという話をどうしても想起してしまう。
スポーツ紙などでも、原監督のバッティング指導は、ここで、ガーン打つ、というような表現が多くて若手には、ほとんどためにならない、などという陰口を聞いていたことと思い合わせて、多くのノートを取っていた野村監督などとは、異質の原監督というイメージが強い。話が脱線したが、とても分からないと思った敵弾回避技術を、坂井氏にインタビューした加藤教授の報告を読んで、わかったような気が少ししてきた。・・・
敵弾回避といっても、敵戦闘機に後ろから機銃をあびせられたとき、空中戦に持ち込んで、逆にゼロ戦の小回り性能を生かして、相手の後ろにつけて、・・・というような話ではなく、
来た!と気づいた瞬間、もう弾が当たらない態勢に機を導くほんの1,2秒の動作のことである。
また、戦闘機のりにとって、もっとも大切なことは先を読むことである、という。飛ばす技術が重要なことは論を待たないが、周囲の状況を判断して、次の行動を決める、これがもっとも重要である、という。
バイク乗りにとっても、先を読んで的確な操縦操作が重要であり、前が4輪車ならば、最近は自然にどちらに曲がるか合図をずる前から分かるようになってきた。まだ8割ほどの的中率であるが、当てようと思わなくとも、どこからかそういう雰囲気が沸いてくるものである。あれは、何が知らせてくるのか、・・・不思議といえば不思議。
さて、加藤教授が坂井氏へしつこくインタビューして推測した回避技術は、劣等生の飛行技術とでもいうような、激しい訓練と坂井氏の探求心とゼロ戦の操縦特性とがあいまって編み出さたもののようである。
坂井氏は、戦後米軍提供による、ゼロ戦が撃墜されるフィルムを見せられたようである。そこでは、ゼロ戦に向かって機銃弾を打ち出しても、ゼロ戦はじっとしてそのまま飛んでいた、という。
最初は、照準器を見ながら撃ちだすのだという。それには大変な集中が必要で、相手の機の未来位置も予測して撃つのだという。だから最初から当たるということはそう多くないようだ。曳光弾や焼夷弾の軌跡をみて2秒から3秒の間に照準補正を、照準器はもう見ないで行って当てるのだという。坂井機などは、弾が来たな!?と思った瞬間に回避飛行を行って、敵弾が翼の下を抜けるのを見ながら、左へ旋回しつつ急降下するようだ。
敵がうしろについたとき、坂井機は、右滑りで飛ぶのだと言う。相手は坂井機がまっすぐ飛んでいるように思い込むらしい。進行方向に対して機首は左、尾翼は右へずれて平行移動のような形で横滑りに飛んでいるらしい。こうすると、右斜め前方から通常よりも多くの風圧がかかる。それで、弾が至近距離を通過する直前か同時に、ほぼ瞬間に左を下にした垂直飛行態勢に移行するらしい。すると斜め前方からの風圧で、相手からみれば、思わぬ左側への平行移動に見えるかも知れない。未来位置を予測して撃ったはずの弾は、垂直にした機体の右側を通過してしまう。しかも、さらに機種を下げて急降下操作もしているようだ。
弾はまっすぐ機体を飛ばしていないと、直線的な弾道が得られないので、相手は正常な飛行をしているから、円運動の一部のような飛び方をされては、対処のしようがないらしい。
___『横滑りをしていると当たらんと言うのは本当ですか?』
坂井『当たりません』
___『それはどうしてですか先生も(坂井氏を先生と東大教授が呼んでいる)横滑りが得意なんでしょう』
坂井『そうです』
___『でも撃つときは駄目ですか』
坂井『撃つ瞬間、バランスのとれた正しい直線飛行をやる。』
___『その時だけ』
坂井『そのときだけ。あとはビューンと(機体を横に)吹っ飛ばす。空戦場に入ったら、劣等生の操縦をする。正しい水平飛行、ただしい上昇直線飛行をやったら、相手にすぐ未来位置を見られてしまうから、命がいくつあっても足らない。・・・』
『物事はすべて苦労は先にしろ。みんななんとかの知恵は後からでる、といってそのときになって行き当たりばったりでは駄目で、結局真剣勝負と言うのは、先手必勝なんです。先手を取るにはどうしたら良いか。敵に先んじて敵を発見する。理想的に言うならば、相手の視力圏外で相手の存在を見つけ、そしていつどこに、何機、何群の敵機がどういう上空で空戦場に入ってきたか。それを敵の視力圏外で見つけたら、相手は全く見えないのですから、絶対真後ろの有利な位置に入れる。
それには普段から目を大事にし、常に目を愛護し、目を鍛え、最後には昼間の星を見ましたから。そのくらい視力を鍛えていましたから。
私が撃墜した最大の理由は、目と頭です。』
また、視界の利かない下をどうして見張るのかといえば、遠くからその位置を見るようにし、そのうち、敵がどの辺に現れるか、動物的カンで予想がつくようになる、と答えている。
坂井氏の視力は、25キロ先を見ることができた、という。通常は15キロ程度と教わったとき、だれが決めたかしらないけれど、そんなバカなことが、そんなことを信じてたまるかと思った、というから反骨精神も、超エース級。
性格もふくめて、すべて最後の一瞬に、先手、先手と手段を最高の状態に持っていくようもの凄い努力をされている。
英語の論文は、最初の一語が決まると、後は論理的展開でほとんど決まり、結びの言葉まで行きつくと言う。それで、最初の一語を書きだすまでに相当な準備が要る、と聞かされたことを思い出しながら、坂井氏の生き方を考えている、・・・・・。
火曜日, 3月 10, 2009
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