水曜日, 4月 11, 2007



若葉が浅い緑をあちこちでまばらではあるものの展開を始めていよいよあっという間に春本番となるのか、桜の季節こそ春で、それからさきは春は逝ってしまい、初夏の部類に入るのか、移ろいやすい春というのは、定義が難しいと最近思い始めた。昨日は、輝く黒こそ最高と思ったが、今日はまた、太陽が隠れぎみで、仕事で行った先に、いつもとめてあるのだろう、カワサキの緑が、やけにまぶしく眼に入った。



一緒に同行した同僚も、私がせっせと仕事をしている合間、しげしげとこのカワサキを見つめていた。彼も若いとき、ヤマハのXJ400を乗り回していた経験がある、という。後にからみると、なかなかコンパクトによくまとまっている、と呟いていた。しかし、この持ち主は、斜めに乗って走るクセがあるのかな、と怪訝なことを一言発した。もしもし、あなたも昔乗っていたんでしょ、それはないでしょ!。

リヤタイヤの接地部分が斜めについて、コンクリート車庫の床の色を拾っていたからだが、バイクにのって、車庫に入れるときは、車があって、それを回り込むように左折ぎみで車庫に入ればああいうふうにつくだろうということは一目瞭然なはずだと私は思った。


しかし、屋根付きの車庫に入れられて、恵まれているバイクだと思った。私なんかは軒下に半分雨ざらしだから、先日の黄砂の飛来と、降雨でクランクケースのくぼみなどに汚らしく黄砂がまとまってたまり、まるで、一年もの間、乗らずに放置したような汚れ方をしていた。会社の駐車場の定位置はチェーンからたれた油でよごれているが、そういう跡もついていない。おそらく雨天では絶対乗らないバイクだろうと思った。


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火曜日, 4月 10, 2007

本日は大変暖かく、バイクで移動する光景を朝からたくさん見かけた。自分だって、こうした平日に移動することは全く好ましいし、うらやましい。江戸時代の女大学に、物見遊山の好きな女房は離縁しろという意味のことが書いてあったらしいが、時代は何であれ、この時期こういう天気と陽気だったら、仕事を放り出して野山を散策したくなっただろう。




工事中で、片側交互通行で、こちらがゴーのときに、2003年以降のブラックのBIG1が対抗ラインの先頭に停止中なのを見かけて、その黒く輝くタンクやフェンダーと銀色にまぶしく太陽光を反射しているエンジンのコントラストに見とれて、ライダーはバックミラーで見るだけになってしまった。やはり黒の輝きが印象的だった。漆塗りのようで、まぶしく後光がさすように輝いて見えた。それで、ライダー君の顔がかすんでしまったのかもしれない。

止まることを許されない一方の交互通行なので、首を回すだけだった。次の交差点で赤信号で止まっていると、右方向からきて右折するヤマハの1300を見かけた。まったく今日はビッグバイクが朝から多い。

発進してもバイクの前は乗用車だったので、すぐ追いついて200メートルほど後ろについた。どうせ写真を撮るひまはないだろうという思いと、ダメモトでも撮ってみるかという思いが交錯したが、発進しながら、高解像度にセットしてまず一枚、次の右折ラインでまた一枚、このあとさらに200メートルほど追走できた。

ライダー氏の体重は60キロ代前半ぐらいと見た。ちょっと足つきに難があるようだったが、オールレザーの高そうなスニーカーを履いている。



車の後につけて走行するだけだから、音はほとんど聞こえない。しかし、前の軽のカーゴの幅と比べても、両方に振り分けられたマフラーは幅が広い。これでは私の通勤路では大型トラックの間を抜けて前へいくとき、左はともかく右のマフラーがトラックのタイヤにあたりはしないかと危惧する。けさもそうしたギリギリの空間を抜けて前へとでたのだった。


そして今朝はルートを少し変えてみた。すると、沼のほとりではまだ桜がすこしはくたびれたものの、路傍の菜の花といいコントラストを見せていた。水辺の縁にはたいていこの時期桜の下に菜の花が咲いている。
権現堂堤のようにはいかないが、あちこちで眼を楽しませてくれる。朝の通勤は太陽を背にするので、なおさらだ。そして、このまま会社に行かないで走っていたい、と思ったものだったが、仕事で街にでると、考えることは皆大抵同じだという思いを新たにする光景をあちこちで見かけたわけだ。


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月曜日, 4月 09, 2007

投稿画像を投稿後まもなく消去したら、翌日ブログの画像も表示されなくなった。いままでも削除したことがあったが、ブログ画像が消えることはなかった。それからすると、パソコンから削除してもブログに画像が残るためには、一定程度の時間が必要らしい。

しかたなく、昨日の投稿で消えた画像をまた、再現して掲載した。最初、サーバーの都合で表示されないのかとおもっていたが、風呂に入って考えていたら、たぶん上記の理由だろう、という考えが出てきた。
アルキメデスの故事そっくりだ、^^:)。



この辺に挿入した画像は200万画素のデジカメ(あゆが宣伝していたLumix)で撮ったものだ。ライカレンズの名前がついているが、コーティング技術だけライカからのライセンスだという。色調にブルー系がまさる特徴があった。それで、二台目もLumixと決めていたが、販売員が、カシオ製が、機能の面で優れているというので、その場で変更になってしまった。その前に買ったIXYは、バッテリー容量が少なく一度に撮れる枚数が不安だった。主観的要素半分の意見だが。しかし、発色はキャノン、カシオともに、オリンパスやパナソニックよりも、茶褐色系がまさる時があり、なにやら汚らしい感じがするときがあって、使用感は今一だ。



最後の一枚は、フィルム式のEOSで撮ったものだ。このシリーズ最初は、ミノルタの望遠だったのだが。今日は、ペンタックスの社長が辞任し、HOYA LensがTOB攻勢をかけるというニュースが流れた。ユーザーからすれば、ブランドがある程度統一されたほうが、選択時の混乱が少なくていいが、業界再編というのは、当事者にとっては死活問題だ。しかし、経済問題が、結局は最終判断を下す。


話しが脱線した。この複葉機は当日も二機態勢でアクロバット飛行をし、時には二機とも、ヘリコプターのようにほぼ垂直に真上をむいて、空中停止したかに見えるような演技もあって、複葉機の魅力を目の当たりにした。昨年に、事故で年配のほうの方がお亡くなりになり、ご冥福をお祈りする。




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日曜日, 4月 08, 2007



昨日から、IE7を削除したり、マックのメンテをしたりと、いままで忘れていたこともたくさんあり、何かと
忙しい。

昨日のWin雑誌の編集部回答をみていたら、MacとLinuxのセキュリティー問題の質問にこんな解答が。

ただし、マックに関していえば、一年間普通に使って、やっとアンチウイルスを購入。スキャンしたけど何も出なかったことアリ。金のムダではなく、安心を買ったのです。そして、アップルの最近のCMはウインドウズを馬鹿にすることしかアピールできないのは、笑ってしまうとも。たしかに、マック側でもあのCMは評判がよろしくないという意見をネットで見た。フリーソフトが少なく、結果としてウイルスソフトを作る人も少なく、シェア5%はだてではないとも。しかし、最近アメリカでは5%を超えたとも超える寸前ともいわれ、少しづつシェアが高まっているらしいが、まだシェア云々の段階ではない。一時は3%を切るあたりを低迷したらしいが、iPodの成功あたりからじりじり、さらにインテルマックで増加に転じ出したような気がする。一時は、私も、これで、もうWin機は買わないだろうとも思ったが、XPのパッケージはインテルマックに備えて買った。高かった。マックOSXなら、インストールDVDは14800円だが、マイクロソフトのXPSP2でまともに買ったら3万7000円ぐらいした記憶が。

一時は日本ではシェア10%はいっているだろうといわれ、マック雑誌だけで10誌近くあり、Win雑誌はアスキーほか2、3誌しかなかった時代があった。しかし、日本メーカーはアップルがライセンス供与しないので、そういう動向については業界誌も無視。いちどだけ、パイオニアがライセンス生産したが、アップル社に、創業者の現CEOが復帰したとたん、互換機路線は捨てられてしまった。台湾メーカーと、パイオニアは切り捨てれてしまったわけだ。もし、互換路線を推し進めていれば、IBMのDOSV機同様、市場がアップルをコントロールする時代がすぐそこに来そうな状況は眼に見えていた。自分の長年の夢の具現化のために戻ってきたジョブスにすれば、それはとても許されない事情であったにちがいない。1998年ごろの話しで、2000年、すべてのパソコンはマックになる、などという特集雑誌が出たこともあった。表紙には、TVプロデューサーのテリー・伊藤氏が映っていましたっけ。

Win雑誌の編集部の回答は、マック使用者である私も思わずそれなりにうなずかされたが、果たして、シェアが少ないからさ、は本当か!?

http://d.hatena.ne.jp/ogijun/20060313/p1


『もっと疑い深い人もいるかも。要するにMacはシェアが低いから狙われにくいだけだろ? ユーザが増えたらすぐにWindowsみたいに攻撃されまくるようになっちゃうよ、その時Apple大丈夫なの?
そう、たしかにshareは小さいし、MicrosoftがWindowsに投入している膨大な人員を想像するに、Mac OS Xの開発チームはそれよりもはるかに少ない人数であることは明らかだ。だからこういうことを言われると、確かにMacが本当に安全らくちんなのかな? って思う人もいるかも。でもそんなに心配しなくていいんじゃないかな。Macの根幹がUnixであることは、こういうときにもすごいメリットを発揮するだろう。
なぜかというと、Unixはさすがに時間の蓄積の中で枯れてきてるので、攻撃のパターンとか脆弱性のありそうなところとか、だいたい世の中に知れ渡っていると思っていいからだ。ものすごい画期的に新種の危険性というのはたぶん今後そんなに出てこないだろう。何か問題が見つかるのは大抵はよく知られた脆弱性の亜種で、その種の些細な弱点はすぐに修正できる。Windowsはそのへんがぜんぜん読めないところが安心できない。』

これは、上記サイトで見つけた回答で、私が牟田さんのサイトへ疑問を提示したときも、こういう線にそった回答へ、サイト荒らしみたいな書き込みがあって、すったもんだがあったポイントだ。たくさん対策者が従事してるから安全で、マックこそ心配だという方向へ必死に引っ張ろうとする輩(Winゲーム狂)とか想像されるハンドルネームで。



それで、OSもNEXTをベースに新規開発し、テンとしてデビュー。その頃の事情は、いまのVistaが出現したのとほぼ同様。いままでのアプリはまず動かず、VistaがXPモードを持つように、クラシック環境を持ち、古い
OSに依存するアプリの継続的使用がかのうだったし、最初はできたが、2年もすると、それも不可能となり、そしてとうとうインテルマックになってしまった。

私は、昨年まで、メインとしてクラシック環境に依存していたが、それがとうとう起動しなくなり(寿命は約7年)あわてて最後のデュアルブートの新古機を買った。店頭展示機だったような気がする。毀れたほうの内蔵HDはたったの2GBで、外付け30GBと20GBのものを取り付け(SCSI)、そちらを起動システムにして、複数起動システムを用意していた。それで、データやアプリはほとんどそのまま残った。Winでは今では一部あるかもしれないが、マックではアプリを別HDにコピーするだけで、また、OSはフルコピーでそのHDから起動できた。それで、マザボがいかれるまで、安心して使い続けられた。




新規インストールしたWinXPでは、マックの古いOSは動かなかったが、エラーメッセージを読んだら、cdenable.sysとかいうファイルを、WinのSystem32の中のドライバフォルダーに入れてやればよいらしいことは、うすうす感じていたが、なんと今日は起動したら、立ち上がってしまった。この辺がマイクロソフトの
いいかげんというか、レジストリあたりの学習効果かなんか知らないが、条件で動いたり動かなかったり、・・・。それでも、新しくドライブのパーティションを切ってしまったので、それをどうもCDドライブとして認識いてしまったようで、何度排出をしても無限ループ。それで、何とか停止し、ドライバーを入れて、システム設定で、CDはEだけにして起動したら、問題なく以前同様動いてくれるようになった。

壁紙を変えたりしたが、イーサネットドライバーが欠けて、インターネットはできない。以前はできたのだが、・・・。

もっともマックらしいソフト、Theorist1.5を立ち上げてみる。このソフトだけは知る限り、Winアプリとしては残らず、この会社は、ワープロなどの数式入力システムとして方向転換している。もともと前身はマック用数式表示システムとしてExpressionistという名前のフロッピー一枚のソフトが前身だ。

このソフトの存在を、九州大学理学部数学科の梶原教授の著作で紹介され、文字式がそのまま処理される
見事さに捉われてしまった。マックも、この先生の熱心な伝導により、以前から注目はしていたのだが、それで決定的になった。しかし、肝心の先生は、あまりマックを宣伝しすぎて卒業生たちからWinパソコンを
贈られたり、日立の部長から研究資金を送られたりして、マック宣伝はとくに退官移行、下火になってしまったのは残念。もっとも梶原先生は、130万円くらいで、当時のマックを買われて、毀れるまで数年使い続けられた。例題の行列処理ではうっかりx、とyの係数が入れ替わってしまっているが、結果の解釈は変わらない。



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土曜日, 4月 07, 2007

IE7をインストールしてみて最初は、ずいぶんいいと思ったが、また気がかわり削除した。
理由は、ちょっとはっきり言えないが、ある種の不都合が存在する気配を感じたためだ。

sho様にも薦めてしまったが、まだ導入していなければ幸いだ。Windows雑誌をみると、最近のフリーソフト
の氾濫ともいえる興隆ぶりにはやはり驚かされる。

Windows上で動く流出マックOSXのインストールというのも、昨年に続いて最近の号にも出ていた。裏ヤバ系のあの手この手に関する記事はあきらかにマックより上というかすごい。しかし、正式サポートでないものを一般向けにはすすめられない。あくまでこういう可能性というか選択肢もあると受け止めることしにして、ちょっと初歩を覗いただけで中断というよりあきらめた。

雑誌の読者欄には、最後のほうに面白い投稿と編集部の回答とがあった。Vistaを導入した一読者が、編集部各自のみなさんは、自分専用のVista機を持っていますか、必ず答えてください、というもの。それに対して
いえいえ、いまだに98SEですが、何か(問題がありますか)?というもの。とてもVistaにあうようなスペックのマシンなど置いてない、ということらしい。

これを読んで、思わず笑ってしまった。そういえば、世田谷の外車二輪販売店でも、従業員さんの通勤バイクが、以前私も乗っていたSuzukiの2サイクル250の20年ものぐらいのが、小奇麗にして裏にひっそり止めてあったこととダブった。





ラジオでは朝から行楽地の渋滞情報を流している。また、埼玉県知事の自衛隊に関する不適切発言を今日は
謝罪して朝霞の観閲式では、釈明していたというニュースも流れた。いろいろ仕事の下準備とパソコンの
「お勉強」で、結局今日はツーリングに行かずじまいだった。

ブログの写真を選定している最中だったので、今日はこんな画像を選んでしまった。県知事発言で考えさせられるのは、撃墜王としてしられる坂井三郎氏が、戦後すべて焼けといわれた日記や関係書類を保存しており、GHQから召喚状が届いたとき、まあ、戦犯とされてもやむを得ないとして出頭し、事情聴取を受けたあと、肩を叩かれ、君の12月9日の撃墜がわが軍の爆撃機撃墜の第一号だ、と相手は悔しいが称賛されたということだった。

ゼロ戦の性能を知らない米軍爆撃隊は戦闘機の護衛なしに日本軍の南方基地を爆撃してゆうゆうと帰るとき、坂井機などに追いかけられ、米軍基地まで帰りつくものの、被弾のため機長は戦死。他の搭乗員はパラシュートで脱出してしまっていたらしい。当時、米軍はあわてふためき、近くに日本の空母がいるはずだと3日も索敵活動を実施したらしい。



その坂井氏は、ゼロ戦の標準装備の20ミリ機関砲はほとんど使わないで、あれだけの戦果をあげたのだという。その体験をsamuraiという本で世に問うたわけだが、海外でミリオンセラーになったし、国内でも大空のサムライでベストセラーになり、いまだに売り上げを伸ばしている。開戦当初、日米のGNP比から勝つためには一人あたり敵機を16〜17機を撃墜しなければと決意したという。まさに「殺人」の決意ではある。

最近出た、栗林大将(戦死前に大将に昇進済みだった)の研究本(小室直樹著)では、硫黄島が米軍の手に落ちて、本土爆撃のB29が損傷しても硫黄島に不時着できるようになり、搭乗員8000名ほどの命が助かったという。また、小室氏はゼロ戦に20ミリ機関砲があったから、としているが、B29の戦争末期での撃墜数は驚くなかれ約1000機だというから、本当に驚いてしまった。因にある人に話したら、せいぜい数機程度では、とまったくケタ違いの数字をあげた。

一機670万ほど(当時)したB29がこんなに撃墜されては、と米国は恐慌を来したという。この1000倍の金額が、ほぼ原爆開発費用の約半分にあたる。



坂井氏の言葉を借りれば、20ミリ機関砲は弾が重いせいか初速が遅く、銃身からアイスキャンデーが飛び出して行くようにみえる、と書かれている。戦争初期にはあまり重宝がられなかった20ミリ機関砲は、末期になって「成果」をあげたともいえる。坂井氏によれば、陸軍は隼こそゼロ戦におとったらしいが、疾風とか飛燕とか次々に新モデルを出し、優れた機体が多かった、とほめる。が、海軍の紫電改などはあれはだめだ、水上機のフロートを取っただけで、二流メーカーの機体だった、などとたぶん「本当」のことを言って
しまう。

そのせいか、防衛庁戦史にも、坂井三郎の活躍も名前も出てこないらしい。東大の航空学科の教授が指摘していた。オフィサーからみた戦史であるからやむをえないことかもしれない。

だから、坂井氏の葬儀には、国内の参列はあまり多くなかったらしいが、米軍関係者たちは大挙して参列したらしい。しかも、奥さんを米国に招き、航空慰霊までしてくれたそうだ。編隊飛行の後、うち一機が煙を
吹きながら、垂直上昇して行き、視界から消えるまで飛び続けあたかも魂が天に召されるかのような演出だったという。夫人は涙が止まらなかった、という。因に、次女は米国に嫁ぎ、男のお孫さんがいる。

さらに、最初に撃墜された爆撃機の機長を、ルーズベルトは叙勲し、もし、息子が士官学校を受けることになったら、試験に関わらず入学を許可するよう、書類にサインしたらしい。しかし、息子さんは立派な成績で入学を果たした、という。

さらに、おもしろいことに、アメリカではもし水戸黄門などの番組がテレビで流れれば、親は間違いなく子供に見せない番組だと指摘。礼状もなく他人の屋敷にあばれこみ、何人も殺すなり傷つけて、頃合いをみてもういいでしょう、などということは許される事ではない、ということだ。


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ブログを始めるずっと前、いつも気になるバイクを止めている店が仕事でいく駅前にあった。今回、初めて
あのお店もおしゃれヘアスタイルの理容店であったことを思い出した。どうも、最近の流行ではないか、こういうお店でバイクをデモとして置くのは。その昔、喫茶BMWというお店まで電車を乗り継いで出かけたこともあったのだが。このバイク、残念ながら、製造中止か、もともと逆輸入だったのか。



明後日、4月8日は熊谷の自衛隊基地で桜祭りだ。デモンストレーション飛行にブルーインパルスも参加するようだ。ホームページで確認したら、防衛省昇格のただし書きが。19年1月9日の日付とともに。イクイクの語呂合わせともとれる。そういえば、旧陸軍が、松本あたりに、地下大本営を築造する際の起工式の発破も、11月11日11時11分11秒と決めて行った、とも読んだ記憶が。ちょっと、寂しい気もしたものだった。

ついでにいえば、今でもそうかどうか、日本でロケット打ち上げの初期の頃、関係者は失敗しないように万全の準備をするらしいが、結局はお神酒をもっての神社参りが最後の締めとなるという。そのロケット博士といわれた糸川博士は、戦前たしか陸軍戦闘機、隼の設計担当だったとか。・・・この熊谷基地ももと陸軍の飛行学校の跡地で現在はそのわずか1/5の面積だというから、当時の広さが伺える。



こういう曲芸飛行の出発の際は、やはりロケットの発射実験を見守る関係者のような気持ちになる。いったい、この程度の大きさの機体に二人乗りして、よくもまあ、あのように飛ぶものだし、二人の協調はどうなってるんだろうとも思う。松島基地では、見学者の前をこのように素通りして、滑走路へむかい、飛び立つと防風林の先の海上へ出て、態勢を整えて、基地上空へ見参する。



事故の後の自粛が数年ぶりに解除となった年だったので、米軍三沢基地から、アメリカ海軍の実戦配備の
ジェット機が二機、「友情出演」として、翼の下にいくつも小型のミサイルをつけて出演していた。米軍グッズも量はすくないが、そのすじのマニア向けに販売していたが、あまり売れていたようすは無かったようだった。


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水曜日, 4月 04, 2007



数年前、久しぶりに再開したブルーインパルスのデモ飛行を会社の知り合いと一緒に見学してきた。まだ、地震で街が破壊される1年か2年前のことだった。

前の晩の夜中に一緒に会社を出て、東北自動車道を北上し、明け方に矢本駅の近くに着いた。会場までは数キロ、車が渋滞し、ゲートが開けられるのを待っていた。



最寄りのコンビニにも仮設トイレが作られ、飲料水入った段ボールがトラック1杯分くらい駐車場に積み上げてあった。そして、仮眠もせず、開門を待ち続けた。

望遠レンズは200ミリ、100ミリ程度、あとはデジカメだった。ちょっと役不足な気もしたが、取りあえず、半日夢中で撮った。二人でトイレに行く時間も惜しみ、水分を控え最前列に陣取っていた。

ブルーインパルスの曲芸パイロットも、一機に二名ずつ搭乗するというのをこの時初めて知った。そして、4機で飛ぶのだが、8名が隊列をなして、見物人の間を行進してくると、拍手が沸き起こっていた。

昭和17年ごろ、海軍の松島飛行場として使用され出した基地を、自衛隊が引き継いだようで、海に近い。それで暑い夏の日だったが、風が心地よかった。朝方小雨があって曇っていたが、10時頃から快晴に近くなり、運が良かった。




こんな機体が、あれほど接近して編隊飛行をする、というのはやはり見事だと思った。また、時々行ってみたいと思ったが、再訪は果たしていない。帰り支度をして車の周りをウロウロしていたら、陸自の輸送機が
超低空で、駐車場上空をサービス精神で旋回してくれて、東京方面へ飛び去って行った。あれを撮り逃がしたのがいまだに惜しい気がする。


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火曜日, 4月 03, 2007



sho様のCB1300SFの画像ではあまり目立たない(http://www.geocities.jp/shonaka2001/)が、最近デジカメの性能アップに満足していたものの、画像の周囲のレンズ収差が気になるようになった。それで、以前のLumixの画像も含めチェックすると、やはり本来直線であるべき周辺部の線が樽型に膨らんで写っている。



この例でも、テーブルが歪んで写っている。一眼レフでの画像をチェックしてみたら、やはり歪んでいるが、私の持っている特殊な45ミリのミニ標準レンズでは、画像の4隅を外側に引っ張ったように写っている
ものがあった。sho様の画像でいえば、3月24日の最初から二枚目の画像では背景のフェンスが樽型に中央が盛り上がったように写っているが、キャノンのせいかどうかまではわからないが、私の比較的最近のカシオレンズよりは目立たないようだ。



それで、以前カメラ雑誌でみたライカでの例を思い出した。オスカー・バルナックが1914年に原型ライカで撮影した、ライカの故郷の街角、ウエッツラーのアイゼン・マルクト。第二次大戦を生き延びて、正面の建物は現在もほとんどそのまま残っている、という。米軍は、ライカの故郷は、意図的に破壊を避けたようだともいわれている。終戦(敗戦)と同時に、どっと米軍使用のライカの修理が殺到したらしい。もっとも、ライカの故郷はかなり田舎らしいので、本来の作戦任務からはずれていたのかもしれない。

その点、日本の京都などは、本来原爆の効果を測定しやすい攻撃目標の一つとして、無傷でいたらしいから、単純な比較は禁物。


画面の周辺部でも、ほぼ直線であるべきものが、それらしく写っている。



その同じ街角を、1913年とも書いているが今となっては不明だが、ズミクロン50ミリF2(沈鏡胴タイプ)のライカIIIfで夜間撮影したものが比較で載っていた。空気レンズの採用で話題を呼んだレンズだというが、引き伸ばしてみてその描写の実力に、驚いたと注釈がしてあった。今なおこれだけの描写を見せるのだから、当時の評判は相当なものだったろう、と。

そのつもりでみると、初期のライカで撮影した街角は画面の左半分を表示しているが、全体に左側に膨らんで写っているような気がする。初期型では、レンズの性能が其処までは到達していなかったのかもしれない。いま、ライカ型の古いレンズも装着できてデジカメタイプとなったカメラボディなどが6万円代で売り出され人気を博しているという。ライカはライカで、とうとうMシリーズもデジカメとなり、お値段が数十万円で相変わらず高値で売り出され、カメラ雑誌を飾っている。う〜ん、人生晩年ともなると、佐貫先生ではないが、虚栄の虫が騒ぐが、手がだせませんね。

キャノンの一眼レフは、口径が大きく、三万弱のアダプターを介すると、ライカの一眼レフレンズがつけられて、絞り優先式TTL測光で最短から無限遠までの撮影ができるというので、一時はその気になったが、今は還って古いタイプのレンジファインダーのライカとそのレンズ群に憧れている。それなら手が出せそうだし、しかもそれだけ古くてもこの描写だから。コンピュータ設計ではない、名人芸のような設計でギリギリの諸収差を克服したものなのだろうと、憶測しているが、自分で体験すると、さらにいろいろ分かるのでは!?。


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日曜日, 4月 01, 2007



前日は嘘のように、寝だめしてしまった。その分夜は目が冴えて、とうとう広告を掲載する手続きなどもしてしまった。もっとも、審査が下りなければ話しは消えるわけだが。それでやはり少し寝ておこうと明け方
少し眠る。

気がつくと外がもう明るい。
それで、やはり予定していた行動に、すぐさま朝食抜きで移る。
途中、桜がきれいな場所がいくつもあったが、止まるのが惜しくもっと先にもっといいシーンがあるさと
多寡をくくり、16号を南下する。



16号から京葉道路に入り、さらに銚子東金道路に。大網白里で下りて、母親の実家へ立ち寄る。九十九里海岸まで数キロの地点だ。しかし、こちらは思ったより桜がない。桜はやはり都会の花かもしれない、と思った。下りる直前でサービスエリアで朝食。外房定食というのを選んだ。ミニ天丼と狸そばがメインで冷やっことお漬物、お漬物はバイキング方式。



実家には、従姉妹にあたる長女が子をつれて来ていたので、その子らとかなりおつき合いをしてしまい、出発が遅れたので、結局単なる往復に近いツーリングとなってしまった。海が見たかったのだが、車で案内されてしまい、バイクは置いていったので、バイクと海とは今回はお流れ。昔は海の家がたくさんあったが、最近は国有地にそういう構築物を作ってはいかんということで、皆取り壊しになり、浜は殺風景。



帰りは要所、要所はかなり渋滞。それで、燃費は、通勤1往復を含んで14.7キロと悪かった。水温計は半分よりちょっと上までいったが、ファンは回らず。マイクロロンを入れた当初は、かなり水温があがり、ファンがしょっちゅう回っていたことを思い出す。ファンが回る直前位までしか今日は水温が上がらなかった。
途中、まてよ、毀れたんじゃないかと疑ったが、いずれもっと暑い日に遭遇するだろうからと、確認を諦めた。本日の走行は給油まで240キロほどだった。


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最近、いつの間にかバイクの排気量の上限が無くなっており、先日も会社の隣の方から、1000ccのバイクって、どうですか?などとバイクに関心のなさそうな人にも聞かれた。そういえば、変なたとえで恐縮だが、かって学生時代、プレイボーイ誌などには、今ではどうでも良いような写真にも墨塗りがあったりしたのが、いつの間にか、それがないのが当たり前みたいになっているのと同じかな、と思うようなかっての規制がウソのような時代になった。

グーグルアースでも、家の周囲を表示してみたら、一年以内に工事で拡幅された裏道もちゃんと表示されるのをみて、情報公開の早さというか、すごさに改めて感心した。街で見かけるバイクも大型ばかりが目に付く今日この頃だが、昔に比べてバイクに乗らない人は確実に増えているようで、高速道路では、大変寂しい思いをすることが多い。

バイクが、相対的に減り、本当に好きな人が乗るような傾向が増えてきたから、高速道路での80キロ規制が無くなったり、二人乗りが解禁されたりする法制の変更が可能になったのかもしれない。車で走行していても、法定速度を大幅に超えるようなバイクは、ほとんど見かけない。



いまは、教習所で大型二輪が比較的楽に取れるように大元の制度も変わり、うちの娘もとれたので、正直言ってビックリした。私は、美濃部都政時に、都内の幹線道路を一律40キロ規制になった後、あまりそれを意識しないで62キロで捕まり、それがもとで、連鎖反応的に過去の累積点数がつながり、免許取り消し処分を一度受けている。そして、結局その40キロ規制は評判が悪く、撤廃された。今の石原都政のジーゼル車の排ガス規制は、プラスの要因のほうが大だと思うが、国政レベルでは無視というか放置されている。

ナナハンということばも社会用語だった時代に、ナナハン免許(現在の大型免許)を取得するのは結構大変
で、合格率は数%といわれた。一年後に免許を取得するに際しても、4輪は試験場に行き、取得したが二輪はナナハン免許には中型二輪免許が必要で取得後一年以上はとれない規制があったりして、免許がとれる時期に卒業してすぐ中型二輪免許が取れるよう初めてバイクの教習所へと通った。ここでの卒業検定で、教官から、あなたに言うことは特にありませんね、といわれた。

ナナハン免許の再取得には、七回試験場に通った。府中の試験場だった。横にしたナナハンを引き起こす試験から始まり、一本橋走行とか、クランク走行とかいろいろ関門があったが、たいていはみな一本橋走行で
最後に踏み外して脱輪でアウト、というケースが一番多かったように思った。多いときは70〜80人実地試験で通過は3名とかざらだった。7回目の時は小人数で30名ちょっとだった。いままでホンダが多かったのだが、私の順番は、Suzukiの水冷3気筒なり、これに跨がるのは初めてだった。

出発時、顔を回して後方の安全確認をしない人は不合格になっている、というのは体験で分かっていたので、確実に実行。教習所での試験走行を思い出して、マナーの良さをアピールすることに重点を置いて運転した。試験官も、もう一台のナナハンで直ぐ後にからついてくる。いろいろな段階をストップをかけられずに終了して、最後は急制動の試験に入った。そこで、周囲の桜の落葉が水たまりに集中した場所があって、前輪が少しスリップしたので、試験を一旦中止。

用務員のおばさんたちにコースの掃除をしてもらい、再び途中から急制動テスト。教官はほぼ平行に走り、食い入るような目つきで、こちらのブレーキ操作をチェックしていた。

この時点で、厳しい目つきではあったが、そこまで見てくれてるのか、という思いがあって、ほぼ合格かな!?という思いがよぎった。

この日はたしか二人位が合格したのだが、私も呼ばれ、なぜナナハンに乗りたいのか?と質問があり、理由はいろいろあるので口ごもっていると、バイクが好きか?と聞かれ、ハイ、好きですと。それで、子供もいるだろうし、(ハイ、おります),そう無茶もしないだろうから、運転は上手くないが、まあいいだろうみたいな感じで、(カーブでの膝がタンクから離れる点などを指摘された)OKがでた。

最近は、ナナハンと重さはそうかわらないはずなのだが、乗り出す前まではかなり重さを痛感することが多い。体力はやはり落ちていることは否めない。体重は当時より10キロ以上も増えてしまったが。


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金曜日, 3月 30, 2007




家に帰り、あわてて、牟田さんの3月15日の記事を開いて、Tigerたんとロールちゃんをダウンロードし、DashBoardにおいてさっそく起動する。なるほど、こんな無意味なことでも面白いが飽きがこないか心配だ。まあ、しかし意外にアトランダムでも知らないことを教えてくれるので、助かる面はある。

ウィンドウズでも最近はこうしたことが出来るようになったか、なりそうかは知らないが、例の頑張れ、ゲイツ君には、最近こういった批評が載った。

『Windows AEROなんてのもゲイツ君は自慢げに宣伝をしておりますけれど、これはMacで以前から実現されていたAquaの二番煎じですし(とはいえ、なんでウィンドウを探し当てるのにわざわざ3Dにする必要があるのか不明)、ガジェット、という、デスクトップにアクセサリ類を配置する機能も、MacのTigerから用意されているウィジェットとこれまたほぼ同じです』

しかし、個人の狭い体験でいろいろ一般化すると困った面ももちろん出てくる。今日の日付(3月30日)の記事の冒頭に以下のような文言が・・・

「小野和俊のブログ」の「Mac は確かにすばらしいが Windows はそれ以上にすばらしい」というエントリをハケーン。

「Windowsでは◯◯ができたのに◯◯はMacではやりにくい」

とか言っている奴は四の五の言ってないで素直にWindows使ってろよ。
今じゃWindowsVistaなんていう「美しい」インターフェイスを持ったWindowsだって手に入るんだぜ。

小野和俊のブログとは以下で、Winからマックに乗り換えようとして悪戦苦闘している一般人の例を
取り上げている。彼自身はプログラマーなのだが、8年前と二年前にも彼自身マックに乗り換えようとして二ヶ月ほどで挫折したというのだから、内容を吟味してみた。

http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50158572.html




すると、要約すると以下のような不具合だという。私の場合と正反対。

ここで書いたのは、ブラウザの参照ボタンから画像のサムネイルを一覧表示できなかったという話と、Web ブラウザがよく固まるという話という二つの話に過ぎない。
Mac には冒頭に書いたことの他にも素晴らしい点がたくさんあるし、
何よりデザインがかっこいいということはそれ自体重要な価値である。

mixiにブラウザから自分の写真をアップロードするとき、サムネイル一覧がでないのでやり難いということと、ブラウザがよく固まるので、ひどい時には10分に1回は再起動することがあるという、マック初心者の
悲劇、さすがに小野氏自身も、自分もマックを使ったが、ここまでひどくはなかったが、Winよりは不安定なこともあったと述べている。ブラウザはFireFoxがメインであとサファリらしい。


私は、ブラウザは、オペラ、FireFox、サファリ、サファリの兄弟分のシイラを適当に使い分けている。
この記事も別ブラウザで参照箇所を見ながら、コピペしたりするわけだが、安定していて固まるなんてことは一度もない。お気に入りがすぐ一杯になってしまうので、もっとブラウザがあってもいいとも思う。
使いずらいと嘆いたという彼女の環境こそ問題という意見もあった。

さらに以下のような要約的意見も。しかし、いろんな意見があるものですが、慣れと、その慣れを助ける環境が一人一人違うので、一般論は、本来多様で、やはりお互いの情報交換が結局は大事という平凡な結論に帰着しそうに思うが、どうだろうか!?



9. 最初から間違ってる気がする。 [ Perpetual Thought Cycle ] 2007年03月30日 19:33
小野和俊のブログ:Windows から Mac に移行しようとして悪戦苦闘している人の話 こうゆうWindowsとMacのどちらが使い易いかという話は昔からよく見聞きするけど、話の始まりから間違って...
この記事へのコメント
1. Posted by issei 2007年03月28日 15:19
https://addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/2190
こちらのアドオンでiphotoからdrag & dropできますよ。
2. Posted by 小野和俊 2007年03月28日 15:23
> issei さん

情報ありがとうございます。
早速知人に伝えたいと思います。
3. Posted by こじま 2007年03月28日 17:27
「アップロード時にサムネイルの一覧が出ない」というのはMacOS Xのファイルダイアログではかなり苛つく問題ですね。



32. Posted by ライム 2007年03月29日 14:19
私はMacとWindowsを両方使っています。
最初Macから入り、その後Windowsを使うようになったのですが、この時感じた事が今回の記事と見事に一致してちょっと面白かったです。私の場合はWindowsってなんて使いづらいんだろうと思いました。どうしてMacだと普通に出来る事がWindowsではできないんだろうと。
後になって思うのは単純に慣れの問題だということです。一番慣れたやり方と違うやり方をしないといけなんだから当然です。MacがいいとかWindowsがいいとかじゃないんですよね。機能的にはMacの方がいい部分Windowsの方がいい部分どっちもあります。

もしOSを比較するのなら、どちらも同じぐらい使い込んだ上で判断した方がいいと思います。

ちなみに私はどちらがいいかと問われてもどっちもいいとしか答えられないでしょう。どちらも使い込んで慣れればそんなもんです。

最後まで小野氏のブログへの反応を見たが、私の好みからいえば、以下の書き込みはまともに聞こえるのだが、・・・

60. Posted by + 2007年03月30日 02:30
単なる「慣れ」の話を、なんでそこまで?
61. Posted by   2007年03月30日 04:01
aromaさまの引用
>Finderでアイコン表示にしてからメニューバーの「表示」→「表示オプションを表示」→「アイコンプレビューを表示」にチェックを入れるとサムネイルの一覧表示になります。サイズも128X128まで広げられるので十分実用的です。

結局小野さんはWindowsの操作は学んでMacの操作は学んでいないだけのことではないですか。

教える人間が多ければ学びやすいという利点になりますが、それをそのままOSの評価にしてしまうのはちょっと無理がありそうです。

客観的視点を失った評価を堂々としてしまうようでは、このようなコメントが増えるのも仕方ないのかもしれません。


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ようやく仕事が一段落しそうで、少し気分的にもゆとりが。
昨日につづき今日も暖かく、まだ3月だというのに、夏日となる始末。
昨日は、カワサキの1000か1100あたりに、チタンのエキゾーストをつけた褐色のバイクをみかけた。やはり静かだった。

今日も、午後、ゆとりで法務局に出かけたが、バイクで行くべきだった。年度末で道が込み、おまけにさいたま市の北部建設事務所の近くで小火騒ぎがあって、なおさら渋滞。用を済ませたら、16時50分だった。

マイクロロンは入れた後、温度が上がる。オイルがさらさらになるためだが、洗浄成分は一日か二日で車外に排ガスといっしょに出てしまい後は摩擦を抑制するため、温度は上がりにくくなる。それで、いま確実に効果があると感じているので、今日のような日に温度がそれほどあがらないのでは、という期待があるので、乗り出したかったのだが、ついマイクロロン投入の車で出かけてしまった。時間に余裕があったせいだが、年度末、月末と重なり、火事さわぎもあって、予定が大幅に狂ったが、仕事がほぼ片付きだしたので、事なきをえた。



ところで、sho様に紹介したマックモニター募集の件、さっそく応募されたようで、後はうまく抽選にあたりますようにと思っている。自分はマックからさきに入り、後でウィン98あたりからウィンの世界も仕事でお付き合い、ということで付き合いだしたのだが、最初からウィンという人たちが圧倒的。そういう人たちが理由はともかく、マックの世界に来たとき、どう感じるかは、マックファンの一人として、大変関心がある。

今日も以下のサイトで、あれこれウィンとマックの文化の違いを感じる体験をした。

モニターに当選する、しないは別にしてウィン使用者、ウィンファンの方も、あまり肩肘はらずに、マックな世界を、笑い飛ばすつもりで見てもらいたいものだ。

新しくきたPCで今となっては古いXP上で書いているが、写真をアップロードするとき、マックと同じFireFoxなのだが、デスクトップでも、どこでもファイル選択の時、とりあえずファイルを選んだとき、マックでは画像のサムネイルが現れるので、ファイル名があやふやでも、選択がらくだが、PC上ではそれが現れず、内容確認ができずじまい。アップロードして完了のサイン時に一瞬サムネイルがあらわれるが、選択した後だ。原稿にもどれば写真ファイルは、数行の文字列で現れるので、書き終わって公開して初めて写真の内容が判明する。この点はウィンもマックも同様だが、画像の確認が、最初にできるのとそれができないとでは、かなり
文章を書く姿勢にも微妙に影響する。

何度でも編集できるので、削除や並び替え、追加なども自由だが、マックのほうが直感的だといえばその通り。

http://www.geocities.jp/nmuta2004/home60.html

さて、「マックの新着アプリのテストとトラブルシューティング」というかなり力の入った牟田さんのサイト、もう何年もお世話になっているの。最近はなさそうだが、ここも熱烈ウィンファンらしき人物の攻撃も受けた。私が、書き込みで質問したことに対して牟田さんが丁寧に答えてくれたことがきっかけで、たとえとしてウィンの欠陥めいた方向に話が展開した関係で書き込み攻撃と思われるウィン信奉者らしき人物が反対の視点でど~の、こ~のと。

それはともかく、どこかで見た記事だな、というのを見つけてしまった。牟田さんも採録だ、ということを明言されており、こちらはどこそこのサイトを見てくださいというかわりに画面コピーしたわけだが、今見ても面白い。ウィンだと、パソコンにさわってワクワクする期待やらコーフン感が希薄な感じがするものだ。

藤原正彦ー新田次郎氏息子先生が、アメリカに留学してアメリカかぶれになって、教授会で顰蹙を買い、また10年ほどしてケンブリッジに今度は一家で移住されていろいろ学び、ご自分の
アメリカかぶれをほろ苦く反省されている本が、たしか新潮社あたりからだと思うが出ていた。そこでは、アメリカ仕込みの英語で空港の入管手続きの際、早くもちらりと軽蔑の微笑をうけてうろたえてしまうあたりからはじまり、だんだんその理由がわかってくる。英国一流、アメリカ4流という自負が、肩肘はらずに染み込んでいる生活姿勢にやはりカルチャーショックを受けられている。

日本人は、他から学ぶという姿勢が濃厚なせいか、留学先でその人の中身がその先の影響を強く受けてしまう傾向がつよく、その後数年から10年ぐらいの間に、できれば正反対の国に留学させないと、そのどっぷりと留学先になじんでしまったある種の偏りからなかなか自由になれないと、比較文化を研究されている平川先生などは強調されている。

私もマック世界留学組だとは思うけれど、主観的には暖かみがあるマックがいいと、肩肘はらずに思っている。パーソナルな機械なんだから当選、いや当然だ。ウィンを使い出して、そうとうカリカリしたものだった。当初はアプリの数が多そうなことに幻惑されもしたが、やはり
座右のパソコンというには、ちょっとね~。使い倒す対象ではあるかもしれないが、感情があまりこもらない機械=PCという感じかな、しいていえば。しかし、根底にはMSという会社の姿勢、かつての98王国と同じく文化的遊びが感じれらないという姿勢についての疎外感に落ち着くのでは、と思っている。改めて以下のサイトをみて思った。がんばれゲイツ君ですが、・・・。

http://www.asahi-net.or.jp/~FV6N-TNSK/gates/bangai99.html

牟田さんの記事も、ネタ元はたしかここで数年前に出た記事だと思う。

書き出しは、MSとGM、今でもあんまり変わっていないなあ~という気がする・・・

『面白い話を見つけた。
これは誰かの創作なのか、実際にあった論争なのか確証はないが、いかにも実際にありそうな話だ。
議論の仕方としてもなかなかスマートというか、面白いのでここに採録することにした。
残念ながらこの話に対してマイクロソフトがどう反論したかという話までは知らない。
それを聞きたい気がするがきっとどうせ「それがコンピュータ業界のスタンダードだ。」とでも抜かしたんだろうという気がするが。
』

ちなみに、今回最初の画像は牟田さんのデスクトップで会話する実用性のない楽しい小アプリで、私もさっそく教えられたとおり今夜にでも試してみようと思っている。最新記事の項目に
出ていたように思う。


Map

月曜日, 3月 26, 2007







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仕事が一段落して、Winの再々インストールもこれといったトラブルなく終わってしまうと、なんだかやることが取りあえず見あたらない。帰って寝るだけの生活が長く、部屋の中は散らかり放題、そこで、雑誌や半分くらいしか読みかけたままの新刊書などを片づけ、ゴミもかたづけ、デスクトップの整頓と同じだと思いながら、部屋の中の見通しをよくする。

そして、Win雑誌を読んだりして、何か便利な小技のチップスを入れようかなどと考えるが、これといったものもない。ファイル交換ソフトなどは興味もないし、使ったこともない。捨てようと思った雑誌類にはユニックス誌も何冊かあった。それはLinux系だが、マック用UNIX雑誌は捨てないように取ってある。もちろん、WinXP雑誌も重点的に、リカバリーを中心にとってある。

それで、昨夜から、外付けHDに移行させたシステムにうっかりX11を入れるのを忘れたらしいことに気がついた。内蔵のHDから起動させると、問題なくユニックスソフトが動くのだが、外付けシステムからは、何度X11SDKというファイルをインストールしても起動しない。

それで、今夜はシステムを削除して、再インストールしようと決意。まず内蔵システムから起動して、外付けシステムのシステムファイルを削除。パスワードを入れれば一瞬にして消える。そこで、インストールDVD
をいれてインストールを開始、しかし、アップグレードしか選択できず、しかたなく、入れ忘れたX11にチェックを入れてアップグレードを進行させる。インストールが終わると、システムのパフォーマンスの最適化が行われ、システムはいじることなく復活していて、再起動を促されてOKすると、その外付けから、起動。

さっそくGIMPというPhotoshopもどきのフリーソフトをクリックすると、X11が連動して起動され、なんら
問題なく、環境移行をしますかというメッセージが出ただけで、時間がかかったが問題なく起動して使用できた。

昨夜まで悩んだ不具合がウソのよう。内蔵システムにX11をいれGIMPが動くようにしたのは半年以上まえで
そのときはかなり苦労していれたので、大半を忘れてしまった。それから、外付けの大容量を買って、そこにまた内蔵システムをコピーしたのだが、専用ソフトを使わなかったか間違えたかして、結局コアシステムだけ新規インストールしたような気がする。その時、X11の項目にチェックを入れ忘れたらしい。

テレビを見ていたら、東京の中小企業で、三鷹光機とかいう医療用顕微鏡では世界のトップレベルの会社の紹介などがあったが、焼き魚定食を食べることが入社試験の一つで、キレイに食べることが出来るかが問われるという。究極は指先の器用さらしいが、神経質なせいかくかどうかなども見られるという。

紙を五枚与えて、電球などをデッサンさせ、一番いいものを一枚だしなさい、というとき、一枚にこだわって消しゴムで消したりする輩は、対象外らしい。文章も、消したりして何度も書き直すのはダメで、キレイに捨てて、全く新しく書き直すうちにまったく違う内容が出たりで、そういう柔軟性が買いらしい。

私は、幼児の頃から、魚はキレイに食べるという定評があったが、文章も最初のを何度も書き直すのは苦手で、まったく違う視点から容易に見える方向へと動くタイプだが、年齢を考慮してもこの会社に受かるかどうかはおぼつかない。


Map

日曜日, 3月 25, 2007

相変わらずの天気予報だが、土曜日は午後から自宅へ戻る。明け方まで雨は降らない。しかし、生暖かく、なんども寝ては起き、を繰り返した。やはり疲労が蓄積していたらしい。寝だめはきかない、と最近ネットで紹介されたが、こちらは寝不足解消だから自然の摂理だろう。

小猫がいちばん喜んでいる。しかし、やたらじゃれる時期はまもなく一年となるので終了し、この頃一人静かにしている。二階のベランダの花壇が遊び場だ。人の視線を感じながら喜んでいろいろな動作をしている。そうそうつきあっていられないので、後は放っておく。時たま膝の上に戻ってくる。

チェーン調整をつい頼むのを忘れ、自分で使用としたら後輪の車軸を緩めるメガネレンチが皆会わない。しかたなくDIYセンターで購入。約3000円、24と27ミリ用で、後者を使う。さいきん、暖かくなり、エンジンが温まると冬場とは吹けがちがう。これも添加剤の影響かどうか、10月19日に来た頃の気温を上回る日もあるせいか、こんなに調子よく感じるのは久しぶり。飛ばさなくても、調飛ばせそうな予感を感じる楽しみはかなりいい。



sho様がヤマハのレッドバロンの事を紹介していた。私も、ビッグバイクを買うならレッドバロンと何となく思っていた。ヤマハ好きだし。移転前の会社の近くに、レッドバロンができ、それまで何年かお世話になったバイク屋さんは、そこを引き払って、ちょっと遠いところへ引っ越してしまった。セローをずっと見てもらったので、その後はパンク修理も会社から遠いところへと移行したが、いつも交差点でレッドバロンの車種を眺めてはいた。BMW,モトグッチなどはかなり高そうなレアモノが並ぶのがレッドバロンだ。

今日は、予報の最後のほうだけは見事に当たったようなので、チェーン調整をしたら、また会社に行って、残りの仕事を出来るだけすすめよう。そういえば、今夜納品を済ませておけば明日以降、半日分は亦節約できそう。何が飛び込んでくるかわからないので、年度末もあと僅かだが、油断はできない。