日曜日, 6月 29, 2008

何ヶ月かまえ、ラジオの文化放送で、人気漫画家でコメンテーターでもある広兼憲史氏が、長島監督が広めたとされる、「いわゆる」「勝利の方程式」って、よく考えると変ですよね~、むしろ勝利の恒等式とよぶべきだ、という意味の解説をされていた。

一見、正解のご意見のように聞いている間は思っていたが、ラジオから離れてみると、複雑微妙な要素を含んでいる問題であるかのような気がした。そのときから、私の見解は、「勝利の方程式」がむしろ一見変なようでいて、パラドキシカル的に正解ではなかろうかと、細かな論理性の検証を抜きにして思っていた。

忙しくて忘れていても、時々心の中で蒸し返したが、結論はかわりそうにも無い。長島ファンだからというわけではなく、素朴な語感というか、五感を総動員して漠然と肯定感を感じる使い方だと思う。

野球は、確率のゲームとかいわれてこういう監督、采配をすれば必ず勝てる、というような要素は少ない。状況や過去のデータ、監督の気分やら選手への好悪の感情がないまぜになって、ある手を打つ。それご吉とでるか凶とでるかは、予断を許さず、勝(だろう)と思っていても
ゲームセットとなるまでは、釘付けになってしまう。

厳密には、方程式という言い方だって、おかしいのだろうが、語感としては、『本書を読むと、普段意識はしていないにもかかわらず、数学が身近な存在であること
を実感する(考えてみれば、「勝利の方程式」、「恋愛の方程式」など、我々はよく
数学用語を用いる)。そして、身近に感じることによって興味もわく。実生活との関
連はほとんど説かれず、いきなり問題を解かされていた学校教育での数学とは大きな
違いである。』というように、身近に定着しつつあるように思える。
http://www6.plala.or.jp/Djehuti/20011121.htm
「恋愛の恒等式」といわれると、ちょっと想像しにくくなる。

長島監督のいわんとしたことは、厳密な定義としての方程式ではなく、勝利を決定づけるような、状況(各種変数)に対応した監督采配の妙を言われたのだと思う。その日の特殊変数解を決めるのは、監督の大事な任務のはずだからである。

そこで、ちょっと気になり検索したら、かなりありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F
では、

『方程式は数式を利用して問いを解くという観点から、諸問題を解決するときに最も適切な方法という様に転用して使われることもある。恋愛の方程式、勝利の方程式などの言葉がスポーツ新聞や読み物に分類されるような書籍、インターネット上の一般サイトなど、それほど形式張らない場ではしばしば見うけられる。』

などとあり、私の見解に近い解説のように思ったのだが、どうだろうか。今はじめてこの解説を読んで、近いと感じている。

ただ、広兼氏のラジオ解説を聞いたからなのか、それとも広兼氏同様の、疑問を持つ方たちが多いのかはわからないが、こういうものも載っていて、そこでは、恒等式派が多いように思えるのも事実である。

http://questionbox.jp.msn.com/qa480951.html?StatusCheck=ON


『勝利の方程式って変じゃない?
(質問者:kenkensuga) 昔、長島さんが、勝利の方程式と言ってから、野球中継などでよく使われるようになりましたが、よく考えるとおかしくありませんか?
そもそも方程式とは左と右が=になるようなXはなにか その解を求めよ というときのその式のことですよね。
前半のリードを○○に投げさせて逃げ切るのが勝利の方程式であるというと、いったいどこにXがあるのでしょうか? 数学的にはむしろ恒程式ではないかと思います。 文章的にも、言葉のニュアンスからみても、ずれがあるように感じるのは私だけでしょうか。
もっとも、長島さんの言葉は変であたりまえ といってしまえばそれまでですが・・・』

という例に代表されるものである。

また、こういうのも。
『 私も、同様の疑問を持ったことがあります。「前半のリードを○○に投げさせて逃げ切る」と決まっているのであれば、方程式ではなくて「公式」あるいは「定理」などと言うべきではないのか?
 で、しばらく考えた末に、こう推測しました。
 ○○は、長島氏にとっては絶対的に信頼できる存在ではなかった。かと言って「少し頼りないけど、○○しかいないから」などと言ってしまうと、○○に少なからぬ心理的動揺を与えることになりかねない。そこで熟慮の末に練り出されたのが「勝利の方程式」という造語だった。何気なく聞いている分には「うまいことを言うな」となるし、妙な感じを持った人も、結局は「長島さんの言葉は変であたりまえ」で一件落着。
 さらには、もし○○が打たれて負けた場合、私の考えた「公式」「定理」では、式そのものが根底から覆ってしまいますが、これが「方程式」なら、解を導入する過程の計算方法=○○を投入するまでの采配が間違っていたのかもしれないとの弁解がききますから、○○のメンツも保たれます』

野球に絶対などないのだから、当然でしょうね。その状況でもっとも適切だろうという変数を見つけ解を与えるという意味で、方程式。ところが、恒等式派の方たちは、リードしていて9回からは、○○投入というワンパターンを方程式と呼ぶのにはふさわしくない、とおっしゃれれている。リードしていても、点数差もまちまちで、対戦相手だって、いろいろ。球場もいろいろで、連敗後か、連勝続きかなど状況もさまざま。その中で、ある特定の解(勝利でのゲームセット)へと誘導する采配は、確率的に可能性の高い選択肢をとることが無難。

恒等式の体裁を整えていても、この場合、仮に投手を指すなら、投手は生き物、対戦相手はその生き物の多様体、式の形は同じでも日々状況は変わっている、その投手本来の期待される能力が遺憾なく発揮されるとすれば恒等式に誓いのだろうが、現実は、ほど遠い。

アクシデントだってありうる。器械のようには行かない。なぜ、腕が振り切れるまで投げないんだ!?などとバッター出身の監督が内心苦々しく思っても、言葉の形は恒等式でも、恒等式としてのイコール関係はなりたっていないんだから、しようが無いんじゃないの?


『方程式=未知数を含み、その未知数に特定の値を与えたときにだけ成立する等式(広辞苑)
となっています。未知数(x)=投手や条件、等式の成立=勝利の成立、と考えると、勝利の方程式=勝利を成立させるために投手をどの状況で投入するか、という方程式だと言い換えても比較的しっくり来ると思いますよ。
(もちろん、比喩ですから完全にぴったりとはいかないかもしれませんけれども)
回答者:natsuki_tk
種類:アドバイス

この回答へのお礼 ありがとうございます。でも、投手もきまっているし、状況も9回の頭からと決まっているんですよね 』

この回答事例と、コメントが方程式派と恒等式派の対立の違いが簡潔に要約されているように思えた。


Firefox meter



なかのひと

2 件のコメント:

sho さんのコメント...

Natureさん、こんにちは~♪

今日は雨になりましたね。昨日は早朝からツーリングだったため、今日は家でのんびり過ごしてます。息子の定期試験が近いこともあって、勉強も少し教えながら…。

昨日のツーリングは高速と一般道が半々ぐらいの旅程だったと思いますが、燃費は前半16台、後半18台と当方としてはいまいちでした。そうは言っても極端に悪いわけでもないので、そう気にするレベルではないかなとも思いますが…。

ところで「勝利の方程式」の話も面白いですね。長嶋監督が言うからこそ、厳密に正しい論理でなくても受け入れてしまうというところでしょうか。私も最後の回答事例とコメントに共感を覚えました。数学の方程式においてXの正解は必ず一つしかあり得ないので、「勝利の方程式」といってしまうと「監督の采配もあり得ない」というロジックには興ざめしそうです。「あくまで比喩」として感覚的に受け入れる曖昧さというか度量が欲しいという気がします。関係ありませんが、私は文系で数学はずっと苦手でした…(^^;

nature さんのコメント...

sho様、お休みのところコメントありがとうございます。

日光、結構でしたね。雨に降られず、それほ紫外線にも染まらず、・・・。私も昨年の今頃、中善寺湖を見下ろす対岸の尾根まで行ってきましたっけ。

この時期の華厳の滝も、涼しげで、水量も多くいいですよね。天候で虹までみられたかどうか・・・?。

ウエアの色と形、バッグ等で、リーダーさんもすぐわかりました。

後、私も胸あたりにつけて走行シーンが撮れるカメラシステムを物色中ですが、こんどそちらの方法もお教えください。

以前、白バイのランプハウス上につけて、ブレーキを踏むと前方が写るシステムを外国の白バイが試験した、などというニュース映画、小学校時代見ました。

今日は、とうとう、エコボックスに、取り外したにんじん君も並列でつないでしまいました。

回転に応じてトルクが出てくる様子が手に取るように分かり、なんかフワ~と車体が押し出される感じです。

生憎雨で、燃費などはまた後日、いつでもテストできるよう、シリンダーアースもまたつけました。