日曜日, 5月 03, 2009
前回紹介した「バイクの森おがの」の開館初日。場所も知っているし、sho様のサイトの書き込みに、GTO氏が奥さんと秩父のかき氷と、わらじかつ丼をたべに、両毛地区から来るというので、ひょっとしたら、遭遇できるかもしれないと思い、出かけてみることに。
時間はあったが、高速の状況も見ておこうと東松山から花園まで通ったら、東京方面からのマイカーラッシュで、のろのろ渋滞。やはり!。案の条か。路肩走行したくなるが、禁止されているので、車列の間をバイクがちょろちょろ抜けていく。神経を使いながら、嵐山パーキングエリアの混雑状況もチェック。ほとんどの車がここへ寄らずに過ぎていく、とおもったら、中は満車状態で、あちこち道路にも止まっていた。男子トイレも行列ができていて、ぎょっとしたが、こちらは個室専用の列で、気づくまで時間を無駄にした。なお、女性用は、臨時仮設トイレの案内がでていた。小学生などは父親づれで、個室の男子トイレを共用していた。バイクも早朝からかなり混んでいる。今日は、スズキの刀が多いなと思ったが、それはおがので判明した。
皆野寄居有料道路を抜けて(普通410円、バイク300円)秩父市内から、ミューズパークへの道しるべをたよりに140号から別れて、小鹿野方面へ。まだ、市内はすいすいと通り抜けられる。
久しぶりに小賀野へ近づくと、丸太を満載したトラックがいたり、秩父市内とは雰囲気がちがうローカルな感じがする。そして、あっというまに、かっての温泉施設、クアパレス小鹿野だったところへ着く。以前は、仕事で何度も通った道だが、自分には関係ないと一度も接近しなかった。温泉施設は5月9日あたりから使えるようになるらしく、裏では、改装工事の真っ最中。時間は午前9時30分で、駐車場はまだまばら。しかし、ふだんはめったに見かけない、絶版車があちらこちらに。誘導員が刀のバイクだけは、別の一角へ誘導していた。どうやら、この場で刀バイクファンたちのミーティングも計画されているらしい。あちこちから、いい音をたてて、刀がやってくる。カワサキ車とはちがう、静かだが,高性能を感じさせる音だ。これも生産中止になってからかなりたっているのでは。娘が生まれた頃デビューした記憶が、・・・。
半世紀ちかく前と思われるトライアンフが来ていた。色といい、シートといい、程度はかなり良好とみられた。もうちょっと早くきていれば、英車独特のサウンドも聞けたのに、と思うと残念。似たようなバイクは、皆展示室にいけば見られるのだが、音までは・・・。
そのうち独特の音をたてて、DUCATI車もやってきた。ハーレーといっしょだったのだが、イタリアンのサウンドしか気づかなかった。それだけ、最近のハーレーのノーマル車は音が静かだということか。
話やすそうだったためか、バイクの音以上に、バイクにはうるさいんでしょうね!?と聞いたら、ハイ、おっしゃるとおり、バイクにはかなりうるさいんです、と言っていた。そして、ハーレーライダー氏に手伝わせて、さっそくリヤブレーキの調整を始めた。もっとも、二人とも、先に来ているバイクの品定めで、しばらくは駐車場内をうろうろ。今日の開業は、朝日新聞で知った、という。ホンダのゴールドウィングのサイドカーは、後ろに、寝泊まりできるミニキャンピングカーを牽引した状態で車用エリアに止まっていた。バックギヤはついているんですか、といったら、目ざとく、リバース用の取っ手がついていると言っていた。チェーンには理想的ともいえる給油がされており、赤いチェーンカバーには、一滴のオイルの染みもついていなかったが、リヤシートは工具入れとなっていた。そこから軍手と工具を出して、いろいろ触っていたが、軍手はあぶらまみれだった。
このライダー氏、シートに財布と免許証を置きわすれてしまって後で、取りにきたが、ゴールドウィングもキーを差したままだった。かなりおおらかな性格の人だね、といってから、ご自分の財布に気づいたらしい。用意していたテントでは、草鞋かつ丼弁当を出すらしく、それらしい段ボール箱が運ばれていた。かき氷装置も、用意されていた。
かれこれするうちの開館で〜すといわれ、みなぞろぞろと玄関口へ。展示室は2階と3階で、駐車場から入るとそこが2階。温泉施設は、工事中だったが、一階にあるという。
手にタグをまいてくださいといわれ、緑色のタグををまく。気にしていたことだが、無許可の商用撮影は禁止、とあるだけで撮影そのものは特に制限しておらず、皆思い思いに写真を撮っていく。一眼レフのバシャバシャ音もけっこう響いていた。
前回紹介したブログでは、新聞記事の車種だけだったが、入ったら、9割がみな外車で、どれも程度のよいものばかり。匂いもなく、いまでも走れそうなものばかり。とっくに、記憶の片隅におしやられてしまった、古き良き時代を彷彿とさせるようなイタリア車、英国車、ドイツ車、ハーレー、メグロ、陸王、レアな国産レーサーななどが並んでいるが、イタリアンがもっとも多かったような気がする。DUCATI車も、自転車に原付エンジンをつけたような、60ccと65ccのモデルも出ていた。
駐車場でみかけたBMWのR69Sも、かなり新車に近いと思われる状態で展示され、さらにBMWの初代モデルまであった。フロントフォークの動きを板ばねで調節するタイプで、自転車からの発展形を色濃く滲ませたタイプ。もちろん、シャフトドライブ。R69Sは、チャールズ・ブロンソン主演映画、「雨の日の訪問者」だったと思うが、このバイクが山岳路でカーチェイスして、ブロンソンが飛ばす四輪を追って迫るのだが、なにせヘヤピンカーブゆえ、車は何とか回るのだが、警官の乗ったBMWは、そのまま、崖下へ・・・マツの幹にでも引っかかっていればいいのだが、と思わせる展開だった。サイドカー用にフロントフォークが作られているので、もともとカーブには弱い、・・・。
3階は、350〜450ぐらいの中排気量モデルが。スエーデンのハスクバーナのオフロードモデル(軍用モデル)やヤマハのTZシリーズなども。ここの外車は、いまのように大排気量車が、主流の時代ではなく、250〜350が主流の時代のものだと思われ、250などでも、大型車をイメージさせるようなデザインで作られていて、けっこう様になるモデルが多いような気がした。イタリア車ゆえか、日本ではあまりしられないデザイン的に古さを感じさせないモデルもあった。
一時間弱もいると、いちおう見終わる。まわりでは、おじさんたちが、昔このバイクのエンジンはこんな感じで回っていた、などと音真似をして解説している人もいた。概して、年配者が多かった。あとは主婦層。いまの若い人たちにはなじみが少ないのかもしれない、とさえ思う。
わらじかつ丼を食べるにはまだ速いので、299号を峠の群馬県境まで行ってみることに。多くのバイクライダーたちに出会う。手を上げて合図していく人も。飛ばしやすいが、油断は禁物。景色はいいのだが、ちょっとうらさびしい気もする。以前仕事で来ていたときは営業していた末端のスタンドは、閉じてひさしい感じで残っていた。この辺の人は、小鹿野町内まで給油にいかないと暮らせないわけだ。いぜん、作業中にイノシシに膝を噛まれたおじいさんがいた畑もそのまま残っている。途中、輪切りにしたケヤキの幹下部が転がって、自然乾燥中だったが、臼にでも加工するたうもりなのかもしれない。
CBのエンジンを眺めて何となく、今日出あったイタリアンバイクのデザインを思った。ホンダのHのデザインが、DUCATIのDESMO系単気筒エンジンのシリンダーヘッドにある垂直にたった弁を動かすシャフト軸に繋がるUシェイプのオイル通路のパイプに似ているな〜とおもった。
シリンダーヘッドは今日みたDUCATIのDOUBLE KNOCKERに似ているな〜などと。山の中で少し休憩。皆デザイナーたちの頭のどこかに過去の遺産が住み着いているのだろう。もっとも、この
写真のようにDOUBLE KNOCKERを最初にデザインしたデザイナーの頭の中には、バチカンの衛兵がかぶるベレー帽のイメージがあったのでは、とそのとき思った。帰ってみてしらべると、
http://wadaphoto.jp/kikou/suis28.htm
には美男子の傭兵写真が掲載してあった。帽子・制服のデザインはミケランジェロだそうである。当時の貧乏国スイスは、傭兵を出して外貨収入をえたようである。フランス革命のとき、近衛兵たちも逃げてしまった時でさえ、彼らは国王、王妃を守るべくまさに700余名が殉職した、と言われ、その死をいたむ碑がスイス国内にあるという。かれらの殉職の背景には、『スイス傭兵の信用を失わないための決死の精神であった。そのお陰で、諸外国から高い評価を受け、今でもバチカン市国 State of the City of Vatican のローマ法王庁の前には、ミケランジェロがデザインした伝統の制服を着たスイス傭兵が誇らしげに立っている。衛兵になるには、長身の美男子が必須条件という。』と紹介されている。
傭兵といえば、適当に戦争のまね事をして、・・・本当の危機には??と思っていたヨーロッパ史の中で、かくまで契約と名誉の精神に貫かれた、スイス農民たちの仕事ぶりに敬意を表する。まさに当時の全世界が注目する中での出来事だったにちがいない。
さて,299号の志賀坂峠から小鹿野まちへもどり、このブログの最初のほうで紹介したわらじかつ丼屋の『昭和』へもどる。12時10分ごろ。写真のほかにもう一台店の前にバイクが止まっていたが、栃木ナンバーはなかった。5名の先客がいたが、みなわらじかつ丼を食べている。わたしもつづいて注文して食した。初回の時より、いっそうおいしく感じた。
小鹿野の名刹、十輪寺への入り口のすぐ脇である。どうも、さいきんカツ丼の味がたまらなく好きになっ来ている。先日もバイトに来た人が、大学芋とか、カツ丼は、昔の東大生が考えたものなんだそうですよ、と食事のとき、ふと話すのを聞いてびっくりした。初耳であった。
三年弱ほど前に来たときも壁に感謝の色紙がはってあったが、最近も続いているようだ。ちょうど1年と十日前には、北海道は富良野からホンダCBR1000RRのライダー氏が来ていた。おそらく偶然ではあるまい。情報誌などで調べて立ち寄られた、と思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/genryurikimaru/48284912.html
そうおもって、見渡すと、以前は女性週刊誌などもあったが、書架にはバイク本と表示され、バイク雑誌がたくさん置いてあった。わらじかつ丼は、注文を受けてから作り出すので、比較的時間がかかる。そのためもあろうかと思ったが、バイク本を置くこと自体、町おこしを担っているというようなささやかな意欲を感じた。後から、徒歩で来ている人もわらじかつ丼であった。
店のマダムに聞いたら、街中にあと数件のわらじかつ丼を供する店がある、と教えられビックリした。これでは、いくらここで待っても会う確率は、急激に低下する。
それで、バイク情報誌を見終わると、出てしまった。
そして、また定峰峠の茶屋に立ち寄り、ここの女主人と世間話をして、今回は東秩父村方面へ抜けて帰った。狩場坂峠の茶屋が取り壊されてしまって、・・・というと情報を教えてもらった。ここのおばーちゃんもお年で、しかるべき施設に入られたため、という。店に並べていた商品は、全部で30万円ぶんくらいになる、と彼女には話していたそうだが、時折泥棒にも狙われたそうだ。この土地は山の上でも、東武鉄道の土地だったそうだ。CB1000SFの写真を初めて見たのも、この狩場坂峠、やはり東武鉄道とはどこまでも縁があるものだ、と思った。東武鉄道が主催する七峰回峰のハードハイキングは、すでに4月中旬に終了したそうだ。いつも仕事の関係で間に合わない。もっとも、今は体力が持つかどうか自信もなくなってきている。
ここでも、バイク雑誌『培倶人(バイクジン)』が置いてあったのを見せてくれた。バイクの森おがのの話をしたら、あそこの人たちは、何かとうまくなかなかのやり手だというような意味のことをおっしゃっていた。だって、あそこは歌舞伎の町でしょう〜!?なんて少々驚いていた風に、こちらもいささか意外な感じが・・・。地域性が色濃くのこる話を伺って、少々愉快な気持ちにもなった。狩場坂峠のおばーちゃんも息子さんが警官だったか、それで、白バイグループが訓練走行していたとき、あの人たちも、立ち寄ったりします!?と聞いたら、ああいう人たちは、来ね〜べえ!と即答された10年ほど前のちょっとした会話が頭の中で蘇ったりもした。
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